PART11  終焉の果てに見えたモノ

 

 全9回にもおよぶ、トーキョーN◎VAセッションはこうして、ようやく終焉を迎えた。  今回は、N◎VAセッションについて語るのではなく、そのセッションから得た、私なりのTRPG論を語りたいと思う。

 

 先に結論から言わせてもらえば、私はトーキョーN◎VAが大嫌いになった!  ルーラーなど最早、欠片ほどもやる気が起きないし、プレイヤーとしての参加も遠慮したい・・・・・・・・・

 

 では、トーキョーN◎VAの何がいけなかったのだろうか?  その一つが「スタイルを貫く事」である。  スタイルを貫く事は、単純に見ればカッコイイ事だと思う。  しかし、スタイルとは決して一様ではない。  そして、ある時にはある両者(二人だけとも限らないかもしれないが)のスタイルが反発し、お互いに相容れられない状況を生み出すこともあるだろう。  これはルーラーにとっては、極めて厄介な状況であろう。

 ルーラーの勝利条件として、「アクトを最終的なエンディングまで持っていくこと」(ルールブックP146参照)というのがある。  しかし、キャスト同士がシナリオそっちのけで争っていては、それすらもおぼつかないだろう。  私だって、キャスト同士が対立するセッションなんて、ほとんどお目にかかったことがない(皆無である、と言えないのが少々悔しい所ではあるが・・・・・・)

 しかし、これぐらいはまだマシなほうかもしれない。  最も厄介な事は、どれほど他人の迷惑になるような行為を行っても、「それが俺のスタイルだ!!」と言われてしまえば、ゲーム的な処罰ができないことだ。  なぜなら、プレイヤー側の勝利条件として、「キャストのスタイル(生き様)を貫き通し、カッコつけること」(ルールブックP146参照)というのがあり、キャスト達はこのルールによる治外法権によって守られているのである。  ただ単に、私のマスタリングが甘過ぎただけかもしれないが、私としてはプレイヤー達を楽しまさせる事を前提に、多少の事は目をつぶってきたつもりだ。  結局、その甘々なやり方が、キャスト達のいらぬ暴走を引き起こしたのかもしれないが・・・・・・  この事実に気付いた当時の私は、ルールブックのスタイル解説に一通り目を通してみた。

 

  ・・・・・・吐き気がしてきた。  N◎VAには、ゲス野郎どもしかいないのか!!  トーキョーN◎VAが背徳の街と言われる訳が、実に良くわかったよ!!!

 

 これが、当時の私の嘘偽りのない、魂の叫びである。  当時の私の(N◎VAに対する)精神状態が最悪だった事も手伝い、私はスタイルというスタイルを否定しまくった。  その内容は、とても文章にできるものではないので、省略する。  その中でも特に、クロマク、エグゼク、レッガーは完全否定していた。  むしろ嫌悪していたと言ったほうが早いかもしれない。  逆にその難を逃れたスタイルは、カブトとフェイトだけであった。  この二つのスタイルは、N◎VAでは場違いとされる、「正義の味方」であるため、さすがに私も否定しようがなかった。  特にカブトは、N◎VAを嫌いになる前から、愛用していたスタイルである。  私は単純な人間なので、こういう正義の味方のほうが好きだ。

 

 トーキョーN◎VAのもう一つの欠点として、≪神業≫の存在を私は挙げたい。

 ここで念の為、神業について一応説明しておく。  神業とはキャストまたはゲストにのみ許された超必殺技のことで、スタイル一つごとに、そのスタイルの特色を表した神業を、一つ持っている。  N◎VAのキャスト&ゲストは三つのスタイルで表現されるために、彼らは合計三つの神業を所有しているのだ。  1アクトにつき、それぞれ一回しか使えないものの、まさに何でもアリなのである。

 単純なものでは、相手を確実に殺す業(≪死の舞踏≫、≪とどめの一撃≫など)、逆にそれらの業を完全に防ぐ業(≪難攻不落≫、≪黄泉環り≫など)等が代表的である。  しかし、中には≪天罰≫のような、本当に何でも出来る(望めば、世界の破滅すらも!!)神業まで存在する。

 この手の応用範囲の広い神業が、実に厄介になってくるのだ。  トーキョーN◎VAに慣れているプレイヤーに使われると、下手な神業よりも強力な効果を生み出してしまうことがあるのだ(PART2PART9参照)  この手の神業はを防ぐ手段はまずない。  ルーラーの操るゲストも神業が使えるとはいえ、ルーラーが予想外の行動(神業)に対して、そうそううまい対処が出来るとは限らない。  だからと言って、そういう神業を、≪チャイ≫(神業を無効化する神業)で片っ端から無効化していては、ルーラーとして失格だと思う。  それとも、こんな考え方は甘いのであろうか?

 

 ここで、話が少し変わるが、ブレイド・オブ・アルカナにおける神業、∵奇跡∵は神業ほどの威力はなく、ほぼ戦闘用に特化されているために、非常に対処しやすくなっている。  さらに、PCの絶対の敵である<殺戮者>は、一人だけで何回でも∵奇跡∵を発動させる事ができる(とは言え、普通は十回前後が普通。  あんまりやり過ぎると、プレイヤー達が<殺戮者>化して襲いかかって来ることになるだろう・・・・・・)  このため、ブレカナのマスタリングは、N◎VAよりはかなり楽である。  また、テラ:ザ ガンスリンガーには、カラミティ・ルージュというシステムがある。  これは、PCの一つの行動を、強制的に失敗させる事が出来るのである。  このシステムを使用する事で、ディーラー(テラにおけるGMの名称)は望まぬPCの暴走をかなり抑える事ができるのだ(さすがに、無制限に使える方法でもないが)

 

 ところが、トーキョーN◎VAにはこういった制限やリミッターが存在しないため、キャスト達はやりたい放題なのだ。  要するに、プレイヤー達の「良心」に全てを託すしかないのである。  だが、N◎VAに生きる人間にそんなものを期待するほうが間違っている。  私の体験した事こそが、何よりの証拠だろう。  N◎VAにおいて、甘さは弱さであり、弱さは誤りでしかないのだ・・・・・・・・・

 

 N◎VAにおける正しさ。  それは絶対的な強さ、ただそれだけである。  弱い奴は死んでいくしかない、弱肉強食の世界である。

 

 私はこんな世界はゴメンだ。  こんな世界はこっちがお断りだ!  唐突だが、最近読んだ漫画の中に、こんなセリフが載っていた。

「弱い事がいいことだなんて思わないけど・・・・・・強ければいいとも思わないんだ。  社会は弱肉強食ってたまに言うけど・・・・・・俺達は動物じゃなくて、人間だよ」

 私は彼の意見に大いに賛成である。  私のことを、甘ちゃんだと非難したければ、好きなだけすればいい。  優しさを失ってしまった人間など、それこそ獣以下だ。  単純に割り切れないからこそ、人間なのではないだろうか?  私はそう思ってる。

 

 結局、長々と語ってしまった上に、話が妙に拡大してしまったようだ。  要するに、私がトーキョーN◎VAが嫌いだという事が伝わったのならば、このエッセイの存在意義は、果たされている。  それだけで充分である。


今だから言える! Prof.Oの私的災厄レポート☆その11

 

 ・・・・・・我ながら、随分過激な事を言っているものだ。  人間はここまで何かに絶望する事ができるのかと思うと、背筋が寒くなってくる。  だがしかし、その絶望から這い上がれるのも、また人間である。  ただ自分一人の力では、ここまで復活できる事はできなかったであろう。  楽しいN◎VAを提供してくれた、子路さん以下『遊民の会』の方々には、感謝してもしきれないだろう。

 

 さて、こんな事ばかり書いてても恥かしいので、現在の自分のN◎VAへの考えを述べる事にする。

 この文を読んで下さった子路さんから、一つ言われた事がある。  カブトやフェイトは必ずしも、「正義の味方」ではないという事である。  確かに、N◎VAならば金次第で動く薄情なカブトやフェイトはいるだろう。  この点を失念していたのは、確かに迂闊であった。  少々自分を基準にモノを考え過ぎてしまったようである。  今度、そういう悪徳カブトか悪徳フェイトをやってみるか(笑)

 今の私は、もうかつてのようにスタイルを否定したりはしない。  トーキーがいてもいいし、イヌもいていいし、エグゼクやクグツ、クロマクだっていなければ大いに困るだろう。  ヒルコやアヤカシの市民権だって、私は認めて良いと思う。  ただし・・・・・・・・・

レッガーの市民権だけは認める気は全くない!(爆)

ヤツらは社会の害虫ゆえに、積極的駆除を推奨する!!

市民達よ! 今こそ快適で平和な暮らしを目指し、レッガーどもを駆逐するのだ!!!

 ・・・・・・私のレッガー嫌いが抜け切らないのは、やはり奴のせいか!?(苦笑)

 

 神業に関しても一言。  神業にも限界はあった。  決してそれは自由な力ではない。  所詮、人は神ではないのだから・・・・・・