久しぶりに気分がよかったので、 前からの課題だった、 某知人のメール設定の変更をしてあげようとした。 その人のパソコン内の設定変更を除けば、 .forward の内容をしかるべき内容で置き換えるだけでいいのだが、 その人のパソコンには TeraTerm などの ssh が使えるソフトがはいっていないので、 edlin で内容をファイルに収め、それを ftp で置きにいくことにした。 しかし、テストメールを送ったら、 “わけのわからない文字がある”というエラーメッセージが返ってくる。 ascii モードと binary モードを間違えたんだろうか、 などと考え、やり直してもダメ。
しかたがないので某センターまで走り、 実習室の端末からログインして調べようとした途端、 「Ctrl+Z が悪さをしてるんだっ!」と気がついた。
徒労。
2007-04-21 (6) 18:59:04 +0900
ローマ字なら yoi no uci と yoi nôci.
2007-04-21 (6) 03:06:03 +0900
実は、 「18時から21時まで」と特定の時間をさすことに決まっているのだそうで、 だったらそう言ったほうが誤解がなくていいじゃないの、というのが私の意見である。
新聞を見ていると、 「宵のうち」ということばそのものが廃止されると誤解しているような意見も。
2007-04-21 (6) 02:56:29 +0900
能登半島地震の被災地への情報が大切なこともわかるけど。 直前のナイター中継が21時半までに終わり、 きょうはあるぞと思っただけに衝撃も大きい。
こないだの日曜日の「ラジオ名人寄席」は三重地方の地震のため中断された 「のどじまん」を放送するためお休み。 火曜日の「真打ち競演」は長崎市長狙撃事件の報道でお休み。
笑いに餓えている私。
しまった! NHK東京第一放送を聞けばよかったんだ! ベランダに出れば受信可能。
2007-04-20 (5) 21:31:29 +0900
エスカルゴは、サイゼリヤでは初めてかも。 メニューにはブルゴーニュ産とか書いてある。 皿にはくぼみが六つあり、一つに一つずつはいっている。 身はあまりなく、ソースの味しかしない感じ。 “食感”も何もあったもんじゃない。 小さなパンがついているが、乗せて食べるというよりは、 くぼみに残ったソースを吸い込ませて食べる、って感じ。 皿が冷めてから、裏返してみたら、 裏は普通のお皿って感じだった。
そのあと、赤のグラスワインを頼み、 さらにそのあと、白のグラスワインを頼んだつもりだったが、 赤がきてしまった。 赤のほうが好きだから、ま、いいか。 でも、赤二つなら、デカンタのほうが得だったのだ。
酔っぱらっていたので途中まで帰ってきてから 「レシートの明細がおかしい」と気づき、 途中まで引き返して、家に遅くなると電話してからよくよく見たら合っていた。
2007-04-20 (5) 21:26:35 +0900
「途中まで引き返して」を挿入した。
2007-04-21 (6) 03:13:01 +0900
最初の注文をとっていったウェイトレスさんが恥ずかしそうに笑いながら戻ってきた。 「ライスは注文されませんでしたよね」という確認である。 そう言えば、少し前には、実際にライスがきてしまったことがあったっけ。 間違ってボタンを押してしまいやすいのか。
2007-04-21 (6) 23:52:06 +0900
本文の一部を改変し、削除もしました。
2007-05-24 (4) 00:06:07 +0900
昔、それに近いものをインターネットに書いていたことがある。 そのうちまた始めるか。
2007-04-20 (5) 20:58:35 +0900
普通の語学番組にすればいいと思うのだが、 最近は、必ず、何かほかのものに見立てるようだ。 では、語学番組の撮影現場ということにしたら、と考えてみた。
仮に、 現在放送中の「フランス語会話」に出演しておられる方々が担当されるとして。
初回の冒頭は、 生徒役の右宗さんが初めてスタジオにはいってくる、というシーン。 先生はいつもとは全く異なり、ジャージ姿で髪はぼさぼさ。 手に竹刀かなにかを持っている。 「じゃあ、ちょっとしゃべってみて」とうながすが、 右宗さんは発音はめろめろ、文法はぼろぼろ。 「てめえ、そんなことで、 『フランス語講座』の生徒役がつとまると思ってんのかよ!」 と先生がすごむと、NHKのプロデューサー(?)も 「NHKの語学番組をなめんなよ!」と追いうちをかける。 「しょーがねえなあ」とこぼした先生が文法事項の説明を始め、 ジェニファーさんは発音の特訓を授ける。 (ここで、視聴者は右宗さんと一緒にフランス語を学ぶのである。)
中間の、右宗さんのひとりごとみたいなコーナーになると、 鬼の姿の先生の絵を描きつつ、 「先生はこわい人だ。この番組おりて、妹のいる故郷に帰ろうかな」 などと弱気になっているが。
そうしているうちに「ま、いいか。本番いってみよう」ということになり、 先生はいつものやさしくてすてきな先生に戻り、 さあ、番組が始まるぞ、ってところで放送は終わる。
もちろん、先生がたは“演技”をするのであり、 登場人物の性格は演じる人の性格とは全く別物である。
付) 以上は、かなり悪い冗談も交えて書いてしまいましたが、 「リハーサル」と「本番」と、 二度見せることで視聴者の理解が深まる、って構成なら 「あり」かも知れません。
2007-04-20 (5) 20:30:10 +0900
全く同じ差出人名・文面でくる SPAM があるのだが、 そこに「躊躇って」とあるので、 「躊躇る(ちゅうちょる)」って動詞が流行っているのかと思ってしまった。 「ためらって」と読ませるらしい。終止形は「躊躇う(ためらう)」ね。
2007-04-20 (5) 20:24:09 +0900
ばいっていったら、 店長らしき男性店員が見たことのない若い女性店員にレジのやり方を教えていた。
きのう食べたエスカルゴをメニューでよく見たら、 「高級ブルゴーニュ種エスカルゴ。パンにのせて食べるとおいしい!」 と書かれていた。 ブルゴーニュ「産」じゃなくて「種」なんだ。 種はブルゴーニュだけど、日本のじめじめしたどこかで育ったんだろうか、 などと考えてしまった。 それと、パンに乗せて食べるんだったか。
会計は、最初の若い女性店員。 わきについていた、店長ではと思っていた男性店員に “新しい人ですか”と尋ねたら“きょうはいりました”とのこと。 なかなか上手だった。 “がんばってね”と声をかけて出てきた。
2007-04-20 (5) 20:00:58 +0900
本文の一部と、タイトルの後半を削除しました。
2007-05-24 (4) 00:08:58 +0900
近くも遠くもよく見えない。目の下にはクマができている。 冷蔵庫にブルーベリージャムがはいっているのを思い出したので、 スプーン半分ほどを食べてみたら、途端に目の調子がよくなった。 と思ったら、そうでもなかった。単におなかが空いていただけのようだ。
2007-04-19 (4) 00:55:50 +0900
二三日前、家に血圧計があるのに気づいたので、はかってみたら異常に高かった。 私にしては、だけど。 でも、いままでずっと低いと思っていたので、「がーん」という感じ。 職場へ向かうバスの中でイザヤ書第38章の、ヒゼキヤの病気の記事を読んだ。
それ以来、昼食はみそ汁抜きにしている。 高かったのはそのときだけで、その後はやや低めだが、念のため。
2007-04-19 (4) 00:39:52 +0900
スケッチ。おおおー。 これが、先週のスケッチで言及されていた、あのおじさんの娘さんか。 なるほど、大きいや。(←大人だ、って意味です。)
前回分の最後につけたしとしても書いたけど、 スケッチの字幕に「Pourquoi «Ciné-samedi?»」 という誤植があった。 これでは、「土曜シネマ?」という番組名になってしまう。 テキストでは、疑問符は引用符の外に出ている。
文法事項の説明で先生が登場される際の音楽は、先週とは違った。 でも、右手にノートのようなものを持っておられるのは同じ。
ジェニファーさんの日本語は、 誰かほかの外国人女性の日本語と似ているような気がする。 誰だか思い出せないのだが。 彼女は演技がうまいので、 ホントは日本語ももっとうまいのでは、と思う。 あまり日本語がうますぎると “ありがたみ”が薄れるのでわざとこんな風にしゃべっている、 というのが私の推理。ゲス勘(=下衆の勘繰り)かもしれないが。
練習問題でジェニファーさんがテーブルの下をさがすところ。 胸元が見えそうで、ちょっとはらはらした。
先生が来週のフレーズをカメラに向かって紹介されるところ。 なぜか、ここだけ妖艶な雰囲気がただよう。 それは、左の腕をひじかけにかけた姿勢で話されるからである。 うっかり姿勢を崩すような先生だとは思えないので、 よく見てみたところ、その前の、 フランツさんジェニファーさんと三人のときにはきちんと前を向いて座っておられる。 それが、ミカエルさん右宗さんがはいってくるシーンになると、 もう左腕をひじかけにかけ、 二人が背後から会話に加わるのを待っておられるのであった。 すべて、きちんと、台本通りなのであろう。 先週の分も見返してみたが、この点については全く同じである。
右宗さんがひとりごとを言いながら絵を描く(ふりをする)コーナーで、 スケッチの一家の娘さんを見ていると妹を思い出す、と言っていた。 妹がいる、という設定なのか。
では、先生はなぜ一人で画廊をやっているという設定なのだろう? 実は未亡人で、 亡き夫は画家だった、とか、勝手に想像してしまった。
「リズムにのってフランス語」のコーナーだけど、 最初はタイトルが「フランツ語」となっていて、 あとから「ス」の文字がころがってきて「ツ」を突き飛ばし、そこにはまる。 ふと思い出したのだが、松坂ヒロシ先生の「英語リスニング入門」で、 danse のように [ns] とつながる単語は、 日本語化された「ダンス」とは異なり、 [n] で必ず舌先を上の歯茎の裏につけるので、[nts] のように、 すなわち、「ダンツ」のように発音されることがある、と習ったのだった。 よって、英語の「France」は「フランツ」に聞こえることがあるかと思われる。 (フランス語の「France」は -an- が鼻母音だから、そういうことはないだろう。)
フランツさんの太鼓は、いまのところ、 特にフランス語学習に役立っているとは思えない。 特技だから太鼓を叩きながらあのコーナーを担当してる、って感じ。 だったら、 先生はチェンバロがご趣味なのだから、 チェンバロを弾きながら文法事項の説明をする、 ってのはどうだろうか? 曲を弾きながらはむずかしいと思うが、 ときおり和音を奏でつつ、とかなら。
後半のフランス映画のコーナーで、 カトリーヌ・ドヌーブの字幕 「始めからこのような強みがあるのではないかと思います」に誤植が。 正しくは「初めから」であろう。 また、このコーナーで、 上半身裸の踊り子さんたちが踊っているシーンが紹介されたのはちょっと意外だった。 それから、このコーナーの字幕は、 一つの文章の中でも大きさの違うフォントを使っているので、 なんだか読みにくい。
2007-04-18 (3) 21:57:22 +0900
本項以降はこれからアップロードする。
2007-04-20 (5) 21:18:28 +0900
タイトル行の「月曜日」を「水曜日」に訂正した。
2007-05-09 (3) 21:20:49 +0900
行きも帰りも歩いた。 兼六園はそういうわけで脇を素通り。
香林坊大和地下の海苔売り場でいつもの店員さんから焼き海苔を買おうとしたが、 接客中。 隣のワイン売り場で時間をつぶそうとしたらそちらの女性店員に 「お探しのものがおありでしたら」と話しかけられ。 あきらめて先に8階で食事を。 降りてきたら、やっと、買えた。ちょっと幸せ。
そのあと、坂角総本舗でこの間の店員さんから何か買おうかとしたら、 明らかに覚えられていて、はっきりと避けられていた。 別の、前からいるやや年上の女性店員が話しかけてきた。 どうしようかなと迷ったが、 小さいのが八種類、一つずつはいっている「八楽」を一袋買う。 あと、お酒売り場で新発売の YEBISU THE HOP の 350ml 缶を。 缶は緑色だ。
ちょっと落ち込んだが、中央公園で、八楽をつまみに、飲む飲む。 ハトが二匹、さわれるほど近くにまで寄ってきた。 もちろん、エサはあげない。
おまけ: 月曜日。職場の保健管理センターに行ったら、「学籍番号は」と聞かれた。 数年ぶりに学生と間違われた。うーん。信じられん。
2007-04-17 (2) 01:23:22 +0900
先日の能登半島地震の報道を見聞きしていて、そう感じた。 たとえば、輪島市でどのくらいの建物が無事だったのか、 言ってくれないのでわからないのだ。
2007-04-17 (2) 01:17:32 +0900
7日づけ朝日新聞大阪本社版
『特別展「神仏習合 かみとほとけが織りなす信仰と美」』の面のインタビュー。
記者が《仏教は元来寛容で、インドでも神々を受け入れてきました
》
と切り出している。
この「寛容」の問題については何度か書いてきたが、 辞書に当たっていなかったことに気がついた。 広辞苑第五版、岩波国語辞典第三版、新字源、新明解国語辞典第五版をみたが、 この意味は載っていない。 ただし、広く人を受け入れるという意味はあるようだ。 これが転じたものか?
2007-04-15 (0) 01:08:14 +0900
最初の人は花がもつかと聞いたのである。
2007-04-14 (6) 11:48:04 +0900
めずらしいミスだ。
2007-04-14 (6) 11:47:07 +0900
思い込みで、ある語を世間一般とは違う意味で使っている、 ってことはときどきあると思うのだが、 いまでは、インターネットの書き込みでその研究ができるだろう。
すでにこの「いろいろ」が研究されていたりして。
2007-04-14 (6) 11:19:20 +0900
このカナ漢字変換は「たえな」が「妙な」 にしかならないので活用を間違えたかと思ったが、下一段だから 「考える」→「考えな」と同じで、俗な命令形としては合っていると思う。
「考えな」は「考えなさい」の略? ローマ字では「kangae na」だろうか。 「考えなさい」は「kangae nasai」だろうから。
2007-04-13 (5) 22:33:18 +0900
きょうのNHKラジオ「英会話入門」で知った。 番組中では別に「こりずま」とは言っていなかったが。
2007-04-13 (5) 22:28:36 +0900
本文ナシ
2007-04-13 (5) 20:32:07 +0900
本文の全てとタイトルの後半を削除し、「本文ナシ」を本文としました。
2007-05-24 (4) 00:11:21 +0900
きのうの朝のこと。 うちのベランダからはちょっとしたサクラが見えるのだが、 「おおっ! 満*」と言おうとして、 その前に(天体の)月のことを考えていたものだから、 おもわず「満月」が口から出てしまった。
「えーと、あれは『満月』と似た造語法だったはずだから……」 と考えてしまい、 「『満花(まんか)』じゃなかったしなあ……」 としばらく悩んでしまった。
香林坊大和の「銀座天一」のコース名は「花」「月」「雪」となっているので、 その影響も受けたか。
2007-04-12 (4) 01:21:09 +0900
明治時代の初めに新暦に切り換えた際、もしも フランス語でいうところの janvier を「十二月」と呼び、 février を「一月」、mars を「二月」、……、décembre を「十一月」 と呼んでいたらどうだったであろうか。 数が一つずれていると感じるかもしれないが、 avril と 4 との結びつきは日本で前者を 「四月」と訳したところから発生したのだから、本来、 「ずれている」も「ずれていない」もないはずだ。 (フランス人が四月 12 日を略記法するときは 12/IV のように書く、 と聞いたことがあるが、これはあくまで略記法なので、無視する。 ←強引な奴(=俺))
こうすると、 冬至を含む月が十一月になるという点では、旧暦と同じである。 《旧暦は新暦よりも「最大で七週、平均して五週、最小で三週」だけ遅れている》 が、それが「平均して一週」となる。 これなら、三月3日 --- 現行暦では四月3日にあたる --- にひなまつりをしても、それほど旧暦とずれないはずである。 (別の計算法をするなら、 冬至は現行暦では十二月 22 日ごろだから、 上述の案では十一月 22 日ごろ、となる。 旧暦では平均すると十一月 15 日ごろだから、ずれは約一週間となる。)
C 言語の struct tm では月を 0 から 11 で表すが、 それとも合ってくる。(一月は例外。)
一年の始まりは十二月1日となる。 これではおかしいと思うかもしれないが、 一日が夜中の十二時に始まって、それでちっとも困らないではないか。 それと同じである、ってところから考えた冗談でした。
付)「いやだよ、年が明けたと思ったらすぐに師走だなんて」 ってことになりそうだな。
付)以前にも、思いついたことがあるかもしれない。 そのときは January を「零月」と呼ぶつもりだったのかも。
2007-04-12 (4) 01:15:29 +0900
昔の西洋の、神話などに題材をとった裸体画の中には、 その時代の実在の貴婦人をモデルにしたのがある、と聞いた記憶がある。 そして、その場合、その貴婦人が仮に実際に画家の前に立って --- あるいは「座って」、「寝そべって」かもしれないが ---、 ポーズをとったとしても、着衣のままだったのではあるまいか。
もしもそうだとすると、 着衣のモデルを見ながら裸体画を描く技術が確立されていたのではなかろうか、 と考えたもの。
2007-04-12 (4) 01:01:42 +0900
特殊音の「フェ」の前に促音がくるから。そうでもないか?
2007-04-12 (4) 00:59:54 +0900
「ようせい」と「ようかい」。 本項は前項とは関係しません。
2007-04-11 (3) 22:04:31 +0900
その前の英語番組ではおへそを出した二人組の女の子が踊っていたので、 「今年度のNHKの語学番組はみんなこういうノリになっちゃったのかいな」 と心配したが。
オープニングでぶっとんだ。 昔の映画のような画質。 まず、ミカエルさんが画家に扮して登場したので、 「まさか! もしかして? でも、まさか!?」 と思ってはらはらしながら見ていたら、 やっぱり先生は絵のモデルとして登場。 恥じらいながらポーズをとっておられる。 こんなに動いたらミカエルさんは描きにくいと思うのだが。 そのあとはフランツさんとジェニファーさん。 ジェニファーさんは、テキストで見て知ってたけど、 “芸名”を Jennifer にしちゃったのね。姓は省略。 二人とも、なんだか、古きよき時代、って感じ。 そして最後に生徒役の尾崎右宗さんが登場。
(厳密に言うと、オープニングの前に、いきなり、 二人の少女が「C'est un garçon.」と言うところから番組は始まる。 そこでもちょっと驚いた。)
最初に右宗さんが Galerie R をさがしているというシーンは、 昨年度の Canal Culture のセット。
ミカエルさんが右宗さんを上階のアトリエに連れて行くと、 エッフェル塔が見えるといって感動する。 フランス国営放送(って少なくとも昔はあったと思うけど) の日本語会話番組だと、 生徒役のフランス人青年が東京タワーが見えるといって感動したりするんだろうか。
画廊とフランス語会話がどう結びつくのか、わからずに見ていたのだが、 ミカエルさんが描いたという絵がアップになると動き出して、 それがスケッチになるのだった。 もちろん、おそらく、 ビデオの最初の“コマ”を画像処理して絵のように見せているのである。
そうわかった瞬間、 「これは NINTENDO64 の“マリオ”なんだっ!」と気がついた。 あれはお城が舞台で、かかっている絵の中に飛び込むと、 そこがマリオが冒険する世界になっていた。 そう言えば、スキットにでてくるおじさん(ジャン=ルイ・ベルモンさん) はマリオに似ていると昨年度から思っていた。 そうなるとフランツさんがルイジか。 先生はもちろんピーチ姫。 ジェニファーさんがキノピオで、 そうなるとクッパがミカエルさんか。 右宗さんがヨッシーってのはちょっと無理か、 などとつまらないことを考えてしまった。
このおじさんは左利きなので、パレットを右手に持っている。 でも、あの向きでいいのかな? 逆のような気も。
ミカエルさんが、文法の説明が必要だといって先生を呼び入れるところ。 ハープのポロポロポロポロという音型が響いてきたので、 「これって、アニメとかで妖精が登場するときの音楽だよな! まさか!?」 と不安と期待が入りまじってあふれてきた。 が、先生は全く普通に、スーツ姿で登場されたので、ほっとした。
昨年度とは異なり、先生は立ったまま説明される。 手前に出る字幕のフランス語は、字体に凝りすぎたのか、あまり読みやすくない。 普通がいいのに。
「フランス語では多くの場合、単語の一番最後の子音の文字は発音しないんです。 さらに c'est は例外的で、後ろから二つめの s も発音しないんですね」 と言われて初めて、est の s を発音しないのは例外だったってことに気がついた。 ところで、細かくいうと、c'est は単語ではないのではなかろうか。 もちろん、 ここで「est は例外的で」 と説明したら初学者は何のことかわからず迷ってしまうだろうから、 これでいいんだと思う。
練習問題はミカエルさんと右宗さん。
発音コーナーはジェニファーさんが日本語で。おお、新鮮。 超・アップにもなるし。 お菓子屋さんの若奥様という設定はテキストで読んで知っていたので、 「もしかして日本人と結婚して和菓子屋さんをやってるってことなの!?」 と思ったが、次のコーナーではケーキを持って登場した。 豆大福や道明寺だったらどうしよう、と心配したのだが。
CGの都合なんだと思うけど、 足元の床に、ゆらゆらとかげろうのようなものが見えるときがある。
Que は次にくる名詞が母音で始まっているときは Qu' になるという説明があった。 無音の h についてはまたこんど説明しましょう、ということなのだろう。
フランツさんが太鼓を叩きながらアルファベットを教えてくれるコーナーだけど、 太鼓のリズムとどう合わせるのかよくわからなかった。 W や Y は一音節じゃないし。 最後のあいさつが昨年度の音楽コーナーのおっさんとちょっと似ていたので、 投げキッスがあるのかと思ったが、なかった。
映画の紹介があったあと、エンディングはまたまた、 恥じらいながらポーズをとる先生。
付) 番組だけを見た人は、 ミカエルさんが講師で先生は解説役だと思うんじゃないかな。 最初に名前が出たし。
2007-04-11 (3) 22:03:36 +0900
いま、第二回目を見終わった。 エンディングは第一回目とは違った。 あれ、消さなくてよかった。 それと、 字幕に「Pourquoi «Ciné-samedi?»」という誤植があった。 テキストでは、疑問符は引用符の外に出ている。
2007-04-12 (4) 00:01:37 +0900
タイトル行の「月曜日」を「水曜日」に訂正した。
2007-05-09 (3) 21:18:17 +0900
5日づけ朝日新聞大阪本社版国際面下に掲載された週刊文春の広告に、 『植木 等に「昭和を見た」』という見出しが出ている。 一瞬、この「昭和」を「昭和天皇」のことかと思ったものだから、 植木等から「無責任男」へと連想が進んだこととも合わせて、 “天皇無責任論”を思い出したのだった。 この場合の「無責任」は「責任がない」との意味であって、 “責任感がない”という意味ではない。
2007-04-11 (3) 01:37:06 +0900
本文ナシ
2007-04-11 (3) 00:48:33 +0900
新聞に「満開」とあったので、夕方、仕事が終わってから行った。
帰り、香林坊大和の地下で海苔を買おうかと思ったが、 いつもの店員さんがいないのでやめにした。人見知りする性格なもので。 (幼稚園では、ほかの組の子がいると絶対に一緒に遊ばなかった。)
坂角総本舗には前の人とは違う店員さんがいた。 どこかで会った人のような気がしてちょっと考えたら、 《地震! --- 2007 年三月 25 日の日記》 のときにわれおかきを売っていた店員さんだった。 せっかくだから何か買ってあげようかと思ったが、 接客中だったのでパス。 エスカレータで8階まであがって、銀座天一の前までいって、 バスの時刻が迫っているのですぐ降りてきた。 また接客中だったが、相手は同じお客さんだったような気も……。 そのお客さんは何か買ったようだった。よかった。
紅茶を買ったので、海苔も買えば 2000 円を越える。 そうなれば ICa に 20 ポイントつくんだった、とバス停で気づいたが、 もう時間がないので戻らず。 花見のため、ここのところ一日おきぐらいに香林坊から同じバスで帰る。 「あ、またあの人といっしょになった」と思えた人が約2名。 狭い町だ。
2007-04-10 (2) 23:21:12 +0900
新聞などで見ると、 皇族は「さま」、平民は「様」と書き分けるのが普通と思われるから。
2007-04-10 (2) 23:11:59 +0900
きょうは朝は軽め、 昼は三月以来久しぶりに見かけた知り合いのスタッフが麺のところにいたのでラーメン。 夜は普通かな。 間食はほとんど海苔のみ。
運動も、きのうと同じぐらいやった。 帰りは兼六園で散歩もしたし。
「毎日、朝晩、体重をはかる」という減量法は、 一年ほど前のNHKラジオ「ビジネス英会話」で知った。 このくらいこまめにはかると、 なにが増減の原因なのかわかるのではげみになるんだそうだ。 もともとはNHKのテレビ番組か何かでやっていたとか。
2007-04-10 (2) 23:06:19 +0900
出がけに体重をはかったらなんと 61.5kg になっていて、かなり愕然とした。 ちょっと前に 60kg の大台に乗ったときもショックだったが。
そう言えば、最近顔がふっくらしてきたし、 あごを引いて背筋を伸ばすと二重あごになってきた。 きのう、 ぴっちりしたジーンズに着替えたら腰やもものあたりがかなりきつかったのも。
職場の休み時間に、腹筋、腕立て伏せ、懸垂を行なう。
昼食は、揚げ物はとらず、ライスもいつもの S から SS に減らした。 夕食は、仕事の都合でサイゼリヤで外食となったが、 いつもなら最後にスパゲッティを食べるところを割愛。
2007-04-10 (2) 01:32:49 +0900
「これ以上〜しても時間のムダ」というのは、 ほかに有意義な時間の過ごし方がある場合に言うことであって、 この場合はナンセンスである。
「とりあえずしゃべってみる」「しゃべってみてから考える」性格なので、 こういうこともときどきある。
2007-04-09 (1) 01:46:15 +0900
ランプの魔王は同時には一匹しか味方にならないと知ったので、 もう一度育てる楽しみをと考えてカダブウを野に放したのが三月4日の日曜日だった。 なんとその日のうちに二匹めダブリンと三匹めフタミンが味方についた。 ところが、その後、ずっと四匹めがつかず。 きょうになって、その四匹めキクモトが、わりと簡単についた。 それを放したら、すぐに“五匹め”カダブウがついた。 名前は四種類用意されているので、一巡したのである。
今回、すぐに味方についたのは、 ランプの魔王だけを倒していたときであった。 そこで、 「もしかして、ランプの魔王だけを相手にしているとつきやすいのでは」 との仮説を立ててみた。
そして、そのあとは冒険の書には記録せず、カダブウを育てているところである。
2007-04-09 (1) 00:22:32 +0900
川べりにサクラが咲いてきれいなので、行きも“秘密の通路”を通った。
隣の席の家族連れが、同じ色のグラスワインを二つとっていたので、 なぜデカンタ小にしなかったのか、しばらく考えた。 そのほうが10円だけ安く、分量は若干多いのだ。 考えられたのは、 身体が不自由でデカンタからグラスにワインを注ぐことができないという理由だが、 そうではないようだった。
最近、仕事をしていると左胸が締めつけられるように感じることがよくあるのだが、 そういうときワインで酔うと痛みが消える。 (やっぱり、擬パウロが「テモテへの第一の手紙」5,23 に書いている通りである。 ただし、「エペソ人への手紙」5,18 も参照のこと。)
帰りも“秘密の通路”を。 このときはあまり酔っていないような気がするのだが、 帰って夕食をとると眠くなって夜中まで“昼寝”してしまう。
けさは、頭の右上にワインが残っているような気がして、 外出はやめた。 ここ金沢ではサクラが見ごろということもあり、 街中はかなりにぎわっていたのではあるまいか。 復活日と潅仏会が重なったわけだけど、それは人出にはあまり関係あるまい。
2007-04-08 (0) 23:57:26 +0900
本文の一部を削除しました。
2007-05-24 (4) 00:13:45 +0900
いつだったか、NHKラジオで放送された昔のライブ録音を聞いていたら、 客がわーっと笑ったところが、ちょうど話の中で観衆が沸くシーンだった。 その次は、沸いた中で主人公が話を続けるのだが、 それが、演者が客の笑いの中で次のセリフを言うのとぴったり重なっていた。
2007-04-08 (0) 23:50:21 +0900
きょうのNHKラジオ「名人寄席」の、 「三方一両損」でそう言っていたような。 「毎月、みそかの二十八日にきちんと家賃を入れている」 というようなセリフだったから、「月末の二十八日」ぐらいの意味かと思った。 実際の月末は二十九日か三十日のはずだが、 こう決めるやり方もあったんだろう。
「さげ」は地震情報のため聞こえなかったが、 ご馳走が運ばれていたのでだいたい見当がついた。
2007-04-08 (0) 23:44:44 +0900
「直径 パイ」を Google で検索してみられたい。 ギリシア文字の φ の一つの字体に似ているのだが、 日本語での呼び名は「ファイ」か「フィー」だろう。
2007-04-08 (0) 23:38:29 +0900
NHKの連続テレビ小説「芋たこなんきん」最終回を見ていたら、 ヒロインが死んだ夫に語りかけるセリフがたくさんあった。 死んだ人は「いる」とは言えないわけだけれど、 こういうシーンは視聴者に受け入れられると考えられているのだろうか。
2007-04-08 (0) 23:32:38 +0900
…無理だろうな。
「あれは業者がやったことで軍は関与していない」という説があり、 一方で、 戦争になると「危険だから」という理由で記者が前線に出ることを禁止したりする。 だったら、 新聞記者が従軍慰安婦になれば軍とは無関係に前線まで出られて、 そこから記事が送れるのでは、と考えてみたのだが。
2007-04-08 (0) 15:36:26 +0900
「飛行機」だから「ひこうき」のはずだが、 軍人将棋の駒には「ヒコーキ」と書いてあった記憶がある。
2007-04-08 (0) 15:03:11 +0900
2007-04-07 (6) 02:02:32 +0900
揺れはたいしたことなかったが、 揺れだす前の、 地の底から音ともなんともつかないものが上がってくるときが不気味。
2007-04-07 (6) 00:42:01 +0900
最初は赤ワインデカンタ小。次に白のグラスワイン。 そして最後に赤のグラスワイン。 これだけ飲むと、私の限界に近い。 それでも、秘密の通路 --- 畑と畑の間の境界のコンクリートの上 --- を歩いて川べりまで出ることができた。
夕食後、眠ってしまい、いま起きたところ。 さっきまで心臓の鼓動がかなり速かった。
2007-04-06 (5) 02:05:10 +0900
本項以降はこれからアップロードします。
2007-04-07 (6) 00:36:25 +0900
追加分の本文の一部を削除し、 タイトル行後半も削除しました。
2007-05-23 (3) 23:20:43 +0900
昨年度の最終回だ。前半については 《NHKフランス語会話>九月 18 日(月曜日)放送分》 を参照。 今回は新作部分は予告編以外にはなく、後半には 《NHKフランス語会話>九月 25 日(月曜日)放送分》 を短くまとめ直したものが放送された。 これは、昨年度前期は放送が 26 回あったのに対し、 後期は一月1日に放送がなく 25 回だったため、と考えられる。
発音コーナーでの cas と exemple との混同は、今回は、 ミカエルさんのセリフにも、字幕にも、あった。 ところで、「h aspiré」を「有音の h」と訳すのはなぜなんだろう?
17 分 30 秒ほどで前半は終了。 Pause-Café はなし。
後半は、無理につぎはぎしたのか、 先生とミカエルさんが笑っているところから始まる。
最後、時計を横目で見ながら、 「果たしてこの残り時間で、先生のごあいさつがあるのだろうか」 とはらはらしながら見ていたら、 NHK連続テレビ小説「鮎のうた」最終回を思い出してしまった。 (関係ないけど、あの終わり方はよかった。)
来年度 --- もう「今年度」か --- の予告編は20秒ほど。 新しいドラマ番組が始まる、って感じのノリ。
その前にやっていた「中国語会話」が、 最終回ということで非常にこてこてした内容になっていたのに対し、 非常にあっさりと終わったのはよかったかも。
一年間終わってみての感想を一つ。 前半で入門した人が、 後半の再放送で中級に進めるような配慮が特になされていなかったようだったのが気になった。 たとえ話でいうと、長方形の紙に
+−−−−−+ | /| | / | | / | | / | |/ | + + | /| | / | | / | | / | |/ | +−−−−−+のように斜めに線をひき、 これをもうひとつ用意して横に貼り合わせると
+−−−−−+−−−−−+ | /| /| | / | / | | / | / | | / | / | |/ |/ | + + + | /| /| | / | / | | / | / | | / | / | |/ |/ | +−−−−−+−−−−−+となって、左下から右上に向かって長い線分ができる。 最初の図で、下の線分が初級の人の上達カーブ、 上の線分が中級の人の上達カーブとする。 それがあとの図のようにつながるということは、 最初の半年で入門した人が、 あとの半年の再放送を中級者として有効に活用できた、ということになる。
2007-04-04 (3) 22:55:11 +0900
いま、今年度の一回目を見終えたとこなんだけど、 あのオープニングとエンディングの先生にはぶっとんだ。 かなり眠かったんだけど、いっぺんに目が覚めてしまったぞ。 夢に見そうでこわい……。 といいつつ寝る前にもういっぺんビデオ見ようと考えている奴(=俺)。
こうなってくると、先生は完全にアイドルだな。 語学番組なんだか先生のプロモーションビデオなんだか、 わからなくなりそうだ。
2007-04-05 (4) 00:04:34 +0900
やっぱり、夢に見た。 朝、目が覚めて、 「きのうは酔って帰ったので、 『フランス語講座』は見ないで寝て、 あの先生のお姿も、夢に見たあのお姿も、すべて夢だったのではないか」、 とのはかない期待を抱きつつビデオを巻き戻してみて、 やっぱりあれは現実だったのかとうちひしがれ、 仕事に出かける前にも、 「あれは現実ではありえない」と信じたいがために相当に酔って帰った直後にも、 ビデオを巻き戻して見てしまった。 ううう。
2007-04-05 (4) 19:29:05 +0900
上は、酔って帰った直後に書いたので、 かなりの誇張というかウソが混じっています。 飲んで帰ったのは仕事がうまくいってないのと、 あす --- もう「きょう」か --- は聖金曜日で、 ちょっと飲むわけにはゆかないからでした。
でも、酔っていた割には「てにをは」が整っていたな。
2007-04-06 (5) 02:07:11 +0900
「ウルトラマン」最終回は四十年前の四月9日だったそうだ。 ゼットンに敗れたウルトラマンの前にゾフィーが現われ、 それを見た科特隊員たちが“仲間が助けにきた”と言うシーンがあったと思うが、 もしも、実はそうではなく、彼らの目の前でウルトラマンがゾフィーに “処刑”されてしまったらどうだったであろうか。当然、 「ウルトラQ」の「ガラモンの逆襲」におけるセミ人間が念頭にあるわけだが。
2007-04-04 (3) 19:54:57 +0900
本文ナシ
2007-04-04 (3) 02:40:26 +0900
本文ナシ
2007-04-04 (3) 02:39:31 +0900
本文ナシ
2007-04-04 (3) 02:38:01 +0900
本文ナシ
2007-04-04 (3) 02:36:46 +0900
肉炒めが冷たいと言われたのを苦に、というような意味。 ほかに、「憎いため冷たい邦」(邦は人名)とかも考えられる。
2007-04-04 (3) 02:33:21 +0900
マンダは怪獣の名前。
2007-04-04 (3) 02:27:20 +0900
本文ナシ
2007-04-04 (3) 02:20:14 +0900
英語では“オライオンズ”のように発音するようだが、 回文は字面だから、関係ない。
2007-04-03 (2) 23:52:15 +0900
安室は姓。「Amuro no noru ma」なら「〜の乗る間」。
2007-04-03 (2) 23:50:08 +0900
後半は、ビスを無くしてしまった子、の意。
2007-04-03 (2) 23:48:02 +0900
本文ナシ
2007-04-03 (2) 23:46:22 +0900
本文ナシ
2007-04-03 (2) 23:38:51 +0900
本文ナシ
2007-04-03 (2) 23:37:03 +0900
本文ナシ
2007-04-03 (2) 23:33:00 +0900
たとえば、春分の日が旧暦二月8日であって、同15日が金曜日の場合。
2007-04-03 (2) 23:31:13 +0900
今年の涅槃会は四月2日だった。 割と遅めだ。というところから考えてみた。 旧暦が新暦と比べて最も遅れるのは 春分日が旧暦二月1日の場合である。 春分の日は最近では三月21日が多いから、 そうだと仮定すると、旧暦二月15日は四月4日。 四月8日にはならないようだ。
2007-04-03 (2) 23:20:34 +0900
「モンティ・ホール問題」というのをネットで見かけた。 A, B, C の三つの扉のうち、一つだけ、後ろに「当たり」が隠れている。 参加者は三つのうちの一つを選ぶ。 すると司会者が「はずれ」の扉のうちの一つを開けて、 「はずれ」であることを参加者に示す。 この時点で、参加者は別の扉を選び直すことが許される。 では、選び直したほうが得か、それとも選び直さないほうが得か、 という問題である。
私なら、こう考える。 「当たり」と「最初に選んだ扉」の組は全部で9通り。
あるいは、こう考えることもできよう。 司会者は「はずれ」を開けるのだから、 参加者が「当たり」を選んでいたら選び直せば「はずれ」となるし、 参加者が「はずれ」を選んでいたら選び直せば「当たり」となる。 よって、 「選び直すことで『当たり』と『はずれ』が逆転する」ということがわかる。 選び直さなければ「当たり」の確率は 1/3 だから、選び直せば 2/3 となる。
この問題は、 「選び直しても当たる確率は変わるはずがない」と考えてしまいがちなのだそうだが、 そう考えてしまう人は、 司会者が「はずれ」の一つを開けてみせた時点で 「当たり」の確率が 1/2 だと思ってしまうのではなかろうか。 (すぐ上の段落を参照。)
そうだとすると、 《三人の囚人の問題 --- 等確率で二人が死刑、一人は無罪……》 、特に、そこにあとから加筆した、 鈴木みその漫画に登場したインチキ賭博にだまされる心理と関連してきそうな。
2007-04-03 (2) 22:47:30 +0900
「高校数学」なら、国が違ってもある程度似たレベルになると思うが、 たとえば米国の中学生の英語だとすると(以下略)。
2007-04-03 (2) 22:44:47 +0900
たとえば、 「先生が太郎君に『お母さまがそうおっしゃったのですか?』と尋ねた」 を間接話法に書き換えると 「先生が太郎君に彼の母がそう言ったのか尋ねた」 が普通かも知れないが、これでは元が 「先生が太郎君に『お母さまがそう言ったのですか?』と尋ねた」 の場合と区別できないのでは?
2007-04-03 (2) 22:38:11 +0900
先生のお写真も変わった。 いよいよあすからの放送だ。
2007-04-03 (2) 22:35:54 +0900
私の最大の欠点の一つは「ついかっとなる」ことだと思う。 そこで、怒りがこみ上げてきそうなときは 「ここで馬鹿とケンカして怪我でもしたらつまらない」 と考え、 「あらばあふよの」 (参照: 《拾遺和歌集>「あらばあふよのありもこそすれ」》 《「あらばあふよのありもこそすれ」は「八代集秀逸」「定家八代抄」にも》) などとつぶやいてじっと耐えるのだが、 私が会いたいと思う人がすべてこの世を去ってしまったら、 そのときは世を去ることでそれらの人に会えると思い、 バカなことをしてしまうのではないかとの心配が。
2007-04-03 (2) 22:30:36 +0900
2007-04-03 (2) 01:52:37 +0900
びんはジャムの空きびんを流用したものだからバランスが悪かったようで、 出張から帰ったら、せっかく咲いたのに、ヒヤシンスだけが倒れていた。 びんはそのまま。 その結果、根が水から出てしまい、しおれていた。
始めたときは、球根がびんの口よりわずかだけ小さかったため、 いらない帳面の表紙を切り抜いてまん中に穴をあけたものをびんに載せ、 その上に球根を置くようにしてしのいだのだった。
もう倒れないよう、びんの中に押し込んでやり、 全体をスーパーマーケット(だったかな) のビニール袋に入れて某センターに持ち込み、仕事中も見守ったが、 元気にならない。
教訓:やっぱり、水栽培には専用のびんを用いたほうがよい。
2007-04-03 (2) 00:26:32 +0900
utô to sitara と utouto sitara である。 前々項を書いていて。
2007-04-01 (0) 22:14:13 +0900
distribution de Poisson や poisson d'avril ならもちろんたくさんあるが。
ただのナンセンスなので深く考えないでください。
2007-04-01 (0) 20:01:20 +0900
前項を書いていて。
2007-03-27 (2) 20:03:20 +0900
画廊という設定はテキストで知っていたが、 今年度最終回の最後の予告編でセットがちらっと映ったのを見たら、 なんだか日本の銭湯みたい。
そこで考えたのだが、 先生はパリの銭湯のオーナー、という設定の語学講座はどうだろうか。 生徒役の日本人青年が ミカエルさんフランツさんと湯船につかりながらフランス語の基本を学ぶ。 これだけでは会話が銭湯内に限られると心配する向きもあろうが、 青年が二人に「きょう、こういうシチュエーションで、 どう話していいかわからなくて、困ったんです」 と尋ねるところから回想シーンを展開すれば、 パリのいかなる場所もスケッチの舞台に取り入れることができる。 先生は番台から文法事項を説明する。
お風呂が舞台だと、 そもそも服装で季節感を出すことはできないわけだから、 半年分だけとってあとの半年は再放送というやりかたにはぴったりかもしれない。
ほかに、 先生がパリの日本式旅館の若女将、というのも考えてみた。 これでも、大浴場を利用すれば、湯船の中での会話という設定に持ち込める。
2007-03-27 (2) 19:25:04 +0900
前半については 《NHKフランス語会話>九月 11 日(月曜日)放送分》 も参照のこと。
ミカエルさんを完全スルーでかわしたあと、 「では、発音にいきましょう」とおっしゃるとき、 指をくにくにっと動かしておられる。
発音のところ。 ミカエルさんは cas と言っているのに、字幕が「例」になっている。 (前回分 (《NHKフランス語会話>三月 12 日(月曜日)放送分》) 参照。)
「そうゆうときは過去分詞は主語と性数を一致させます」とおっしゃった。 「そういう」じゃなくて。 そのあと、先生の、デスクの上で組んでおられた手が突然大きくなった。
練習問題の説明で 「動詞 se passer の場合も、過去分詞の一致があります」 とおっしゃったが、「過去分詞の性数の一致」のはず。
Pause-Café は、 ちょっと無理して途中をカットしたんだろうか? 先生とミカエルさんが笑っているシーンが唐突に二度はいる。 しかも、その二度が、同じフィルムの使いまわしのような……。
今回で音楽コーナーは最後なわけだが、 最後、おっさんの投げキッスがあってよかった。
そのまま、夜景のエンディングへ。
2007-03-27 (2) 00:16:57 +0900
本項以降はこれからアップロードする。
2007-04-03 (2) 01:50:53 +0900
きのうの地震のあとNHKラジオをつけていたら、 官房長官の記者会見の様子が録音で流れた。 被害のあった自治体の名前を三つほどあげていたが、 そのうちの「穴水町」の読み方に自信が持てないようで、 「あなみずちょう」と読んだあと、 “と読むんでしょうか”のように付け加えていた。 実際には「あなみずまち」と読むのだが、 官房長官に日本中の市町村名の読み方を覚えていろというのは無理だ。 資料を用意した人が、読み方を添えるべきだったと思う。
付) 以前、似た状況で、 「吹田市」を正しく読めないなんて、という投書をみた記憶がある。
2007-03-26 (1) 00:26:57 +0900
なぜか予定より早めに目が覚めたので、 起きてキッチンのほうへ行こうとしたら、突然、 本だなとファイリングキャビネットががたがたと音を立てて揺れ始めた。 あわてて押さえる。
本棚の上に立ててあった DFC (dictionnaire du français contemporain) の机上版が目の前を落ちていく。 フランス語の辞書ということで、 「こんな地震が来ちゃって、 あしたのNHKテレビ『フランス語会話』(最終回)はどうなるのかいな?」 という不安が脳裏をよぎったが、 押さえるのにせいいっぱいで、どうしようもない。
揺れが収まってから見たら、スタンダード仏和のデスク版も落ちていた。 どちらもかなりでかい本だが、無傷だった。
そのうち、あのとき起きようとしたのはなぜだろう、と気になり出した。 地震の揺れに気づいて飛び起きた経験は何度もあるが、 今回はそうではなかった。起きてから揺れ出したのだ。 もしかして予知能力? などとも考えたが、 かなり揺れに驚いたので、記憶が混乱している可能性もある。
ほかに被害は本が何冊か落ちていたことと、 平らに積んであった本などのうち、滑りのよいものがずり落ちたこと。 スライド式本だなの奥の本が手前のスライド部分との間に落ちたのに気づかず、 手前をスライドさせたもので、落ちてきた数学書が頭に当たった。 それから、寝室に置いてあるテレビが右に十センチメートルほどずれていた。 手紙などを入れて積んであった箱もいくつか落ちていた。 なお、表紙などに微小な傷などができた本はあったものの、 どの本も中身は全く無傷だった。
心配なので職場に出ることにした。 したくをしているうち、パソコンのディスプレイの上に置いている、 セイコーの電波時計 SQ648S が、 電池ぶたがはずれて床に落ちていることに気がついた。 12時制などのデフォルト表示に戻っていたところをみると、 リセットがかかったようだ。 職場でメモをとろうとして、 いつも胸ポケットに入れているペン差しを忘れてきたことに気づく。 やっぱりあわてていたか。
その後、バスで街中へ。
香林坊大和地下で焼海苔を買った。 これはいまだけのお得用です、 と説明してくれたのはいつもの店員さんとは違う人だったんだけど、 しばらく考えこんでいたらいつもの店員さんがやってきて、 結局、その人から買った。 おつりを受け取ったあと、地震の話もちょっとした。 その後、上 りエスカレータに乗ろうとしたら、その店員さんがすぐそばを通っていった。 ちょうど休み時間になったようだ。透明なビニールのかばんを持っていた。
軽く食事をしたあと、 9階の園芸売り場でシダの小さな鉢植えを買った。
1階で、初めて、北鉄バスの ICa にポイントをつけてもらった。 食事と鉢植えとで、2000 円以上になったのだ。
帰りにまた地下に寄ったら、 ういういしい店員さんがわれおかきを売っていた。 胸の名札で新入社員だとわかったので、 一つ買ってあげることにした。 なんと会計は GODIVA と一緒のレジだった。 かなりイメージが違うと思うんだけど。
歩いて帰り、「ちびまる子ちゃん」を見ていたら、 ちょっと大きめの余震がきたので本だなを押さえる。 少しのあいだ見損なってしまったが、ストーリーがわからなくなるほどではなかった。
また地震がきて飲めなくなるといけないという理屈をつけて、 冷蔵庫に入れてあったヱビスビールを二缶飲んでしまった。
付) 落ち着いて考えてみれば、 地震でわが家のフランス語の辞書が落下したことと、 あしたの「フランス語会話」との間には何の関連もない。
2007-03-25 (0) 23:06:10 +0900
いま気がついたのだが、この「いろいろ」を書いている NEC PC-9821 Xa7 の上に乗せたディスプレイ NANAO FlexScan 54T が、 左にずれている。 上述のテレビとは逆の方向を向いているので、ずれの方角はこれで同じ。 これだけずれれば、上に乗せておいた電波時計が落ちても不思議はない。
やっぱり、きのう起きたのは地震のせいだ、という気がしてきた。 揺れがおさまってから、めがねはどうしただろうと思ったら、 いつも置いて寝る位置から落ちて、たたみの上にあった、 というのを思い出したからだ。 最近の私は、ちょっと起きるだけでも必ずめがねをかける。 よって、かなりあわてて飛び起きた、というのが真相のようだ。
2007-03-26 (1) 19:24:52 +0900
兄弟姉妹の間では「男子優先」としたうえで同性の間では「年長者優先」、 というルールを採用したとして、 男子がいなかったので長女が継承したが、 懐妊中だった皇太后に生まれたのは男子だった、 という場合である。 誕生した時点で、 あるいはいくらかの年月をおいたところでその男子が継承するという考え方もあろうし、 もう継承は済んでしまったので継承権はない、という考え方もあろう。 後者を採用した場合、皇族男子だけれども継承権はないとするのだろうか、 それとも、皇族男子でもないとするのだろうか?
でも、これを言うなら、現行のルールでも、 天皇の弟が継承したのち懐妊中だった元・皇后に男子が誕生、 という可能性があるか。
2007-03-25 (0) 17:11:09 +0900
十二音音楽では、ある音が Dis か Es かという区別には意味がないし、 この音が D や E から派生したと考えることにも意味がない。 よって、調号や臨時記号による記法でなく、 十二の音をそのまま書けるような記譜法が考えられたこともあったが、 結局は普及しなかった、というように理解していた。
実際にそのような記法の例が載った本を見たのか、 私が頭の中でまとめあげた話だったのかはいまはわからないが、 たとえば、五線でなく六線を用いることとし、
--- H --- B --- A --- As --- G --- Fis --- F --- E --- Es -- D -- Des -- Cのようにして十二の音を表す記法も考えられよう。
何十年かの間、ずっとこのように理解していたのだが、先日、ふと、 平均律のもとでもそのような記法に意味がある、と気がついた。 嬰ハ短調で始まって途中で変ニ長調になる曲の場合、現行の記譜法では、 調号を変えるにせよ変えないにせよ、そこで頭を切り換えなければならない。 しかし、上のような書き方なら、その問題はない。 また、重嬰記号や重変記号も使わないで済む。
現行の五線譜のほうが 「慣れているので見やすい」という利点があるのはもちろんだが、 Dis と Es が区別して書かれているので音の意味がとらえやすい、 という利点もある。
2007-03-25 (0) 01:05:08 +0900
あれは確か、2004 年の夏のことだった。 サイゼリヤに、若いがてきぱきと仕事のできるウェイトレスがはいった。 後輩のウェイターにレジのやり方をてきぱきと教えていたりもした。 かなり印象的だったので、 名札に書かれていたフルネームを Google で検索したところ、 サイゼリヤの帰りに私がそばを通る中学校の卒業生でいまは高校二年生らしい、 ということがわかった。
よって、去年、2006 年の春には、 私の勤務先である大学に入学してきた可能性もあったのだった。 私の勤務先では、昔でいう“教養”を学ぶ建物に、 一年生の名簿が掲示される。 何気なくそれを見ていたところ、 彼女と同姓同名の学生が入学していた。
同じキャンパスにいるのだとすると、 その建物のほかに、 食堂や購買部などですれ違う可能性がありそうなものだが、 それらしい学生は見かけなかった。 この春になって、 自治会が新入生オリエンテーションの実施を在学生に呼びかけるポスターを出した。 昨年の春、入学時にクラスごとに撮った写真が貼りつけてある。 その学生が属しているクラスのもあった。 そこに写っている女子学生を一人一人見てゆくと、 この人以外の人が彼女ではありえない、という人物が写っていた。 しかし、はるかに大人になっていて、 「これじゃあ、すれ違っても気がつかないわけだ」と納得した。
付) その後、サイゼリヤの名札は姓だけになった。
2007-03-24 (6) 19:17:46 +0900