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エスパーニャ道中記 こぼれ話
Vol.3
(第11話 〜 第15話)

                            第11話 Gitano(ヒターノ)

 スペインにはヒターノと呼ばれるジプシーたちがいます。特に南部のほうに多く、音楽的な才能を持った民族でフラメンコの歌い手や踊り手で有名な人も多いのですが、定職を持たず貧しい暮らしをしている人々が多いようです。彼らの殆どは町の古い地区に住んでおり、我々が古い家並みの残った通りを歩いていてヒターノの子供達に囲まれ、お金をせびられたことが何度かありました。
 グァディスの洞窟住居にもジプシーのひとたちが住んでいる地域があります。我々が知らないで、その付近を歩いていると一軒の家の中から若いお母さんが出てきて家の中を見ていけと言います。中に入ると部屋は4部屋ほどで家具の類もあまり置いてありませんでした。ひととおり、家の中を見せてもらった後、お礼に百ペセタを渡して帰りました。グラナダに永年住んでいる日本人の画家の方から聞いたところでは、そういう時のお礼の相場は百ペセタほどなのだそうです。しかし最近、日本人の観光客が増えて、彼もよくグァディスの洞窟住居を案内することがあるのですが、なかに日本人の感覚で千ペセタを渡す人がいるそうです。そのため近頃では、日本人は金持ちだということで高い金を要求してくるジプシーが増えてやりにくいとのことでした。
 家の外に出て、しばらく歩くと4、5人のジプシーの子供達が寄ってきてお金をくれといいます。「お金はない」と言うと、子供達は口々に「うそつき」「日本人は金持ちのくせに」と我々をののしります。そしてカンをけったり、棒きれをぶつけたりしてきます。そのうち、ひとりの女の子が私の帽子にさしてあったバラの花をすばやく抜き取りました。私が「返してくれ」というと「お金を出せ」と手を出します。私は「それは私の友達がくれた大切なものだから返して欲しい」というと、彼女は私の顔とバラの花を見つめてからバラを私に投げてよこしました。そして彼らは引きあげて行きました。一般のスペイン人たちは、泥棒や悪い事をする人間が多いとヒターノを嫌っている人が多いようです。
 我々も子供達にお金をせびられるのには閉口しました。しかし、彼らには彼らなりの倫理があるようです。グラナダにはヒターノの仲間に養われて暮らしている日本人がいるとも聞きました。家族や仲間同士の結束の強さが長い年月、他民族の中にあって風化せず民族的特徴を保っている要因ではないでしょうか。


                           第12話 Amigo(アミーゴ)

 今回も前回に引き続きグァディスでのお話です。マドリーの中華レストランで知り合った埼玉県在住の小島さんは、毎年1回8年間もグァディスに通い続けているということです。小島さんの話では、はじめてグァディスに行った時知り合った人達に親切にしてもらったので、日本へ帰ってから手紙を出したところ「ここにはお前の家があるから、いつでもいらっしゃい」という返事が来たそうです。翌年また出かけた時ホテルを決めて荷物を置き、その友人に会いに出かけたところ「ここには、お前の家があるのに、なぜホテルに泊まるのだ」といって宿に荷物をとりに行き自分の家に運んでくれたそうです。よく手紙に書く社交辞礼の言葉だと思っていた小島さんは、ビックリした後、大変感激したそうです。それ以来、小島さんは毎年グァディスに通い続けているという訳です。
 ここで「おまえ」と書きましたがスペイン語には相手の呼び方に、ていねいなウステと、親しい人を呼ぶトゥー(複数はウステデスとボソートロス)という二つの呼び方があります。そしてスペイン人はトゥーと呼び合う関係をとても好みます。二言、三言、言葉をかわして気が合えば、すぐトゥーと呼びます。子供達がケンカをしているところを見ていると、はじめはトゥーで呼んでいるのがケンカがエスカレートしていくとウステにかわっていきます。(日本とは逆なのが面白いですね)ウステという言葉は丁寧であるが故に距離をおいた他人行儀な言葉使いになるのでしょう。 
 小島さんの話に戻ります。小島さんはスペインに行く知り合いにグァディスの友人達を紹介したところ、その方達が「彼の友達なら我々の友達だ」と現地で、とても歓迎され両方とも喜んでくれたので我々もグァディスに行くなら是非寄ってくれとホァキンのバル『エル・トレ』の住所を教えてくれました。我々が『エル・トレ』を訪ねた時も、大変歓待してくれました。バルにいた人達全員が「オレも彼の友達だ」と次から次へとビールを御馳走してくれました。
 グァディスを去る時、ホァキンのバルのタパス(つまみ類)を車中での弁当用にタッパーにつめてもらうと、彼が列車の中で飲むようにとビールにワイン、それにシェリー酒を持たせてくれました。
 見ず知らずの旅行者に、とても親切にしてくれる人懐こさが我々にとって一番のスペインの魅力です。スペイン語でアミーゴ。日本語で友達。我々の大好きな言葉です。

                          第13話 Nacimiento(ナシミエント)

 アンダルシア地方の北東部ベティカ山系の水を集めコルトバ、セビージャを通り地中海と大西洋に流れ出るグワダルキビール河。この河口付近の広大な湿原地帯はドニャーナ国立公園と呼ばれ地中海を渡ってアフリカ大陸とヨーロッパ大陸を行き来する鳥たちの休息地になっています。
 日本で習ったスペイン語の教科書に紹介されていましたので、是非、行ってみたいと思っていたのですが自然保護のため交通が不便で車でなければ無理だということで今回は諦めました。けれども河の大好きな我々夫婦は、今度はこのグワダルキビール河の源流を見たくなりカソーラという町を訪れました。
 表題のナシミエントとは“誕生”という意味ですが河の生まれるところという訳で源流という意味にも使われます。
 カソーラは山の中の町ですがシーズン中はバカンス客が多い町らしくホテルが何軒もあり思っていたより大きな町でした。我々はバス停近くのペンションに泊まりました。ツインで一泊1000ペセタ(当時、1ペセタが約1.2円)という安いペンションでしたが宿の人は、皆、親切で感じの良い宿でした。
 外出から帰って「カギを下さい」というと「部屋のドアにつけてある」との事。何のためのカギなのか?と二人で顔を見合わせましたが、やはり田舎は治安が良いようです。バルにカメラを忘れカマレロが追っかけてきて持って来てくれたのもこの町でした。
 さて肝心のナシミエントですがツーリストオフイスできいたところバスの便はないとの事。タクシーを利用するより他に手段がなさそうな話。どうしたものか迷っていたところウベダからのバスで一緒だった老夫婦に声をかけられました。メキシコ人で現在はアメリカに住んでいるというこの夫婦と英語とスペイン語とチャンポンで話しているうちに、明日グワダルキビール河の源流を見に行くために車をチャーターしてあるが一緒に行かないかと誘われました。渡りに船のお話で喜んで乗せてもらうことになりました。
 翌朝八時半にバス停のある広場で待ち合わせ。車はほこりだらけのジープでしたが、勇んで出発!国の保護地区になっているらしく入り口にはゲートがありました。松の木が多く車窓に鹿の姿を見つけたりして楽しみながら目的地へ。少し手前で車を降りて歩いて行きました。大きな岩にナシミエントの看板がかかっていて岩の門のような所からキレイな水が流れ出ています。グワダルキビール河の大きな流れからみると信じられないような小さな流れですが、その清らかさは生命の誕生に出会ったような感動を与えてくれました。
 その後、この地区にあるパラドール(国営ホテル)によって昼食をとり、元はフランコの別荘であったという猟師博物館やマスの養殖場を見学。運転手さんの知り合いの家でキツネの子供や、大きなイノシシを見せてもらったりして六時にカソーラの町へ戻りました。
 我々は行きたい一心で値段も聞かずに乗せてもらってお金を払う段になってビックリ!一日中、車で案内してもらって4000ペセタ(約4800円)とは!運転手さんの昼食代2000ペセタは半分ずつ出し合ったのですが、それを加えても一人分が1500ペセタですが日本では考えられない安さです。
 この旅に気を良くした我々は、この次はグワダルキビール河を源流から河口のドニャーナ国立公園までの旅をしてみたいと話し合っています。


                             第14話 Libro(リブロ)

 今回のタイトル『リブロ』は『本』という意味です。4月23日はサン・ジョルディの日。スペインの南東部バルセローナを中心とするカタルーニャ地方の祭日です。スペインは国民の98パーセント以上がカソリック教徒の国で、各地方や町などが、それぞれのパトロンと呼ばれる守護聖人を持っていて各地方でいろいろなお祭りがあります。バレンシアのサン・ホセの火祭り、パンプロ-ナのサン・フェルミン祭の牛追いなどは良く日本でも紹介されているので御存知の方も多いと思います。
 さてSt・Jordi(たぶんカタラン語だと思います。カタルーニャ地方では,日本でスペイン語と呼んでいるスペイン中心部のカスティージャ語と共に、この地方のカタラン語が公用語として使われています。ちなみにカスティージャ語ではSt・Jorge=サン・ホルヘ。英語のジョージと同じです)は、怪獣のいけにえにされようとしていた美しい王女を救ったという伝説の騎士。王女に永遠の愛の証として赤いバラを贈ったという言い伝えから愛する女性にはバラの花を、そして4月23日が『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスの命日であるため男性には本を贈る習わしがあるそうです。
 バルセローナのランブラス通りは中央に遊歩道のある大きな通りで、普段の日でも本や雑誌、お土産品、花、小鳥などを売る屋台が並んでいますが、この日になると本屋さんが数多く並び、割引セールをするとあって普段から欲しいと思っていた本を買おうと大勢の人達でにぎわうということです。
 3年ほど前から日本でも本屋さんと花屋さんの組合が、この祭りに目をつけ各地でサン・ジョルディの日の催しが行なわれるようになったとか。「何も外国のお祭りを日本でやらなくても」と思われるむきもあるでしょうが、今や日本でもすっかり定着したバレンタインデーのチョコレートよりも大人むきだと思います。何より愛をこめて花を贈られたり、本を贈ったりするようなロマンチックな相手がいない人でも、自分のために花を飾り本を読むほうが見栄で買ったチョコレートやキャンディーをヤケ食いするよりはずっと心豊かだとは思いませんか。
 残念なことに、ここ岩国でも、おとなりの広島でもサン・ジョルディの日は行なわれていないようです。今年は無理でも来年あたりから、岩国にもサン・ジョルディの日を!岩国の本屋さん、花屋さん。どうかよろしくお願い致します。

                          第15話 Parador(パラドール)

 パラドールというのはスペインの国営ホテルのことです。現在、86ヶ所のパラドールがあるということですが昔の城や修道院など由緒ある建物を改築したり、景勝の地に新築したりして、まだまだ増えるそうです。パラドールはスペイン政府御自慢の観光政策で日本の国民宿舎が低料金で国民が利用できるという目的で作られているのとは反対にスペインのホテルの中では4星、5星ランクといった高級ホテルに属します。
 それでも料金の方はツインで1泊6000ペセタから10000ペセタですから(昭和61年当時)外国人観光客には人気があります。食事は別料金ですが2000ペセタ程でコース料理が楽しめます。バルの飲み物などは値段は他とそう変わりませんので我々はパラドールのある所では必ず立ち寄ってリッチな気分を味わいました。
 6年前の旅行の時、マドリー近郊の古都トレドのパラドールを訪れました。バルでコーヒーを飲んだだけでしたが、その落ち着いた素敵なインテリアにすっかり感動。次にスペインを旅行する時は、是非、パラドールに泊まってみたいと思っていました。その夢がかなったのは、アンダルシアの内陸部の中心都市ハエンを訪れた時です。丘の上にある古城を見ようと登っていったら城の中には入れませんでしたが、隣に同じようなデザインで作られたパラドールがありました。バルでコーヒーを飲み内部のロビーなどのインテリアに魅せられて翌日は出発の予定でしたがフロントに寄り翌日の予約をとりました。(ガイドブック等には予約が必要と書いてありますが、その日の飛び込みでも空室があれば宿泊できます。)
 しかしながら、なにせ我々は貧乏旅行。普段は2000ペセタどまりの安ホテルを泊まり歩いていましたのでパラドールに泊まっても食事代だけは安く上げようとパンやハムなどを買い込みました。翌朝、いさんでタクシーに乗り込みパラドールへ。早すぎて、まだ部屋の掃除が終わっていないということで、しばらくバルで待たされてから部屋に案内してもらいました。
 ボーイさん( といっても、立派な制服を着たおじいさん )に、はじめて100ペセタのチップを渡しました。ドアが閉まるやいなや、荷物を開き、お風呂に湯をはって協同シャワーの安ホテルではできないジーパン等の洗濯。浴室中に洗濯物を干してからスケッチブックと昨日買った食料を持ってハエンの町をスケッチに出掛けました。高い丘の上ですから一望のもとの眺められます。夕方、部屋に戻り残りの食料で夕食を、と思ったのですが、ここまで来てケチケチ旅行では意味がないと、半分やけくそで食堂で食べることに決定。持っている中では一番いい服を来こんで勇んで出掛けました。
 昔の貴族の館のような高い天井に、シャンデリアのさがった豪華な食堂で、タキシード姿のボーイさんにサービスをしてもらう食事は最高のご馳走のように思われました。せっかく優雅な気分になったのに部屋に戻ると主人はメジャーを取りだし部屋の実測です。いつもの安宿ならば一人で20分程で済むのですが、パラドールの部屋は広くていろいろな調度品があり天井も高いので私もメジャーの端を持つ羽目になりました。それが終わって洗濯物をしまい、お風呂に入り明日の旅支度。こうして、いつもよりずっとあわただしいパラドールの一日が終わっていきました。