こんにちは 鉄道チャレンジクラブです





鉄道チャレンジ187号完成
187は完成し、宅急便経由のゆうメールで発送しました。在庫はありません。
次号188号の原稿受付中/締切予定10月25日/但し定ページに達した場合早まります



手元にある数千枚の写真を利用した生写真ページはしばらく休止します
★それと鉄チャレのバックナンバー処分も休止します★



2024年2月25日 77年目の八高線事故
みぞれ空の寒い日です・朝から線香の煙がたちこめています・献花が鮮やかです




2023年2月25日 76年目の八高線事故
★今年も多くの献花がありました★







2021年2月25日 八高線事故命日
当時事故車に乗っていてすべてを目撃したMさんが事故現場を訪問した
「もう来ることはないだろうが、あれは事故じゃない。犯罪だ。連結器がかみ合わないまま発車してカーブで外れた」
「運転士は運転しないで機関車の釜で飯炊きをしていた。カーブで脱線して事の恐ろしさに蒼白していた」
2021年2月25日、88歳になったMさんは車椅子で娘さんに連れられて事故現場に来た
「あの時、東飯能で、僕が席を譲った乳飲み子を抱いた娘さんは事故に巻き込まれたのだろうか」
「僕は機関車の石炭車の荷台の上に移ったから、事故には巻き込まれなかった」


事故慰霊碑の周りにパイプフェンスがJRによって設置された。狭い道に車が追突しないようにという。


川越線武蔵高萩駅開業80年・映画「まぼろしの武蔵高萩駅」完成




鉄チャレ本部訪問はコロナウイルスの感染拡大に伴い
事前の予約連絡をお願いします。突然訪問は受け付けません
また緊急連絡先も教えられません
また10時〜19時にお電話ください・不在のるすでんのかけなおししません



2020年2月25日 73年目の八高線事故碑の春



走る電車がニュータイプ・時の流れですね



72年目の八高線高麗川事故2019.2.25
今年も慰霊碑は献花でいっぱいです
走る鉄道も新しくなり72年の歳月の長さを見ます




71年目の八高線高麗川事故 2018.2.25

今年も事故碑にはたくさんの花が献花されています
2月23日にはJR八王子支社の方々が献花に訪れました
2月25日の事故日にはたくさんの人がこの慰霊碑に来られます
いろいろお話を聞きたいと思います




八高線事故の資料・ビデオあります・寄贈しますので御訪問ください
事故碑を背に道を50mほど東に行くと通りに出ますので右に行き
100mほど行くと右側に「きよの写真店」がありそれが鉄道チャレンジクラブです



2017.2.25 事故時間の7時50分 慰霊碑前に立ちました
たくさんの献花に慰霊碑は飾られています
早朝の高麗川行きの電車が鹿山峠を下り事故現場を通過しました
おだやかな暖かい日でした
前日の2月24日にはJR東日本の方々が献花に来られました
2月25日は毎年来られるご遺族の方が昼頃にお集まりになられていました
八高線事故70年目の追悼の日です






2017年2月25日 八高線高麗川事故から70年になります
鉄道チャレンジクラブは八高線事故を語り継ぎます
鉄チャレ本部で事故写真の資料観閲できます/予約ご訪問ください







2015.2016年発行の鉄チャレ誌八高線事故特集を再印刷しました
また事故写真や証言をまとめたDVDビデオも制作しました
販売を目的のものではありませんので寄贈します/限定10部のみ




昨年の事故慰霊碑前 2016年2月25日 JR東日本の方々が来ました



鉄道チャレンジクラブは高麗川事故を記録し語り継ぎます
★事故の証言や関係する資料をお寄せください★
鉄道チャレンジクラブまでどうぞ

2016.2.25、八高線高麗川事故から69年が経過した。
昨年は事故車両に乗っていたという方の生の証言を聞いた。
今年は事故とは縁のない方が、この事故現場に訪れて、この慰霊碑が
鉄道会社の建立のものでなく、個々の遺族の建立したものと知って
悲しくなり「なぜ鉄道会社が作らないのか、新たに作ってほしい」と
JR東日本に直訴したという話を聞いた。その事が発端なのか
2016.2.25には10名近くのJR東日本社員さんが献花に訪れた。
毎年、高麗川駅と八王子支社の方が献花に訪れていると聞いたが
こんなに大勢の方が献花においでになるのは初めてである。
毎年訪れるご遺族や関係者も感激していた。
その直訴されたかたも当日おいでになりの早朝から献花に来られる方に
辻説法をして「鉄道会社もここに慰霊碑を建てるのがスジだ」と語っていた。
午後になり、昨年に、事故車両に乗っていて事故の真相をみたという方もおいでになり
午後から献花に来られたJR東日本の社員さんに訴えていたのが今年の事故碑前だ。
来年は70年になる。また新しい展開もこの八高線高麗川事故現場にあるかもしれない。





戦後70年 資料でみる地元の戦争の足跡
★鉄道チャレンジクラブは地元の戦争資料を記録し語り継ぎます★
皆さんの証言・資料を探しています・およせください






2015.2.25八高線高麗川事故から68年


八高線高麗川事故から68年が経過した
過ぎた過去の事ではない。その事実を知る人はまだいる。
毎年2月25日になると慰霊碑は献花で埋まる。そのご遺族や関係者がこの地を訪れる。

2015.2.25多くの人が慰霊碑に合掌した。「私が一才の時に父がここで亡くなった」「姉が17才の時にここで亡くなった」
「その列車に乗っていて助かって現場を見た」それら証言の中に新たな事実が浮かび上がった。証言なので証拠としての確証はないが。

「当時12歳で東飯能駅で列車に乗ろうと窓から入り込んで座席に座ったら、怒られて外に追い出された。座席には若いお嬢さんが座った。
列車に乗れないので仕方がなく機関車の石炭車の石炭の上に乗った。東飯能駅で乗客がいっぱいになり、すごい人だった。
その為に遅れての発車だったが、機関車の石炭車に乗っていたので遅れの原因が、乗客満載で貨車と機関車の連結がずれてはまらずのトラブルを見た。
そのまま発車したら連結が外れてしまのではないかと思ったが、大丈夫だとの事で発車した。石炭車から運転席がよく見えた。
運転士と運転助手は東飯能を発車後、機関車の釜を開けて、鉄の棒で飯盒を引っ掛けて入れて、飯炊きをはじめた。まともに運転していなかった。
高麗川に下る坂道は猛スピードで下っていた。飯炊きのまま、カーブにさしかかり、すさまじい衝撃があり、機関車後方の客車が畑に落ちた。
石炭車には5〜8名が乗っていた。機関車はその場に停車し、強い誇張で「このガキども今見たことは言うな」と飯炊きでブレーキもかけなかった事実。
いい加減な連結で走っていた事実。事故は起きるべきして起きた事実を私は見た。機関車を降りてその事故の惨状に驚き意識を失ってしまった。
夢の中で白い花園と白い蝶が舞うのを見た。気がつくと遺体の中に並べられていた。こいつ生きてるぞの声で目が覚めた。
今思うと席を譲った女の人たちは死んだ。私の身代わりになって死んだ。それを思うと涙が出る。あの運転手たちはどうなったのか。
カーブであわててブレーキをかけたなんてウソだ。飯炊きをしていて運転席にはいなかった。そのまま客車の連結器は外れて畑に突っ込んだのだ。
あれは事故ではない怠慢と無責任が引き起こした人殺しだ。死んだ人たちの事を思うと運転手は死刑になっても足りない」

すさまじい生き証人の証言を聞いた。当時石炭車に乗っていた数名の方が同じ証言をすればこの八高線高麗川事故はどうして起きたのかが
明確にされるだろう。生き証人のこの証言は、2015.2.25の午前中に献花にこられた男の人から聞いた。名前も住所も告げなかったが
鉄道チャレンジクラブの事故特集の会報誌を差し上げた。なにか新しい証言やお便りがくれば、この証言をさらに明確にできるかもしれない。

2015.2.25 清野浩志記


2015年は戦後70年になります。
あの戦争を生きた人々は、皆老いていき亡くなっていきます。
そして戦争を知る世代から生まれた尊い平和を託された私たちも、皆老いてしまいました。
その私たちから生まれた子供たちがこの国を築こうとしていますが
私たちは、どれだけ多くの平和の尊さを子供たちに残したのでしょうか?


旧武蔵高萩駅/2005年に改築され今はない



旧陸軍士官学校高萩分教場/高萩飛行場/1945年の終戦で消滅

122号別冊の「まぼろしの高萩飛行場・武蔵高萩駅」は皆さんから「よかった感動した」のお便りがきました。
鉄道サークル誌の中に駅というものの歴史には、みな先の戦争の影があります。その視点でまとめてみた今回の特集です。
わたし個人の思い出から始まり、自分の親たちが、その中で戦争に翻弄されていく歴史を資料と証言でまとめたものです。
鉄道趣味的ではない構成でしたが、メンバーの皆さんから賞賛の言葉をいただきました「たった100部ではもったいない」「増刷したら」
「もう鉄道趣味ではなく立派な鉄道の歴史誌だ」「今後もこうした特集に専念したほうがいい。鉄道趣味だけでは発展性がない」など
指摘やご意見もありました。またこの特集をお送りした方から「高萩飛行場に終戦までいた人を知っているから紹介する」という
続編にもなるご意見とお言葉をいただき、しばらくこの特集は続きそうです。戦後70年となる今年にあてたメッセージとなりました。
あの戦争はなかったことではなく、あったことです。そのあった事を私たちは、より知る事で、私たちとその次の世代に語り続けるためにも
みな考え方や信条は違っても、ともに考えることができると思います。戦後70年にあたり、さらに特集を続けていたたいと思います。

2015年2月1日 鉄道チャレンジクラブ 清野浩志



大津博司氏 写真 雪の金子坂1970年


八高線準急奥利根号 1961年10月1日高麗川駅 




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1912年6月17日 田中正造 この言葉で世の中や人が計れます

しかれど自然/山は荒らされ、川/大地は荒れ、村/国はボロボロ、人は殺され続け、文明とはほど遠い人類です


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