いままで、
中島みゆき「地上の星」は冒頭の「風の中のすばる
」しか聞いたことがなかった。
漫才で、ここだけを何度も歌っていたのを聞いたような気がする。
きょう、仕事の合間に、YouTube の動画で初めて通して聞いたのだが、
後半の「つばめよ高い空から
」以降を聞いたとき、
激しい déjà vu 感ならぬ
déjà entendu 感に襲われた。
中島みゆきのCDを買ってきて、家でこの曲を聞いたことがあるような気がする。
付)Wikipedia によると、 視覚以外の場合も déjà vu でいいのだそうだ。
2009-12-20 (0) 19:47:01 +0900
けさ未明は、この「いろいろ」を書き終えたあと、 クリスマスカードを書いた。 万年筆を使うのは、おそらく年賀状以来だから、一年ぶりである。 インクは乾いていたので、つけペンのようにして書いた。 いちおう、下書きをし、それから買ってきたカードに書いたのだが、 字がへろへろだ。明らかに、手書き文字はへたになっている。 それでも、だんだん調子が元にもどってきて、 封筒のあて名書き、 とくに裏面の私の住所氏名はそれなりに満足のゆくできとなった。 それに比べると、カードに書いた文字はまるで子どもの練習である。 送るかどうか迷ったが、「気持ちがこもっていればいい」と考え、送ることにした。
さて、その後、万年筆を洗おうと思った。 洗面所で、洗面台に水を張り、 そこにペン先をつけてインクの代わりに水を吸わせ、 吐き出させる。 一本はうまくいった。乾いて固まっていたインクがとけて、黒い水が出てくる。 水がかなり濁ったと思ったら交換して、何度もくり返す。
が、もう一本は、二三年まえに調子がおかしくなり、 インクを吸わなくなっていたのを思い出した。 お尻の部分を回して吸わせるのだが、途中までしか回せないのである。 こいつは修理に出さなきゃだめか、でも、お金をかけて直しても、 私の残りの人生で、これであとどれだけ、何を書くんだろう、 と考えているうち、その万年筆からも、少しずつ、インクが溶けてくるのを感じた。 もしかして、固まったインクのせいで回らないのでは、と期待し、 壊さないように、少しずつ力を加えてみたら、回った!
床に就く前に、空きびんに水を入れ、そこに二本とも、つけておいた。 こうすると、短時間では溶けださないインクも、溶けだしてくるのである。 けさ起きて、水をあけ、乾かして仕事へ。
2009-12-20 (0) 19:00:38 +0900
2009-12-20 (0) 01:44:21 +0900
狭山事件の被害者の名前である。 good branch の実例は見たことがないが、 よい分枝、というような意味で使いそう。
2009-12-20 (0) 01:36:22 +0900
きのうの帰り。本当に、足首まで水につかってしまうのである。 横断歩道の範囲内で左右をよく見て、“浅瀬”を渡らねばならない。
いつまでも住むべき町じゃないな。
2009-12-20 (0) 01:30:29 +0900
この時間にもかいてくれているのだからありがたいと思うべきか。 しかし、自分の自動車を出すためのところだけかき、 かいた雪は歩行者のさまたげになりかねない場所に置いていることもある。 それと、標準的な睡眠時間である8時間のあいだ放置しても、 そのあとかけば済むなら、夜中はかかないでほしいものだ。
機械を使っての、市などの除雪でないことは、明らかである。
2009-12-20 (0) 01:25:46 +0900
NEOS は会社名。
2009-12-20 (0) 01:01:25 +0900
漢字かなまじり文で書けば「いなかに着いたとき、子たち打ち中に」。 後半は、前半を逆にして意味をこじつけたものなので、やや苦しい。 子たちを打って、中に入れたのである。
2009-12-20 (0) 00:52:16 +0900
本文ナシ
2009-12-20 (0) 00:50:30 +0900
のりしろと言われ、わからないので「ん?」と聞き返したところ。
2009-12-20 (0) 00:47:54 +0900
「折りしろ」とは、「のりしろ」のようなもの。 検索すると、裁縫の用語として、実在するようだ。
2009-12-20 (0) 00:44:03 +0900
「追い」は「老い」でも「負い」でも可。 イオマンテはアイヌの儀礼・祭りの名。イヨマンテとも言う。
《回文「天馬酔い、イヨマンテ」(てんまよいいよまんて)》 参照。
2009-12-20 (0) 00:37:30 +0900
レスはパソコン通信時代からの略語。レスポンスのつもりだろう。 返事ぐらいの意味である。 返事をもらいたくない、いやなやつがいて、という状況。
2009-12-20 (0) 00:33:49 +0900
「14ー」で「ジューシー」とか。 ほかに、「14」で「重視」、「59」で号泣。
2009-12-20 (0) 00:31:56 +0900
ムスタファーの溶岩の川で、 最初は別々の“いかだ”に乗り、 アナキンがオビ=ワンの“いかだ”に乗り移って戦いが続く。 アナキンがオビ=ワンの“いかだ”に飛び移るとき、 初めは剣で身を守っているように見えるが、 オビ=ワンを飛び越えると、背を向けてしまうのだ。 あそこでオビ=ワンは切ることができたのではあるまいか。
2009-12-20 (0) 00:27:10 +0900
パルパティーン自身が議会で銀河帝国設立の宣言を行なうが、 皇帝と名乗ったり、呼ばれたりするシーンはない。
ジェダイ寺院で、 オビ=ワンがヨーダに「Send me to kill the emperor.」と言うが、 皇帝になったことはどうやって知ったんだろう? 「I do not know where the emperor has sent him.」とも言う。 (「彼」とはアナキンを指す。)
オビ=ワンがパドメにアナキンが暗黒面に落ちたことを告げ、 彼のゆくえを尋ねるところでは、 パルパティーンを chancellor と呼んでいる。
ムスタファーでアナキンはパドメに 「I am more powerful than the chancellor.」と言う。 アナキンが、ムスタファーの戦いの時点で、 パルパティーンが皇帝になったことを知らない可能性はある。
議事堂下の、議長の部屋にはいってきたヨーダは、 「Emperor」と呼びかけている。
意外と少ないのだ。
2009-12-20 (0) 00:20:03 +0900
アナキンとの会話の中で、 「Help me raise our child.」と言っている。 あの時点ではまだ双子と気づいていない?
それにもかかわらず、瀕死のパドメの口から、 二つの名前「ルーク」「レイア」がすらすらと出てきたことは、 男の子の場合と女の子の場合を考えていた、と考えれば説明はつく。
フォースで透視すれば胎児の男女の別はわかると思うが、 そうしていたのだとすると、双子と気づいていなかったことの説明ができない。
2009-12-19 (6) 22:45:42 +0900
パドメは「our childs」と言っているようにも聞こえる。 英語字幕は「our child」だが。 もしそうなら、 child の複数形が children ではなく childs となる破格の英語を話しており、 双子以上とわかっていたことになる。
2009-12-22 (2) 21:12:44 +0900
議長救出作戦のあと、 議長たちを乗せたバスのような飛ぶ乗り物が向かうのが議事堂の発着場であることはわかっていたが、 そのバスが上段の発着場に、ファルコン号と同じ型の船が下段の発着場に近づくとき、 上段の発着場の奥に見える、柱が何列も並んでいる部分が、 次のシーンの舞台となる、あの柱のある空間だった。
Order 66 のあと、 オーガナ上院議員の船が下段から飛び立つシーンを見ていて、気がついた。
2009-12-19 (6) 22:15:04 +0900
Order 66 の発せられたあと、 オーガナ上院議員がエアカーでジェダイ寺院に着くのは、 アナキンが議長の元へ駆けつけるため飛び立ったあの発着場だったのか! いままで気がついていなかった。 もう一枚の DVD に収録されているカットされたシーンの中には、 そこで、ウータパウへ向かうオビ=ワンをウィンドゥが見送るシーンがある。
2009-12-19 (6) 22:08:52 +0900
アルファベットの活字体の書き方にはいろいろあるが、 A, N をそれぞれ二画ずつで、 K を三画、I を一画で書くやり方もある。 これだと、前半の ANA, 後半の KIN それぞれが六画となり、 「6」を二つ並べて 66, とも考えられる。
《シスの復讐>オーダー 66 でクローン兵がアナキンを襲わないのはなぜ?》 で 66 がアナキンを意味する“引数”なのではと考えたが、 その続き。
2009-12-19 (6) 22:03:24 +0900
本文ナシ
2009-12-19 (6) 21:56:59 +0900
今回の冒頭のごあいさつでは、 「きょうも楽しく学んでゆきましょう」だけがなく、 「お相手してくださるのは」はあった。
意味の確認。 ミカエルさんの発音で、 「actrice de théâtre」の actrice の最後の子音が [z] に聞こえる。 前から何度か出てきたパターンで、次の有声音 [d] につられたものだろう。 「C'est ce qui fait le charme du théâtre」の fait がどうしても fait に聞こえない。 -ch- の音が出ているような気がする。
文法チェックは「de + 無冠詞名詞」なのだが、 「熟語表現になっているもの」として挙げられているのは、 「名詞 + de」だ。 どういうことかというと、 「de + 無冠詞名詞」は「名詞 + de + 名詞」の形で使われる。 その「名詞 + de」の部分が熟語表現になっているもの、 ということらしい。
ミカエルさんとの自由な会話の説明の中で、 「中学のときに経験があるそうだそうですね」とおっしゃっている。 いいのかな、「そうだそうです」と「そう」が二つ並んで。 どちらも伝聞の意味だよな。 (あとで考えよう。)
2009-12-18 (5) 00:19:38 +0900
ストリーミングでまた聞いた。
先生は、良家のお嬢様(だった)といった感じで 日本語の名詞の前に「お」をつけられることがあるのだが、 トマのせりふでは「芝居」であって、「お芝居」ではなかった。 そのあとのカミーユのせりふでは「お芝居」になっている。 女性が使う言い方、というとらえ方なのであろう。 と思ったら、 最後の自由な会話の中では「お芝居」とおっしゃっていた。 ということは、トマのせりふだけ“男言葉”にした、ということだ。
意味の確認。 「通う」のあとのほうの母音を二重母音にし、はっきり /kajou/ と発音されている。 (ワ行五段活用動詞の語尾だから、これが正しい。)
「Je peux aller voir la même pièce plusieurs fois.」 の意味を 「同じお芝居を何度でも見に行くこともあるけれど」 と説明されたが、「何度でも」だと、可能な限りくり返す、 というニュアンスが出てしまうような気がする。 なお、テキストでは「何度でも見に行くことがあるけど」となっている。
「C'est ce qui fait le charme du théâtre.」 の fait の発音について、上で -ch- の音が出ているような気がすると書いたが、 f の音と一緒に ch の音が聞こえているような気がする。 母音は、どうしても [ε] に聞こえない。 faisons の fai- の部分のような音に聞こえる。 (自分で試してみたのだが、ch の音は舌と歯で出すので、 唇の位置は関係ない。よって、f の音を同時に出すことも可能なようである。)
文法チェック。 「では、文法チェックです。de + 無冠詞名詞をとりあげます」のあと 「どういうことかというと」と説明を続けられた。 このとき、私は上の、私が書いた「どういうことかというと」 を見ていたので、一瞬、 それが先生のおっしゃったことを書き取ったものかと思った。 そうではなくて、自分の言葉として書いたものだ。 先生の言い方がうつったものか、 あるいは教師特有の口癖か。
2009-12-27 (0) 02:30:12 +0900
24日木曜日の再放送も聞いたし、さらにストリーミングでも聞いた。 しかし、特に気づいたことはなかった。
2010-01-13 (3) 03:08:45 +0900
NHKのストリーミングのページの講師紹介は、 7月からのものに変わった。 でも聞けるのは先生の放送。
上に書いたように、 冒頭のごあいさつに「きょうも楽しく学んでゆきましょう」がない。 「先生の番組なら、楽しく学べるに決まっているじゃないか!」 と思っていたが、ないとさびしい。
「『何々であると同時に何々』の言い方に気をつけましょう。 『à la fois なになに et なになに』というパターンです」。 特に指定がなければ、 フランス語のほうで最初の何々が日本語でも最初の何々に対応するのであろう。
表現練習に「腹筋運動」が出てきた。 「『腹筋』は会話ではよく、des abdos と短くして言います」。 日本語の「腹筋」も、「運動」を省略した表現ですな。 (des abdos のつづりは Google で調べた。)
2011-07-03 (0) 23:58:45 +0900
それまでは、敵同士の船である。 周波数帯が合わないとか、傍受されないように暗号化されているとかで、 そのままでは連絡できないのが普通ではあるまいか?
R2-D2 が共和国軍との交信ができるよう、すぐに調整した、と考えればいいのかな。
2009-12-18 (5) 00:11:44 +0900
議長救出作戦には成功するが、グリーバスは逃してしまう。 しかし、議長が人質になっており、二人のジェダイが戦闘機で侵入したあの船は、 共和国軍によって「あれだ」と認識されていたであろう。 グリーバスが窓を破って船外に出たとき、 あるいはポッドで脱出したときに、共和国軍が撃たなかったのはなぜ?
ポッドはすぐにはグリーバスだけが乗っているとはわからないわけだが、 議長たちが乗っているかもしれないわけで、 共和国軍機は注目していてもよさそうなものだ。 その後、三人と R2-D2 が船に残っていることを共和国軍側が知った時点で、 グリーバスのポッド、 あるいはそれがたどりついた船への攻撃が始まってもおかしくない。
2009-12-18 (5) 00:09:12 +0900
誰かが書いていたのを読んだのだが、 雪の中で寝ていると、だんだんいい気持ちになってくるのだそうだ。 しかし、このまま本当に眠ってしまえば凍死してしまう。 やっとの思いで起き上がった、という話だったと思う。
これが真実なら、この方法で自殺すると、苦しまなくて済むのではないか。 手首の動脈を切る、高いところから飛び降りる、走ってくる列車に飛び込む、 などの方法は、何かを「する」ことで自殺を決行する。 それに対し、この方法は、最初に雪の中に横たわるところを別にすると、 そのあと、だんだん気持ちよくなってきても起きないという、 何も「しない」ことによって自殺することができるからである。
2009-12-18 (5) 00:00:15 +0900
木曜日の夜に入浴し、
金曜日の授業を済ませて帰ったら風邪の症状が出た、としよう。
金曜・土曜と入浴せずに寝ていて、
日曜日にはほぼ回復し、夕方入浴したとしよう。
すると、木曜日の風呂上がりから数えて、
木、金、土、日だから、四日目になる。
「主よ、彼ははや臭し、四日を経たればなり
」
(ヨハネ 11,39)と言われるほど臭くならないのはなぜだろう、
と一瞬、真剣に考えてしまったが、それは、
ラザロは死んで葬られたのに対し、
私は単に風邪をひいて寝込んだだけで、生きているからである。
生きているというのはすばらしいことだ。
付)実際にラザロが臭かったかどうかは聖書には書かれていない。
2009-12-17 (4) 23:53:02 +0900
ここから先はこれからアップロードする。
2009-12-20 (0) 01:34:48 +0900
「よか」は「よりも」あるいは「よりか」の意の俗語。 縁日で、子どもが何を買おうか考えているところ。
2009-12-17 (4) 02:55:33 +0900
意味不明。
2009-12-17 (4) 02:54:18 +0900
Google で検索したら、当然、すでに発見されていた。 でも、Obama の対格は本当に Obamam でいいのかな? 男性名詞 nauta と同じように変化すると考えればいいか。
2009-12-17 (4) 02:52:00 +0900
職場で、あるページにアクセスして作業する必要が生じ、 いくつかの ID とパスワードを試したが通らない。 これらの ID とパスワードじゃないのかな? 電話で、 そのうちの一つであることを確認。そのあと、落ち着いて打ってみたら、 ある部分を、よく打つ文字列と間違えていたことにすぐ気がついた。 この ID とパスワードで間違いないとわかっていたら、 もっと落ち着いて確かめていたのだろう。
2009-12-17 (4) 00:16:29 +0900
意味の確認。「コミニュケーション」 とおっしゃっておられないか? 2倍の時間、録音できるよう、 半分の速度で録音・再生ができるカセットテープレコーダーを持っているので、 それで半分の速度で再生し、確かめてみた。 「コミュニュケーション」とおっしゃっておられるのかもしれない。 だが、どうしても、「コミュニケーション」には聞こえない。
文法チェック。直説法には単に「過去」とだけ呼ばれる時制はないが、 接続法、条件法にはある、ということだな。そしてそれは、 「助動詞の現在形+過去分詞」の形であるという点で、直説法の複合過去と似ている。
「10 パーセント」を「じっぱーせんと」と発音された。 (これが伝統的な発音である。)
ここに注意! 「万一のときのために、携帯の番号を教えてくれる?」 という例文を読み上げたときのミカエルさん。 下心見え見え、という口調だった。
2009-12-16 (3) 23:50:04 +0900
ストリーミングでまた聞いた。
今回のシリーズのテキストは、毎回、 短いディアローグに続いてやや長めのモノローグ、というスタイルになっているが、 今回はそのモノローグ部分は日本に着いたラファエルからのメールという設定。 ところで、このメールは誰あてなのだろう? いままでの課のモノローグでは、 たいてい、ディアローグの相手に向けて話を続けていた。 ここもそうだとすれば、ディアローグの相手であるクララにあてたもの、となる。 しかし、Leçon 17 ではラファエルはフランスにおいてゆく恋人のことを心配していた。 彼女あてともとれなくはない。
意味の確認の際、 メールの最後の「(笑)」を「わらい」と読まれた。 原文の「(rires)」については知らないが、 「(笑)」は記号の一種になっているので、 読み方はあってないようなものだと思うが、 それでもそこまできちんと読まれるところが、先生らしくていいな。
文法チェック。 「過去の現実」っていうかな? 広辞苑第六版には「現実に起こった事件」 という用例があがっているから、言えるのだろう。 私の感覚では、「過去の事実」と言いたくなるのだが。 「現実」の「現」の字につられて、 「現在のこと」と思ってしまうようだ。たとえば、 「彼らは自分たちの繁栄が永遠に続くものと思ってここで暮らしていた。 しかし、現実には、ここには廃墟があるだけだ」のような「現実」を、 「現在の事実としては」の意味に解してしまう、私の感覚がおかしいのかな?
表現練習。 「健康診断を受けておくべきでした」の「おく」を 「お」にアクセントを置いて言っておられた。かなり意外。
「いかがわしい」を louche で表現しているが、 その意味は辞書によると「怪しい」「怪しげな」「疑わしい」。 「風紀上よろしくない」(広辞苑第六版)のような意味ではなさそうだ。
最後の自由な会話が 12 分 43 秒から、 最後の音楽が 14 分 00 秒からと、少し時間に余裕があった。
2009-12-20 (0) 23:10:45 +0900
「ラファエル」を「ラ」にアクセントを置いて発音しておられる。 ディアローグを聞く前、意味の確認の途中、 ディアローグからモノローグに変わるところ、 そして、最後のミカエルさんへの質問の中、合わせて三回。
テキストのディアローグの部分の中で、 finit の fi は合字になっていないが、film ではなっている。
2011-06-27 (1) 00:02:39 +0900
このように、切れ目まで一致する。 「あり・をり・はべり・いまそかり」は文語のラ変動詞の覚え方。 「メネ・メネ・テケル・ウパルシン」は、 旧約聖書ダニエル書で、指のようなものが現れて壁に書く文字である。 第 5 章第 25 節。
2009-12-16 (3) 23:42:42 +0900
ハイパースペースを飛んでいる間の暇つぶしに、 R2-D2 とモンスターチェスをプレイするシーンがあったが、 ハン・ソロが警告するのは、怒らせるとドロイドの手足をもぐ、 ってことだっけ? いま手元に DVD がなくて確かめられないのだが。
それを思い出させるシーンは III のキャッシークの戦いにはなかったな、 と思ったものだから。 実際、あの雑魚ドロイドぐらいなら、簡単に手足をもいでしまいそうだ。
2009-12-16 (3) 20:27:46 +0900
R2-D2 は、 新三部作でアナキンの操縦する戦闘機に乗った経験がある。 そして、C-3PO とは異なり、記憶を消されることなく、 旧三部作に登場したことになっている。
IV 最後の、ヤヴィンの戦いでは、ルークの戦闘機に搭載されて出陣するが、 被弾するのはベイダーが飛ぶ前だっけ? あとだとすると、 飛び方・撃ち方の特徴から、アナキンの操縦だと気づいたかも、 と思ったのだが、いま手元に DVD がないので確かめられない。
2009-12-16 (3) 20:23:27 +0900
新日本式ローマ字の本質はタ行ザ行ダ行の書き方にあり、 「ン」を普通には「n」、 次に「アイウエオ」または「ヤイェユヨ」がくるときは「ñ」 と書くことは、それと直接に関係するものではない。 しかし、服部四郎先生が同時に主張されていたので、 ここではそういうタイトルにしてみた。
「おんおん泣く」と言うときの「おんおん」は、 誰もが、同じオトの並びを二つ並べたと思うだろうが、 新日本式に従うとタイトル行のようになり、 そのことが分かりにくくなる。 日本式・訓令式、またはヘボン式の「on'on naku」、 あるいは、人名の表記でときどき見られるハイフンを用いた書き方 「on-on naku」のほうが、まだましかもしれない。
「ン」は常に「ñ」と書く、とするのが理論的にはすっきりすると思う。 そうすれば「oñoñ naku」となる。 しかし、「読んだ」を「yoñda」と書かねばならなくなり、 一般には、わずらわしく感じられるだろう。 パソコンなどの機械を使って打ち込む場合なら、 「新日本式ローマ字配列」などと銘打ってどこかに 「Ñ/ñ」キーを設けるだけで済むが、 手書きの場合にはうっとうしかろう。 「手書きの場合のみ」省略可とする?
2009-12-16 (3) 20:02:44 +0900
「何(なに)の困難?」のやや俗な形。
2009-12-16 (3) 19:59:51 +0900
13日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版「声」掲載の、 東京都立川市の公立学校講師、鈴木陽子さんの投書 「たばこ被害 分煙では減らぬ」。
ファミリーレストランの喫煙席に小さい子ども連れの親子を見かける。 分煙効果で逆に喫煙席は煙が立ち込め、子どもへの影響が心配になる。
このあと、 分煙もされていない店、喫煙席を通らないとトイレに行けない店などで、 いかに受動喫煙の被害を受けているかが述べられており、 それには全く同感なのだが、 私は、上に引用した、第一段落が妙に気になった。 私がいまよく行く店は、どこも完全禁煙かきちんと分煙しているかなのだが、 分煙の場合、確かに、子ども連れで喫煙席を希望する親はときどき見かける。
では、もし、ファミリーレストラン側が、 喫煙席に客を通すのはその一行全員が喫煙する場合に限る、 としたらどうだろうか。 つまり、「みなさまおタバコをお吸いになられますか」と尋ね、 答えが「いいえ」のときは喫煙席に案内しないのである。 これなら、未成年者を含む親子連れは、喫煙席には座れない。
自動車で来た一行には、全員がアルコール飲料を注文することを許さない、 という店が出てきた。 米国では「どなたが designated driver --- 訳せば指名運転手、 すなわち、きょうは飲まないで、運転してみんなを送り届ける役目 --- ですか」 と聞かれるという。 それの“逆”や“反対”ではないのだが、ある意味で、ちょっと似ているな、と思う。
付) 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 を参照されたい。
付) そこまでしなくても、 未成年者を含むお客様は喫煙席へはご案内しません、 とすればいいだけか。
付) そういえば、 親子三代できた一家で、 お祖父さんが入口の自動販売機でタバコを買ったのに禁煙席を希望したので、 ウェイトレスが聞き直していたのを見たことがある。 その人は、孫の前ではタバコは吸わないと決めているようだった。
2009-12-16 (3) 01:35:45 +0900
議長救出作戦の成功後、 アナキンがオビ=ワンに“あなたの命を救ったのは十回めだ”と言い、 オビ=ワンが“いや、九回だ”と応じる。 それには、映画には登場しない事件も含まれているわけだが、 I, II に登場したのは、何回あるだろうか?
I では、直接はオビ=ワンの命を救ってはいないだろう。 II の冒頭付近の夜の追跡シーンで、 オビ=ワンはぶらさがっていた暗殺ドロイドを破壊され落下したが、 エアカーに乗って駆けつけたアナキンに救われる。 終わり近くのライトセーバー戦では、 ドゥークーに傷つけられ、とどめを刺されそうになるが、 そこへ飛び込んできたアナキンに救われる。 あの二回はカウントされているのだろうか?
アリーナでのできごとは、結局、救出にならなかったんだから、 はいらないような気がする。
2009-12-16 (3) 01:35:45 +0900
VI ではエンドアの発電所の破壊がなければ反乱軍は敗北していたわけで、 あれが一番重要な戦いだったとも言えよう。 あの勝利がなければ、 ファルコン号も新デス・スター内に侵入することはできなかったのだから。 (ルークは仮にベイダーか皇帝に敗れていても、 新デス・スターごと破壊されれば、シスは滅んだはずである。)
よって、 あの発電所攻撃において一番の活躍をした者が、 反乱軍側に勝利をもたらしたと言えよう。 それは誰かと考えてみると、 帝国軍のなんとかウォーカーを奪ったチューバッカであるまいか。 (そのあと、それを利用しようとしたハン・ソロも賢かったが。)
III でせっかくチューバッカを登場させたんだから、 あの活躍につながる話 --- たとえばヨーダからああやって敵の乗り物を奪うことのヒントをもらうとか --- の話はなかったかな、と考えてみると、なかったような気がする。
付) 新デス・スターが破壊されても、 皇帝はまだ誰も知らないフォースの暗黒面の力を利用し、 脱出可能だったのかも知れない。 そうだとしたら、III でインビジブルハンドが不時着するときも、 最後の最後、いざとなれば脱出する方法があった?
2009-12-16 (3) 01:30:03 +0900
猛毒をもったイモ虫のような生き物を送りこまれて暗殺されかかったとき。 アナキンはライトセーバーを二回振って一匹ずつ斬り殺したが、 もしもパドメが、アナキンが部屋にはいってきた物音や、 一度めにライトセーバーが振られた際の音で目を覚まして飛び起きていたら、 顔を切られていたのではあるまいか。
とりあえずはフォースではじき飛ばしたほうがよかったのでは。 それから斬り殺せばよい。
2009-12-16 (3) 01:20:09 +0900
2009-12-15 (2) 01:43:34 +0900
「まいにちフランス語」の十二月 04 日金曜日の分の訳文に出てきたので、 辞書をひいてみたら。
2009-12-15 (2) 01:26:51 +0900
11月4日水曜日づけ朝日新聞社会面の、 www.toto-dream.com という URL の載った広告に「当たる人は、買った人!」 とあるが、逆は必ずしも真ではないし、 「はずれる人は、買った人!」でもあるのだった。
2009-12-15 (2) 01:21:03 +0900
11月4日水曜日づけ大阪本社版の、中ほどのテレビ面。
映画「インビジブル」の解説に
《皮膚から筋肉、内蔵、骨格…と次第に透明化してゆくSFXが見もの
》
とあるが、「内蔵」は「内臓」の間違いだろう。
ちらと見ただけなのに、我ながら、よく気がついたと思う。
2009-12-15 (2) 01:14:52 +0900
前項を書きつつ、 念のため「だろう」の歴史的かなづかいでの書き方を調べようと思ったのだが、 口語の助動詞の活用形の歴史的かなづかいは、 何を見たらわかるのだろう?
岩波国語辞典第三版は、「だろう」を 「だ」の未然形「だろ」と「う」に分けて説明する。 「だ」は本文に載っているが、 そこを見ても未然形「だろ」の歴史的かなづかいはわからない。
古語辞典は「だ」を扱わないし、 広辞苑は文語の助動詞の活用形は歴史的かなづかいで載せるものの、 口語の助動詞の活用形は現代かなづかいで載っているだけ。
国語辞典が、歴史的かなづかいを載せる方針なら、 助動詞活用表にも歴史的かなづかいを載せるべきだろうと思う。
2009-12-15 (2) 01:06:29 +0900
11月3日火曜日づけ大阪本社版文化面「井上靖の従軍日記見つかる」。
引用されている中に《……ゐるせいだろうと思ふ
》とあるのだが、
これは、歴史的かなづかいなのだから、少なくとも、
「だろう」はありえず、「だらうと思ふ」だろうと思う。
「せい」はかなづかいが思い出せず発音通りに書いたとしても、
「だらう」を間違うとは思えない。
《高津祐典
》と署名あり。
2009-12-15 (2) 00:55:21 +0900
8日火曜日づけ大阪本社版健康面、ニッポン人脈記は 「漢字の森深く」の9回目。 今回は、梅棹忠夫氏をはじめ、漢字廃止論に近い人たちの紹介だ。
私が不満だったのは、 漢字廃止論者の主張が、「漢字を廃止しよう」としか説明されていないことだ。 小学校・中学校・高等学校と、 どれだけの時間が漢字を覚えることに費やされているか、 というのが訴えの一つだし、 「漢字をなくしたら同音意義語はどうするか」に対する漢字廃止論者の反論、 すなわち、「同音意義語が存在するのは漢字で書き分けられるからであり、 それをなくすことではじめて、耳で聞いて通用するようになる」 といった基本的な主張を、いくらかでも紹介すべきだったのではなかろうか。 そうでないと、単に“そういうことを主張する変な人がいる”で終わってしまう。
インタビューされた側の訴え方がうまくなかったか、 初めから朝日新聞には相手にする気がないのか。
2009-12-15 (2) 00:44:30 +0900
8日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版健康面、ニッポン人脈記は 「漢字の森深く」の9回目。 今回は、梅棹忠夫氏をはじめ、漢字廃止論に近い人たちの紹介だ。
安本美典の、2190年ごろに小説から漢字が消える、という論文について、
《安本説の反響は大きかった。中国文学者の白川静が後に、
漢字が通用しなくては私の仕事は基盤を失うと憂えたほどだ
》
とあるのに驚いた。
まず、彼は文学者ではなく、文字の研究者だと私は理解していたから。
もう一つは、これでは、彼が漢字の起源を研究していたのは
「人々が日常使っている文字だから」ということになってしまうからだ。
もう誰も日常には使っていない文字体系でも、
かつて膨大な文献を残したものであるなら、
その起源を研究することには十分な価値がある。
(私のスタンスは、そのような“浮世離れ”した学問のほうを高く評価しよう、
というものでもない。)
2009-12-15 (2) 00:28:59 +0900
8日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版、社説の面の、 『小沢氏「キリスト教は排他的」/ 政治家の宗教発言 慎重さ必要』。 六分の一ページぐらいを使っていながら、 「排他的」「寛容」の定義が書かれていない。 キリスト教に限らず一神教は、 個々の信者に、他の神への信仰を排除することを迫るという意味では「排他的」である。 しかし、他の宗教の信者と一つの社会で生活することを否定しない、 という意味では「寛容」である。
それが一つ。
冒頭には、
《発言は、先月、全日本仏教会会長との会談後に飛び出した。
「キリスト教もイスラム教も非常に排他的だ。
その点、仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教、哲学だ」
》
とある。それが、後日の発言ではこうなっている。
小沢氏の7日の記者会見の要旨 西洋文明というのは背景にキリスト教の哲学があり、 東洋には文明の背景に仏教の哲学がある、ということを申し上げたかった。 私どもは、人間の営みは大自然の中の一つであるというとらえ方をしております。 けれども欧米の人たちの考え方は、万物の霊長たる人間が最高位にあって、 自然も含めて人間のためにあるという発想。 そこの違いがある。
キリスト教の信仰のもとでは、最高位にあるのは神なんだけど、 ということは別にしても、最初の発言がどうして 「そういうことを申し上げたかった」と説明できるのか、 私には理解に苦しむ。
《磯村健太郎
》と署名あり。
2009-12-15 (2) 00:03:48 +0900
前項の事件は、 さかさまになった漁船の中で、鉄骨の間に板を渡して3人が横たわり、 90時間もちこたえて生還した、というものだが、 その板のまわりは、海水がはいってきていたらしい。 そこからまっすぐ下へもぐると船外に出てしまうのかどうかはよくわからない。
ふと思ったのは、もしも、そのうちの一人が息絶えてしまったら、 その遺体は、水に沈めるべきだったのだろうか、 それとも、板の上に置いたままでよかったのか、ということだ。 遺体は腐敗する。その際に、酸素を消費するかどうかの問題だ。 (もちろん、死臭の問題もあるが。)
2009-12-14 (1) 23:55:22 +0900
11月1日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面、漁船転覆3人救助の記事。
東京海洋大の武田誠一教授(海洋安全工学)の話に
《外から風が入ってきて空気の確保ができたことも大きいだろう
》
とあるのだが、空気がはいってくるということは、
3人がいた空間の空気が逃げてゆき、沈没につながる可能性もあったということ?
2009-12-14 (1) 23:45:56 +0900
2009-12-13 (0) 03:17:47 +0900
「再同期に失敗しました。ファイルが著しく異なります」とのメッセージが出て、 思ったように比較してくれない。 つまり、前項の部分が挿入された、とはみなしてくれなかった。
挿入前のものを元に、再度やり直した。 少しずつ挿入していったのだが、これでは、 分割して挿入することでミスが起きる可能性もある。 困ったな。
2009-12-13 (0) 03:12:40 +0900
四隅の座標を与えると、左上から始めて
→→→→→↓ →→→→↓↓ ↑→→→↓↓ ↑↑←←←↓ ↑←←←←←の順で外側から長方形を書いてゆく関数を書きたい、と、 先日突然思いついた。きのう、ちょっと暇ができたので、書いてみた。
#include <stdio.h> #include <stdlib.h> #include <time.h> #define gotoxy(X, Y) printf("\033[%d;%dH", (X), (Y)) /* #define gotoxy(X, Y) printf("%d;%d\n", (X), (Y)) */ #define clear() printf("\033[2J"); void rectangle(int x1, int x2, int y1, int y2); void myputchar(int c); int count = 0; /* 何個の # が印字されたかを数えるためのカウンタ */ main() { int i, x1, x2, y1, y2; srand((unsigned)time(NULL)); x1 = rand() % 30 + 1; x2 = rand() % 30 + 1; y1 = rand() % 30 + 1; y2 = rand() % 30 + 1; clear(); gotoxy(31, 1); printf("[%d %d] * [%d %d]", x1, x2, y1, y2); rectangle(x1, x2, y1, y2); gotoxy(31, 20); printf("%d 個の # が印字されました.\n", count); gotoxy(32, 1); } void rectangle(int x1, int x2, int y1, int y2) { int x, y; if (x1 > x2 || y1 > y2) { return; } while (1) { for (y = y1; y <= y2; y++) { gotoxy(x1, y); myputchar('#'); } if (x1 < x2) { x1++; } else { return; } for (x = x1; x <= x2; x++) { gotoxy(x, y2); myputchar('#'); } if (y1 < y2) { y2--; } else { return; } for (y = y2; y >= y1; y--) { gotoxy(x2, y); myputchar('#'); } if (x1 < x2) { x2--; } else { return; } for (x = x2; x >= x1; x--) { gotoxy(x, y1); myputchar('#'); } if (y1 < y2) { y1++; } else { return; } } } void myputchar(int c) { int i, j; count++; putchar(c); putchar('\a'); fflush(stdout); for (i = 0; i < 10000; i++) { for (j = 0; j < 5000; j++) { ; } } }
putchar() でなく自作関数 myputchar() を呼んでいるのは、 空(から)ループを回るようにしないと速すぎてわからないのと、 一文字書くごとに putchar('\a') で音を出すことで、 同じ位置に重複して # を書いたら音だけして何も書かれないので間違いに気づく、 というためである。 それと、何回 myputchar() が呼ばれたかを最後に出力し、 長方形の縦×横と(暗算で)比べることができるように、である。
関数 rectangle() の中には同じようなことを四回書いているが、 一つにまとめるのとどちらがよいかは不明。 これから考える。
マクロ gotoxy(X, Y) の定義のうち、 コメントになっているほうは、カーソルを動かす先の座標を出力する。 書いている途中で利用したのをそのまま残しておいた。
2009-12-13 (0) 02:54:38 +0900
9日水曜日づけ大阪本社版社会面、 ニッポン人脈記は「漢字の森深く」の10回め。 「太宰はこの字を追った」とあるのだが、 私には、太宰治と「愛」という“語”のかかわりを書いているように見える。 「愛」という漢字には、「おしむ」の意味もあるが、そういう意味は登場しない。 だから、私には、「太宰はこの語を追った」のほうが適切に思えるのだ。
《一つの漢字に、たくさんの物語がやどっている。その森は深く、
人を魅了してやまない
》で締めくくられる、
このシリーズの最終回にもってきたかったのだろうか。
話は少々それるが、次の部分は意味がわからない。 太宰の娘、太田治子について書かれた部分である。
治子は、1枚の和紙を大切にしている。 自分が生まれた時、太宰が名前の1字を取って名づけ、したためてくれた。
〈この子は私の可愛い子で 父をいつでも誇つてすこやかに育つことを念じてゐる〉
この肉筆に見る愛の字は、柔らかく、かわいらしい。
太宰が名前の一字をとったというのは、誰の名前の、 どの字なのか? 広辞苑第六版によると太宰の本名は「津島修治」だそうで、 その「治」をとったのなら、「名前の1字を取って名づけ」と言えるだろうが、 「太宰治」の「治」なら、もともと一字なので、 「1字を取って名づけ」とは言えまい。 記事には、どこにも、太宰の本名は書かれていない。 この記事の前半から、その一字とは「愛」かな、とも思えるので、 ますますむずかしい。
《このシリーズは文を編集委員・白石明彦、
写真を八重樫信之が担当しました。文中敬称略
》とある。
付) このシリーズについては、さかのぼって、おいおい、 この「いろいろ」に書いてゆこうと思っている。
2009-12-13 (0) 02:16:48 +0900
9日水曜日づけ大阪本社版社会面「青鉛筆」。
《同社の通販利用者約3万7千人から聞いた
》とある。
《朝日新聞>人気の名前の調査はベネッセになり、約4万人を調べたらしい》
参照。
私の感想も同じ。
2009-12-13 (0) 02:10:22 +0900
12日金曜日づけ大阪本社版の、中ほどのテレビ面。
「記者レビュー」に、
《産科医たちの苦闘を描いた連続ドラマ「ギネ」
》が取り上げられており、
《しかも奈智は、めったに笑わず、同僚たちとの対話でも、
怜悧(れいり)・冷徹な態度だから、いわば「悪役」的人物だ
》
とある。
確かに「冷徹」は悪役の属性の一つであろうが、
「怜悧」は広辞苑第六版によれば
《かしこいこと。りこうなこと
》であり、
そういう態度“だから”といって『いわば「悪役」的人物』とされる属性ではない。
「怜悧」の「怜」が「冷」を連想させるところから、
熟語の意味を間違ってとらえているのではなかろうか。
《赤田康和
》と署名あり。
……とここまで書いて、「冷徹」も意味をいちおう辞書で確認したら、 これもまた、いい意味なのであって、 「冷たい」人物という意味はない。
まだまだ学ぶべきことは多い。
付)私が「怜悧」なる語を覚えたのは、 カント「道徳形而上学原論」の「怜悧の勧告」だったと思う。
2009-12-13 (0) 01:55:18 +0900
11日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版に、来年3月の来日公演の面があり、 そこにオーケストラ全体の写真が載っている。 左奥にコントラバスがいて、チェロは中ほどの左側。 ビオラとバイオリンの区別がつきにくいが、 左右の最も手前に第一・第二バイオリンを配置する、昔風のやり方なのかな?
2009-12-13 (0) 01:51:11 +0900
11日金曜日づけ国際面。 「期中考試」を qizhong kaoshi としているのはピンインのようであるが、 人名「蔡英文」を Tsai Ing-wen とするのはピンインではなかろう。 《朝日新聞>台湾の語をローマ字で書くときもピンインだっけ?》 と同じパターン。
2009-12-13 (0) 01:40:22 +0900
11日金曜日づけ。五年前、 《「創作四字熟語」って「ダジャレ四字熟語」じゃないのかな》 ですでに取り上げた。 私の感想は当時と全く同じ。
2009-12-13 (0) 01:38:22 +0900
高校のときの日本史の教科書を出してきて確かめた。
2009-12-13 (0) 01:35:16 +0900
そのほうが、いろいろなものの補給の経路が短いので、便利なのではないか。
2009-12-12 (6) 23:06:41 +0900
「天馬酔い」は天馬に乗って酔うこと。 「馬酔い」ということばはあるようなので、あってもおかしくあるまい。 「イヨマンテ」はアイヌの儀礼・祭りの名。
2009-12-12 (6) 23:01:54 +0900
天馬が酔って、と解釈することもできよう。
2009-12-20 (0) 00:42:27 +0900
シピンは、プロ野球「大洋ホエールズ」「読売ジャイアンツ」にいた選手の名。
2009-12-12 (6) 22:54:06 +0900
確かに、機敏なほうが万引きに適しているだろうが、 万引きは犯罪です。
2009-12-12 (6) 22:51:21 +0900
婦負は最近まであった郡の名。
2009-12-12 (6) 22:41:25 +0900
本文ナシ
2009-12-12 (6) 22:40:35 +0900
意味なし。
2009-12-12 (6) 22:38:36 +0900
日本式・訓令式でも、新日本式でも回文になる。 「尾道もの」と「もの」をぼかしておいた。 「者」と書けばそこの出身者の意味、 「物」と書けば、そこを舞台にした小説とか映画の意味になるであろう。
2009-12-12 (6) 22:33:42 +0900
学校での教師の間で、 「彼の学年には〜が多かった」という会話が出ることがある。 この場合の「学年」とは、その、多くの教員の記憶に残っているところの「彼」 と同じときに入学・進学してきた児童・生徒・学生たちを指す。
携帯電話版の広辞苑第六版には、「学年」のこの意味が載っていない。
《学校における1年の修学期間。
日本では現在4月に始まり翌年3月に終わる
》
と
《1年の学習を単位として進級する学校の修学段階
》
の二つの意味しか載っていないからである。
岩波国語辞典第三版では、一つめの意味はほぼ同じだが、二つめを
《一年間の修学期間を単位として、
教育内容の段階で区分した集団
》としているので、
これがタイトル行に引用した文章の「学年」の説明になっているだろう。
2009-12-12 (6) 22:19:15 +0900
職場の某センターは傾斜地に建てられているので、 東側の玄関は2階についている。 そこから出たところは、 1階から見ると中庭に当たる部分の上にかかった橋になっている。 閉庁日は建物にはいれないが、橋の上へは行ける。 手すりにひもをかけ、首を通してから飛び降りると、 うまくゆけば首つり自殺ができる。 しかし、もしもひもが切れると、 次にセンターが開く日まで、中庭から出ることができず、 みっともない思いをするだろうな。
2009-12-12 (6) 22:06:38 +0900
…一度出てきたような記憶が。
「ありをりはべりいまそかり」はラ変の動詞の覚え方。 岩波古語辞典は「いまそかり」ではなく「いまそがり」としている。
2009-12-12 (6) 21:32:49 +0900
そうでなく、途中で自爆するようになっていたら、 オビ=ワンは無駄に命を落としたことになろう。
2009-12-12 (6) 21:26:58 +0900
アリーナのシーンの中で、 ウィンドゥが落としたライトセーバーをジャンゴ・フェットが奪おうとするところがある。 そこを怪物に踏まれて背中のジェットパックを破壊され、 逃げる方法を失ってウィンドゥに倒されるわけだが、 あそこは、そうではなく、ジャンゴは銃でウィンドゥを撃つべきだった、 そうすれば、剣を持っていないウィンドゥには防ぎようがなかったはずだから、 という説を読んだことがある。
しかし、その場合、ウィンドゥは弾をかわしたのではあるまいか。 剣で撃ち返すだけの反射神経があれば、かわすこともできるような気がする。
2009-12-12 (6) 21:06:06 +0900
オビ=ワンの霊体のほうがもっと色が濃かったと思うが。
2009-12-12 (6) 20:57:45 +0900
前項に書いた会議の中で。 いままで、ヨーダの表情には気づいていなかった。 オビ=ワンとウィンドゥに気をとられて。
2009-12-12 (6) 20:52:49 +0900
アナキンをジェダイ評議会のメンバーとして認めるが、 マスターにはしないとウィンドゥが告げる会議。 ウィンドゥにうながされ席につくアナキンの背後で、 オビ=ワンが頭を左右に二三回振る。 この動作は、強いフォースをもつアナキンからは見えたはずだ。
2009-12-12 (6) 20:46:44 +0900
分解写真とは、昔、ビデオのスローモーション再生ができる前、 大相撲のテレビ中継などで行なわれていた、 短い時間間隔で撮影された何枚もの静止画を、 実際よりも長い間隔で見せるものである。
うちのパソコンの DVD 再生ソフトにその機能があるわけではない。 だが、スペースバーで一時停止させ、すばやくスペースバーを二度たたくと、 その間の分だけ映画は進む。 それをくり返すと、分解写真に似たものになる。
そうやって見ると、オビ=ワンは、 宙返りして自分の上を飛び越えようとするアナキンの剣をかがんでよけたあと、 アナキンの左手、左足、右足の順で切っていることがわかる。
2009-12-12 (6) 20:35:29 +0900
「It's over, Anakin. I have the high ground.」は、 決してアナキンを挑発して言ったわけではないと思う。 が、結果として、アナキンを挑発し、あの結果になる。
挑発は、ドゥークーがオビ=ワンに対し II の最後のライトセーバー戦で使った戦法だった。 脚本では、 III 冒頭の議長救出の際のライトセーバー戦でもドゥークーはオビ=ワンを挑発する。 (映画では省略されている。)
2009-12-12 (6) 20:19:00 +0900
日本の多くの大学で、合格のうちの最低の成績は「C」か「可」だと思う。 最高の成績をとるにはうんと勉強すればよいのに対し、 「C」や「可」をとるには加減がむずかしいだろう、という話を、 とあるブログで見た。
答案に「合格だったら『C』にしてください」 と書いておくとその通りにしてくれる先生なら、それほどむずかしくなかろう。
そういうことを書いてきた答案は本人の希望に最も反する点をつけてやる、 と言っていた先生もいたっけな。
本試験で合格にならなかったものに対し再試験を課すことがあるが、 再試験ではどんなによい成績でも合格のうちの最低の成績にする、 と決めている大学・教員もあるようだ。 それなら、本試験で零点を、再試験で満点をとればよい。
2009-12-12 (6) 20:11:03 +0900
「パーティーション」になるんだろうか。 なる気もするし、ならない気もする。 小書きの「ィ」を長音符の意味にも受け取ってしまうのは語末に限られる、 かもしれないからな。
2009-12-12 (6) 20:01:56 +0900
エクスプローラーで Alt+F を押すと出るメニューに 「プログラムから開く(H)」「共有(H)...」とあり、 どちらも H だ。 H を複数回押すと、押すたびに両者が交互に選択される。 (決めて、Enter を押すと先に進む。)
2009-12-12 (6) 19:17:41 +0900
2009-12-11 (5) 01:14:56 +0900
英語では、 「stop to do と stop doing の違いは」などと、do を動詞の代表として使う。 「する」に当たるのはフランス語なら faire だろうが、 それを使った説明は聞いた記憶がない。 たとえば、いま放送中の 「まいにちフランス語」の先生は、 「ça vaut la peine de プラス不定詞」のように言われる。 (これは昨日木曜日の放送から聞きとったもの。)
2009-12-11 (5) 00:49:53 +0900
「きよぶた」は最近できた言い方で、 「清水(きよみず)の舞台から飛び降りたつもりで」の略。 「あたぼう」は「当たり前」と「べらぼう」を合わせて縮めたことばで、 これはかなり古くからある。 (「当たり前だ、べらぼうめ」の略だという人もいる)
2009-12-10 (4) 23:58:43 +0900
「推理小説」が「数理小説」に聞こえる。 (そういうのがあったらおもしろいのだが。 数学用語をちりばめただけのものなら存在する。)
意味の確認。 「qu'on me dise ce qu'on en pense」について、 「直訳すると『人が、それについて、どう思うかを私に言う』」と説明されたが、 ce qu'on en pense の ce que は「ところのもの」じゃないのかな? 『人が、 それについて、思うところのものを私に言う」が直訳のような気がする。
文法チェック。 「カムフラージュ」を「ム」にアクセントを置いて発音された。 三省堂「明解日本語アクセント辞典第二版」では、 「ラ」までが高い発音のみを載せている。 (「たたみおもて」と同じアクセント。)
きょうのテーマ、条件法現在形とは無関係だが、 「駅への道」は「le chemin de la gare」と言うのか。 à la gare じゃないんだ。
表現練習。 tranquille の最後の音は [l] だったのか。知らなかった。 fille, famille などとごっちゃにしていた。
2009-12-10 (4) 23:57:39 +0900
ストリーミングでまた聞いた。
assez facile を「けっこう簡単」と訳しておられる。意外と今風だな。
「j'aimerais bien ... qu'on lise ... et qu'on me dise ....」について、 「『que + 文』が二つありますね。 二つめの文の最初にも que がついていることに注意しましょう」 とおっしゃっておられるが、 que は「文」に含まれないの? 含まれるの? たぶん含まれないのであって、 「二つめの文の最初にも」の「最初」は「前」の意味だと思われる。
(C言語で、 printf("hello, world\n"); の最後のセミコロンはこの文に含まれるのですか、 それともこの文の後に付いているのですか、という問題があるのと似ている。)
文法チェック。 「富士山が見えるのですが」が、「見れるのですが」と聞こえなくもないが、 先生がこの言い方をなさるとは絶対に思えない。
表現練習。「ペンギン」を鼻濁音化せずに発音しておられるようだ。
「Je ne me contente plus ...」の contente は動詞の活用形であって、 形容詞 content の女性形ではない。が、どうもそう思えてしまう。
2009-12-20 (0) 01:21:00 +0900
「ラファエル」を「ファ」にアクセントを置いて発音しておられる。 ディアローグを聞く前。
「表現練習」の ce qu'on me dit について、 「『言われたこと』は『人が私に言うこと』と表現します」 と説明された。上に書いた 「qu'on me dise ce qu'on en pense」に関連。
2011-06-26 (0) 23:24:44 +0900
……にぎられているという設定か。 I でアナキンが渡した。
前項を書くために見た、台本に目を通してから DVD を見てみると。 映画だけ見てそれを理解せよというのは無理があると思う。
2009-12-10 (4) 23:33:58 +0900
オビ=ワンのせりふ。冒頭の議長救出作戦の中。
2009-12-10 (4) 23:06:23 +0900
先日、香林坊大和6階の展覧会、と称した即売会に寄った。 そこで見せて、いや、売っているものに興味はなかったが、 まん中に置かれた生け花がみごとだったからだ。 面積にして二畳分ぐらい、高さは2メートルぐらいあったと思う。 下のほうでは、ユリの花が馥郁たる香りを放っていた。
周りに、直径10センチメートルぐらいの枯れ枝、というか、 木の幹の周りをはいだものが置かれていた。 そのうちの一つが、trefoil 結び目の一箇所を切って伸ばしたような形をしていた。 自然の植物が、そのような形になるとは思いにくい。 若いうちにそのような形にし、太くなってから切って使ったのだろうか。
付) 「trefoil 結び目の一か所を切って伸ばしたような」、 というのは、コードなどにできる、最もシンプルは結び目のことである。
2009-12-10 (4) 22:59:15 +0900
英語なら、関係代名詞と前置詞を使い、with which we clean ... となるような気がする。道具が「掃除をする」の主語ではないから、 which cleans ... はおかしいと思う。
前にどこかに書いた、「それ」と「ところの」を使って外国語の直訳風にするなら、 「これは、それを用いて掃除をするところの道具です」、ぐらいになるか。 (「それを用いて」が英語なら with which になる。)
2009-12-10 (4) 20:14:48 +0900
自殺の方法についてネットで調べようとしたら、 「どんな方法で自殺しても、死ぬときは苦しむ。 遺体が苦しそうな表情をしていなかったからといって、 苦しくなかったとは言えない」 というような内容の文言を見た。 それは、その通りだろう。 ゲームに出てくる、相手を石化させる呪文があるが、 脳と神経だけを残して、その他の器官をすべて石化させたら、 窒息し、脳はその苦しみを感じるだろうと思う。 逆に、遺体が苦しそうな表情をしていても、 意識を失ったあと、あるいは死んだあとで、 勝手に顔の筋肉が動いてそうなったのなら、 本人は苦しくはあるまい。
それはともかく。 その主張は正しいかもしれないが、 では、いつか必ずやってくる、病死・事故死と比べたら、どちらが苦しいのか。 「眠るがごとき大往生」の可能性があるから、自殺は避けるべきか。 しかし、これだけ自殺者がいるのだから、 「眠るがごとく」自殺できる方法が開発されてもいいはずだよなあ。 もちろん、周りの人に迷惑をかけずに、という条件もつく。
2009-12-10 (4) 19:57:10 +0900
もしも手袋をしたまま電撃を出したら、手袋が焦げるだろう。 だから不可能なのだ。
では、なぜ手袋をしているかというと、 「義手だから」 「素手だと電撃が出ると観客が期待するから」 などいくつか理由が考えられるが。
2009-12-09 (3) 20:53:02 +0900
「ヘルプ」「バージョン情報」とすると「2007」「SP2」とか出るけど、 細かいことはわからない。
2009-12-09 (3) 20:11:45 +0900
フランス語の corps, ドイツ語の Körper を知っていれば、 英語に訳すとき field としたことに驚くべきなのだが。
ロシア語の поле は英語の field と似た意味なのかな?
2009-12-09 (3) 19:59:26 +0900
まだまだ学ぶべきことは多い。
2009-12-09 (3) 00:12:17 +0900
…だろう。最後のあのシーンで。 あそこであの大逆転劇ができるためには、 ダース・モールは手から電撃を出せてはいけないのだ。
演じたのが(いわゆる)スタントマンであり、 両刃のライトセーバーを使った剣術がみごとだったため、 電撃を出さなくても十分見ごたえのあるキャラクタだった、という見方もできよう。 (役者以外が演じたためか、 ドラマに関係してくる部分はほとんどなかったが。)
2009-12-09 (3) 00:10:20 +0900
ビオラを習っていた先生から聞いたことと私が考えたことを合わせて得た結論は、 左利きの人は、右利き用にできているものが多いため、 右手も使わざるを得ないので、両手利きに近くなる。 それが楽器演奏に有利なのだ。 右に矯正されかかったため、右がある程度使えるようになった、 という人も多いと思う。
中には、中途半端に矯正された結果、片手だけで全てをこなすことができず、 何だったか忘れたが、あるスポーツの正式な試合には出られない、 と新聞か雑誌の投稿欄で嘆いていた人の存在も記憶しているが。
2009-12-08 (2) 21:02:57 +0900
原則として二週、すなわち六回で一つの課をなしているが、 その第一回から第四回には、Daily Quiz という練習問題がある。 まず問題文をネイティブのアシスタントが読む。 次に先生の読みあげた語句で問題文のどこかを置き換えた答えを、 視聴者が言うはずのポーズが、 八月までは短すぎて、言い終える前に、 その次にネイティブが読む正解が始まってしまうのだった。
この番組は、録音し、かなり遅れて聞いていたが、九月上旬まできた。 ようやく、三カ月遅れまで追いついた、ということだ。
2009-12-08 (2) 20:55:35 +0900
皇帝の電撃で生命維持装置を破壊されたため死ぬという設定だが、 III では、あんな簡単なメディカルカプセルで、しばらくの間、 命を保つことができた。 新デス・スターの中には、あの程度のメディカルカプセルすら置いてなかった?
2009-12-08 (2) 20:36:50 +0900