タミヤのチハのシャーシには、「1975」って発売初出年がモールドされています。
50年近くむかしの設計なのに、このリサーチと再現度は、ちょっと感動的です。
ファインモールドやドラゴンの新しいキットが出たからと行って、忘れ去るには惜しい力作なのです。
なので、敬意を払いつつもちょっと手を加えて、作ってみました。
八九式はルノーFTよりはスピードが早いけども、でもやっぱ遅いって言うんで九五式軽戦車を作ったら、これはペラペラ過ぎてしかも37ミリ砲じゃ破壊力がないっていうので、新しく企画されたのがこのチハ車ですが、参謀本部と戦車運用側との間に意見の相違があって、軍縮でカネがないから、安いのいっぱいで頭数だけ揃えたい参謀本部と、実際に乗って戦争するんで装甲が厚くないと意味がないっていう現場の意見を調整しかねて、二種類の試作車を作った挙げ句採用されたのが現場の意見寄りなこのチハで、それは支那事変のおかげで財布が緩んだためというのは加登川幸太郎の本でおなじみで、タミヤの取説にも語られています。
しかしそれでも歩兵支援戦車と言うには装甲が薄い。
当時の平均より厚かったとか言うけども、装備する57ミリ「短」カノン砲(擲弾筒の親分のような曲射砲をカノンて言っちゃうw)は敵陣に近接しなければいけないので、設計思想がアンバランスなことは弁解しようがないと思います。
タミヤの説明書は気合が入っていて、尾部の信号灯の色までちゃんと解説しているのはドラゴンのキットと違って親切です。
エンジンが出力の割にバカでかいので、全長が伸びて、側面系は美しい。
主砲の性能はともかく、こぢんまりとしたコンパクトな砲塔もデザイン的にはマッチしていてかっこいいのです。
そして初期のこの黄色を使った迷彩は、フジミの1/76のキットの箱絵などでも、ぼくの記憶にかっこよく残っているのです。
色彩感覚もいいよね。帝国陸軍。
今回乗員ハッチと覗視孔とエンジンハッチは可動にしました。
でもって五十年近く全く気にしていなかったこのキットのエンジン開口部のラジエータに気がついたのですよ。それまでは、「蓋開けたとこのラジエータまで再現してて気合だな〜」って何も考えずに思ってましたのですよ。でも、今回「あれ?チハって空冷ディーゼルじゃね!?」って気がついてしまったのです!
チハの空冷システムは、エンジン両脇のファンがV字に左右に並んだシリンダーの上、V字の間から空気を吸い込んでエンジン両脇に排気する強制空冷システムなのです。なんで、機関室中央の「ラジエータ」の入ってるグリルハッチから空気を取り込むのです。
だから、ラジエータではなく、ゴミ取り用のエアフィルターなのです。
タミヤは間違っていない!
サイパン島でやっつけられた個体の遠景写真にそれっぽいのが写ってます。
塗装は千葉陸軍戦車学校にしてみました。
タミヤの説明書は砲塔の「け」は教導隊とか解説の気合が素晴らしい。
50年前はまだ兵士としての戦争体験世代が現役だったせいもあるんでしょうね。
ドイツ大好きな昭和の帝国陸軍ですが、面白いことにドイツのマネした装備ってほとんどなくて、ほぼフランス、ちょびっとイギリスだったりします。
このカルダン砲架もフランス伝統で、同じようにルノーFTから発展したアメリカ陸軍もカルダン砲架を愛しているのは面白いです、
砲塔ハッチは信号用小ハッチも可動にしました。
トホホ装備のパノラマ投影式ペリスコープは取り外しちゃったという設定。
57ミリ砲チハの一番のポイントと言ったらどこでしょうか。
機銃手ハッチだと思いませんか?
ちょっと悲しくてせつない喜劇映画の「馬鹿が戦車でやってくる」でも、ブルドーザー改造戦車にこのハッチが再現されてて、ハナ肇が生き生きとこのハッチを使って演技しているのが思い浮かんでしまいます。
納屋に終戦のドサクサでかっぱらってきた戦車があるっていうのは、ちょっとロマンです。
タミヤの説明書ではこのハッチに収まるヒギャーの名称が「機関手」になってるのは「機関銃手」の誤植かなと思うのですが、ほんとうに「機関手」の可能性もある気もして、もやもやします。
キットの説明書はOVMの塗装を黒染めではなく塗装としている点もとても興味深いです。正しいでしょう。
ちなみに、ジャッキは、最近まで似た製品が出回っていたそうです。
ドイツ軍のような回転ハンドル式ではなく、画像で2つ見えてる穴のどちらかにバールなどを差し込んで上下に漕ぐとラチェットがジャッキのラックギアを送り出すのだそうです。
なので2つ見えてる穴のあいた出っ張りは首を振ります。
ドラゴンのキットや実物写真のジャッキはこのキットのものと逆方向を向いてますが、このキットのも間違いではないということです。素晴らしいな当時のタミヤ。
このキットは時代的に当然サスペンションは固定ですが、可動にしてみたよ。
ボギーの可動だけじゃなく、サスアームをシャーシから切り離して可動に。
といっても、帝国陸軍自慢のシーソー式バネとかは再現してなくて、トーションバーです。
バネの部分はダミーで動いてるように見えるようにしてみた。
ところで、九五式戦車からの伝統お家芸であるこのシーソー式サスペンションですが、驚くことにショックアブソーバーがありません。
なので揺れがなくならないというのはご尤もで、そんなに誇れるような新基軸ではないと思います。
チハの場合は、第一転輪が障害物で持ち上がると、第一転輪のアームから伸びたバネが第二&第三転輪のボギーのついたサスアームを固定するように引っ張ることで第二&第三転輪はボギーによって第一転輪を押し上げた障害物を乗り越えようとしますが、第一転輪の押し上げが障害物を通過することで弱まると、第二&第三転輪のボギーのサスアームはボギーごと持ち上がって第四&第五転輪のボギーを引っ張って車高を上げる方向に動かします。これがシーソー式と言われるゆえんですが、シトロエンの乗用車に近い性格はあるものの、そこまで重要なギミックであるとは思えません。
ドイツやイギリスやソ連の戦車はそんな連動機構などなしでもちゃんと機動できていて、しかも大重量化にも全く問題なく適応できているのに対し、このシーソー式は早くも一式戦車で適応できなくなって二年を空費したにもかかわらず、三式から五式までまだこのアイデアに固執しているのはなんというか、日本の、「一流」を立てた人が新しいアイデアを拒否して自分の名を守るという、思考停止、火縄銃文化的な発想の停止と言えると思います。
サスペンションの偽の動きを動画でどうぞ。
・・・雑なカメラワークをお詫びします・・・
タミヤのチハに付属する戦車長のヒギャーはとっても素晴らしい。
双眼鏡の紐を付け足しました。
塗装が下手でごめんなさい。
ちょっと加藤剛似?
手袋はたぶん手信号のために白いんだけども、戦車ってのは油まみれなので戦車兵はみんな真っ黒で汚いのです。
タミヤのキットの唯一の欠点は、当時のタミヤの戦車キット全てに言える、「スポンソンの下が筒抜け」という点です。
プラバンで容赦なく塞いだ。
キューポラのたぶん防弾ガラスを固定する尖頭リベットを植え直し。
車長ハッチは信号ハッチを可動に。
当時たまに見られる、使えないペリスコープ撤去状態を再現。
車体銃手ハッチの蝶番は金麦缶で。
使われたかどうかわからない操縦手用ペリスコープハッチも可動に。
ガダルカナルで鹵獲して写真撮ってくれた米軍に感謝です。
カルダン砲架はキットのをくり抜いて、防盾はドラゴンのキットの余剰パーツを持ってきた。ドラゴン好き。
日本陸軍の車載機銃マウントはボールに見えるけどカルダン砲架なので、イギリス戦車のみたいに左右に傾いたりはしません。
なのでボールに溝を掘って・・・
基部側にその溝に食い込むシャフトを植える。
ボールの中心に刺さっていることがポイント。
ぼくのアイデアではなくて、なんかこういう工夫をしたキットが過去ありました。忘れた。
サスペンションスプリングはこんな感じに。
間にウエーブの引張バネを仕込んであって、そこにキットのがらをかぶせています。バネ中央で接着してるので引っ張ると左右に伸びて見える。
今回土草色を調合しました。自分基準で。
砲塔だけ見ると迷彩の基部が集中していてなんかかっこよかった。
ドイツ軍だとライバルは二号戦車かしら。
たぶん撃ち合うとチハが負けると思う。
日本はドイツばっかりありがたがってたけども、チェコみたいな工業先進国にも目を向けるべきでした。
チェコ機銃と同じくチェコ戦車も導入したら良かったのに。
38(t)を日本軍風に迷彩すると超かっこいいよ。
おなじルノーFTから派生した兄弟。サスペンションとかちょっと似てる。
迷彩もちょっと似てる。
加登川幸太郎の本で、「チハの実車体を使った射撃実験では、我が94式37ミリ速射砲では至近距離でも撃ち抜けなかった車体を、ドイツの37ミリ対戦車砲は500mでも正面から撃ち抜いてしまった」ってあるので同じ系列のスチュワートの37ミリもチハをアウトレンジしてしまうのはむべなるかな。
ところで、アカデミーのスチュワートって普通にちゃんと寸法も合ってるんじゃね?