2009-06-15 (1) 01:44:57 +0900
Windows にはいっているゲームソフトのドット絵をそのまま利用してもいいのだろうか?
2009-06-15 (1) 01:32:09 +0900
いままで気がついていなかった。 複数のカードを扇形に開いて持ったとき、 ランク(数)は完全に見えてもスートは少し隠れる、という場合があるだろう。 そういうときのことを考えると、左右対称なら半分見えていればいいわけだから、 そうなったのではないか、と私は想像してみた。
コンピューター上で、スートを描くとき、 ドット数が足りなくてむずかしい場合がある。 そういう時は、半分だけを描いて済ませる方法もあるのではあるまいか。
2009-06-15 (1) 01:25:07 +0900
3月14日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版「声」に、 少し前に載ったのと同種の経験をした、という投書が載った。 自動車を降りねば足せない用事があり、 降りてそれをしている間を駐車違反とされ、反則切符を切られた、 という経験である。
これからわかることは、現行の法律では、 運転者が自動車を離れて何かを行なった場合、 その間が駐車違反にとられることがある、ということだ。 それがわかっていれば、運転者自身は、自動車を離れて何かをしようとしないことだ。 運転者のほかにそのことをする人を乗せて行く、 ということしかないのではあるまいか。 普通の自動車には助手席という名前の席もあることだし。
2009-06-15 (1) 01:11:54 +0900
3月14日土曜日づけ大阪本社版生活面の訂正記事。
《「作り方」にある材料の
「重曹小さじ2分の15、6センチのさびたクギ」
とあるのは
「重曹小さじ2ぶんの1、5〜6センチのさびたクギ」
の誤りでした
》。
数字がつながってしまったんですな。
2009-06-15 (1) 01:07:26 +0900
3月14日土曜日づけ大阪本社版の「ホンネ de シネマ」。
とりあげた映画は「ワルキューレ」。
《映画評論家のミルクマン斉藤さん
》が
《自宅で子供たちがワーグナー作曲「ワルキューレの騎行」のレコードをかけて、
騎士のまねをして遊んでいる場面ですね
》と発言しているが、
作中では、男たちは馬に乗って戦わない。
馬に乗るのはワルキューレたちだが、彼女たちは戦うのが本職ではないので、
騎士といえるだろうか? (ヴォータンは馬に乗って現われるが、
騎士とは呼べないし、「騎行」には登場しない。)
2009-06-15 (1) 00:59:21 +0900
3月14日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の e2 面。 e1 面「うたの旅人」の続きである。今回の歌は「フランシーヌの場合」。
写真に、《カフェで口づけを交わすカップル
》とあるが、
二人の顔の角度からして、口づけではなく bise のような気がする。
2009-06-15 (1) 00:53:55 +0900
3月14日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b3 面、 莫邦富(モーバンフ)氏のコラム「mo@china」は「一見扱いの商売 見直す時」。 その後半。
問題もそれなりに見えてきた。 24年前に私が京都に留学していた頃、 京都には一見さんお断りという「伝統」があるのを知った。 4分の1世紀近くの歳月が流れた今でも、 その「伝統」は依然として生き残っているようだ。
嵐山の和菓子屋でクレジットカードの使用を断られた。 関西と中部を結ぶ近鉄の京都駅で乗車券を買おうとしたが、 クレジットカードは使えないといわれた。
2年前の箱根での経験を思い出した。 お土産品店でクレジットカードの使用を断られた。 なぜ観光客の利便性を考えてクレジットカードの使用に踏み切らないのか確かめると、 店の女主人は言い放った。 「一度しか来ない客に誰がそんなサービスを提供するのか」
京都をかばう気はないが、 一見さんはお断りというサービスの病にかかっている業界や地方がかなりあるのではないかと思う。
これを読むと、「一見さん」を知らない人は、 それを一度しか来ない客のことだと誤読しないだろうか? クレジットカードが利用できるかどうかも、「一見さん」とは直接関係しない、 と思う。 「と思う」と書いたのは、一見さんお断りの店にはいったことがないからだ。
2009-06-15 (1) 00:39:27 +0900
新明解国語辞典第五版によると、 マイナスの批評をすると悪口を言ったことになるようだ。 ちょっと違うような気がするのだが。
2009-06-14 (0) 20:35:24 +0900
さっき気がついた。
2009-06-14 (0) 20:33:26 +0900
学生実習用に、 画面制御エスケープシーケンスを使ったプログラムを書いていた。 画面に出るのは、ちょっとした絵である。 その絵は、Windows の「ペイント」で、800% に拡大しながら作成し、 それを見ながら、手作業でテキストファイルにした。 そして、それをプログラムに取り込んだのだが、 実際に動かしてみてから、絵の一部が気に入らず、 直したくなった。 幸いなことに、そのとき、Ctrl+[, すなわち十六進の 1B をまだ \033 で置き換えていなかった。 そこで、そのままその部分をコピーしたファイルを作り、 type コマンドで画面に出力しては手作業で修正、をくり返すことで、変更ができた。
例で示そう。 フランス共和国の国旗のような絵を出力するには、 正しくは
printf("\033[44m \033[47m \033[41m \033[m");とあるべきだろうが、
printf("^[[44m ^[[47m ^[[41m ^[[m");となっていても、コンパイラは通してくれる。 (このページ上では ^[ は二文字だが、 実際は Ctrl+[ を表しているので一文字である。)
うっかり後者のようになっていたからこそ type コマンドで画面に出力すれば色がついたのであるが、 最後に、忘れずに \033 になおしておかねばならない。
2009-06-14 (0) 19:47:05 +0900
職場の学生実習用コンピュータは、Windows と linux とでホームが共通である。 テキストファイルは、この二つの OS の間で、改行コードと、 デフォルトの(いわゆる)日本語コードが異なる。
授業で使う(いわゆる)ホームページは、研究室の Windows マシンで作り、 ftp で実習用コンピュータへ送る。 実習は linux 上で行なうが、 私が(いわゆる)ホームページを配布プリント用に印刷したりするのは Windows からだ。 いろいろ試した結果、便利さの点から、 binary で転送し、(いわゆる)日本語コードは shift JIS のままにしておくようにしている。 (学生が実習時に(いわゆる)ホームページを見る際は、 ブラウザが改行コードも(いわゆる)日本語コードも変換してくれるので、 何ら問題がない。)
先日、急いで帰ろうとしていたときのことだ。 間違って binary にせずに、C言語のソースファイルを get してしまった。 よって、このとき、改行コードに十六進の 0D が余計についてしまった。 これを家に持ち帰り、shift JIS に直して、一部を家で書き直したのだが、 そのとき使ったソフトウェアはこの余分の 0D を無視してくれたので、 そのことをすっかり忘れていた。 翌日、そのファイルをもって職場に行って、マージする段階になり、 改行コードのおかしいものと正しいもの、 (いわゆる)日本語コードが shift JIS のものと EUC のもの、 四つができて大混乱になってしまった。
教訓:間違いに気づいたら、すぐに直してから次の作業に進むべきである。
2009-06-14 (0) 19:29:31 +0900
2009-06-14 (0) 02:36:49 +0900
本文ナシ
2009-06-14 (0) 02:35:44 +0900
「相手は勝ったことのないチームですから」というのは、 私の記憶では、1980 年の日本シリーズでプロ野球広島東洋カープの古葉竹識監督が、 日本一に“王手”をかけた試合後のインタビューで、 西本幸雄監督ひきいる近鉄バファローズについて、 前年の日本シリーズでの結果 (4勝3敗で広島が日本一、その最終戦9回裏があの「江夏の21球」) をふまえて言ったことばなのだが、 調べてもみつからなかった。違っていたらごめんなさい。 それはおいておいて。
この場合の「勝った」は「日本一になった」の意味であるが、 相手チームと自分のチームの間の勝ち負けだとして、 「相手はまだ勝ったことのないチームである」の意味を考えてみよう。 主文「相手はチームである」の意味は明らかだが、 副文は、 「まだうちのチームに勝ったことがない」とも、 「まだうちのチームが勝ったことがない」ともとれるのだ。
英語などなら関係代名詞がでてきて、どちらだかはっきりするのだが。
2009-06-14 (0) 00:13:55 +0900
金沢の百貨店、香林坊大和の婦人服の階の、上りエスカレーターを降りたところで、 Kônig... とあるのが目にはいってきたので、よく見たら、 Königin と書いて「クーニギン」と読ませるブランド(?)の紹介だった。
ö を「ウー」と読ませるのか。 「グーテとは俺のことかとゲーテ言い」なんて誰か言っていそうだな。
2009-06-14 (0) 00:06:20 +0900
中へはいったら、いままでどおり、日本語のメニューもあった。 聞いてみたら、中国からの観光客が増えたので用意したのだそうだ。 でも、一瞬、中国風のお店に変わってしまったのかとあせった。
そういう場合、日本語で「中国語メニュー」と書いておいてもらえると、 日本人が安心できると思う。
2009-06-14 (0) 00:00:14 +0900
後期は第12番から第16番までの5曲で、そのうち 短調なのは嬰ハ短調の第14番とイ短調の第15番だけだが、 再終楽章はいずれも第一楽章と同じ嬰ハ短調とイ短調。しかし、 最後は嬰ハ長調とイ長調で終わるのだった。
2009-06-13 (6) 23:56:40 +0900
《Uni Power Tank 搭載の「Players」を三色そろえた》 で、Wizardry #4 の三本の剣にたとえたボールペンが、 香林坊大和6階の文具売り場で、一本 100 円(税抜き)で安売りされていた。 そこで、前には入手しなかった、四色目の黒を含めて五本購入。 そうしたら、Wiz #4 の四本めの剣は Kris of Truth だったのを思い出した。
2009-06-13 (6) 22:45:19 +0900
熟語が組み合わさった熟語をつめるときは、 それぞれの熟語の一文字目を選んでくっつけるのが普通である。 電子式卓上計算機(?)が電卓になったように。 「携帯〜」で始まる熟語のうち、 携帯電話だけがずば抜けて使用頻度が高いためだろうな。
2009-06-13 (6) 22:17:29 +0900
先日、金沢を流れる大きな川の一つ、浅野川べりを歩いていたときのこと。 反対側の岸で、携帯電話で話している人の声が、はっきり聞こえたのだ。 その人から見ると、前は川で、人はその向こう側までいない。 少しぐらい大きな声を出しても大丈夫、と思うのかもしれないが、 川の上はさえぎるものがないので、案外、声が通るようである。
2009-06-13 (6) 22:10:15 +0900
オビ=ワン、アナキン、人質だったパルパティーン議長、 それに R2-D2 は捕縛され、グリーバスの元へ連れてこられるが、 その間に、グリーバスが誰かにドゥークーの遺体を回収に行かせることは可能だ。 仮にそうしていたとしても、彼は自分一人でポッドで脱出してしまったわけだが。
2009-06-13 (6) 01:45:44 +0900
…の答えが返ってきたので、少し考えてしまった。
くわしく書くと、透明な自動ドアのこちら側、 建物の中から私がそのドアに近づき、 向こう側、外から学生が近づいてきた。 知らない学生である。 私のほうが、少し早くドアに達するようだったのが、学生にも見えたのであろう、 彼は少しスピードを落として、私が先にドアを通れるようにしてくれた。 そのことに対し、「お先に」と礼を言ったつもりだったのだが、 彼には、私が家に帰るところに見えたのであろう。そして、 「お先に」を「お先に帰ります」と解釈したのだと思う。
なんら実害のない誤解だったが、今度からは 「先に通してくれてありがとう」のようにはっきり言おうと思う。
2009-06-13 (6) 01:42:40 +0900
《五種類の動物間に、どれもが二勝二敗になるよう決める方法は本質的に一通り》 を書き、 《「五すくみ」の、なんの根拠もない候補》 の追記部分で、それが「五すくみ」になっていない、と書いた。
そこの議論に間違いはないと思う。 ただし、「五すくみ」の定義によっては、 「五すくみ」になっているとも思えることに気がついた。
まず、以下の表を再掲する。
A | B | C | D | E | |
---|---|---|---|---|---|
A | ○ | ○ | ● | ● | |
B | ● | ○ | ○ | ● | |
C | ● | ● | ○ | ○ | |
D | ○ | ● | ● | ○ | |
E | ○ | ○ | ● | ● |
前には、AがBを食うとして議論を始めた。 そうではなく、AがCを食ったとしてみよう。 残る四匹の関係はこうなる。
E――――→A ↑\ ▽| | \ / | | × | | / \ | |/ △↓ D←――――Bここで、DもEも、Aを食うことができる。 食ったあと、三すくみになるからだ。
ここで、「五すくみ」のルールについて疑問が生じる。 AはBとCとを区別できるのか? 動物の種類が違うから、区別はできるだろう。 だが、どちらがBでどちらがCか、わかるのだろうか? 別の言い方をすれば、 自分以外の二者の間で、どちらがどちらを食うか、わかるのだろうか?
これは、わかるとも、わからないとも考えられる。 AからEまでが動物たちであって、ふだん、 どれがどれを食うかを見てわかっているなら、わかるであろう。
そうではなく、AからEまでが、 たとえば、別々の牢獄に入れられている五人の囚人だとしよう。 おのおのの牢には二つのボタンがついている。 それらは自分以外の二名の牢につながっており、押せば相手は死ぬ、 と知らされている。 しかし、あとの二名の牢には、自分を殺すことのできるボタンがついている。 このことは、五人全員が知っている。 また、だれかが死ねば、そのことは生存者全員に知らされる。 しかし、五人の間で情報を伝達することは許されていない。 彼らに与えられる食糧はトータルで決まっており、 かなり不足している状態であるとする。 だから、もしも“うまく”何人かを殺すことができれば、 自分に回ってくる食糧が増えて好都合である。 しかし、このときには、自分が殺せる二人のうち、どちらがBに当たり、 どちらがCに当たるのかは、わからないわけだ。
この状態では、「五すくみ」の状態が発生する。 そのことを確認するには、AがCを食ったあと、 DやEが安心してAを食えることを見なければならない。 つまり、三匹が残った場合を論じなければならない。
Xからみて、Yは食うことができる、Zには食われる、とわかっているとする。 もしもYがZを食うなら、いわゆる「三すくみ」である。 このときは、XはYを食ってはいけない。 もしもZがYを食うなら、放っておいても二人ともZに食われる。 よって、どちらにせよ、XはYを食うわけにはゆかない。 このことは、三匹の場合、 自分以外の二匹が、どちらがどちらを食うかを知らなくても、 「三すくみ」が成立することを示している。
よって、上の五人の囚人は、「五すくみ」になっている。
付) この話は、元は 《N すくみのじゃんけん(N 通りの手を出せるじゃんけん)について》 から始まった。 しかし、本項で述べたことは N 通りの手を出せるじゃんけんとは関係ない。 その場合には、どれがどれに勝つか、全員が知ってから始めるからである。
2009-06-13 (6) 00:26:28 +0900
最初にCを食ったのがAだということがほかの三匹にわかるのか、 途中まで、誰が誰を食うのかわかっているものとして議論しているが大丈夫か、 という問題があるのだった。また後日、論ずることにする。
2009-06-14 (0) 02:32:28 +0900
2009-06-11 (4) 02:03:17 +0900
学生に、いままで習ったC言語の知識だけでもこのくらいのものは書けるよ、 ということで書いてみせた一人遊びのポーカーのプログラム。 ドラゴンクエスト IV から VI のカジノのポーカーゲームを元にしている。
先日、授業の前の日に、 それをバナー風に大きな文字でスートやランクを表示するよう改造しようと思い立ち、 それまで少しだけ書いていた
### ### # ## # ## ## # ## # ## ### ###みたいなのを必要なすべてのランク・スートについて作り足し、 それから、
gotoxy(x, y); printf("### ###"); gotoxy(x+1, y); printf(" # ## "); gotoxy(x+2, y); printf(" # ## "); gotoxy(x+3, y); printf(" ## "); gotoxy(x+4, y); printf(" # ## "); gotoxy(x+5, y); printf(" # ## "); gotoxy(x+6, y); printf("### ###");のように、似たような文句で囲む作業をした。 これが、疲れて、肩が痛くなった。
あとから思えば、まず一つ、 この要領で「すべてがスペースで埋まっている」ものを出力するコードを書き、 それをコピーし、そこに # を書いて文字にしてゆけば、ずっと楽だった。
付) 文字列そのものは教えていないので、
"### ###", " # ## ", " # ## ", " ## ", " # ## ", " # ## ", "### ###"のように文字列の配列とするわけにはゆかない。
付) スートごとに違う色で表示されるようにしたら、実際にプレイしてみると、 スートは表示されていてもほとんど見ないとわかった。 スートは無駄だったかも。
2009-06-11 (4) 00:15:27 +0900
中学生のころ、エアチェックして聞いたような記憶がある。 それと、人からもらった、「音楽現代」の 1973 年6月号別冊付録のスコアがある。
第一楽章の冒頭が 「暮れかかる / 秋の日に / ******てて / 走って行く」 と聞こえるのだが、これはいくつかの音符を無視している。
2009-06-11 (4) 00:06:42 +0900
重祚した場合も、墓は一つしか作らない(ようだ)。
2009-06-11 (4) 00:01:05 +0900
お茶を飲みながら作業しようと、 日本茶をいれた茶わんを持ってきて、 床に放置してあるものを越えようとしたはずみに ドアにぶつかり、茶がこぼれた。 こぼれたところが、なぜかビニール袋が一番上に置いてある山だったので、 実質的被害は 2006 年の春に東京大学駒場博物館で見た 「トーラーの成立からユダヤ教へ」のチラシだけで済んだ。 しかも、端のごく一部がぬれたのみ。 (今もやっている「矢内原忠雄と教養学部」 のチラシはすでに大切にファイルに入れてあったので無事。)
入り口付近に買い物袋を置いていたら、出入りの際に踏んだ。 ペンケースがはいっていたが、ペンは無事だった。
21時45分からのNHK「ラジオ英会話」の冒頭を聞きそこなう。 これは今度の日曜日に再放送を聞くとしよう。
朝食のパンを食べていて、 手がすべってパンとそれにつけていたジャムが床に落ちた。 まだ寝ぼけていたか。
2009-06-10 (3) 23:37:16 +0900
JR金沢駅から乗った場合、 兼六園下というバス停があるのでついそこまで行ってしまうが、 その一つ手前の広坂で降りたほうが兼六園に近いし、 信号機のある交差点を二つ越えなくていい分だけ、早いのだが、 運転手がそう案内するのは、初めて聞いた。
2009-06-10 (3) 23:34:35 +0900
本文ナシ
2009-06-10 (3) 23:33:46 +0900
「弱」はまだ同音の漢字が少ない。
2009-06-10 (3) 23:31:12 +0900
複数の教科書を見てみたが、f'(x), y', dy/dx, (d/dx)f(x) の四通りが載っている。 (あとの二つは、 スラッシュではなく高等学校までの分数のように書かれているので
dy d -- --f(x) dx dxのような感じ。)
数学 III では、高階の導関数も習うため、いろいろな記号が必要になろうが、 数学 II では一つに統一したほうが、教えやすいのではなかろうか。 その場合、f'(x) が一番使いやすいような気がする。
2009-06-10 (3) 23:05:56 +0900
けさ未明。
2009-06-10 (3) 23:03:54 +0900
きょうの「ラジオ英会話」に後者が出てきたのだが、前者と聞き違えてしまった。 同じ「食」に関する語だけに、誤解される可能性が高いのでは。
2009-06-10 (3) 22:53:36 +0900
本文ナシ
2009-06-10 (3) 22:52:07 +0900
本文ナシ
2009-06-10 (3) 22:42:20 +0900
本文ナシ
2009-06-10 (3) 22:40:32 +0900
何かをよく語るカルタを書く、と言っているのである。
2009-06-10 (3) 22:39:23 +0900
二階堂に、凍土について尋ねているのである。
2009-06-10 (3) 22:37:32 +0900
斎藤に、問いのことだけどさ、と呼びかけているのである。
2009-06-10 (3) 22:36:45 +0900
私はきき腕でない左手でもある程度文字を書くことができるが、 その場合は、先の丸くなった鉛筆ではだめである。 きき腕であれば、前項に書いたように、先の丸くなった鉛筆でも、 紙に当たる位置を調節することで、細い線が書ける。
小学校一年生で初めて文字を書くときは鉛筆を使うのが日本では常識だろうが、 それには、鉛筆の先を鋭く尖らせておかなければならない、と思う。 それは、 《エンピツをエンピツ削りで削ると芯のごく一部しか使えない》 にも書いたように、かなり芯を無駄にしているのである。
何か、ほかの、適切な筆記具はないものだろうか。 私が左手で書くときはボールペンを使うが、ボールペンは、 小さい子の場合、服などにインクをつけてしまうと落ちないという欠点がある。 確か、クレヨンに、水で洗うと落ちるのがあったから、 そういうインクのボールペンがあればいいかも。
2009-06-10 (3) 21:33:07 +0900
いつか書こうと思っていたが、前項を書いたので、この機会に。
先学期から再び数学の講義をもたせてもらえることになり、 鉛筆でノートを作って、それを持っていって授業を行なっている。 ノートは、罫線と罫線の間隔が 7mm の、普通罫と呼ばれているもの、 鉛筆は、Faber-Castell の 3B である。 2B までと比べ、3B からは芯が太くなる。 同じ値段で芯が太いから、たくさん書けてお得なはずであるが、 削る際に芯まで削って先を尖らせると、 実際に書くのに使える芯の量は 2B までのと変わらなくなってしまう。 そこで、いったん削ったあと、 どこまで、削らないで書けるか、試してみた。
小学生のころは、先がとがっていないと太く書けてしまいそうで不安だったが、 やってみると、先が丸くなってもかなり細く書ける。 芯が木の先から半球状に出ているだけぐらいになっても、 まだじゅうぶん、細く書けるのである。 ただし、それには、 鉛筆を手の中で適宜回転させ、紙との角度を微妙にコントロールし、 常に芯の角(かど)が紙面に接するようにしなければならない。 それが、きき腕の場合は、結構、うまくゆくのである。
いまは手で鉛筆を回して削る携帯式の削り器で削っているが、 私は決して芯をとがらそうとはしない。 回りの木がむけて、芯がそれなりに露出すればよし、とする。 こうやってゆけば、芯をほとんどまるまる使うことができるはずである。
(ナイフを使って、回りの木だけを削る技術がある人は、 そうするのがよい。そうすれば、芯がまったく無駄にならないからだ。 私は、練習してみたけれど、どうしても芯まで刃がえぐってしまう。)
付) 前項の実験の際、 電気鉛筆削り機から鉛筆を抜き出した瞬間、 こんなに細く削ってしまうのか、と驚いた。 私は長い間、そのように細長く鉛筆を削ったことがなかったのである。
2009-06-10 (3) 20:45:20 +0900
6月8日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版「声」の、進藤法子さんの
「効用考え鉛筆削りはナイフ」という投書を読んだ。
ナイフで削っているこの方のお子さんのほうが、
級友と比べて鉛筆の減りが遅いので、
勉強していないのではと心配したが、
《しかし、よく考えてみると鉛筆削り機だと必要以上に削ってしまうんです。
学校では毎日削って下さいと言われるので、余計に減るのが早いんでしょう
》。
この点は、いままで考えたことがなかったので、実験してみた。 自宅には、携帯用の、手で鉛筆を回す削り器しかおいていないので、 職場の電気鉛筆削り機を使った。 ちょうど、先がかなり丸くなるまで使っている鉛筆があったので、 まずその全長を測り、次に、電気鉛筆削り機で、自動的に止まるまで削り、 それから再度、全長を測った。 結果は、ほとんど変わっていなかった。
つまり、電気鉛筆削り機は、鉛筆の先をその機種固有の頂角をもった円錐形に削るが、 その際、鉛筆の中心部を削ってしまうことはない。 携帯用の、手で鉛筆を回す削り器では、 力を入れて回し続ければ、鉛筆はいくらでも削れる。 つまり、先が尖っても、まだ削れる。 (これは、いま、もったいないと思いつつ、試してみた。)
投書者の「必要以上に削ってしまう」を、 後者のようなことが起こっていると解釈すると、正しくないことになろう。 言い方を変えると、 ある電気鉛筆削り機で削る児童と、 その電気鉛筆削り機で削ったのと全く同じ形になるようナイフで削れる児童とがいて、 毎日そのように削っていれば、 どちらも同じペースで鉛筆は短くなってゆくはずである。 (また、その意味では、電気鉛筆削り機は決して必要以上に削ってはいない。)
つまり、この方のお子さんは、 ナイフで削った鉛筆に固有な削り方をしているのため、 鉛筆の減りが遅いのだと思われる。 そして、その際に削らないで残す部分を鉛筆削り機が削ってしまうことを、 「必要以上に削ってしまう」と投書者は表現しているのだと思われる。
そう解釈すれば、この方の主張は正しいと思う。 つまり、 鉛筆削り機のように先を円錐形に削るのは「必要以上に削っている」、 と私も思う。
では、いったいどのような形に削っているのか知りたいが、 「声」の欄ではそこまで書くのは無理であろう。 字数制限が厳しいし、図・写真は載せられない。
付) 投書者名を書いた理由は、 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 をご覧ください。
2009-06-10 (3) 20:18:58 +0900
本項を書いた時点で、もう一つの実験方法があることに気づいていたが、 電気鉛筆削り機がないので、そのときは確かめられず、書けなかった。 その実験をしてきたので、報告する。 それは、買ってきたばかりの、同じ種類の国産鉛筆を二本用意し、 片方を電気鉛筆削り機で削ってから長さを比べる、というものである。 もちろん、削る前に、二本が同じ長さであることは確認しておく。 結果は、同じ長さであった。 つまり、上に書いた実験と、同じ結論が得られたわけである。
(国産鉛筆を使うのは、 外国製のものは初めから削って売っていることが多いから、 というだけの理由である。)
2009-06-13 (6) 02:02:25 +0900
28日日曜日の同紙大阪本社版「声」に、
金香コナミさんの「便利さは人の感覚失わせる」が載った。
上で論じた投書をあげ、
《確かに鉛筆削り機は便利だが、必要以上に削れるのは容易に想像がつきます。
ふだん比べることがないので実感できなかった点に着目したところがすばらしいと思います
》
とあるのだが、ここでも「必要以上」の定義がなされていないので、もどかしい。
これが約三分の一で、残りの三分の二は題名から想像がつく通りの内容で
--- というか、その内容から編集部がうまくタイトルをつけたもので ---、
私は同感だが、ここでは論じない。
このかたは歯科医だそうだ。 歯科医といえば理科系の大学を出ているわけで、 「必要以上に」がどういう意味なのかを考えること、 人の書いたものをうのみにせず実験してみること、 をせずに賛同するとは思われない。 また、歯科医は削るのが専門ではないか。 (最後のは冗談です。歯科医が歯を削るのは、 主に中をえぐるように削るのであって、 鉛筆のようにとがらせるのとは異なりますから。)
(投書者名を書いた理由は、 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 をご覧ください。)
ついでに書いておくと、私の父は自宅でも机に向かって鉛筆を使う職業だった。 そのため、私が物心ついたときにはすでに手回し式の鉛筆削り機があり、 その後、電動式を買い直した。 そして、 手回し式がお古として私のところに回ってきたのが小学校一年生のときだろうか。 それらは、どちらも、芯先がとがるとそれ以上は削れなくなる機構がついていた。 手回し式のは手ごたえで空回りしていることがわかったし、 電動式のは音が変わり、ランプもつくのではなかったか。 (まだ実家にあるはずなので、そのうち試してみよう。)
そのような機種は、私が本項で最初に書いたような意味では、 必要以上には削っていない。 特に高いものを買う余裕はわが家にはなかったはずなので、 特別によいものを父が買っていたとは思えない。 つまり、その機能がついていない鉛筆削り機が売られているとは思えないのだ。 特に、いまの時代では。
もう一つ、思い出したのが、
DUX 製の、1680 円もした、携帯用鉛筆削りである。
これは、先端にストッパーがついていて、削りすぎを防ぐようになっている。
それは三段階に変えられる。
説明書から、英語の部分を引用すると、
一番先が丸いのが「blunted point for normal colour pencils
」、
二番めが「normal point for blacklead and copy pencils
」、
三番めの、もっとも先をとがらせたのが
「Finest point especially for drawing pencils
」
となっている。一般筆記の際には先は完全にはとがらせない、
というのが西洋では常識になっているのではあるまいか。
そうだとしたら、
日本の鉛筆削り機が先を完全にとがらせることが問題なのである。
2009-06-29 (1) 01:36:59 +0900
この「いろいろ」で、一般の人が新聞などに投書したものを取り上げる場合、 私は必ず投書者の氏名も書くようにしている。 それは、次のような理由からである。
ご本人、あるいはその近くの方から、氏名は伏せよとの連絡をいただければ、 それに従います。 また、誤読である、などの連絡をいただいた場合、そのむね、追記します。 ただし、「この文面を載せろ」という要求には沿いかねます。 連絡先は最初のページをご覧ください。
2009-06-10 (3) 20:08:13 +0900
きのう書いたことの続き --- どうしたら、 新幹線の車内で急病人が出た場合、 医師・看護師が乗っていても医療器具がなくてどうしようもないという事態を防げるか --- を考えていたのだが、 新幹線の主要駅に医療器具を一つの箱にまとめたものを備え付け、 医師・看護師が(私用ででも) 乗るときは駅員に“自分は医師あるいは看護師である”と告げると、 車掌がその箱を持って乗る、というのはどうだろうか? こうすれば、 万が一、車内で病人が出た際には、車掌がその医師・看護師を呼び、 持ち込んだ医療器具の箱を出せば、 それなりの処置をしてもらえると思う。
付) その箱が、たとえば博多駅にたまってしまうこともあろう。 信号のない横断歩道の両端に置かれた箱にささっている横断者用の黄色い旗が、 片方の側にみんな集まってしまう、というのに似た状況である。 そのときは、 医師・看護師が乗っていなくても、のぞみ号に載せて東京へ運べばよい。
付) 医師・看護師が乗るとしても、全区間を乗るとは限らないから、 その点はさらに考えなければならない。
2009-06-10 (3) 19:24:48 +0900
2009-06-10 (3) 02:00:57 +0900
NHK「実践ビジネス英語」2008 年11月後半の分に出てきた。 すでに「基調」という役が定着しているが、 音楽用語としては「主音」ではないのだろうか? Wikipedia 英文版によれば、 ハ長調のハのような主音は tonic または key note と呼ばれるようだ。
2009-06-09 (2) 22:09:45 +0900
三月末に学会で帰京したときの、金沢に戻る電車がそうだった。 そのときのメモが出てきたので。 ちなみに、英語では car という。
2009-06-09 (2) 21:41:42 +0900
19時の時点では、もう結果はわかっている。 それなのに、「決まります」といいながら確かVTRを流していた。
VTRの中の時刻では、「〜の場合は〜の優勝が決まります」だが、 報道しているアナウンサーは19時すぎの時点にいる。 「〜の場合は〜の優勝が決まりました」は変だが、 「〜の場合は〜の優勝が決まるところでした」など、言い方はあるだろう。
2009-06-09 (2) 21:30:00 +0900
「寄り切り」は「寄り切る」の連用形、「寄り切って」はその -te form だ。 それにならうなら、「すくい投げで」ではなく「すくい投げて」となりそうだが、 そうは言わない。 館内放送だったか、NHKのアナウンサーだったかは忘れた。
三月末に学会で帰京したときのメモが出てきたので。
三月に学会で帰京したときのメモが出てきたので。
《大相撲>「ただいまの決まり手は」の反復は -te form ? 「名詞+で」?》参照。
2009-06-09 (2) 21:25:46 +0900
一 | …… | 計 | H | E |
---|---|---|---|---|
0 | …… | 0 | 1 | |
…… | 2 |
先攻チームの失策数、後攻チームの得点、安打数を0と表示するのでなく、 出さないのがおもしろいと思った。
三月末に学会で帰京したときのメモが出てきたので。
2009-06-09 (2) 21:19:58 +0900
厳密に言うと、代々木で乗り換えなければならない。 そうでないと、代々木―新宿を運賃を払わずに往復することになるからである。 しかし、それだと御茶ノ水か秋葉原でまた乗り換えないと、東京へ行けない。 (錦糸町まで行くのは行きすぎだろう。)
JR側の問題で電車が止まっているから特例として認める、ということか。 切符を買ってホームにはいる前だったら、 地下鉄銀座線に乗って赤坂見附で丸ノ内線に乗り換えて東京まで、 あるいは地下鉄半蔵門線に乗って大手町から東京まで歩く、などの方法も考えられる。
三月末の、学会に行っていたころのメモに書いてあった。 三月 28 日のことだったようだ。
2009-06-09 (2) 20:59:30 +0900
メールで、この乗り方はJRの規則に合っている、 と教えてくださったかたがありました。
JR東日本のサイト内のページ http://www.jreast.co.jp/kippu/ の、「運賃計算の特例」の中の、 「分岐駅を通過する列車に乗車する場合の特例」に 「代々木―新宿」があがっており、 渋谷から山手線で代々木を通って新宿まで行き、 そこから中央線快速に乗って代々木を通過して東京方面へ向かう場合、 代々木―新宿の運賃はいらないのだそうだ。 「神田―東京」も載っているので、 上越新幹線で東京駅につき、 中央線快速に乗って御茶ノ水より先に向かう場合の「神田―東京」 の往復も OK となる。 また、 「特定の分岐区間に対する区間外乗車の特例」というのもあり、 上越新幹線で上野について山手線で池袋方面に向かうのも OK とわかった。 (いままでずっとわからずに悩んでいた。)
ところで、池袋方面から山手線で新宿まできて、 中央線緩行線に乗り換えて中野方面に向かう場合、 新宿では別ホームへ移動しなければならないが、 代々木まで行けば同一ホームの反対側乗り換えで済む。 しかし、これは表にないから、正しくない乗り方だ。 また、上越新幹線で東京に着き、秋葉原へ戻るのも不可のようだ。 その場合、上野で乗り換えろということなのだろう。 上野を通過する新幹線に乗ってはだめということか。
また、上のことは、最近のJTBの時刻表にも載っていた。 私は(それなりに)鉄道に興味があり、 1980年代はJTBの時刻表をときどき買って、 巻末の運賃計算のページも熟読していたのだが、 保存してあるのをざっと見たところ、 載っていないようだった。 上野―長岡―金沢と乗車する場合に宮内―長岡を往復するが構わない、 というようなことは、本文欄外に書いてあった。
さて、最初の「代々木―新宿」間でふと思ったのだが、 渋谷の運賃表を見て中野までの料金の切符を買い、 このようにして渋谷から新宿、新宿から神田と乗り、 山手線内回りで上野、池袋を経由して新宿に至り、そこから中央線で中野に向かう、 というのは許されるのだろうか? 最初の乗り換えを新宿でなく代々木で行なえば、 同一駅を二度通っていないので許されるが、 上の特例で新宿まで行ったことで、 新宿を二度通ったとみなされれば不可になる。 特例というのが 「『代々木―新宿』間は乗らなかったことにする」の意味なら、OKになりそうだ。
2009-06-19 (5) 23:34:58 +0900
同じ方がメールで教えてくださいました。
上の追記の最後の段落に書いた乗り方は、やはり不可だそうです。
また、代々木―新宿が特例になったのは 1995 年のことだそうで、 私が東京を離れてここ金沢にきてからのことだったので、安心しました。 (東京にいながら気づいていなかったら恥ずかしいと思ったので。)
2009-06-20 (6) 22:51:39 +0900
それ以外のホモロジー群は存在しない、と言っているわけではない。
三月末の、学会に行っていたころのメモに書いてあった。
2009-06-09 (2) 20:57:52 +0900
本文ナシ
2009-06-09 (2) 20:56:15 +0900
ちょっと方言。
2009-06-09 (2) 20:55:25 +0900
本文ナシ
2009-06-09 (2) 20:54:39 +0900
8両編成どうしが途中で連結するが、そこは通れないので、 前半分から後ろ半分へ、あるいは逆方向の乗り移りは駅以外では不可能、 というのに乗ったことがある。 もし走行中に前半分で病人が出て、 お医者さんは後ろ半分にしか乗っていないという場合、 新幹線を走らせたまま命綱をつけて前の車両へ移るというのは無茶だから、 いったん停止して、となるのだろう。
2009-06-09 (2) 20:48:21 +0900
きのう 《新幹線に血圧計を備えても、医療関係者が乗っていないと役に立たないだろう》 に加筆したので、またそこで引用した投書、およびそこに書いた私の考えについて考えてみた。
医療器具だけが新幹線などに用意されていても、 お医者さん、看護師さんがいなければあまり役に立たないだろう、 という考えは変わらない。
だから、たまたま乗り合わせていたお医者さん、看護師さんが、 医療器具を持っていてくれたら、 万が一のときには確かに心強い。 しかし、だれでも、旅行の際の荷物は少ないほうが楽に決まっている。 そこで、どこかが補助を出して、 お医者さん、看護師さんが旅行の際、 万が一に備えてわざわざ医療器具を携帯したときには、 その荷物は無料で赤帽さんに運んでもらえる、なんてのはどうかな、と思ったのだが、 いまは赤帽さんもいなくなってしまった。
2009-06-09 (2) 20:35:55 +0900
《「n すくみ」をきちんと整理する》 では樹形図を書いたが、それとは違う方法で、アプローチを試みる。 おのおののの状態を点とみなし、それ全体と、その間の移り変わりを考えるのである。
まず、三すくみの場合を考えよう。 A, B, C のうち、どれが生き残っているかで場合分けすると、 全部で 23-1 = 7 通りとなる。 1 を引いたのは一匹もいなくなることはないからであるが、 形式的にそれを補い、23 = 8 通りあると考える。 食う・食われるの関係は、A が B を、B が C を、C が A を食うと仮定する。
A が生き残っているのを 1, B は 2, C は 4 として足すと、 0 から 7 までの整数と、生き残り状態とは一対一に対応する。 一番左につけたのはその数である。
0 | --- | --- |
1 | A-- | 1-- |
2 | -B- | -1- |
3 | AB- | 22- |
4 | --C | --1 |
5 | A-C | 2-2 |
6 | -BC | -22 |
7 | ABC | 333 |
(この数値化が適切かどうかは問題である。 すべての動物に共通なエサがあるとし、それを分け合って食べているのが幸せなら、 これで意味があるだろう。 そうでなく、他の動物を何匹食ったかで満足度が決まるとなると、 状態だけからはそれは決まらない。)
左端の数が少ないほうから見てゆく。
1, 2 のときは、一匹しかいないので、これ以上動きようがない。
3 のとき、A は B を食えるから、そうするだろう。 つまり、A は自分の意志で 3 から 1 へ移れる。 そうすれば自分の満足度は 1/2 から 1 に上昇する。 ということは、「移れる」ではなく移るべきである。 つまり、A にとっては 3 の状態の満足度は実は 1 とみなしてよい。 B はどうしようもない。 どうしようもないが、A に食われて 1 に移る可能性がある。 だから、それを書く。 C は死んでいるので当然、どうしようもない。B と同様の処理をする。
0 | --- | --- | ||||||
1 | A-- | 1-- | ||||||
2 | -B- | -1- | ||||||
3 | AB- | 22- | 1 | 1-- | 1 | 1-- | 1 | 1-- |
4 | --C | --1 | ||||||
5 | A-C | 2-2 | ||||||
6 | -BC | -22 | ||||||
7 | ABC | 333 |
5, 6 も同様に埋める。
0 | --- | --- | ||||||
1 | A-- | 1-- | ||||||
2 | -B- | -1- | ||||||
3 | AB- | 22- | 1 | 1-- | 1 | 1-- | 1 | 1-- |
4 | --C | --1 | ||||||
5 | A-C | 2-2 | 4 | --1 | 4 | --1 | 4 | --1 |
6 | -BC | -22 | 2 | -1- | 2 | -1- | 2 | -1- |
7 | ABC | 333 |
最後の 7 である。 A は 5 に移ることができるが、それでは、自分の満足度は 1/3 から 0 に下がる。 B も、C も同様である。
0 | --- | --- | ||||||
1 | A-- | 1-- | ||||||
2 | -B- | -1- | ||||||
3 | AB- | 22- | 1 | 1-- | 1 | 22- | 1 | 22- |
4 | --C | --1 | ||||||
5 | A-C | 2-2 | 4 | --1 | 4 | --1 | 4 | --1 |
6 | -BC | -22 | 2 | -1- | 2 | -1- | 2 | -1- |
7 | ABC | 333 | - | 333 | - | 333 | - | 333 |
これを、五すくみ、七すくみの場合にも使えるよう一般化し、 コンピュータで処理させようと思ったのだが、 「自分は X を食える。一方、自分は Y に食われる」という場合、 どう処理していいか、わからない。 どちらが先に食うか、という問題が発生するのだろうか? いまの三すくみの場合、 7 の状態で実はそれが起きているが、実際にはどれも行動を起こさないので、 問題にならずに済んでいる。
2009-06-09 (2) 19:14:04 +0900
新幹線の中で病人が出た場合、 臨時停車をし、前もって車掌が連絡し、駅員が呼んでおいた救急車で病院に運ぶ、 ということが可能だろう。 東海道新幹線なら、20分以内に次の駅につくのではあるまいか。 一方、ローカル線の場合、病院のありそうな駅につくまであと2時間、 などということがありえるのではないか。 しかも、ワンマン運転だと、運転手が病人に手を貸したりすることができない。 そうしていては列車は走れないからである。
2009-06-09 (2) 00:58:19 +0900
2009-06-09 (2) 00:57:45 +0900
この前に「人の心は病苦をも忍ぶ」とある。 いまでいう心の病が、当時もあったのか。それとは別か。
三月末の旅行中に読んだ際のメモが出てきたので。
2009-06-09 (2) 00:42:49 +0900
タイトル行の引用は口語訳による。 ここに、 多くの日本人のくじに対する考え方との違いが現われているような気がする。
三月末の旅行中に読んだ際のメモが出てきたので。
2009-06-09 (2) 00:40:42 +0900
金丸は姓。「凝る」でなくても、「する」でも「来る」でも「切る」よいが。
2009-06-09 (2) 00:16:58 +0900
本文ナシ
2009-06-08 (1) 23:45:27 +0900
本文ナシ
2009-06-08 (1) 23:42:24 +0900
黙示録 10,10 には「腹が苦くなった」(口語訳)とあるから、 胃だって苦くなるかもしれない。 原語は、胃とも訳せるようだ。
2009-06-08 (1) 23:35:29 +0900
《五種類の動物間に、どれもが二勝二敗になるよう決める方法は本質的に一通り》 の、追記部分で書き換えたほうの表を見ると、
A | B | C | D | E | F | G | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
A | ○ | ● | ○ | ● | ○ | ● | |
B | ● | ○ | ● | ○ | ● | ○ | |
C | ○ | ● | ○ | ● | ○ | ● | |
D | ● | ○ | ● | ○ | ● | ○ | |
E | ○ | ● | ○ | ● | ○ | ● | |
F | ● | ○ | ● | ○ | ● | ○ | |
G | ○ | ● | ○ | ● | ○ | ● |
2009-06-08 (1) 23:01:01 +0900
私が、自分一人で、アルコール飲料を提供する店にはいるようになったのは、 週休二日制が定着してからだ。 よって、それまでのことはあまり記憶にない。 暗くなるまで待つとしても時間のつぶしようがあるとは限らないし……。
2009-06-08 (1) 22:47:04 +0900
ベートーベンは、「交響曲第九番」や「ミサ・ソレムニス」で、 二本ずつ調性の違う、四本のホルンを使っている。 調性の違うホルンを使うことはベートーベンが考えたのかと思っていたが、 モーツァルトの「交響曲第四十番」が、そうではないか。 第一楽章、第四楽章が、B 管と G 管一本ずつである。 (第二楽章は Es 管二本、第三楽章は G 管二本である。)
2009-06-08 (1) 20:13:36 +0900
2009-06-08 (1) 01:56:57 +0900
内回りが渋谷駅に近づくときにも、乗り換えですと言う。 内回りで渋谷まできて、そこから副都心線に乗り換えると、 ほぼ山手線に沿って戻ることになるが、それでも言うのであろう。 (ある程度、山手線の駅から離れたところにある駅もあるし。)
それに対し、外回りが原宿駅に近づくときには、言わない。 ここで乗り換える人は一つ手前の渋谷で乗り換えているだろう、 と考えてのことだろうか。 しかし、渋谷よりも南から山手線で来て、 どこかで副都心線に乗り換えて池袋よりも先まで行く場合、 渋谷、原宿(明治神宮前)、池袋と、三箇所で乗り換えが可能である。 乗り換える駅によって全体の運賃が違うかも知れない。 原宿で降りて明治神宮前から乗るのが一番安い、というケースはないのだろうか。
三月末に学会で帰京したときのメモが出てきたので。 原宿駅で副都心線への乗り換えの案内がないことは、前に 《山手線で原宿駅につくときのアナウンスに「副都心線お乗り換え」がなかった》 に書いた。それは内回りの場合だった。
2009-06-07 (0) 19:12:45 +0900
三月末に、学会で訪れたときのこと。メモが出てきたので。
2009-06-07 (0) 19:11:22 +0900
本文ナシ
2009-06-07 (0) 19:10:37 +0900
これだけでは意味をなさない。
2009-06-07 (0) 19:10:03 +0900
…あるのを見た。 ビラ入れだというのは、前に何かで行ったときに見たのかも。 配られたビラを、いらないと思ったら入れる箱なのであろう。
三月末、春の学会で訪れた際のメモが出てきたので。
2009-06-07 (0) 19:05:34 +0900
大学によっては、大学側が学生向けの掲示を貼るところ、のこともある。
三月末、春の学会で訪れた際のメモが出てきたので。
2009-06-07 (0) 19:03:16 +0900
地下鉄千代田線の新御茶ノ水駅と乗り換え可能というわけだが、 そこからは都営新宿線の小川町駅を介して地下鉄丸ノ内線の淡路町駅と乗り換え可能。 JRの御茶ノ水駅は、当然、地下鉄丸ノ内線の御茶ノ水駅と乗り換え可能だから、 ちょっと変である。 (丸ノ内線で、御茶ノ水駅と淡路町駅とは隣り合った駅である。)
JR中央線御茶ノ水駅と地下鉄千代田線新御茶ノ水駅、 地下鉄千代田線新御茶ノ水駅と地下鉄丸ノ内線淡路町駅は乗り換え駅だが、 JR中央線御茶ノ水駅と地下鉄丸ノ内線淡路町駅は乗り換え駅ではない、 ということか。 AとBとは乗り換え駅であるという関係は推移律を満たさないのだろう。
三月末に東京に帰ったときに気づいたこと。メモが出てきたので。
2009-06-07 (0) 18:04:42 +0900
《「五すくみ」の、なんの根拠もない候補》 を書いたが、五種類の動物の間に、 いずれもが二勝二敗になるよう勝ち負けを決める方法は、 本質的には一通りしかないのであった。 その項目への追加で、それが「すくみ」になっていないことを書いてあったので、 「五すくみ」は存在しないことがわかったわけだ。
まず、最初に目についた動物をAと呼ぼう。 Aは二つの動物に勝つが、それをBとCと呼んで一般性を失わない。 また、BはCに勝つとしても一般性を失わない。 CはAとBに負けるので、残りの二種類の動物には勝つ。 それをD、Eと呼ぶ。DはEに勝つとして一般性を失わない。 AはB、Cには勝つので、D、Eには負ける。 EはC、Dには負けるので、A、Bには勝つ。
ここまでを表にすると次の通り。
A | B | C | D | E | |
---|---|---|---|---|---|
A | ○ | ○ | ● | ● | |
B | ● | ○ | ● | ||
C | ● | ● | ○ | ○ | |
D | ○ | ● | ○ | ||
E | ○ | ○ | ● | ● |
よって、
A | B | C | D | E | |
---|---|---|---|---|---|
A | ○ | ○ | ● | ● | |
B | ● | ○ | ○ | ● | |
C | ● | ● | ○ | ○ | |
D | ○ | ● | ● | ○ | |
E | ○ | ○ | ● | ● |
2009-06-07 (0) 16:54:28 +0900
|
|
|
2009-06-08 (1) 22:55:59 +0900
中にはそれ以外の「ソーメン」も含まれていると思うが。
2009-06-07 (0) 16:38:13 +0900
…って話だったら、怒るよな。
貫匈人(かんきょうじん)は、Wikipedia によれば、中国に伝わる怪人種で、 胸に大きな穴が貫通しており、そこに棒を通してかついでもらうことも可能という。
クワイ=ガンがそういう人種の出身だとしたら、 ダース・モールに刺されたと見えたのはその穴をライトセーバーが通っただけであり、 実は、傷ついていなかったということにもできるのだが……。
2009-06-07 (0) 15:59:10 +0900
彼がさがしていたのはアミダラ女王だったはずだ。 クワイ=ガンが船に戻る前に船に侵入し、 船を支配するほうがよくはなかったか?
2009-06-07 (0) 15:20:53 +0900
登場直後のシーン。ほかに god(s) というセリフ、あったっけ?
2009-06-07 (0) 15:09:23 +0900
スター・ウォーズでは、 普通のSF映画とは異なり、惑星は画面の上にくるように描かれる。 II 冒頭の、コルサントに船が接近するシーンで、それがよくわかる。 では、I の宇宙ステーションはどういう向きで浮かんでいるのだろう? 冒頭の、 二人のジェダイが宇宙ステーション内の部屋に通され、待つシーンを見ると、 上方にナブーが見えるので、逆さに浮いているようにも思えるが、 終盤の、アナキンが宇宙ステーションを破壊するシーンでは、 そのことを忘れて見ていた。
いろいろなシーンを見たのだが、よくわからない。 シーンによって、違うのかもしれない。 最も見ばえがするように決めているとも考えられる。 ただ、一つわかったのは、 「宇宙ステーション内の重力は“普通”の向きである」 ということだ。 それは、初めてダース・モールが(立体映像で)登場するシーンでわかる。 背後の宇宙空間に、 ほかの宇宙ステーションが“水平に”並んで浮いているからである。 (そもそも、このことがわからないと、 宇宙ステーション内のシーンを見てもステーション自身の向きはわからない。)
2009-06-07 (0) 14:52:41 +0900
2009-06-07 (0) 02:17:27 +0900
本文ナシ
2009-06-07 (0) 02:10:46 +0900
Wikipedia の「ソナタ形式」の項の、再現部の箇所に、こうある。
この、第二主題が、提示部では主調以外で演奏されて緊張が高かったのが、 再現部では主調または同主調で演奏されて緊張が低くなるが、 調性は解決されるという対比こそが、ソナタ形式の一番大切な部分であるといえる。
私の考えは、これとは異なる。 ソナタ形式は、もっとも素朴な「A−B−A」形式を発展させ、 BをAの展開としたものである。 そして、最後のAはAそのままではおもしろくないと考え、 第二主題の調性は提示部とは異なるようにした。 これを「A−B−A’」と書くなら、 対比は「AおよびA’」とBとの対立である。 AおよびA’では、音楽はよどみなく流れるのに対し、 Bでは主題が展開し、転調がくり返されるので、緊迫感を伴う。
もしもこの Wikipedia の説に従うなら、 第一主題と第二主題の調性が同じかどうかわからないしろうとには、 ソナタ形式は理解できないことになる。 わたしはそのしろうとに属するので、 第一主題と第二主題の間の転調部分はともかく、 第二主題が始まってしまえば、提示部も再現部も同じに聞こえてしまう。
また、 第一主題と第二主題ははっきりとした対比をもつように選ばれるので、 調性は同じになったとしても、その対比は残る。
それに、マーラー「交響曲第九番」の第一楽章のように、 第二主題も主調の場合はどう考えるのか?
2009-06-07 (0) 01:55:09 +0900
Wikipedia 英文版の sonata form を見ると、
《Key here is more important than mode
》、
《so long as there is no longer any key conflict
》
などとあるが、
「ソナタ形式の一番大切な部分」にあたる表現は見当たらない。
ところで、提示部と再現部の第二主題の調性が、 通常と反対の曲はないのだろうか? つまり、提示部で主調だったものが、 再現部で別の調になるという曲。
2009-06-09 (2) 22:33:09 +0900
ベートーベン「弦楽四重奏曲第14番」の第7楽章は嬰ハ短調でソナタ形式だが、 再現部の第二主題はニ長調で出る。 規則通りなら嬰ハ短調か変ニ長調になるところ。 それと半音だけ違っているわけだ。 (ちなみに、提示部ではホ長調。)
2009-07-05 (0) 21:44:53 +0900
訂正。 最初はニ長調だが、そのあと嬰ハ長調でも出るのだった。 (しかし、調号はなぜかニ長調のまま……。)
2009-07-07 (2) 23:06:40 +0900
モーツァルト「交響曲第39番」の第二楽章は変イ長調だが、
第二主題は提示部でへ短調、再現部でロ短調。
ソナタ形式の原則にはずれている、と思ったら、
Wikipedia ではこの楽章にはソナタ形式と書いてない。
英文版 Wikipedia では in abridged sonata form
と、
ソナタ形式であると明記されている。
(abridged sonata form とは、展開部のないソナタ形式と説明されている。)
2009-07-28 (2) 22:38:26 +0900