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エスパーニャ道中記 こぼれ話
Vol.2
(第6話 〜第10話)

                       第6話  ブエノス ディアス(Buenos Dias)

 日本に帰ってからもやはり、スペインが気にかかります。テレビでスペイン関係の番組があると楽しみに観ています。先日,世界の料理を紹介する番組で,スペインの名物料理をとても懐かしく見ておりました。レポーターの女優さんは英語が達者で、スペイン人の男性と通訳ぬきで英語で話しておりました。相手の男性が、食べているものをさして“チョリソ”と言ったところ、彼女は、「何か英語では表現できないような、スペイン語で美味しいとか、すばらしいとかいう意味でしょうか。」と話しておりましたが、“チョリソ”はスペイン風のソーセージのこと。ちょっと相手にきけばすぐ分るものをと、残念な気がしました。この種の番組で気になるのは、英語の達者な方ほどどこの国でもすべて英語で押し通すことです。
 これはマドリーで常宿にしていたオスタルで、大阪の老夫婦とその娘夫婦と知り合いになり、その娘さんから聞いたお話。
 お母さんがスペイン語の挨拶を教えてくれと言うので、娘さんが“こんにちは”は“ブエノス ディアス”、午後からは“ブエナス タルデス”、夜は“ブエナス ノチェス”と教えました。お母さんはメモを取り、時々取り出しては、お父さんと2人で練習していたそうです。2、3日して、娘さんが「“こんにちは”は何だっけ」とたずねると、お母さんは「ブエノス アディダス」と答えました。すると横からお父さんが「あほ、“ブエナス アイレス”だろうが」とおっしゃったとか。大阪の方の会話はみんな漫才みたいだと大笑いしましたが、後でとても心温まる思いがしました。
 スペイン人は少し仲良くなるとすぐに、日本語の挨拶を教えてくれと言われました。そして、覚えた言葉を積極的に使おうとします。通りすがりのスペイン人に“こんにちは”と日本語で声を掛けられた経験も何度かあります。
 我々はスペイン以外の国へも何カ国か行きましたが、せめて挨拶くらいはその国の言葉でと心掛けました。にっこり笑って挨拶をするということが人間の係わり合いの基本だと考えたからです。このおかげで何度か危ない目に会わずに済んだと思っています。
                       
                          第7話  アウトブス(Autobus)

 スペインの町を歩いていてブス、ブスという声が聞こえてきても女性の方、決して気分を害さないで下さい。スペイン語でブスとは乗り物のバスのこと(正式にはアウトブス)なのです。
 今回の旅行で、我々はよくバスを利用しました。鉄道は首都マドリーを中心に放射状に走っているので横の連絡が悪く、長距離のバス網で補っています。そして、バスは最も庶民的で、その土地の人々や雰囲気を感じることの出来る楽しい乗り物でした。
 ただ、小さな村に行くとバスの便が極端に少なく、ほとんどが通勤、通学のため朝、村から近くの大きな町へ1本、夕方、町から村へ帰る便が1本のみ、そのうえ土、日は運休ということが多く、バスの発車時間と出発場所を事前に確かめておくことが重要になります。大きな町にはバスセンターやツーリスト(観光案内所)がありますので、まずツーリストで地図と時刻表をもらいバスセンターに行って確かめます。(ただツーリストの情報が違っていることも、ままあります)そのような施設のない小さな村では、まわりの人に聞くことになりますが、これがなかなか大変です。と言うのも、なにしろスペイン人というのは「知らない」と言うのを恥と思うような国民性ですから、聞くたびに違う答えが返ってくるという事がしばしばありました。我々の経験から言えば「バスの時刻はバス停に最も近くにあるバルの人に聞く」というのが正解のようでした。
 バスについては面白い思い出がいくつかあります。地中海はコスタ・デル・ソル(太陽の海岸)にあるサロブレーニャという町からヨーロッパのバルコニーと呼ばれる岬のあるスペイン有数の避暑地ネルハの町に行くバスに乗った時のお話。6月でしたがもうバカンス客がいっぱいで、前の方に4人組のアメリカの娘さん達が座っていました。途中から赤ちゃんを抱いた若いスペイン人のお母さんが乗ってきたので1人のアメリカ人の娘さんが席を譲ろうと立ち上がったところ、お母さんは「グラシアス(ありがとう)」と言って彼女に赤ちゃんに渡し、自分は隣に立っている人とおしゃべりを始めてしまいました。赤ちゃんを渡された娘さんはあっけにとられ一瞬ポカンとしていましたが、その後4人の娘さん達は大笑いしながら、うれしそうに赤ちゃんをあやしていました。


                       第8話  コチニージョ アサド(Cochinillo Asado)

 マドリーの北西、約90キロに位置するセゴビアの町。この町はディズニーの映画「白雪姫」のお城のモデルになったというセゴビア城と二千年前に建造された128個のアーチを持つ古代ローマの水道橋で有名です。
 そして、もうひとつ。水道橋脇のレストラン「メソン・デ・カンディド」のコチニージョ・アサド(子豚の丸焼き)もスペインの名物料理として、よく日本のテレビでも紹介されていますので御存知の方も多いと思われます。我々も肉の柔らかさを示すためにナイフではなく皿で切って、その皿を床に投げつけて割る、という実演を「なるほどザ・ワールド」で観ていましたので、この町を訪れた時はコチニージョ・アサドを食べることに決めていました。いくら子豚といっても一匹で7、8人前はありますから、我々の前に出てきたのは、すでに切り分けたものでしたが、皮がコリコリして香ばしく肉は柔らかくて、さすがに美味でした。
 子豚のコチニージョに対し、大きい豚はセルドといいます。ハエン県にあるケサダという村に行った時のことです。畑の中を散歩していると農家の奥さんに「おいしい水があるから家にこい」と声をかけられついて行きました。井戸から冷たくておいしい水を汲んで御馳走してくれました。水を飲み終えると何やら見せるから、と我々は家の裏手の家畜小屋に連れて行かれました。囲いの中に入るとアヒルやニワトリ、そして、かわいい子豚が5匹エサを食べていました。奥さんが母豚を見せるといって小屋の中から親豚を追い出してきました。その豚の大きかったこと!我々が日本で知っていた豚の倍以上はあったでしょうか。足元は糞尿でグシャグシャ、逃げるわけにもいかず2人して「ケ!グランデ!(なんて大きいんだ!)」と叫んだまま手を握り合い柵にピッタリとへばりついていました。奥さんはそんな我々をみてニコニコと笑っていました。きっと、あの豚は奥さんの自慢の豚だったのでしょうが、それ以後、我々は“豚恐怖症”になってしまいました。

                             第9話  プルポ(Pulpo)

 東京からこちらへ引っ越してきて感激したことの一つに、たこ焼の中のタコの大きいことがあります。瀬戸内海は明石のタコが有名ですが、ここ岩国でもタコがおいしく、我が家でもよく食べます。(後日談です。平郡島のタコの漁師さんとお知り合いになれまして聞いたことですが、こちらのタコが明石のほうへ出荷されているとか)瀬戸内海は日本の地中海にたとえられますが、ヨーロッパでも地中海沿岸に住む人々は、タコをよく食べます。スペインは日本にもタコを輸出していると聞きました。
 タコはスペイン語でプルポ。玉葱やキュウリ、トマトなどの細かく切ったものと一緒にオリーブ油と酢につけたタコのマリネがおいしくて、向こうではよく食べました。
 バルセローナの北東、フランスの国境に近い地中海に面した漁村カダケスは、最近避暑地としても人気があるようです。ここから20分程歩いたところにあるポルトリガは、屋根の上に大きい卵の彫刻をのせたダリ(スペインの生んだシュール・リアリズム絵画の巨匠)の別荘があることで知られています。このポルトリガへ出かけようと歩いていると、船着場でドイツ人の男の子が釣りをしていました。前日も同じところで釣りをしているのをみかけて声を掛け、友達になった10才ぐらいの男の子です。我々を見つけて手招きをして、見てみろと言うように海の中を指差します。近寄って覗き込むと、タコが岸壁の組み石にへばりついています。お姉さんと二人で棒で引っ掛けて捕ろうとしますがなかなか上手くいきません。そのうちタコは沖のほうへ逃げていってしまいました。
 我々がポルトリガから戻ってくると、まだ彼は同じところで釣りをしていました。そして又タコを見つけて、今度は我々も加わって捕まえようとしましたがうまくいきません。近くで魚の荷揚げをしていた漁師さんが2、3人やってきて彼を応援しはじめました。でも棒では上手くいくはずがありません。そばで見ていたおじいさんが笑いながら、網を出してタコをすくいあげてくれました。彼は手をたたいて喜びましたが、タコを渡そうとすると飛び上がって逃げます。おじいさんがナイフでスミを出し海水で洗ってきれいにし、マリネにして食べるとおいしいといって盛んに彼に勧めましたが、彼は「ノー、ノー」と繰り返すばかりでした。最初スペイン語が分らないのかなと思いましたが、考えてみると彼はドイツ人。彼にとってはタコは悪魔の魚だったのでしょう。


                       第10話 Casa de cuevas(カサ・デ・クエバス)

 先日、日本の大臣が中国の洞窟住居について批判めいた発言をして問題となったというニュースがありました。中国の黄河中流域に広がる黄土の台地に窰洞(ようどう)式といわれる住居形式があり現在でもなお4千人の人々が生活していると言われます。
 スペインにもカサ・デ・クエバスという洞窟住居が多く残っています。雨が少なく、赤土のようなやわらかくて掘りやすく、粘り気があって崩れにくい土地では、柱や壁を作り屋根をのせる形式の住居よりも穴を掘って作る形式の住居の方が合理的かもしれません。
 スペインはアンダルシア地方、グラナダの北東にあるグアディスは、この洞窟住居が集中的に残っていることで有名です。主人に洞窟住居を見に行くといわれ、建築的な知識の無い私は、古代の横穴式とか竪穴式とかよばれるものを想像していましたが、上の絵のような赤茶けた台地の上に、ニョキニョキと白い換気用の煙突が突き出た光景は壮観でした。
 我々が内部を見せてもらった家は10数室の部屋を持つ立派なものでした。窓が無いのと廊下が無いのが普通の家とチョット違いますが、電気もきていますし壁紙やジュウタンで内装されているので、ソファに座ってテレビを観ていたりすると、洞窟の中だということを忘れてしまいます。住んでいる方に聞くと「夏は涼しいし、冬は暖かいから冷暖房費はかからない。おまけに、狭くなれば又、掘ればいいからネ。役所は衛生がどうのこうのと言うが、昔からこうして暮らしているんだから出ていく気はないネ。」とのことでした。
 スペイン各地を旅して、いろいろな住居形式をみました。南のほうの夏は40度を越すような日差しの強いところは窓を小さくして、日中はよろい戸をおろして太陽の光を防ぎ、部屋の中を涼しく保つとか、北のほうでは全面を総ガラス窓にして太陽のエネルギーを取り入れるといったように、その土地の風土に適した建物が美しい町並みを作っています。日本に帰ってまとまりの無い家並みを見た時、長い歴史の中で育てられてきた知恵と文化を、経済性ということのみで切り捨ててしまっていいのかということを考えさせられました。