すのものの「いろいろ」(その230)

ひがしずむ(日が沈む)」のは東(ひがし)ではない

次の方角をさしてください、という問題で、 「ひがし……」まで聞いて東を指すと「日が沈む方角」だったりして、 というひっかけクイズ。

2010-07-09 (5) 01:55:31 +0900

ファイロファックスに防弾リフィルを作ったらどうか

戦争中、ファイロファックスを胸ポケットに入れていたおかげで命が助かった、 という話があったそうだ。 弾痕の残るファイロファックスの修理にきた人がいた、という話だったかも。

だったら、防弾チョッキのような材質でできた防弾リフィルを作ったら、 と考えたのである。

2010-07-09 (5) 01:52:25 +0900

回文>「堆肥を敷いた大使をひいた」(たいひをしいたたいしをひいた)

最後の「ひいた」は自動車でひいたか何か。

2010-07-09 (5) 01:50:23 +0900

腹を割って話すことを「割腹」とは呼ばない

本文ナシ

2010-07-09 (5) 01:48:57 +0900

小沢一郎氏が賞賛しているのは仏教ではなく祖霊崇拝・自然崇拝では?

2009年11月17日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版「政治・政策」面、 「小沢氏、キリスト教連合会に再反論」。 『「仏教 死ねばみな仏様」』という見出しもある。

これを受けて小沢氏は16日、 「(仏教の世界観では)生きながら仏にもなれるし、 死ねば皆、仏様。ほかの宗教で、みんな神様になれるところがあるか。 根本的な宗教哲学と人生観の違いを述べた」と説明》。 しかし、この死生観は、仏教というよりも祖霊崇拝に近いものだろう。

さらに、エベレストに挑んだ登山家の「そこに山があるから」 という発言を引用し「西洋文明は自然も人間のために存在する考え方。 (エベレストの)地元では霊峰としてあがめられて、 征服しようという考え方はアジア人にはほとんどない」と語り》 とあるが、これは仏教よりも自然崇拝だろう。 本来の仏教では、山があると知覚されるだけ、と考えるような気がする。

そのすぐあと。 《西洋思想は人間中心だが、 東洋思想は人間が自然の一部だと強調》とあるが、 神を認めない人にはキリスト教が人間中心に見えるのでは、という説は前に書いた。

2010-07-09 (5) 00:45:45 +0900

NHKラジオ「実践ビジネス英語」>have to と使う have を [hæv] と…

…出題するのは適切だろうか?

6月18日金曜日放送分の Daily Quiz のなかに、 原文の中の neet to を have to に置き換えさせる問題があった。 置き換える語句は「have」と読まれたが、最後の子音は [v] だった。 代入して使うときは [f] になるが、 この出題法は適切だろうか? 私は理解できたが。

一方、[hæf] と読まれたら、 何という語だかわからなかったかもしれない。 have to [hæf tu:] と出題するのが最も適切だったのかもしれない。

2010-07-09 (5) 00:29:39 +0900

教訓:「数学の定理は裏を読め」

有限区間 [a,b] で定義された連続関数 fn(x) が一様収束するなら、 その極限 f(x) は連続関数になり、定積分と関数列の極限との順序は交換できる、 という定理がある。 ある同僚から聞いたのだが、これを学ぶ学生には、 この定理を見たとき、もしも一様収束でなかったらどうなるか、 と考えてほしい、というのである。 それは、命題論理でいうところの「裏」にあたる。

それで、タイトル行の教訓を思いついた。 「裏を読め」は日常用語になっている。 それと同じなのがおもしろかった。

2010-07-09 (5) 00:18:02 +0900

漸化式 an+1 = f(an) で定義される数列の収束・発散

私の出た高等学校では、数学の教科書は自家製だった。 ある関数 y = f(x) に対し、数列 {an} を、 漸化式 an+1 = f(an) で定義する。 このとき、初期値 a1 によって、収束・発散がどう変わるか調べよ、 という問題があった。 解法は、y = f(x) と y = x のグラフを重ねて書き、 その上を x軸、y軸に沿った線分でたどってゆく、 というもので、証明はしなくてよかった。

SIG SCIENCE の掲示板で、この問題において、収束する条件は -1 ≤ f'(x) ≤ 1 と書いている人がいたが、それは正しくない。 0 ≤ x < 1 で f(x) = 0, x > 1 で f(x) は 0 ≤ f(x) < x - 1 を満たす連続関数としておくと、 an ≥ 1 のとき 0 ≤ an+1 < an - 1 なので、 何度かくり返すと 0 になる。

2010-07-09 (5) 00:04:39 +0900

「秘湯の旅」かと思ったら「ヒト夫の旅」で、ヒト夫さんが旅するだけ…

…ってのはどうかな?

2010-07-09 (5) 00:03:15 +0900

「チューリップ」と「超・立派」とオトが似ていないか

本文ナシ

2010-07-09 (5) 00:01:50 +0900

回文>「いとも簡単、単価、元い」(いともかんたんたんかもとい)

本文ナシ

2010-07-08 (4) 23:57:17 +0900

回文>「森喜朗、呂氏よりも」(もりよしろうろしよりも)

森喜朗は実在する政治家名。呂氏がだれかは不明。

2010-07-08 (4) 23:45:15 +0900

回文>「菅直人、十なんか」(かんなおととおなんか)

菅直人は実在する政治家名。 十歳のときにこう言われた、と。

2010-07-08 (4) 23:43:21 +0900

ネット上の過去の入試問題のうち、河合塾のは登録なしで閲覧できて助かった

ある年のある大学の入試問題を、授業のネタに使おうと考えた。 家から調べて、ネット上にあることを知って大学に行き、 本格的に調べたら、会員登録がいるところばかりだった。 が、河合塾のサイトは誰でも見られるようになっていた。 助かった!

2010-07-08 (4) 23:40:11 +0900

米国の二大政党制が莫大な資金を必要とすること、第三党を排除していること

「世界」2009 年2月号、堤未果『「チェンジ」の裏で失われる「チョイス」』 を読んだ。題名からすぐにはわからないが、書かれていることは、 オバマ大統領が選ばれた大統領選挙において、莫大な選挙資金が必要だったこと。 二大政党以外の政党は、メディアに登場するのもむずかしいこと。 後者においては、公開討論会の運営資金を出しているのが大企業であるため、 大企業を批判する第三の政党は出してもらえないのだという。 (支持率があがれば参加資格が生じるが、 それにはメディアなどに出て自分たちの政策などを知ってもらわねばならない。)

1929 年の米国って服より帽子のほうを多く作っていたんだ》、 《アフリカの大部分が植民地になったのって大航海時代じゃなかったんだ》 を書いたころ、 レオ・ヒューバーマン著・小椋広勝訳「社会主義入門(上)」(岩波新書、1953 年。1963 年改版) および「(下)」を読んでいた。 確かそこに、新聞社を興そうとしても、莫大なお金が必要になり、 大資本の前には勝てない、ということが書いてあったと記憶しているのだが、 いまはネットで誰でも発信できる。 当時、社会主義が必要とされた理由の一つはインターネットの登場で解決した、 と思ったが、そうでもなかった、ということだ。

2010-07-08 (4) 23:11:21 +0900

50歳をすぎてから外国語の学習を始める、の意味

7日水曜日放送分のNHK「実践ビジネス英語」ビニエットの中で、 脳の老化を防いでいる人の例として、 「people who have started studying a foreign language well after they're 50」 (50 歳をかなり過ぎてから、外国語の学習を始めた人たち) について言及されていたが、 すでにいくつかの外国語の学習経験があって、 50歳をすぎてから別の外国語を習い始めたという意味なのか、 外国語学習というものそのものを、50歳をすぎて初めて始めた、 という意味なのか。

私は、目と耳がだめにならない限り、 何歳になっても新しい言語に挑戦してみたいと考えている。

2010-07-08 (4) 22:27:32 +0900

9日金曜日の復習の回の、 杉田敏先生と岩本スーザンさんとの自由な会話の中で、 先生が「have started studying new languages」と発言しておられたので、 すでに外国語の学習経験のある人が、 の意味であるような気がした。 (なぜそう感じたのかは、それもまた興味深い問題である。)

テキストには、スーザンさんの発言の一部が文字化されて載っているが、 そこにも 「they are incapable of learning a new language」 とある。 (年をとったらそうだと思っている人もいるが、実際はそうではない、 という中で使われている。 なお、載っているものが実際の会話と若干異なっている場合もある。)

2010-07-16 (5) 01:53:21 +0900

NHK「実践ビジネス英語」>ジョージ・バーナード・ショーと発音された

7日水曜日放送分の、Quote ... Unquote で、George Bernard Shaw を、 日本語式に発音された。

2010-07-08 (4) 22:25:29 +0900

きょうの補筆箇所

2010-07-08 (4) 03:19:39 +0900

東の空に昇る27日の月も悪くないなあ……。

私は三日月が好きである。あの、鋭い感じが好きなのだ。

ふだんは、 これを書いているパソコンの画面から顔をあげたところにある窓には、 カーテンをおろしている。 しかし、いまは暑いので、窓のすみを少しあけて外から風をいれるため、 カーテンをあげている。 数十分前から、その窓を通して、東の空に昇ってくる細い月が見えるのに気がついた。 三日月の反対、すなわち、新月の三日前ぐらいの月である。 新聞の暦の欄で確認したところ、きょうは旧暦五月27日。

もう二十年以上この部屋に住んでいるが、初めて見たような気がする。

2010-07-08 (4) 02:26:48 +0900

スター・ウォーズ>エレベータは現実世界とまったく同じだな

乗り物も家もマンションも、 現実世界のものと少しだけ変えてあるところがあの世界のおもしろいところだと思うが、 エレベータは現実世界とまったく同じであることに気がついた。

II を、久しぶりに冒頭から見て気がついた。 ふだんは、最初にライトセーバーが活躍するシーンよりも前はまず見ない。 確か Wikipedia で読んだ、メイス・ウィンドゥが笑う唯一のシーンも、 どこだかわかった。議長の執務室で、 パドメに「ドゥークーはかつてジェダイだった」と語るところだ。

エレベータを現実世界のものとは違うものにするとしたら、 まわりの壁を取り去り、床だけが上下するものにするか。手すりはつける?

III 冒頭の議長救出作戦の中でのエレベータは、 外から見ると傾いている尾翼(?)の中をまっすぐにのぼるという、 ちょっと変わったものだったが、あれは単なる都合?

2010-07-08 (4) 02:02:17 +0900

朝日新聞>「刃物を握ることをできる特殊な手袋」っておかしくないか?

7日水曜日づけ大阪本社版国際面「学校の安全 中国厳戒」。 正しくは 「刃物を握ることができる特殊な手袋」か 「刃物を握ることのできる特殊な手袋」だと思うのだが。

古谷浩一》と署名あり。

2010-07-08 (4) 01:33:35 +0900

朝日新聞「天声人語」>大相撲の中継録画は「真剣勝負の臨場感」を損なうか

7日水曜日づけ大阪本社版「天声人語」。 《NHKが、大相撲の名古屋場所を中継しないと発表した》話。

幕内の取組に限り、 1〜2時間遅れで録画を流すという。 ひいきがいる向きは、きっと勝敗より取り口を確認する番組になる。 なにしろ、力士たちは風呂から上がった頃合いだ。 真剣勝負の臨場感は、どんな大画面でも伝わるまい

この最後の部分が気になった。 これより前の部分で、放送局の都合により、 生ではなく遅れて放送されるスポーツ番組があり、 《テレビ局は視聴率を気にし、 ネットに速報を流さないでと新聞社に頼むこともあるらしい》 とあるから、 すでに勝敗がわかっているから臨場感が伝わらないのかと考えてみたが、 生だろうが、遅れての放送だろうが、 放送内容の映像・音声には何の違いもない。 それでも「真剣勝負の臨場感」は伝わらないだろうか?  取組の間の時間はカットされるだろうが、そういうことを書いているわけではない。 力士が風呂にはいっていることは、臨場感に関係ないと思うのだが。

その前に書かれている、 《かたや受信料を払っている相撲ファンは、 「生の迫力」という対価を失う》には異論はない。

付) 生ではない中継を見せるが、 「前もって勝敗を教えられるグループ」 「生ではないと教えられるが、勝敗は知らされないグループ」 「生でないことも知らされないグループ」 について、興奮度などを調べてみたらどうなるだろう?  最初のグループは明らかに違いが出るだろうが、 あとの二つはどのくらい差があるだろう?

衛星放送とラジオで同じ野球の中継を見聞きしていると、 衛星放送のほうが少し遅れるが、衛星放送のほうだけを見る分には、 それが臨場感に影響するとは思えない。

また、将来、火星などでスポーツの大会が開かれ、 それが地球に中継されると、 光や電波の速度をもってしても何分か遅れるはずである。 その場合、現地ではすでにこの勝負はついているからと、 真剣勝負の臨場感が失われるだろうか?

昔の名勝負と言われるものを、勝敗を知らされずに見せられても、 「真剣勝負の臨場感」が伝わってこないだろうか?

2010-07-08 (4) 00:57:31 +0900

ローマ字入力が好まれるのは、キーを見れば打てるから、だけではないか?

梅棹忠夫先生が亡くなった。 職場でとっている毎日新聞には、 先生のローマ字論のことがほんの少しだがふれてあった。 ローマ字書きは実現していないが、 いまやほとんどの人が日本語をローマ字で入力する時代になった、という内容だった。 そのことを、梅棹先生が喜んでおられたとは思えないのだが。

QWERTY 配列は英語に適していないが、 タイプライター時代からの伝統だからというだけの理由で、パソコンにも使われている。 それを日本語のローマ字入力に転用しているのだから、 効率は何も考えられていないのだ。 母音字 aiueo のうち、ホームポジションにあるのは a だけ、 という点からもすぐにわかることだ。

では、なぜ人はローマ字入力をするのだろう? それは、 どのキーを打てばいいかわからなくなったら、 キートップに書いてあるアルファベットを見ればいいから、 というだけの理由なのではあるまいか?

付) これではカナ入力が好まれない理由が説明できない。 パソコンのカナ配列はタイプライターのカナ配列と異なり、 シフトをして打つのは小書きの文字だけなので、 割りつけてあるキーの範囲が広すぎ、実用に適さない。 また、アルファベットを打つ機会は必ずあるので --- ファイル操作なら Alt+F のように ---、 アルファベットは必ず覚えなければならない。 これらが理由であろうか。

付) 左右のキーに子音字と母音字を(QWERTY とは無関係に)割り当て、 交互に打ってゆくという、覚えやすいカナ入力があるのだが、 ほとんど使われていないようだ。

2010-07-08 (4) 00:41:14 +0900

先日バス停で拾った時計を、反対側のバス停に移動してみた

先日、職場からの帰り、あるバス停で降りたら、 先に降りた女子学生が何かを拾って別の場所に置いていった。 見たら、小さな時計である。 腕時計ではなく、ピンなどでどこかにつるすタイプのようだ。 地面に置いておいてはだめになるので、拾ってバス停のビスにぶら下げておいた。 バス会社が、お知らせなどをぶら下げるためのビスである。

きのうも同じバス停で降り、見たら、まだある。 そこで考えた。前に、このバス停で降りた人、たぶん私の勤務先(大学)の学生が、 これを落としたのだろう。 そして、その学生はこのバス停の近くに住んでいるに違いない。 そうだとすると、このバス停ではその学生は降りるだけで、 乗るのは反対側になる。 乗るバス停では、バスを待ちながら周囲を見回すこともあろうが、 降りるバス停は、降りたらすぐに目的地に向かうので、 どうなっているかあまり見ないものだ。 それで気づかないのではあるまいか。 そう考えたので、その時計を持って横断地下道を通り反対側のバス停まで行って、 そこにぶら下げてきた。

2010-07-08 (4) 00:30:10 +0900

髪をとめるゴムをなくしたが、思いがけないところから出てきた

朝起きて、ねぼけまなこで髪をゴムでとめ、出かけるしたくをして、 シャワーを浴び終えたら、ゴムがなくなっていることに気がついた。 髪についていないことは確認し、どこかに落ちていないかとさがしたが、ない。

時間がないので別のゴムで束ね、バス停へ向かって少々急いで歩いていたら、 後ろにはね上げた右手に、何かが当たった。 地面を見ると、ゴムが落ちていた。髪から落ちる際、手に当たったのだろう。 なんてラッキーな。 バス停で、もう一つも髪についていないかとさわってみたが、ない。

職場について、研究室の低いところにあるものをとろうとしたら、 右手のそで口から出てきた。 そうか! 一つめも、シャツの右そでの中にはいっていて、 それがそで口からこぼれ落ちるとき、右手に当たったのだろう。 そう考えると、シャワーを浴び終えてシャツを着るとときに、 シャツの右腕の部分にはいってしまった、ということになりそうだ。

2010-07-08 (4) 00:19:54 +0900

朝日新聞>大相撲の「阿武松親方」に「おうのまつ〜」と振ってあるが

/ounomacu/ とは思いにくいので、/o:nomacu/ なのだろうな。

2010-07-06 (2) 01:26:58 +0900

ピアノは88鍵、半音7つで完全五度、12回あがると12*7=84<88

最低音から始めて、完全五度あがることを12回くり返せるんだ。 気づいていなかった。 12回くり返せば元の調に戻る。 ただし、根音に長三度上の音と完全五度上の音を重ねた長三和音をひいて、 その三つの音を完全五度あげた長三和音をひいて、を12回くり返すことはできない。 しかし、11回ならくり返せる。 最低音は A, 最高音は C だったと記憶しているから、 A-dur から始めて D-dur までは弾ける、と。

2010-07-06 (2) 00:03:10 +0900

逆・縁起物>ひょうたん四つで「死病」

ひょうたん(瓢箪)六つで「六瓢」から「無病」として、 ひょうたんが六つ書かれた絵が縁起がいいと言われたりする、 あれの反対。

2010-07-05 (1) 23:48:20 +0900

逆・縁起物>瓶と棒で「瓶・棒」から「貧乏」、さらに紙がついて「貧乏神」

南天は「難を転ずる」に通じるから南天の書かれた絵は縁起がいいと言われたりする、 あれの反対。(前にも考えたけど。)

2010-07-05 (1) 23:39:11 +0900

「いまは土曜日は小学校は授業はない」は「は」が四つ続くが不自然でない

四つ続かないほうが自然だが、このままでも一応、不自然ではないと思う。 最後を「授業がない」としたくなるが、 「授業はないが、ほかの活動はしている」と言いたいなら、 「授業はない」であろう。

「象は鼻が長い」は「象は『鼻が長い』(という属性をもっている)」 と解釈すべきだ、と聞いたことがある。

タイトル行に書いた文は 「いまは『土曜日は《小学校は〈授業はない〉》』」 のように解釈できると思う。

こうやって「は」を重ねて、どのくらいまで長くできるかな?

2010-07-05 (1) 23:34:20 +0900

「蚊を殺す」とあまり言わないような気がする

手でたたき殺すときは「たたく」。蚊取り線香などでは「落とす」かな?

2010-07-05 (1) 23:32:48 +0900

「石黒」という姓を、私は鼻濁音でなく発音している

この姓の友だちが、「ウルトラセブン」を見る前にいた記憶はないので、 第二話「緑の恐怖」で初めて知った可能性がある。

2010-07-05 (1) 23:31:16 +0900

ここから先はこれからアップロードする。

2010-07-08 (4) 03:21:11 +0900

検索時のために,「イシグロ」隊員という読み方も書いておこう。

2012-05-04 (5) 23:45:59 +0900

朝日新聞>「W杯暦」はたぶん「W杯歴」の誤植

4日日曜日づけ大阪本社版、中のテレビ面、 「TVダイアリー」はキャスターの小山悦子さんの2回め(らしい)。

これだからW杯はやめられない。 私のW杯暦は1994年にさかのぼる》とある。

付)私も以前まちがえて、メールで指摘されたことがある。

2010-07-05 (1) 02:53:16 +0900

朝日新聞「天声人語」>《「虫偏」の漢字は不遇である》とあるが「虹」は?

4日日曜日づけ大阪本社版掲載分。 《思えば「虫偏」の漢字は不遇である。 先の小欄で、蛞蝓(なめくじ)や蚯蚓(みみず)といった虫偏を並べたら、 書きながら字づらの“迫力”にたじろがされた》などとあるのだが、 「虹(にじ)」に関する言及がまったくない。 「虹子」さんの中には、憤慨する人もいるのではなかろうか。

ほかには「蛍(ほたる)」、「蛋白質」の「蛋」も虫部だが、虫偏ではないか。 国字の「蛯(えび)」は虫偏だ。 「蛤(はまぐり)」も、「蜆(しじみ)」も。 漢和辞典または漢字辞典の虫部に目を通さずに書いたのだろうか。

2010-07-05 (1) 02:11:40 +0900

Vista の Microsoft Office Outlook の表示フォントの変え方がわかった

メールはすべてテキストファイルで送受信する、 というのが私のやり方である。 だから、メールそのものにはフォントの情報を含めない。 よって、変えたいのは、Outlook での表示に使うフォントである。 とりあえず文字を大きくしたい。できれば、欧文が美しく表示されるようにしたい。

ヘルプでさがすと、 「電子メール メッセージの表示形式を変更する」の中に 「フォントを変更する」があるが、よく見ると、 作成するメールの中でのフォント指定の話。 「スタイルを使用することで、 プロフェッショナルな外観のメッセージを作成できます」 とのヒントが最後にあって、かなり的外れ。

やっと見つけた。 「ツール」→「オプション...」→「メール形式」→「ひな形およびフォント」。 “新しいメッセージ”、 “返信/転送メッセージ”、“テキスト形式のメッセージの作成と読み込み” の三つについて、 「文字書式」のフォントの「サイズ」を 10 から 12 に上げた。 (いわゆる)「日本語用のフォント」は「MS ゴシック」のまま。

これでは欧文が美しくないが、 「英数字用のフォント」を「(日本語用と同じフォント)」以外にしてしまうと、 いわゆる日本語の文字と欧字が混在したとき、縦がそろわなくて気持ちがよくない。 これは迷うところ。

2010-07-05 (1) 00:32:21 +0900

Wizardry#2>coin of power と amulet of skill を使ってレベル上げ

ウィザードリィ#2での、ややインチキに近い、レベル上げの方法である。 確か、以下のようだったと思う。

metamorph ring が出るので、多くのキャラクタが lord に転職するだろうが、 常に一人、下級職の者を用意しておく。いま、A がそうだとする。 上級職の誰かを B とする。 amulet of skill は、coin of power が出るまで絶対に使わずにためておく。 coin of power を入手したら、 A と B だけでパーティーを組ませ、 すべての amulet of skill と coin of power を持たせて、 地下1階のはいってすぐのあたりで次を順に行なう。

  1. A が、その coin of power の special power で上級職に転職。
  2. B が amulet of skill の special power を使いまくる。 複数の amulet がある場合、lost になっても使えるので、 とにかく全部使いきる。 (一回成功するごとに 50000 の経験値が得られる。)
  3. B にさっきの coin of power の special power を使わせ、 dead に戻す。(これで B は下級職になり、その coin of power は消滅する。)
  4. A が、mahaman を使って B を生き返らせる。 (A のレベルは下がるが経験値は増える。 なお、mahaman を使っても“死者を生き返らせる”が候補に出なかったら、 malor で逃げてやり直し。 これ以外の手段を使わないのは、 これが一番確実に B を生き返らせる方法であることと、 A がドレインを受けるよりもこのほうが手っ取り早いからである。)
  5. B は、さきほど amulet of skill で経験値をかせいでいるうえ、 下級職になったため、宿屋に泊まると、かなりレベルが上がる。 (一回泊まるごとに1レベルしか上がらないので、 何度も泊まることになり、プレイヤーの手は疲れるが。)

私は 98 版でプレイした。途中から、 「南総里見八犬伝」の八犬士の名前のキャラクタはこの方法でのみレベルを上げ、 「トリスタンとイゾルデ」の登場人物の名前のキャラクタはこの方法を使わず、 普通に地下6階を冒険し、 coin of power や amulet of skill を集めさせるようにした。

2010-07-04 (0) 22:48:59 +0900

英単語 antipodes, antipodal の発音を間違えて覚えていた

講義で、射影平面を球面から対蹠点を同一視して構成するとき、必ず 「対蹠点」は「たいせきてん」です、「たいしょてん」ではありません、 と言うことにしている。

いま担当しているのは教職関連の科目なので、 “教師になって教壇に立つときには、自分では読めると思っている語も、 事前にもう一度辞書をひいて、正しい読み方を確認するようにしてください” と言おうかなと思い、ふと、 英単語の antipodes, antipodal の発音を確かめてみたら、 ポにアクセントを置いた「アンティポーズ」「アンティポーダル」ではなく、 「アンティパディーズ」「アンティパドゥル」で、 ティにアクセントがあるのであった。

antipode は別語なのか。ただし antipodes からの逆成。正反対のもの、の意。 この語は最初の a- にアクセントがある。

2010-07-04 (0) 22:15:30 +0900

英語の thesis は「セーシス」と発音するんじゃないのか!

「スィーサス」、複数形 theses は「スィースィーズ」が近い。 (スィを使わない主義ならシに変える。)

2010-07-04 (0) 22:12:29 +0900

NHK「実践ビジネス英語」>Theodore Roosevelt を日本語式に読まれた

1日木曜日放送分の Quote ... Unquote で。 ただし、名は日本で慣用の「セオドア」ではなく、 英語としての正しい発音により近い、 「シオドア」または「スィオドア」と発音された。

日本語に取り込まれたとき、theo- のつづりにひかれた発音になっているのは、 theorem, theory と同様。

2010-07-04 (0) 22:01:37 +0900

NHK「ラジオ英会話」>登場人物のアルファベット名がわかりやすくなった

前に 《テキストなしで英会話番組を聞くならメモを取ればいいんだ》 を書いたが、同じように考える人が投書したのであろうか。

最後の Try it in a new situation の説明では、 登場人物がイチローはI、ジョウンはJと、 わかりやすいアルファベット名で表されるようになった。 テキストでもそうなっているのではあるまいか。 職名の頭文字が使われることもある。

2010-07-04 (0) 21:17:18 +0900

挿入句「〜ですが」のため、格助詞の「が」が消えてしまった例

先週木曜日放送のNHK「ラジオ英会話」。 冒頭での、今回のダイアローグの紹介で、講師の遠山顕先生が 「ロンドンまで最安値(さいやすね)で行きたいイチロー。 友人のジョウン、女性ですが、パソコンでの予約を手伝っています」 とおっしゃった。 ジョウンが手伝っているように思えるが、「ジョウンが」でないため、 いま一つ確実でない感じが残る。

ダイアローグを聞くと、その通りだった。

書きことばなら、 「友人のジョウン --- 女性です --- が、パソコンでの予約を手伝っています」 ともできようが、 先生は「女性ですが」を一つながりにおっしゃったので、そうではない。

2010-07-04 (0) 20:21:36 +0900

サッカーW杯>日本の選手では、PKを失敗した人の名前が一番多く出ている

……のではあるまいか。 私のように、ほとんど興味のない者が、ネットと朝日新聞だけを見ていても、 覚えてしまうほどだ。

人間万事塞翁が馬ということわざもある。

2010-07-04 (0) 19:04:29 +0900

「戦隊」はもともとは軍艦などを複数集めて編成した部隊のことをいうらしい

アニメなどで、 力を合わせて戦う等身大のヒーロー・ヒロインたちを 「〜戦隊」と称することがあるので、 本来の意味はどうかな、と思い携帯電話版広辞苑第六版をひいてみて。

岩波国語辞典第三版にも載っていた。

2010-07-04 (0) 18:47:01 +0900

「さしづめ」には「結局」と「今のところ」の、正反対の意味がある

携帯電話版広辞苑第六版によると、副詞として使ったときに、 「落ち着くところ。結局」と「さしあたり。今のところ」 の、正反対の意味がある。

付) 広辞苑第六版では「さしずめ」で載っているが、 岩波国語辞典第三版では「さしずめ」をひくと「さしづめ」 を見るようにとなっている。

2010-07-04 (0) 18:42:49 +0900

携帯電話版広辞苑第六版で「Myワード」を見てもなぜ登録したか思い出せない

「不具(ふぐ)」は 《「不具」は、手紙の末尾に記す場合もある語だが、かな漢字変換で出ない》 を書くため、と記憶している。

「五線」は、「楽譜に用いる5本の平行線」では、 知っている人にしか意味がわからない、という話を書こうとして登録したのだろうか?

「惚け」「呆け」は、漫才の「ボケ」について知ろうとして、のような気がする。 登録日がことしの6月6日なのにもう思い出せないとは、私自身が(以下略)。

あとの二つは次項、次々項に書く。 次々項はけさ登録したもので、 「さて、登録しておいたものを『いろいろ』に書くかな」と思って表示させたら、 本項を書くことになった、という次第である。

2010-07-04 (0) 18:28:44 +0900

ウルトラセブン>造形物が出ない回にはがっかりさせられた思い出がある

個人サイトで読んだのだが、 ウルトラセブンの「宇宙囚人303」の回は、 キュラソ星人が登場したものの、 ダンがウルトラセブンに変身するのはβ号から脱出するためで、 キュラソ星人とは戦わない。 それを見て、当時の子どもたちはがっかりしたのではないか、 というのだが、私はそうではなかった。 ウルトラセブン以外の宇宙人あるいは怪獣として造形物が登場することが、 がっかりしないための必要十分条件だったように思う。

「侵略する死者たち」「盗まれたウルトラ・アイ」「第四惑星の悪夢」 にはがっかりした。 (「ダン対セブンの決闘」は、 サロメ星人は人間体のまま、 にせウルトラセブンは古くなった着ぐるみの改造にすぎなかったが、 カプセル怪獣アギラが登場したので、ここには含まれない。)

「ウルトラマン」では、ペスターはほとんどウルトラマンと戦わなかったが、 あれも満足だった。

付) 「侵略する死者たち」は、 “死者”とは霊のことなのか死体のことなのかが不明なまま、 など苦しまぎれの感があるが、 「盗まれたウルトラ・アイ」「第四惑星の悪夢」は大人になってから見るとおもしろい。

2010-07-04 (0) 18:08:19 +0900

ウルトラセブン>ウルトラ警備隊は科学特捜隊と比べすぐに攻撃するというが

別々の個人サイトで読んだこと。 「ウルトラマン」 ではザラブ星人にいきなり発砲したアラシ隊員をムラマツ隊長が叱ったのに対し、 「ウルトラセブン」ではダンカンを見るなりフルハシ隊員は攻撃し、 それが当然のように描かれていたという。 (演じたのはどちらも石井伊吉だが、それは特に関係しない。)

地球がどれだけ宇宙からの侵略に脅かされているかの設定が、 両作品の間で違うのではないか。 現実の地球でも、戦争中、または戦闘状態にはいっている国・地域では、 わずかなことで、いきなり銃で撃たれることがあるだろう。 撃たれたくない平穏な市民は、疑いをもたれないよう、 行動に注意しなければいけない。(それでも撃たれることがある。)

「ウルトラセブン」の設定では、 地球人は常に宇宙からの侵略者に警戒していることになっている。 地球人が宇宙人のコスプレをしているだけで、 ウルトラ警備隊にいきなり発砲されても「やむをえなかった」 で済まされるのではなかろうか。 そう考えると、ちょっと恐ろしい。

最終回が近くなると、マスクだけが造形物である宇宙人が増えてきた。 フック星人、ゴース星人、宇宙人かどうかは不明だが、ノンマルトもそうらしい。 首から下も視聴者の目をひくようにはできているが、 普通の衣装係が用意できそうなものになっている。 よって、マスクだけで宇宙人に間違われる可能性があるわけで、 お祭りのお面などをかぶって歩くことも危険だったのかも知れない。

(最後の段落は、もちろん、 回が進むに従って予算がなくなり、 マスクだけが造形物の宇宙人が多くなったことを、 半分は茶化し、半分は悲しんで書いたものである。)

2010-07-04 (0) 17:39:08 +0900


すのもの Sunomono