それでは、『くノ一死にに行く』の第一話です。
* 『捧げつつ試合』 28p * .
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甲賀直系忍者の子孫を残すため、切断した男根を、江戸へ運ぶ、くノ一おふう、『捧げつつ
試合』
精子を生かし続けるため、常に女人の手で握っていなければならない、っつーなんともはや、
いつもの淫猥スケベな忍法「はぐれ雁(がり)」
男根を握ったまま、追っ手の真田忍者と戦う、くノ一おふう、哀れ、ですねぇ。
上州沼田真田藩の悪政
公儀隠密甲賀大八
真田忍者との死闘
瀕死の重傷
甲賀直系忍者の子孫を残すため
切断した男根を江戸へ運べ
精子を生かし続けるため
常に女人の手で握っていなければならぬ
忍法「はぐれ雁(がり)」
真田忍者vsくノ一おふう
『捧げつつ試合』
***
( 注:*は手裏剣のつもり
(^ ^; )
(これがいわゆる、”少年摩羅人アルク・コーガン”の
『失笑・スピロヘータネッチョリ目線:流し目波状攻撃』part93
っつーこと? あ、ごくろうさんpart93)
『捧げつつ試合』を読みたまえ、ボケット小僧君、むはははは。
◆オレのオモシロ度=
読んでいない。
◇ボクのオモシロ度=☆☆ (☆5つが最高。)
2004.10.24.(また読者が減っちゃったかな)
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ボクの「捧げつつ試合」データ * .
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えー、これはボクの個人的趣味です。
忍法名とか脇役陣とか時代とかをExcelで並べ替えして遊ぼっかな、っつーつもり。
忍法帖第?作目
初連載誌:オール読物1965年8月号「くノ一捧持して行く」改題
(山田風太郎43歳:執筆時)
時代設定:天和元(1681)年秋
登場人物
甲賀忍者
@甲賀 大八(こうが だいはち)公儀甲賀組首領の息子。:忍法はぐれ雁(はぐれがり)(自分の男
根を切り離しても、女人の手に握られている限り、いつまでも中の精子が生き続ける。)
A布目 万右衛門(ぬのめ まんえもん)公儀甲賀組忍者。おふうの兄。:忍法名使用せず&不明
甲賀くノ一
@おふう(おふう)公儀甲賀組くノ一。布目万右衛門の妹。鎖鎌の達人。:忍法名使用せず&不明
根来くノ一
@お頼(おらい)公儀根来組副頭領の娘。:忍法名使用せず&不明
脇役陣
@真田 伊賀守 信直(さなだ いがのかみ のぶなお)上州沼田真田藩3万石藩主。真田伊豆
守信之の孫。奥方は酒井雅楽頭忠清の娘。天和元(1681)年11月22日没収・改易・配
流となる。
A徳川 綱吉(とくがわ つなよし)四代将軍徳川家綱の末弟。館林中納言。延宝8(1680)年5月
五代将軍となる。天和元(1681)年当時35歳。
B堀田 筑前守 正俊(ほった ちくぜんのかみ まさとし)幕府若年寄。春日の局の孫。のち大
老。貞享元(1684)年8月28日いとこの稲葉石見守正休に殿中で殺害される。51歳。
C国定 忠治(くにさだ ちゅうじ)上州佐位郡国定村出身の無頼の渡世人。この時代より約160
年後に登場。
D伊奈 備前守(いな びぜんのかみ)関東郡代。
E山名 膳三郎(やまな ぜんざぶろう)市ヶ谷に住む直参。公称鉄砲百人組の一つ二十五騎
組の組頭。
* ボクの「捧げつつ試合」データ おしまい*
2004.10.24.
ではでは、出羽の守、大変長らくお待たせいたしました。
今週のメイン・イベント (^ ^; あり??? 何か変よ。 え? あいむ・そりい?
あいむ・そりい!
『くノ一死にに行く』は短篇集なので、
いかがわしいシーンがほとんどありませんので、
『声に出して読めたらエライ禁断のくノ一死にに行く』 (^ ^; .
のすべての短篇は、お休みさせていただきます。ご了承ください。
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何だこりゃ?っつー肩すかしで、ごめんネ。だって、スケベシーン過激じゃないんだもん。
『声に出して読めたらエライ禁断のくノ一死にに行くのすべての短篇』
(^ ^; は、お休みでした。
◆オレのゴックン度(初読)=お休み (★5つが最高)
◇ボクのゴックン度(再読)=お休み
* 「捧げつつ試合」の巻 おしまい *
2004.10.24.(まだ読者が残っているかな?)
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