10月24日づけ大阪本社版スポーツ面に、 日本シリーズ第5戦までの成績が載っている。 打者ではリナレス、カブレラ、投手ではドミンゴ、バルデスだけ、 数字が少し左へ寄っている。 《朝日新聞> 日本シリーズの個人成績で一部の外国人選手の数字がふぞろい》 に書いたのと同じであるが、 フェルナンデスがずれていない点は違う。 それは、「フェルナンデ」までを漢字三文字分に入れ、 「ス」をはみださせているためだと思われる。
この表は横組みだが、 投手成績の中の「セーブ」は縦書きである。 その長音符がハイフンか何かになっている。
この二点とも、10月27日づけ掲載の最終成績では修正されている。 (しかし、同日掲載の第7戦の記録の数字はずれている。)
2004-11-02 (2) 01:33:48 +0900
10月24日づけ朝日新聞大阪本社版 Science & Technology 面、「ののちゃんのふしぎ玉手箱」のタイトルが 本項のタイトル行の前半。 後半の答えは私がふざけてつけたもの。:-)
2004-11-02 (2) 01:23:17 +0900
10月24日づけ大阪本社版。 地下鉄のホームをかなり上から見下ろしたような構図。 絵の視点が上にあるだけでなく、 駅の階段を降りて行く乗客も上からホームを見下ろせるようになっている。 どこかで実際に見たような気がするのだが。 千代田線の西日暮里?
2004-11-02 (2) 01:19:37 +0900
10月24日づけ朝日新聞大阪本社版第一面下の東京大学出版会の広告。 「山口晃作品集」は「ルーペしおり付き」。
2004-11-02 (2) 01:15:24 +0900
10月24日づけ大阪本社版第一面「新潟で震度6強3回」の付図 「午後5時56分の地震の各地の震度」の中。 ほかに「5+」「5−」もあり。
この「+」「−」の用法は数学のものとは違う。 意味はわかるけど。
2004-11-02 (2) 01:11:09 +0900
昔の人は早く食べていたのだろうか。暗くなる前とかに。
2004-11-01 (1) 03:02:04 +0900
方言。
2004-11-01 (1) 02:59:04 +0900
残り | ----+----1----+----2----+----3----+----4----+----5----+--- | ||
2002 年 | 十一月末 | 425 | ******************************************* |
十二月末 | 443 | ******************************************** | |
2003 年 | 一月末 | 450 | ********************************************* |
二月末 | 456 | ********************************************** | |
三月末 | 467 | *********************************************** | |
四月末 | 451 | ********************************************* | |
五月末 | 468 | *********************************************** | |
六月末 | 472 | *********************************************** | |
七月末 | 484 | ************************************************ | |
八月末 | 492 | ************************************************* | |
九月末 | 497 | ************************************************** | |
十月末 | 518 | **************************************************** | |
十一月末 | 532 | ***************************************************** | |
十二月末 | 522 | **************************************************** | |
2004 年 | 一月末 | 509 | *************************************************** |
二月末 | 511 | *************************************************** | |
三月末 | 507 | *************************************************** | |
四月末 | 514 | *************************************************** | |
五月末 | 541 | ****************************************************** | |
六月末 | 529 | ***************************************************** | |
七月末 | 546 | ******************************************************* | |
八月末 | 545 | ******************************************************* | |
九月末 | 556 | ******************************************************** | |
十月末 | 567 | ********************************************************* | |
残り | ----+----1----+----2----+----3----+----4----+----5----+--- |
※ 残りがゼロになるまで、月末ごとに掲載する予定です。
2004-11-01 (1) 02:56:19 +0900
等身大の何かのモデルが付録につくのかと思ったらそうではない。 身近なモデル、というぐらいの意味らしい。
10月27日づけ大阪本社版文化総合面の見出しより。
2004-11-01 (1) 02:48:35 +0900
タイトル行は10月31日づけ朝日新聞石川版テレビ面からの引用。
敬遠したのは監督の指示だろうし、敬遠なら誰でもできる。 そのあとの**を5連続凡退にしとめたほうが大きいだろうに。
2004-11-01 (1) 02:43:09 +0900
10月31日づけ大阪本社版スポーツ面、 「井上信14アンダー単独首位」という見出しの中。 本文では普通に書いている。
2004-11-01 (1) 02:37:08 +0900
10月31日づけ大阪本社版オピニオン面「風考計」。 (原文でもまんなかの文字は「考」である。)
副見出しに「with you」という英句が使われているが、あまりに字配りが汚い。 wi はくっつきすぎ、次の th との間は開きすぎ。 you は全体にくっつきすぎ。
2004-11-01 (1) 02:35:27 +0900
10月31日づけ大阪本社版文化芸能面
「米を宗教から見る大切さ / 大統領選の争点交え解説
/ 森・同志社大神学部長が講演」の中に
《プロテスタント教徒、カトリック教徒、ユダヤ教徒ら
》とある。
2004-11-01 (1) 02:31:52 +0900
10月31日づけ大阪本社版 Science & Technology 面、 「パズルパーク」は「メガネ公園の散歩」。作者は小谷善行氏。
遊歩道が「―○―○―」の形をした公園を、
おじいさんとおばあさんが別々に散歩している。
端から枝分かれ地点までも枝分かれ地点から枝分かれ地点までも歩いて10分とする。
《おばあさんは、どこにいるかはわかりませんが遊歩道を歩き続けていて、
端までくると逆戻りし、枝分かれではどちらへ進むかわかりません
》。
おじいさんはいま左端にいて、
二人は出会う瞬間までお互いがわからないとする。
このとき、おじいさんがどのように歩いたら、
出会うまでの時間の最長を最短にできるか、という問題である。
普通、この欄のパズルは考えればできそうなものばかりで、 あまり考えようという気が起こらないのだが、 これは考え方がわからないので少し考え始めた。 すると、上で引用した部分の、 おばあさんの歩き方の規則がややあいまいな気がしてきた。
「遊歩道は東西に延びていて、途中が二箇所、二つに分かれている」 と考えるならば、 たとえば丸い部分の上半分を歩いていたおばあさんが下半分に進むことはない。 この規則の元では、おばあさんは東西を往復することになるから、 時間がかかっても出会えればよいというのなら、 おじいさんは動かずにじっとしていればよい。 そうではないとすると、問題はずっとむずかしくなると思う。 必ず出会える方法があるかどうかもすぐにはわからないぞ。
なんとなくだが、 おじいさんも、頂点から頂点まで戻らずに移動するのが正解のような気がする。 つまり、半分ぐらいまで進んだところでおばあさんに出会わなかったら引き返す、 というのは正解ではないような。 まずこれが証明できれば考えやすくなるだろう。
2004-11-01 (1) 02:25:15 +0900
10月31日づけ大阪本社版 Science & Technology 面、
「ののちゃんのふしぎ玉手箱」。
普通は「しんほう」と読ませるだろう。
文末に「構成=内村直之
」とある。
付: 最近、としのせいか細かい字はよく見えないのだが、 なんとなく何かがついているような気がして、よく見たら半濁点だった。
2004-11-01 (1) 02:04:25 +0900
昨日の日曜日のこと。 金沢大学で学園祭をやっており、 理学部も一般向けの催しを開いているというので、午後のバスで出かけた。
そのバスの中で、年配の女性が運転手に 「ジャスコへ行くにはどこで降りればいいですか」 と尋ねていた。 運転手が「着いたら言いますから」 とだけ答えたのでその女性がもう一度聞いたが運転手の答えは同じ。 その女性は席に戻り、 前の席の男性に「なぜ教えないのか」と不平を言い始めた。 沿線案内はバスの運転手の仕事ではないので、 どこそこへ行くにはどこで降りればいいのかと尋ねるのには無理もあるのだが、 ジャスコはあまりに目立つから知らないはずはない。 運転手はなぜ答えなかったのだろうと考えているうち、 「バス停の名前を覚えていないのではないか」と気がついた。 いまのバスは、アナウンスは全てテープである。 バス停を一つ過ぎるごとにテープのボタンを一回押しさえすれば、 バス停の名前を覚えておく必要は全くないはずだ。
これで、 テープとバス停がずれたまま気づかずにずっと走っている運転手がいることも、 時刻表よりも早い時刻にバス停を通過してしまう運転手がいることも納得できる。
2004-11-01 (1) 01:53:03 +0900
私が学生だったころ、情報科学科は数学科よりも人気があった。 高校生の進学志望先の人気は、わずかなことで変化する。 高等学校の「情報」の教科書を見ると、学問という感じがあまりしない。 あれを見て、 いままでだったら情報科学科に進んだような生徒が情報科学科に行かなくなるような気もする。 少なくとも、情報科学科は「高校の『情報』とは違います!」 という宣伝をしなければならなくなるのではないか。
2004-11-01 (1) 01:41:54 +0900
30日づけ大阪本社版社会面『余震は「共役断層」』。 高等学校の数学で習う語だが、義務教育では習わないから、 キョウエキと読むかと思う人がいても不思議はない。
2004-10-31 (0) 02:33:44 +0900
30日づけ朝日新聞大阪本社版社会面
『「都教委の方針「強制でない」石原都知事』。
まず、《天皇陛下が28日の園遊会で、
学校での日の丸掲揚や君が代斉唱は
「強制になるということではないことが望ましい」
と述べたことについて
》と始まるが、あとのほうには
《中山文科相は29日の閣議後の会見で
「(天皇陛下は)
喜んで自発的に掲揚したり斉唱したりすることが望ましいということを述べられたのだと思う」
などと話した
》とある。
「強制でないのが望ましい」と「喜んで自発的にするのが望ましい」 とは違うだろう。 たとえば、私立の学校が保護者などに求める寄付について、 文部科学大臣が「強制でないのが望ましい」と発言するのは妥当だと思うが、 それは「喜んで自発的にするのが望ましい」という意味にはなるまい。
付)
29日づけ同紙同本社版同面には
《陛下の発言について、
宮内庁の羽毛田信吾次長は園遊会後、
「陛下に確認したところ、
『強制になるということではないことが好ましい』とおっしゃった」と説明
》
とある。「好ましい」「望ましい」の違いはあるが、
これが“公式”と確定したものらしい。
2004-10-31 (0) 02:17:24 +0900
30日づけ大阪本社版文化芸能面「井 真成ってどんな人」に 「渡来系」なる語が出てくる。 海外から来た人の子孫ということだろうが、 いつごろきたのかを言わなくてわかるんだろうか。 この時代の歴史を論じるときにこう言ったらもう決まっているのか?
《葛井氏は6世紀後半に活躍した渡来人・王辰爾(おうしんじ)の子孫
》
とあるので、そのころか。
2004-10-31 (0) 01:33:33 +0900
30日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の下の、大和書房の広告に出ている。
原稿用紙そのものを書くのかと思った。 10 枚分、定規でマスをひけといわれても、いまの私には忍耐力が続かない。
2004-10-31 (0) 01:23:20 +0900
…なんてことはないだろう。
でも、もしあるとしたら、 いまは都会ではどこもかしこも舗装されていて石が落ちていないので、 釘を打つための石もついていないと困る。
2004-10-31 (0) 01:11:48 +0900
町内会でいろいろな人に個別にあたり承諾を得ている、 というような場面を想像してほしい。 果物屋の矢野氏も承諾した、というメモである。
2004-10-31 (0) 01:10:30 +0900
単に「件」という字が人偏に牛だというだけのこと。 伏姫は「南総里見八犬伝」の登場人物。
2004-10-31 (0) 01:07:12 +0900
massangeana 氏によると、「件」という怪物があるそうだ。 くわしくは同氏の 「いろいろ」の2004年10月30日のところを参照。
2005-02-13 (0) 02:54:59 +0900
きょうづけの朝日新聞、be の e7 面、
「この子の名前」は「佑月(ゆづき)ちゃん」。
《佑の字は「人を助ける」という意味があるそうです
》とあるのを読んで、
「『あるそうです』かなあ」と思った。
「神佑天助」とか「天佑」とか、見たことのある語で使われており、
これらの語の意味を少し考えればそういう意味が類推できると思うのだが。
それはさておき。
確かベトナムだったと記憶しているが、 日常での漢字の使用はやめてしまったけれど、 何かの命名の際にはよい字に当たる語を専門家につけてもらうそうだ。
実は、いまの日本ですでにそれと似た状況が生まれているのではないか。
付)「佑」の字に「ユ」の音はないようである。 「由」は普通「ユウ」であるにもかかわらず 「由美」などの名前では「ユ」と読む。 これはユウを勝手に短くしたのではなく、呉音で読んだものである。 「美」をミと読むのも呉音。
付)単に「助ける」でなく「人を助ける」とした根拠はよくわからない。 「人偏がついているから」ではないと思うが。
2004-10-30 (6) 21:41:45 +0900
きょうの be の b5 面、「キミの名は」は「蛇の目ミシン工業」。
《冷静に考えれば、すごい名である。
何しろ、嫌われることが多い「ヘビ」の目なのだから
》
と始まるが、蛇の目傘を知っていればそれほどすごいとも思わない。
岩波古語辞典によると江戸時代からある語で、
そもそもは「◎」のような形の紋をいうらしい。
《下糸を巻くボビンは二重丸に見え、
ヘビの目に似ている。よく「蛇の目式」といわれた
》。
《夢をかなえた彼は35年、「蛇の目ミシン」の名を商標登録した。
一部の同業者から非難されたが動じなかった
》。
文末に「是永一好」と署名あり。
2004-10-30 (6) 21:26:29 +0900
例えば、今月の 23 日が霜降だったので、 きょうは「霜降から 8 日め」。 旧暦では、 同じ日付でも季節は年によって異なるが、 この記し方ならその点をクリアできる。 新暦は日付と季節の対応がほぼ一定なのでこれを併用するメリットはあまりない。
2004-10-30 (6) 21:23:55 +0900
プロ野球はいろいろ難題をかかえているようだが、 「試合があるのは春から秋まで」 という点を見直そうという考えはないのだろうか?
冬も試合をし、年間を通じて試合があるようにすれば、 人気を途切れさせないことができるのではあるまいか。 たとえば、今年の場合、 日本シリーズに出たのは西武と中日だった。 ふだんはよそのチームに興味があるが、 あの時期は日本シリーズしかないので“しかたなく”西武と中日の試合を見て、 そこで選手の顔や名前を覚えたという人もいるだろう。
そういう人が、次に彼らの出る試合を見たいと思っても、 来年の春まで待たねばならない。
2004-10-30 (6) 21:04:58 +0900
いま、燕三条と新潟の間の運転再開がラジオのニュースで報道されていたが、 越後湯沢と燕三条の間は依然として運休で、バスで代替輸送をすると言っていた。 上越線が走っているなら、それで代替輸送をするだろうから、 走っていないのだろう。
2004-10-30 (6) 19:18:59 +0900
なんだか物騒だ。
2004-10-30 (6) 19:14:38 +0900
ときどき、「今年はどうして遅いのか」というような話題が出る。 たとえば《朝日新聞> 中秋の名月が遅い理由の説明は「旧暦」をよく理解していない?》など。 これをネタに、 旧暦と季節との対応が年ごとに変わることを説明できるはずだ。
と思ったら、 《旧暦m月d日にあたる新暦の日付は、 中秋の名月と同じぐらいの範囲を動く》に似た話を書いていた。
2004-10-30 (6) 19:04:20 +0900
昔の日本ではこの言い方しかなかったんだから。
2004-10-30 (6) 19:03:12 +0900
まるで意味が違う。
2004-10-30 (6) 18:59:32 +0900
このへんがリンクに関する誤解のもとになっていないか。
「私のページにあなたのページへのリンクをおく」などと言い換える?
2004-10-30 (6) 18:06:05 +0900
例えば「ここと同等かここより弱いリンク条件のページからはリンクできます。 それ以外のページはお断りします」のような条件を設ける。 これはすでに 《「ここと同等かここより弱いリンク条件のページからのみリンク可」としたら》 に書いた条件である。 こうすることで、 実質的にリンク条件のない、「リンクはご自由に」のページを増やせないか。
ある人が、自分のページに上の条件よりも強いリンク条件を設けており、 そのページから私のページへリンクをはろうとしているとする。 現状では私はリンク条件を一切おいていないので、自由にリンクがはれる。 しかし、もしも私が上に書いたようなリンク条件を設けてあったとすると、 その人がどうしても私のページにリンクをはりたいと思ったら、 私のリンク条件を見て自分のリンク条件の緩和を考えるのではないか、 というのである。
すべてのページがリンク条件なしかこのリンク条件になれば、 実質的にすべてのページ間で自由にリンクがはれることになる。
私のページにリンクをはろうとする人なんてごく少数だから、効果は薄いか。
付) リンク条件なしは上の条件よりも弱いが、 真にこの間の強さを持つ条件は存在するか?
2004-10-30 (6) 17:47:23 +0900
jp ドメインからのリンクにのみ上の条件を課す、というのがあった。 しかし、これは相手を平等に扱っていないことになる。 こういうのは除いて、真に中間の強さを持つものは存在するだろうか?
2004-11-01 (1) 01:33:48 +0900
たいていのは、回りの木も芯もこめて、先を円錐形に削るものだ。 ナイフを使えば回りの木だけ削って芯はほとんど削らないことが可能だが、 鉛筆削りでこれが可能なものはないのだろうか。 芯の太さを決めつけてあって、 その太さで中心部が削られずに残るものは見たことがある。 そのあとでもう一つの穴に入れて削ると中心部も削られるしくみだった。 しかし、これでは芯の太さが違う鉛筆に対応できない。 普通の黒鉛筆でも、柔らかいものは芯が太いことがある。
2004-10-30 (6) 17:41:56 +0900
Faber-Castell の 9000 番などは削って売っているが、 削った部分を見ると、回しながら削ったのではないことが明らかだ。 ナイフで削ったときのように鉛筆の軸の方向に沿って刃を動かしている。 そこに独特の味がある。
(ただし、ナイフで削ったのではないと思う。 細いものでひっかくように削ったのではないかと思われる。 もちろん機械を使っているのだろうから、それを買えばいいわけだが、 おそらく業務用であろう。)
2004-10-30 (6) 17:36:28 +0900
レーザー光線についてくわしく知っているわけではないので想像だが、 刃物ではなくレーザー光線で削るとか。
2004-10-30 (6) 17:30:07 +0900
コンピュータにいわゆる日本語を入力する際は、 ローマ字入力の人が大部分だろうが、 ローマ字そのものは目にふれないことが多いだろう。 しかし、URI の一部にローマ字書き日本語を用いているところもかなりある。 もしかしたら、 ローマ字書き日本語そのもので最も目にふれるのは URI かもしれない。
先日、 《金沢・片町で Maestoro という冊子をもらった / Maestro のつもりらしい》 を書いたあとで google で「マエストロ」のローマ字表記 maesutoro を検索したところ、 URI の一部であるところが大部分だった。
付) 日本語にはいった外来語をローマ字で書く際にはいろいろなやり方が考えられるが、 日本語にはいって「マエストロ」という形になっているのだからそのまま書く、 と考えれば maesutoro となる。 原語のつづりを見慣れた人が見るとおかしく感じるかもしれないが、 西洋語の間でもこのようなケースはある。 フランス語の caractère に h がはいらない、など。
2004-10-30 (6) 17:26:50 +0900
レストランなどで、紙のナプキンを使っているところがある。 ひざにかけるなどして使い、終わったらたたむなり丸めるなりして出てくるが、 うまく丸めて、例えばどんぶりの中に入れてふたをし、 洗い場であけたときにネズミが飛び出したかと思って驚かれるようないたずらはできないだろうか。
先日、金沢・香林坊大和8階にはいっている「銀座天一」でこんなことを考え、 もしできたら左甚五郎みたいだな、と思った。
2004-10-30 (6) 17:13:28 +0900
あまり同時に出てこないような気がするが。
2004-10-30 (6) 17:04:06 +0900
あんなふうにして外国語の数詞の聞き取り練習ができないか。
2004-10-30 (6) 16:58:47 +0900
先日の日本シリーズ第七戦のあとの胴上げを見てふと思った。
2004-10-29 (5) 02:17:36 +0900
28日づけ朝日新聞大阪本社版社会面。
《タクシー乗務中の
……運転手が門扉にネクタイで首をつった状態で見つかった事件
》。
大阪府警は《他殺を装った自殺だったと断定し、捜査を終えた
》とあるが、
最後に二人連れの客を乗せてあちこち走り回っていたのではなかったか。
その二人連れが殺害場所を探していたのでは、という報道があったと思うが、
その二人は見つかったんだろうか。
もし見つかったんなら、何のためにあちこち走り回らせたのか知りたいところ。
2004-10-29 (5) 02:16:25 +0900
他殺に見せかけるため、 最後の客を降ろしたあともメーターを止めずに走り続けたのかもしれない。
2004-10-31 (0) 02:37:41 +0900
先日のこと。
Outlook Express が
《空きディスク領域を増やすために、
Outlook Express はメッセージを最適化することができます。
この操作には数分かかることがあります
》
というメッセージを出した。
「OK」と「キャンセル」があったので
「ああそうか。できるってことはわかったよ。時間があるときやろうね」
といった感じで「OK」を押したら、この操作をしたようだ。
こんなのってありか? 「できます」と「します」は違うだろ?
2004-10-28 (4) 19:44:23 +0900
「板」はなんの板か不明。
2004-10-28 (4) 19:29:01 +0900
メールで教えてくださった方があった。 その方も昔は「にほんシリーズ」だったのを記憶しておられた。 もしも途中で変わったのなら、中継のアナウンサーなどが 「昔は『にほんシリーズ』と呼ばれていましたが 19** 年からは現在の『にっぽんシリーズ』に読み方が変わりました」 などと言いそうな気がする。
その一方で、これは全体で英語名なのかも、という気もする。 外国では Nippon のほうが Nihon よりは知られていると思う。 ジーニアス英和辞典は Nippon は載せるが Nihon は載せていない。
付:
広辞苑第五版は 1998 年に出たものだが、「にほんシリーズ」としている。
ただし、
「本辞典においては、
特にニッポンとよみならわしている場合以外はニホンとよませることにした
」
とあるので、
これを根拠に 1998 年の時点で「にほんシリーズ」だったとは言えない。
2004-10-27 (3) 02:48:40 +0900
一般には、一日で絶命するとは限らないらしい。 しかし、ルカ 23,43 でイエスは 「よく言っておく。あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」 (口語訳)と語っている。
これが死後のことを言っているのでなければ本項は意味がなくなるが、 普通に読めば、イエスもこの言葉をかけられた犯罪者の一人も、 この日のうちに絶命し、そしてともにパラダイスにいる、 と読めるであろう。
イエスは三日めに復活するから、 そのあとは一人でパラダイスにいるのだろうか、 この犯罪者は。
2004-10-27 (3) 02:32:46 +0900
ヤコブ書第 2 章冒頭で、 教会に来た人を身なりで差別してはいけない、と述べられている。 これを読んでときどき思うのだが、 身なりのよい人が出席する教会だからよい教会だろう、 と考えるのもまた誤りだ。
身なりのよい人が信仰しているからよい宗教だ、と考えることもまた。
2004-10-27 (3) 02:16:45 +0900
ラジオで日本シリーズの中継を聞いていたら、 アナウンサが 「もしも、仮に、このまま**が勝ったと仮定した場合、〜ということになります」 などと、やたらに“これは仮定の話である”ということを強調していた。
論理的には「もし」あるいは「もしも」でよさそうなところだが。
2004-10-27 (3) 02:12:54 +0900
26日づけ朝日新聞大阪本社版生活面の、
「バランス訓練の冊子 増刷打ち切りました」というお知らせは、
冊子を作った大学の研究室が複写して送料のみで送っていたが、
申し込みが殺到したのでもう打ち切る、という内容だった。
ウェブページにして URI を書いておけばそれだけで済むと思うが、
「高齢者向け健康教室のために手作りした
」
ものだそうで、やはり紙の冊子がほしいという希望が多いのだろう。
2004-10-27 (3) 01:52:56 +0900
26日づけ大阪本社版スポーツ面の、第七戦。 日本シリーズなのでいつもより詳しいデータが載っているが、 西武のフェルナンデスとカブレラ、 中日のリナレスとドミンゴだけ数字がやや左にずれている。 日本人選手などの場合、三文字分のスペースで表記するが、 彼らの分はそこへ特別な活字で七文字あるいは四文字入れている。 その幅が少し違っているようだ。
中日のアレックスはやはり特殊な活字で五文字だが、 ずれていない。
ドミンゴは投手としての成績も載っているが、それもやや左にずれている。
2004-10-27 (3) 01:19:45 +0900
10月27日づけにも、「一部地域既報」として載っているが、 やはり同じようにずれている。 26日づけのが何かの間違いでずれた、ということではなさそうだ。
2004-11-01 (1) 02:51:44 +0900
本文ナシ
2004-10-26 (2) 23:19:47 +0900
新明解第五版によれば《「染まる」の老人語
》だそうだ。
文語訳を“口語訳”したためにはいった語かと思ったがそうではない。
2004-10-26 (2) 19:47:54 +0900
「父の父、または母の父」としないと、 父母に共通の父がいる場合 --- Siegfried のようなケース --- だけを指すのかと誤解されかねない。 そういうことは極めてまれなのでそのような誤解は生じないだろう、 と決めつけるのはまずいのではなかろうか。
2004-10-26 (2) 19:22:46 +0900
25日づけ大阪本社版スポーツ面。
記事本文によれば中日ドラゴンズの山本昌は
《6回に1死も取れずに降板した
》。
選手ごとの成績では山本昌の投球回数は「5」となっている。
以前、日本シリーズのような大きな試合では 0/3 も表示した、 とここに書いたような気がしたが、 《朝日新聞>プロ野球> オールスターと日本シリーズは 0/3 も表示?》 は見つかったものの、 そこに「ここに書いた」というのがどこのことだかわからなくなってしまった。
2004-10-26 (2) 02:17:39 +0900
「平成16年度三重大学個別学力検査 (前期日程)における「数学」の不適切な設問についてのお詫び」。 教育学部、生物資源学部の問 [4-2] だそうだ。
関数 f(x) は、f(0) = 1 を満たすものとし、また g(x) = 「(ex + et)f'(t) を t で 0 から x まで積分したもの」 とおく。
- g(x) の導関数 g'(x) を計算せよ。
- ex f(x) = -3x2ex + g(x) が成立するとき、f(x) を求めよ。
(上の引用の「」で囲んだ部分は、実際には積分の記号で表されている。)
10月14日に予備校から「解が存在しないのでは」との指摘があったそうだ。
《この問題の正解は「条件を満たす関数は存在しない」
となる不適切な問題であったことが判明しました
》
とのことだが、
そうであっても設問自身がものすごく不適切とは思えない。
「求めよ」とあった場合、答えが一つとは限らないのだから、
零個ということも許されると思う。
ところで、 「指摘前の解答例」「指摘後の解答例」が載っているということは、 この大学は解答例を公開していたのだろうか。 そうであってもそうでなくても、 採点の際に解があると思い込んでいたならミスである。
付) 普通、最後に代入してみるわなー、問題 作ったら。 (←「『もんだいさく』ったら」と読まれないためスペースを入れてみました。 また、これは期末試験などの問題を作成した経験から述べたものです。)
付) 受験生の答案の中に、 この点を指摘したものは一つもなかったってことか? そういう事実が公開されちゃうのって、やだなあ。
付) Ο文社とかが入試問題の正解集を出版しているだろ? あれはどうなってるんだ?
付) 「指摘後の解答例」では、f(x) に求めた答えを代入してチェックするのではなく、 小問 2 の式に x = 0 を代入して矛盾を出す、という“うまい”方法を用いている。 代入してチェックしようとすると t2et, tet の不定積分を求めねばならず、部分積分が必要となり、結構めんどうである。 ここまでの計算よりも時間がかかるかもしれない。 でも、受験生ならなんてことないか。
付) 見直されたあとの採点方針はおおむね納得がゆくものだが、 へりくつを言うと「これこれが成立するとき f(x) を求めよ」だから、 “これこれ”が成立していないときは f(x) を求めなくてよいことになり、 いまの場合は“これこれ”が成り立たないんだから、 白紙答案も満点となる?! 「これこれは成立しない。よって私は f(x) を求めない」 と書いてあったら? でも、その過程で f(x) を求めているはずだよな……。
2004-10-26 (2) 02:00:29 +0900
昔の小さな学校だと、 願書の文字を校長先生が見て、 非常に字がきれいだったり汚かったりすると合否に影響したんじゃないかと想像する。
いまはどうなんだろう。
模試の採点をした経験では、 学力があるかどうかの前に、この字はやめてよ、 といいたくなる答案がときどきあった。
2004-10-26 (2) 01:24:59 +0900
これらは、基地から直接飛び立つので、 トレーシー家の居間から搭乗装置を使って自動的に乗り込むまでのシーンが何度も放送され、 非常に印象深かったが、 最近の再放送で見て、あの時間を情報交換に使えばいいのに、と思った。 つまり、その間もジェフとマイクを通して会話を続けて、 目的地の確認、作業の計画立てなどを行なうのが自然である。 実際には黙っているので時間がもったいない感じ。 特に3号の場合、ソファーに乗って3号の全長ほどの高さを降下し、 水平に移動し、3号の底からはいって操縦室まで上がるのだから、 結構時間があるはずだ。
あのシーンは一度撮影してそれを使いまわしていたので、 ストーリーに合わせて会話させることはむずかしいんだろうな。
いまリメークするなら、 コンピュータを操作しながら乗り込むような気がする。 画面で現場をモニターしたりしながら。
2004-10-26 (2) 01:20:55 +0900
19時05分からの「英語リスニング入門」を録音しようと思ったが、 第一放送と同じものがほんの少しだけ遅れて流れていた。 そのうち、別内容になったが、どちらかはテレビの音声だったようだ。 ずっとつけていたが、 テレビは総合と教育とで別内容、さらにFMまで使っていた。
22時45分すぎに第二放送をまたつけたら、こんどは通常の番組をやっていた。
そんなわけで、 「英語リスニング入門」は日曜日の12時15分からの再放送を録音した。
2004-10-25 (1) 02:16:44 +0900
同じく五月 23 日(日)ごろのメモによるもの。 「まよなかの」と書いてあるので、 それで始まるタイトルのお話があったものか。
2004-10-24 (0) 12:01:56 +0900
同じく五月 23 日(日)ごろのメモによるもの。
2004-10-24 (0) 12:00:09 +0900
「おかじ・まいこ」は架空の人名。全体では意味なし。
注)ここではヘボン式ローマ字を用いた。
補) 五月 23 日(日)ごろのメモによると Okajima... で作りかけているが、 うまくゆかず、こうなった。 テレビのナイター中継でユニフォームの背中のローマ字名を見て思いついたものか。 「Arias」でも考えかけた形跡がある。 「Arias, Aira (アリアス、姶良)」で一応回文になる。 ということは見ていたのは阪神タイガースと読売ジャイアンツの試合か。
2004-10-24 (0) 11:46:18 +0900
オープニングの次の、
何を思ったか「せっていをかえる」の中で音声を「モノラル」にしてみたら、 音がほとんど聞こえなくなった。 わかった! ヘッドホンがよくささっていなくて、 左右の音の差が、左右から逆の位相で、聞こえていたのだ。 選択画面の音楽はまん中からメロディーが聞こえ、 サブメロディーが左右のどちらかから聞こえるようにできている。 だから、この状態ではサブメロディーだけが聞こえ、 よって、いつもと違って聞こえたのだ。
よかった。ふー。
付) 表示速度が「ぼうけんのしょ」ごとに設定できるのはわかるが、 ステレオとモノラルの切り換えもそうなっているのはいま気がついた。 例えば、 片耳の聞こえない人がヘッドホンをつけてプレイするときはモノラルを選ぶだろう。 そのあたりを考慮してことだろうか。
2004-10-24 (0) 02:19:02 +0900
「動詞の連用形+もの」である。 「貼り紙」というと紙でないとき困るかもしれないから「貼りもの」というとか。
2004-10-23 (6) 21:55:04 +0900
…前もって聞いてまとめた原稿をアナウンサーが読むほうがよくはないか?
答える人は必ずしも話し方がうまくないし、 不適切な表現を口にしないとも限らない。 (大変な状況下にいるのだから、それを責めるつもりはないが、 先日、困ったときなどにやたらと笑うくせのある人が出たときは 「ほかの人を出せばよかったのに」と思ったものだ。)
アナウンサの質問の意味が相手に正しく伝わらなかったり、 答えるまでに考え込んで時間がかかったり、 答えが質問からずれていたりすることもある。 答えられる場所にいないために、せっかく時間をかけて質問したのに 「それはここからはわかりません」という答えだけのことも。
コンピュータを使って原稿を整理すれば、 ほとんど時間はかからないと思うのだが。
2004-10-23 (6) 20:48:24 +0900
けさの朝日新聞大阪本社版第一面、 大岡信氏の「折々のうた」で取り上げられた、東海正史氏の短歌 「白血病癒えぬを嘆き世を去りぬ 炉心近くに働きし君」の上の句。
完了の助動詞「ぬ」に助詞の「を」が続くときは「癒えぬるを」 となるんだったっけ? 「色は匂へど散りぬるを」だから。 文語文法を復習しておかねば。
2004-10-21 (4) 23:52:01 +0900
朝日新聞大阪本社版掲載の、篠田節子氏作の連載小説「讃歌」。 第 1 回が「ヴィオラ」という語で始まったのでつい読み始めてしまったが、 何となく話がウソっぽいような気がしていた。
きょうの第 35 回。
主人公の元・天才少女バイオリニストが
《足を開いてベートーヴェンのコンチェルトの冒頭部分を弾いた。
そのとたんに私の全身に電流が走った
》
というところでどっと白けた。
第一楽章は全部で 535 小節ある。
ソロバイオリンが登場するのはその 89 小節め。
すなわち、最初の 88 小節は管弦楽による提示部である。
ただ、
《そう語ったのは一九六五年に、
園子が国内コンクールで優勝した直後のコンサート評を書いた新聞社の当時の学芸部員だった
》
とあるので、
あすの分で耄碌していたとかいう話になるのかもしれない。
2004-10-21 (4) 23:40:06 +0900
20日づけ大阪本社版社会面記事。 もちろん、本文を読めば「小4女児」は被害者なのだが、 加害者のときにも使う構文なので、一瞬、おやっと思ってしまう。
2004-10-21 (4) 02:30:43 +0900
ここまで定着している漢語を言いかえる必要はないのだが、 あえて言いかえればこうなるだろうか。 単に“訓読”しただけという気もするが。
実際には乾さなくても構わないわけだから、 「杯を上げよ!」のほうがいいかもしれない。 意訳。
2004-10-20 (3) 21:00:33 +0900
どちらも三拍子で、テンポは同じぐらい。 もちろん、単に同時に演奏したらおかしくなるだろう。 数小節ずつ交互に演奏するとか、メロディーだけ生かして対位法的に編曲するとか。
そうやって冗談音楽が作れないか、というのである。
2004-10-20 (3) 20:33:27 +0900
「ボタンは何度も押さないでください」という場合、 押す必要がある人には一度だけ押すことが期待されているのである。
一度も押さずに見ていては何も起こらない。
付)英語に訳せば more than once だろうか。
2004-10-20 (3) 20:28:56 +0900
きょうの朝日新聞大阪本社版社会面「16歳餓死 / 母親、周囲から孤立?」は
被害者の中学入学・卒業年月をあげたあと
《3年間で一日も登校の記録が残っていない
》
と書いている。
2004-10-20 (3) 20:26:28 +0900
きょうの朝日新聞大阪本社版社会面「福岡一家殺害 / 2中国人「死刑」求刑」では
二人の被告を
《元日本語学校生
》《元私立大留学生
》
としているが、意味があるんだろうか。
その地位を利用して行なった犯罪ではないようだし。
だったら私も「元小学生」?
2004-10-20 (3) 20:24:24 +0900
19日づけ朝日新聞大阪本社版(石川版)テレビ面の、
北陸朝日放送18時からのプロ野球日本シリーズ第3戦の中継。
「トム・クルーズ生出演
」って何かと思ったが、
きょうの新聞を見たら始球式だったんだ。
放送のゲストとして出るのかと思うじゃないか。
2004-10-20 (3) 20:10:49 +0900
9月16日づけ朝日新聞大阪本社版社会面に 「佐世保小6事件 家裁決定の要旨」が載っていた。 冒頭から引用する。
第1 触法事実
(略)
第2 処遇の理由
1 女児の人格特性
(1)女児の認知・情報処理の特性
女児は、生来的に、
といった認知や情報処理の特性を有している。 そのため、 女児は、 自分の中にあるあいまいなものを分析し統合して言語化するという一連の作業が苦手である 。
- 対人的なことに注意が向きづらい特性
- 物事を断片的にとらえる傾向
- 抽象的なものを言語化することの不器用さ
- 聴覚的な情報よりも視覚的な情報のほうが処理しやすい、
(2)女児の情緒的特性
女児は対人的なことに注意が向きづらい特性のため、 幼少期より泣くことが少なく、 おんぶや抱っこをせがんで甘えることもなく、 一人でおもちゃで遊んだり、テレビを見たりして過ごすことが多いなど、 自発的な欲求の表現に乏しく、 対人行動は受動的
上の引用はわざと文章の途中で切ってある。 ここまで読んできた読者は、 「一般に女児というものは男児に比べて」 といった女児の一般論が述べられていると理解して読んできているのではないか。
しかし、この続きは《であった
》である。
これを読んで初めて、この「女児は」が第一面での「加害女児は」
の意味であることがわかる。
ここまでで三十行以上ある。
ほぼ一つの面の半分の幅を占めている。
朝日新聞が記事にする際にこの言葉づかいに変えたんだろうか。 それとも家裁もこの言葉づかいをしている?
注:丸囲みの1から4は箇条書きに置き換えて引用した。
2004-10-18 (1) 01:58:49 +0900
最初のタイトルは 《家裁も「女児は〜」のような言葉づかいをするのか?》 だったが、わかりにくいと思ったので 《家裁も新聞などのように「その女児は〜」の意味で「女児は〜」と言うのか?》 に変更した。
2004-10-20 (3) 20:16:57 +0900
9月16日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面で知った。 当時、夢中になってテレビを見ていたのに。
2004-10-18 (1) 01:33:34 +0900
9月16日づけ大阪本社版「政治・総合」面「発言録」の、
自民党安倍晋三幹事長の発言に
《ずっとサプライズ(人事)を続けていると
》とある。
2004-10-18 (1) 01:31:35 +0900
あとになって意味がわからなくなるといけないので補足。 このころ「サプライズ人事」ということばがはやっていて、 それを「サプライズ」と略して言ったので新聞社が補ったものである。
2004-10-20 (3) 20:18:26 +0900
「久保」は姓のつもり。
2004-10-18 (1) 01:24:10 +0900
「農家が買うの」「農家が飼うの」 「農家で買うの」「農家で飼うの」なども考えられる。
2004-10-18 (1) 01:23:00 +0900
本文ナシ
2004-10-18 (1) 01:21:44 +0900
本文ナシ
2004-10-18 (1) 01:21:06 +0900
イタリック体は強調する語などに使うと説明されることが多いが、 その場合の「強調」とは、 斜め読みしたときにも目にはいるように書く、 という意味ではなさそうだ。 実際、それほど目立つわけではないから。
そうではなく、 ローマン体とイタリック体は、 どちらもかなり長い文章を組むのに用いられながら、 お互いの間ではっきりと区別をつけるために使われる、 と考えたほうがいいような気がしてきた。 読みやすいのはローマン体のほうだから、 デフォルトではローマン体が地に用いられ、 それとはっきり対比させたい語がイタリック体で組まれる。 読んでゆく際に字体が変わったことははっきりわかるから、 英語の文章の中のラテン語の句を英語だと思って読んでしまうおそれはない。
その意味で、ひらがな・カタカナと似ている面もある。 現在ではひらがなを基本として外来語などをカタカナで書くが、 戦前までは逆の使い方もあった。 しかし、ローマン・イタリックは字体だけ違いであるから、 完全に同じ状況というわけではない。
参照:
2004-10-18 (1) 01:19:31 +0900
解説と書いたのは同書の中では INTRODUCTION と呼ばれているものである。 例えばマラキ書のそれは半ページぐらいだが、全体がイタリックで組まれている。 しかし、その中にところどころローマン体が使われている。 数回あらわれる Malachie と、 maléaki という、原語をカッコに入れて引用したと思われるものである。
この使い方はあまり見ないせいか、慣れるまでちょっと変である。
2004-10-18 (1) 01:06:35 +0900
17日づけ大阪本社版第一面「ゾルゲ・尾崎 処刑の記録」では 「リヒアルト・ゾルゲ」と表記しているが、 いまなら「リヒャルト・ゾルゲ」であろう。 当時そう書かれていて、その記録もそうなっている、ということだろうと思うが、 でもそれでいいのだろうか。
付) 「リヒアルト」と「リヒャルト」は日本語の音として別物である。 こういうときに「表記」と言っていいかどうか。 いままで私は「音写」と呼んでいたかも知れない。 また考えよう。
ただし、当時は小書きが一般的でなかったので 「ヒア」で「ヒャ」を表したのかも知れない。 それなら表記の問題になる。 しかし「百」は「ひやく」と書かれただろうから、 「ヒヤ」という組み合わせがないわけではない。 外来語の場合は「ヒア」のほうを書く習慣だった、とも想像されるが、 あくまでも想像である。
《/tu/ を「テゥ」で表わす例 --- 「アルテゥル・ショウペンハウエル」》参照。
2004-10-18 (1) 00:53:02 +0900
「クリミヤ戦争」と同音、というだけのこと。
2004-10-18 (1) 00:39:28 +0900
「クリミヤ戦争」は現在では 「クリミア戦争」と呼ばれることのほうが多いようである。
2004-10-20 (3) 20:21:23 +0900
昔は「にほんシリーズ」だったはず。 「日本ハム」は「にっぽんハム」なので、 日本ハムが日本シリーズに出たときはややこしかった。
2004-10-17 (0) 18:12:26 +0900
秋晴れの空を見てそう思った。 1982 年の西武−中日がなつかしく思い出される。
2004-10-17 (0) 17:56:56 +0900
きのうの中日‐西武の日本シリーズ第一戦で、 審判のミスから試合が49分間中断した。 状況を、きょうの朝日新聞大阪本社版スポーツ面から引用すれば次の通り。
5回1死一塁で、谷繁の打球は捕前に。 捕手の野田が捕って谷繁にタッチをしにいった。 タッチをしたかどうかは微妙だったが、 ここで球審の橘高がアウトを宣告した。
野田は二塁へ送球。 ベースカバーに入った中島は打者走者がアウトになったと思っておらず、 走者にタッチをせず、そのまま一塁へ投げた。 このとき、二塁塁審もアウトを宣告してしまい、 併殺が完成したと思った西武ナインはベンチに戻った。
ここで中日の落合監督が抗議した。
以下は引用を省略するが、 その抗議がとおり、2死二塁から再開しようとしたところ、 西武の伊東監督が納得しなかった。
公認野球規則を見てみよう。
9.02 の (a) には
「審判員の判断に基づく裁定は最終のものであるから、
プレヤー、監督、コーチ、または補欠が、
その裁定に対して、異議を唱えることは許されない
」とあるが、
(b) は次のようになっている。
審判員の裁定が規則の適用を誤って下された疑いがあるときには、 監督だけがその裁定を規則に基づく正しい裁定に訂正するように要請することができる。 しかし、監督はこのような裁定を下した審判員に対してだけアピールする (規則適用の訂正を申し出る)ことが許される。
- 【注一】イニングの表または裏が終わったときは、 投手および内野手がフェア地域を去るまでにアピールしなければならない。
- 【注二】審判員が、規則に反した裁定を下したにもかかわらず、 アピールもなく、定められた期間が過ぎてしまったあとでは、 たとえ審判員が、その誤りに気づいても、 その裁定を訂正することはできない。
私はNHKラジオを聞いていて、 中断が長引きそうだと思った時点でテレビのスイッチを入れた。 だから、抗議のタイミングはよくわからなかった。 確かラジオで聞いたのだと思うが、 「グラウンド整備も終わった」というようなことを言っていた。 5回終了後に行われるグラウンド整備である。
抗議がグラウンド整備後に行われたのだとすると、 上の「注一」により、遅すぎて無効なのではあるまいか。
そうでなければ、 中日の落合監督は二塁塁審に対し 「タッチなしでアウトを宣告したのは規則の適用を誤っている」 とアピールすることができる。 ここでもしも二塁塁審が「タッチしたからアウトなんだ」と言い張れば、 それで抗議はおしまいである。 実際には審判員のカン違いだったので、 審判員がその裁定を規則に合ったものに変えたのは規則にあっている。 西武の伊東監督はこれを受け入れなければならない。
だから、問題は抗議が直ちに行なわれたかどうかであろう。 伊東監督は 「落合監督の抗議を受け入れたのは規則(=上の注)の適用を誤っている」 と抗議することだけが許された、と私は思う。
付:
同じ面の、
西村欣也編集委員によるコラム「チェンジ」には
《試合再開直前に、橘高球審が「自分のジャッジミスで」
と説明したことも、適切な方法ではなかった
》とある。
審判員が何度かマイクを持って説明するのをテレビで見たが、
こう言っていたかどうかはよく覚えていない。
似たようなことを言ったとは思うが、
抗議に対する審判員の応対に問題があったのをわびていたように私は理解していた。
西村氏の書いている通りなら、この発言は適切でない。
なお、西村氏はその後で
《そのジャッジを覆していない以上
》と書いているが、
野球規則第 9 章末の原注「審判員に対する一般指示」を読めば、
上に引用した 9.02 (b) が適用される場合を除いて、
ジャッジを覆すことは不可能である。
(それでもこの言い方をすることは可能である。
故人について「永遠に生き続けなかった以上」ということは間違いではない。)
付: 結局、2死二塁で試合は再開されたが、 私が伊東監督だったら、 「グラウンドをグラウンド整備前の状態に戻してくれ。 そうしたら再開に応じる」とごねたかもしれないな。
付: 打者がスイングをしたかどうかを塁審に確かめてくれと監督または捕手がアピールする権利は 9.02 の (c) の原注に書かれている。 いつだったか、アナウンサが「そういう権利がありますよね」と解説者に尋ね、 解説者がしどろもどろになったのを聞いたことがある。
付:NHKラジオの「真打ち競演」は午後9時半からの放送予定だったが、 その開始時刻を過ぎたところで、 「このまま野球中継を続けます」というアナウンサの断りがはいった。 きょうの放送はないのだと思っていたが、 野球中継終了後、22時30分から始まった。 ラジオをつけていてよかった。
注:公認野球規則は手元の 1980 年版から引用した。
2004-10-17 (0) 17:47:15 +0900
上の一つめの「付」について。 橘高球審の言った「自分のジャッジミスで」 の内容が二塁塁審がフォースアウトとカン違いしてアウトを宣言したこと、 という可能性もなくはない。 ただし、9.02 (c) によれば、 審判員は他の審判員がミスをしたことを指摘することはできないので、 指摘する義務はもちろんない。 よって、二塁塁審のミスジャッジに関して、 球審には一切責任はないと思われる。 彼のアウトの宣告が二塁塁審に見えにくかった場合を除いて、であるが。
2004-10-18 (1) 00:37:26 +0900