巡礼の路(Camino Ingles)を歩くⅤ 2025・08・23~09・07

 昨年の暮れ頃だったろうか、テレビで『坂の上の雲』を見ていた。そのテーマ音楽でソプラノ歌手の森麻季さんの声が素晴らしく、
心に響いた。7年前サンチャゴ・デ・コンポステーラの大聖堂で聞いた讃美歌を思い出した。
 もう一度行ってみたい。今回行って聞けないかもしれないが、無性に行きたくなった。Ferrolからの100kmなら歩けるかもしれ
ない。Camino Ingles《イギリス人の道》である。普通5泊で歩くところ7泊で計画を立てた。歩けそうである。

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《Camino Ingles:イギリス人の道》
第1日目:Ferrol-----Neda----Fene----Pereiro12.5km
第2日目:Pereiro------Pontedeume------MIno13.9km
第3日目:Mino---------------------Betanzos11.8km
第4日目:Betanzos-----------------Peresedo11.1km
第5日目:Peresedo-------------------Bruma12.0km
第6日目:Bruma----------------------Ordes10.0km
第7日目:Ordes---------------------Sigueiro12.7km
第8日目:Sigueiro------Santiago.de.Compostera13.7km
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《プロローグ》
8月23日(土)Sansebastian====(バス====Bilbao                      Hotel ILUNION泊

 前日フランスの知人宅に泊めてもらい、バックパッカー姿でスペイン・サンセバスチャンに着いた。今回の《巡礼の旅》の
出発点である。ここから《北の道》沿いに3泊してFerrolへ向かう。ところが、着いたとたんにつまずいた。予定していた
19:30発のBilbaoまでのバスが満席で乗れない。20:30発のバスしかない。Bilbaoまでは1時間半掛かるので着くのは
10時ころになる。ホテルは予約してあるので行かないわけにはいかない。土曜日で混んでいるのだろう、20:30発の
バスは増発されて私は4台目のバスに指定されている。
 さて、時間になってもなかなか来ない。3台目までも15分位遅れて出発。私の乗る4台目はようやく21時15分頃の出発と
なった。待っている間、元気の良い若者数人と仲良くなり、後部座席に座ることができた。この分だとBilbaoに着くのは11時前だ。
ホテルは開いているだろうか?無理な計画だったのかなあ?不安が頭をよぎった。
 バスが発車してまもなく、元気のよい若者たちが大きな声で唄を歌い始めた。サッカーの試合観戦の帰りなのか、大合唱。
アルコールも回し飲みしている。そのうちに選手の名前を叫ぶところで、”AKI!AKI!AKI!”と叫び始めた。
”AKI”は私の名前である。他の乗客の手前恥ずかしくなったが、若者の勢いに押され、私も拳を上げて”AKI!AKI!AKI!"と
叫ぶに至ってしまった!?更に、その勢いは冷めやらず、周りの若者(男・女)を巻き込んで、大騒ぎ。バスの後ろ1/3位が
無法状態。結局Bilbaoに着くまでの1時間あまり、その状態は続いた。その間、前に座っている乗客は、我慢しているのか、
仕方ないと思っているのか、トラブルにはならなかった?一方、私の隣に座っていた若者は私に『うるさくないか』
『冷房はきつくないか』など気を遣ってくれた。優しい面もあった。バスを降りるや『AKI、写真を一緒に撮らないか』と
誘ってくれたので応じた。
 ホテルにチェックインしたのは、11時10分。疲れた私は、20分後ベッドに潜り込んだ。

8月24日(日)Bilbao市内観光                               Hotel Reidencia泊

《ビスカヤ橋》:世界遺産


 ビスカヤ橋は巡礼路、《北の道》が通っている。以前からBilbaoに行ったら是非行きたいと思っていた。約200年前に建造された、世界最古の
運搬橋である。車、人などをゴンドラに乗せて24時間行き来している。Bilbao中心部からRenfe《スペイン国鉄》に乗って約20分。電車を降りて
直ぐに河に掛かった大きな橋が見えた。10分程歩いて、早速ゴンドラに乗る。0.55€、約100円である。10分と掛からない。向う岸に渡り、
Cafeで休憩。一時を過ごした後、帰りは上の橋を歩いて戻った。10€。歩いて渡るととてつもなく高かった。まあ、観光料金なのだろう。

 一度ホテルに戻り、午後からは《グッテンハイム美術館》に行った。とてつもなく大きな、現代的な建物の美術館である。
       

  
     《猫の作品に替わって、クモ(ルイーズ・ブルジョア作)のオブジェがあった。》

《本章》
8月25日(水)  Bilbao9h50=====(バス)=====12h30Oviedo15h00====(バス)====18h00Ribadeo       H.Voar泊

 Oviedoを出て、1時間ほど走って、ルアルカという小さな街に入った。古い街並みに大勢の観光客風の人たちで賑わっていた。
このバス路線は巡礼路《北の道》に沿っている。中世から巡礼者で賑わった街なのだろうと思った。途中、車窓からは巡礼者達が
サンチャゴを目指して歩いている姿を何組か見た。
 Bilbaoで予定していたバスが満席のため次のバスとなり、Ribadeoに着いたのは午後6時頃になってしまった。美しいRibadeoの海岸を
楽しみにしていたのだが仕方ない。街に出て夕食を食べるだけの滞在になってしまった。

8月26日(火) Ribadeo6:55===(FEVE:鉄道)===10:00Ferrol

 電車は少し遅れてFerrolに着いた。小雨が降っていた。用意した合羽を着て、予定通りまず駅の直ぐ近くのinfomationに行く。スタッフの
方が懇切丁寧に対応してくれた。Ferrol市内の地図や《Camino Ingles》の資料を貰った。
 昼食後、ホテルにチェックインして、直ぐに《Camino Ingles》の基点を目指した。ホテルは街の東端、基点は西の端である。天気も回復し、
暑い中2km位歩いた。Ferrolのモニュメントと基点は、Google MapやYou Tubeなどで調べておいたのですぐに分かった。基点の前に立ち
触ってみると『いよいよだなあ』と気持ちが高ぶった。

    

                     
                      《Camino Ingles》の基点

 
 基点近くにあるCaminoのinfomationは昼休みで閉まっていた。Camino Inglesの詳しい資料を貰うことは断念した。その後、市内の巡礼路をたどり、
ホテルに戻った。

 
《市内の巡礼路にあるモニュメント》                   《フェロールの市役所:工事中》

8月27日(水)Ferrol---Neda---Fene---Pereiro                           14.2km  27,867歩    H. Chips Fene泊
 夜明けは遅い。7時半頃である。朝食は歩いている途中で採ることにして、8時にホテルを出た。リュックは極力荷物を減らして来たつもりだが、
結構重い。7~8kgはありそうだ。まずは5km先のサンマルチノ修道院を目指す。途中、Cafeでクロワッサンとカフェオーレを朝食として食べた。
 10時頃修道院に着いた。ホテルからの5㎞を2時間で歩いたことになる。時間あたり2.5kmの速さ。遅い。本当に遅い。年齢の為、運動不足の為。
はたまた、重い荷物の為。ただ、その後も《競争ではないし、ゆっくりでも歩いて居ればいつかは着く。》という信念のもと歩いた。

      
    《サン・マルチノ修道院が見えた!大勢のカミーノがいた。嬉しくなった》  

 クレデンシャル《巡礼手帳》にスタンプを貰う。私の後ろには韓国人の若者がいた。巡礼では韓国人は結構いる。宗教上のことなのだろう。
日本人は少ない。20分位休憩して修道院を出た。私は正規のルートではない電車の鉄橋沿いにある人道をすすんだ。余り人は通っていないが、
土地の人たちのハイキングコースでもあるようで4~5人の人達と出会った。

 

 鉄橋を渡ってからは正規のルートに合流して歩いた。素晴らしく景色の良い道だ。リュックは重いが軽快に歩いた。朝出たFerrolの街並みが対岸に
見えた。暫くすると、若いカミーノ達が追い抜いてきた。『ブエン・カミーノ!』みんな元気だ!

 
                                        《大勢のカミーノが歩いているが、大きなリュックは背負っていない?》

 FeneのCafeで昼食を採った後、再び歩き始めた。今にも雨が降ってきそうな雲行き。『そう言えば、天気予報で今日は小雨。』と言っていた。
ただ、『合羽を着るほどでもない。』森の中は涼しくて気持ちがよかった。2時半頃、Chemin(巡礼の小道)を抜け広い道に出た。右手に大きな
スーパーマーケットが見える。ホテルはスーパーの隣だ。『着いた!』予定より早く着いたようだ。予約しておいたホテルに着くやいなや直ぐに
かなりの雨が降ってきた。((+_+))
 ホテルのフロントの隅には沢山のバゲージが並んでいた。どうもバゲージは送られて来たものらしい。私がホテルに到着して暫くしてからコーヒーを
飲んでいると、その団体が到着した。バゲージの持ち主達らしい。50~60代のおじさんやおばさん。様相はラフな恰好。そのうちの一人の男性に
『カミーノか?』と聞くと、ニコニコして、『お前もか?』 ”Si,Si”自分は日本人だ。『どこから来た?』『ラマンチャ!』首都、マドリードの近くから来た人たち
らしい。そんなおじさん、おばさんの団体がサンチャゴ目指して歩いていることを知ったとき、勇気を貰えたような気がした。
 バゲージは、ホテルからホテルへ運んで貰っているようだ。《イギリス人の道》を歩くかなりの人がそうしていた。

8月28日(木) Pereiro-------Ponte de Ume--------Mino                 14.4km  37,041歩     H .La Terreza泊

 予定通り朝8時にホテルを出発。始め小雨が降っていたが、直ぐに止んだ。田舎の道を歩くのは気持ちが良い。緑の森の中なら最高だ!

   
              《標識が各所にあるので迷うことはない!》


《Ponte de Ume遠景》

 12時頃Ponte de Umeに着く。入り江の向うに白い街並みが見える。本当はこの綺麗な街で1泊したかったが、日程の都合上できなく残念だった。
Cafeに入る。スペイン・巡礼の昼食は《トルテイージャ:じゃがいもオムレツ》である。カフェオーレを飲んで40分くらい休憩した。
 『さて!』と意気込み、1時前に出発。街の裏山越えである。標高130m位と聞いている。急な坂道。重いリュックが肩に食い込む。当然歩くペースも
ますます遅くなる。住宅地を曲がり曲がりしながら1時間。見上げると、峠はまだ。『もう少しだ。頑張ろう!』と歩いたが、『何かおかしい!さっき道標を
確認してから・・・・・・道を間違えたかも!』もう少し上ろうか。戻ろうか迷ったが戻ることにした。道路沿いの家の中に人が見えた。『Camino Inglesを
歩いているのですが、ルートはどちらですか?』案の定、道標を見落としていた。『300m程下を右に曲がるのよ。』と手招きして教えてくれた。『助かった!』
 どうやら、上り坂でハアハア言いながら下を向いて歩いていたので、道標を見落としていたらしい。ドット疲れを感じた。

 
《土手に咲く沢山の昼顔が気持ちを和らげてくれた》                     《無人のCaminoグッズ売り場》

 

 途中殆ど休むことなく山道を下ってきた。YouTubeで見たことのあるCafeの看板が見えた。Minoも近い。《休もう!》 そこには昨日、Ferrolの修道院で会った韓国の
若者がいた。感じの良い若者だったので話しかけたが、彼は私のことを覚えていないらしく、素っ気ない返事だった。
 Cafeから小1時間でMinoに着いた。GoogleMapで検索し、スマホから予約したホテルは直ぐに分かった。『Olaー!』マダムがにこやかに迎えてくれた。チェックインを
済ませると、マダムが『一人ですか?』と。『一人です。』『昨日、あなたの名前でもう一件予約が入っているのですが・・・・』『ガン!ミステイクです。申し訳ありません。』
インターネットで予約したとき操作を間違えて二重に予約してしまったのだ。『誠に済みません。私のミスですから、キャンセル料を払います。』というと、『良いですよ。
私からBooking.comに電話をして、キャンセル料が掛からないよう交渉します。』 大変申し訳ないことをしてしまったので、お礼に日本から持ってきていた和風の扇子を
差し上げた。

 部屋に入り、シャワーを浴び、簡単に洗濯をして休む。『今日はことの外疲れた。』 スマホを見ると、37、000歩、歩いている。距離は20.3kmとあった。
正直『ガクっ!』ときた。疲れた!『午後迷ったからなあ。』『明日も雨、その次の日も雨の予報。』『こんな調子で歩けるのかなあ』不安が大きくなり、気持ちがドンドン
落ち込んでいった。ベッドに一人・・・・・。『ともかく明日は下りが多いし、距離もそれほどない。問題は翌日のBetanzosからだ』 朝から530mのこのコース最大の峠を
重いリュックを背負って越えなくてはならない。予報は雨。次に泊まる予定のPresedoにはホテルはなく、巡礼宿で予約もできない。ドンドン落ち込んでいった・・・・・。

 近くのCafeで夕食を食べている間も・・・・・。『今回歩くに当たって、2つのことを考えた。一つは、サンチャゴの大聖堂で修道女の綺麗な讃美歌が聞きたい。二つ目は
無理なく楽しく歩く。』 結論を得た。『BetanzosからOrdesまでタクシーに乗る。』
 ホテルに戻り、Ordesのホテル、《H.Camino Ingles》を予約した。

《後日談》
20.3kmは明らかに誤りで、スマホの万歩計は、小生、1歩は0.55mで登録している。実際には上り道もあり、55cmでは歩いていない。その時はそのことに
気づかず、20.3kmの数字を見て、急に疲れてしまったのだ。資料によれば、14.4km。ただ、重たい荷物を背負って37,000歩いたのは事実。

8月29日(金) Mino---------------Betanzos                                      10.1km  27,000歩    H.Partico泊

 
                                       《フランス人の道にもあったが、ココにもアイアンクロス(鉄の十字架)があった》

 Minoのホテルを出て、暫くしてまた道標を見落とし、少しばかり余分に歩いてしまった。前日出会っていたUSAの50がらみのおばちゃんに笑われてしまった。
彼女も私と同じで結構ペースが遅い。この日何度か出会ったが、彼女はいつも道路わきでごろりと寝そべっている、豪快な面白いおばちゃんだった。

 

 予定通り昼頃にはBetanzosのホテルに着いた。チェックインには早い時間だったが入れてくれた。シャワーを浴び、簡単に洗濯をして、近くのCafeに入って昼食を採った。
翌日はタクシーで移動ということにしたので気が楽になった。夕食はホテルのレストランで《旨いものを食べよう!》と奮発をした。イベリコ豚を焼いた料理。食べたことのない
料理で飛び切り美味かった。

8月30日(土) Betanzos========(タクシー)=========Ordes                                             H.Camino Ingles泊

  
  

                          《昼食にはスペインの国民食:ボカデイージョ(大きなサンドウィッチ)を焼いたものを食べた》

 午後2時、タクシーに乗ってOrdesに向かった。40分位で着いた。ただ、ホテルのチェックインは15時ということで入れてもらえず、隣のCafeで時間を
つぶした。ホテルの名は《Camino Ingles》。自分勝手な判断で、巡礼路《イギリス人の道:Camino Ingles》のすぐ側かと思っていた。ホテルのフロントの
スタッフに聞いてみると、2km先という。詳しくは教えてくれなかった。翌朝迷ってはいけないと思い、午後4時頃から調べに行ってみることにした。
途中、土地の人に聞いてみてもあまり知らないらしい。40分位歩いて、犬の散歩をしていたご婦人に聞いてみると、彼女も詳しくは知らなくて、
知っている友達に電話をして聞いてくれた。その時いた場所は《巡礼路》からはかなり離れたところにいて、20分位綺麗な森の中を歩いて案内して
くれた。私が日本人と知るや、子犬を指して《この子はYUKIというの》と教えてくれた。《YUKIは日本語でSNOWのこと。白くて綺麗だから、日本の
女性の名前によくある》と話すと、大層喜んでいた。
 森から広い道に出たところで、《あの家の左の道を上がっていくと『Camino Ingles』に行けるわ》と教えてくれた。

8月31日(日) Ordes------------------Sigueiro           18.1km  36,000歩      H. Siaba泊

       
      《雨の中でもみんな元気に、楽しく歩いている》

      

 翌朝午前8時にホテルを出て3km位歩いたろうか、峠に差し掛かったところに2軒の家があり車が泊まっている。《聞いて見よう!》 『Ola!』
ドアをたたきながら大きな声で家人を呼んだ。すると、中から見るからに歳負えた女性が出てきた。『私はCamino Inglesを歩いているが、
そのルートはどこか?』と身振り手振りで問うと、『すぐそこよ!』と言いながら案内してくれた。家の前の角を曲がったホンの20~30mのところに
《道標》があった。それを見て安堵した!嬉しかった。これで間違いなし。ホッとして道標の頭を撫でた。
 暫くすると、ベンチがあった。1時間位休んでいなかったので重いリュックを下ろし、用意した水を一口飲んだ。Camino の声が聞こえる。多分
前日、Bruma近くの宿に泊まった人たちがSigueiro目指して歩いて来たのだ。『アレッ!?AKI?』見ると、Minoのホテルで一緒だった、オーレンセの
元気な親子4人組。思ってもいない出会いに嬉しくなり写真を撮った。『今日、Sigueiro、そして明日はいろいろSanntiagoヨ』《健康的な家族
だなあ》と思った。『ブエン、カミーノ!(元気でね)』と言って、彼らは先に行ってしまった。《ひょっとしたらSigueiroでまた会うかもしれない?》

 

     
       《綺麗な森の中を歩くのは楽しい。》

 Sigueiroまではまずまずのペースで歩んだ。ただ、《今日はまだ宿が決まっていない。》 Sigueiroの街に入って直ぐのホテルに入って見たが、
2段ベッドの上段しか空いてないと言われ、街の中心部へと向かった。ところが、街中のAlbergue(巡礼宿)の1軒は満室、もう1軒はドアが
閉まっていた。《さあて、どうしようか?》と思っても探すしかない。重たいリュックが更に重く感じられた。縛らく街をうろうろしながら宿探し。
疲れた。前日にホテルを予約しておかなかったことを悔やんだ。
 駐車場で車に乗ろうとしていた中年の男性がいたので、『近くにホテルはありませんか?』と尋ねると『すぐそこにあるよ。』とホンの15m位先の
建物を指して教えてくれた。この町のホテルは《HOTELの看板》がなく、壁にホテルの名前が書いてあるのだ。《これでは探しても私には見つから
ないはず!》 プチホテルに落ち着いてホッとした。

 例によって、シャワーを浴び、洗濯をして、街に出た。《ビールでも飲もう!》近くのCafeに行く。店の前の椅子に座って3人の男性がビールを
飲みながら談笑していた。そのうちの一人が私を見て『ヤーッ!』と手を上げた。私もつられて『ヤーッ!』何か見たことのある人だが、誰??』
分からなかった。
 ホテルに戻ってよくよく考えたら、最初のホテルで会った《ラマンチャ》の人であることを思い出した。

9月1日(月) Sigeiro--------------Santiago de Compostera             15.7km  32,000歩        H.Denike

 朝食を食べに食堂に行ってみると、5~6人の男の人がいた。そのうちの一人が『ヤーッ!』と気軽に挨拶してくれた。何と!《ラマンチャ》の人
だった。嬉しくなって、『AKIです』と名乗ると、丁寧に一人一人を紹介してくれた。そのうちのボスは《Antonio》と言った。食後、《今日はいよいよ
サンチャゴだね。ブエン・カミーノ》と言って、食堂を離れ部屋に戻った。
 午前8時、出発である。フロントに行き、重たいリュックをサンチャゴのホテルに送ってもらおうと手続きをしていると、ラマンチャの人達も出発で
部屋から出てきた。そして、『AKI!一緒に写真を撮ろうよ!』と言ってホテルの表に出た。するとそこには別のホテルに泊まっていた他のメンバー達
がいた。Antonioの号令でみんなが集まり、記念写真におさまった。
 ホテル前を出発し暫くすると、彼らが道端の広場に集まっている。『何?』近づくと、Antonioが『今からここでみんなでダンスをするから、
AKIも一緒にどうだ!』と言われた。若い女性の2人が前に出て、音楽に合わせて踊りだした。私も見よう見まねで、手足を回しながら踊った。
その間10分位ではあったが、楽しいひと時だった。
 その後歩くのが遅い私は、途中で彼らに追い抜かれ、《ブエン・カミーノ》と言い交わし、彼らは先に行ってしまった。

   

 1時間位歩いたところにベンチがあった。そこには一人の女性が座り、何かを食べながら休憩をしていた。『よろしいですか?』と挨拶をし、
横に座った。私が名乗ると、《セビリアから来たInmaだ。》と言った。そして、《自分の娘婿は東京にいる》と言って、親近感を覚えたのか、
『道端で拾った』と言って小さなリンゴやアーモンドをくれた。リンゴは酸味はあったが美味かった。

 

 ガリシアは雨が多い。森が多く、緑が綺麗だ。荒涼とした大地を歩く《フランス人の道》とは全く違う。森を飛ぶ妖精がいた。(^^♪ 遊び心!
 いよいよサンチャゴに近づいた気配。古い街並みが歴史を感じさせる。15世紀の昔から、巡礼者たちはサンチャゴの近づいたことを感じながら、
《胸をワクワクさせながら歩いたのだろうなあ》と思った。リュックをホテルに送っておいて良かったとつくづく思い、軽快に歩を進めた。
 大聖堂に近づいた。バグパイプの音が聞こえる。《もうすぐだ。》

                            ***************

     

 午後2時。予定通りに大聖堂に着いた。青空に尖塔が眩い。大聖堂の正面まで行って、《あ~、着いた!》 両手を広げ、思いっきり
空気を吸った。すると、『AKI!』と私を呼んでいる声がする。。見ると『何と、何と!!』 ラマンチャの集団がいるではないか! 『ヤ~!』と
言って駆け寄り、何人かとハグをして、再会した喜びを分かち合った。感動の再会であった。Antonioが『写真、写真!』と言って、大聖堂を
バックに写真を撮った。皆、無事に到着した喜びで輝いていた。

《エピローグ1》
9月2日(火)・4日(木)  サンチャゴ市内観光

 翌日この旅の目的、大聖堂のミサに出かけた。12時からのミサである。大聖堂の中は巡礼者や観光客で満員。私は後ろの方の席に着いた。
12時。ミサが厳かに始まる。堂内に修道女の讃美歌が流れる。《これを聞くために来た!》 澄んだ、透明の声が心にしみ込んだ。私は静かに
80年の人生を振り返った。『恵まれた、幸せな人生』 自分の力でつかんだのではなく、《妻や親、親戚、友人や周りの方々のお陰である。》と
自然に感謝の気持ちが湧きあがった。

       
       《2回ミサに出かけ、あの修道女の讃美歌を聞いた。心が洗われた。》        

   
   《アラメダ公園からの大聖堂遠望》

    
     《絶品、パエージャ》

 
《ミサの後、アバストス市場に出かける。魚屋さんで貝を買って、その場で調理してくれて、ワインとともに食す》

《エピローグ2》

9月5日(金) Santiago de Compostera===(renfe)===Astorga                      H.Spa.Ciudad泊

 
サンチアゴ・デ・コンポステーラからは、《フランス人の道》に沿って、電車で帰った。 《Astorga》の司教館(ガウデイ作)は工事中で入れなかった。

9月6日(土) Astorga===(Renfe)===Burgos                                       公営Albergue泊

 
《Brugos》の大聖堂は4回目だが、荘厳さに圧倒された。公立のAlbergueに泊まった。

9月14日(日)

      
    《修復の終わったノートルダム寺院は観光客で一杯だった》 《サンジャックの塔:パリからの巡礼の基点》

 パリに戻り、火事の後改修されたノートルダム寺院を訪れた。クレデンシャルにノートルダム寺院の刻印を貰った。そして、巡礼の基点、
《サンジャックの塔》に行く。10年前、《ここから歩き始めた。》という感慨に浸った。
 80歳。後何年生きられるか? 《常に感謝の気持ちを持って生きていこう!》 私の巡礼の旅が始まる。

        ***************

《私の巡礼の旅歴:フランス人の道》
 第1回目:2014.8.7~9.1    Paris--------Limorges        472.4km
 第2回目:2016.8.6~8.29   Limorges-----Orthez        493.3km
 第3回目:2017.8.21~9.11  Orthez-------Burgos        382.3km
 第4回目:2018.8.29^9.22     Burgos-------Santiago de Compostera 500.4km

                                    
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