13日づけ朝日新聞大阪本社版社会面
『「天然ダム」呼称 河道閉塞に変更』。
《地元などから
「『天然』という言葉には『美しい貴重なもの』というプラスイメージがあり、
被災のひどさが伝わらず、違和感がある」との声が上がっていた
》。
それともう一つ。 日本語でいう「ダム」は人間の役に立つように作られるはずだが、 この“ダム”はそうではない。 そのあたりのほうが問題なのではあるまいか。
2004-11-14 (0) 03:00:37 +0900
13日づけ朝日新聞大阪本社版社会面
『「天然ダム」呼称 河道閉塞に変更』。
《地元などから
「『天然』という言葉には『美しい貴重なもの』というプラスイメージがあり、
被災のひどさが伝わらず、違和感がある」との声が上がっていた
》
とあるが、「天然痘」は?
「総天然色」は昔のある時期の映画のポスターでよく見かけた文句だが、 もちろん、人工的に作ったカラーフィルムの上の色にすぎない。 着色ではないという意味だったのだろうか?
2004-11-14 (0) 02:57:50 +0900
13日づけ be の e4 面、「サザエさんをさがして」は「ジョニ黒」。
《久しぶりにジョニ黒を飲んでみようと近所の安売り量販店に行って驚いた。
特売品でジョニ黒の1リットル瓶が2230円。
(中略)
さらに手書きの値札には、
「700ml換算だと約1550円」との表記も
》とあるが、
2230 * 0.7 = 1561 だから、1550 円はおかしい。
文末に「斎藤勉」と署名あり。
私は暗算が苦手だが、このくらいならできる。
付) ml のミリを 1024 分の一と解釈するのは聞いたことがないが、 もしもそうだとすると 2230 * 700 / 1024 = 1524.4... で、こんどは高すぎることになる。
2004-11-14 (0) 02:48:42 +0900
だいぶ前に、松坂ヒロシ先生の「英語リスニング入門」で、 第五週がある月に「最後の一葉」の朗読があった。
日本語で、 幼児が自分のことを述べる際に自分の名前を主語にして言うことがある。 英語だとそのときの動詞は三人称になるのだろうか、 というのが中学一年のときから気になっていたことなのだが、 やっとその例にめぐりあったわけだ。
中学一年のときの国語の教材がオーヘンリー短編集で、 授業では取り上げなかったと思うが「最後の一葉」も読んだ記憶がある。 が、そのときはそんなことは考えなかった。
2004-11-14 (0) 02:37:27 +0900
この「一葉」は樋口一葉、すなわち新五千円札のこと。 お金がすっかりなくなっても、 もう五千円あると思っていれば心強いかも。
2004-11-14 (0) 02:34:57 +0900
…吹かれて散ってしまい、結局、病気の娘さんも死ぬ。 そういう話だったらみんな怒るよなあ。 絵からトラが抜け出すなんて話はあるけど。
2004-11-13 (6) 23:42:14 +0900
あると思うが、 見ていない人には伝わらないだろうから、 直接は使われないような気がする。 「誰それが『こっちを見てください』と言いました」 などと手話で伝えることはあるだろう。
2004-11-12 (5) 02:09:59 +0900
「目を開けてください」というのも思いついた。
2004-11-14 (0) 02:42:03 +0900
先日、Yahoo! のニュースを見ていて、うっかり http://my.yahoo.co.jp/ に入り込んだ。 「すでに Yahoo! JAPAN ID をお持ちの方」に ID とパスワードを入力する欄があり、その下に 「ID とパスワードを記憶」とあって、 その前にチェック印をつけられるようになっている。 たぶん「ブラウザに記憶させる」の意味だと思うが、 「私は記憶しました」のつもりでチェックをつけてしまう人はいないだろうか。
2004-11-12 (5) 02:06:12 +0900
重箱読み・湯桶読みの新語をとんでもないという人があるが、 現に、「試合」「場面」など、ずいぶん使われていると思う。 「夕刊」もそうだ。
そういう人はこういう語は避けているのだろうか? 新語だけ避ける?
2004-11-11 (4) 23:42:39 +0900
私ならどちらも使わない言い方だが、
「に」「を」のどちらからどちらへリンクをはるかは、 世間の人はみんなわかっているのだろうか、ということが言いたいのだが、 いま使った「から」「へ」も問題か。
リンクが単なる URI への言及にすぎないことも理解されているかどうか。
付:上の二つめの例はやや苦しいかもしれないが、 「私のページにリンクしてくださっている方のリスト」 みたいなのは見たことがある。
2004-11-11 (4) 02:04:57 +0900
本文ナシ
2004-11-11 (4) 01:51:42 +0900
本文ナシ
2004-11-11 (4) 01:50:51 +0900
で、その人の名前が「神保」だったりして。 (「ぼんじ」を逆から読むと「じんぼ」になる、というだけ。)
2004-11-11 (4) 01:45:52 +0900
《朝日新聞>おもしろそうなパズルだがルールがよくわからないぞ》、 《朝日新聞>先日の「メガネ公園の散歩」パズルを考える(その1)》、 《朝日新聞>先日の「メガネ公園の散歩」パズルを考える(その2)》、 《朝日新聞>先日の「メガネ公園の散歩」パズルを考える(その3)》 の続き。 懸賞の締め切りは過ぎたようだが、 正解が載るまで、私の解答を書くのはやめておく。
―○―○― A B C D E Fおじいさんも、ゆっくり歩くことは許されず、 立ち止まることも許されないとしてみる。 つまり、おばあさんと比べて、 分かれ道でも引き返せることだけが余分に許される、としてみるのである。 これでも、 おじいさんがどんな探し方をしても、 おばあさんを永遠に見つけられない場合があることがわかった。
おじいさんは A から、おばあさんは B から動き始めるとする。 上で決めた動き方の規則により、 10 分の整数倍だけ経ったとき、 おじいさんとおばあさんは常に 10 分の奇数倍だけ離れたところにいる。
おばあさんは B -> C -> D と進み、 ここで“分身”して二手に分かれて E へ向かう。 おじいさんが D 以西(D も含む)にいる限り、 二人になったおばあさんは D と E を結ぶ丸い道を逆方向に回り続けていればつかまらない。 おじいさんが D から E へ向かうと、 その 10 分間に二人のおばあさんは E から D へ向かうことになるから、 二人のうち一人はおじいさんにつかまる。 つかまったほうは“影”で、もう一人が“本物”だった、と決める。 するとおじいさんは E に、(本物の)おばあさんは D に着くから、 おばあさんは C へ向かい、ここで“分身”する、 というところからは、上の逃げ方を東西反対にして実行すればよい。 おじいさんが B まで追ってきたらまた東へ逃げる。
(上では“分身”ということばを使って説明したが、 「おばあさんは C から D に着いたら、 次におじいさんが D -> E と進むときに進む道を“予言”して、 その道を通って E に向かう」と言ってもよい。)
決まった速度よりもゆっくり歩いておばあさんを見つけられるなら、 決まった速度で歩いても見つけられることが証明できる。 だから、おじいさんは止まれる、というルールなのだ。 でも、時計を持っているかどうかはまだわからないんだよなあ……。
2004-11-11 (4) 00:33:40 +0900
「十本」「十進法」は「ジュッポン」「ジュッシンホウ」でなく 「ジッポン」「ジッシンホウ」と読むのが正しいとされることがある。 より古い形ということなのだろうが、たいていは「ジュッ」と発音されている。
現代かなづかいを決めるときに「ジュウ」でなく「ジウ」 としていたら「ジッ」が残っただろうに、という意見を聞いたことがある。 そうなっていたら、 単独の「ジウ」は、こう書くが「ジュー」と読まれることが多い、 となっていただろう。
今回気がついたのは、これと「キュウリ」「キウリ」の類似だ。 「ジュウ:ジウ=キュウリ:キウリ」ではないか。 ローマ字で書けば「zyû : ziu = kyûri : kiuri」である。
「キュウリ」は「キューリ」と書かれることもあるな。 八百屋の店頭などで。
2004-11-09 (2) 02:52:54 +0900
95 番の路線の下りは、バス停の時刻表では「北大太陽が丘」行きと 「北大薬学部」行きの二つの欄に分かれている。 後者のバスは一日に一本のみで、 時刻のそばに「薬」マークがついている。 前者のバスにも「薬」マークがついているものがある。 そして、欄外の、前者の下には「薬=北大薬学部ゆき」と、 後者の下には「薬=北大太陽が丘ゆき」と書かれている。
なお、「北大太陽が丘」のほうが「北大薬学部」よりも手前である。
2004-11-09 (2) 00:30:02 +0900
5日づけ朝日新聞大阪本社版の全面広告のページの、
内藤証券の広告に
《中国では、「福」の字はとても縁起の良い字とされ、
玄関などに逆さにして飾る習慣があります。
中国語で、「逆さにする」と「やって来る」は意味を示す漢字は、
発音が同じ。そこで、福を逆さに飾ると福がやって来るといわれているのです
》
とある。
以前、 漢字ブームか何かで西洋の婦人が漢字のブローチをつけていたが上下が逆だった、 という話が“このくらいの底の浅いものか” というニュアンスで書かれているのを読んだ記憶がある。 その字が「福」だったような気もするし、 そうでなかったような気もするし。
付) 《中国語で、「逆さにする」と「やって来る」は発音が同じ》 でないのには何か理由があるのだろうか? どちらかの漢字に二つ以上の読みがあって、 別の読みをすれば発音が同じになるがこの単語そのものは発音が異なる、とか。
2004-11-08 (1) 03:13:38 +0900
ブローチを服に留めるピンは右手で操作しやすい向きになっていることが多いだろう。 だから、間違って逆につけることはありえないと思うのだが……。 (手に入れたときからずっと逆に思い込んでいる場合は除く。)
2004-11-09 (2) 00:37:27 +0900
5日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。
彼は、坪内逍遥の小説「当世書生気質」を読んで、清作から英世へと改名した。 作中に「野々口精作」という地方出身の医学生が遊蕩する場面がある。 かなり広く読まれているので、 「精作」のモデルだと誤解されないかと恐れたという
この小説は野口英世が十歳にも満たないときに発表されているのでこの説はアナクロニズムだと思っていたが、 昔の本をあたかも新作のように出版する書店があればそうとも言いきれないことに気がついた。 馬琴は「南総里見八犬伝」 のところどころについている序文でそういう経験を何度か怒りを込めて書いている。 彼に無断で再版したらしい。
付) 子どものとき読んだ伝記ではこの小説を読んだ清作が 「こんなふうになったら大変だ」 と考えて改名を思いたったことになっていたと思う。
2004-11-08 (1) 03:03:14 +0900
先日、金沢市の南部にある「泉が丘」のバス停の一つで時刻表の 「猿丸神社前経由金沢東高校」行きの欄を見たところ、 一日に 7:28 の一本のみ。 時刻のそばに「辰」マークがついているので凡例を見たら 「辰巳丘高校ゆき」だそうだ。
だったら「辰巳丘高校」行きとするのが普通じゃないだろうか。
2004-11-08 (1) 02:38:41 +0900
日本の黒鉛筆は削らずに売っているが、 Faber-Castell などは削ってある。
2004-11-08 (1) 02:37:41 +0900
金沢の兼六園の近くの交差点である。 休日にしか通らないので想像だが、日中だけ斜め横断可能のようである。 ただし、スクランブル式ではない。 兼六園と美術館とを結ぶ対角線に沿ってしか渡れない。
その横断歩道が、まん中で切れている。 道路交通法により、 横断歩道が近くにあるときは横断者は横断歩道を渡らなければならなかったはずで、 どうなるのかなときのうふと思ったが、 交通整理員が出ていてその指示に従う形になるので問題ないのだろう、 と自分を納得させた。
まん中が切れているのは、 そこに自動車のための何かが書かれていたためのような。
2004-11-08 (1) 02:35:20 +0900
こうすると小さくまとまるし、きれいである。
2004-11-08 (1) 02:27:38 +0900
《24時制がよいのではなく、 12時制にいくつかの直しうる欠点がある》の「付」に書いたように、 単独で「3 時 15 分」と書くと24時制なのか12時制なのかわからないことがある。 そこで考えてみたもの。 このやり方で区別できないのは 10 時台、11 時台、12 時台だけだ。 常識で何とかなるのではないか。
と考えてみたが、この書き分けが一般になるぐらいなら 「午前午後を書いてなかったら24時制」 という約束のほうが一般になりそうな気がする。
無意味だったな。
2004-11-08 (1) 02:22:44 +0900
つくりが「皮」から縦棒を抜いたような形になっていた。 きのうの放送分。 佐々木呉服店は「佐々木のじいさん」のお店。
2004-11-08 (1) 02:15:28 +0900
本文ナシ
2004-11-08 (1) 02:13:17 +0900
アメリカは亜米利加とも書く。
2004-11-08 (1) 02:11:50 +0900
私自身は、話すときは12時制で言うことが多いが、 書くときは24時制を使うのがほとんどだし、 デジタル時計で表示を選べるなら24時制にしておく。 それは、12時制だと、
付) 24時制の時刻を「3時15分」のように一つだけ記しておくと、 見る人にはこれが24時制の時刻なのか、 12時制の時刻なのかわからない。 この例では、午前ならたいていの人が寝ている時刻なので、 12時制であって午後と解釈される可能性が高い。 だから、誤解をさけるには「24時制で3時15分」と書かねばならないのが現状で、 だったら「午前3時15分」と書いたほうが短い、 という話は前に書いたと思う。
2004-11-07 (0) 00:28:11 +0900
「一同明るく笑う」というのなら見たことがある。
2004-11-07 (0) 00:14:12 +0900
…吹き出しのように見えるんだ。 mailto: でも使えるから、 「SPAM よけに細工しています。本当のアドレスは…を…に変えて……」 みたいなのを出すこともできるな。 でも気づかれなかったら困るか。
2004-11-07 (0) 00:11:41 +0900
本文ナシ
2004-11-06 (6) 23:53:54 +0900
意味なし。
2004-11-06 (6) 23:51:47 +0900
上越新幹線の中でこの回文を思いついてメモしていたのを隣の人が目撃し、 誘拐を計画しているとカン違いして警察に連絡……なんてことになると大変だ。
2004-11-06 (6) 23:50:49 +0900
《朝日新聞>おもしろそうなパズルだがルールがよくわからないぞ》、 《朝日新聞>先日の「メガネ公園の散歩」パズルを考える(その1)》、 《朝日新聞>先日の「メガネ公園の散歩」パズルを考える(その2)》 の続き。
―○―○― A B C D E Fおじいさんが C 以西から C にはいり、D 方向へ向かったとする。 この動きを察知していたおばあさんがおじいさんにつかまらないように動く方法の一つに、 おじいさんが C につく直前に D 方面から C にはいり、 B と C とを結ぶ道のうち、
しかし、この言い方は厳密さに欠けることに気がついた。
おじいさんがある時刻に C にいたとする。
しかし、この場合、任意の正の数 ε が与えられたとき、 おばあさんは 4 - ε 秒後と 4 秒後との間に、 北の道へも南の道へもはいれる。 おじいさんが反対側の道にはいっている間にすべり込めばいいのである。 いったんはいってしまえば、 (10 分以内には)おじいさんに追いつかれることはない。
付: おじいさんの動きは連続だから、 おじいさんが線分 CD 上にいる時刻の集合は閉集合である。 しかし、有限個の閉区間の和集合とは限らない。 上はその例になっている。
上の例では可算個の点の和集合だが、 Cantor 集合にもできる。
[0, 1] の一秒間を考える。
/\ / \ ______/ \______ /\ / \ __/\__/ \__/\__ /\ / \ _/\_/\_/\_/ \_/\_/\_/\_任意の時刻におけるおじいさんの位置は決まる。 時刻を三進表示して、1 が含まれなければ原点であり、 1 が含まれていれば、小数点以下最初に現れる 1 の位置に注目して計算すればよい。 動いているときには速さ一定だから、パズルの約束にあっている。---
2004-11-06 (6) 02:40:42 +0900
Cantor 集合のところの三つめの図。 まず第一に、「\」は私の手元では円記号に見えているが、 バックスラッシュだと思って見てもらうつもりで書いた。 第二に、ここでは高さのことを忘れていた。 当然、高さは前の段階の三分の一になるべきだった。 失敗。
2004-11-07 (0) 00:00:46 +0900
このようにおじいさんが動く場合、 おじいさんの位置を時刻の関数とみて、 すべての時刻に右側微分係数、左側微分係数が存在するとは限らない。 Cantor 集合が出てきた動き方では、 右側微分係数あるいは左側微分係数を持たない時刻は無限個存在し、 集積点を持つ。 ということは、これらの動きは許されない、という考え方も成り立つなあ……。
2004-11-09 (2) 00:52:51 +0900
おじいさんの移動速度を変えれば、 右側左側それぞれの微分係数が存在するようにできるのだった。 おじいさんの速度が、第一の例では毎回 1/2 に、 Cantor 集合の出てくる例では 1/3 になるとするのがわかりやすいだろう。
(y = x³sin(1/x) などとちょっと似た感じである。 もっと似た関数を見つけることもできるだろうけど。)
だから、微分係数だけから、 こういう動きがないと仮定することはできないわけだ。
2004-11-10 (3) 23:59:21 +0900
…歯に当たり、よく見たらナット。 納豆じゃなくてナット入りの「ナット汁」だった、 なんてことを考えているやつは私のほかにはいないようだ。 Google で検索しても。
2004-11-05 (5) 21:29:01 +0900
きょうづけの、「キノコを食べ3人が食中毒」。
《県によると、
3人は2日朝に鳥越村の大日川ダム周辺で毒キノコのツキヨタケを採り、
煮物や天ぷらにして食べた。
色や形がシイタケにそっくりという
》とあるが、
シイタケと間違えて食べたのかどうかが書かれてない。
「そっくり」といえば「間違えた」と決めてかかってはいけないと思う。
2004-11-03 (3) 22:38:21 +0900
今年のセ・リーグでは、 終わり近くの試合を休み、打率を下げなかった選手が首位打者を取った。 当然、批判する声があったが、 首位打者になったかならなかったかだけが語りつがれるところに、 問題があるのではないか。
現役を引退し解説者になっても、 首位打者をとったことがあるというのは売り物になる。 それに対し、 最後まで首位打者争いに加わっても、取れなければ何にもならない。 これでは、少しぐらい批判されても取りたいと思う選手、 取らせてやりたいと思う監督が出てくるのもやむをえないのではあるまいか。
具体的に言うと、 単に「*年度の打率2位」というのではなく、 何らかの方法で、 十分に首位打者争いに参加した2位とそうでない2位とを区別すればよいと思う。 3位以下も同様。
付)昔、 米国では最高打率の選手ではなくヒットを最もたくさん打った選手が首位打者だ、 と聞いたような気がするのだが、 何かのカン違いかもしれない。
付) 全くの思いつきだが、 決められた打数を満たした以降の最高の打率を競う、 というのもタイトルに加えたらどうか。 これは、いったん上がれば、凡退しても下がらない。
相手チームの選手を敬遠して自チームの選手に首位打者を取らせようとする動きには、 出塁率のタイトルをもっと大きく扱うようにすれば対抗できる。
2004-11-03 (3) 22:29:29 +0900
いまはテレビ放送があるから、 強いチーム、有名な選手のいるチームに人気が集まるように思う。 テレビがない時代は、 近くの私鉄沿線にチームができれば、 「ちょっと見にいってみようか」という感じで行ったんだと思う。
2004-11-03 (3) 22:14:47 +0900
きょうの朝日新聞大阪本社版生活面の、 乳がん予防の記事の URI リストから。 ほかの三つは jp で終わっており、スラッシュがつくのはこれのみ。 それが全角文字になっている。
2004-11-03 (3) 22:11:55 +0900
きょうの朝日新聞大阪本社版国際面「隠れキリシタン 息づく中国奥地」。 (「隠れキリシタン」は日本のあの時代のものだけをさすから不適切かも。)
かつて祖父が見た夢の中で、 神は「共産党を憎むな。聖書を燃やされても、 将来共産党が印刷し直して返すはずだ」と言ったという。 家族は教えを信じた。
「教え」というよりは「預言」だと思う。
2004-11-03 (3) 22:04:31 +0900
きょうの朝日新聞大阪本社版国際面「特派員メモ」はアンマンから、稲田信司氏。
《イラクで香田証生さんが拉致され、殺害されたことを聞いたサラハさんは
「罪のない人の命を奪うのは、
ムジャヒディン(イスラム聖戦士)とは認めない。
単なるアリババ(盗っ人)だ」。
憤った様子で私の手を握り、
「すまない」とわびた
》。
「アリババと四十人の盗賊」が有名だが、
リーダーズ英和辞典によれば
《『アラビアンナイト』に出る(原典にはない)きこり
》だそうだ。
2004-11-03 (3) 21:58:38 +0900
「歯が痛い」と同音、というだけ。
2004-11-03 (3) 21:49:05 +0900
「歯が痛い」と同音、というだけ。
2004-11-03 (3) 21:49:05 +0900
「はがゆさ」になる、というだけ。
2004-11-03 (3) 21:47:10 +0900
きょうの大阪本社版オピニオン面、「遣唐使 五話」その4に
《頭を抱えた唐の政府が対策を検討したという記録が残っている
》
とある。しかも、「検討し」で改行している。
2004-11-03 (3) 21:45:55 +0900
きょうの朝日新聞石川版テレビ面、北陸朝日放送 19 時からの「全国一斉IQテスト!!生放送であなたのIQが正確にわかる!!」 だけど、生年月日がわからないと分母が決まらないのではないか。
逆に、残留孤児とかの生年月日がわかったらすごいと思う。
2004-11-03 (3) 21:41:31 +0900
9月21日づけ朝日新聞大阪本社版第一面「薄れる小学生の天文知識」。
《月の満ち欠けが起こる理由を公立小9校720人に聞くと、
正解の「地球から見て太陽と月の位置関係がかわるから」を選んだのは47%
》
とあるが、
実質的にわかっていても、
この選択肢が正解と見抜くのはむずかしいかもしれない。
文面が抽象的だからである。
それはともかく、 電球とボールなどで月の満ち欠けの原理がわかったときはうれしかった。 いま思えば、 そういった身近のものと天体とが同じ原理に従っているということは、 当然と考えていたのだろうな。
江戸時代の日本ではどのくらいわかっていたのだろう?
2004-11-03 (3) 18:23:56 +0900
自宅は非公開」
9月21日づけ大阪本社版社会面、藤田喬平氏の死亡記事。 自宅住所は非公開、の意味であろう。
2004-11-03 (3) 18:18:36 +0900
9月21日づけ朝日新聞大阪本社版天声人語は
《アメリカという国では、
誰でもが大統領になることができる。
開かれた国アメリカについてよくいわれるせりふだが
》と始まる。
でも軍歴がないとだめなんだろ? 誰もが軍人になることができる、 という意味も含まれているのか?
2004-11-03 (3) 18:12:37 +0900
「軍歴はなくても大統領になれるのでは」 とメールで指摘してくださった方がありました。 規則の上ではそうかもしれません。たぶんそうでしょう。 本項は、 今回の選挙でも候補者の軍歴がどうのこうのと言われていたので、 じゃあ軍歴がない候補者だったらどうなっていたのだろう、 現実には、二大政党の候補者にはなれないのではないか、 と思って書いたものです。
2004-11-11 (4) 01:57:28 +0900
9月21日づけ朝日新聞大阪本社版天声人語は
《アメリカという国では、
誰でもが大統領になることができる。
開かれた国アメリカについてよくいわれるせりふだが
》と始まる。
日本の総理大臣だってそうだろ、と思ったが、 日本では天皇は総理大臣になれないのであった。
2004-11-03 (3) 18:11:23 +0900
2002年9月1日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面、 陸上全日本マスターズの記事 「砲丸投げ南部久子さん / 金メダルの夫に続き妻も世界記録」。
《女子砲丸投げで世界記録を出した南部久子さん(90)は、
32年のロス五輪三段跳び金メダリストの南部忠平さん(故人)の妻で
》とある。
砲丸投げを始めたのは 10 年前だそうで、
《「足には落とすな」が忠平さんからの唯一のアドバイスだったという
》。
それさえ守ればいい成績が出せるだけの素質はあると見抜いたのか、 どうせ大した成績は出せないだろうから怪我はするなよという意味だったのか。 よくわからないけど、この一言がいいなと思ったので記す。
2004-11-03 (3) 18:01:35 +0900
9月15日づけ大阪本社版「科学・医療」面、 「直言」は愛知産業大学短期大学講師・加納寛子氏の 「小学生からITの使い方教えよ」。
内容は納得できることばかりだが、 これが科学面に載ることに最初やや違和感を覚えた。
付:「科学・医療」面であって「科学医療」面でないのは、 「科学的な医療」の面ではないから、だな。
2004-11-03 (3) 17:43:43 +0900
9月15日づけ大阪本社版社会面「宅間死刑囚に執行」。
弁護士の談話として
《死刑の執行については「せめてもう少し執行に時間をかけて、
心が変わるのを待てなかったのかと思う
》とあるが、
これは執行そのものに時間をかけるという意味ではあるまい。
執行までに時間をかける、という意味であろう。
ここでは「執行に」を省き、 〈死刑の執行については「せめてもう少し時間をかけて、 心が変わるのを待てなかったのかと思う〉とすればよい。
2004-11-03 (3) 17:33:12 +0900
2002年10月22日づけ大阪本社版文化総合面 『花形満版「巨人の星」 あすからWOWOWで』には 「世界観」なる語が二度出てくる。
一つめ。
「原作者や当時のスタッフへの尊敬の念」(長谷川さん)から、 オリジナルの世界観を守り、ちゃかす要素はない。
二つめ。
最近「戦後野球マンガ史」を出版したマンガ評論家の米沢嘉博さんによると 「花形と飛雄馬は、打者と投手、ブルジョアと貧乏人と裏表の存在。 相対する世界観を持ち、双方に道理があるので、 どちらも主人公になりうる構造だった」。
「西正之」と署名あり。
付)二つめの引用の中の「相対する」の読みと意味は? 「あいたいする」 だと思うが。
2004-11-03 (3) 17:08:19 +0900
6月25日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 「啓発ポスター 公示前に回収 岩手、自民の抗議で」。
「どうして岩手の人は不満があるのに何も言わないの?
」
と書かれたポスターだ。
《県議会の自民党会派から
「現状に不満を持つ人のみの投票を促していると解される」と、
文書で抗議されたためだ
》、
《自民党県議の議員総会で
「これでは与党批判だ」との反発が上がり
》とあるが、
現状に不満がある人たちの支持を集めて政権をとった与党なら、
そういう反発はないだろう。
いまの与党はそういう形の与党ではない、ということか。
与党支持なら不満はないはず、という考え方がどこかにある?
(このポスターの文面がいいとは言わない。 不満があることを前提にしているように読めるからだ。)
2004-11-03 (3) 16:43:44 +0900
6月25日づけ大阪本社版社会面
「セクハラ疑い 男性講師解雇 岡山大」。
《酒席などで女性職員や指導している女子学生に抱きついたり、
キスを迫ったりしていたという。また、大勢の前で、
女子学生の能力を否定するような発言を繰り返したという
》
とあるが、特定の女子学生の能力なのか女子学生一般の能力なのか不明。
2004-11-03 (3) 16:30:02 +0900
《観光地> 住居表示は気にしないのが普通では?》 と書いたけど、 テレビのニュースなどでいままでは「兵庫県城崎町」だった 城崎町が合併して「兵庫県豊岡市」になると、 「城崎」が目にふれる機会は減る。
2004-11-03 (3) 16:14:37 +0900
NHK テレビで見ているのだが、 まさにいま選挙戦を戦っているかのようなものの言い方をする人がいる。 すでに投票は終わっており、いまはそれを開票しているだけなので、 結果は決まっているのだが。 もちろん、 開票の際にもいろいろなことが起こって結果が変わり得ることは知っている。
2004-11-03 (3) 15:36:23 +0900
7月29日づけ大阪本社版オピニオン面「声」 に掲載された投書の一つのタイトルである。 「ごみ収集の有料化」のことだと思うが、 投書自体にもはっきりとは書かれていない。
本文から「有料」を含む部分の前後を引用すると以下の通り。
家庭ごみを原則有料にするという環境省の方針を残念に思っています。
大型ごみは以前から有料で市に引き取ってもらっています。
家庭ごみが増え続けるので有料化するという方針に合点がいきません。
各家庭や個人が気をつけて、 有料化を出来るだけ避けて頂きたいと思います。
素直に考えれば、ごみが家庭・個人から回収者の手に渡るんだから、 それと反対に回収者から家庭・個人にお金が渡るのが自然だ。
昔はごみを買ってくれる商売があった。 それが頭にあれば最初ぐらいは「家庭ごみの収集を」などとしたのでは。 編集部が削った可能性もあるけど。
2004-11-03 (3) 03:06:18 +0900
7月29日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面。 高校野球京都大会の決勝戦の記録。
京外大西 打安点 二中二中二中二中 北 村513 中投中投中投中投 田 中400 右 大 塚210 一二一二一二一二 西 下411 左 平 林410 三 寺 本312 投一投一投一投一 大 谷400 補 南 310 遊 藤 井400のように数字の列にまで守備位置を表す文字がきているのがすごい。 記事本文によると 《
中堅手の左腕田中をワンポイントで4度、登板させる継投》。 その際、 投手→一塁手→二塁手→中堅手→投手と四選手の守備位置を変えたわけだ。
2004-11-03 (3) 02:53:27 +0900
7月29日づけ大阪本社版トップ記事の解説の中に
《最初に捜査対象ありきの公安部
》とある。
筆者は編集委員の緒方健二氏。
元々の形は「はじめに〜ありき」。
2004-11-03 (3) 02:38:08 +0900
…あとで写真を見て「この手は誰のだ!?」などと騒がれるのでは。
別に高校野球でなくてもいいのだけど、 見て思いついたのが高校野球の写真だったので。
2004-11-03 (3) 02:36:23 +0900
7月29日づけ大阪本社版第一面に 「遊学館が甲子園へ」が写真入りで出ているのでちょっと驚いたが、 欄外に「石川」とあるから石川県だけの特別版と思われる。
2004-11-03 (3) 02:34:50 +0900
9月3日づけ朝日新聞大阪本社版第一面「折々のうた」は、 真中朋久氏の「エウラキロン」と題された歌集からの歌。 大岡氏の解説で使徒行伝のあの暴風と知り、 きっと文語訳での呼び名だろうなと思ったが、 調べたらタイトル行の通り。
クイズ《文語訳聖書から、 長音符を含む語を三つあげよ。詩篇 119 の字母名は除く》 の解答例はまだあったわけだ。
私なら「エウラキュロン」と音写したいところ。
2004-11-03 (3) 02:17:33 +0900
《朝日新聞>おもしろそうなパズルだがルールがよくわからないぞ》、 《朝日新聞>先日の「メガネ公園の散歩」パズルを考える(その1)》 の続き。
またルールがわからなくなった。 おじいさんは時計を持っているんだろうか。 持っていれば、
持っているとして、おばあさんを“つかまえる”方法が一つ見つかった。 最短であるように思えるが、まだ証明ができていない。
このパズルは懸賞になっているので、 その方法をいますぐここに書くのはやめておく。 (私は応募する気はないが。)
2004-11-03 (3) 01:56:09 +0900
2日づけ朝日新聞大阪本社版第一面下の技術評論社の広告に 「最新パソコン用語辞典 2005-'06 年版」が載っている。
前に《「最新 2000-'01 年版 パソコン用語事典」の「'01」は珍しい》と書いたけど、 そこでは「'01」という書き方が珍しいと思ったのだった。 こんどは、「2005-」が前にあるんだから「2005-06」で十分ではないか、 というのである。
2004-11-03 (3) 01:24:40 +0900
ツイッターから知人経由で、「2005-06」は 2005 年 06 月の意味になる、 との指摘をいただいた。その通りでした。 「2005〜06」ならいいかな?
10-12 は西暦 10 年から 12 年までの意味ではなく、 10 月 12 日のことであろう。いや、10 年 12 月の意味にもなるかな?
2012-04-06 (5) 20:34:07 +0900
本文ナシ
2004-11-02 (2) 19:34:01 +0900
「もう二十四節気にたよる必要はありません」などと言われていても不思議はない。 もちろん、慣れるまでは節気が使われただろうけど。
2004-11-02 (2) 19:33:28 +0900
10月24日づけ朝日新聞大阪本社版文化芸能面の、 大谷泰照・大阪大名誉教授の「日本の英語教育を考える / 習得に「距離」の壁」。
TOEFLの得点は、 母語と英語との言語的距離、 それに英米による植民地経験の有無を、 見事なまでに反映している。 英語の母語話者で、 日本語など複数の言語の学習経験者106人への筆者の調査によれば、 彼らにとっての言語的距離は、 フランス語習得に要する時間を1とすれば、 ロシア語3〜4倍、 中国語6〜7倍、 日本語・朝鮮語10倍という結果が出ている。
よって、日本語と英語は遠いのだから、 日本では英語教育に十分に力を入れなければならない、という主張である。
この結論には共感する部分が多いのだが、 ここでの「距離」は “対称性”を満たさないと思われる。 つまり、言語Aの母語話者から見て言語Bが“遠い”としても、 言語Bの母語話者から見て言語Aが“遠い”とは限らない。 たとえば、言語Aが言語Bの“崩れた”ものである場合がそうであろう。 その点がやや弱いように思われる。 さまざまの言語を母語とする人たちを対象にして、 英語をマスターするのにかかった時間を調査・比較する必要があろう。
付) ついているイラストがあまりにひどい。 いわゆる“外人”を、小柄でメガネをかけて紋付を着た“いわゆる”日本人が見上げて 「ワッタシノ エイゴ ワッカリマスカ」と聞いているのである。 これでは筆者にあまりにも失礼だ。
付) 最初に読んだときにちょっとひっかかったのは、 母語が何かによって英語習得にかかる時間は異なるだろうが、 TOEFLを受けるレベルであれば習得は一応済んでいるだろうに、 ということだった。 そうではないということか。 つまり、日本においては大学生もまだ英語習得の道半ば、ということであろう。
それを思うと、 小学生が外国人と英語でゲームをするのにどれだけ意味があるのだ?
2004-11-02 (2) 02:34:38 +0900
1日づけ大阪本社版教育面
「家の勉強、宿題次第」の下半分の副見出しに
「学年×10分」が含まれるし、
本文中には
《宿題は「学年×10分、勉強しなさい」
》とある。
私が小学生のときは、 3人に2個ずつおはじきを配ると全部で2×3=6個と計算した。 3×2も6だが、3×2=6個とすると誤りとされる。 これは、「きっとかけ算で答えが出るだろう」 とデタラメに式を立てるのを防ぐためだった、と想像している。
だから、「10分×学年」ではないかとも思うのだが。
これを実施しているのは
《兵庫県北淡町立野島小学校の柏木英樹先生(55)
》だそうだ。
現場の先生だからそのへんは抜かりはないと思うのだが……。
(うまいアイディアだと思う。 大学生にも見習わせたいものだ。 もちろん、「1 時間×学年」ね。 あるいは、小学校からの通算学年で計算するか。 大学 1 年生は“13 年生”だから 2 時間 10 分。)
2004-11-02 (2) 02:05:20 +0900
《朝日新聞> おもしろそうなパズルだがルールがよくわからないぞ》に書いたパズルである。
もしもルールを少し変えて、
それには、 おばあさんが“うまく逃げ”ればおじいさんに絶対につかまらない、 ということを言えばよい。 (おばあさんにはおじいさんの居場所が分かっているものとする。)
それには、 行き止まりと分かれ道の点に下のように名前をつけたとき、
―○―○― A B b a b'a'
ということは、 このルールと元の問題のルールとの違いを利用した動きをしないと解けない、 ということだ。
2004-11-02 (2) 01:52:50 +0900
《おばあさんにはおじいさんの居場所が分かっているものとする》 と書いたが、それだけではだめなのであった。 分かれ道にさしかかったおじいさんはある道を少し進んで戻り、 別の道を選ぶことでフェイントをかけられるのに対し、 おばあさんは一度道を選んだら (行き止まりか分かれ道につくまで)道を変えられないからである。 また、 おばあさんには、 出発の時点に戻って別の出発点を選ぶことも許されなければならない。
2004-11-03 (3) 17:49:06 +0900