すのものの「いろいろ」(その75)

朝日新聞>源氏物語「紅葉賀」「花宴」は植物と暦から考えて 1005 年?

16日づけ大阪本社版文化総合面 《「源氏物語」七・八帖 舞台は1005年?》。 まず「七・八帖」ってのが何のことか考えてしまった。 「紅葉賀」「花宴」と言っても一般の読者にはわからないと思ってこうしたらしい。

「花おりおり」を連載している湯浅浩史・東京農大教授が、 作品中の日付(もちろん旧暦)と植物の咲き具合からこの二帖は 1005 年のことと推測した、というのだが、 話の中では「紅葉賀」の翌年の春が「花宴」だったはず。 どっちも 1005 年って、どういうこと?

よくわからないのでこの説自身はさておき。

このかたは、花の咲き具合から、 「紅葉賀」の十月十日を新暦の十一月中旬、 「花宴」の二月二十日を新暦の四月上旬としている。 十一月 15 日(の翌日)から翌年の四月 5 日までは 15 + 31 + 31 + 28 + 31 + 5 = 141 日。 この推理が正しいとすると、 旧暦では 141 / 29.5 = 4.77... カ月が経過していることになる。 十月十日から二月二十日はうるう月がなければ 4.33 カ月、 あれば 5.33 カ月だから、どちらにせよ計算が合わない。

この花の咲き具合からの推理が正しいとしたら、 紫式部は日付について深く考えずに源氏物語を書いた、 ということになるだろう。

それでもよいのだ。 ある年に「紅葉賀」のモデルとなった行事があり、 全く別の年に「花宴」のモデルとなった行事があり、 それぞれが強く人々の印象に残っているとしたら、 たとえつじつまが合わなくても話の上では両者を半年差のできごとして構わない。

付)この記事では「十日あまり」「二十日余り」を「十日」「二十日」 と解釈しているようにも読める。 私は「十日すぎ」「二十日すぎ」だと思っていたが……。

付)そもそもは、 この推理から「紅葉賀」と「花宴」 の間にうるう月がはいったかどうかわかるとおもしろいなと思ったのだが。

2003-12-18 (4) 02:57:06 +0900

朝日新聞>「ミスド景品また針」>いっそ裁縫セットを景品にしたら?

16日づけ大阪本社版社会面見出し。

そうなると「針がはいっていなかった」との苦情がきたりするもんなんだよな〜。

2003-12-18 (4) 02:24:56 +0900

朝日新聞>「We got him」/ なんてへたな活字の組み方だ

16日づけ大阪本社版社会面見出し。 明らかに g が大きすぎる。

日本語を知らないが英語は読めるという人が見た場合、 これだけで「朝日新聞ってこのくらいのクオリティーなのか」 と思われる可能性あり。

2003-12-17 (3) 23:58:10 +0900

めぐりめぐって実子の継父となった場合、「実父」? 「継父」?

ここでは「*夫」は男性、「*子」は女性と約束する。

A夫とB子の間に子どもが生まれた。 ふたりは離婚。子どもはB子に引き取られる。 B子はC夫と再婚。B子は死去。子どもはC夫に引き取られる。 C夫はD子と再婚。C夫は死去。子どもはD子に引き取られる。 ここで、D子がA夫と再婚した場合、 子どもから見てA夫は「実父」? 「継父」?

しかし、驚くだろうなあ。 「連れ子がいる」と言われた子が自分の子だったら。

2003-12-17 (3) 23:46:29 +0900

イラク>殺害された外交官二人は「会議に出席しようと」していたのか……

きょうの朝日新聞大阪本社版「政治・総合」面。 「焦点収録 外交防衛委」によると、殺害された外交官二人について、 首相が「強い使命感で危険を冒して会議に出席しようとした」 と発言している。

会議に向かう途中だったのか。 初めて知った。 何の会議だったのだろう?

2003-12-17 (3) 23:40:48 +0900

イラク派兵>テロリストが一番喜んだらいけないのか?

きょうの朝日新聞大阪本社版「政治・総合」面。 「焦点収録 外交防衛委」によると、 首相が「テロの脅しに屈したら一番喜ぶのはテロリストだ」 と発言している。

「会ったこともない人だろうに、どうしてそんなことがわかるんだ?」とか 「別々の人の喜びをどうやって比較するんだ?」とかはさておき、 テロリストが一番喜んだらいけないのか? テロリストも喜ぶかもしれないが、 多くの人が喜ぶなら、それでいいのではないだろうか。

前にも書いた、 飛行機をハイジャックされて超法規的なんとかで出国させたときは、 一番喜んだのは誰だったのか。

また、「恩赦」で一番喜ぶのは誰なのか。

「首相、あなたがテロリストよりも喜べば、 『一番喜ぶのはテロリスト』じゃなくなりますよ」 という人もいそうだなあ。 (誰かが書きそうなことは書かないことにしている私。)

2003-12-17 (3) 23:35:42 +0900

袋をかぶると「背が伸びなくなる」「目がつぶれる」とおどかされたっけ

9月27日づけ朝日新聞 be の e7 面、 秋月りす氏のマンガ「おうちがいちばん」。 「エコバッグ」 (布製の、買い物の際にもっていってビニール袋をもらわないようにする袋) を持っていると雨が降ってきたとき子どもにかぶせておぶって走ればぬれなくて便利、 というマンガだ。

これを見て、子どものころ、 タイトルに書いたようにおどかされたのを思い出した。 その意味で、この回のこのマンガはあまりいい気持ちがしなかった。

現在ではそのような叱り方はあまりよくないと思うが、 「目がつぶれる」というのは、科学的根拠が皆無ではない。 買い物袋などの底には細かいゴミ・ほこりがたまっていることが多い。 それをかぶるとゴミやほこりが目にはいって病気になる、 というのである。お風呂屋さんのかごについてもそう言われた。

2003-12-17 (3) 23:24:49 +0900

朝日新聞>「The man unko」って何のこと?

9月27日づけ朝日新聞 be の e5 面、 日野原重明氏の「91歳・私の証 あるがまま行く」。 《また、カレルは名著「人間、未知なるもの」 (原題「The man unko》で行が変わるので「えっ」 と思ったら次の行に《wn」)》と。

n が落ちていません?  こんなところで改行するからつづり字のミスに気がつかないのでは。

2003-12-17 (3) 23:18:43 +0900

朝日新聞>「神様は手紙に返事をくれないものだ」の「神様」って?

9月27日づけ be の e1 面、 「ことばの旅人」で取り上げられているのがこの言葉。 《「最後の4割打者」 テッド・ウィリアムズに関するアップダイク氏の論評》 とあるし、紙面全体から、米国の野球の話だと想像がつく。 そのことから、この「神様」は「神」のことだと思い、 選手の祈りに神が答えなかった、というような話かと思ったらさにあらず。

原文は Gods do not answer letters だった。 この Gods は野球のヒーローたちを指す。

私なら「神々」と訳すな。 これが定訳になっているのだろうか。

2003-12-17 (3) 23:10:08 +0900

この「いろいろ」の日付を、プログラムに出力させて取り入れるようにした

12 日の 20 時台のタイムスタンプだから、作ったのもそのころだろう。 ローカルタイムが UTC から 9 時間進んでいることを仮定した、 手抜きバージョンである。

それまでは、適当な時計を手元において、それを見て打ち込んでいた。 アナログ式時計を見ていた場合、「秒」の一位には癖があったかもしれない。 「めんどうだから 0 か 5 にしてしまえ」という気持ちと、 「それではわざとらしいから 0 と 5 は避けよ」という気持ち。

いま、 《ANSI C で浮動小数点数を使わずに二つの時刻の差を求めるルーチン (2000-11-22 (3) 03:08:16 +0900)》に書いたものに取り替えた。 これだと、世界中どこでも使える。 (って言っても国外で書く予定はないが。)

付)最初の予定では、自作エディタにこの機能をつける予定だったのだ。

2003-12-17 (3) 22:56:16 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-25 (4) 23:39:34 +0900

鉄道時計の文字盤に 24 時制の「時」が記載されていないのはなぜ?

運転手がどのような指令書(?)を見ながら運転するのかよく知らないが、 時刻表で見かけるような「1920」のスタイルで時刻が記載されているのだとしたら、 文字盤の 7 時位置には「7」だけでなく 「19」も記載されているべきではなかろうか。 カン違いして「時」を間違える、ということがないとも限らない。

もしかしたら 12 時制なのかなとも思ってしまうのだ。 (12 時制でも、「12 時」でなく「0 時」を用いるようにすれば、 「午前 12 時 30 分」が夜中なのか昼なのか、 といったあいまいさはなくなる。)

(私は口頭で「じゃあ 16 時 30 分に」 などと言おうとすると間違えることがあるようだ。 「4 時 30 分」が頭にあるものだから「14 時 30 分」 と口から出てしまうのである。それ以外はほとんど間違えない。)

2003-12-17 (3) 22:27:36 +0900

デジタル時計の時計算ってないのかな

本文ナシ

2003-12-17 (3) 19:17:41 +0900

時計>文字盤の周囲には 60 個の目盛りがついていることが望ましい

デザインを重視したため五分おきにしかマークのないもの、 などもそれなりの存在意義があると思うが、 「見やすい時計」という観点からは失格であろう。

さて。

以下は、12 時位置の周辺、 すなわち 55 分から 05 分までの目盛りを描いたものである。 55 分、00 分、05 分、の位置は目盛りが少し太いので、 「#」で表わしてある。

# | | | | # | | | | #
        $$$$$
         $$$
          $
ここで「$」のかたまりとして描かれている逆三角形が 12 時のマークだと思ってほしい。 このタイプは「合格」である。

それに対し、

# | | | $$$$$ | | | #
         $$$
          $
のタイプは「失格」。 59 分と 01 分の目盛りが 12 時のマークに“吸収”されてしまっている。 これでは、02 分の目盛りを 01 分と読み間違える可能性がある。

2003-12-17 (3) 19:17:11 +0900

鉛筆削り>頂角が普通の三分の一に削れるもので回りの木だけ削ったら?

鉛筆削りで削ると先は円錐形になる。 そのため、芯を露出させるためには必ず芯をも削ってしまう。 その際、同じ長さだけ芯を露出させるなら、 頂角が小さい鉛筆削りほど、芯を削るむだが少ないのだった。

では、頂角が普通の三分の一ぐらいの鉛筆削りがあったらどうなるだろう?  ナイフでなんとかそれらしく削り、試してみた。

結論。 これでは、削った部分を持って書くことになるので書きにくい。 と思ったが、うんと上のほうを持って書く人にはいいかもしれない。

と思ったが、このように削れる鉛筆削りを作ろうと思ったら、 刃の長さが三倍ぐらい必要だ。 とすると、力も三倍(?)いるのではあるまいか。

2003-12-17 (3) 03:22:32 +0900

冗談提案>「128 で割り切れる年はうるう年でないとする」の続き

一年はおよそ 365.2422 日。 1/0.2422 = 4.12... なので 4 年に一度うるう年を置く。 ここまでは現行の暦と同じ。

すると 1 年間は 365 + 1/4 = 365.25 日。 よって 0.0078 日だけ長いことになる。 1/0.0078 = 128.20... なので 128 年に一度うるう年を省く。

すると 1 年間は 365 + 31/128 = 365.2421875 日。 よって 0.0000125 日だけ短いことになる。 1/0.0000125 = 80000 なので 80000 年に一度うるう年を増やす。

このあたりまでは前から考えていたのだが、 「80000 は 128 の倍数である」ということに気づいていなかった。 80000 / 128 = 625 である。 (このあいだ風邪で寝ていたときに携帯電話の電卓機能で計算してみて気がついた。)

よって、次のような規則でうるう年をいれると、 一年はぴったり 365.2422 日となる。

2003-12-17 (3) 03:11:32 +0900

グレゴリウス暦改定案>「2000 の倍数の年がうるう年かどうかはその都度」

太陽年は約 365.2422 日だが、 現行のグレゴリウス暦は 400 年に 97 回のうるう日を置くので 一年は平均して 365 + 97/400 = 365.2425 日。 よって、長い間には春分の日づけが前へずれてしまう。 どのくらいずれるかは、 10000 年あたりに換算してみるとわかりやすい。 太陽年からは約 3652422 日となるが、 暦は 3652425 日。 よって、10000 年に 3 日ぐらいのずれである。 子どものころ読んだ岩波の「科学の事典(第二版)」 には確か約 3000 年に 1 日とあったから、 だいたいあっている。

では、このずれをどうするか? わずかだからといって放置すると、 何万年かあとに 1582 年と同じことが起こるだけだ。 少しずつ調整してゆくしかないのではないか。

現行のグレゴリウス暦の規則をもう一度見てみよう。

すると、さらに規則を設けるとしたら、 となろうか。 n は 400 の倍数であり、 かつ一桁の整数かける 10 のベキであることが望ましい。 (たとえばもし n = 7600 だったら、 n で割り切れるかどうかの判断が簡単でない。 7600 年に一度のごくまれなことだからそれでもよい、 という考え方もあろうが。)

そうなると、n = 2000, 4000 あたりが適当であろう。 しかし、10000 年に 3 回ほどうるう年を減らしたいのだから、 4000 では減らし足りない。 2000 では減らしすぎなので、さらに規則を設けて 2000 で割り切れる年がすべてうるう年でないとはしない、 とする必要がある。たとえば

となろうか。 ただし、2000 年はもう終わってしまったし、 このあたりまでくると、 最初の 365.2422 日の最後のほうの桁の数字がどれだけ確実かがわからないので、 あまり意味がないかもしれない。

そんなことを先日カゼで寝ている間に考えていて思いついたのだが、

としたらどうだろうか。 全てをうるう年にすれば現行のグレゴリウス暦と一致するから一年は 365.2425 日。 全てを平年とすれば上に書いたように 365.242 日。 実際の太陽年 365.2422 日はこの中間だから、 うまく決めればうまくゆくはずだ。

例えば、 4000 年をうるう年とするかどうかは 3000 年までに、 6000 年をうるう年とするかどうかは 5000 年までに決めるとする。 すると、

これで、どの時点でも、 その先およそ 1000 年間の暦は確定しており、 前後およそ 1000 年ずつは 「グレゴリウス暦に高々もう一つの規則を付け加えた暦」が使えることになる。 現在、どこの誰が、西暦 3000 年の暦を必要としているだろうかと考えてみれば、 実用上はこれで十分ではないか。

(ただし、天文学者は別である。 天文学者が何千年も先の日食について議論するには、これでは困る。 しかし、そのときはユリウス日を併記するなどすればよいのではなかろうか。 現行の暦でも、うるう秒がはいる可能性があるので、 数年後の日食を「日本時間の何時何分何秒」 と正確に予言することすらできないはずである。 それと同じと思えばよいかもしれない。

また、歴史学者が過去の特定の日付を問題とする場合も、 正確な規則を知る必要がある。 しかし、それは、 グレゴリウス暦以外のさまざまな暦による日付を扱うことと比べれば、 それほど大きな負担になるとは思われない。)

さてそこで、春分の日が長い間にどのように動くかを計算してみた。

1999 年の理科年表によると、 この年の春分は中央標準時の 3 月 21 日 10 時 46 分。 世界協定時では 01 時 46 分だ。 01 時間 46 分は 0.07361111 日。 春分は 365.2422 日ごとにくると仮定すれば、 これから毎年の春分が概算できる。

平年は前の年よりも 0.2422 日だけ春分が遅くなり、 うるう年は 0.2422 - 1 = -0.7578 日だけ遅くなる。 すなわち、0.7578 日だけ早くなる。 よって、4 で割り切れる年の4年後がうるう年の場合、 この4年間で 0.2422 * 3 - 0.7578 = -0.0312 日だけ遅くなる。 すなわち、0.0312 日だけ早くなる。 (最初の年がうるう年かどうかは関係ない。 春分はうるう日がはいる可能性のある二月よりもあとの三月にあるからである。)

よって、**00 年から **96 年までの 96 年間には 0.0312 * 24 = 0.7488 日だけ早くなる。 このうちで最も早いのは **96 年、最も遅いのは **03 年である。

考察はこのくらいで、 2000 年から 2400 年までの春分を表にしてみよう。

.........0.........1.........
200020.3158.........|..*......|.........
200120.5580.........|....*....|.........
200220.8002.........|.......*.|.........
200321.0424.........|.........*.........
200420.2846.........|.*.......|.........
:
209619.5670....*....|.........|.........
209719.8092.......*.|.........|.........
209820.0514.........*.........|.........
209920.2936.........|.*.......|.........
210020.5358.........|....*....|.........
210120.7780.........|......*..|.........
210221.0202.........|.........*.........
210321.2624.........|.........|.*.......
210420.5046.........|....*....|.........
:
219619.7870......*..|.........|.........
219720.0292.........*.........|.........
219820.2714.........|.*.......|.........
219920.5136.........|....*....|.........
220020.7558.........|......*..|.........
220120.9980.........|........*|.........
220221.2402.........|.........|.*.......
220321.4824.........|.........|...*.....
220420.7246.........|......*..|.........
:
229620.0070.........*.........|.........
229720.2492.........|.*.......|.........
229820.4914.........|...*.....|.........
229920.7336.........|......*..|.........
230020.9758.........|........*|.........
230121.2180.........|.........|.*.......
230221.4602.........|.........|...*.....
230321.7024.........|.........|......*..
230420.9446.........|........*|.........
:
239620.2270.........|.*.......|.........
239720.4692.........|...*.....|.........
239820.7114.........|......*..|.........
239920.9536.........|........*|.........
240020.1958.........|*........|.........

2000 年から 2400 年までで、 春分が最も早いのは 2096 年の三月 19.5670 日。 最も遅いのは 2303 年の三月 21.7024 日であることがわかる。

そして 400 年間で春分は 0.12 日だけ早くなった。 これは 0.2422 * 400 - 97 = -0.12 としても求められる。

だから、2000 年から 4000 年までで、 春分が最も早いのは 3696 年の三月 19.0870 日。 最も遅いのは 2303 年の三月 21.7024 日。 これは、2000 年の春分からみて -1.2288 日から 1.3866 日の範囲である。

ということは、もしも上で述べたように

とするのなら、 というのがよいかもしれない。 こうしておけば、 その先の 2000 年間の春分は三月 18 日から 22 日までの範囲に収まる。

付) グレゴリウス暦を決めるときに

あるいは とすることは考えられなかったのだろうか。 前者なら、 例えば 2100 年がうるう年かどうかは 2050 年までに決め、 後者なら 2400 年がうるう年かどうかは 2200 年までに決めることにする。 これで十分な気もするが、世界大戦のようなことが起こると 「暦を決めるどころではない」ということもありえるだろう。

付) もしも上で述べたようにグレゴリウス暦を改定すれば、 やはり「改暦」となるだろう。 太陰太陽暦は、いわば“その都度”うるう月の入れ方を決める。 その意味では、毎年改暦しているとも言える。 いや、改暦が組み込まれた暦を毎年使っているから改暦の必要がない、 と言うべきか。 一方、ユリウス暦もグレゴリウス暦も、 未来永劫に渡って完全に暦を決めている。 そのあたりは、洋の東西でものの考え方が違う、ということなのかもしれない。

付)上の概算の表で、 2000 年、2100 年、2200 年、2300 年、2400 年の春分はいずれも三月 20 日である。そうなるようにグレゴリウス暦はできている?  過去の 100 で割り切れる年はどうだったのだろう?  上の計算では 400 年前は 0.12 日だけ遅かったことになるから、 1900 年だけが 21 日となる。実際はどうだったのだろう?

付)「400 年で 0.12 日だけ早くなる」として概算すると、 2000 年では 0.6 日だけ早くなる。 上の改定案に従えば、 もしも 4000 年をグレゴリウス暦にどおりにうるう年とすると
.........0.........1.........
200020.3158.........|..*......|.........
400019.7158......*..|.........|.........
となるので 4000 年は平年とすることになる。すると
.........0.........1.........
400020.7158.........|......*..|.........
600020.1158.........|*........|.........
となって 6000 年はうるう年。
.........0.........1.........
600020.1158.........|*........|.........
800019.5158....*....|.........|.........
となるので 8000 年は平年とすることになる。すると
.........0.........1.........
800020.5158.........|....*....|.........
1000019.9158........*|.........|.........
となって 10000 年はまた平年……。

2003-12-17 (3) 01:35:19 +0900

カナ漢字変換でも同音異義が多い語は避けたくなる

日本語をローマ字やカナだけで書こうという運動には、 「そうすれば、 漢字に頼れなくなるから同音異義語が減るだろう」 という意味もあった。

カナ漢字変換で入力する際にも、その意識は働く。 同音異義がいっぱいあって変換して出すのがめんどうな語は避けるものだ。

ただし、学校の時間割の「2限」の「限」は同音が多くてめんどうでも 「限度」とすれば候補はぐっと減るから、 こうやって入力してから「度」だけ消す方法もある。

2003-12-17 (3) 01:12:17 +0900

「六百六十六は獣の数」を理解してもらうためカナを数字として使ってみせる

「六百六十六は獣の数」などと聞くと神秘的に思えるが、 実は大したことはない。 しかし、それを日本人の多くに納得してもらうには、 ギリシア語、 ヘブライ語などでは字母が数字としても用いられるということを、 カナを数字として用いてみせて理解してもらう必要があるのではあるまいか。

もしも、 中国から数の呼び方ははいってきたが、漢字ははいってこなかったと仮定しよう。 算用数字もまだ輸入されていない時代だとする。 すると、「六百六十六」「666」とは書けず、 「ろっぴゃくろくじゅうろく」と書くことになる。 これでは長くてめんどうだ。 そうなると、カナを数字としても使うことが考えられる。 例えば、次のように決める。






じゅう
ひゃく
せん
まん
じゅうまん

すると、 「ろっぴゃく」は「う」、「ろくじゅう」は「よ」、「ろく」は「へ」である。 そこで、「うよへ」と書いて「ろっぴゃくろくじゅうろく」のこと、とする。 ただし、これでは文字どおり「うよへ」と読まれてしまうかもしれないから、 数字であることを示すなんらかのマークをつける必要があろう。

これが、単に一部で用いられる符丁ではなく、 広く社会全体で使われているとしよう。

すると、 普通の単語を構成する文字にも数値があることになる。 例えば「すのもの」の「す」は二十万、「の」は八百、「も」は九万である。 そこでもし、「すのもの」と言うのがはばかられる世の中 --- 例えばそういう名前の暴君がいる時代 --- になったとしよう。 うっかり「『すのもの』は怪しからん」 と書くと首をはねられるかもしれない。 すると、 「あの『にじゅうきゅうまんはっぴゃく』が」と書くことが考えれられる。 これは「す」「も」「の」に過ぎないが、わかる人にはわかるだろう。 (「にじゅうまんはっぴゃくときゅうまんはっぴゃく」 と言えばよりはっきりするが、 これでは露骨すぎてやばいかもしれない。)

おまけ)最初に作った表。

1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
20
30
40
50
60
70
80
90
100
200
300
400
500
600
700
800
900
1000
2000
3000
4000
5000
6000
7000
8000
9000
10000
20000
30000
40000
50000
60000
70000
80000
90000
100000
200000
300000

2003-12-17 (3) 01:08:12 +0900

時計>「円に内接する四角形の向かい合った内角の和は二直角」をモチーフに

時計の文字盤・針のデザインは、 見やすさを優先させて改良してゆけば比較的少数のところに行きつく、 と私は思っている。 しかし、遊びを重んじたデザインもあってよい、と考える。

そこで思いついたものの一つが、 「円に内接する四角形では向かい合った内角の大きさの和は二直角である」 という定理の証明の図をモチーフにしたデザインである。 内接する四角形をΑΒΓΔとすると、この証明の際には、普通、 ΑとΓ、ΒとΔをそれぞれ結ぶ。 そして円周角の定理により角ΒΑΓと角ΒΔΓが等しい、 などとしてゆくとすぐ証明できるわけだが、 この図で、三角形ΒΑΓと三角形ΒΔΓを針に見立てたらどうか、 というのである。

……と思ったのだが、6時などの、 短針と長針とが正反対を向くところがむずかしい。 というよりも、不可能だろう。 それは一瞬だから表現しなくてよい、 と考えればなんとか解決できるかもしれないが。

付) なんで点の名前がギリシア文字なのか、って? 「原論」を読んでいるからですよ。

2003-12-17 (3) 00:19:09 +0900

日本の入試の「英語」のテストは日本語もできないと答えられない

英文和訳・和文英訳などがでるし、問題文そのものも日本語で書かれているから。

English でなく「英語」だからこれでいいのかな? じゃあ anglais とあったらフランス語はできることを前提とした英語のテスト?  (科目名は男性形だっけ? 女性形なら anglaise だ。)

2003-12-16 (2) 02:30:24 +0900

必要十分条件を「必十条件」と書くのは if and only if を iff と書くのと

……似ているかも。

2003-12-16 (2) 02:26:44 +0900

「駆ける」の -te form を「駆けって」という子が小学校の同級生にいたっけ

「翔る(かける)」は四段動詞なので 「翔らない」「翔ります」「翔る」「翔るとき」「翔れば」「翔れ」 と変化する。 -te form は「翔って」である。

と気づいたらふと思い出したのがタイトルに書いたこと。 「**君が廊下を駆けった」などと言っていたっけ。 そのときは「変だな」としか思わなかったが、 あとで「走って」との混成だと気がついた。 しかし、この「翔る」と混同していた可能性も。 いや、それはかなり薄いな。

付)「天翔る(あまがける)」も四段だったのか……。

2003-12-16 (2) 01:48:58 +0900

「はばたく」や「またたく」は意味を正しく理解して使われているだろうか?

前に 《「翔」の訓に「とぶ」だけでなく「はばたく」も加わったのか…… (2003-08-26 (2) 01:31:40 +0900)》を書いたが、 massangeana 氏によるとその話は前に PC-VAN で出ていた、とのこと。

それを読んで、また考えたのだが、 普通に話すとき、「はばたく」と「とぶ」と「かける」などの違いは、 あまり考えないのではあるまいか。 空中を移動すること、というぐらいに大まかに考えて。 それで勝手に「はばたく」という訓を“発明”してしまう。

似た例を考えてみた。 「またたく」は星が光っているさまを表わす語の一つだが、 ほんとうに光が強まったり弱まったりする場合だけに使われているだろうか。 「きらめく」などと区別せずに使われていないだろうか。

付) 意味の似かよった動詞と混同して読むのでは、 というところから考えて書き始めたのだったが、 「翔」を「はばたく」と読むのはつくりが「羽」だからかも。

2003-12-16 (2) 00:41:40 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-25 (4) 23:45:52 +0900

サンダーバード>「秘密作戦命令」(前編)

チップ少年に尋ねられた父親は、 国際救助隊は地下に取り残された人たちを助けている、 と言っていたようだったが、 2号は1番ポッドできていた。 ジェット・モグラを使ったわけではない?

普通の寝室用ガウンでこっそり乗り込んだチップ少年が無事だったことから、 2号のポッドは気密性が高く、温度もそれほど下がらないことがわかる。

基地に帰った2号に、ジェフがそのまま待機しろと言ったようだ。 脚をのばしてポッドのドアを開けるな、ということのようにもとれた。 ということは、2号のポッドと操縦室との間には通路はないのだろうか。 あるなら、そこが閉まっていることを確認するのが先決だ。 そうでないとバージルたちの命が危ないかもしれない。

基地にいたジェフたちが素顔のままポッドに近づいたのは正解だったか。 覆面をするとか。 あるいは、 そのまま2号をもう一度離陸させて無人島などに降ろし、 そこで侵入者を“始末”することも考えられたはず。

すでに放送された回のフィルムが再利用されているが、 見どころだけをもう少し細かくつなぎ集めてほしかった。 あまりに「そのまんま」という感じ。 第8話は今回の再放送で見ていたので、特にそう感じた。

第3話は見ていなかったので、 ミンミンがどこにいるのかよくわからなかった。 ミンミンの手を演じた人、ここでは若い人だったような気がする。 (「オーシャンパイオニア号の危機」では老けていた。)

2003-12-15 (1) 01:31:46 +0900

サザエさん>カツオがほかのクラスの子を「同級生」と言っていた

確か先週の、暗算がどうのこうの、という話。

同学年の意味で同級生という例が最近多いのはわかっているが。

2003-12-14 (0) 18:47:57 +0900

ポップス・歌謡曲なのにソナタ形式やロンド形式になっている曲、あるかな

プログレッシブロックにならあったかも。

付)↑う〜ん、なんで過去形で言うんだ?>自分

2003-12-14 (0) 18:46:36 +0900

サンダーバード>スパイにねらわれた原爆(後編)

前編の話。 後編で謎が明らかになるのかなと思っていたので書かなかったが、 “腕輪爆弾”をはずすためのカギは、 誰がどうやってあの書類入れに入れたのだろう?  機密を扱っている機関だ。 そう簡単には置きに行けないだろう。 もちろん、爆弾そのものを運び込むよりはやさしいかもしれないが。

うっかり見逃してしまったのだが、 カギは、爆弾をはずしたあと、どうしていただろう?  プレスコットが持ち出していれば、 そこから犯人の手がかりが得られるかもしれない。 錠をはずすと腕輪から離れなくなるしかけだったとすると、 腕輪と一緒に爆発してしまっただろう。

犯人から見ると、 自分はカギだけを置いてきて、 爆弾は内部の人間に“運ばせる”のだからうまい手口のように思えるが、 もしもプレスコットがスピード違反取り締まりの警官につかまって、 事情を話しているうちに爆発死、などとなると、 カギが残ってしまう。そのカギから犯人が割り出されるかもしれない。

確か前編の終わり近くにあった、 サウザンが上司に呼び出されて指令を受け、ペン型の秘密兵器を渡されるところ。 後半の最初の、「前回のあらすじ」(←こういう名前だったかな)でよく見たら、 呼び出されたサウザンは身分証明書や手帳を上司の机の上に置いている。 身分がバレそうなものはすべて置いてゆく、というわけか。

さて、後半。

敵のアジトである古城。 敵の中に紛れ込んだサウザンは “秘密兵器”が隠されているペンをかちゃかちゃ言わせ、 仲間に「やめろ」と言われる。 もしも「俺が預かる」とかいうことになったらどうするつもりだったのだ?  文房具に興味を持つ者がいるとそっちの興味から 「ちょっと見せてくれ」ともなりかねない。 さりげなくポケットに入れておくのが無難。 (ちなみに、 日本語版では「万年筆」と言っていたが、 ノック式のようなのでボールペンではないかと思われる。)

無線でXからの指令を受けるシーンはかなり長いが、 うまくゆけばこうなるのだ、というところが映像で示されるので、 あまり長さを感じない。このあたりはうまいと思った。

原子力貯蔵庫のパトロールロボット。 顔のまん中に数字が書いてあって、 それで別々の個体のように見せていたが、実際に作られた人形は一体だけだろう。 ちなみに、番号は順に8、17、5。 その前の、金網越しに倒したロボットの番号はわからなかった。 (ウルトラセブンの地底ロボットも、一体だけを作り、 胸のマークだけを変えて使いまわしていたそうだ。 ただし、 あれは人間以外の文明が作ったことになっているので胸のマークは数字ではない。 本放送時には違いに気がつかなかった私。)

次々とドアを開けてはロボットを倒してゆくシーン。 音楽も含めて、「ゼルダの伝説」を思わせる雰囲気だった。 というか、ゼル伝のほうがこういうのを参考にしてるんだろうけど。

最後のドアを守るロボットはなぜかおらず、 “仕事”にかかり始めたところでサウザンは正体を明かし、 悪人二人に銃を向けるが、後ろから近づくパトロールロボットにつかまってしまう。 その直前、 二人はロボットがサウザンをつかまえると予測して落ち着いていたが、 ロボットによってはそうは行くまい。 サウザンを一撃で倒し、二人を襲うかもしれない。 そうなるかもと思ったら、 ここではサウザンと力を合わせてロボットを倒すのが先だ。

二人は、自分たちの腕輪をはずして指示通りに置くのは問題ないとしても、 どうしてサウザンの腕輪をはずしてやるのだ? どうせ、 爆弾と一緒に粉々になると思っているのだ。その必要はないではないか。 カギだけ持って逃げればよい。 (もしもそうなっていたら、 スコットたちはパーカーを呼ばねばならなかっただろう。 もちろん、錠前破りの腕前を発揮してもらうためである。)

しかし、パトロールロボットが、 侵入者に対し抱きついて動きを止めるだけの間抜けなロボットだったとは。 せめて、どこかへ連絡を取るべきだろう。

サウザンは、手は自由になるのでペンを取り出し、 “秘密兵器”を使う……のかと思ったら、ただの通信機だった。 それなら、なぜ、古城でXからの司令を受けるとき、 送信専用モードでオンにしておかなかった?!  そうしておけば、 その時点で本部に原子力貯蔵庫の爆破計画を知らせることができた。 アジトと貯蔵庫との距離、本部と貯蔵庫との距離は明らかではないが、 もしも先回りができるなら、 貯蔵庫の入り口にさしかかったところで“御用”。 それからカギで腕輪爆弾をはずしても間に合うはずだ。 (爆弾を捨てに行く時間があったかどうかはわからないが。) [と思ったが、貯蔵庫までは10分でつくようだ。 それにしても、早く連絡するに越したことはない。]

ミンミン・ゴードン・アランがヨット(?)の上で釣りをしていたシーン。 何のためにあるのか全くわからなかった。 三人は基地に呼び戻されるが基地では全く登場しないからだ。 日本語吹替えではわからなかったが、英語のほうを聞いたら ミンミンの最後のセリフ I think it's a big one this time とジェフの最初のセリフ It really is a big one this time とがシャレになっていた。 (前者を日本語に訳せば「大物」だが、 後者を「大物」とは訳しにくい。 事件そのものを「大物」とは呼ばないからだ。 日本語版は全く別のセリフになっていたと思う。)

「爆発まであと14分」 と言われたバージルはレーザー切断車についているタイマーを14分にセットするが、 左のつまみを4に、右のつまみを10に合わせていた。 1ではないのだ。 どういうしくみだかわからん。 ちなみに、 このシーンでバージルの手を演じた人は手の甲に毛がはえていた。

レーザー切断車はジェット気流で切断したドアを吹き飛ばす。 あれがサウザンに当たったらどうする?

サウザンがロボットにつかまっている部屋の時計。 部屋の側から見るとただの時計だが、 裏から見ると文字盤が透明で、 文字盤ごしにサウザンが見えるのがエレガントだった。

爆弾は、どうするのかと思ったらスコットが1号で捨てにいった。 急速に冷凍して爆発しないようにしてしまうとかの処理は彼らにはできない?

爆弾を手にとる際、スコットは左手でとって右手の上に積んでいた。 たまたまそういう構図になったからそうした?  スコットは左利きという設定?  スコットの手を演じた人の手はあまり毛深くないようだった。

海の上に出た1号が爆弾を捨てると、爆発が3回起こる。 爆弾が3個だったから、これであっている。芸が細かい。

ところで、 Xは貯蔵庫の奥深くにしまわれているカギの形を知っていたことになる。 前編で描かれた建物よりはるかに警戒が厳しいはずなのに。 どうやって?

今回はこち亀がないのでビデオに録画しておいた。 そのため、英語版を聞くことができたし、 気づいた点が多くなった。

2003-12-14 (0) 18:32:50 +0900

確か悪人たちは腕輪のカギを投げて渡していた。 もしも何かの下にでもはいって取れなくなったらどうするのだ?

2003-12-16 (2) 01:57:01 +0900

ビデオテープに終わりのほうだけ残っていたのをいままた見たのだが、 1号が爆弾を海に捨てると、 捨てた時点での1号の位置より前方の海中で爆発が起こる。 物理学の法則によればそれで全く正しいのだが、 普通の監督だと捨てた地点の真下で爆発させてしまうのではあるまいか。

2004-05-23 (0) 15:27:30 +0900

すぐ上の追加の中の「海中でも」を「海中で」と訂正。 いままた見たらそうなっていたし、 後方で爆発したら物理学の法則に反するのだった。

2004-05-26 (3) 22:34:07 +0900

「逆オレオレ詐欺」ってないのかな

自分の親なり祖父母なりに電話をかけ、 「オレオレ」とだけ名乗ってお金を振り込ませるところまでは同じ。 そのあとで向こうから連絡してきたら、 それは自分ではない、「オレオレ詐欺」ではないか、 でも届けてもムダだからやめたほうがいい、 と言ってうやむやにする。

注) 別に「やってみよう」とか「やってみたら?」 とか言っているわけではありません。

2003-12-14 (0) 16:11:22 +0900

抜き打ちテストの問題

「二つの封筒の問題」を考えていたら、 「抜き打ちテストの問題」を思い出した。

先生が「来週のある日に、テストをします。みなさんが『きょうはテストがある』 と予測できない日にします」と予告した。

その週末に、ある生徒はこう考えた。 「木曜日までにテストが済んでいなければ、金曜日には 『きょうはテストがある』と予測できる。だから、金曜日にはテストはない。 水曜日までにテストが済んでいなければ、木曜日には 『金曜日にはテストはないのだからきょうはテストがある』と予測できる。 だから、木曜日にはテストはない。 火曜日までにテストが済んでいなければ、水曜日には 『木曜日・金曜日にはテストはないのだから、きょうはテストがある』と予測できる。 だから、水曜日にはテストはない。 このようにして順番に考えてゆくと、月曜日にもテストはない。 よって、テストはない!」。

先生は、水曜日にテストをした。 その日は、確かに、生徒が「きょうはテストがある」と予測していない日だった。

こういう話だったと思う。 これを読んで、どこがおかしいか考えよ、という問題である。

PC-VAN 時代に SIG SCIENCE で議論したときはうんとむずかしいように思っていたのだが、 風邪で寝ている間に考えたら、わかったような気がした。

先生の約束の後半は 「ある日が『テストがある日』であるならばその日は 『みなさんが「きょうはテストがある」と予測できない日』、 というのである。 この対偶をとれば 「ある日が『みなさんが「きょうはテストがある」と予測できる日』 であるならばその日は 『テストがある日』ではない」、 となる。

だから、生徒は、 水曜日に先生がテストをするといった時点で上の推理を述べ、 「私たちはきょうテストがあると予測していた」 と主張すれば、先生のルール違反を指摘したことになる。 先生は、初めに自分で述べたルールに違反して水曜日にテストをした。 だから生徒にとって抜き打ちテストだった。

……そういう問題じゃないのかな?

付) ここまで書いてみて、 SIG SCIENCE での議論に参加されたかたの一人が 「先生はルールを守る必要があるのかどうか」 というようなことを指摘しておられたのを思い出した。 そのときはよく意味がわからなかったのだが。

付) 「来週のある日」と範囲を持たせていることには意味がないような気がする。 来週は、授業のある日が一日だけだとしよう。 実際、学期末にはこのような状況がありえる。 その場合、テストのある日を予告したわけだから、 生徒が「きょうはテストがある」と予測できない日はない。 だからルールに従えば生徒は「テストはない」と判断できるのだが、 先生がルールを破って試験をすれば、それは抜き打ちテストになる。 これですでに、問題の肝心なところは現れている。 5日間のうちのある日とすることで、 問題がそこにあるように見せかけているだけではないか ---。 考えている途中で思いついたので書きとめておく。

付) google で「抜き打ちテストの問題」を検索したところ、 単に先生は「抜き打ちテストを行なう」とだけ書いてあって、 抜き打ちテストの定義がないところがほとんどだった。 もしも、抜き打ちテストが 「私はすでにいつテストをするかを決めた。 あなたがたにはそれは当日まで教えない」 というだけのことだとすると、何曜日にテストをしても問題はない。 また、生徒が先生に 「それだとテストができる日はありません」 とやり込めるところで終わっているものが多かった。

付) 先生と生徒ではなく、死神と人間の会話に仕立てたほうがおもしろいかもしれない。 死神がある人に「お前は今年中に死ぬ」と告げる。 その人は驚きつつも「いつですか?」と質問すると死神は 「お前がきょう死ぬとわからない日」と答えてしまう……。 あとは書くまでもないだろう。

付) なんだか、肝心なところの考察が抜けているような気もしてきた。 「テストがあると推測できる日」は、先生の言葉によって 「テストがないと推測できる日」に変わる。 「テストがないと推測できる日」は「テストがあると推測できる日」 ではないわけで、そうなるとテストがあるかもしれない ---。 また考えよう。

2003-12-14 (0) 01:34:51 +0900

「ず」と「づ」だけが違う単語の例>「裏刷り」と「浦釣り」

後者が実在するかどうか不安だったが、google で検索すると見つかる。

2003-12-14 (0) 01:04:45 +0900

朝日新聞>「どんなことがあっても人生にイエスと言う」のイエスって?

13日づけ be の e1 面。 映画監督のレニ・リーフェンシュタールの言葉だそうだ。

日本語で「イエス」と言えば、 英語の Yes と人名のイエスだろう。 彼女はドイツ人なので後者かと思ったが、 それでは意味が通りにくいし、 本文を読んでもキリスト教の話は出てこない。 (イエスそのものはありふれた名前だが、 日本でイエスと言えばただ一人を指すだろう。)

ドイツ語の中に英語の Yes を交えて語ったのか、 それともドイツ語で Ja と言ったのを「イエス」と訳したのか。 (あるいは全く別か。)

フランス語なら「人生にウィ」と書かれたような気もする。

2003-12-13 (6) 23:38:14 +0900

リンゴに固有の記号・番号を“焼き付けて”おいたら盗難防止になるのでは?

Phinloda 氏の「今日の戯言」十一月 17 日分に、 リンゴが大量に盗まれた記事の話があり、 「名前書いておけばよかったかも?」とのコメントが。

それで思いついたのだが、 セロハンにフェルトペンで字や絵を描き、それをリンゴにかぶせておくと、 字や絵のところだけ紅くならずに白く残る。 あれを利用して、 リンゴに一個ずつ固有の記号・番号を書き込んでおいたらどうだろう。 盗んで売ればすぐわかる。

めんどうなのと、 泥棒が「私もたまたまその記号・番号を書き込んだ」と言ったらおしまいか。

2003-12-13 (6) 00:30:41 +0900

確か先々週の「ちびまる子ちゃん」に、 花輪くんが自分の似顔絵と名前入りのリンゴを作らせている、 という話があった。 録画してあとで見ようと考え、ほとんど見ていなかったが、 それが頭にあったようだ。

2003-12-14 (0) 18:43:10 +0900

確率>二つの封筒の問題

とあるところで見聞きした「二つの封筒の問題」について、 カゼでダウンしている間に考えてみた。

ルール: 二つの封筒に、適当な金額が入れられている。 その額はわからないが、片方が片方の二倍であることはわかっている。 あなたはどちらか一つを持ち帰ることができるが、 一つを選んだ時点でそれを開け、 中の金額を確かめてから、 それを持ち帰るかもう一方に取りかえるかを決めてもよい。

推理1. そのようにして片方の封筒を開けたら、1000 円がはいっていたとしよう。 このとき、もう一方の封筒には確率 1/2 で 2000 円が、 確率 1/2 で 500 円がはいっている。 よって、交換した場合の期待値は 1250 円となる。 そのまま持ち帰ればもちろん 1000 円である。 ということは交換することで 1.25 倍になる?

推理2. 確認した 1000 円という額に意味はないから、 確認したという行為にも意味がない。 つまり、確認せずにもう一方と取りかえても 1.25 倍になる?  最初に選んだほうでないほうが常にお得?

推理3. 片方の封筒を手にとり、もう一方に交換すると 1.25 倍。 それをもう一度取りかえて、すなわち元のを選ぶと、また 1.25 倍。 これをくり返すと、得られる額の期待値はいくらでも増える?

最後のほうは明らかにトンデモである。 推理1を検討してみよう。

1000 円が出てくることがあり、 そのときにもう一方に 2000 円はいっている確率が 1/2, 500 円はいっている確率も 1/2 とする。 とすると、封筒を用意する人は、 (500 円, 1000 円)のペアを用意することもあるわけだ。 それを出した場合、選ぶほうが 500 円を選ぶ可能性がある。 そのときにも推理1が成り立ってもう一方に 1000 円はいっている確率が 1/2, 250 円はいっている確率が 1/2 とすると、 (250 円, 500 円)のペアが用意されることもある、となる。 これが出された場合、選ぶほうが 250 円を選ぶ可能性がある。 そのときにも推理1が成り立つとすると、 (125 円, 250 円)のペアが用意されることもある、となる。 ここで選ぶほうが 125 円を選ぶと、 貨幣の最低単位が 1 円である現在ではもう一方に 62.5 円ということはありえないから、推理1は成り立たなくなる。

つまり、 推理1がすべての金額について成り立つということはありえない。

実際のところは、出てきた金額と、 はいっていそうだと予想できる金額から、取りかえるかどうかを判断すべきである。

金額が整数だけでなく、有理数もとりえるとしたらどうなるか。 この場合は上の論法では説明できない。 しかし、事象が可算個ある場合の確率もすでに学んだなら、 次のように言えばよいだろう。 もしも推理1がすべての金額について成り立ったとする。 すると、 少ないほうの額が x である確率を P(x) としたとき P(x) = P(2x) = P(4x) = P(8x) = ... であることが言えるので、 P(x) > 0 ならばこれらの和は 1 を越えてしまう。 よって P(x) = 0 である。 だから矛盾 --- かと思うとそうではなく、 P(0) = 1 ならば矛盾はない。 つまり、推理1が常に成り立つような金額の決め方をするとしたら、 常に両方の封筒に 0 円ずつ入れておくしかない。 そうしておけば推理1は正しい。

金額が実数を動く場合は?

付) もしも次のように言われたら、はいっている金額は常に 0 である。

ルール: 二つの封筒に、ある確率分布に従ってお金が入れられている。 あなたはどちらか一つを持ち帰ることができるが、 一つを選んだ時点でそれを開け、 中の金額を確かめてから、 それを持ち帰るかもう一方に取りかえるかを決めてもよい。 もう一方の封筒の金額は、常に確率 1/2 でいま見た金額の 2 倍、 確率 1/2 で半分である。

2003-12-12 (5) 20:53:29 +0900

虫は死んでいると、人間は生きていると「ああよかった」と言われる

部屋で虫を見つけたとき、とりあえず「キャッ」と声をあげるが、 死んでいるとわかって「ああよかった」と言うことがある。

動かない人間を見つけたときは、もしかして死んでいるのかもと思い 「キャッ」と言うかもしれないが、 この場合は生きていることがわかると「ああよかった」となる。

2003-12-12 (5) 20:20:46 +0900

自動車から歩行者への「君さえ数秒待ってくれたら通れるのだが」のサインを

……決めたらどうだろうか。

私は自動車の運転はできないが、道を歩く際、 自動車にも目を配っているほうだと思う。

私が道の左側の歩道を歩いていて、少し前に左にはいる小道があるとする。 私のほうに向かってくる自動車が右折してその小道へはいろうとしているとき、 私は、その右折を妨げる自動車がないことを確かめると、 少し待ってその自動車に先を譲り、右折させてやることがある。 本来は直進する私が優先だが、 私がそのまま直進すると、 私が行き過ぎるのを待っている間に私を追い越す向きの自動車がきて、 なかなか右折できないこともあるだろう。

反対に、小道から出てくるときにも、同じようなことが起こりえる。

そこでふと思ったのだが、 自動車から歩行者に対し、 「君さえ待ってくれたらこの自動車はただちに君の前を通り過ぎることができる」 というサインを決めたらどうか。 これを決めても、あくまでも原則は「直進する歩行者が優先」としておく。 あくまでも、歩行者が「じゃあいいよ、お先に」との意思表示をした場合のみ、 自動車が先に行くことになる。

……と思ったが、 これが有効なのは歩行者はまばらだが自動車はなかなかとぎれない、 という状況のときだけである。 あまり意味がないか。

2003-12-12 (5) 19:16:24 +0900

ちょっと事情があってアップロードはこれから。

2003-12-14 (0) 00:59:54 +0900

耳なし芳一>経文を書き忘れたのが指だったら、口にくわえればよかった?

芳一は口の中や舌には経文を書かなかったが、 亡霊に口の内側や舌が見えたとの記述はない。

2003-12-06 (6) 02:30:35 +0900

「international week number」と書いているのは私のほかわずか

Google で検索するとわかる。

ISO week number とも言うようだ。

2003-12-06 (6) 01:30:22 +0900

week number は ISO 8601 で定義されているのか……

職場の linux マシンで「man strftime」として strftime() の仕様を調べていたら、 %V で (international) week number とよく似たものが得られるようになっていることがわかった。 「ISO 8061:1998 形式で」と書いてあるので google で「ISO 8061」を検索したら Alpine ski-bindings とある。 「ISO date time」で検索したところ、「ISO 8601」の間違いらしいとわかる。 「ISO 8601:2000」というのが新しいもののようだ。 そこでは、week number と全く同一のものが定義されていた。

週は「月曜日から日曜日まで」と決めているが、 ユダヤ教徒はどう思うだろう?

2003-12-06 (6) 01:29:29 +0900

(international) week number を木曜を月曜に移すアイディアで計算してみる

(international) week number の定義は 《C言語>年・月・日から week number を計算する関数 (2001-10-07 (0) 23:12:50 +0900)》を参照。 これは、その週の木曜日がその年の何回めの木曜日か、に等しい。 (ただし、「週」は月曜日に始まって次の日曜日に終わる、と決めておく。)

ということは、まず日付をその木曜日に変え、 次に木曜日が月曜日になるように年をずらし、 それから strftime() の %W を利用すればよい。

……と思ったが、 年のずらしが単純でないことと、 strftime() の仕様がまちまちであることとで、 あまりうまくないようだ。

うるう年の入れ方は 400 年を周期とするが、 400 年は 365 * 400 + 97 = 146097 = 7 * 20871 日なので、 曜日も元に戻ってしまう。 もしそうでなかったなら、 「年」に定数を加えるだけで、うるう年かどうかを保ったまま、 曜日を三日分くり上げる(i.e. 木曜日が月曜日になるようにする) ことができるところだった。

実際はそうはいかないので、

としてみた。 (これでいいことは 《(international) week number で第 53 週まである年はどのように分布する? (2000-12-31 (0) 01:54:40 +0900)》の表を参照。 このように場合分けが生じるのは、 西暦が 100 で割り切れるが 400 で割り切れない年は例外的に平年としているからである。)

#include <stdio.h>
#include <stdlib.h> /* atoi */
#include <time.h>   /* struct tm */

int weeknumber(const struct tm* tp);

int main(int argc, char* argv[]) {
    int year;
    char str[80];
    struct tm tm;

    if (argc != 2) {
        puts("年(西暦、4ケタ)をつけて動かしてください.");
        puts("その年のすべての日の week number を出力します.");
        return 1;
    }
    year = atoi(argv[1]) - 1900;
    tm.tm_year = year; tm.tm_mon = 0; tm.tm_mday = 1;
    tm.tm_hour = 0; tm.tm_min = 0; tm.tm_sec = 0;       /* 1月1日にセット */
    while (mktime(&tm), tm.tm_year == year) {
        strftime(str, 80, "%Y-%m-%d (%w) week number ", &tm);
        printf("%s", str);
        printf("%2d\n", weeknumber(&tm));
        tm.tm_mday++;   /* 翌日に進める */
    }
    return 0;
}

/* (international) week number を返す */
int weeknumber(const struct tm* tp) {
    int year;
    char str[3];
    struct tm tmp;

    tmp = *tp;
    tmp.tm_hour = 12;                   /* 正午ごろに変更 */
    if (tmp.tm_wday == 0) {             /* その週の木曜日に変更 */
        tmp.tm_mday -= 3;
    } else {
        tmp.tm_mday += (4 - tmp.tm_wday);
    }
    year = (1900 + tmp.tm_year) % 400;
    if (year % 100 == 0 && year != 0) { /* 1700, 1800, 1900 年など */
        tmp.tm_year -= 3;
    } else if (year % 100 <= 8) {       /* 下二けたが 00 ... 08 のとき */
        tmp.tm_year += 20;
    } else {                            /* その他 */
        tmp.tm_year -= 8;
    }
    mktime(&tmp);

    strftime(str, 3, "%W", &tmp);
    return atoi(str);
}

main() は《C言語>(international) week number を返す関数 (2000-12-31 (0) 01:29:00 +0900)》の「その4」のそれと同一である。

正しく動かなかったが、 うちのパソコンの処理系が古いこともあり、バグがあるのか、 strftime() の仕様が悪いのか、わからなかった。 職場の gcc ではうまくいったが、2100 年とかで試そうとするとダメ。 UNIX 最後の日よりあとだからだ、と気がついた。 どうせ UNIX 最後の日までなら、常に年から 8 を引けばいいのだった。

2003-12-05 (5) 23:36:43 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-25 (4) 23:53:24 +0900

自衛隊は「攻撃を受けても自分で守れる」か? 「反撃できる」だけでは?

4日づけ朝日新聞大阪本社版「政治・総合」面、 「どうする自衛隊イラク派遣 各党に聞く」の三回目は公明・冬柴鉄三幹事長。 その中に 《(前略)万一、攻撃を受けても自分で守れる自衛隊でないと活動は難しい》 という発言がある。

「自分で守れる」と聞いてまず第一に思い出すのは、 「南総里見八犬伝」の中で、 八犬士の一人である犬村角太郎が“継母”船虫、 “腹違いの弟”牙二郎に切りつけられるところだ。 父親の一角はすでに化け猫に食い殺されており、 父親だと思っていたのは化け猫の化けたもの(←なんかダブっているな) なので、船虫は継母ではなく、牙二郎は弟でもなんでもないのだが、 角太郎は母・弟と信じているので、二人を傷つけることができない。 二人の攻撃を受けとめたり、かわしたりするだけである。 しかし、 角太郎は剣術に優れているので、それが十分に可能なのだ。

いまの“テロリスト”から攻撃を受けたら、 そういうわけにはゆかないのではないか。 「攻撃されたら反撃する」ことは可能かもしれないが。

付) 襲う側に「攻撃すれば反撃される」と思わせることが結果として 「守る」ことになる場合もある。 例えば、日本国内で要人の護衛をする場合などはそうだろう。

付) 上の引用部分の発言を、 「そういう自衛隊でないと難しい、いまの自衛隊はそうでない、 よっていまの自衛隊には難しい」と解釈することも可能だが、 そうではなさそうだ。

2003-12-05 (5) 22:52:37 +0900

源氏物語>各人物について、何代さかのぼると同一人物が出てくるか調べよ

先祖はどのくらいさかのぼったら“同じ”人が出てくるか? (2001-05-26 (6) 02:16:10 +0900)》を、 源氏物語の登場人物について調べてみること。

明石中宮について計算してみると、

                       +- 桐壷院
          +- 源氏 -----+
          |            |            +- 按察大納言
          |            +- 桐壷女御 -+
          |                         +- 北の方
明石中宮 -+
          |                         +- 大臣
          |            +- 明石入道 -+
          |            |            +-
          +- 明石の君 -+
                       +- 明石の尼君
で按察大納言と大臣とは兄弟だから、答えは 4 である。

2003-12-05 (5) 20:57:40 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-25 (4) 23:58:12 +0900

死亡して遺体で戻ることを「無言の帰国」と言うが、不快に思う人もいるかも

「手が足りない」「片手落ち」 などを差別的だとするのには私はあまり賛同しない。 これらは熟語としてすでに使われており、 ここの「手」は医学的な意味での「手」を指してはいない。 「無理に直接的な解釈をすれば身体の障害を指しているともとりうる」 というだけだ。 さらに、障害を記述することがただちに差別的というわけではない。

「無言の帰国」はこれとは違うような気がする。 「無言」を「生きてはいない」の代わりに使うことが、 言葉を発することができないがまぎれもなく生きている人が身近にいる人にとっては、 不快かもしれないと思うのだ。

2003-12-05 (5) 19:16:32 +0900

究極の「いろはがるた」/ 読み札は一文字

いろはがるたには、 その土地土地を読み込んだものなどがあとからあとから作られているようだが、 最もシンプルなものは、読み札が一文字のものだろう。

「い」の読み札には「衣」とだけ書いてある。 「衣!」と声が響くと、それを聞いてとる取り札の絵は衣(ころも)のイラスト。

続いて、 「ろ」は「櫓」。「は」は「葉」。 「に」は「荷」。「ほ」は「穂」。 ここまではうまく思いついたのだが、 次の「へ」は絵が描けないことに気がついた。

それに、聞き違いによるお手つきが続発しそうで、だめだな。

付)上で言っている「へ」は「辺」のことである。念のため。

2003-12-05 (5) 19:02:26 +0900

互いに見かわすのはなぜ「顔と顔」か? 「腹と腹」ではなぜいけないか?

それは、目が顔の中についているからである。 これに気づくのに十秒ほどかかった。

2003-12-05 (5) 18:55:30 +0900


すのもの Sunomono