すのものの「いろいろ」(その34)

「ラインエディタのように思わせるスクリーンエディタ」のためのアイディア

スクリーンエディタだと聞いたので

$ ./a.out
として起動してみたが
$ ./a.out
■
のようにカーソルが次の行の頭に移動するだけだ。 画面のクリアもしない。 「なんだ、これはラインエディタか?」 と思いつつ文字を打ち始める。
$ ./a.out
#include <stdio.h>

main() {
    printf("hello, world")
}■
ここまで打って、 「あ、セミコロンを忘れた」 と気づき、 上の行へのカーソル移動を試みて 「やっぱりスクリーンエディタだったんだ」 とわかる、そんなエディタは作れないものだろうか。

普通、 スクリーンエディタなどのためにカーソル移動の関数を書こうとしたら、 「カーソルを画面上の何行目の何カラム目に移動する」 という“絶対移動”の機能 --- DOS なら画面制御エスケープシーケンスの画面への出力 --- だけからなる関数を書くことになるだろう。 その関数の中味を 「カーソルを現在位置から何行上または下、 何カラム右または左に移動する」 という“相対移動” の機能の組み合わせで置き換えることでこれが実現できないだろうか、 と十年ほど考えていた。

DOS 上の Borland C++ と LSI C-86 でしか確認していないが、 下の screen.c のようにすればよさそうだ。 edit.c はそれを試すためのプログラムである。 これは getch() を呼んでいるので(私の手元では)DOS でしか動かない。 screen.c は、 その中のエスケープシーケンスを呼んでいる部分をしかるべく置き換えれば、 こちらは unix でも動くのではないかと思う。

bcc edit.c screen.c
のように単にコンパイルすれば “絶対移動”のエスケープシーケンスを呼ぶバージョンに、
bcc -DASOBI edit.c screen.c
のように ASOBI を #define してコンパイルすれば “相対移動”のバージョンになる。 どちらも、起動後は適当なキーをくり返し押すと、 私が hello.c を書くところをシミュレートする。

=== screen.h ==================================================================
void Screen_clear(void);
void Screen_gotoxy(int x, int y);
===============================================================================

=== screen.c ==================================================================
#include <stdio.h>
#include "screen.h"

#ifdef ASOBI    /* こちらは“相対移動”バージョン */

    /* 相対的カーソル移動のエスケープシーケンス */

#define Screen_cursorup(X)      (printf("\033[%dA", (X)))   /* X > 0 */
#define Screen_cursordn(X)      (printf("\033[%dB", (X)))   /* X > 0 */
#define Screen_cursorfwd(X)     (printf("\033[%dC", (X)))   /* X > 0 */
#define Screen_cursorbwd(X)     (printf("\033[%dD", (X)))   /* X > 0 */

/******************************************************************************
【機 能】  (オープニング時に呼ばれる)全画面クリア。
【引 数】  なし。
【返り値】  なし。
【注 意】  実は何もしない。
******************************************************************************/
void Screen_clear(void) {
    ;
} /* Screen_clear */


/******************************************************************************
【機 能】  カーソル移動。
【引 数】  行、カラム。
【返り値】  なし。
【注 意】  相対的カーソル移動のエスケープシーケンスに引数 0 を与えると 1 を
            与えたのと同じ結果になるようだ。そのため「小なり」「等しい」「大
            なり」の三通りの場合分けが必要となった。
******************************************************************************/
void Screen_gotoxy(int x, int y) {
    static int xnow = 1;   /* 現在のカーソル位置(行)*/
    static int xmax = 1;   /* 今までに表示した最大のカーソル位置(行)*/

    if (x <= xmax) {                    /* まず x 座標(行)*/
        if (x < xnow) {
            Screen_cursorup(xnow - x);
        } else if (x == xnow) {
            ;
        } else { /* if (x > xnow) */
            Screen_cursordn(x - xnow);
        }
    } else { /* if (x > xmax) */
        do {
            putchar('\n');
        } while (++xmax < x);
    }
    xnow = x;
    Screen_cursorbwd(80);               /* 次に y 座標(カラム)*/
    if (y > 1) {
        Screen_cursorfwd(y - 1);
    }
} /* Screen_gotoxy */

#else /* ASOBI */       /* こちらは“絶対移動”バージョン */

/******************************************************************************
【機 能】  (オープニング時に呼ばれる)全画面クリア。
【引 数】  なし。
【返り値】  なし。
【注 意】  単に画面制御エスケープシーケンスを出力するだけ。
******************************************************************************/
void Screen_clear(void) {
    printf("\033[2J");
} /* Screen_clear */


/******************************************************************************
【機 能】  カーソル移動。
【引 数】  行、カラム。
【返り値】  なし。
【注 意】  単に画面制御エスケープシーケンスを出力するだけ。
******************************************************************************/
void Screen_gotoxy(int x, int y) {
    printf("\033[%d;%dH", x, y);
} /* Screen_gotoxy */

#endif /* ASOBI */
===============================================================================

=== edit.c ====================================================================
#include <stdio.h>
#include <conio.h>  /* getch() */
#include "screen.h"

int main() {
    Screen_clear();

    Screen_gotoxy(1,1);
    getch();

    printf("#include <stdio.h>");
    getch();

    Screen_gotoxy(3,1);
    printf("main() {");
    getch();

    Screen_gotoxy(4,1);
    printf("    printf(\"hello, world\")");
    getch();

    Screen_gotoxy(5,1);
    printf("}");
    getch();

    Screen_gotoxy(4,25);
    getch();

    printf("\\n\")");                   /* 抜かした \n を挿入 */
    Screen_gotoxy(4,27);
    getch();

    Screen_gotoxy(4,29);
    getch();

    printf(";");                        /* 抜かした ; を挿入 */
    getch();

    Screen_gotoxy(5,2);
    printf(" /* main */");
    getch();

    Screen_gotoxy(6,1);

    return 0;
}
===============================================================================

一年ぐらい前にできていたものにきょう手を入れたら、 ずっとシンプルになった。 ほんとはエディタができてから公表するつもりだったが……。

2001-08-08 (3) 02:40:18 +0900

「保冷ショーケース」に「レアーチーズケーキ」がはいっていたら

20年ほど前、 確かヨドバシカメラの店内アナウンスで“保冷ショーケース” という言葉を覚えた。 もしもそこにレアーチーズケーキがいれてあったら 「ホレーショー」と「レアーチーズ」の組み合わせが面白いな、 と思ったものだ。

(食うべきか、食わざるべきか、それが問題だ……。)

2001-08-08 (3) 00:00:43 +0900

google で「腐った屍體」を検索したが該当なしだった

「屍體」って字面が好きなのに。

(「腐った死体」とすればたくさんひっかかる。 ドラクエの人気モンスター。)

2001-08-07 (2) 00:03:43 +0900

夢にセブン上司が出てきて「変換してはいかん! 二度とTコード使いに……

……戻れなくなってしまうぞ!」 と言われたら、 全身に寝汗をかいて目を覚ますのであろうか。

(最終回の前の回の、「変身してはいかん!」が念頭にある。 念のため。)

2001-08-07 (2) 00:00:48 +0900

“セブン12話”について google で検索してみた

google で「スペル星人」や「Ultraseven Spell」を検索。 後者ではもちろん「ウェブ全体を検索」としておく。

私など足元にも及ばない深い見かたをしている人たちによる、 深い考察に満ちたページが数多く見つかった。 いろいろわかったけど、 簡単にはまとめられそうもない。

付) アイスラッガーが水面でバウンドするのがこの回だったことを知った。 私の空想の産物かと思っていた。

2001-08-06 (1) 00:09:19 +0900

幼年期の遊び場を再訪するととても狭く感じるのは自分が大きくなったから?

子どものころ遊んだ神社の境内などを大人になってからもう一度訪れてみると 「こんなに狭いところで遊んでいたのか」 と驚く。 これは多くの人が言っていることだ。 また、ほとんどの人はその理由を 「自分が小さかったから広く感じていたのだろう」 と考えているようだ。

しかし、これは本当だろうか? 私は、 大人になってから初めて訪れたところに、 しばらくぶりに行ってみたら狭いので驚いたことが何度かある。

「訪れないでいると場所は記憶の中で“大きく”なるので、 しばらくぶりに訪れると思っていたよりも狭く感じる」 というのが現在の私の仮説だ。

2001-08-05 (0) 23:00:10 +0900

ウルトラマンに登場した怪獣の「**怪獣」という別称(?)について

ウルトラマンに登場した怪獣には、 ベムラーには「宇宙怪獣」、 ネロンガには「透明怪獣」、 ラゴンには「海底原人」、 グリーンモンスには「植物怪獣」、……、 ゼットンには「宇宙恐竜」という別称(?)があった。 これは番組のオープニングに 「宇宙怪獣ベムラー登場」のように出たものである。 それに対し、 バルタン星人は「バルタン星人登場」だったから、 「宇宙忍者バルタン星人」と呼ぶのは俗称に過ぎない。 ザラブ星人、メフィラス星人のような宇宙人、 複数の怪獣が登場する回の怪獣も同様。

ウルトラセブンでは怪獣の名前そのものですら作品中では語られないことが多かった。

“セブン12話”についてインターネットで調べていて、 ここを理解していないと思われる発言を見たものだからついつい。

2001-08-05 (0) 02:26:16 +0900

「ひばく」---「被爆」「被曝」を広辞苑第五版で調べてみた

3日づけ朝日新聞大阪本社版家庭面「幻 紀行 2001 夏」の4回目は 「セブンにこめた愛どこへ」。 ウルトラセブン第 12 話の話だ。 アンヌ隊員を演じていたひし美ゆり子も写真入りで出ている。 (なのにどうしてゲスト出演の桜井浩子は出ないんだ?)

「ひばく」の意味を広辞苑第五版で調べてみた。 「被爆」の本来の意味は原水爆に限定されないようだ。

2001-08-05 (0) 01:34:50 +0900

2001-08-04 (6) の日記 --- 1998 年 3 月の新聞を読み始める

読み切れなかった新聞を 「先入れ後出し」あるいは「後入れ先出し」 で積んでいる話は前に書いた。 いよいよ 1998 年 3 月までさかのぼった。

2001-08-05 (0) 00:39:30 +0900

待っている客を円環バッファ状に座らせたらどうか

去年の9月に京都・四条河原町の阪急の上の美濃吉にはいったときのこと。 席がいっぱいだったので入り口でイスに座って待つことになった。 一組の客が席に案内されるたび、 その人数分だけ残った全員が席を移動しなければならない。

待っている客を円環バッファ状に座らせたらどうか。 これなら客は席に案内されるまで動かなくて済む。 先頭と最後には立て札を立てる。 でもわかりにくいか。

2001-08-05 (0) 00:05:10 +0900

出張の行き帰りの乗り物では仕事の段取りの反省などをするのもよい

私の仕事の場合、 授業の組み立て、出席の取り方など。

2001-08-04 (6) 23:29:33 +0900

「理科系 出ても 社会人」

本文ナシ

2001-08-04 (6) 22:59:02 +0900

折々のうた>「看護婦がまた嫁にゆく」の解釈

3月20日づけ朝日新聞大阪本社版「折々のうた」 は須並一衛氏の「なづな咲き看護婦がまた嫁にゆく」。 大岡信氏は 「世話になった看護婦が結婚して相次いで島を去ってゆく寂しさ」 としているが、 一度嫁にいった看護婦が戻ってきてまた嫁にゆく、 という可能性はないのだろうか?

2001-08-03 (5) 21:16:32 +0900

朝日新聞社説>ミールの実験成果は「英語の論文」として発表されるべきか?

3月20日づけ朝日新聞大阪本社版社説「ミール落下 / 成果を広く生かそう」。 《ミールの膨大な研究成果は、 きちんとまとめられてはいないのではないか、 と見られている。 英語の論文として発表されているものはごくわずかだ》。 ロシア語の論文ではいけないのか?

2001-08-03 (5) 21:11:28 +0900

「飲み物」と「焼き物」

「飲み物」はこれから飲むものであり、 「焼き物」はすでに焼いたものである。

飲み物を頼んで 「すでに飲んだもの」が出てきたら、 きっと気持ち悪いだろうな。

2001-08-03 (5) 20:27:19 +0900

「飲み物」と「吐き物」

呑み屋にゆくと「お履き物をお預かりします」と言われて履き物を脱ぎ、 席につくと「お飲み物は何にいたしましょう」と言われて飲み物を注文する。

「飲み」の反対は「吐き」だが、 「はきもの」の「はき」は「履き」であって「吐き」ではない。

2001-08-03 (5) 20:25:51 +0900

「死」という字を三文字に分解

  一

 タ ヒ

2001-08-03 (5) 20:21:48 +0900

いそうでいないもの>「茶髪の坊さん」

「きのうお経をあげに来てもらったお坊さん、茶髪だった」 「お坊さんなのにどうして茶髪ってわかったんだ?」

(もちろん、髪の毛を残しているお坊さんもいますから、 厳密な話ではありません。)

2001-08-03 (5) 20:19:51 +0900

「忘・新年会」と言うようになったが「結・離婚」とは言わないな

あまり好きな言い方ではないが、 「忘年会」と「新年会」をいっしょにした 「忘・新年会」という言い方(というか書き方)を見るようになった。 が、「結婚」と「離婚」をいっしょにした 「結・離婚」は見ない。 Yahoo のニュースは「芸能人の結婚、離婚」。

2001-08-03 (5) 20:14:40 +0900

「平家公達草紙」に「将棋倒し」の語が見える --- 安徳帝の時代の話として

広辞苑第五版、岩波古語辞典は「将棋倒し」の用例として太平記をあげているが、 たまたま本棚から手にとった岩波文庫「建礼門院右京大夫集」をぱらぱらと見ていたら 併収されている「平家公達草紙」に次のようなところがあった。

物見る人多かりける中に、すでに拝ありけるとき、 わらはべ二三人、「将棋倒しを見よ」、 これを歌ひ、手を叩きたりける。

書かれたのがいつかは(私には)わからないが、 語られているのは安徳天皇の時代だ。

2001-07-31 (2) 00:32:52 +0900

小さな子どもはモザイクのかかった人の顔を恐がらないだろうか?

選挙中の新聞などに顔にモザイクのかかった候補者の写真が出ていたが、 小さな子どもは恐がらないだろうか。 子どものころは、つまらないものでも恐いものだ。 私は「ウルトラQ」の「悪魔っ子」の、 白く光る半透明な子どもが恐かったように記憶している。 (本当にあれだったかどうかは、実ははっきりしない。 恐くてよく見なかったので。)

モザイクはかかりようによってはのっぺらぼうのようで、 ほんとうにあんな顔の人がいたらかなり恐い。

2001-07-31 (2) 00:04:32 +0900

「脱衣カゴ」の「脱衣」は「脱いだ衣服」?

で、「脱衣カゴ」はそれを入れるためのカゴ。

2001-07-30 (1) 23:53:32 +0900

「戦没者」には空襲で殺された非戦闘員は含まれないのか……

「戦没者」は「戦争で没した者」で、 空襲で殺された非戦闘員も含まれると思っていた。

2001-07-30 (1) 23:45:05 +0900

「着衣」vs「脱衣」>「脱衣」には「脱いだ衣服」という意味はない

「衣服を着ること」「衣服を脱ぐこと」 の意味では「着衣」の反対は「脱衣」だ。 しかし、 「着衣」には「着た衣服」という意味があるが、 「脱衣」には「脱いだ衣服」という意味はない。

2001-07-30 (1) 23:37:28 +0900

「カレーラーメン」はときどき見るが「ラーメンカレー」は?

もし存在したとすれば 「ご飯にラーメンを乗せた上からカレーをかけたもの」 「ラーメンを入れて煮込んだカレーをご飯にかけたもの」 などであろうか。

2001-07-30 (1) 23:31:40 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>改元された年の元号の書き方が不統一

212 ページに 《1868(明治元)年に発布された五箇条の御誓文》 とある。 五箇条の誓文は明治に改元される前に出たものであるから、 この教科書では 「改元のあった年の西暦には、 そこで記述されているできごとが改元の前か後かを問わず、 新元号の元年を添える」 と決めてあるのかと思うと 242 ページには 《1912(明治45)年夏,明治天皇が崩御し》 とあり、 306 ページには 《昭和天皇(1901〜1989, 第124代) が崩御された1989(昭和64)年1月7日朝》 とある。

(明治から大正への改元を告げる文書には “明治45年をもって大正元年とする” という趣旨のことが書かれているので “年の初めにさかのぼって大正元年と呼ぶ” という解釈もあると読んだことがあるが、 ここではそれは関係あるまい。)

2001-07-30 (1) 01:35:52 +0900

朝日新聞>プロ野球>オールスターと日本シリーズは 0/3 も表示?

23日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面、 オールスター第2戦の結果の表の中で、 松坂投手の投球回数を「1 0/3」としていた。 「0/3」はふだんは見かけない。 前に、日本シリーズでも「0/3」を見かけ、ここに書いた。 オールスターと日本シリーズは特別、ということか。

2001-07-30 (1) 01:18:23 +0900

2001-07-29 (0) の日記 --- 干上がった兼六園「霞ヶ池」の中をずぶずぶ歩く

(タイトルの「干上がった」というのはウソで、 本当は水を抜いて池の掃除をしているところです。)

新聞かラジオかで知ってはいたが、 行ってみてびっくりした。 徽軫灯籠(ことじとうろう)の背景の霞ヶ池に水がなく、 湖底 --- じゃないか、湖じゃなくて池だから --- が現れているのである。 これは珍しい光景である。

このあたりは池の回りに柵があり、 水がないからといって池の中にはいることはできないのだが、 私は柵のないマル秘スポットを知っている。 ふっふっふ。

そこから、 石を踏みながら慎重に、 一歩ずつ足場を確認しつつ、 池の中へ降りていった。 文句を言われたら 「ここが池の中とは思わなかった、 柵がないから気がつかなくて」と言いわけするつもりだ。

いちおう“湖底”に到達。 “湖底”は泥なので、足を踏み入れるとずぶずぶと沈んでしまうかもしれない。 石の上だけを歩くことにした。 海に行ったときのような匂いがする。 ということは、 海の匂いと思っている匂いの中には海の匂いでないものもある、 ということか。

ずっと右手に進んで、 水の上に作られたお茶屋さんの下の、 止めてある舟のところまで行ってみた。 上のお茶屋さんには客がいたが、 私が下から見ていることには気がつかないようだ。 ふっふっふ。

そこで引き返したら、 私に続いて池にはいった七十歳ぐらいの男の人が、 ズボンのすそをまくってしゃがみこみ、 こっちに向かってカメラを構えている。 私が戻ってきて、 ファインダーから姿が消えるのを待って写真を撮ろうとしていたのだ。 少しだけ話をした。 私と同じような、お茶目な人がいたものだ。 そういえば、この人は、さっき、 霞ヶ池から水が流れ出る場所に立って、 私がいつも「池の栓」と呼んでいるものを一緒に見ていた人のような気がしてきた。

霞ヶ池に水がないので、 当然ながら、日本最古といわれる噴水もお休みだ。

出入り口には水抜きをしていることのおことわりが出ていた。 霞ヶ池に水がないのは 8 月 4 日までだそうだ。 カメラを持ってもう一度でかけようか?

2001-07-30 (1) 00:58:38 +0900

「寝タバコ」から類推して「寝酒」の意味を取り違えていた

「寝タバコ」は寝床で寝ながら吸うタバコだが、 「寝酒」は寝床で寝ながら飲むとは限らない。 (むしろ普通はそうはしないだろう。)

中3か高1のころ買ったショルティの「ワルキューレ」の対訳の、 第一幕のフンディングのせりふに出ていたはずだ。 そのLPは実家においてきてしまったが、 確か訳者は渡辺護で、 手元のカラヤンのCDに付属する同氏の対訳には「寝酒」とある。 そのころからずっと取り違えていたということか。

2001-07-29 (0) 23:51:31 +0900

Bergmeister と「山師」

Berg = 山、Meister = 師だけど Bergmeister って山師じゃないのね。(当たり前だ。)

と思ったら、 広辞苑第五版によれば「山師」の元の意味はこれに近いようだ。

なお、 音律のヴェルクマイスターは Werckmeister のようである。

2001-07-29 (0) 22:29:41 +0900

ホテルのダブルルームは二人で寝られるベッドのある部屋だがトリプルは?

理屈では三人で寝られるベッドのある部屋のはずだが、 実際はシングルベッドが三つのはずだ。

2001-07-29 (0) 20:07:30 +0900

コウノトリは昔は赤ちゃんをもたらしたが最近は妊娠をもたらすようだ

そういう意味で使われているのをときどき見かける。

2001-07-29 (0) 20:05:03 +0900

「E・H・エリックの家庭内暴力」と聞くと「鉄の爪」かと思ってしまう私

あれは別のエリックだ。

2001-07-29 (0) 20:02:28 +0900

「試験中は用便にはゆけません」とあってもその場での脱糞・放尿は可能

私はときどき異常にトイレが近くなるときがあるので、 大学入試を受けた際 「試験中は用便にはゆけません」 とあったのがかなり気になった。

しかし、 何年も経ってから、 その場で放尿してはいけないとは書いてなかったことに気がついた。 「試験中の用便はできません」だとこれもできないが。

2001-07-29 (0) 19:50:20 +0900

「食べ放題・飲み放題」だがトイレは一回千円とかいう店があったら

……そのへんで用を足すやつが出てくるんだろうな。

2001-07-29 (0) 19:43:38 +0900

「バイキング」と「食べ放題・飲み放題」の違い

両方書いてあるところもあるが、 種類が多くて全種類は食べきれないのが「バイキング」、 種類はあまりないがいくらおかわりをしてもいいのが「食べ放題・飲み放題」 かなあ、という気がする。

2001-07-29 (0) 19:42:03 +0900

「玉子とじ」は卵“で”とじる。「きのことじ」はキノコ“を”とじる

香林坊大和8階のうどん専門店「川福」のウィンドーを見ていて気がついた。

2001-07-29 (0) 19:37:44 +0900

<title>...</title> がもっとページの近くに表示されたら

奥村晴彦氏のページを見ていて、 <title>...</title> とページの最初の <h1>...</h1> に同じことが書かれているページが多いことに気がついた。 そういえば、私も同じようにしている。 昔は <title> には(いわゆる) 日本語の読めない環境の人も identify できるようにと英文も添えていたものだが、 最近は力つきてしていない。

<title> は検索エンジンが見つかったページのタイトルとして表示するので、 省略しないほうがいいだろう。 だから、 <h1> のほうを書かずに済ませられれば手間が省けるが、 そう思うと <title> の表示位置はあまりにブラウザの端すぎて、 ページそのものから遠い。 文字どおり“タイトル”でありながら、 ページを読む前にここを先に見る、 ということは私もしていない。

2001-07-29 (0) 19:34:35 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「X線の発明」は「発見」では?

316 ページ。

2001-07-28 (6) 21:42:52 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>矢印が落ちていないか?

133 ページ上の欄外「人口の割合」。 ほかと体裁を合わせるなら、 その前に下のグラフを指す矢印 --- 正確には●の中に▽のはいったもの --- があるところではないか?

219 ページ「割譲された遼東半島」も同様。

ぱらぱらっと見たところでは、 上、左、右を指す同様の記号は使われているが、 下を指すのはないようだ。 フォントを作り忘れた? と思ったら、 口絵ページには下向きが使われていた。

2001-07-28 (6) 21:04:26 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「日没する処の天子」は「ひぼつする〜」か?

45 ページにそうふりがながふってある。 私は「ひぼっする」だと思っていた。

これは岩波文庫「日本書紀(四)」111 ページの注によれば 「隋書、倭国伝」に出ている句だそうだ。 岩波文庫「新訂 魏志倭人伝 他三編」を見たがふりがなはなかった。

なお、 この教科書はふりがなにおいても「てってい」(45 ページ) などと小書きの「っ」を使っている。念のため。 「つ」「っ」が近くに現れていて差がわかりやすいのは 251 ページ「部落差別撤廃」などであろう。

中国側の歴史書にのみ見られる表現だとすると、 それからこの教科書のように 「太子は国書の文面で対等の立場を強調することで」 などと言っていいのかどうか私にはよくわからない。 また、日本を「日出づる処」、 隋を「日没する処」とするのは“対等”よりもむしろ見下しているように思えるが、 それもここでは論じないことにしよう。

2001-07-28 (6) 19:25:48 +0900

続・復活のラザロは腐臭がしていたか?

2001-06-17 (0) 20:56:33 +0900 づけで 《ラザロの姉妹マルタはイエスに 「主よ、もう臭っています。四日目ですから」 (ヨハネ 11.39)というが、 イエスはこれには答えず、 ラザロを復活させる。 では、 墓の中のラザロは、 実際に腐臭がしていたのだろうか》 と書いたが、その続き。 「腐臭はしていなかったが、 4日間シャワーを浴びていなかったのでその匂いが……」 ということはなかっただろうか。 その間は死んでいたのだからそんなことはないか。

2001-07-28 (6) 02:22:28 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:25:57 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「防空壕」に「ごうくうごう」とふりがなが

285 ページ「空襲の跡で生活する人々」という写真の説明文の中。

2001-07-28 (6) 02:17:45 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「日本語の確立」のおかしなところ

58-59 ページ。

イカを「伊加」と書くなどの例について 《日本語が, 中国の文字を音に利用した一つの例といっていい》 としているが、 「音に利用する」とはどういうことを意味しているのか、 よくわからない。 また、「音」は「おと」と読ませるつもりか 「オン」と読ませるつもりかもわからない。

……『古事記』や『万葉集』は, 漢字を並べて書かれているが, 漢文ではないので, 中国人が読んでも意味が分からない》 というが、 中国人でも日本語を知っていれば意味が分かるではないか。 「漢文の知識だけでは意味が分からない」 などの表現が工夫できるはずである。

『万葉集』で, 恋[こい]という語は, 「古比」「古飛」「故非」「孤悲」などと記され, また衣[ころも]という語は, 「乙呂母」「去呂毛」「許呂毛」「許呂母」などと書きあらわされた。 万葉仮名とよばれる音仮名の例である。

次は、『万葉集』の大伴家持の歌にみる万葉仮名の例である。

「宇良宇良〓 照流春日〓 比婆理安我里
 情悲毛 比登里志 於母倍婆」」
(うらうらに 照れる春日[はるひ]に 雲雀[ひばり]上がり 情[こころ]悲しも 独りし思へば)

これらの例は, 日本語と中国語がまったく別の言語であることをはっきり示している。

([ ]に入れて示したのは、原文ではふりがなである。 ただし、すべてのふりがなを引用したわけではない。 「乙呂母」は「己呂母」の誤りであるらしい。 「〓」は「介」の下が「小」に変わった文字だが、 JISに見当たらなかったのでこうした。 なお、この歌は万葉集 4292 番の歌であり、 岩波文庫「白文万葉集」によればここは「爾」となっている。 だから、「尓」とすればいいのかも知れない。 「比登里志」と「於母倍婆」の間にスペースがある理由は不明。)

どうして、これらの例が 「日本語と中国語がまったく別の言語であることをはっきり示している」 のか、私にはわからない。 この教科書の読者として想定されているのは、 日本語の使い手であるが中国語はほとんど知らない中学生であろう。 ここで言っている当時の日本語も、 かなり現代の日本語と共通する部分がある。 しかし、ほとんど知らない中国語が日本語と 「まったく別の言語」であることが、どうしてわかるのだろうか。

また、ここで示されている例は文字による表記だけであり、 言葉そのものについては何もわからない。 もしも 「漢字一字一字の意味と文の意味に関係がないからこれは中国語ではないようだ」 と考えたとしたら、 それは早とちりである。 普通、中国語はこのような表記法をとらないが、 この教科書も 30 ページで 「言語と文字はまったく別のものである」 と言っているように、 中国語がこのような表記法をとることが絶対にありえないとはいえない。 仮に、一つの音に対して一つの漢字を選び、 意味に関係なくその音はその漢字で表わす、 と決めれば、 漢字一字一字の意味を集めても文の意味はとれなくなるが、 あくまでもそれは中国語である。

これに続く部分には 「古代の日本人は, 日本語をあらわすさい, 中国語からは音に応じた文字だけを借りた」 とあるが、 「音に応じた」は意味がわからない。 上の大伴家持の歌の例で 「照れる」を「照流」、「春日(はるひ)」を「春日」、 「情(こころ)」を「情」と表記しているのは 「音」を借りてきたのではなく意味を利用しているのである。 (「照流」の「流」は音を利用しているもの。)

もちろん漢文は中国語だから, 今のわれわれが英語を学ぶように中国音で発音し, 中国文の語順どおりに読み書きする練習を通じて学べばよいはずだった。 ところが, 当時の日本人はそうした学び方のほかに, 中国語の発音を無視し, 語順をひっくり返して日本語読みにする方式を編み出した。

「漢文」「中国語」「中国音」「中国文」 が中学生に正しく理解されるかどうかはおいておこう。 「中国語の発音を無視し」というのはどういうことか。 おおざっぱに言えば、 音(オン)読みは漢字が日本にはいってきたころの中国語での読み方である。 だから、漢文訓読の中で音(オン)読みにする語は 「中国語の発音を無視し」とは言えないと思う。 訓読みのことを言っているのであろうか。 「語順をひっくり返して日本語読みにする」 は正しくない。 日本語の語順に合わせるためにひっくり返して読むことはある。 しかし、 「国破山河在 城春草木深」を 「国破れて山河あり 〜」 と読む際には一つもひっくり返すところはない。

なお, 漢文を読むとき, 彼らは万葉仮名の画数を省略してふり仮名として使ったり, ヲコト点とよばれる記号を打って, 助詞を補って読んだ》 とあり、 欄外の「ヲコト点の例」の図には 「漢字のどこに点を打つと何の助詞をあらわすのかを示している」 とある。 図の中の文字ははっきりしないので広辞苑第五版を見たところ、 「ヲ」の下は「コト」である。 「こと」は助詞ではない。

図のタイトルの「ヲコト点の例」もあまり適当ではない。 実際に漢字にヲコト点が打たれた例ではなく、

     ム
     ・
ニ・+−−−−−+・ヲ
  |     |
カ・|     |・コ
  |  ・  | ト
  |  ノ  |・ト
  |     |
テ・+−−−−−+・ハ
     ・
     ス
なる図なので、 「ヲコト点の打ち方」あるいは単に「ヲコト点」あたりが適当であろう。

2001-07-27 (5) 22:31:38 +0900

「タイガース」のように s を濁らないのは関西系?

「山崎」という姓には Yamasaki, Yamazaki の二通りの読み方があるが、 濁らない Yamasaki さんには関西出身の人が多い、 と聞いたことがある。 「タイガース」もそれと同じだろうか。

2001-07-27 (5) 21:55:08 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>地の文と引用の区別が不十分では?

216 ページ「朝鮮半島と日本の安全保障」の最初の段落はこうなっている。

東アジアの地図を見てみよう。 日本はユーラシア大陸から少し離れて, 海に浮かぶ島国である。 この日本に向けて, 大陸から一本の腕のように朝鮮半島が突き出ている。 当時, 朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば, 日本を攻撃する格好の基地となり, 後背地をもたない島国の日本は, 自国の防衛が困難となると考えられていた。

最後の 「考えられていた」 は「当時」よりあとの部分だけを受けるのか、 それとも 「大陸から一本の腕のように朝鮮半島が突き出ている」 をも受けるのか、 はっきりしない。

古事記の紹介の箇所もこれと似ている。 『扶桑社「新しい歴史教科書」>古事記の筋の紹介が小見出しをまたぐのか…… (2001-07-06 (5) 00:29:00 +0900)』参照。

2001-07-27 (5) 20:40:58 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:27:54 +0900

JTBの封筒>JR切符の払いもどし手数料に「1枚も未使用の場合」とあり

生協でJRの切符を買ったらJTBの封筒にいれてくれた。 裏に「乗車券類の払いもどし手数料一覧」が出ているが、そこに 《回数券(1枚も未使用の場合)》 とあった。 「一枚も使っていない場合」は正しいが、これは少しおかしい。 「未使用」で一語なので「全て未使用の場合」だろう。

2001-07-26 (4) 22:13:10 +0900

「死刑:終身刑」と「殺人:(生涯に渡っての)監禁」の比較

死刑より終身刑のほうが残酷だ、 という意見もあるが、 “同じ”ことを一般人が行なった場合、 すなわち、 ある人がある人を殺した場合と生涯に渡って監禁した場合を比較すると、 「殺人ノ罪」は「死刑又ハ無期若クハ三年以上ノ懲役」(刑法第 199 条)、 「逮捕及ヒ監禁ノ罪」は「三月以上五年以下ノ懲役」(第 220 条)で、 前者がはるかに重くなっている。

2001-07-26 (4) 21:30:25 +0900

「心美(ここみ)」という名前から「こころ」は「ココ」+「ロ」かと……

……思ったが古語辞典を見てもそうは書いてない。

「心」を「ここ」と読ませる例には「心地(ここち)」がある。 岩波古語辞典は「ここち」の項で「こころ」との違いは説明するが、 共通する「ここ」がどういう意味か、「ち」「ろ」はどういう意味か、 などと分析してはいない。

2001-07-26 (4) 20:16:16 +0900

「心美(ここみ)」という名前から辞書を見て「醜女(ここめ)」を見つけた

岩波古語辞典、広辞苑第五版など。

2001-07-26 (4) 20:09:53 +0900

更新記録 ---「すのものの自作壁紙」に「リベット(斜め)色つき」を追加

本文ナシ

2001-07-16 (1) 22:25:28 +0900

「リハーサル」と「リバーサル」は日本語では清濁の違いだが原語は無関係

rehearsal と reversal は(たぶん)無関係。

どちらかが間違いと思っている人はいないだろうか?

2001-07-16 (1) 01:30:35 +0900

更新記録 ---「聖書の誤植」に詩篇 78.48 を追加

本文ナシ

2001-07-16 (1) 01:27:35 +0900

アンサンブル金沢>Carl Maria von Webar の "Die Freischütz" 序曲?

いきつけのレコード屋に貼ってあったオーケストラアンサンブル金沢の 21 日のコンサートのポスターにこう書いてあったのでチラシをもらってきた。

作曲者名は普通は Weber とつづるし、 Freischütz は男性名詞なので冠詞は Die ではなく Der がつく。

アガーテかエンヒェンが魔弾を使う新演出、 というわけでもあるまい。序曲だけをやるのだから。

2001-07-16 (1) 01:06:35 +0900

更新記録 ---「すのものの自作壁紙」に「リベット(斜め)」などを追加

ほかに、方眼紙の色を反転した見本も載せました。 黒地に白で涼しげな感じです。

2001-07-16 (1) 00:54:48 +0900

ゴルトベルク変奏曲の第 30 変奏をゆっくり静かに演奏するのも面白い

ゴルトベルク変奏曲は最初のアリアを最後にもう一度演奏するが、 これは本当にそうすべきかどうかはわからない、と読んだような気がする。 (でも見つからないので私のカン違いかも知れない。)

もしも最後にアリアを反復しなければ、 第 30 変奏の quodlibet が終曲となる。 いまと同じように演奏すると、 ここで盛り上がって、盛り上がったところでおしまい、となる。 そうではなく、 第 29 変奏で盛り上げておいて第 30 変奏は静かに、 つまり、今のアリアのように、子守り歌のように終わる、 という考え方もあるのではないか。

そこで、 MML で打ち込んでおいたものを、 普通の半分ほどのスピードで、チェレスタの音色で鳴らしてみた。 なかなかこれもいける。

2001-07-15 (0) 19:45:52 +0900

「不幸な戦争」に対して「幸福な戦争」もあるのか?

最近よく「不幸な戦争」という句を見るので思ったもの。

2001-07-15 (0) 03:13:00 +0900

「月面経済新聞」「月世界経済新聞」ができたら略称は「月経」か?

人類が月面で生活するようになると、 そこでも経済新聞が必要となろう。 そのときの話だ。

2001-07-15 (0) 03:11:00 +0900

朝日新聞>「天皇陛下がきょう67歳に」の下には何が省略されている?

2000年12月23日づけ朝日新聞大阪本社版社会面にこのような見出しが出ていた。 本文では 《六十七歳の誕生日を迎えた》 である。

皇后の例は前に(ここに)書いた。

2001-07-15 (0) 01:45:16 +0900

朝日新聞>縦書き見出し中に「3623」と4ケタの数を書いている

13日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 「岡山市・投票所入場はがき / 3623 枚 氏名に脱字」の見出しだが、 後半は

3623
 枚

 氏
 名
 に
 脱
 字
のように書かれている。 「枚」の下のスペースは原文ではわずかである。 「3623」の横幅は他の文字よりやや広くなっている。

2001-07-15 (0) 01:36:56 +0900

朝日新聞>「辞書などに載っていない外字をコンピューターが認識」せず

13日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 「岡山市・投票所入場はがき / 3623 枚 氏名に脱字」。 《……、世帯主名の文字が抜けているミスがあったと発表した。 辞書などに載っていない外字をコンピューターが認識しなかったためといい》 とあるが、「辞書などに載っていない」ことと「外字」とは直接には関係がない。 載っていても外字で対応しなければならない文字もあるし、 載っていなくても JIS コードの振ってある文字もあるからだ。 また、「認識しなかった」の意味はこの記事からは不明。 外字が印字されなかった、 というように報道している他紙を見たような記憶がある。

2001-07-15 (0) 01:34:23 +0900

首相公選制だけなら改憲が受け入れられやすいと主張する人はかなづかいは…

…改めないつもりであろうか。

2001-07-15 (0) 01:22:14 +0900

広辞苑第五版>「構造改革論」は「社会主義に移行するための政治理論の一」

……と書いてある。知らなかった。

2001-07-14 (6) 12:51:16 +0900

「花岡由美」さんは「はなをかゆみ」→「鼻をかゆみ」→「鼻がかゆいので」

「原岡」さんでも「瀬岡」さんでも同様。 「尻岡」さんは google では見当たらなかった。 なお、「岡」の歴史的かなづかいは「をか」。念のため。

2001-07-14 (6) 12:48:58 +0900

朝日新聞>三十代半ばは「(初代)ウルトラマン世代」か?

1月10日づけ朝日新聞大阪本社版家庭面 「遊んでる? 21世紀を楽しむために」。

最初は、36歳の会社員の話。 《**さんは初代ウルトラマンで育った世代》と書かれている。

次は、話の流れからすると 《円谷プロの笈田(おいだ)雅人プロデューサー(三六)》の発言であろう。 《自分が幼少期にあこがれた初代ウルトラマンのころ、 正義は単純だった》 とあるが、実相寺監督の作品などをきちんと踏まえての発言だろうか。

2001 年初頭に 36 歳なら 1964 年の生まれと思ってよいだろう。 「ウルトラマン」は 1966 年から 1967 年にかけて放映されている。

付:「ウルトラマン」といえば最初のシリーズを指すに決まっているので 「初代ウルトラマン」とは言いたくないのですが、 「ウルトラマン世代」だと一般的な「ウルトラマンなんとか」の世代、 と誤解される可能性があるのでタイトルは「(初代)ウルトラマン世代」としました。

付:一般の人の名前は、伏せ字にすることがあります。

2001-07-14 (6) 01:15:02 +0900

「夜を寒み」の「を」は間投助詞

1月10日づけ朝日新聞大阪本社版第一面「折々のうた」で知った。 それまでは格助詞だとばかり思っていた。 普通は「『…が…なので』の意」と説明するところなのに 《「なので」の意》とあるだけなのがちょっと残念。

2001-07-14 (6) 01:02:12 +0900

朝日新聞>米子の新生児不明事件の記事に不明な点が二つ

1月10日づけ朝日新聞大阪本社版トップ 「米子の新生児不明 / 部屋周辺、すべて無施錠」。 《いなくなったのは八日昼前に生まれたばかりの同市内の公務員 (三七)の長女だった》 とあるのだが、この「公務員」は父親なのか母親なのかこれだけでは不明。

女児の右足の裏には姓が、 左足の裏には母親の名前が、 それぞれ黒の油性のフェルトペンで書かれていたという》。 この「姓」が母親の姓と同じかどうかもこれだけではわからない。

2001-07-14 (6) 00:56:16 +0900

「若いときのジャガーは、当ててでも乗れ」を自分の車を当てて奪い取れかと

……思ってしまった。 1月18日づけ朝日新聞大阪本社版経済面の広告。 そうではなくて、懸賞を当ててでも、の意味のようだ。

2001-07-14 (6) 00:41:22 +0900

朝日新聞>「三八豪雪」はどう読むか? どういう由来か?

1月19日づけ朝日新聞石川面。 《今回の大雪は、一九六三年の「三八豪雪」、 八一年の「五六豪雪」に比べ》 とあるが、これらをどう発音するか、またどういう由来なのかの説明がない。 「サンパチ」「ゴオロク」と読まれることが多いような気がする。 もちろん、昭和三八年、昭和五六年に由来する(と思われる)。

2001-07-14 (6) 00:37:05 +0900

朝日新聞>3月までの「干」は「±」の逆さのようで漢字とは思えなかった

普通、漢字は「一」だったら

                            *
                           ***
*******************************
のように右端に飾りをつけ、ハイフンやダッシュと紛れないようにする。 それなのに、 この3月までの朝日新聞の「干」の字にはそれがなかったので気になっていた。

2001-07-14 (6) 00:27:50 +0900

母に連れられて歩いていてもカサをさせばその中は自分だけの空間だった

母に連れられて歩いていた幼いときは、 いわば母の占める空間の付属物のようだった。 母の背におぶさっていたときよりは独立性が高いものの。 でも、雨が降ってきてカサをさせば、 母と一緒に歩いていてもカサの中は自分だけの空間だったのである。

私は車を運転しないが、 もし車を持ったら、 自分だけの空間がうれしくてどこへ行くにも車に乗ってしまうような気がする。

2001-07-14 (6) 00:22:40 +0900

パソコンでピンボールができるなんていい時代になったもんだなあ

1970 年代だったと思うけど、 中近東の王様(か何か) のうちの子が自宅でピンボールをしている写真を週刊誌で見て、 うらやましくてうらやましくてうらやましくて(©中島みゆき) たまらなかった記憶があるが、 いまじゃゲーム機やパソコンでプレイするんでいいなら私にも手が届くもんね。

2001-07-14 (6) 00:03:10 +0900

ノートパソコンでピンボール>パソコンが傾いて tilt にならないかと :-)

柔らかい台の上にノートパソコンを置いてプレイしているとき、 思わず手に力がはいってパソコンが傾いてしまうことがある。 そんなとき「あ、tilt にならなければよいが」と思うのは私だけだろうか。:-)

2001-07-13 (5) 23:42:55 +0900

ゲーセンのピンボール>意味もなく台をゆらす人もいた

本当にうまい人は、ここぞというところでゆらしてボールを意のままにあやつる。 そうではなくて、ただゆらし続ける人もいたものだ。

2001-07-13 (5) 23:40:10 +0900

ゲーセンのピンボール>ルールを読まないでプレイしている人が多かった

右のフリッパーで点灯しているレーンを変更できるのにぼんやりしている人とか。 どこをねらうべきかもルールを知らないとわからない。

2001-07-13 (5) 23:38:29 +0900

「文庫サイズ」ではなく「文庫本サイズ」という言い方

3月22日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の下の JTB の「スピード時刻表」の広告にあり。

2001-07-13 (5) 23:14:02 +0900

朝日新聞>ミールが日本に落ち人を直撃する確率の計算はあっているか?

3月22日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。

根拠は (1)ロシアからの情報では、制御不能になる確率は百分の二か三 (2)ミール落下の可能性がある全地域のうち、日本の面積は約千分の一。 これが日本に落ちる確率 (3)日本に落ちたとき人に当たる確率は、 人口密度と一人当たりの占有面積からして約一万分の三。 この三つを掛け合わせると一億分の一になるのだそうだ。

実際に掛け合わせると十億分の六か九で、 正確に一億分の一とはならない。 十の何乗かだけを問題にするなら四捨五入して一億分の一と言ってもいいところだが。 「〜だそうだ」という歯切れの悪さはこのためか、 それとも分数の掛け算を忘れているのか。

私はあわてて読んだものだから “日本人一人を直撃する確率が一億分の一” とカン違いし、 “必ず日本人に当たるのか!?” と驚いてしまった。

2001-07-13 (5) 23:04:48 +0900

「亜細亜」に使われている漢字はいい意味ではないな

誰がこの字をあてたのだろうか。

2001-07-13 (5) 22:53:48 +0900

朝日新聞>「ヤンキース」「タイガース」は「日本語読み」?

2日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「青鉛筆」。

イチローのいるマリナーズは○、昨年の覇者ヤンキースは×。 語い・辞書研究会(三省堂主催)で、 元編集者の横井忠夫さん(65)が 「球団名の日本語読みは、なっていない」と発表した。

ここは「日本語読み」でいいのであろうか。 「〜語読み」というのは、 二つの言語が同じ表記を共有している場合に、 この言語ではこう読むし、この言語ではこう読む、ということではないだろうか。 例えば、 漢字で書かれた名前「毛沢東」について「中国語読み」「日本語読み」 と言うことはある。 「マリナーズ」「ヤンキース」は、 原綴が日本語にはいってこう読まれているわけではない。 誰かが日本語ではこう呼ぶと決めたからこうなったのだ。

この中学英語の基本が、日本のメディアでは無視されているというわけだ。

メディアが、 報道するたびに 「マリナーズ」「ヤンキース」と決めているのだろうか。 blues を「ブルーズ」ではなく「ブルース」としているのと同様、 昔、ある時に誰かがこうして日本語に取り込んだので、 そのまま使っているだけではないのだろうか。

最後の段落で「×」とされている「阪神タイガース」が「タイガーズ」 でないのは、球団の歴史の古さを物語っているように私は思う。

付: なぜ「タイガース」「ヤンキース」は「ズ」と濁らないのか、 は興味ある問題である。 野球関連では「レガース」もそうだ。 辞書は「レガーズ」を載せているが、 濁らないアナウンサーや解説者が多いように思う。 (これが leg guards であることは今回辞書を見て初めて知った。)

野球を離れれば「ピクルス」。 「横山ホットブラザース」。 複数形ではないが、 広辞苑をめくっていて見つかった人名「カロザース」も、 原綴が Carothers なので s は有声音である可能性が高いような気がする。 ほかに「アダムス・ストークス症候群」。

「ジョン・ウィリアムズ」と「ジョン・ウィリアムス」。

付: この元編集者が自分で「日本語読み」と呼び 「メディアではうんぬん」と言ったのか、 それともこれは記者の言葉なのか、 記事からは不明である。

2001-07-12 (4) 20:04:00 +0900

朝日新聞>写真の「拝■ ****さま」の不明な一字は「敬」か?

3月23日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「名前(イルム)」の5回目、 「通名に別れ告げた22歳」。 冒頭は21年間名乗った通名から本名に変えた大学生の話だ。 写真には色紙をもった本人が写っている。 色紙には

拝■ ****さま

 長らく
  ありがとう

  敬具 ***
と書かれているのが見える。 「本名」から「通名」に宛てた手紙の形をしている。 「拝」の次の字は、ボカシがかかったようで、読み取れない。 少し考えたが、「敬」ではないか。 そう思うと、そんな形をしているように思える。 「拝啓」を間違って「拝敬」と書いてしまうことはよくある。

注: 名前は、ここでは伏せ字にした。

2001-07-12 (4) 19:27:22 +0900

公立高校入試の英語の問題がきちんとできればかなり英語が話せるのでは

3月9日づけ朝日新聞第2石川面に出ていた英語の入試問題は、 最初ながめたとき “大学入試の問題にしては少しやさしいな” と思ってよく見たら石川県の公立高校入試の問題だった。 そう思ってみると、ずいぶん高度な内容だ。 これがきちんとできるなら、 かなり英語が話せるのではないかと思う。

それにひきかえ、 翌日の新聞に載った数学の問題は、 二次関数は y = x2 しか扱っていなかった。

2001-07-12 (4) 01:06:30 +0900

「ウルトラQ」「ウルトラマン」「〜セブン」はテレビドラマじゃないのか?

3月9日づけ朝日新聞大阪本社版に「テレビの20世紀」という見開きの特集がある。 《昨年末、 スカイパーフェクTVが行った「もう一度見たい! 二十世紀のテレビ」 アンケート》 から 《テレビドラマに的を絞って、 ベスト20や年代別ベスト10で、 人気番組を総点検》 とあるのだが、 「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などがどこにも出ていない。 「もう一度! 私のリクエスト番組」に「仮面ライダー」は出ているのに。

ぶつぶつ。

2001-07-12 (4) 00:56:47 +0900

プロ野球用語の「テンポ」「リズム」は「スピード感」の意味らしい

3月9日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面 「プロ野球短信」は「試合のスピードアップ」。 《「試合のスピードアップを目指して」 と題した提言文を各球場のベンチなどに張り出すことを決めた》。 《川島コミッショナーは 「ファンのためにもテンポ、リズムが大切。 3時間以内が目標」と語った》。

音楽(特にクラシック音楽)の世界では、 非常にゆっくりとしたテンポで、 かつきちっとしたリズムで演奏した、ということは当然ありえる。 その場合、 「テンポもリズムも大切にしたが演奏時間はこんなに長くなった」 となるわけだ。 その理屈でゆくと、「テンポ、リズムが大切」 と「スピードアップ」とは全く別のことがらだ。

プロ野球中継の解説者が「投球にリズムが出てきた」というとき、 実は「テンポが出てきた」、 つまり“投球の間隔が短くなってきた” の意味であることがある。 このあたりから「リズム」と「テンポ」が混同され、 「テンポ、リズムが大切」という今回のような発言になったのではあるまいか。

注) タイトルでは「テンポ」「リズム」は「スピード感」の意味らしい、 と書いたが、 「投球にリズムが出てきた」は決して 「投球にスピード感が出てきた」、 すなわち“投げる球が速く見えてきた”の意味ではない。 だから、「スピード感」と単純に言い換えることはできない。 強いて正確に言うなら「間隔の短さ」だろうか。

付) もともとは「テンポ」は時間の意味にすぎないから、 それを音楽界があのような意味に使うのは「音楽界の勝手」である。 だから、野球界が野球界なりの用法を作り出すことが悪いわけではない。 ただ、なかなか書かれたものにお目にかからないので、 記録の意味で書きつけたまでである。

付) 広辞苑第五版で「テンポ」を見ると 「試合のテンポが早い」という用例が出ている。 従来はこのように「早い」をつけて言われたものが、 「早い」が「テンポ」に“込められて”しまいつつあるように思う。

2001-07-12 (4) 00:22:08 +0900

新聞は日本国憲法全文を載せる気はないのか? --- 年に一度ぐらいでも

高校のときの政経の教科書をひっぱりだして見てみたら、 付録の日本国憲法は6ページを占めていた。 新聞にあてがってみたら、一面あれば収まりそうだ。 たとえば憲法記念日とかに、全文を載せてもいいんじゃないだろうか。 広告をとって載せる?

2001-07-12 (4) 00:04:51 +0900

日本国憲法はどこで読めるか --- 岩波文庫、中学高校の教科書

3月9日づけ朝日新聞大阪本社版天声人語に、憲法について 《難点は、 読める機会が少ないことだ。 ふつうの人の身近では、 まずみつからない》 とあるのを読んで「ウッソー」と思ってしまった。 岩波文庫「世界憲法集」には載っているからだ。 しかし、調べてみたら品切れだった。

あるいは、中学高校の教科書に載っているはずだから、 学年が終わっても捨てないでとっておけばよい。

どうも、これは 《文庫判の『日本国憲法』(童話屋)が出た》 と話をもってゆきたかったらしい。 300 円だそうだ。 岩波文庫より安い。

2001-07-11 (3) 23:57:47 +0900

カナ書きの特殊音がどのように発音されているか調べた研究はあるのだろうか

昔、「ファン」を「フアン」と発音している人がいた。 「リボン」と同じように、 二音節目の「ア」のところでアクセントが下がるのである。 最近は「スティト」と書いて「ステイト」と読ませるものもある。 これをうっかり文字どおり /sutito/ と読んだら恥をかくのであろう。

こういうのって、研究・記録されているのであろうか。

2001-07-11 (3) 23:39:48 +0900

KISSの「エース・フューレー」を特殊な表記だ言い張ったら?

ロックバンド「KISS」のギタリストに 「エース・フューレー」というのがいた。 「いた」と書いたが、いまもいるのかどうか私は知らない。 知らなくても以下の話には全く関係ない。 google で調べると数件ヒットする。 確か、この名前はごく初期のある時点までそう書いていただけだったと思う。 のちには「エース・フレーリー」と書いている。 原綴は Ace Frehley のようだから、「フレーリー」のほうが妥当だろう。 おそらく、何かのカン違いで間違って「フューレー」 になってしまったのだろうと思われる。

さて、 最近は小書きの「イ」を従来とは違う意味に使う表記がある。 たとえば「スティト」を /sutito/ ではなく /suteito/ を表わすために使う。 これで例えば英語の state を借りてきた外来語を表わすのだ。 (この例は google で見つけた。)

では、 誰かが 「『フューレー』は特殊な表記であり、本当は***のような音を表わす。 間違いではないのだ」 と言い張ったらどうなるだろうか。

2001-07-11 (3) 23:34:58 +0900

逸失利益を「全労働者平均で算出」ということは「資本家」は含まれない?

3月9日づけ朝日新聞大阪本社版トップ 『女子小学生の交通事故死 / 逸失利益「男女同じ」/ 全労働者平均で算出』。 本文には「男女を含めた全労働者の平均賃金」ともある。 資本家になることは考えられていないのか。 ほかに、天皇または男子皇族と結婚して皇族になる、という可能性もあるわけだが。

2001-07-11 (3) 22:57:08 +0900

朝日新聞>「ニィリエ」氏という表記

朝日新聞における「ニィ」という表記(1998-10-10 (6) 11:00:47 +0900)』 『続・朝日新聞における「ニィ」という表記(1998-10-13 (2) 00:14:59 +0900)』 に書いたニィリエ氏だが、 1998年8月31日づけ朝日新聞大阪本社版文化面の下の 「朝日新聞社からのお知らせ」に「ニィリエ氏招きフォーラム」 というのが出ていた。

2001-07-11 (3) 22:46:29 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:32:15 +0900

週刊新潮>「円周率はちゃんと3・14と教えろ」

4月19日づけ朝日新聞に載っていた週刊新潮4月26日号の広告に 「円周率はちゃんと3・14と教えろ」とある。 円周率は3・14ちょうどではないので、 3・14と教えてもちゃんとしているわけではない。

「オレの暴言 オレの暴論」という特集だからいいのか。

付:「3.14」じゃなくて「3・14」なのは縦書きだから。

2001-07-11 (3) 22:32:52 +0900

朝日新聞>自殺元課長の遺書はA4判じゃなくてB5判ノートだった

朝日新聞>「収賄容疑の元警視自殺」の元警視の内ポケットは普通人の四倍? (2001-04-19 (4) 23:18:50 +0900)』だが、 4月21日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 「自殺元課長の遺書 / B5判ノート / 実兄宅で発見」。

県警は当初、ノートの大きさを「A4」とし、 自殺を図った現場近くの父母の墓にかけられていたブレザーの内ポケットから見つかったと説明していたが、 内ポケットにあったのはこのノートの1枚を切り取ったものだった。 地元の中吉野署にあてて 「迷惑をかけてすみません」と書かれていたという。 県警は「混乱していて勘違いした」としている。

なーんだ。内ポケットが超特大じゃなかったんだ。

2001-07-11 (3) 22:24:08 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:34:38 +0900

「トリスタン」から“「前奏曲と愛の死」”か“「前奏曲」と「愛の死」”か

10日づけ朝日新聞大阪本社版国際面 「エルサレムでバレンボイム氏 / タブー破り ワーグナー演奏」。 《楽劇「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲と愛の死」を演奏した》 とあるが、 “楽劇「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲」と「愛の死」を演奏した” ではないのだろうか。

それはともかく、アンコールで演奏する曲じゃないと思うな。

イスラエルでワーグナーの作品を演奏することの是非はここでは論じないことにしておく。

2001-07-11 (3) 22:14:39 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>トルデシリャス条約の経線が北海道を通るわけ

扶桑社「新しい歴史教科書」>トルデシリャス条約の経線は北海道東を通る? (2001-07-10 (2) 23:16:24 +0900)」 の最後は 《「北海道の東あたり」の根拠は結局わからなかった》 が結論だったが、 もしやと思い、 この教科書と密接な関係があるといわれる西尾幹二著「国民の歴史」(扶桑社) を見たら、ほとんど謎が解けた。 教科書にあった

この条約によって決められた史上初のこの大胆な領土分割線は, 地球の裏側では日本の北海道の東あたりを越えて伸びている。

とよく似た言い方が出ているのだ。 特に後半はそっくりだった。 しかし、ぱらぱらと見た限りでは、北海道を通るという根拠は見当たらなかった。

ここから先は推測だが、 なんらかの理由で、 この部分は同書の表現を活かすことが最優先されたのではあるまいか。 ところが、地図を載せようとすると経線が“北海道の東あたり”を通らない。 そこで、地図は関東地方より南しかはいらないようにした。 (これでも経線がニューギニアを通る位置と矛盾してくるのであるが。)

西尾幹二氏はこの教科書では代表執筆者となっている。

2001-07-11 (3) 21:03:00 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:35:55 +0900

<table> の入れ子でふちをつける

すのもの儀、かねてより病気療養中のところ、薬石効なく……。
ここに生前のご厚誼を感謝し、
当日はとりまぎれて

キーボードの絵を描いたりしていたころ作って、忘れていたもの。 灰色の枠は会葬御礼みたいだなと思って書いてみたのだった。

こんなこともできるぞ〜
(別名:悪乗り)

2001-07-11 (3) 20:37:00 +0900

次の数の中で「自然数はどれですか」と「最大の数はどれですか」の違い

インターネットで公開されていた中学1年生の数学の中間試験の問題の中に、 次のような問があった。 (記憶で再現しているので、数値や細かい表現は適当です。)

数 2.3, -4/3, 5, -0.8, -6, 8/5 のうち、

一つだけでなく、あてはまるものをすべてあげなさい。

四問とも似た形をしているが、ちょっと考えると、 初めの二問とあとの二問とでは、形式が違うのだ。

第一問では、 「自然数」なる概念がこの問題とは別にあって、 あげられている数のうちでその「自然数」であるものはどれか、 が問われている。 第三問では、 「最も大きい数」という概念がこの問題と別にあるわけではない。 そのような数は、普通の実数を考える限り、存在しない。 そうではなくて、 あげられている数のうちで最大の数はどれか、 が問われているのである。

2001-07-11 (3) 19:37:00 +0900

十五パズルの絵

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クリックしたりしても何も起きません。

2001-07-11 (3) 02:07:05 +0900


すのもの Sunomono