70万歩の旅~巡礼の路を歩くⅣ-エピローグ③(最終回)

 素晴らしい大自然、迫力のある景色、失敗やドジを含めたさまざまな体験、美味しい食べ物、勿論ワイン、一齣一齣が
鮮明に思い出される。しかし、最高の思い出は何と言っても人々との出会いである。それは私の掛け替えのない宝物と
なった。
 出会い、ふれ合い『旅は人なり』

*********
1回目:パリ⇒リモージュ    
2014.8.07~9.01 歩行日数:25日間 472.4km 706,517歩(万歩計)
2回目:リモージュ⇒オルテズ 
2016.8.06~8.29 歩行日数:24日間 493.3km 725,063歩
3回目:オルテズ⇒ブルゴス  
2017.8.21~9.11 歩行日数:22日間 382.8km 589,078歩
4回目
ブルゴス⇒サンチャゴ・デ・コンポステーラ 2018.8.29~9.22 歩行日数:25日間 500.4km 733,699歩
(今回)
全行程:パリ⇒サンチャゴ・デ・コンポステーラ 
 歩行日数:96日間  歩行距離:1,848.9km


***
******

9月28日(金)快晴:Rocamadour9h10-----Vierzon-----15h22Angers        友人宅
 午前8時、綺麗な朝焼けの空の下、気持ちの良い冷気を吸いながらアルベルゲを出発した。深い谷の向こうの断崖に
ロカマドールの聖堂と城が見えた。私は《黒い聖母マリア》を思い浮かべながら駅に向かった。小さなスーパーマーケットで
朝食のサンドイッチとバナナ1本を買った。私が《駅まで歩いて行きます。》と言うと、《そう、頑張ってね。》とマダムが激励
してくれた。暫くすると、《SNCF駅:2.00km》の看板を見つけた。《昨日は道を間違えて歩いたらしい。》 ロカマドールの
駅で教えて貰った道は、多分《この道を行けば良いのだ。》 静かな緑の綺麗な森の中、以前歩いた《フランスの巡礼の道、
シュマンだ。》と懐かしく思った。
そして、小1時間。森から抜けると駅は直ぐだった。《な~んだ。ここに出て来るのか。》駅
から50m位の所に標識があった。そこを右に曲がって森の中を行けば良かったのだ。その標識を見落としていた。結果的
に大回りをしてしまったということ。昨日来の《道を間違えた?》というモヤモヤした気持ちがすっきりした。
 朝早くの駅には誰も居なかった。電車を待ちながら、買って来たサンドイッチとバナナを食べた。


 
           《緑の森、綺麗な空気、気持ちが良い。これぞフランスのシュマン》

 ロカマドールから普通電車に乗って約30分、ブリヴで特急に乗り換える。車窓からの景色はすっかり秋の景色だった。

車内では、たまった日記の続きを書き、《数独》で遊びながら過ごした。
 午後3時半。予定通りアンジェの駅には友人夫妻が迎えに来てくれていた。

9月29日(土)快晴:                                                 友人宅 泊

 

 《僕は知らなかったのですが、家の前の道がモンサンミッシェルからの巡礼の道だったんです。》と友人に言われてびっくり
した。外に案内されて、彼の家の前に立っている電柱を見ると、《なるほど、私が歩いている間ずっと見続けた標識(左)》が
あった。右の標識には《モンサンミッシェル》とある。PCで調べてみると、《モンサンミッシェルからアンジェの近くを通り、サン
・ジャン・ピエ・ド・ポーまで道が延びている。》 以前旅行会社に勤めていた彼は、《将来、GIT(巡礼宿)を経営してみようかな?》
とかなり真剣に話していた。


  

 《MIZUNOさん、スーパーにこんなワインがありましたので、【巡礼の路】完歩祝いに買ってきました。》と言って、食卓に
1本の赤ワインを出してくれた。《Saint Mont》はフランス南西部・ボルドーの南のワインの生産地だ。その町の近くにも
《巡礼の路》が通っている。《Compostelleとは、ラテン語で‟星の野”という意味》 《巡礼たちはあの星の向こうにサン
チャゴが眠る聖地がある》と思いながら歩くのだ。当に《巡礼者のためのワイン》なのだ。

 レストランではとても食べたことのない程分厚い、鴨のステーキと巡礼ワイン。友人の想いに感謝した。

9月30日(日)快晴:Angers14h59----------16h40Paris                             Hotel 泊
 午前中、近くの村の不用品市場に出掛ける。そこで午後からピッグレースがあると聞いたが、時間が無いので見ることが
できなかった。残念! 家に戻り、昼食に市場で買った陶板でピザを焼いて食べた。
(^_-)-☆
 友人にアンジェの駅まで車で送ってもらい、パリへ向かった。

10月1日(月)晴れ:パリ市内                                             Hotel 泊
 5年前、《サンチャゴ・デ・コンポステーラ目指して出発し、戻って来た今、再びサン・ジャック通りを歩いて見よう。》と思い、
午後1時半頃、中世のパリの街の出口、《オルレアンの門》に向かった。


 
《Porte d'Orlean(オルレアンの門)の交差点:名前は残っているが、門はない》

 暫く歩いていると、《SORTIE CAMIONS》の黄色い看板(上右写真)。オッ!《カミーノの出口?》 昔ここに門があったの
かもしれない》 《これは凄い発見だ!素晴らしい!》と思って早速写真に納めた。
(^_-)-☆
 しかし、よく見ると《CAMINO》ではなく、《CAMIONS》とある。辞書を調べてみると、《トラック》とあった。《何だ。工事現場
のトラックの出口》の看板だったのだ。自分の思い込みに苦笑した。( ゚Д゚)


 
《街角にサン・ジャック通りの看板がある》            《黄色の矢印に興奮!》

 《黄色の矢印》(上右写真)。巡礼中、スペインでは始終見慣れた矢印。《パリのサン・ジャック通りだからこそあるのかも》
と思ったが、冷静に考えれば、矢印の方向が逆。これも、何か工事の関係で描かれているのかもしれない?(´Д`)

   
  《サン・ジャック教会:パイプオルガンの重々しい音色が内陣に鳴り響いていた》

 
                  《いつも観光客で賑わうノートルダム大聖堂と正面タンパン》


    《巡礼の出発地、帰着地に立つサン・ジャックの塔》

 パリ市内のサンジャック通り、オルレアンの門からサン・ジャックの塔までの4.4kmを2時間掛けて歩いた。
途中の《トラックの出口》の看板や《黄色い矢印》に惑わされながらも、サン・ジャック教会で聞いたパイプオル
ガンの音色や聖セヴラン教会での讃美歌の歌声が耳に残っていた。
 巡礼のシンボルである、堂々と立っている《サン・ジャックの塔》を見上げて、《戻ってきた》と思い、しばしの感傷
に浸った。5年前、この地から歩き始めて、《今、ここに元気な姿で立っている自分》を振り返り、《よく歩いたなあ。
よく歩けたなあ。》と胸に手を当てた。

 その後、地下鉄でホテルに戻り、風呂にゆっくり入って、1ケ月間生やしていた《あごヒゲ》を剃って、私の
《巡礼の旅》は終わった。

***************

 《巡礼は人生の縮図》
 三叉路に出た。標識は左右両方に付いている。《さて、どちらに行くか?》 判断力、決断力が試されている。
私は右の道を選んだ。結果、随分遠回りになってしまった。(´Д`)
 足の裏に大きなマメ(肉刺)ができた。何の根拠もなかったが、《自分はマメができない質だ。》と思っていた。
いざ
できてしまうと、その痛さに閉口した。アルベルゲのベッドに独り横たわり、《明日は歩けるか?》《連泊させ
て貰おうか?》《もう歩くのはやめようか》・・・・。《心が折れるとはこういうことなんだ》とも思った。結果、きちんと
治療し、一晩寝たら随分楽になり、歩くことができた。過信、思い込み、不安、身体の状態の把握、健康、日常
生活で常に気を付けなくてはいけないことだ。

 助けて貰ったことは山ほどあった。忘れ物の《入れ歯》を遠く30kmも離れたホテルに届けてくれた、ジットの
ご主人のブルースさん。歩き始めて最初のころに出会った、マルセーユのチャーリーご夫妻は、《巡礼の路》の
歩く基本を教えてくれた。道に迷い、疲れている私を見て、車で送ってくれた偶然出くわしたマダムにもすっかり
お世話になった。
 世界中に友人が沢山できた。日本人のカミーノたちとは、帰国後東京で会い、楽しいひと時を持った。海外の
カミーノたちとは時にメール交換をしている。カナダのケヴィンは8月中旬から再び《巡礼の路》を歩くと言い、
サンチャゴのホテルで一緒だったマルテ
ーンは、この4月に家族でサンチャゴ・デ・コンポステーラに行くらしい。
また、ブルゴスを出てからサンチャゴまで、後になり先になりして歩いたト
ールーズのフランソワは、秋に《ル・
ピュイ・アンヴァレイからヴェズレイまで友人と一緒に歩く》と言って来た。皆元気に楽しく、頑張って生きている。
 《人との出会い》が人生を豊かにしてくれた。そして、それが人生を深め、やがては《生きる重み》をもつこと
に繋がるのではないかと思う。

 サンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に響いた、シスターが歌った讃美歌の透き通るような、清らかな声が
耳に残っている。生涯忘れられないと思う。長椅子の袖に帆立貝が彫ってあった。私は貝の上に手を置き、
目を瞑って、その澄んだ声に聞き入った。巡礼の路を歩いたことを振り返り、《巡礼路千里の先も一歩から》
兎も角、まず一歩歩き出さなければ始まらない。そして、一歩一歩でも歩けばいつかは着くことができる。《自分は
これまでそんな生き方ができただろうか。》と思った。そして常に《感謝の気持ちを持つ》ことの大切さを改めて
胸に納めた。

 
《サンチャゴの道は、終わった時から始まる》と言われる。今年、後期高齢者の仲間入りをする。第3の人生。
目標をしっかり持ち、前を向いて《歩んで行こう》と思う。《2019・3・18》

                                                        おわり