全9回にもおよぶ、トーキョーN◎VAセッションはこうして、ようやく終焉を迎えた。 今回は、N◎VAセッションについて語るのではなく、そのセッションから得た、私なりのTRPG論を語りたいと思う。
先に結論から言わせてもらえば、私はトーキョーN◎VAが大嫌いになった! ルーラーなど最早、欠片ほどもやる気が起きないし、プレイヤーとしての参加も遠慮したい・・・・・・・・・
では、トーキョーN◎VAの何がいけなかったのだろうか? その一つが「スタイルを貫く事」である。 スタイルを貫く事は、単純に見ればカッコイイ事だと思う。 しかし、スタイルとは決して一様ではない。 そして、ある時にはある両者(二人だけとも限らないかもしれないが)のスタイルが反発し、お互いに相容れられない状況を生み出すこともあるだろう。 これはルーラーにとっては、極めて厄介な状況であろう。
ルーラーの勝利条件として、「アクトを最終的なエンディングまで持っていくこと」(ルールブックP146参照)というのがある。 しかし、キャスト同士がシナリオそっちのけで争っていては、それすらもおぼつかないだろう。 私だって、キャスト同士が対立するセッションなんて、ほとんどお目にかかったことがない(皆無である、と言えないのが少々悔しい所ではあるが・・・・・・)
しかし、これぐらいはまだマシなほうかもしれない。 最も厄介な事は、どれほど他人の迷惑になるような行為を行っても、「それが俺のスタイルだ!!」と言われてしまえば、ゲーム的な処罰ができないことだ。 なぜなら、プレイヤー側の勝利条件として、「キャストのスタイル(生き様)を貫き通し、カッコつけること」(ルールブックP146参照)というのがあり、キャスト達はこのルールによる治外法権によって守られているのである。 ただ単に、私のマスタリングが甘過ぎただけかもしれないが、私としてはプレイヤー達を楽しまさせる事を前提に、多少の事は目をつぶってきたつもりだ。 結局、その甘々なやり方が、キャスト達のいらぬ暴走を引き起こしたのかもしれないが・・・・・・ この事実に気付いた当時の私は、ルールブックのスタイル解説に一通り目を通してみた。
・・・・・・吐き気がしてきた。 N◎VAには、ゲス野郎どもしかいないのか!! トーキョーN◎VAが背徳の街と言われる訳が、実に良くわかったよ!!!
これが、当時の私の嘘偽りのない、魂の叫びである。 当時の私の(N◎VAに対する)精神状態が最悪だった事も手伝い、私はスタイルというスタイルを否定しまくった。 その内容は、とても文章にできるものではないので、省略する。 その中でも特に、クロマク、エグゼク、レッガーは完全否定していた。 むしろ嫌悪していたと言ったほうが早いかもしれない。 逆にその難を逃れたスタイルは、カブトとフェイトだけであった。 この二つのスタイルは、N◎VAでは場違いとされる、「正義の味方」であるため、さすがに私も否定しようがなかった。 特にカブトは、N◎VAを嫌いになる前から、愛用していたスタイルである。 私は単純な人間なので、こういう正義の味方のほうが好きだ。
トーキョーN◎VAのもう一つの欠点として、≪神業≫の存在を私は挙げたい。
ここで念の為、神業について一応説明しておく。 神業とはキャストまたはゲストにのみ許された超必殺技のことで、スタイル一つごとに、そのスタイルの特色を表した神業を、一つ持っている。 N◎VAのキャスト&ゲストは三つのスタイルで表現されるために、彼らは合計三つの神業を所有しているのだ。 1アクトにつき、それぞれ一回しか使えないものの、まさに何でもアリなのである。
単純なものでは、相手を確実に殺す業(≪死の舞踏≫、≪とどめの一撃≫など)、逆にそれらの業を完全に防ぐ業(≪難攻不落≫、≪黄泉環り≫など)等が代表的である。 しかし、中には≪天罰≫のような、本当に何でも出来る(望めば、世界の破滅すらも!!)神業まで存在する。
この手の応用範囲の広い神業が、実に厄介になってくるのだ。 トーキョーN◎VAに慣れているプレイヤーに使われると、下手な神業よりも強力な効果を生み出してしまうことがあるのだ(PART2、PART9参照) この手の神業はを防ぐ手段はまずない。 ルーラーの操るゲストも神業が使えるとはいえ、ルーラーが予想外の行動(神業)に対して、そうそううまい対処が出来るとは限らない。 だからと言って、そういう神業を、≪チャイ≫(神業を無効化する神業)で片っ端から無効化していては、ルーラーとして失格だと思う。 それとも、こんな考え方は甘いのであろうか?
ここで、話が少し変わるが、ブレイド・オブ・アルカナにおける神業、∵奇跡∵は神業ほどの威力はなく、ほぼ戦闘用に特化されているために、非常に対処しやすくなっている。 さらに、PCの絶対の敵である<殺戮者>は、一人だけで何回でも∵奇跡∵を発動させる事ができる(とは言え、普通は十回前後が普通。 あんまりやり過ぎると、プレイヤー達が<殺戮者>化して襲いかかって来ることになるだろう・・・・・・) このため、ブレカナのマスタリングは、N◎VAよりはかなり楽である。 また、テラ:ザ ガンスリンガーには、カラミティ・ルージュというシステムがある。 これは、PCの一つの行動を、強制的に失敗させる事が出来るのである。 このシステムを使用する事で、ディーラー(テラにおけるGMの名称)は望まぬPCの暴走をかなり抑える事ができるのだ(さすがに、無制限に使える方法でもないが)
ところが、トーキョーN◎VAにはこういった制限やリミッターが存在しないため、キャスト達はやりたい放題なのだ。 要するに、プレイヤー達の「良心」に全てを託すしかないのである。 だが、N◎VAに生きる人間にそんなものを期待するほうが間違っている。 私の体験した事こそが、何よりの証拠だろう。 N◎VAにおいて、甘さは弱さであり、弱さは誤りでしかないのだ・・・・・・・・・
N◎VAにおける正しさ。 それは絶対的な強さ、ただそれだけである。 弱い奴は死んでいくしかない、弱肉強食の世界である。
私はこんな世界はゴメンだ。 こんな世界はこっちがお断りだ! 唐突だが、最近読んだ漫画の中に、こんなセリフが載っていた。
「弱い事がいいことだなんて思わないけど・・・・・・強ければいいとも思わないんだ。 社会は弱肉強食ってたまに言うけど・・・・・・俺達は動物じゃなくて、人間だよ」
私は彼の意見に大いに賛成である。 私のことを、甘ちゃんだと非難したければ、好きなだけすればいい。 優しさを失ってしまった人間など、それこそ獣以下だ。 単純に割り切れないからこそ、人間なのではないだろうか? 私はそう思ってる。
結局、長々と語ってしまった上に、話が妙に拡大してしまったようだ。 要するに、私がトーキョーN◎VAが嫌いだという事が伝わったのならば、このエッセイの存在意義は、果たされている。 それだけで充分である。
今だから言える! Prof.Oの私的災厄レポート☆その11
・・・・・・我ながら、随分過激な事を言っているものだ。 人間はここまで何かに絶望する事ができるのかと思うと、背筋が寒くなってくる。 だがしかし、その絶望から這い上がれるのも、また人間である。 ただ自分一人の力では、ここまで復活できる事はできなかったであろう。 楽しいN◎VAを提供してくれた、子路さん以下『遊民の会』の方々には、感謝してもしきれないだろう。
さて、こんな事ばかり書いてても恥かしいので、現在の自分のN◎VAへの考えを述べる事にする。
この文を読んで下さった子路さんから、一つ言われた事がある。 カブトやフェイトは必ずしも、「正義の味方」ではないという事である。 確かに、N◎VAならば金次第で動く薄情なカブトやフェイトはいるだろう。 この点を失念していたのは、確かに迂闊であった。 少々自分を基準にモノを考え過ぎてしまったようである。 今度、そういう悪徳カブトか悪徳フェイトをやってみるか(笑)
今の私は、もうかつてのようにスタイルを否定したりはしない。 トーキーがいてもいいし、イヌもいていいし、エグゼクやクグツ、クロマクだっていなければ大いに困るだろう。 ヒルコやアヤカシの市民権だって、私は認めて良いと思う。 ただし・・・・・・・・・
レッガーの市民権だけは認める気は全くない!(爆)
ヤツらは社会の害虫ゆえに、積極的駆除を推奨する!!
市民達よ! 今こそ快適で平和な暮らしを目指し、レッガーどもを駆逐するのだ!!!
・・・・・・私のレッガー嫌いが抜け切らないのは、やはり奴のせいか!?(苦笑)
神業に関しても一言。 神業にも限界はあった。 決してそれは自由な力ではない。 所詮、人は神ではないのだから・・・・・・