BGMは前橋汀子のバッハ作曲シャコンヌ<CD無伴奏バイオリンソナタより)>&詩『楽園』著作・朗読は日高よし子です。
更新2008年5月21日 16:17【「ハンガリー舞曲一番」 真夏から 「夢のあとに」 秋の青空】 (前橋汀子のCD「アンダルシアのロマンス」より)
クラシック
前橋汀子が好き
【↑この写真は前橋汀子のCD『モスクワの思い出』のジャケットより】
夢幻
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『前橋汀子リサイタル2002・6.22』 そして、今回のコンサートは 『地球の種子』 先日の新聞で地球の生命の種子は彗星が運んだ、というのを見たが、つい最近NHK TV「宇宙」でその詳細と言うべき内容が放映され、地中、海の下深くに北海道、 四国分程の彗星の衝突跡がくっきりと映っていた。 そして、ぶどうの皮の蛋白質の一種と、宇宙から採取した「塵」が同じ成分だったそうです。私がこの「夢現シリーズ」を書く動機となった衝撃的な「感動感」との遭遇、それは平成九年、ヘールポップ彗星が 地球に最接近した年でもありました。 【この年は 千遇一彩 出会いあり ヘールポップ 前橋汀子】 『魂のバースディ』 詩歌集夢現第3集 「夢幻」 第1部「約束された人生」(P6〜8)より エッセー『約束された人生』 (略) 振り返る人生に、人は、どれだけの「約束」した数の花束を持っているだろう。 心の礎というべき、人と人の信頼関係という交流の束を担って、増やしていく事が その人の懐の深さに成っていくものと思う。 多種多様な「幸福感」があるけれど、それは、その個人の器にしか入らないもので ある。私はその器を持ち合わせていないと思っていたが、平成九年の夏 前橋汀子さんのバイオリンの衝撃的な音色との出会いにより、精神の陶酔感と 「満腹感」。地球の命脈と連動する、生命の躍動感を識った。 究極の「幸福感」。 まるで、私という地球に彗星がぶつかって軌道修正され、 自身を「ディスカバリー」した様な………。そして、向井千秋さんが 再度(平成十年)飛び立った宇宙に思いを馳せる今、「蟻」の視点ではない 「宇宙的」な視野から、全て「約束された人生」│であったと思えるのである。(了) 【我投稿 「約束された人生」も 入賞だけは 約束されず】 戻る ☆★ P8 “木の「緑」 わかく背景 いま全景” 「約束された人生」の其の道筋は、一葉の「言の葉」が、 指し示していた。 ☆★ 『一葉の木の葉』 ───それは、不思議な予言の様に 一葉の木の葉 ──── 「色は、何色が好き?」 若い頃、友人の問いに、見回す廻りに添う色が無く、強いて挙げたのが、 ────木の「緑色」という、言(こと)の葉──── 現在から、三十年余前、車の免許を取った時、に最初に買った車が、緑色」。 十三、四年前乗っていた軽四も、若草の「緑色」。 どちらも、知人から推められ、格安なので購入した中古車。 十年程、勤務した会社の社名にも、思えば「緑───」が、付いていた。 そして、緑葉育む、木の霊が棲むバイオリンの、その音色の最高峰の、夢弦に 行き着いて、それだからこそ、初めて「生」の喜びを得られ、夢現第一集、 第二集の言の葉の「葉実」となった。 クラッシック音楽の感動という「母」から生まれた、 「もう一つの生命の発露」。 一粒、一粒の「真珠の言葉」。 しかし、前橋汀子さんの音楽に出会わなかったら、 こういう形の「結晶体」には、成り得なかった。 現在も、人間を潤している多彩な色彩の数々も、原点は、自然の中の、 その色を擬似しているのであって、普段忘れているけれども、見える形としての 自然の恩恵そのものの中で、生きているのである。 (その擬似出来る、人智────或る面、それは素晴らしい。 この音楽の感動は、伝達手段の現代の通信及び、受信機器技術なるものを否定して は、語れない。そして、人間にこの「感動」を与える為に、各、天才にその 「任務」を負わせたのでは、と考えてしまうのである。) いつの場合も、芸術家が点す感動の燈明は、原点を、指し示めしている。 何気なく言った、「緑色」────私の体内のものが、云わせたのか、 それ共、そう言った事で、其の「精」が、私の細胞に潜り込んだのか 究明できる筈もないが、その色が折りにふれ、降って来た。 ─────その最高の色が、平成十年六月二十六日のコンサートの、 彼女の 「グリーンのドレス」────── 木に惹かれ、木のバイオリンの音色に魅せられ それは、不思議な予言のように 「一葉の 緑色」。 “木の化身 濡る緑なる 衣裳着て バイオリニスト オーラに 現わる” ”言霊(ことだま)は グリーンのドレス 弦(現)実に” 戻る ─────────── * ──────────
P9 『黒の色彩』
(「夢現」より) その中に佇んでいる。 例えば、空────限りない水色の空に、浸っている。 或いは、ブルーの海。 若しくは、風に翻めく若葉。 音楽で云えば、魂を震わせる、透明なバイオリンの音色── それが基調(ベース)──── が、「その中」に、未だ、奥があったのだ。 それは、「肉感的な魂の響き」とでも、表現したらいいだろうか? 「肉体」をもつ魂など、在り得いと思っていたが、 そうとしか言い様のない音楽が在る。 そのベースの、もっと深層には、「暗黒(くろ)」がある。 そして、赤は、直ぐに紫色に封じ込まれ、他の色彩も絡まり 乍ら、「その人の色彩」を奏で、人を、圧倒する。 「暗黒」が「色彩」を知ってしまった、嘆き─── 「暗黒」に還らねばならない…………。 今は、夏だけれど、冬空の下で、あの冬木立と共に聴けば、 「哀切感」極まって、涙が溢れるかも知れない…………。 ★ (以上 平成九年七月記) “魂の 悲哀 号泣 気高き 響き 充弦なり 刻のみつど” ★ P10 『虚 脱 感』 (「夢現」より) その音色を、聴いた後の、此の虚脱感は何だろう? まるで、深海の魚が、もっと深く、もっと碧い域に潜り込み、 そこから出た後は、いつもの青さも虚ろで、ああ、もう一度あの深さへと、希う様な……。 若い頃なら、理想の人に寄せる、片時も、頭から離れない 思慕の想いに、似ているだろうか………逢って、別れた後の、その想いにも…………。 その人は、「音色」でしか知らない。けれど、その音楽を奏でる人の、音楽への限りない慈しみが、 一ミクロンの細やかな息遣いとなって、人の心の細部に、その情感を烙印し、魂にくい込んで、身動きさせない。 その人の、生きて来た人生の深さ──── その人だけの人生の味────勿論、その練磨の日々────結局、それが「音楽」の結晶となって、 聴くものを魅了してしまうのだろう。 しかし、もっと早く、出会いたかった、とも、知らなければ良かった、と思うことさえある。 (平成九年七月二十五日 記) ★ P10 『郷愁』 朗読へ)(前橋汀子の音楽に寄せて) 充分な 青い空 でも もっと もっと 碧い空が 見たことは ないけれど……… 充分な 青い海 でも もっと もっと 透明な 深海が 見たことは ないけれど……… し っ て い る …… 戻る ☆ あのバイオリンの音色が 私の体内を突き抜けた時ーー ーーー地球の草創期の碧い空と 紺青の海に在る私ーーーー 磁力が 一つの方向に 吸い着くように 芸術家の「精魂」には 数知れぬ 「無体」の魂が吸い寄せられ それが「有体」の魂に 木魂となって 共鳴し 人間を 「魂の郷愁の頃」に 誘ってゆく ★ P10 『芸術とは?』 “伝書鳩 磁力に 呼ばれる ノスタルジー” 今年も、朝顔の「伏し目の憂い美」が、夏の片隅を彩っています。 「去年と同じ花」を、「去年と同じ私」が見つめています。 辿れば、そう、ずっと「同じ花」であり「同じ私」なのです。 細胞という、遺伝子の連なりの「もの」の、「私」は或る意味で到達点。 一本の永い数珠のような「命」を、逆流すれば還る「うみ」へ、「水」、 「細胞」の 一粒へ。 「水」から生まれ、偶然、という必然から、「人間」という形になった。進化という過程で得た、 「二本足」で立つ機能。 それは、心と肉体のバランスを、保つ為。 一つの片寄った見方、聞き方をしない為の、二つの「目」と「耳」。 一つの、「方向」と、高い「志」を持つための「鼻」。 一つの、真実を語る為の「口」。 ───形には 全て 意味がある─── 生命の連続性を保つ為、動物全てが本能として持っている「食欲」と「肉欲」。 そして、人間は、進化の過程で人間性に覚醒め、「魂」の存在を識る。 それは、「人間」に成った時に、根座したものなのか?。 精神性の果てに見える、その存在。限り無く求めているもの─── 「人間」に生まれた事の「幸福」とは? この精神性を極め、その「喜び」を、体感出来る事。 全細胞が、満場一致で双手を挙げて、一ヶ所に集ってくる様な───それは、今迄の遺伝子達 (死んで逝った者達)が、集って、憩って居る様な──「感動する心」 どうして、美しいものに 感動するの? それは、生まれた頃の記憶に還って行くから? そして、自然界との共生感に、人間は辿り着く。 私の「存在」が、「無意味で無かった」という 共生感にも。 芸術、芸術家が伝導している本質そのものが、「魂」であり、自然界の聲であり、 自然界のメッセージで、あろう。 前橋汀子さんという、一人のバイオリニストの音色から得た、魂の陶酔感の起因性と、 帰着性の道筋。 真さに、芸術家なり。 ★ p11 『木 魂』 作詞曲 日高よし子 前橋汀子・スラブ舞曲〈ドボルザーク〉に寄せて 1.いつか見たやら あの水色 ハーモニー奏でる 海と空 何を見たやら あの海の果て 一隻の舟が ただ過ぎて行く 生まれる前の 母なる 海の 寄せ引く 波は 呼吸の息 いつか 聴いた 潮の合唱 あの音色が いま 此の部屋に 岸へ抛り上げられる 舟のように 人は 生まれ出でたか 。 2.いつか見たやら あの空の色 暮れ切る 間際の 藍色の空 『木魂』のこと ”人生の 生涯の幸は 出会いなり 絶品(たえ)なる 大自然(しぜん) 本(しょ) 音楽と” 一度見て 忘れられない 瞳のフイルムに灼きつく 自然がある。 大きな感動の高浪が 揺り起こす 潜底の 「真珠の小箱」 太陽が 一番 青春の真っ只中である 夏に一杯 翼を拡げて 情熱を 撒き散らす時。 海と空は その情熱を媒介として 中和し 境目のない 涼やかな 水色のハーモニーに 溶け合っている。 晩秋の 夕間暮れの ほんの一瞬の 藍色の空。 思い出した様な 青春の日の 紅潮した 頬の色の様な 夕陽と 秋の青空に しのびよる 冬の沈黙の 黒が混ざり合った そんな 哀愁の色。 太陽が その翼を 半閉し始める 冬になると 生き物たちも 生存の為 知らぬ間に 土の何処かに 潜り込んで静死期の 通過を待つ。 そして 寒空に 全てを葬り去られた 人間の様に 一本一本 違う形をした 冬木立は その神経模様の枝を 凍風に 晒しながら 暗いトンネルの闇を くぐって くぐって いつか 「五月」に辿り着くべく・・・ ”凛然と 魂の姿 冬木立 見下ろす 俗世 春には 再び ” 太陽が その翼を 開き始めると 土が匂い立ち 風が その春の賑わいの 声を 風車に乗せて 運んで来る やがて 太陽と 風の 暖かい 眼差しの中 新しいの生命の芽生え、 古木が あんなに 初々しい 若草色の葉を 産むことの 生命の 不思議に 充ち溢れる 五月ーーー ”若葉には 五月は 眩しき 「新世界」” ”交差点 風と 光と 揚羽蝶” 瞑想すれば 見える 光景 瞑想すれば 聴こえる 音楽 感動の 頂上から 見たものは 自分自身の 断層ーーーー ◎■ 地球と言う 奇跡の様な「生命体」の星は 数え切れぬ程の 生き物を その四季に 産み落としている それは 地球の「無意識の愛」───── 四季に見出だす 「人間の一生」 その 折々の「生」を 茂らせ────完結してゆく──── ☆★ 平成九年八月二十八日に行った「ファーブル昆虫博」での、蝶の標本の あの多彩な色彩を見れば、蝶が、素は花だったのではと、思わずにはいられない。 そして「秋が産んだ虫」の鈴虫の音色──── 樹から産まれた虫が、 到来する冬に、哭く事も出来ぬ木立の吐息を、地下水で練り上げた様な、 濁音の無い「鈴虫」の透明な「哀」だけの音色────その音色が、何故か 前橋汀子さんのバイオリンの音色に重なった様な気がした。 ☆☆☆ 『再 会』 9月28日(日)の 甥子2人の 運動会で 再会した あの「変わらぬ大樹」 子供達を 包み込む 抱くように そして オーケストラの 指揮者のように 校庭の中心で タクトを自在に なびかせている 躍動を 見ているのは 木々の葉 躍動を 感じているのは 大地の根 毎年 生まれ 落ち果てていく 目の前の葉 毎年 生命を 育む 覆(かく)れた 地中の根 人間の姿ーー見えるもの 人間の「魂」(心)ーー見えないもの 倒れる 木 と 倒れない 樹 昨夜、NHK教育テレビの『芸術劇場』でのオイストラフのバイオリンの 音色を聴いて、その音波(おとは)の、波のリレーが、確かに 現在の或るバイオリニストに いき 繋(つ)がれていることにーーー そこに 「永遠」を 見た。 (平成9年10月6日 記 『夢弦』より) 戻る
☆★☆★☆ ★ p14 『木のバランス性』 ♪ ★ (P16)『胎 動 感』 『四月に!』
P17☆『美しい心』ドビッシー「美しき夕暮れ」 p17 『ノクターン』 (ショパン) “「雨だれ」の 五線譜の 跡 「ノクターン」” そのバイオリンの、弦から沁み落ちた、一滴の露は、此の部屋を、 此の町を 越えて、砂浜を、そして、海まで、一面、哀色に染めて行きます。 ─────悲哀と、真正面に対峙している音色。───── 何か、見てはいけないものを、見た様な………… その音楽を聴く時は、或る種の勇気が、必要です。 “此の現(弦)の 哀色 全部 「ノクターン」” ★ p17 『フニャーニの スタイル』(クライスラー) “ 境界に 幻(弦)なる 螢 「雪国」火か ” 何処をどう降りて行けば、どう昇り詰めれば、あの「音色」の正体を掴む事 が出来るだろうか? 哀し過ぎる、美し過ぎる、バイオリンの音色。 雪を溶かせる 火の様な 火を黙らせる 雪の様な 雪の中の 火と 火の中の 雪の葛藤──── 底知れぬ 音色の 哭響 それを 想えば 何と 甘っちょろい 人生──── 雪も 知らず……… 火も 知らず……… ☆★☆★☆★☆★ p18 『タウンテラ』 “哭きじゃくる 弾きじゃくる 弦 「タウンテラ」” 昇る太陽の その 丸い侭 映える 初草の 円の中 P18『バッハ無伴奏バイオリンソナタ』 『魂』
p21 「楽 園」 きっと 其処は やはり 野原だっただろう 歩いているというより 風に運ばれる様に それでも 確かに 一歩ずつ 進んでいたのだろう 目的地が あった分でもない ただ 気が付くと 処々 花が 咲き初め 道案内人の様な 蝶の後に従い 其の道を 歩いていた よく見ると その 空間の中は 何時も 柔らかな 日差しと 花々と 蝶に溢れ 楽園だった………… そうだ 私は 死に掛けていた ──それは肉体が─── そして 到達して 本当に 死んでしまった ──目を閉じ 息をせずに─── 「魂」だけが 活きている ──其処は確かに天上界だった ───生き還る瞬間─── ──前橋汀子さんの「無伴奏・シャコンヌ」を 聴いている「刻」──── 〔以上 (「夢弦」より〕 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ p21 『パルチータ・第三番「アダージョ」』 それは 雲の 揺り篭の中? 風に あやされ 引かれて 心地よく 漂っている 或いは 海の 吐息の中? P74 『海 藻』 (「夢弦」創詞曲より) “クリオネは 一滴の ち血 より 生まれたり ” 海面に 海の藻 揺らめいて ゆーら ゆーら ゆーら ゆーら漂って 生きて いるやら いないやら おかまいなしに 煌めいて ゆーら ゆーら ゆーら ゆーら 揺らめいて 海面うなも と 海藻 溶け合って ゆーら ゆーら ゆーら ゆーら 煌めいて 眠って いるやら 子守詩 夢枕にして 横臥わる ゆーら ゆーら ゆーら ゆーら 溶け合って 海面に 海藻 揺らめいて きーら きーら きーら きーら 煌めいて ゆーら ゆーら ゆーら ゆーら 漂 よ い し “クリオネ(水母)は 宇宙の 螢火 星 あか赤り” 戻る p22 ♪『噴 動』 歌 へのリンク やがて 富士の山に なるかもしれない やがて 湖に なるかも 知れない 元の 地球に 戻るかも 知れない (夢弦・創詞曲より)
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p31(人間界の公式) 「引算の時』 ★「雲の中の音色」★ (前橋汀子のviolinに寄せて) p33 『 涙 』──感性── だから 涙を 持っているのです (「夢弦」より) 太陽から 搾られ 生まれた その 一滴……… 海は 酸っぱさが 一面………… p34 “天上絵 うつす 地上え 我が魂” p36 『科学と芸術』 ★ |
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───────────── * ─────────── 以下は詩歌集夢現第3集「夢幻」 第5部『マイメードソングについて』(抜粋)より 『マイメードソングのこと』 “エレクトーン 押さえるでなく 心 乗せ 弾く 音楽(おと)なりと 解感5年” (平成11年当時) ◇ “「先生」は 名手の音楽 聴き身いる 感動 開墾 エレクトーン我わ” (略) ウインフィル、ルビンシュタイン、ジャクリーヌデュプレ、前橋汀子、ヘルタテッパー等、特に感銘的だったアーチスト。現在、自分の弾く音色に、うっとりする事が出来る様に成ったのは、偏えにこのアーチストたちの音楽が養分になっている。何故なら弾いている時、無意識的に目指しているのは感動感の、「その域」なのだから………。何よりも、それが「先生」である。 ◇ 【夢幻界(無限界) 宇宙遊泳 星の宝石(いし) 覚めたくは無い 夢死界(無視界)の 域(息)】 4年程前、アバド指揮のウインフィルのブルックナー「交響曲一番」を聴いた時の詠首だが、曲中のある部分に本当に宇宙の中の只中、色彩りどり、煌びやかな星々に遭遇した様な印象を受けた。 【雨が降る……… 宇宙空間の 地球に 大地わ 皮膚 最初の 一粒】 アルツール・ルビンシュタインのサンサーンス「ピアノコンチェルト第二番」を聴いた時の詠首。メインメロディのピアノのソロの部分に、初めての地球の雨の様な、「ゾクッ」とする感触を経験した。 【重力と 浮力の 狭間 「無伴奏」】 前橋汀子のバッハ「無伴奏バイオリンソナタ」を聴いた時の作句だが、感動感の時の舞い上がる、雲の中の様な心地………本当に雲の中に「在た」事がないのに、浮き上がって、真綿に包まれた様な無重力感。「母」の腕の中の赤子の様な、幸福感。 それらは、「遠い」日の、記憶の所産かしら? “宙脳の 交差点で 対話する エレクトーンの 右手 左手” 言葉より、もっと原始的な音楽と言う文化、それは、地球上の共通語。いや、宇宙上と言えるかも知れない。現在、電波望遠鏡「すばる」が捉える宇宙。普通の望遠鏡では捉えられない画像を電波で以てキャッチして、画像処理しているらしいが、あの画像を観た時、ブルックナーの音楽を聴いた時の宇宙の印象と合致した。 『偉大なる 芸術家の想い出は |