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445のページ
 このページ下記に記載のEmailは以前のものです。現在は【yoshoko@y5.dion.ne.jp】2008/9/22。
445(よし子)のページ・にゃこリン無現シリーズ
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445のトップページから『コスモスページ』

<無断転載禁止>
(引用する時は必ず著作者<日高よし子>、表題を明記して下さい。)  
        

2003年1月28日
(月)



 ”真っ白き 羊が原に 日出づる 

今回掲載分

にゃこリン夢現シリーズペーパーマガジン
bT8
 
      
お知らせ
ホームページをリニュアルし、トップページを
「445(よし子)のページ」としま
このにゃこリン夢現シリーズはその中の

「まるごと13のリンク」に入っています。

 下記のようなページです。楽しみにしていて下さい。

 

445(よし子)のページ
 
                  
 【無断転載禁止          著作日高よし子

 

 

まるごと13のリンク

目 次
445(よし子)のページ
4+4+5=13 

キャバリア犬コスモスのページ

にゃこリンの夢現シリーズにゃこリンの夢現シリーズ

今日という日今日という(2度と昇らぬ今日の

マイ俳句短歌おまけに川柳

R0UDOKU(朗読

マイポエム

クラシック前橋汀子が好き!

マイメードソング&Music    工事中!

日本の言葉ピックアップ味わう日本語工事中!

甥子甥子(高2・中1)のこと    工事中!

私の本夢幻(夢幻)のこと   工事中! 

Email

          

 BGM マイオリジナルソング
詞曲 日高よし子


ページ1

♪ 日本の花

♪「誰のために」                            
ページ2へ
♪朗読 (バックの音楽は前橋汀子のCD「亜麻色の髪の乙女」より『アベ・マリア』です。)
 
亜麻色の髪の乙女ドビッシー より
十三面の桃源響

ページ3に 
♪一瞬の、紫陽花、
ときめき夏 
 


上記他40曲『私の歌』 唱ってくれる人募集!               

このぺーじ1に掲載
にゃこリンの壁掛

俳句短歌(67句首)の書画の壁掛 


 


左の写真はペーマガ撒く時等、常時使用している私の車ミニカです
車の上のスピーカーから私の
オリジナル音楽を流しています。

 何処かで見掛けたら声掛けて!

 地球の中の 私達の生命は
誰から 貰って 誰に 支えられて
そして 誰のために あるのでしょう
  誰のために?


 数々の神秘の生命を産み出した地球の疲弊、
ダイオキシン、温暖化、オゾン層破壊 etc。
 人間が十分の充(十)を知らず、繁栄を貪り、
 積み上げた物の結果が、地球の現在の状態です。       

地球環境保護の啓発を込めて
  「誰の為に・地球の未来に」の歌を
   創りました。

      壁 掛
        

★『(わらべ)の目                                          

 人が、「眼」ではなく、「瞳」でものを見ていた頃、目には蛍が棲んで│
いました。───
キラキラ輝く、星の虫────           │
 山崩れや、落葉や、泥水の中から逃げ出した、蛍の様に、人間の「目」 
からも、或る時期、一斉に逃げ出してしまうのです。          
 子供の頃、バッタの棲み家の、雑草ぼうぼうの、原っぱの中、それ以外 
色彩豊かな花々や、緑深い、垂直な木に囲まれていた分ではないけれど、 
「それ等」を現在「愛する」事が出来るのは何故でしょう?       
言葉として、「花は美しい」「不屈な木」、学生時代の授業を聞く様に知 
っていました。                           
 囲りから他の雑多な物も色々、教えられた様に。              
でも、その中で、右足を出して、次に、左足を出して、日々進まなければ                    
ならなか った様に、日々を「食べて」来て 、或る日、「或る遺伝子」を                    
吐き出したのです。あれは、アクリルのガラス玉だった様な気がします。                       
 そして、
それと入れ替えに、そう、あの「蛍」が還って来て、     
花や、木や、全るものをダイヤモンドの輝きにしてしまう、       
何億光年の「瞳」を、思い出したのです
。               

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇     
  お知らせ
広報カーでオリジナル曲を 
私の歌で最新歌『誰の為に『一輪の美』
『一瞬の』(ページ3のBGM)
朗読で『日本の花』 

『恥を知る』を流してます
この
『一瞬の』は阪神大震災
があった年の夏に創った歌です。   
 阪神大震災で亡くなられた方の声なき
聲のメッセージであると思っています。
     

 ページ始めの写真の広報カーで、「地球は青かった」
詩「四月に!」 又        
  「宝船」、「童の目」の朗読を。私のオリジナルの歌、       
  『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン』の        
  テーマソング「見知らぬあなたへ」、「にゃこリンの歌」      
  「子供の頃」「ずっと大阪」「目カッチン」。           
   前橋汀子のバイオリンで聴いたショパンのノクターンの      
   イメージから私が作曲した「哀」、その他。           
    いづれも私の歌、演奏で流しています。            
   「見知らぬあなた」の所へ行きました
時は、よろしく。 

  又、詩歌集夢現第3集「夢幻」の実物販売もしています。
   各表紙絵は実画です。限定残り10冊です。
 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇     


にゃこリンの夢現シリーズペーパーマガジン       
2000年7月創刊                                             
bT8  《2003年1月27日号》             
                                                   
★インターネット発信リニューアルしました


http://www5a.biglobe.ne.jp/〜yoshikoh                    
http://homepage3.nifty.com/yoshikoyo/
【Email:nyakorin@hotmail.com     


 【無断転載禁止 著作 日高よし子
お知らせ
 昨年内には何とか仕上げたいと思っていた私のホームページの  
 リニューアルやっと編集も終り、インターネットに流しています。



キャバリア                                  
  犬  コスモスのページ「コスモス」の写真のスライドショーを流しています。
今日という「日」2度と昇らぬ今日の「日」の事を、ほぼ毎日書き込む積りです。  
言いたい ほうだいより(1/22(水)付)                  
 日本の「家計」を考えれば税収減を補う為、消費税アップが必条という声を最近メデ
ィアで見聞きしますが、現在の日本(世界的傾向か)貧富の差が激しいと思いませんか
?億ションとか高額品がよく売れているようで、そうかと思えば失業率自殺者が最高と
いう情況です。一層の事以前の様に売上税復活(高額商品への税金)させればと思いま
す。少々の額アップしたところでそういう層にはこたえないでしょう。       
私達は1円10円でも安いのを買いに行っています。               
生活必需品(食料品等)は消費税を0にでもして欲しい位ですよ。         
インパクトニュースり                            
 国民の健康を脅かす中国からの農産物輸入に依る農薬等使用の懸念。遅きに逸したB
SE(狂牛病)問題への対処、まだまだ出る可能性がある。これが発覚した時の政府か
らの酪農業者への「補助金」は、又新たな不正を産んだことは衆知の事実だが、こうい
う後手、その場しのぎをやるくらいなら、農産物及び、食牛のチェックシステム(農薬
、狂牛病の牛の)に予算を注ぎ込めばいい。農産物等はその生産地をセンサーに取込ん
で識別出来るシステムが開発されているそうだから、現在の科学なら「その気に」なれ
ば、出来るのではないか。                           
 拉致問題から北朝鮮の事が最近よく取り上げられ現在の同国のメディアの内容も観る
機会が増えた。「鬼畜アメリカ」の番組が頻繁に流されている。国民を飢餓に追いやり
脱出している現状を見据えもせず、一部特権階級のみの事しか頭にない金正日の様な人
間を長にしている国の悲劇。そんな人間を「敬愛する将軍様」と言わせている「教育」
。「対岸」というのはよーく見えるでしょ。「教育」の怖ろしさ。         
「日本人性」を抹消された戦後憲法、戦後教育。どっぷり戦後教育を授けた戦後世代が
政治、経済の中枢になろうというこれからの日本には、今一度、抗弁権のない敗者を勝
者が裁いた「東京裁判史観」からの、教育のやり直しが必要と思われる。      
(略)問題がイラクに移りメディアにも取り上げられなくなったアフガニスタンの現状
はどんなでしょう?ああいう国を見ていると大国に「植民地化」された方が国の立て直
しも早いような気がしますね。(勿論、国によりますが)             
 先の大戦前、日本は被植民地国にインフラは勿論、学校まで造ったのですよ。   
植民地国でそんな国は日本だけです。日本人はこの事を誇りに思っていいと思います。
(後々それをどうとるかの違いだけです。)                   
 産業を興すべくアフガニスタンへの日本企業の進出も期待されるところです。   
ROUDOKU(朗読) 「人間の強さ」を           
                                 流しています
マイメードソング&Music 「誰のために」を       

(笑話) 『イワシの馬鹿』   
 節分のある日、ロシアのトルストンさんから日本の
海民さんへ航空便が届きました。中を開けてみると「
今日は節分ですね、素晴らしい日本の風習の節分の食
物をお送りします。未だ未だ厳寒の折この豆でインフ
ルエンザの菌を追い払い又、鰯で身体に滋養を付けて
冬を乗り切って下さい」という一文とともに大豆と、
まだ生きている鰯が送られて来ました。      
 さて早速その鰯を焼こうとしましたが、暴れて逃げ
て、掴みかけてもツルツル滑って思うに負かせません
。もう腹が立ったウミタミさんは「このイワシのバカ
!」と足で、エイッその鰯を踏み潰し、鰯はその形を
とどめず、無残な姿となりました。ウミタミさんに向
かってイワシも「バカ」と言ったのが聞こえた?  
────────────────────────
               

                     

    インターネット広報カー   
 から流してます             
  これらの    歌や朗読 ー7  
 商品化されませんか?   40  


  
紹介者には謝礼 

────────────────────────

 年齢56才でーす。              
ホームヘルパー2級修了  
車の免許、珠算2級      
宅建取引主任資格有
仕事求


   にゃこリンの夢現シリーズ        
bT7 《2003年1月9日号》 
    
”    

 
【無断転載禁止                   

今年の標語                                    


                                    
         ◇新年 昇る太陽に                
         これまでの願いを託し      
           前途洋々たる          
           未来へ踏み出す◇
        
                          
           
今年こそ                  
                                     
       
デビューめざして!           
                                     
                                     

                                                                                           




『温 故 知 新』                     

 
    ”早々と お節炊き終え 紅白観る”              

 大晦日の仕事お節料理の煮炊き、例年は夕方位から取り掛かるのを、今年は 
朝からし始めたお蔭で夕方には終える事が出来ました。買いそびれた物を買い 
に出掛け夕食を終えてからは、久しぶりにゆったりと紅白歌合戦を観て、家族 
4人無事新年を迎えました。81才の私の母、高校2年、中学1年の甥子2人 
という家族構成なれば、共々の正月は一年一年が貴重であり、皆健やかな事本 
当に喜ばしい限りです。煮炊きと言えば、近年の冬は極力換気扇を使わない、 
循環の風が冷たいから。その代わり窓を一杯に開けている。お節料理を炊きな                       
がら「母の時代」私の子供の頃が沸々と甦る。                                     
 昔は換気扇等なかった。同じく暖房器具も練炭火鉢ひとつ。弟や妹達とそれ                       
に体をくっつけ、冷たいみかんを練炭の囲いの上に乗せ温めて食べた。                          
その家の中の厳寒を補ったのが煮炊きの「蒸気」だった。それが乾き切った空                       
気をしっとりと潤してくれた。                                            
 そして現在の我が家の暖房具が電気炬燵だけの部屋に(それでも昔を想えば                       
充分過ぎる暖)、温度と湿度の加度の役目を果たしてくれている。                            
「点けたその手で、ハイ換気」ガス会社の一酸化中毒防止の為の標語は、ガス                       
を使う時の必須条件となって私達もそれを当り前の習慣としてきたが、マンシ                       
ョンならいざ知らず、窓のある家は大きく開けて(煙の出る物、油類物以外)                       
換気扇を回さないようにすれば加湿器の役目、電気代の節減になる。     

 現代という文明国のマニュアル社会が見落としてしまったもの、      
地球の「着膨れ現象」を思えば「温故知新」(古きをたずねて新しきを知る) 
傾向が、これからの必然的帰結となるでしょうね。             

    “換気扇 止めて 暖房 加湿きる”  
             
            *                       
夢幻】 第一部 《約束された人生》P6より            

 { 少女の頃                                 
  吸い取り紙のように 雨を拭って行く 大地                  
  一粒 一粒の 言葉を  相槌を 打ちながら                 
  優しく飲み込んでくれる  「母」のよう                   
 明ければ 朝が 夜の 母が 忙しく 俎に走らせる               
 包丁の音の その途切れ目から 見え 立ち昇る                 
 夕餉の湯気の ホッとする 温かさのよう………                 
  母はいつも 隅っこにしか 居なかったけど                  
  でも「救い」でした。} 
                          
            *    
                       






 ”初詣 八坂神社で 破魔矢 かう”               

 例年の京都墓参後、一昨年甥子一吉の高校入試合格祈           
願をした八坂神社へ、一年遅れのお礼参りを兼ねて初詣           
に行きました。露天で買った一舟のタコ焼きを3人で食           
べ、最後を食べた上の一吉はその器をそこらに(一杯            
散乱していたが)捨てずに「持って帰りました」、感心           
々々。正月早々嬉しい事でした。 
                    
            *         
              


 445の                               
ホームページコスモスページで待ってる ワン!  

            *                       

 445の                               
ホームページ今日という日より            
 1/8NHK教育TV人間講座「絵本のよろこび」の           
中でレオ・レオーニの「生命の礼節」といういい言葉に           
出会った。自身にとって身に余る境遇下に於いて鋭敏な           
感性が本能的自己防衛(自堕落の拒絶反応)の為、敢え           
て自身を孤独下に置き「宇宙」と向き合わせたのだろう           
。 現代の地球上の文明国と非文明国の余りにも隔たっ           
た生活情況を、文明国の人間が「身に過ぎたること」と           
自覚する事、それが「生命の礼節」を知るという事だ。           
 文明国の人間にはそれでしか「幸福」は得られないの           
ではないか。 
                             
 
人間とは厄介な生きものだから────                 
 「精神」を持っている。 
                       

【無断転載禁止】                     

http://www5a.biglobe.ne.jp/〜yoshikoh                           
【Email:nyakorin@hotmail.com】
                      
【Email:yoshikohneyjp@mtd.biglobe.ne.jp】                                           

〒572-0029  大阪府
寝屋川市寿町             
            рO72−832−6640           
発行者 
日高よし子 

 にゃこリン夢現シリーズペーパーマガジン       
bT6 《2001220日号》  

   
【無断転載禁止  

 
デビューめざして!              
 今年も早や12月となりました。                   
今年の初頭このペーマガに 『
一道馬駆』            
 ”花のみや 
うまい になる 喰えるみに”          
と標語を掲げて突っ走った積もりでしたが、実にならぬ          
侭あと10日程で「未年」(ひつじどし)になりそうで          
す。この11月末にはラジオ局のあるオーディションに          
参加(さすがに最年長でした)したり、私の歌を唱って          
欲しい歌手の人のコンサートへ行って依頼したりと、積          
極果敢に挑戦しています。
デビューめざ           
して 来年はもっともっと積極的に、再度            
一道馬駆の精神を貫徹。                    

 
「日本」への回帰                
 
今年の漢字大賞にが選ばれたそうですが、その           
一番の理由はやはり右のニュースにも書いていますが、          
拉致された方々の日本帰国でしょう。昨日の記者会見で          
は北朝鮮のバッジをを外し
日本人だから          
日本国に家族の運命を託されました。               
若しアメリカがこの立場だったらどうするでしょうね?          
先ずこんな事(拉致)は起こり得なかったと言えるでし          
ょう。それは何故?日本もアメリカの一州にでもなった          
方が簡単にこの問題も解決しそうと、冗談ですが言いた          
くなりますね。                            

          *                        
 懐かしい格子戸と板塀の
「日本の家」、私達の子供の          
頃はそんな家だらけで、鉄筋や鉄骨のキレイな家、アル          
ミサッシ戸に憧れたものだ。現在どこも新しく建て替わ          
っていく家は、3階建のスレート葺きばかり、日本瓦、          
格子戸、板塀の「日本の家」を見付ける事は至難となっ          
た。しかしテレビで、或るいは時たま実際にそんな家を          
見掛けると、心底手放しで懐かしい。                  
          *                        
 私達がそうであったように、新しいもの綺麗な物に一          
時は惹かれ、憧れてもやがてこういう風に「日本の家」          
という「日本」に帰って行く。                     
「その時」の為にそれ等を「保存」。                  
失くしてしまっては、将来の「こころのふるさと」へ歩          
いて行く
帰り道を見失ってしまう。                
 皆いづれ、未来という将来は等しく訪れるのだよ。           
今「美しい」と思えないものでも、未来に「美しい」と          
感動する事が出来る。
私もそうであったように……            
…   大事に日本の美しいもの、                   
    美しい自然とっておこうネ。
                  


インパクトニュース■             
@北朝鮮から帰国後初めて5人の方が顔合わせされ            
たようですが、皆さんの表情は明るく、改めて家族            
共々の「日本での生活」を確認された様です。              
2ケ月経っての膠着状態に一部のメデイア、言論人            
から「一旦北朝鮮に帰すべきだ」という言葉を耳に            
しましたが、「物」じゃあるまいし、この方達の意            
思を無視したそんな事しか発言出来ない頭の「膠着            
状態」貧相さは滑稽でさえあります。                  
ここは日本であり、日本国憲法があるんです。              
又、政府は朝銀系の銀行に日本人の役員を据える事            
を条件に公的資金投入を決めた様ですが「拉致」し            
ていた事が判明した後なのに、この事も5人の方達            
の家族の帰国の為のカードに使えばよかったのにと            
思いますが。                             
A運転免許の更新時、これ迄有効期限が誕生日だっ            
たのがその一ヵ月後になり、酒酔い運転                 
は罰金が50万円になりました。酒酔い                 
運転は講習時冊子に又話の中にもありま                 
したが、有効期限は何の話もなかったの                 
で後から気が付き警察へ電話して確認し                 
ました。些細な事でも法令変更は講習の                 
に伝えて貰いたいものです。   
                  


「夢幻」p45より)                    
   
の眼』■                   
 
人間は、鳥(飛行機)にもなった。                  
魚(船)にも成った。全能の様な人間。                 
人間は素晴らしい?が、それを創ったの                 
は、「一部」の人間だ。他の人間は                   
それに乗っているのが、素晴らしい                   
?だけ。それは、「速さ」。                      
速さが「速さ」を、追っ駆ける。                    
合理的な速さは、何をもたらしたか                   
?時間が、余分な潤いのある、時間                   
が増えたか?10時間掛かっていた                   
区間が、3時間で行ける様になって                   
その余った時間は、ゆとりに成った                   
か?
それでなければ、意味が無い。                   
ただ、生き急いでいるだけの様に、                   
思える。人間の、「生産性の高さ」                   
とは、「時代の速さ」に乗せられて                   
自己喪失するだけだったのか?                     

雲が、今日も、ゆっくり 流れて                   
いる。その流れの下を、逆行して、                   
飛行機が滑って行く。                         
 私が、運転している車の視界の中                   
 魂の乱舞の様な落葉樹が、                      
 冬の日差しに、眩ゆい。                       
飛行機も、車も、速くて、速くて                    
便利だ。それに乗りながら、                      
「雲の眼」 雲に なれれば                      
  もっと素晴らしい!  
                    


  
 お知らせ                     
 
私のインターネットのホームページをリニュアル            
します
445(よし子)のページ            
として
13のリンクを付け俳句短歌             
おまけに川柳、詩、私の音楽(歌)、エッセー、             
ニュース他13に区分して見分け易くし、今までの            
<にゃこリン夢現シリーズ>もその中に入れます。            
現在その作業中、年内には何とか仕上げたいと思っ            
ていますので、今後とも宜しく。
                    



詩歌集夢現シリーズ マイメードソング集                      
  
作詞曲  日高よし子  歌詞楽譜掲載
 
《「夢現」第 収編》                                         

@【一瞬の】(編曲・詞) A【心の積み木】 B【ア・イヤー】 C【愛の残骸】                      
D【心のブローチ】    E【ゆるやかな】 F【今だから】  G【此処、其処に】                    
H【雨が降る………】 I【木魂】 J【あなたは愛】 K【パリの空の下】(詞のみ)                    

   
《第2集「夢弦」収編》                                     

L 【噴動】 M【山頂に立って】 N【海藻】 O【オブジェ】 P【ポツリ・ポトリ】                   
Q【あの月と】 R【まれびと】  S【紫陽花】  21【哀(曲のみ)】                          

   
《第3集「夢幻」収編》                                         

22【もう一年後………】 23【天  国】 24【ずっと大阪】 25【ときめき夏】 26【一輪の美】               
27【女の子】 28【「ありがとう」と】  29【六月・雨】  30【子供の頃】  31【秋】                   


「無限」収編予定 発行日未定 
♪【誰のために】♪【猫の目】♪【目カッチン】
♪【還えりゃんせ】♪【そして五月は】 他
  
                  *
  
 インターネットや広報カーから 
   
 流してますこれらの     
   
   歌や朗読               
   
 商品化されませんか?    


        




◇紹介者には謝礼


  
【無断転載禁止

 〒572-0029  大阪府
寝屋川市寿町ー7 
   発行者 
日高よし子  рO72−832−6640





にゃこリン夢現シリーズ           

 ペーパーマガジン

bT5《2002年11月28日号》

                      

 
雑記帳   日高よし子
2002.11.18 山下清展

 11/18(月)神戸元町の大丸ミュージアムで開催されている「山下清展」

鑑賞の為車を走らせた。10月同じ兵庫県であった「ゴッホ展」のときは

高校生と中学生の甥子を連れ体育の日の祝日に行った為、人の洪水に

うんざりしたので今回は平日を選び一人で行った。
お陰で車中は静寂、が拡がる街路樹の葉の黄、紅、淡茶色の彩りの華やかさは「賑やか」そのもの。生命の潮鳴り、晩鐘の音を聴く如、季節の移り変りの

「進行形」の渦中を添走した。そして、やがて被覆される冬を前に、

自身のこの一年は「どの木」に重なるだろうか?と自問した。

紅色にも黄色い葉にもなれなかったが、この視界線上のいまある全ての

生あるもの達と「生命の共有感」をともにすることは出来た………。

 今回は国道43号線を走ったので、左側に私の母校(といっても高校だが)

 「MUKOGAWAGAKUIN」と刻銘された建物が見えて来た。

急遽そこを左折、ついでとして昭和54年に引っ越し以来住所変更の届けを

していなかったので(鳴松会に)それを為すべく高校の校舎を探したが

見付からず(私が高校3年在学中の時に「高校」は甲子園に変わったのだった)

元の国道に出て一路神戸へ向った。
 福島区の海老江にいる頃は毎年「鳴松会たより」が送られてきた。

同窓会の案内等もあったと思うが一度も出席した事はなかった。

在学中は先生方に迷惑を掛け、だから現在こんな風に「懐かしさ」を

覚えるなど、その当時からは信じられない事。髪は三ツ編みにベスト

続きのスカート、ソックスは折り返さない、この服規に拘らずいつも違反

していた。登校時最寄り駅の阪神鳴尾下車後、スカートのベルトを外して

カバンに仕舞う生徒がいる。私はそのまんまで登校した。だからいつも

風紀の先生に「叱られた」。実際あの頃は恐いものなど何もなかった。 

又、授業後の教室で「煙草」を吸った事があるんですよ私、今だから言えます

「ゴメンナサイ」。お嬢さん学校と言われるあの学校でそんな事したのきっと

私位でしょうね。先生に見付かったら?それは仕方がないと思っていたし、

若しかしたらそれを期待していたかもしれない。理由は?
詩歌集夢現第3集「夢幻」」を読んで貰えば分かるでしょう。
 目の前で季節を知らない銀杏の「青い」葉が地に落ち、

そんな事に見向きもしない人の大きな靴で踏ん付けられていた………

 ♪「誰のために」♪他MDに録音している私の歌や朗読を車の上の

スピーカーから流しながら走っている内に、気が付けば「三の宮」だった。
目的地の元町はもう其処。すぐに大通りから入った処に大丸百貨店が見えた。

 車を駐車させなければならない。大丸前に停めて中の受付けの人に駐車場を

聞き駐めに行く。平日でも結構利用者がいるようで7階でやっと空きを見付ける

事が出来た。帰る時に迷わない様に目印の建物を再度チェックし大丸の館内へ

入る。此処でも「靴売場の横の出口」をチェックし、エスカレーターで9階へ。

 平日だったので展示場はほどほどの人出の盛況、年配の人が多かった。
「山下清」の貼り絵は10才前後からが年代順に展示されている、

甥子達を連れてくればよかったと思った。順に見ていくと習熟、熟達度が瞭然で、

色彩感覚、色調の調和、精緻な貼り絵技術の素晴らしさに感嘆した。
 

それは2年前丹後半島の「あじわいの郷」で見た古墳時代の銅境の彫造の

精緻さと同等のものだった。展覧会に展示されていた山下清のハガキ文を

見ると句読点がなく、始めも終りも分からない、文章の処理能力は皆目劣って

いる。その分が貼り絵才能に倍増され芸術品として花開いた。丁度言葉を持た

なかった縄文人が造った火焔形縄目文様の花器のように。
(しかし文章は兎も角も、言っている事は一般人より真ともな事を言っている。

展示にもあった『絵にサインするのは分かるけど、名前だけサインしてくれと

言われても分からない』と)

 題名は忘れたが、群衆の描かれた作品があった。

百人以上はいると思うが所為動作ひとりひとりが全部違う。

凄い表現力、天賦の才以上のなにものでもない。                   
   ”自然賛歌 「山下清」 てんぶの絵” 

 「日本のゴッホ」と言われる山下清だが、あの貼り絵と、ゴッホの筆あとを

見ていると、ゴッホの方が貼り絵に影響を受けたのではと思わせる。    

「貼り絵」はいつから誰がやり初めたのでしょうね?

 複製紙1枚とハガキ4枚を買った、その1枚の「長岡の花火」の実物の花火の輝き!

側で見てみると一本一本の細い色絵紙を貼って輪にしただけなのに、

何故あの輝きが出せるのか?
 それは円の中心の軸のその集中する芯からの発光なのだ。
その部分こそ「花火師」の魂の結晶であると、素朴な山下清の作業が

如実に語ってくれる。

 帰ってから、その複製紙「長岡の花火」をゴッホの「ローヌ河畔の星空」の

隣に貼った。「打ち上がった」七輪の花火と、「大熊座」の北斗七星。
2人の人生の象徴を見るよう………
 ゴッホの事を『生きている時に誉めて上げたら、死なずにすんだのに』と言った

山下清画伯。実際、的を得た言葉であるし、それは生きている時に「認められた」

画伯の幸福度の代言でしょう。

 各芸術家が捉えた自然界の瞬時、作品に投影させたそのワンカットこそ

画家の心模様、心彩であり、人間が自然界の一部である事を

、芸術的な作品とは、より自然界に近き、還る事が出来た物をいうのでしょう。

『自然に行くのがいいんだなぁ』、概念を「持たなかった」山下清の

真理の言葉です。                   

 ”「自然」が 放った 自然児 山下清”

 帰路の夜空
  ”月 おぼろ とは 無縁な 「長岡の花火」”

  ”朧月 真下に 信号 真っ黄色 
 
  ”朧 月からは 地球も おぼろなり?”

      2002.11.25
      ─────────*─────────
にゃこリン夢現シリーズ           

 ペーパーマガジン同窓会のこと 2002.11.10              

(下記の〈雑記帳11/25〉にも一部内容を加えて掲載しています)
   ”赤とんぼ 子供の頃へ 同窓会                        

 先生という 「ふるさと」に 集う”   
 もう約45年も前に卒業した小学校の学級同窓会を毎年この時期に行なっています。

例年先生も含めて出席者の顔ぶれは大体同じ乍ら、今年は常連の人2名が欠席、

でもその穴を埋める如く関東方面から2名、又小学校以来初めて顔合わせする人の出席で

有意義な会合となりました。

それにしてもその頃と全然面影の変わらない人、

私の様に変わったもの、これってどういう影響なのでしょうね。

私に関して言えばそれ程に人間も(勿論内面)変わりました。それは良い意味での。

私の著作物を見て頂ければ分かると思うのですが「人間の値打ち」の捉え方が

外面ではなく、内面性にあると確信出来た事。理想とする生き方を見付ける事が

出来ました。

(「外面性」は人に不愉快な想いをさせない程度の気配りだけを心懸ければ

それで充分だと思っています。)        

 

昭和30年以降の急激な高度成長から現在までの文明度の顕著さ。    

それは世代間のギャップという副産物を生じています。           

私が育った野田阪神駅前の公園、自宅前の通りの坂道も「スクラップ」されてなくなり、

高速が走りすっかり様変わりした「空間」を見るに付け、ずっと大阪が故郷、と歌って

はいてもその拠る「ふるさと」はなく、小学校時代そのまんまの先生を中心とした

「同窓会」こそ唯一、現在も変わりなく「実在」している「ふるさと」と思えるのです。                   

 

幹事をした記念として私制作の歌と朗読のCDを皆さんにお送りしましたが、

「子供の頃」にタイムスリップして頂けたでしょうか?左に掲げていますのも含めて

これ等は失職後に全く1から自分流に始め練習したエレクトーンの成果です。

書物も含めて世間に認められればこの10年はその為にあったといえるし、

認められなければ「何もしなかった」のと同等の事だったといえるでしょう。                                 広報カーも効果がなかつた今年、次は何をしようかと思案している処です。

しかし生活の事もあり                           

ホー ムヘルパー2級修了
 
車の免許、宅建取引主任資格有。     

珠算2級。  年齢56才でーす。 仕事求む    

      ─────────*───────── 

「夢幻」P92より   
 
   
『りんご』  


  みかん 
  りんご  
  柿    

  もう晩秋……   
     白いテーブルの上には
     ナイフで 皮を剥く
    血が滴る………  
   ……… 私の手? 

   いま晩秋………  
みかん       皮を剥いた───  
りんご      裸ん坊になって  
柿       白いお皿の上に  
   3個並んだ中   

        青白い皮膚が        
       みるみる 顔色を 変えていく 
          りんご         
       純真な少女の 羞じらいの頬  
       そして 剥出しの 怒りの相  
       ───そんなに 正直で─── 
       疲れ切った 鉄の 錆色    
        無表情の 柿 みかん    
       赤茶けた りんご───    
         白いお皿の上       
    やがて 冬………   
    

 
無断転載禁止                      

雑記帳 (2002.11.25)  日高よし子

   同窓会のこと 2002.11.10(日)      
  ”赤とんぼ 子供の頃へ 同窓会                        

先生という 「ふるさと」に集う”             
 もう約45年も前に卒業した小学校の同窓会を毎年この時期に行なってい ます

。今年は大阪駅前の中国料理店で、出席者は先生も含めて12名。

例年 この人数くらいながら、常連の人が仕事の都合や、母上の介護の為欠席という中、

その穴を埋める如く今回は関東方面から2名、又小学校以来初めて顔 

合わせする人の出席で有意義な会合となりました。            

 当日は幹事の私の印刷物の準備が悪く、それに手間取り20分程遅刻して 

しまい深省しています。                         

それにしても、その頃と全然面影の変わらない人、私の様に変わったもの 、

これってどういう影響なのでしょうね。私に関して言えばそれ程に人間も 

(勿論内面)変わりました。それは良い意味での。            

私の著作物を見て頂ければ分かると思うのですが「人間の値打ち」の捉え 

方が外面ではなく、内面性にあると確信出来た事。理想とする生き方を見付 

ける事が出来ました。(「外面性」は人に不愉快な想いをさせない程度の気 

配りだけを心懸ければそれで充分だと思っています。)           

わいわいがやがや取り止めのない話をしている内に、限られた時間は過ぎ 

散会となりましたが、行き届かなかった事も多々あったと思いますのに皆さ 

んのお陰でつつがなく終える事が出来ました。有難うございます。      

今井さん、池田君、水谷君遠路遥々のご参加有難う御座いました。     

11/21にその同窓会の幹事をさせて頂いた記念として私制作のCD『 童の目』を

皆さんに発送致しました。(当日欠席でしたが常連の岩崎さん、 

川崎さん、黒田さんにも送付)私の朗読、歌を65分42秒の中に録音して

 います。郵送の文面にもあるように、CDbP1の「冷火」時の「篤志」の 

私の心ばかりの返礼としてお収め下さい。                  

【赤とんぼを追い駆けた、童の目の子供の頃に               

タイムスリップして頂ければ幸いです】                              
 * 
 下記にその「冷火」を掲載します。                     

  

                  
                    (平成十年十一月十八日)     

 晩秋の、今日は冷たいなァ、と思った朝、白いテーブルの         

其処だけが 燃えている。                   

  

平成10年11月18日付 白浜ホテル火災 の 写真 

 

 

「一面の 新聞紙」が、目に熱い。                 

────小学四年生(10才)の時に、居るみたいに──────      

冬の夜中、あんな風に燃えている我が家を、真向いから眺めていた。  

他人事の、映画のシーンでも見る様に、

火事って言うのは、こういうのかと、何か、そんな風に思いながらいたように思う。            
 ────その火は、アメーバーの様に風を抱き込んで、その鉄火で家々を
 あっという間に飲み込んで行きました。─────           

悲しい事は、なかった……………「事が」、不思議だった。       

それよりも、登校した時に、クラスメイトの篤志の学用品が、教壇の机に、

盛られてあったのが「嬉しかった」。                  

52年(平成10年当時)生きて来て、「現在」思い入れる少女の頃の

象徴のその家と、僅か10年間その家で生きただけの少女の「その時」の、

思い入れには雲泥の差があります。

焼いてしまい度くない思い出も無かった、と結局そういう言う事でしょうか。

私の直ぐ下(2才下)の弟が、真っ先に公園迄逃げたのを知らない母が

火の中へ入ろうとしたのを、父が引き止めたと、後から聞きました。                              

今朝、その話をすると、母は憶えていない様でした。          

四才下の、妹が生きていれば、……………でも、小さ過ぎて、

憶えていなかったかも、と思ったりもするけれど─────

生きて在る時に、もっと、もっと「話をして」おけば、良かった……………                

 「あの頃」も、そして、あれから父(昭和四十年死亡)も、

「その弟」( 昭和五十六年死亡)も、妹も(平成五年亡)も、

皆んな皆んな「燃えて」 なくなって終いました………。                    

─────────── *  ────────────

 にゃこリン夢現シリーズ           

 ペーパーマガジン        

《20011月10日号》

 この号のペーパーマガジンに掲載している【ゴッホ展のこと】は先にこの 

ページ下記に全文掲載しています。 。           

詩歌集
「夢幻」P68より                     

存 在  『「影」と「夜」       

 「影」───『「少女の頃・影踏み・あの月」            

 影に影は 出来ない──「夜」「大きなものの」              

朝 昼 晩────一日中 夜の頃』                 

 『私の前を、通り過ぎる「影」                       

 私も、通り過ぎてゆく』                    

 『空想的な「影」───「夢想」』                  

 『潜在的な「影」───「夢」』                    

『人の瞳の中に映る「私」───小さく                   

 ────少女の頃』                      

 『光の角度で 伸びる「影」                      

 縮む「影」────虚像』                      

『他人の中の「影」───軽いピンポン玉                 

───足蹴のボール・手28に弄ばれる』               

 ────他人の中を 泳ぐ「影」────                   

「私」に「影」は ない                    

 『侵入者の「影」……… 或る一刻の………               

十分の九の他者………残りの十分の一に               

「私」の存在を 見付ける。』                              

(平成十一年四月十三日)              

インパクトニュース                

@この11月10日(土)に小学校の学級の同窓を行なうのですが、今回幹 

事なので案内の往復ハガキ37枚を近くのポストに投函し、先日返信の来な 

い人に電話すると2人、ハガキが未着である事が分かりました。どうしてこ 

んな事になるのか調査して下さい。                    

電話をしなければ此方は「到着」したと思い込んでいた分で以前からもそ 

ういう新聞記事を見るに付け、一律に配達確認の出来る様にすへきではない 

かと思いました。                            

提案としてハガキの規格から変えないと駄目ですが、現在のハガキにプラ 

ス「配達済み」という部分を切り取り線を設けて作り、配達員が記名して差 

出人に返送する。こういうサービスを為してくれる様な民間業者の子参入を

政府はどんどん推進すべき。                           

 

 

 雑記帳10/19(土)
 下記の文章は産経新聞へEmail送信したものです。
     
2002.10.14 ゴッホ展にて
                      
日高よし子
 ゴッホという名前は知らないものがない位有名ですが
産経新聞のゴッホ紹介の絵を見て(特に印象的だったのは<ローヌ河畔の星空>) 
出不精の私も兵庫県迄出かける気になりました。
 高校生と中学生の甥子を連れて行きたくて祝日に行きましたが、
県立美術館に到着して先ず驚いたのは、入館を待つ人の行列。
 そして、やっと館内に入っても又、列、行列の人の波、
展示場にやっと、やっと入っても同じく人の山盛り────
 それでも、その山盛りの侭動きつつ、ゴッホの絵筆の鋭線、色調、油絵のぎらつく「油」部分を敢えて強調した作品等に圧倒され(その「油」は『花瓶の花』では宝石の星の煌めきの様に使われていて、「煌めき」というものの原始的エネルギーに思及しました)そんな絵を目の当りにしていると人の群れも眼中になくなり、
ゴッホの生身の筆跡をこの目で何度もなどっていると、それだけでもゴッホの一端に触れたようで、100年前のその時代のゴッホと向き合っている自分自身に感激しました。

 「花瓶」の絵の数点、傾いたり、割れていたり、その当時のゴッホ自身の象徴の如く、それがアルル移住以降の『花瓶の花』では花瓶は安定して、又画風もアルルの陽光の様に明るく、ゴッホの充実期がうかがえます。
 展示にはなかった『アイリスのある花瓶』は、この館内で買ったポストカードで初めて見ましたが、バランス性のあるゴッホの透徹した静謐な心世界、この世とは一線を画した「死」への覚悟と、「再生」への願望が読み取れ大好きな絵です。     ゴッホの作品は未完成的な処が魅力ですが、この絵は「完成」された秀逸作だと思います。

 展示絵画の横の案内文で印象に残ったのが、「芸術というものの思想性の反映」とミレーの種まく人に傾倒したゴッホが「自然を超えた作品」と評した言葉です。
 私などは到底ゴッホの絵画の審美眼には及びませんが、
人間のその「種蒔く行為」自体が、植物にとって太陽光と同じく生命連繙の行いであると、ミレーの主題の着眼点には共鳴できます。

 『花咲く桃の木、モーブの想い出』にはゴッホの芸術観、死生観が汲み取れ、  恩師モーブ、ゴッホの弟のテオいなくして「作品は存在しなかった」という謝意と、芸術の伝播性をおおらかに歌い上げている処に惹かれ、複製紙を購入しました。

 もう一枚買ったのが『ローヌ河畔の星空』。
【昼間の当たり前の明るさが、徐々にライトダウンしてくると
やがて薄桃色にやさしく空が染め上がる。
 しかしそれは夕間暮れのほんの一瞬のこと………
すぐに手の平を返したように闇色のマントが拡がる。
 そんな時────車で走っている遠く前方に、ポツリとポツリと民家やマンション
の部屋の灯りが点るのが目に付く────                   
 その時の安堵感を、何と説明出来るだろう………
          ───── * ──────
 それは昼間、信号待ちをしている車の前を横断して行く人達、又街路を往来する無数の人達、他人という無関係な人が私の視界を幾ら埋めようとも、ただの時の「流れ」のようなもの。
 それが地下への階段を一段一段下りていくように光が絞られていき、やがて地底の暗闇に「触れる」と、『     』のだ。
 その「夜」の彼方に、たとえ微かな光でも見付けるということは、そこに私だけではない「誰か」が存在している事、全く見ず知らずの他人でも「私の存在」への橋を懸けられる可能性を持てるという事なのだ。

 その遠く瞬く民家の明かりの下、実際はたった一人の、或いは数人の食卓かも知れない。しかしそれから受ける灯りの下は、いつも「団欒」のイメージがある。
 明かりは「暖かく」、それは心を和ませる。】
 自分自身がこの『ローヌ河畔の星空』に惹かれる理由を考えていて、以前想った事を思い出しました。
 絵の説明に依ると【ゴッホが亡くなった年の1890年作で入院中のスケッチだがこの絵の中の北斗七星は北半球でしか見れず、実際にはない】。
 その北斗七星を点在させたのは、「凍れる北半球」だったゴッホの心ゆえでしょう?
 入館の為行列する人の「熱気」は何故か?
間違いなく言える事は、「笑いたい為」に並んでいるのではないという事。
 日本に憧れ、夢見たゴッホ。その日本でゴッホの人気が高いのは、激しく一途な芸術魂と、その悲劇的生涯故でしょう。
 ということは、ゴッホの苦悶、悲しみの底から立ち上った仄青い火、誰もがその火に「点火」されたくて順番を待っているわけです。
 ローヌ河畔の水面に映える灯のように、心の水面の灯(魂)の「存在」を確かめるために………

           ─────────────────          
 当地に車で到着して直ぐに美術館の近くの埠頭へ行きました。(たまたまですが、そこでお弁当を食べ、トイレをお借りしましたがペーパーまで備え付けられている事に神戸市のサービス精神と共に、結局は市民の公共意識の高さに感心しました。)
 
震災後に各都市から寄贈されたという「政令指定都市の森」の中に
約1メートル毎一直線にコンクリートの柱
が並んでいましたが、
何のモニュメントでしょう?
 一体の広い空間に、暫し心の羽を一杯に拡げることが出来ました。

 高校が西宮にあったので、時々神戸の友達と三の宮のセンター街や花時計等に行ったことがあります。ですからメディア等で見た阪神大震災の惨状は、私の心の石組みが壊れるほどのショックでした。
   【♪………     
     ……… 真直ぐ伸びるのか 曲がって咲くのか
         それでいいのか 悔やみはしないか
          人の一生 花火の一瞬
           燃えてしまうなら

消えてしまうなら     ♪】

               「一瞬の」  作詞 日高よし子
 大震災のあった夏に創った詩です………。

 周辺何もかもが新しく、まさに新生神戸の街。
 今度ゆっくり神戸巡りしたく思っています。


         2002/10/18
     大阪府寝屋川市寿町3−7 日高よし子
     【yoshikohneyjp@mtd.biglobe.ne.jp】
     【http://www5a.biglobe.ne.jp/
yoshikoh




 
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bT3    《20010月10日号》  
              
『秋』
 暑さ寒さも彼岸までといいますが、日の暮れの早さには秋を感じつつも残暑 
の尾は長く、10月の衣替えを過ぎても未だ半袖の方が過ごしやすいのは半夏 
半秋、心は秋、身は夏という処でしょうか。お彼岸と言えば23日に私の弟の 
7回忌( 命日は28日)を住職の読経の中身内だけで行ないました。私の「 
秋」という歌の ♪骨壷の温みが膝に……♪はこの弟の事を唱ったのです。  
  火葬後収骨したばかりの骨壷を抱えていると温かい火照りが膝に伝わり、 
人間が「生きている」というのは、この燃焼の連続性故であるのだと、そんな 
当たり前の事に気付いた次第です。                    
 そして乗っているタクシーの窓には「さよなら」と弟が手を振る如く黄色い 
秋桜の花が路辺に揺れていました………以後秋になり、黄色い秋桜の花を見る 
と弟を思い出します。                          
 人間とは何でも関連づけたがるもので────              
その弟が亡くなる前日の9月27日、FM放送のベートーベンの交響曲第7番 
の第2楽章を聴いていて、金色に輝く観音様が現われ、そして遠去かるイメー 
ジが涌き起こりました。                         
 ”光仏の 足音微か 眼前に 眩しき大きさ 7番聴きて ”       
 その翌日に弟が亡くなったので「観音様が迎えに来はったんや」と半ば信じ 
、そう見送れたことが、生きている者の何よりの慰みとなりました。     

 以前にもこれに掲載しましたが下記に歌詞を。              
                *                   
   
夢幻第5部「マイメードソング」より            
           
『秋』作詞曲 日高よし子          
  2.骨壷の温みが 膝に 6年前の 秋の日に               
     路みちの野辺に 秋桜揺れて 「さようなら」と 手を振って      
     そんな風に 人は季節を 遺してゆく                
       少し早足になった 風の音を聴いてごらん            
       野を分けて 走る風を見てごらん                
     この空は 今日も 続いていて                   
       弟の顔 あの雲の中に 見る                  
                *   
                
]この歌ホームページに流したいのですが少し前からパソコンから音が 
出なくなってしまって(ウイルスの仕業)メーカーに相談してもリカバリする 
しかないと言われて──────そんな状態です。             


広報カーオリジナル曲を                   
私の歌で最新歌『誰の為に                  
『一瞬の』朗読で                   
『他人事?』を流してます                  

      
誰の為                  
      
地球の中の                  
       私達の生命は                  
       誰から貰って                  
      誰に支えられて                  
       誰のために                   
      あるのでしょう                  

  
地球の未来なくして                  
  
私達の生きた証しは                  
  
何処にあるのでしょう?              

        
              
『座布団の落とし物』                
 家の掃除をする時いつも左の車の上に日干しを兼ねて座布団とクッション  
(薄緑地に豚の絵模様)を置いているのですが、それをこの5日の日その侭に 
して走って落としてしまった様です。                   
 拾われた方ご面倒ですがお電話下さい。                 


  
初めて散歩                                          │

コスモス(犬の名前)              
 は、元はハ虫類かと思              
 わせる様な、左の写真              
 の恰好で身体を地面に              
 くっつけた侭進んで来              
 る事があります、ワニ              
 の様に。それからピョ              
 ンピョン兎の様に跳び              
 撥ねるのも特徴。                    
  兎に角寝ている時以                 
 外は動き回って、私達の膝に乗っかっては愛              
の表現かしてペロペロ舐めて、私はそれが苦手で                   
す。昼間はいつも私の広報カーの路側のサイドミ                   
ラーに紐を括り付けておいています。誰にでもな                   
つくので近所の子供達がいい遊び相手?になって              
くれています。先日郵便局までの道、初めて散歩              
らしい散歩に連れて行きました。                     
 生後3ケ月の犬でも走ると速い事、負けます。              
 上の甥子も排泄物を片付けたり、お風呂に入れ              
たりと大分扱いに慣れてきたようです───                
 予防注射を打たせたいのですが、安くていい所              
があったら教えて下さーい。                       


 
ホームヘルパー実習へ
 教室での講義実技は終り、現場実習に行って来ました。誰にも何れは訪れる 
「老後」。未だ落葉の季節ではないのに、人生の終着場所として行き着かれた 
人達の、そいう施設へ行ってみると、木から「離れた」落葉を思わずにはいら 

れませんでした。どんなに職員の方が尽くされても、「家庭」に勝るものはな 
いです。                                
 ディサービス、グループホーム、特別養護老人ホーム、同行サービスが2日 
間。終わってみれば反省点ばかりで、関係施設の職員の方々にはお世話なり有 
難う御座いました。ホームヘルパー未だ未だ1人前には程遠いですが、少々パ 
ソコンが出来て、宅建取引主任の資格有り、運転免許も有り、珠算2級、高卒 
エレクトーンも出来る、創作が好き、しかし年齢はもう直ぐ56才。     
 仕事あるでしょうか?                         


 
インパクトニュース                       
■ノーベル物理学賞に小柴昌俊氏が選ばれました。「ニュートリノを取り込ん 
だ磁気テープは誤差を修正する為1時間に2分間の空白が出来る、その5〜6 
分後に捉えた」「科学の世界では幸運は周到に準備した実験室に得られるとい 
う格言がある」とは同氏の言葉ですが(産経新聞朝刊より)その大マゼランの 
超新星爆発も周到な「機は熟したり」の現象でしょう。           
 3年続けて日本人のノーベル賞受賞は喜ばしい限りですが、最近の世界的な 
学力調査では日本のレベルは低下の一方を辿るばかり、簡易さ優先の「ゆとり 
教育」の全廃を希みます。                        
■今朝の朝刊一面には続けてノーベル科学賞に田中耕一氏が受賞のニュースが 
掲載されていました。「コツコツ真面目な芯の通った人間」とは周りの人の田 
中氏評ですが、田中氏は「偶然のミスが大発明に繋がった」「ノーベル賞とは 
一生縁がないと思っていた」。博士でもない一般民間人を選んだ柔軟な頭脳の 
持主の選考委員の方にも「ノーベル賞」差し上げたい位嬉しい事です。    


 
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日高よし子   

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にゃこリン夢現シリーズペーパーマガジン

bT2 《2009月6日号》 

  
『黄金色の花火             


  
”束の間の 八月の「秋」 すずむしみ”               

 台風の影響下の八月下旬、秋を思わせる様な数日も束の間、厳しい残暑がぶ 
り返した8/24(土)今年も甥子2人と「寝屋川まつり」へ行きました。  
 花火の始まる時間が近付くにつれ人、人、人で会場は膨れ上がり、     

 
 ”ひとむれに 綿菓子の雲 寝屋川まつり”              

 
 ”花火まで 食べ飲み食べて 「人」を観て”             

 持参のお好み焼き、冷コーヒー、お茶、そして会場で買った焼き鳥、綿菓子 
、焼きそばと花火迄の手持ち無沙汰な時間にひたすら口と目を動かし視線はも 
っぱら「人の観察」。                          

    
”浴衣きて 親子金髪 日本人”                 

 やはり小さい子連れの家族、又金髪組も多い中、3才位の男の子の金髪と  
浴衣姿が目に留まり、人事乍ら幼少の子に毛染液が悪影響を及ぼさないかと、 
要らぬ心配をしていました。                       
 この金髪ブームも一巡すれば又元に戻るとは思うのですが、定かである筈も 
なく、【みどりの黒髪】【カラスの濡れ羽色】なる日本語もいまや「死語」の 
彼方に追いやられたようです。                      
    
”人霊のオタマジャクシ かえる 花火”             

    ”打上げて あとは 柳の花火なり”            
   

 地面からヒュルヒュルと、人霊ともオタマジャクシとも見える種火が空へ上 
り、夜空の天辺で花と開き、柳となり、消えた火は宙の藻屑となっていきます 
。フィナレーの花火は会場の打上緑地の端から端迄を照らしたのではと思うく 
らい、夜空一面が黄金色に輝いていました。                
 待つ時間からすれば花火の間は一瞬、それでも今回は「待ち甲斐」のある花 
火ショーでした。                            

    
”花火帰路 ネオンサインの 電気「花火」”           
 帰り道にはパチンコ店の広告塔のネオンサインが鮮やかな色彩をはなってい 
ました。まさしく「電気花火」です。                   
 ふと、未来には「電子花火」が出来たりしてと想像を走らせました。    




『キャバリア犬ありがとう!』              


 
 【九月に 新たな家族花 雌弁(めしべ)               
      キャバリア犬 なつけ 「コスモス」】   
         

 現在、高校2年生の甥子の将来の就職の事を考えて(ペットを扱う)動物に 
馴れさせる為犬を探していましたが、私の車のリヤウインドーの       
「子犬ください」の貼り紙を見た人から電話があり、めでた 
く生後2.5ケ月のキャバリア犬の雌を「家族」に迎える事が出来ました。  
 名前は「コスモス」。今日で5日目、やっとこの家にも馴れてきたかして尻 
尾を大振りに振って跳び跳ねています。キャンともワンとも鳴かないので縫い 
ぐるみの犬が動いているみたいでとても可愛いです。            
 排泄をペットシート以外のあちらこちらでしでかし、拭いて未だ乾かない  
カーペットの上で寝そべっても気にならない処など、猫と違って大雑把。   
 一人ならぬ一匹で暴れるだけ暴れ、前足、後足を揃えドテーッと横向きに眠 
ってしまいました。本当に「子供」そのものです。             
 私の母は猫が嫌いなもので「にゃこりん」には目の毒、気の毒なことです。 

 先日鎖に繋いだ犬の横、猫も一緒に散歩させている人を見掛けました。   
その猫の名前を呼び掛けいつもの習慣事のようでした。           
 はぐれずに従いて行く事に感心しつつ、羨ましく思った次第です。     


詩歌集
「夢幻」P113より                   
  
『かたちのはじめ』                

───
未だ 人間が「出来る」前────               


処は まぁるい黄色い月と 三角の緑の

 兎は砂に描いて「月」の丸い形○───    
───●蟹は土を丸めてやはり丸い形      
 狸は土に描いて「山」の三角形△───    
───▲蟻は土を積んでやはり三角形      
 狐は思案中、で、丸い円の上に乗った     
 三角形をじっと見ていて、もう一つの三角形の 
 一辺と、くっつけて円の中に置き、      
 四角形を見付けて描きました。■       


    
ずーっと後        
     四角いお家に三角お屋根       
     
丸いテーブルを囲んで            
     いるみんなが見えます。       



 
ホームヘルパーの実技体験                    
 現在ホームヘルパーの講習に通っていますが、                   
要介護者(障害者)をより理解する為、受講者が
交互に「要介護者」になり例えば衣服の着脱、お
むつの取り替え、ベッド上での便器の使用、目隠
しして杖をつくという、さまざまな実技体験をこ
なしています。少しでも要介護者の立場になれる
よう心掛けたく思っています。        
 
介護保険ホームヘルパ
のこと、お問合わせは市役所又は上記迄。 


 
インパクトニュース
@9/17に小泉首相の北朝鮮
訪問が決まったと思っていたら
またもや「不審船」が出没。 
 日本をおちょくってるのと違
うかと、言いたくなる。   
 こういう国が本当に国交正常
化の意思があるのかと思うし、
首相の訪朝が意義のあることな
のではない。判明している拉致
者11人の返還確約以外、なん
ら妥協する事なく即、帰国して
下さい。早晩、「北朝鮮」とい
う国は破産するか、解体される
しかない処迄きているようです
。却ってその方があの国の国民
の為になるのではないかと、 
瀋陽その他の事件等を思い出し
、思います。        



bT1  2002年8月16日号  
    
   
『お盆・迎え火』 

去年は迎え火も送り火も忘れましたが、今年13日は自宅前で花火をして迎え火としました。

  
”つぎつぎに 火を点け 花火 迎え火や ”
 
『死んでしもた「仏さま」が還ってきはるんや「その「火」をたよりにして」』私が母から聞かされた様に、日本人の誰ものお盆の慣習事。
(火に名前書いたんのかな?)という理屈は抜きにして、そう出来ることが生きているものの「心の拠り所」だったのでしょう。
 そして、つぎつぎ花火に火を点けてゆくと、死んでしまったひとりひとりの霊を迎えている様な気持ちになります。ですがその花火の「火」より、それを取り行なっている人間の
魂の「火」の方があの世からは、よりはっきり見えるかもしれないと思ったりもします。

   ”芯の赤 線香花火 地に果つる ”

   ”人間の 死んで燃えゆく 花火音 ”

 甥子とその花火を燃やしつつパチバリのその音に、人間の亡骸の処理音を想像してしまいました。

  花火にも色んな形、音があるように人間も多種多彩、それぞれ違う。
 花火と同じように人間も創られたものであるなら、各自「自然体」になってその本分を発揮し、美しく
「燃え」尽きたいもの─────

   ”
金の雨 花火すべての 涙なり ”
 
どんなときも、涙は美しい………


     ──────────── * ───────────    
   
 『お墓参り』2002.8.14

       ─────
蝉時雨──── 

 8月14日、いつものように甥子2人と共に墓参の為京都へ車を走らせました。私の歌や朗読を入れているオリジナルCD「誰のために」「日本の花」を広報カーから流し、作ってきたお弁当を頬張りつつ、思った程の渋滞にも遇わず3時前には着きました。

  ”墓に つく つくぼうし なく 帰る時も ”


 いつもの様なあぶら蝉ではなく、この時期には珍しいつくつくぼうしが涼やかな蝉時雨で出迎えてくれました。

  ”墓参所は 視界 遮る 夏 楓 ”

 同じく墓石を上から囲むように立つ楓の樹からも、葉擦れの様な蝉の涼音が私達が来た時も、住職の読経の間も、帰る時も、ずっとひっ切りなしに流れていました。

 墓参後は同寺内の休憩所でアイスクリームを食べ乍らひと息ついていると、生い茂る樹々の緑蔭からは、やはり此処でも「蝉音」のBGMが涼感を倍増させてくれました。

 ”「亡妹と 一緒に 墓参」 甥子は 9年前を 憶えておらず ”

 平成5年8月20日に亡くなった甥子達の母親(私の4つ下の妹)とその何日か前の「お盆」の日、甥子達も一緒に此処に墓参りに来ました。     
 その事をアイスクリームを食べつつ聞いてみましたが、憶えてないようでした。
何事も儚いものです………
 当時上の甥子は8才、下が4才になる年でした。

  
”どこもかも 蝉時雨なり 墓参寺 ”

 来る時は五条通りを、帰る時は七条通りを抜けて大阪方面に出ますが途上、七条河原に降りてみました。
 チョロチョロ、さやさや草のふれ合う様な川音は、木のように其処にとどまって動かぬ同じリズムを奏でている。                   
 その浅瀬のゆるやかな流れは、私が歩を揃えているのやら、川の流れが私の歩に添うてくれているのやら、それは日々の疾る心に
ブレーキの役目を果たしてくれました。

 
    ”歩くごと 川の流れわ そうてゆく ”
  ”加茂川の 川の流れの 
なり ”

 向う岸辺りに白鷺でしょうか真っ白い鳥が2羽見えています。     
 写真を撮りたくて口笛を吹いて招きましたが逆効果、もっと遠くへ飛び立ってしまいました。
 
”白鷺の 白粉花の 加茂の原 ”                

    ───────────* ───────────       
  
『お盆・終戦記念日』2002.8.15
朗読分
「日本の花」───(あの時の)

 想するに、私が、地の中の一粒の種子となったのは、敗戦後の何ヵ月後でしょう? 私は、日本人の、その残骸の破片と、黒煙たなびき、異臭を発する、「日本の形相」を、何故、知っているのでしょう?
 何故、日本と言う国に、此処迄、想い入れ深くなるのでしょう?
その頃の両親の見上げた、空々しい空の、それでも青い空の、哀しみ。

 
十分に荒み切った大地に、それでも、垂直に、足を踏み込み────
大地を割り、新しい種子を、あの時、確かに植え込んだ、両親のその決意。 
 新しい「日本の花」の為。                      
そして、翌年十月種子は芽吹き、その花と成った、私。
「日本人」である事の、こだわりの根幹は、「あの時」の継続線上の、想念。

 
ホームヘルパーとは?
 ご家族の中で高齢者、障害者の居られる方は是非、介護保険を利用されホームヘルパー派遣を試みられては如何でしょう。
【出来ないことを出来るように、出来る人にはもっと出来るように】
介護者の負担軽減、要介護者の自立支援をモットーに応援します。

【問い合わせは市町村の窓口へ】

http://www5a.biglobe.ne.jp/〜yoshikoh【Email:yoshikohneyjp@mtd.biglobe.ne.jp
Email:nyakorin@hotmail.com】                            

572-0029 大阪府寝屋川市寿町3ー7   
 
 рO72−832−6640  
著作者 
日高よし子  




にゃこリンの夢現シリーズ

 
bT0《2002年8月1日号》
                                   
    
無断転載禁止

   
『ホームヘルパーに』
  前号は創刊から丸2年でしたが、今回発行分で
 50号というひと区切りになります。     
  今年4月からは右の車で広報活動を始めました
 。音楽、詩歌、俳句短歌、エッセー等すべて私の
 オリジナルのものを、何の媒介も借りずに手造り
 の伝達方法でやっています。         
  何の媒介も借りずにと書きましたが、実際は私
 の歌【いまだから】【天国】【ポツリ・ポトリ】
 を波多野睦美さん、【紫陽花】をNHKFMの 
 『おしゃべりクラシック』のアシスタントだった
 沢畑恵美さん、同渡辺徹さん宛に【ずっと大阪】
 【子供の頃】この2曲はホリプロ宛和田アキ子さ
 んにも、これら含めた数曲を作曲家の宮川泰さん                  
 へ、最近はテレビ局他宛に【誰のために】のテー                  
 プや楽譜を送付しているのですが何の返事もなく
 着いたものやらも定かでなく「勝手に送ったんや
 から仕方ないか」と諦めの心境という処です。 
  出来たら好きな一連の創作物で生計を立てられ
 ればいいのですが、現状は厳しく前回号に書いた
 様にこの7月下旬からホームヘルパー2級講習を
 受けています。私には80才の母親がいますが、                  
 脳梗塞後の若干の障害があるに拘らず自立心強く                  
 ほとんど介護を必要としていません。     
  このホームヘルパーというのは、高齢者の要介
 護、要支援を通して自立心を促し、その家族を支
 援することに依って円滑な家族関係を保持し、結
 果的に高齢者の生活の質の向上に寄与出来る事を
 目的とする職業です。            
  改めて母親の元気な事を喜びつつ、生活の質の
 向上という面に思至している処です。 
    

  
第4集『無限』のこと 
  
  『詩歌集夢現第4集「無限」は     
      絶対に 仕上げよう        
     自分のために 仕上げよう!』    
  7月中に仕上げる予定だった第4集「無限」は
 4月早々に上の甥子が曲芸師の様な自転車転倒事
 故に遭い、その病院通いの付き添い学校への送迎
 等と言う不測の事態が発生し、それが一段落した
 ら、6月になってから今度は私が胃腸の不調(以
 後アロエジュースを毎朝飲み快復)、風邪が永引
 きと、やっと最近快調になり、第4集「無限」の
 ワープロ打ちに着手した処です。       
  講習が終わればホームヘルパーの仕事をしなが
 らになります。ま、気長にやりまーす。
    

       
『勇 気』       
   身長が1メートルに充たず、腕の部分がなく肩
  の付け根から両手が出ている女性が、子供を産み
  育てている………そのテレビの映像に、掃除しよ
  うとした手が止まった。           
   画筆を持つ「口」は誰よりも器用な手となって
  生命の息吹きをキャンバスの上に刻む。    
   魂の叫びの如きその冬木立の裸木の絵は、彼女
  とだぶる。                 
   障害者で未婚の母の画家───彼女は生後6ヵ
  月から施設に預けられて以降、一度も両親と会っ
  た事がないという───そんな情況でも恋愛し、
  出産を決意させたのは唯一「家族」というものへ
  の憧着だろうか?              
   その「勇気」の前段階として「一人では育てら
  れない」という前提がある。(現在も泊込みのホ
  ームヘルパーが赤ちゃんの介添えをしている。)
   番組の最後の方の彼女の言葉「くよくよ考えて
  いても何も始まらない、行動を起こさなくては」
  。それは障害を克服してきた彼女自身の生き方と
  いう裏打ちがあってこその「決断力」であっただ
  ろう。口でくわえたスプーンで与える離乳食。 
  水難事故に対処出来る様、水に慣れさせる為1才
  前から一緒にプールで遊ぶ。1才の誕生日のプレ
  ゼントの山。母親と戯れる赤子の溢れんばかりの
  笑顔と笑い声………その本当に「幸福な親と子」
  の象徴的な1コマは、愛情に於いて彼女の境遇の
  「マイナス」だった情況故に、彼女の子供へ「プ
  ラス」としての作用を及ぼしている      
   彼女の絵の展覧会の会場に敷かれた彼女のポー
  トレート、その上をどうぞ歩いて下さいと言う彼
  女(人がしてはならない事をやってみたいから、
  と)この逆説的な言葉………その「踏ん付けられ
  た」地点から描いたのだと、彼女の内なる聲が床
  に転在している。彼女の姿態に対する好奇の目、
  蔑み「障害者が恋愛するのを世間は許さないのよ
  」まるで障害「物」のよう………それにも拘らず
  「困難」から更なる困難へとその「決断力」を促
  した「勇気」! 彼女の姿を見ていて、万分の1
  の勇気が貰えた様な気がする。        
  水中が好き!と言う彼女は魚、「人魚姫」のよう
  …。浮かれた様な民放番組が多い中、メディアの
  指針たり得る番組だった。          
        (平成13・12・1記)
    

   
インパクトニュース
  @先日の田中真紀子議員に対す
  る政治倫理審査委員会のテレビ
  中継見ましたが、自民党離党処
  分となって自身の疑惑解明出来
  る唯一の場に出て来たと思った
  ら、何の事はない「疑惑を深め
  た」だけでした。あれだけ人を
  糾弾しておきながら、なんや「
  お前もか!」と腹立たしい気持
  ちで一杯です。私も当初は同議
  員に期待していましたから。 
  口だけ人間に気を付けましょう
  A住基ネット法が8/5から施
  行されるようです。一層の事そ
  の住民カード?に本人写真も
  せれば身分証明書代わりになる
  のでは?旧姓の侭でも更新され
  る運転免許証より実際の証明書    
  になる。


  
無断転載禁止
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発行者 
日高よし子                  



にゃこリン夢現シリーズペーパーマガジン インターネット
  
雑記帳 2002.7.20(土)

 昨日は我が甥子の高校と中学の1学期の終了式でした。
今年から中学校の成績査定か「総合評価」に変わりましたが、どういう基準の総合評価なのか、もうひとつ解りません。
 以前の方が分かりやすかった。

 それに、何故今迄の相対評価から総合評価に変えなければならなかったのか判慮しかねます。一層のこと試験の成績は全体でどれくらいの位置なのかを明記しての総合評価にしてはと思います。

 今年から中学生の甥子は、小学校6年間皆勤でした。
私達の当時なら学校から表彰されたものです。(私ではありません、念の為) 毎年毎年、担任の先生からの皆勤の讃えは頂いていましたが、6年間というのは凄いことだと思うのです。それは真面目な者を讃えるという事でもあります。
 今の時世学校休ませて、親がレクリェーションに連れていくとか、教育界のこの姿勢がそれを許容しているのだと思えて仕方ありません。
 一生懸命とか真面目がダサイという風潮の、世の中に範を垂れているのは 教育界ではありませんか?

 今回の総合評価の導入(先生の裁量権だけが増大)と、益々悪い方向にしか向かっていない。

 教育改革を───国が大局的に教育方針を定め、公立学校も一層の事民間に
(塾を大きくしたもの)に委ねれば「教科書」を含めた学校を国民が選択出来るのではと、提言したい。
      ────────* ─────────

 普段昼間はクーラーをつけることはないのですが、私の母が暑い!という
のでつけたあと2階のベランダで洗濯物を干そうとすると、そのクーラーの室外機から噴出する熱風の熱い事。それだけが因ではありませんが地球が温暖化するのは当り前と改めて思った次第。
 自分の部屋は今年もですが、クーラーを一回も使っていません。

 この月曜日のNHKTVの「地球 ふしぎ 大自然)で、今年の1月南極の温度が
摂氏10度になり(例年は零下30〜40度)氷が溶けて陸地が露わになり、ペンギンの大量死が映し出されていました。
 世界のあちらこちらで生物の生態異変という形で人間に「警告」が発せられています。各自がその自覚を持たないとその内「燃料摂取制限」という緊急事態発令があるのではと憂慮してしまいます。

 私の広報カーからは流しているのですが、「誰のために・地球の未来に」
このページのBGMで流しています。個人、企業、団体問わずどんどんこの歌を使って下さい。地球環境保護啓発促進のお役に立てればと思っています。
  ─────────── * ───────────

 梅雨明けとなった今日は、私の一番下の妹夫婦(親ではありません)に連れられて甥子2人は福井県の若狭に一泊の海水浴に行きました。        今頃は大きな海と空に抱かれて、自然児に戻っていることでしょう。   
 そんなんで今日は私の母親(80才)と2人、夕食も有り合わせの物ですます積もりで、のんびりと過ごせそうです。                
      2002.7.20    日高よし子





にゃこリンの夢現シリーズ     
bS9 《2002年7月1日号》

 【無断転載禁止】                   祝   創刊2周年                   
にゃこリンの夢現シリーズペーパーメールマガジン
              

 早いもので、このペーマガを創刊して今日で丸2年です。中学3年生と小学 
5年生だった甥子達も現在高校2年と中学1年生です。           
 もうとっくに2人に身長は抜かれました。伯母ちゃん伯母ちゃんと私から離 
れなかった 甥子に見下ろされて、淋しいような、でも頼もしくもあり、   
「身体」は大人になった2人の背中を見つめつつ、私は女として生まれて子供 
は産む事(縁)もなかったけれど、2人の子供を大きくしたんだと「女の義務 
」を果たしているのだという自負を持つ事が出来ました。          
 中間が終わったと思っていたら今は期末試験の時、それが終わればすぐ夏休 
み、日々過ぎるは風雲急の如くです。 甥子が一人前になるのも、もう少し、 
私も頑張らなければとホームヘルパー2級の資格を取る為、8月から講習会の 
受講に3ヵ月間通います。ですから、この7月の間に詩歌集夢現第4集「無限 
」を仕上げたいと思っていますが、仲々エンジンが 掛からなくて…………  



さて2周年の節目、気分転換の意味も込めて紙面を一新してみました。   

 
サッカー W杯 『野性の呼び聲』     

 7月になりました。祇園祭、天神祭を後に控えてのひと足早いお祭りだった 
サッカーW杯、一年の 半分の終りの月を華やかに燃え尽くして締め括り、  

気分一新の折返し点の今日1日ではないでしょうか?           
 これ迄全然サッカーに興味の無かった私もメディアのW杯攻勢に「萱の外」 
から「内」に入ってみました。対ロシア戦                 

“初めての テレビ観戦 初勝利 祈(記)念 日本 ワールドカップ”   

 このスポーツを観て先ず思ったの は、アフリカの大地の上、獲物を奪い合 
う動物達の姿でした。それは遥か彼方の「野性の呼び聲」に誘われる如、野性 
の歓喜、選手も観客も剥き出しとなった人間達。サッカーが特別人気があるの 
は、この「人間」解放故ではないかと思いました。             
 日本は決勝トーナメント出場という宿願を果たし、もうそれだけでも次の  
大きなゴールの足掛かりとなったのではないでしょうか。          
 俄ファンでしたが「祭り」の中に入って感動の「おこぼれ」を頂きました。 
続きはHP、下記に                           

  
サッカーW杯と民族主義           

 基本的に自分が産まれて、生きている国が日本であり、故に日本人であると 
いう認識、そこに国旗、国歌がある。サッカーW杯日本会場での熱狂的「ニッ 
ポンコール」
に日本人の国家への帰属意識の確認云々のメディアの報道を目に 
するが、それは、これ迄「戦後民主主義派」によって目の敵にされていた国旗 
、国歌が国民一丸となって大空の下翻り、歌われている本来の「国の姿」を取 
り戻した事に感激した人達の「見方」だろう。               
 私も若者達の「ニッポンコール」に嬉しくなった一人だが、対外国相手に戦 
う競技で「他国」を応援するものはいないだろう。その程度の「ニッポン」の 
意識だと思う。現に、韓国では同国以外の試合はがらがらだったそうだが、そ 
の点、日本以外の試合にも応援を惜しまなかったという日本人の「国民性」は 
、日韓共催の主催国であるという自覚からというより「良い試合を堪能したい 
」「良いものに値打ちを認める」「吸収したい」という遺伝子的文化民度の高 
さと言えるし、反面、イングランドのベッカム選手に夢中になる(かっこ「い 
いもの」に値打ちを認める?)という「民族主義」とはほど遠い、これが現代 
の日本の若者気質だろう。                        
 ただ戦後57年になろうとしている2002年日本で開催されたという巡り 
合わせ、敗戦後無国籍化した日本人。あのサポーター達の「ニッポン」コール 
は、意識下に埋没された遠い「日本人の呼び聲」代声の如く聴こえなくもない 
 。                                   

   
おねがい! 子犬 下さい。     
  2人の甥子が                 

大事に大事に 育てます
。              


『前橋汀子リサイタル2002・6.22』 

 「おこぼれ」ではなく正真正銘の感動感に浸った前橋汀子のコンサート   
(於シンフォニーホール)に6/22(日)行って来ました。        

4年前の初めてのコンサートの時が                    
 
“木の化身 濡る緑なる 衣裳着て 
バイオリニスト オーラに 現る” 
 

『「緑色」若い頃問われて答えた好きな色、その色が人生の折々に介在した。 
譲り受けた中古車、勤務会社名、他……そして、木に惹かれ、木のバイオリン 
の音色に魅せられ……最高の色が4年前の彼女のグリーンのドレス』───  

 
 ”言霊(ことだま)は グリーンのドレス 弦(現)実に”       

詩歌集夢現第3集「夢幻」より        
                                      
   ──────それは、不思議な予言の様に  一葉の木の葉 ────   
  「色は、何色が好き?」                         
 若い頃、友人の問いに、見回す廻りに添う色が無く、強いて挙げたのが、    
   ────木の「緑色」という、言(こと)の葉────          

 現在から、三十年余前、車の免許を取った時、に最初に買った車が、緑色」。  
十三、四年前乗っていた軽四も、若草の「緑色」。               
 どちらも、知人から推められ、格安なので購入した中古車。          
 十年程、勤務した会社の社名にも、思えば「緑───」が、付いていた。    

 そして、緑葉育む、木の霊が棲むバイオリンの、その音色の最高峰の、夢弦に  
行き着いて、それだからこそ、初めて「生」の喜びを得られ、夢現第一集、    
第二集の言の葉の「葉実」となった。                     

 クラッシック音楽の感動という「母」から生まれた、「もう一つの生命の発露」。


  一粒、一粒の「真珠の言葉」。                      
 しかし、前橋汀子さんの音楽に出会わなかったら、            │ 
 こういう形の「結晶体」には、成り得なかった。             │ 
                            
        │
 現在も、人間を潤している多彩な色彩の数々も、原点は、自然の中の、   │ 
その色を擬似しているのであって、普段忘れているけれども、見える形としての│ 
自然の恩恵そのものの中で、生きているのである。             │ 

 (その擬似出来る、人智────或る面、それは素晴らしい。         
この音楽の感動は、伝達手段の現代の通信及び、受信機器技術なるものを否定して 
は、語れない。そして、人間にこの「感動」を与える為に、各、天才にその    
「任務」を負わせたのでは、と考えてしまうのである。)            
 いつの場合も、芸術家が点す感動の燈明は、原点を、指し示めしている。    

 何気なく言った、「緑色」────私の体内のものが、云わせたのか、     
それ共、そう言った事で、其の「精」が、私の細胞に潜り込んだのか       
究明できる筈もないが、その色が折りにふれ、降って来た。           
─────その最高の色が、平成十年六月二十六日のコンサートの、       
     彼女の 「グリーンのドレス」──────             

  木に惹かれ、木のバイオリンの音色に魅せられ               
  それは、不思議な予言のように                      
  「一葉の 緑色」。                           

 “木の化身 濡る緑なる 衣裳着て バイオリニスト オーラに 現わる”   


     ─────────── * ──────────         

 
『木の視線』             何時だったか                               
私は、ふと 其の 視線に 気が付いた                    
 いや それは 「私」ではないものが 引き付けられたのかも知れない     
信号停の 車の運転席から 右手側の その方向を見ると            
 真さに                                  

“色どりを  脱いだ彩り 冬木立”                     

が、其処に 凛然と 墨絵の様に 浮かんでいた                
「その刻」に 初めて 色彩を持たないものの 美しさに 見惚れた       

 それ迄にも そんな 冬の樹木を 見て来たであろうに            
 何故「現在いま」 そんな風に 此の上ない 極彩として            
 出現したのだろうか?                            

 それは、まるで 天からの 巻き物が 降って来た様な            
 今迄に 見たことも無い 描写の絵の 様だった               

若しかしたら 見惚れていたのは もはや 「私」では無い           
その木立と同じ様に 一衣も纏わぬ わたし かも 知れなかった───     

  あれは、平成八年九月に亡くなった、生前の実弟の             
  入院先へ向かう、道程での事。                      

      ────────── * ─────────          
  “木の「緑」  わかく背景  いま全景”              
      ────────── * ─────────        

そして、今回のコンサートは                       
 
「白い」鳩 羽衣にして あらわるる 
天女のごとき バイオリニスト” 


 
 ”赤よりも あかいかがやき 雪の「白」”              
「白」い色の服は、着ている人間の内面を浮かし彫りにします。       
 いつか彼女の様に着こなす事ができれば………               

 今回は
「前橋汀子CD小品集100曲完成記念リサイタル」        
初めて前橋汀子さんだけのコンサートだったので嬉々と楽しみにしていました 
が、客席も立見席迄出る超満員の、大喝采。                

”鳳凰の 羽上に乗りて 観客も 「シャコンヌ」 聴きて 天上界”    

”超満杯 大喝采の アンコール 前橋汀子 5曲 弾きとく”       

 鳴り止まぬ拍手に5曲のアンコール演奏。                
素晴らしいサービス精神に改めて大喝采を送ります。            

 ─────────────*────────────         
下記はCD『エストレリータ』より                    

”セレナーデ 萌ゆるをしらぬ あわ草や”               
私の大好きな「シューベルトのセレナーデ」、甘く切なく、とても素敵です。 

 チャイコフスキーの「憂欝なセレナーデ」は、溜息ともつかぬ繰り言を聴く 
よう… 
教養に裏打ちされた、並み外れた楽譜の読解力と洞察力、卓越した表現力、
彼女の作品はどれも「芸術品」です。                          

 このコンサートの印象、CDの聴後感その他               
 詩歌集夢現第4集「無限」に詳しく記します》              

前橋汀子さんの為に創った曲 「FOR VIOLIN  お渡しした私演奏のMD聴いて頂けましたか?              
あの3日後の25日、テレビN響アワー担当の池辺氏宛に同曲のMDと楽譜送 
付しました、いつか前橋汀子さんとN響との共演で「FOR VIOLIN」 
聴く事が出来ればと言う【壮大な夢とともに】               

にゃこリンのインパクトニュース           
@先週金曜日の深夜「朝までテレビ」という『石原都知事を総理に』の推進派 
と反対派に分かれての討論番組を見た。いづれは期待するとしても現在、公約 
実行中の小泉総理を応援したい。総裁、総理に選んだ責任を踏まえ与党はもっ 
と総理を支えていかなくては……… その討論中「歴史認識」の件りがあった 
。推進派の西尾氏の過去から現在迄の豊富な知識、比して反対派の人達の毎度 
の「被虐的歴史認識」それの固定化以外何の興味もないようで、その関連国の 
現在の事を書いた書物は一切目を通していないようであった。        
 が、知らないと言ってるだけ?                     

 去年、扶桑社の「新しい歴史教科書」を採択しようとした学校関係者には執 
拗な「嫌がらせ」があったようで結局採択した所はなかったと記憶しています 
が、次回の時は全校が従来のと扶桑社のと2社採択して社会の教科書を2冊に 
し、読み比べるといった授業も面白いのではありませんか?         


 

詩歌集第三集
「夢幻」について               

 「自然を愛しなさい」                      
子供に何百回言っても無駄です。                 
 親が、大人が子供を愛さなくて                 
どうして愛の心が、育まれるでしょう。              
 愛されなくて、どうして                    
 愛し方が分かりますか?                     
───抱きしめて 強く───                   
 世の子供達が、有意義に人生を                 
 送れますよう………                      
すべての 美しき子供達に                     
本書を捧げます。                        

 確かに 私にも両親は在た。 「両手」はあった。         
しかし、両手を感じたことはなかった………           
 それでも、どうして                      
究極の感動感という、喜びに                   
巡り合う事が出来たか?                     

  本「夢幻」を手に取って見て下さい。               


申込み受付け中                               
 
詩歌集夢現第3集★「夢幻                             全第5部迄¥1500 日高よし子著                              上下2段全180頁>                             

第1部 約束された人生                                  第2部 母・天の川途上*父・瓦解                       
第3部 甥子問答集・亡妹のこと                          
第4部 夢幻歌  俳句短歌 800句首                     
第5部 我詞独曲10曲                                          マイメードソングについて                          

書店には置いていません。

           
 
【偉大なる 芸術家の 思い出は  
 
「夢現」の「夢弦」  「夢幻」に  無限     


私の曲でCD制作如何?


♪ ♪ ♪ 
ずっと大阪 
♪子供の頃 
♪ 天 国 
他約40曲 
♪ ♪ ♪ 
歌い手さん 
スポンサー 
  募集  

http://www5a.biglobe.ne.jp/〜yoshikoh             【

お問合わせ先 創作編集配布                       
〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3ー7                
 日高よし子 рO72−832−6640                 
 
【無断転載禁止


にゃこリンの夢現シリーズ                              

2000年7月創刊)                        
 
bS8  2002年6月4日号
           

      

【無断転載禁止】                                           
「にゃこリンの夢現シリーズ」の                                 

 広報カーから著者の 朗読 歌で                       
 
このページのBGMの「童の目」や「人間の強さ」                
 
最新歌「誰のために・地球の未来に」等を放送中!                                                                   
★夢幻★ 第1部 約束された人生 P20より                                     
スぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺイ                                  
ス                            イ                                  
                            
ス      
『1990・スペイン・9年前』   イ                                  
ス             (平成11年1月21日 記) イ                                  

ス  “かのスペイン フラメンコダンサー 目に熱し                                      
ス     「ギター五重奏曲」 現在いま 耳 熱し”
    イ                                  
ス                            イ                                  
ス  {  カーン カーン               イ                                  
ス ガウディの 槌つちの音と  フラメンコの 蹄(ひずめ)の響き   イ                                  
ス 彼方 九年前より 近付きぬ              イ              
ス   このポッケリーニの 「ギター五重奏曲」 聴けば                
ス   眠れる生命の 涌き起きて  万感の 共鳴音                  
ス   時空を 溶かさん   }                           
ス     (ポッケリーニ・「ギター五重奏曲」に寄せて)               
ス                                          
ス  情熱の国────と云われる、スペイン。                     
ス 実際に見た事はないが、闘牛士の持つ「赤い布」。                  
ス その色に突進する「牛」。                             
ス 最後の海外旅行となった、九年前の正月、当地スペインのグラ              
ス ナダで観た「フラメンコ」の踊りは、その闘牛の牛さながらに              
ス ダンサーのタップの足さばきは、赤い地面に身体を放遂させた             
ス 様に響き渡り、真さに、「スペイン」と云う国の、血源を見た             
ス 様な気がした。過去に侵略覇者と云う歴史を持つ「スペイン」             
ス。赤い色の侭に突き進んだ。──────                      
ス いつ果てるともない「時」の谺の様に、永遠の時空に                
ス 向かって 現在も 刻まれているであろう、       
ス バルセロナの「ガウディ」の槌音。それは、現地の人の、 
ス 永遠の祈りの「鎮魂歌」の様にも聴こえる。       
ス  「ガウディ」の囲りを、フラメンコダンサーが、    
ス   輪を描いて踊っている。              
ス──突然の「栄光」と「没落」・「生」と「死」───   

ス 「カーン」「カーン」 「タッタッタタッー」      
ス───「光」と「翳」  「静」と「動」───      
ス スペイン人の「国民性」を、今、改めて思う。     
ス             (平成11年1月21日 記) 
スンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンン


  
  『豊かさの密度』       
 4年前の産経新聞に南米の国の実情を伝えつつ、その国の子
供の品性の高さを紹介する様なエッセーが掲載されていた。 
 ウインドウ越しに子供達が外国人等の食事風景をじっと眺め
ている店で、その中の子供に作者である戸井氏が食物を差し出
すと、自分の弟の分と犬の分を取り置き食べていたと、貧しい
乍らも「豊かな品性」に称賛の眼差しを向けておられた。  
 それは親が、先ず分け合う事を「教える」からであろうし、
「物がない」から分け合う事が出来るのであろう。     
  ───────── : ──────────    
【物質的豊かさ〓単一的豊かさ+知識、知性〓多元的豊かさ】
ひとつの物を得た時、その捉え方に依って「豊かさ」の密度に
濃淡の差が出来る。習慣的、惰性的な物、朝昼晩の食事。  
 それすら、現在のアフガンの情況を見れば────    
今年の2月テレビで放映されていた同国民の生活情況。   
 零下10度のテント生活、食物の無い「習慣」、凍土の上を
裸足で頭に水瓶を乗せて水汲み場迄の道を3キロ、何往復もし
ている少年少女達。                   
 そして、レポーターの黒柳徹子さんに、その日それで尽きる
という水で「もてなし」ていた。             
 そういう知識を背景に「食べて」ご覧。「恵まれている」と
思えるし、巡り合わせの「この場所」に生きている事に「感謝
」したくなる。───それが「豊かさ」。         
 文明が未熟なテレビ等の無い以前なら、そんな「知性」を借
りなくても、「それ」は誰もが持っていたものでしょう。  

にゃこリンインパクトニュース
@日本の自衛隊の情報公開文書閲覧者のリストを作成、隊内L

ANに掲示していたと大騒ぎしていますが、それで閲覧者が何 
か不利益を蒙る事があるのか、そんな事スパイ天国と言われる         
日本は兎も角も、アメリカなら当然の処務でしょう。この「大
騒ぎ」、又中国瀋陽領事館事件に見る「不可侵」対応の拙さ。
それらは根本的に「国家の利益」意識の欠如に因があります。
A最近の不可解な事。自民党は兎も角として、野党そして何事
も大々的に取り上げるメディアが、何故もっと田中真紀子の政
策秘書給与流用疑惑を追求、糾弾しないのか?新聞に秘書の証
言があるのに───そう思いませんか、皆さんも?     
     
          

   
           

 
【無断転載禁止】 


 お問合わせ先  創作編集配布           
大阪府寝屋川市寿町3ー              
  日高よし子 рO72−832−6640      
        
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にゃこリンの夢現シリーズ                         
bS7 《2005月5日号》
                                   
                                                              
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★「夢幻」 第3部「甥子」 P93〜                                

「自分と出会う」                                           
────「人」であること。 自分と出会うこと。─────                                      
   “人間の 
「善」を 信ずる 匂い立つ        
       
若葉の 如き 赤子 思えば”    

 春の訪来の口火を切る如く、大きく包み込む様な優しさで、 
枝を一杯に拡げた桜の花の艶姿を味わったのも束の間、    
もう葉桜となり、若葉の季節の先陣の旗を幡めかせています。 
 其処、此処では目に付く木々の、新鮮な芽の輝きに行き交う。
  地球の生命の胎動を目の辺りに見、           
  その新しき乳葉の穢れなき眩しさに、          
  人が生まれ来し赤子の頃に、              
  等しく美しかりし「その時」に思いを馳せる。      
 人は、裸ん坊で「オギャー」と泣いて産まれて来る。    
海辺で、引いては返す、その波の波打際に何時間居ても倦きず 
心地よいのは何故だろう?                 
 海辺で育った分でもないのに────           
 先ず、海から陸へ抛り出された魚の様に「環境」に対する拒絶
反応───「哀しみ」を持って生まれた………        

 悲しい音楽に、呼び起こされる感動は、          
 その頃の自分を見出だすから?              
  
「哀しく」産まれた時の「美しさ」          

      
 俳句短歌            
   ☆夢 さくら いのちのあかし つぐつつじ      
   ★花いきて いつか葉桜 呼ぶ つつじ        
     風の喝采 初々しき 五月            
   ★新緑も いのちの あかさ 山つつじ        
   ☆曇天の 翳(かげ)に あかあか つつじ咲く    
   ★草原は 一途な 若さ 五月雨(さみだれ)て    

にゃこリンスペース
〔ミニはなし〕───ミニストーリーともいう。      
     
『レタスの気持ち』     
 皮肉な事に振動のほとんどない此の道路───高速道路と言
うのでしょうか?うつら、うつら眠くなってきます。    
 居眠り運転する人の気持ちが、よく分かる。そして事故死?
 その少し前、私がこのトラックに乗っけられた時の道は、少
しガタゴトして、そのせいで隣同士かぶさったり、くっついた
り、ぶつかったり「あらゴメンナサイ」、そんな言葉もお互い
自然と出て────                   
 その走っている道路沿いにチューリップ畑が見えてきて、白
いチューリップの「想い」を察したおせっかいな風が、赤い花
の方に絹の風をひと吹き流し、「あら羞し」白いチューリップ
は思わぬ愛のキューピットのお蔭で、赤いチューリップの花に
「チュー」出来たのでした。
               
 居眠っていて気が付いたら、此処は、はて八百屋さん?  
「レタス安なったなぁ」、そんな声だけで通り過ぎる人。  
手に取られそうで隣のに手を伸ばし「買われていった」───
 私「売れ残ってます」。
「レタスはバサバサ水っぽいからな
ぁ」【「水やったら飲みにくいけど、食べれるん違う?ビタミ
ンCあんねんでぇ」聞こえんやろなぁー】         
「レタス頂戴」又隣の子が売れた、店員さん上に積んだらあか
んがな、「私」又隠れてしもた 
             
 近くで桜の花が、まぁ春を満開にして「イヤ!キレイねぇ
ほんまゃねぇー(これは私の言葉)───それでも散っていっ
てる、きれいのに、散っていってる、それもキレイねぇ、ほん
まやねぇー、きっと開いて開いて、喜んで散っていってるんや
ネェー、キレイねぇー。

日本人 おもいかえせよ 散る桜”
 そのお客さんと目が合って、キレイ内に食べて言うてウイン
クしたら、隣のに手を出し掛けたのに、私買ってくれた。  
「私」美味しいで!───まだキレイから────?。   

にゃこリンインパクトニュース
@自民党の悪しき慣習「事前審査制」を蹴って郵政4法案が国
会に提出されました。郵政民営化、構造改革は小泉首相が自民
党総裁、首相に選出される以前からの主張、公約でした。  
道路、石油公団改革も同じく。党員はそれを了承、賛同して小
泉首相を総裁に選出したことを忘れた分ではないでしょう? 

☆感動感 それは 人類が 勝ち取った 最高の 栄光である☆
           
          
 
雑記帳 『中之島まつり』
   
2002.5.5(日)

 子供の日の今日、新聞で知って、初めて「中之島まつり」へ、いつもの3人 
組(私と甥子2人)で行ってきました。                  
 大阪市役所横の会場の入口に佇んだ時、約5年前(平成9年)の冬、甥子2 
人の英語塾のクリスマス会が中之島公会堂であった事を思い出しました。

、今日の若葉が重なり合うよ 
うな並木道ではなく、   

 ”冬並木 オブジェの中へ 靴の音”     

(詩歌集第2集「夢弦」にこの並木道のイメージを

「遥かな木・オブジェ」という歌にしています。 )                     
 

♪        略                         
 ずーっと変わらず ずーっとこうして  ずーっと此処にあるんだと    
  私の中の 遥かな木………    略       ♪         

”「オズの魔法使い」 み し 実体を マント脱ぎ捨て 冬の樹海に”
 【注:クリスマス会の劇の題名】

 今日の人の賑わいも、冬木の様に淋しく………              
 若葉溢れる5月と、霊気だけの12月の裸木死と再生、たまたま関わった 
季節のせいで、その両極端が交差しました。                


 今回で31回目とは、現在住まいは寝屋川市ですが昭和54年迄福島区に住んでい 
たのに全然知りませんでした。でも当地へ着いたのは午後2時位、会場の木陰 
の処で、作ってきた弁当で腹ごしらえし、5/3からの最終日の今日は3時迄 
と知り、どの出店や体験コーナーもちらっとだけで通り過ぎ、中之島バラ園に 
行き当たってバタバタしていた気分も、やっと花の落ち着きに同化出来ました。   
上の甥子と私


 フリーマーケットで下の甥子は中古のゲームソフトを買い、私はイカ焼きを 
「負けて」もろて得した。でも僅かでも場所々々にある募金はするんですよ。 
 

 帰り際にライブ演奏があり「アフガンの子供達」の事、又「地球にやさしく 
」と女性ヴォーカルが唱っていた。 
 私が訴えたい事を、こうしてやっている 人達が在ると思うと心和む。                       
 説得力のあるヴォーカリストだったので、余程私の創った歌を「唱って」と 
声掛けしようと思ったが、言いそびれてしまった………           
 
それにしても、沢山のエリアに催物も多彩にあった様で、時間が足りなくて残念でした。来年は最終日ではなく又、もっと早い時間帯に行きたく思っています。 

会場を出てから車を市役所前辺りに停め直し、その広報カーから      
詩歌集夢現第3集「夢幻」の中の詩編やマイメードソング「ずっと大阪」を
流し乍ら、暫し『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン』最新号2002.5/5号を中心にを配布した。 
 大変お騒がせした事と思います。耳障りだった方にはお詫び申しあげます。 

http://www5a.biglobe.ne.jp/〜yoshikoh 
【Email:yoshikohneyjp@mtd.biglobe.ne.jp
Email:nyakorin@hotmail.com】 

〒572−0029大阪府寝屋川市寿町 
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にゃこリンの夢現シリーズ
bS6 《2004月17日号》                                                               
【無断転載禁止】                                                  
 
『春の御所』
 曲芸師の様に後輪が50p位上がって左側に倒れ            
た、一緒に出掛けた下の甥子の言葉。自転車の前輪                   
は波打って曲がってしまって、上の甥子は左腕頸腕                    
骨折です。「雄樹を追い抜こうと加速したら……」
倒れてたようです。皆さんも気を付けてください。

  
【京都御所 今を昔の 春絵巻】      

 京都御所春の一般公開最終日の4月14日(日)
下の甥子と行って来ました。          
「世が世なら下々の人間等は足踏み入れる事の出来
へんとこやで」甥子に言いつつ歩を進めると、京都
御苑には山桜が満開、又立派な松が匠の技で整えら
れどれも見応えのあるものばかり、その中の360
度上から裾拡がりに剪定された松を見ていると、 
「八紘一宇」と言う言葉を思い出しました。  
 

 
 【まつなかに 新緑 巡る 京都御所】   

 調和均整のとれた厳然と居並ぶ松の間から陽に眩
しい新緑が嬉しく弾み溢でています。      
昨年末御誕生された敬宮愛子内親王様迄、連綿と継
承された天皇家のそれは、生命の象徴の如く………

【そうそう(騒々)と ひといきてゆく の御所】
           
 

     
 『四月に!』  「夢幻」より

    それにしても 四月の この 陽気さよ!
     桜は 着実に 開き切った 傍ら
     こそばゆ気に 若草色の 乳葉を
     リボンの様に 枝先に 結んだ 木
     生まれたての 新芽が 落っこちないように
     母に しがみ付いている 木
    颯爽と 車を 走らせれば
     あの 扇形 帚型の 落葉樹も
     うっすら 淡草色に 彩づいて
     紛れもない 春 旬たけなわの  生命が
     揺らめいているのでした

    此の 四月の 町を 歩けば
     夏の予感の様な 日差しの中
     風は スキップ しながら  草笛を 奏で
     真っ新な 生命の 息吹きの 鼓動を 刻み 始めている
    口元が ほころぶ様に  木々の 新芽が
     羞かし気に ほころんでいる

    生命が ほころぶ 様だ!
     冬の幕が 降りた 後の 「生命の 目覚め」の
      春の 歓びを 体感する
     そして 気付く これら 全てが
    「あの音楽」を 聴いて 感ずるのと
     同一で ある事に。…………

 
“「亜麻色の 髪の乙女(音目)」は 春雨の                   
  日は 汲み上げる  ひと芽(目) ふた(二)芽と”

《夢幻》 第1部 「約束された人生」  P14〜より     
     
『 宝 船 』            

 “彼女の人と 「時代」の海に 同乗わ 宝船なり 航路実感”    

 見渡せば、涯しなく広がる海の様な、「時」の波の中で、彼女と言う芸術 
家と同じ「時代の船」に乗り合えた事は、世紀末と言われる、此の時代の渦                         
の泡に呑み込まれ、溺れそうになる人間の「魂」の、先導的な防波堤と成っ 
ただけでなく、此の空気さえも、其の年、ヘールポップ彗星に巡り会った様 
に、稀有な空気と感じられ、此の時代に生まれ、生きている事さえ、喜ばし 
く思えるのである。それは、平面的に言えば、地球と言う生命体にも、極北 
の氷だけの地帯、又極暑の砂漠の「死」だけが、埋くまっている地帯がある 
中で、四季折々の、花鳥風水に恵まれた風土に、「俳句」と言う文化を根付 
かせ、其の脈々とした底流の中に息遣いている、地球上稀な「日本」に生ま 
れた日本人である事の喜びに、通ずる想いである。                                 

 
 【俳句詠む 紙の 砂漠に うみ 川が】              

 そして、地球上の其の位置の、現在の「日本」に生きる私達が、此の丸い 
巻紙を解いて、長い、その年譜を辿る歴史上の位置付けをする時に、此の今 
の、日本の文明の繁栄が辿った、其の足跡渦中の何処かの部分と合致する国 
を、TV等で観た時に、貧しい国ながら、堪らない郷愁を、覚える。    
 地球上恵まれた風土を持つ「日本」には、「日本人」の誇り高い特質があ 
った筈。「意気」、その貫く意志を以て「気」と言う風の流れを造ってきた 
。地球上の砂漠、或いは、極寒の地から見た「日本」の位置。       
 歴史上から見る、日本の現在。そういう視点を持って見れば、自分の内部 
に持っていれば、此の現在の「刻」とも融和し、此の空気の中に、喜びを見 
出だす事が出来るのである。                      
                   
                                            

その「宝船」の前橋汀子のコンサートが  
6月22日(土)PM2時から
シンフォニーホールであります     


☆コンサート ホップ ステップ ジャンプ 天に テン        

☆コンサート 魔法の絨毯 チケットは 日迫る程 心 浮き浮き 

★木の化身 濡る緑なる 衣裳着て 
バイオリニスト オーラに 現わる
  

★神々しき ヴィオロン 弾く その姿                 

 
(1998年6月26日 前橋汀子の初めてのコンサートに寄せて)   
                 ◇
★感動感 それは人類が 勝ち取った            
 最  の 栄 光である!  

     
 

                                    
にゃこリンインパクトニュース
@今国会法案成立を目指して政府は「有事法制関連                   

3法案」を提出しました。他国から攻撃された場合の                   

の対処法案ですが、こんな当たり前の事今頃と思い                  

ませんか?阪神大震災時の村山首相(社民党)の

「何せ初めての経験じゃからのう」の迷言を踏襲する                   

かの如き、最近の党首討論会での土井社民党党首の

「いつ誰が攻めて来るんですか?」という懲りない                     

迷言。────どんな災事も突然起こるのです。                                            

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〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3ー7                
 日高よし子 рO72−832−6640                 
 
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にゃこリンの「夢現」シリーズ                   

45《20030日号》               
★インターネット発信                                          
(2000年11/4号から掲載しています) 毎月2回発行                                      
   
申込み受付け中                               

詩歌集夢現第3集★「夢幻                              

 全第5部迄¥1500 日高よし子著                          

上下2段全180頁>                             

 第1部 約束された人生                             
第2部 
母・天の川途上*父・瓦解                   
第3部 
甥子問答集・亡妹のこと                     
第4部 
夢幻歌  俳句短歌 800句首                
第5部 
我詞独曲10曲             
     
マイメードソングについて  

  
■書店には置いていません。                                                          ◇                                                     

 
☆各本表紙は実画☆                                               
 
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『車に拡声器』  
春分の日も過ぎた23日、暑さ寒さも彼岸まで の言葉通り、うっ 
とりする様なやさしい春の眼差 しの中、いつもの 
様に甥子と共に墓参の為京都へ 車を走らせました 
。走る道々、今年の気候の異変 に桜の木は満開を 
越し、前日の雨でもう散り初めていました。他方、 
花持たぬ未だ裸木の木には春 は「よそ事」の如く 
です。 墓石の突き当たり、いつもは楓の葉で閉ざ 
されている空が、今の季節、窓を開けたように青空 
が拡がっていました。墓石を洗えば、避けたかった 
水の冷たさもぬるみ、「春」の有り難さ。 その帰 
りは、私の車の上に拡声器のスピーカーを取り付け 
た事でもあるので、人の賑わいのある京都駅近辺で 
「ずっと大阪」「天国」の音楽、詩歌集夢現第3集 
「夢幻」のPRのテープを流し乍ら、このペーマガ 
を配った。(今回は、少し前になるが京都駅改装後
初めて当駅構内に入り、ながーいエスカレーターを
上って行った時の印象を綴ったペーマガ「天国への
階段」他、を中心に。このページのbR6号に掲載
していますが、ここにももう一度) それにしても
当日は上述の車の上の拡声器の音の事で頭が一杯、
音が出てるやろか?うるさ過げへんやろか?、と。 
本当は、春の嵐山の桜も、京都博物館の雪舟展も
見たかったけれど、時間との折り合いから断念した
次第。でも雪舟展には行くか知れません。

★これからは、神出鬼没、「見知らぬあなた」の許
へ「音楽」と共に現れます。お騒がせ、ご迷惑を
お掛けするかもしれませんが、生活の為頑張っています。
暫し、ご猶予の程よろしくお願い致します。

《夢幻》 第5部「マイメードソング」  P150〜より   
     
『美味しい音楽』(平成13年)       

 
 “胡麻ふって 牛 豚 魚 豆 野菜 信号の色 忘れず 健康”   
「美味しい料理」が、身体の栄養素と成る様に「美味しい音楽」も同様であ 
る。その感動感は身体を、精神を開放させ(リラックス効果)新たな「生命 
」の、細胞の循環性を促進させる。細胞の循環作用の劣化こそが老化と言う 
事だがら、それを促進させると言う事は「若さ」を保つ秘訣と言える。   
 私自身エレクトーンをやり始めクラッシック音楽を聴いて以降、感性の枝 
葉の拡充、鋭敏性、創造力の喚気を自認する。              
 何よりも、「美味しい音楽」を!!                  
   
“「美味しさ」の 嗜好 それぞれ  我 音楽”         
 海近辺で産まれ育った人が大阪へ出て来て魚を食べると、腐った様な味に 
思うそうである。それほど、その場で食べる味は新鮮で美味しい様である。 
本当に「美味しいもの」の記憶とは、「それ」ではないかと想う。     
 こうい流通制度も勿論無い、もっと遡った昔、私たちの先祖が食べてきた
味。ひっくるめて「美しいもの」への「感動感」との出会いの回路の基点。
 現在迄も、産まれてからずっと自然界と共に暮らす人と、都会の人間と、
言い換えれば、ずっと美味しく生きている人と、それにいつか出逢う為に生
きている人間と。それは、変わらぬ世界で生きて行ける人と、変わらずには
生きていけない人間とに、区別された環境下に置かれた者の宿命としての。

 芸術、音楽の存在意義は、より芸術的なもの程、其処への回帰の道程を、
より近距離に導き得ると言う事だろう。
(下の2/26号に続きを掲載)                
                                                  

 ”伝書鳩 切ないほどの 帰巣本能 通ずる道は 芸術魂”     


にゃこリンスペース           
 
今年は桜の開花が早く、もうどの辺りも満開爛漫の春を謳歌しているのに
あの
枝先を切られた桜の木2本、今年も去年と同じ様に(これからもずっと
でしょう)花弁を点すことなく「冬木」の侭。その対比が余りに極端で、 
ああして抜け殻だけの木を晒して置いておくのは、余りに残酷。     
 あの枝先を切った人間は、木全部を葬りなさい!           
 本当に切ないねー。                        
人間の仕業には憤懣やるかたない。 対人間を殺傷したら罰せられるのに、
現世の人間より以前から「生きていた」木を傷付け、花咲く部位の枝先を切
り取って何故、罰せられないのか? どうしても枝先を摘まなければならな
い情況になった場合は、そっくり木毎他へ移すべき。 あんな事をする人間
は、この先人間の「脳内樹木」の枝先迄切っても、なんともないやろな。 
──────────────────────────────────
第三集「夢幻」第5部 マイメードソング 〔詞と楽譜10曲収編〕 
@天国 Aずっと大阪 Bときめき夏  C一輪の美 D女の子  E秋 
F「ありがとう」と G六月・雨 H子供の頃 Iもう一年後………   
            
にゃこリンのインパクトニュース       
■新聞か何かで見た【人を非難して指差す人差し指の、残り3本は自分を指   
している】と言う言葉を、今回の事で思い出しました。。           
  鈴木宗男議員に「嘘つき!」と糾弾していた辻元清美議員が同じ様に政   
策秘書の件で「嘘をついて」遂に、議員を離職した。元自民党の鈴木宗男議   
員、加藤紘一議員の離職追求が、なんの事はない、いつの間にか辻元清美疑   
惑追求に擦り変わった。議員というのは「ある神経」が麻痺してるのではと   
思うけれど、これだけ次から次へ問題が浮上してくると、国民も神経が麻痺   
して来る。【議員というのは、皆こんなんやで、それなら「悪」の順位付け   
をしたら辻元清美元議員は、与党の自民党の中で利権を貪った鈴木宗男、加   
藤紘一議員(秘書の事も含めて同罪)に比べたら野党では業界からの献金は   
ほぼ皆無、自分の歳費と問題の政策秘書の給料を本人の事務所の運営費に充   
てていた様やから「悪」の程度は低いわなぁ。】他にもそれを当たり前にし   
ている議員はもっといる筈。あの鈴木宗男議員への国会証人喚問の質問で一   
躍目立ったばっかりに、こういう事態になった様な気がしないでもありませ   
ん。「悔し」かったでしょう。それにしても、どの様にして「それ」が暴露   
されたんでしょうね。                           
「数こそ力」と利権のお金を自党の議員にばらまいていたわけではない。    
(付け加えるが私は小泉自民党の支持者である。小泉首相にはその「数こそ   
力」の「力」がない。だから応援する。)                  
 自民党の中で利権を貪った鈴木宗男                    
、加藤紘一議員、あなた方の比ではない金額の不法行為で辻元清美議員は潔く  
辞職されました。恥ずかしくないですか?                  
    辞職勧告決議案というのは与野党幹事長クラスが採          
決で本会議への上程を決めるが、何故事前にその段階を踏むようにしているのか?
 政策秘書について……… 語学堪能にして、国家公務員上級試験にパスし   
た者が、やっと政策秘書に就くことが出来る。例外として10年間国会議員   
秘書を務めた者も政策秘書になれる。議員の「縁故者」等、こちらの方が多   
いとか。 国が1400万からの給料を支払う職業の人間のこれ等は議員が   
「私物化」している様に思える。                      
 一様に受験はさせるべきでは。それでこそ「公平」というもの。
       

 
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にゃこリンの「夢現」シリーズ                   

44《20021日号》               
★インターネット発信                                          
(2000年11/4号から掲載しています) 毎月2回発行                                      
  
詩歌集夢現第3集★「夢幻                          

全第5部迄¥1500 日高よし子著                            

上下2段全180頁>                                                                                                                                           第1部 約束された人生      
第2部 
母・天の川途上*父・瓦解                   
第3部 
甥子問答集・亡妹のこと                     
第4部 
夢幻歌  俳句短歌 800句首                
第5部 
我詞独曲10曲             
     
マイメードソングについて  

  
■書店には置いていません。                                                          ◇                                                     
 『仰げば尊し』    

春急ぐ 上(かみ)から 下(しも)へ 辛夷花
   さきもん勝ちや 見たもん勝ちよ”    

ハッとする白花の美しさ!本当に見たもん勝ちです
。あの汚れのない辛夷の花の様な子供達である甥子
の小学校の卒業式に出席した。 ”小学校の卒業式
「君が代」を 唱う 私は その頃のよに”   
勿論、君が代斎唱は起立して大きな声で唱いました
。先生方、保護者の声はあるものの、生徒達の声が
全然ないと言うのは異様な光景であった………。 
 そして 「仰げば 尊し 我が師の恩………」 
     教えられるから、恩を識るし、    
     仰がれるから 尊い先生に成っていく、
    と思うのですが………         

《夢幻》第2部「母・天の川途上」 P50〜より       
   
   ◆日本の原風景◆   NHK     
 
(6年前(平成八年)の
「蔵」のテーマ音楽の印象)現在再放映中 
          
《秦琴と尺八に寄せて》             
 
本来、子供と言うものは時代の落し子であると言う事を踏まえて、   
親達が子供達と真正面から向き合う事を、忘れてはいけない。      
 ふと、現在の子供達が手にしている物を全て捨ててしまったら(失くして
しまったら)、心は「豊かさ」を取り戻すのではと、思ったりする。   

 ”山河あり 東洋の 日本 雨が降る                    

言葉の 梯子  降(お)りて 昇(のぼ)りて                                 

 日本の原風景の、深い山脈のあちら側から、歩いて来る「足音」。   
或いは、山の底から這い上がって来る音楽。谷底の道の土の性質を、   
草鞋の下に嗅ぎ分けながら、一足一足 峠を越えて行ったか。      
 60兆個の細胞潜む海に、蜘蛛の糸の様な、「秦琴」の糸が降りて来て、
唯一、60兆個分の1の細胞が、その「糸」に釣り上げられた。     
  その山の海の底から、飛び出して来たものは何か?         
  あの「弦」は宿命的に、「陽」色を持っていません。        
三味線でもない、ギターでもない「秦琴」のこの微妙な音色に惹かれるのは
何故だろう?日本人の東洋人の、血が震える。  
           

乾いた風に、竹は哭く。乾いた風に、竹は咽ぶ。乾いた風程、竹はうたう。
地の底の噴風が、竹の胴を突き抜け、微かな人の毛穴から侵入して、   
胸穴を満たす。地の底から涌き上がって上った、蛍の後を追い駆けたのか。
その空目指した竹が、それ故、削り捨てなければならなかった自身の「身」
ああ、その空洞の中を、地から天へ吹き抜け、嗚咽する風よ、     
それ故、生まれた風よ。竹の代弁者よ。そうでなければ、お前と出会う事も
なかった。もっと、もっと遡った「以前」から、現代へ吹き抜けて来る。 
 目指す、竹の悲歌(エレジー)。               
    
その昔、その風土を持った故の 哀しみと              
現代、その風土を持たない故の 悲しみが 交錯する    
    



にゃこリンインパクトニュース            
@「言った」「言わない」から田中外務大臣更迭に            
迄及んだ、そのNGOのGWJの大西氏の参考人招            
致が先週の外務委員会であったが、明確に鈴木宗雄            
議員の関与があったと証言していた。(但しボラン            
ティアにも貿易商を営む大西氏の様な人や、反政府            
的なNG0もあるらしい)。そして、3/11その            
鈴木宗雄議員に対する衆目の国会証人喚問を観た。            
 野党の突っ込み不足、唯一辻元清美議員が最後に            
斬り込み隊長の如く、大阪弁で「疑惑の総合商社」            
「嘘つき!」とケニヤへの公共工事の同議員関与疑            
惑を攻め立てていた。それ迄しらじらしく、素っと            
ぼけ顔の同議員も流石に実を突かれたかして「恫喝            
」の一歩手前の応答だった。私設秘書のコンゴのム            
ルアカ氏の偽造パスポートの件からも偽証罪等で、            
同議員の刑事訴追は免れないでしょう。                 
 それにしても野党の持ち時間が短い。与党の1時            
間は馴れ合いの様な質問で無駄。時間配分は平均化            
してもいいのではと思う。  
                     

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 お問合わせ先 創作編集配布                       
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【無断転載禁止】  にゃこリンの「夢現」シリーズ

44《20013日号》
★インターネット発信                                          
(2000年11/4号から掲載しています) 毎月2回発行                  

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詩歌集夢現第3集★「夢幻                           
 
全第5部迄¥1500 日高よし子著                           
 
上下2段全180頁>                                                                                                                                      
第1部 約束された人生             
第2部 
母・天の川途上*父・瓦解   
第3部 
甥子問答集・亡妹のこと     
第4部 
夢幻歌  俳句短歌 800句首
第5部 
我詞独曲10曲             
     
マイメードソングについて  

  ■書店には置いていません。                                                          ◇                                                     


にゃこリンスペース 
脳内事項・のっぺらぼうの21世紀』 
雨が降った日、傘を差す。何故? 濡れれば冷たいから。
それでは「冷たい 
」と言う機能を消しましょう。そしたら?「ほんまや、傘要らん、便利にな 
った」。次は?「寒い」「暑い」。それでは シュッ!(ゴキブリ殺虫剤で 
すか?)まぁ、そんなもんです。うわぁ、冬も夏も快適。
ほんと?ノウノウ
 

 
のっぺら棒の坂か 径か のっぺら棒が 流れて来る
  のっぺぼうは 泣かない
  のっぺらぼうは 笑わない
  だから のっぺらぼう。
 山とか 谷とか 昔は あったんだっけ?


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1「言った」「言わない」から田中外務大臣更迭に            
迄及んだ、そのNGOのGWJの大西氏の参考人招            
致が先週の外務委員会であったが、明確に鈴木宗雄            
議員の関与があったと証言していた。(但しボラン            
ティアにも貿易商を営む大西氏の様な人や、反政府            
的なNG0もあるらしい)。そして、3/11その            
鈴木宗雄議員に対する衆目の国会証人喚問を観た。            
 野党の突っ込み不足、唯一辻元清美議員が最後に            
斬り込み隊長の如く、大阪弁で「疑惑の総合商社」            
「嘘つき!」とケニヤへの公共工事の同議員関与疑            
惑を攻め立てていた。それ迄しらじらしく、素っと            
ぼけ顔の同議員も流石に実を突かれたかして「恫喝            
」の一歩手前の応答だった。私設秘書のコンゴのム            
ルアカ氏の偽造パスポートの件からも偽証罪等で、            
同議員の刑事訴追は免れないでしょう。                 
 それにしても野党の持ち時間が短い。与党の1時            
間は馴れ合いの様な質問で無駄。時間配分は平均化            
してもいいのではと思う。                       
 

2よど号乗っ取り犯の元妻の証言で「有本恵さん」 
が北朝鮮に拉致された事が判明した。昨夜のニュー 
スでも恵さんの両親に元妻が謝罪している様子が放 
映されていた。これだけはっきりした生きた証人が 
いるのだから、又現在アメリカも北朝鮮を「悪の枢 
軸」と名指して非難しているのだから、アメリカの 
威光を借りつつ此れ迄に拉致された人々の返還交渉  
に政府は本腰で取り組むべき。この機会を逃したら 
(不審船沈没も日本への主権侵害未遂事件)、金正 
日政権が滅亡しない限り、合計11人の被拉致者は 
返ってこないだろう。勿論、米援助など論外。
                    

 
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 日高よし子 рO72−832−6640   

にゃこリンの「夢現」シリーズ
43《20026日号》         
★インターネット発信                                          
(2000年11/4号から掲載しています) 毎月2回発行            
http://www5a.biglobe.ne.jp/〜yoshikoh           

                            

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ー7                       
日高よし子                                            
рO72−832−6640
                                     

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■書店には置いていません。                                                          ◇                                                    

 《夢幻》第1部約束された人生 P13〜より     
       
『春の朧絵(おぼろえ)       
   “春の芽(目)の 朧 (き)緑  未だ 墨絵”     
芽ざめた樹々の、初々しい恥じらいの言葉に エコーが掛々った様な 
落葉樹の 木肌色に 淡い 淡いグリーンを忍ばせた        
美しい 墨絵の様な────春の朧絵────遠い夢の中の「目触感」
 そちらの方へ 一歩 足を踏み出す────「美しい幻想」を   
 きっと 破く為に────                     
でも「きっと」では無いかも知れないと云う 想像力に 引っ張られて
 或る地点で 気が付いた  私は 下へ 下へ 下りていた    
歩くたび その道は 下へ 下へ 下っていく様だ         
「あの樹」は消え はっきり 木の芽の 芽吹きが 見え     
 
樹液の 還流の音を  頂度 側を流れる 淀川の流れに      
聴いた………… 早春────太間(たいま)公園────     
         ────*─────             
一 体いっつい                         
  背中に感じる 息流 人間の 体内を 巡る酸素を供給する 樹 
 その 人間の 排出ガスを 「酸素」とする 樹         
 これで 「一体」  人間の 「背 と 腹」          
 生きもの 皆は 地球の中の 「樹の一部分」          
 人間が 在なくても 樹は 生きられる    
         
  でも 樹が 無ければ 人間は?               

にゃこリンスペース         
今日も 宇宙の どこ 何処かで 星が 産まれ 星が 死んでいる 
「今日」という日の 永遠の 宇宙の中で             
 この地球の 何処かで  人がうまれ 死んでいくように  
   
  生滅
この宇宙界の絶対性                 
 若しかしたら 奇跡かも知れなかった 水の惑星の青い地球の誕生。
定義付けられた(人間の)美しさの識別  美しさ=幸福という至福 
文明度が熟して 人がもっと 全ての人が 美しく 善良になっても 
人が 醜く 粗悪になっても                   
 いづれ 地球という 宇宙の中の 星は 滅びるのです。     
それは 少しは 永らえるかも知れない 人の寿命の 程度の如く。 

「選択」出来る事は
────美しく没するか 醜悪に滅するか ───
   生滅輪廻の 今日という日が 永遠の 宇宙の中で。     


         
壁 掛         


にゃこリンインパクトニュース
1.田中外務大臣更迭が点火剤となって、鈴木宗男議員   
の不正疑惑がマスメディアの格好の餌食になっています   
が、ほんの少し前は現在「スカートの女王?」と持て囃   
されている田中真紀子当人がその外交能力の無能から惨   
々(新聞の週刊誌の広告)叩かれていました。       
 外務大臣という職能が問われなくなったからと言って   
その田中真紀子を一転「有能」の代名詞の様に報じるマ   
スメディアって「二重人格」違う?ちゃんとこの人の事   
を総括して下さいよ。何が無能で、何が有能だったかを   
。破壊大臣というポストがあればピッタリでは?      
 先の鈴木宗男議員の族議員の公共工事発注に関連して   
の不正関与疑惑は、結局永年の「自民党政権の限界」、   
滞まれば澱む如く、それはどの党であっても(聖人君子   
の集団等在り得ない)政官民の癒着は拭えないだろう。   
その意味でもこの際参議院も単純小選挙区制に改正して   
将来はアメリカの様に二大政党に収斂し、その政策の遂   
行度に依ってはもう一方の政党を選択出来る様にする。   
 その制度になれば「野党慣れ」の何でも反対だけでは   
ない、あの自民党が下野した時の村山内閣総理大臣の阪   
神大震災時の「迷言」『なんせ、初めての経験じゃから   
のう』と言う様な事態も避けられるだろう。        

2.”苦闘 熱闘 敢闘 ソルトレイク とうとう 閉幕”   
燃焼した17日間、雪の結晶の様にキラキラ輝く選手達   
の晴れやかな笑顔が印象的な閉会式の行進でした。  
   

               ■                  
《夢幻》第1部約束された人生P150〜より 
  
 マイメードソングついて(2/2回目)   

『美味しい音楽』平成13年)           

 「美味しい料理」が、身体の栄養素と成る様に、「美味しい音楽」も同様で 
ある
。その感動感は、身体を、精神を開放させ(リラックス効果)新たな「生 
命」の、細胞の循環性を促進させる。                   
 細胞の循環作用の劣化こそが、老化と言う事だがら、それを促進させると言 
う事は、「若さ」を保つ秘訣と言える。                  
 私自身、エレクトーンをやり始め、クラッシック音楽を聴いて以降、感性の 
枝葉の拡充、鋭敏性、創造力の喚気を自認する。              
 何よりも、「美味しい音楽」を!!   
                

  美味しさの 嗜好 それぞれ  我 音楽          

 (一/十九)のテレビで能登の海岸の獲れたての岩海苔を食べているのがあ 
ったが、海近辺で産まれ育った人が大阪へ出て来て魚を食べると、腐った様な 
味に思うそうである。大阪でずっと産まれ育った私には当り前の味である。  
 それほど、その場で食べる味は新鮮で美味しい様である。         

本当に「美味しいもの」の記憶とは、「それ」ではないかと想う。      
 こうい流通制度も勿論無い、もっと遡った昔、私たちの先祖が食べてきた味 
。ひっくるめて「美しいもの」への「感動感」との出会いの回路の、基点。  
 現在迄も、産まれてからずっと自然界と共に暮らす人と、都会の人間と、  
言い換えれば、ずっと美味しく生きている人と、それにいつか出逢う為に生き 
ている人間と
。それは、変わらぬ世界で生きて行ける人と、変わらずには生き 
ていけない人間とに、区別された環境に置かれた者の宿命
としての。     
 芸術、音楽の存在意義は、より芸術的なもの程、其処への回帰の道程を、  
より近距離に導き得る
と言う事だろう。
                  
               ◇                    
 “「ああ美味しい!」 料理我 嬉し 茶飲む 母           

 “胡麻ふって 牛 豚 魚 豆 野菜 信号の色 忘れず 健康     

 現在、私の母、亡妹の子供二人、私と計四人家族である          
私の作る料理は美味しいだろうか?                    
「手料理」であるという事が取り柄の、それ以外、何の変哲もない、ただアル 
カリ、酸性食品に偏らない様に気を付け、三大栄養素と自負する酢、味噌、  
胡麻だけは一日に使わない事はないと言う、それだけの料理。        
 「今、食べている食事は、将来の美味しい食事に出会う為やで」と甥子達に 
もっともらしく言っているが、実際、私自身料理の味覚に関しては 鈍感で、 
不味いものより、美味しいものの方が良いと思う程度なので、悪しからずと言 
う処。しかし、弁解抜きに現在美味し過ぎるものを食べていると、不味いもの 
は食べられないと思う。その意味で、その楽しみを将来に取っておい     
てやってる
のだと、変な納得をしている。                 

 今年は受験を控えているので行かなかったが、甥子二人、近年はお正月を甥 
子の父親の居る北海道で過ごしていたので、飛行機を利用する。       
本文でも書いたが、私が飛行機に初めて乗ったのは二十代後半だった。    
雲と並んで自分が在る事に本当に、感激した。               
 甥子達はその楽しみを、もう「使って」しまった。            
こういう事は、何にも当てはまるだろう。                 
 私が子供の頃、すごく欲しかったホッピングという運動具が流行った事があ 
った。だが、直ぐに買って貰えなかった。                 
 ある日、私が学校から帰った時、その日は仕事が休みかして母が居り、   
「どこにあると思う?」と思わせ振りに言ったので直ぐに察し、探したら箪笥 
の横の隅に隠れて、それがあった。 その時の嬉しさ! 想像頂けると思う。 
 
人が「喜び」の為に生きているとしたら、何が、それなのか?       
今一度、一考してみるのも、「無駄」な事ではないだろう。         
 同じ様に音楽に於て、私はカラオケは嫌いで行く事はないが、歌は子供の頃 
から好きで、今でも、歌の博物館と自負する位その頃、又以降の歌を憶えてい 
る。この「夢現シリーズ」はクラッシック音楽を聴いた感動感を主に纏めてい 
るが、クラッシックを聴きだしたのは、この六年程の事。それ以前四十余年は 
歌謡曲、ポップス、ラテン音楽も好きで、よく聴いて来た。         
 【渇いたる 青春道に 清水の音 澄んだ唱声 ああ 「可愛い花」】   
(一番感銘的だった歌手はザ・ピーナッツ、次いで、それより以前の松尾和子 
、何れも十代の頃)                           
 自分自身の現在の「型」を思う時、それ迄の何か一つが欠けていても、現在 
の自分では在り得なかったと、考えるのが妥当だろう。           
 この音楽の終点に出会ったクラッシックは、最極の感動感の為、最後迄取っ 
て置かれたのだ
と想えるのだ。これが逆なら、クラシックのある環境に居たな 
ら、歌謡曲を聴いただろうか?と、思うから………             
 そして、それも又、私を培養したものであるし、言葉が読書をして身に付く 
様に、現在歌を創っているのも、それ等が素地に加工されたからだろう。   


 今迄の、此処に掲げた歌は、真さに私の人生そのものの、過程「歌」である 
。「一瞬の」と言う歌は、阪神大震災がなかったら創っていなかっただろう。 
「心の積み木」等、甥子がらみの歌の事は本編にも書いているし、「木魂」含 
む七曲の前橋汀子さんの事も然り………。 
                
 
人生の折々、励まされた歌がある。そして、私の創る歌のこれからの方向性 
は、やはり人の人生の徒然に寄り添える歌、そんな歌を創ってみたいと思って 
いる。要は、発表する場(インターネットのホームページに何曲か私の拙な歌 
を流したり、歌手宛に楽譜や、私の歌のデモテーブを送付したりしているが効 
を成さず)と、方法を再考しなければ、これからの事は何をしても意味がない 
様に思える。                              
  「生活」のことがある………。                    

 近年思う事、本当は私は「音楽」をなす為、産まれて来たのではないだろう 
か? 一番好きだったもの………                     
(余談乍ら、今の私の声からは想像出来ないが、私が小学1、2年生の時、  
歌の覚えが早かったのか、音程が良かったのか、音楽の時間はいつも先生の  
オルガンの横、皆の前で唱っていた)                   
 永い廻り道をして、やっと辿り着いた様な気がしている。………      

“エレクトーン 絵の具程の 音色おとの数 心撰 機微に管 弦 打 楽器” 
                                    
 トランペット等の管楽器、バイオリン等の弦楽器、ピアノ等の打楽器、又、 
オーケストラの音色。                          
 我がエレクトーンには全ゆる楽器の音が、電子音に組み込まれてあるので、 
その時の気分、心色の侭に選んで、「対つい」とする。            
 手に取る絵の具の色を、心の反映色として用いる様に………。       

 以下に、此れ迄の私の創詞曲名を列挙する。《全三十一曲》        

「夢現」第一集収編》                         
@【一瞬の】(編曲・詞) A【心の積み木】 B【ア・イヤー】      
C【愛の残骸】 D【心のブローチ】 E【ゆるやかな】 F【今だから】  
G【此処、其処に】 H【雨が降る………】 I【木魂】 J【あなたは愛】 
K【パリの空の下】(詞のみ)                      
                                    
《第二集「
夢弦」収編》                         
L【噴  動】 M【山頂に立って】  N【海  藻】  O【オブジェ】 
P【ポツリ ポトリ】 Q【あの月と】 R【まれびと】  S【紫陽花】  
21【哀】(曲のみ)                           
                                    
今回
《第三集「夢幻」収編》〔詞と曲も収編〕    
22【もう一年後………】  23【天  国】    24【ずっと大阪】    
25【ときめき夏】     26【一輪の美】    27【女の子】      
28【「ありがとう」と】  29【六月・雨】    30【子供の頃】     
31【秋】                                
               ◇                    
      
『即  曲』                

    私は、エレクトーンの前に座る。        
 
  私の肉体からだの指は、「音」を描く。                           
  思ってもいなかった「色」を、「言葉」を発する。                   
                                  
   ああ、そんなに繊細だったのかと、                         
      そんなに哀しいのかと、                         
   「指」の聲を聴く。                                
                                  
  感銘を受けた「音楽」が、私の中で、又次の「感銘的音楽」を             
  磁石の手で呼び込む                              
                                  
  そして、それは遺伝子の螺旋構造の様に繋がっている。                 
                                  
   それら全ての連合音色に、                           
   夢から起こされた様に「意識」に抑えられた、                    
   欝息が這い上がって来る。                           
                                  
  「言葉」では描けない、心を肉体を、                         
  「音楽」で描く。                                
                                            
“詞 と 曲 は 熱き「体」に 「紫」の服を着せるも 「我 流 独 色」”                                            ◇


にゃこリンの「夢現」シリーズ        
《雑記帳》2002.2.17        

 2/15(金)小学6年生の我が甥子の参観日に行って来ました。     
授業は「自由劇」で各自が、自分の得意な事を披露するという内容で、数人の 
児童で男女入れ替わって「桃太郎」を演じたのや、パントマイム、6人の女子 
のダンス、そして物真似があり甥子は「クイズミリオネア」みのもんたの真似 
を、もうひとりの男子が解答者を演じ、「正解」の前に客席の皆に挙手でA〜 
Dを選択させていたが「お母さん方も」とはっきり発言した事が印象的だった 
。その後は、「私の家族」という作文発表が順に行なわれ、それぞれ両親に対 
する想いを「お父さんは怒ったら恐いけどやさしい」、「お母さんは優しいか 
ら好き」という内容が主で、それを聞いていて、私はやさしいやろか?と自問 
してしまいました。それに加えて両親に対して「12年間の養育の感謝」とお 
礼の言葉を述べている事に感心しつつも、母親は平成5年に死亡し、父親は北 
海道の甥子はどんな想いだろうかと、そればかりが気になった。       
 皆と同じ「当たり前の環境で育った分ではない」から、余計にそれを感じて 
いるのではないだろうか、思巡している内に甥子の番になった。       
 「兄の事」と言う作文を書いていた。育ててきた私の事が書かれなかった事 
より、上の甥子の優しさを理解している事を嬉しく思う。          
 しかし、大半の生徒が「両親との生活を感謝出来る」のは、クラスの中に甥 
子の様な特殊な環境下にある者がいると言う事がその「当たり前の環境」を感 
謝出来るのだとも思えなくもない。(又最近の親に依る子殺し事件の報道等も 
勿論)                                 
 甥子達にはその現実的受け止め方が、きっと将来の「確固たる理想の家庭像 」と

なって築造されて行くであろう。一番に何を守らなければならないか、  
と言う。                                
 「人間は、思った事は忘れるが、胸に刻まれた事は、忘れない」      
厳しい現実が教訓となる。
                        
 少女の時、私が両親はいても父親に隷属的に生きなければならなかった母親 
を見て、結婚なるものに「絶望」以外の何ものも見なかったように、「現在の 
環境」が将来の全ての進路を確定する要素となる。             

 今回のテーマは、児童全てが家族というものを据点しそれに依って絆がより 
深くなったのではないだろうかと、推測する。               
 その意味ででも、良い企画であったと思う。               

 その帰り、校庭の真中に座する楠の木をスケッチしました。        
この3月で甥子が卒業すればもうあの木にも「会えなくなる」事に少しセンチ 
メンタルリックになりながら………                    
 平成9年7月5日(土)、PTAとして校庭開放の当番でこの木の下に佇ん 
で受けた印象のこと………詩歌集夢現第3集「夢幻」にも書いていますが、  
変わらぬもの・大樹)、変わらず、忘れられない木です。         

http://www5a.biglobe.ne.jp/〜yoshikoh  

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申込み受付け中  詩歌集夢現第3集★「夢幻                                        

全第5部迄¥1500 日高よし子著                     

   

第1部 約束された人生             
第2部 
母・天の川途上*父・瓦解   
第3部 
甥子問答集・亡妹のこと     
第4部 
夢幻歌  俳句短歌 800句首
第5部 
我詞独曲10曲             
     
マイメードソングについて  

  
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 にゃこリンの「夢現」シリーズ
42 《20010号》                     
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 《夢幻》第1部 「約束された人生」 P17〜より      
前橋汀子のバイオリンに寄せて
                
        
   
☆『美しい心』ドビッシー「美しき夕暮れ」      

 
美しい心を持っていますか?               
   と 問われて                    
  それを 自分で どう 答えられるでしょう       

     ただ 私は                    
   美しいものが好き!  
                

  美しい自然が好き!
   美しい朝の 序曲の 「美しい夕暮れ」が好き!     
   舞扇の様な 冬の 落葉樹が好き!          
   厳冬下の 夜明け                  
   その樹木と 一級品の風が 奏でる          
  美しい音楽が 好き!                 
   と、ただ 答えられるだけです。           

 美しいもの、余りに、美しい音楽を 聴いていると     
  果たして、与えられている この美しさに、       
  自分は、値するだろうか?
               
              ♪               

 
 『揺らめく灯』(ドビッシーバイオリンソナタ)

   揺らめく 甘美な想い出 

    渦巻く疾風
    押し寄せる カラス大群
    押し返す 凍火の 白夜

   揺らめく灯 仄かな命                                    

    墜ちてくる 空
    逃げて行く 水  悲惨という 赤い河

    僅かな 空間から 壁を 押し退けて
    立ち上がる 人

   揺らめく灯 ………   一筋の 希望 ─────
     ────次世代────
                 ♪
     ─────────── * ───────────

☆「雨垂れ」の 五線譜のあと ノクターン (ショパン) 

★「亜麻色の髪の乙女(音目)」は 春 雨の (ドビッシー) 
    日は 汲み上げる ひと芽(目) ふた芽と      
☆ 四季の「四季」 波追い駆けて また 波の        
     命はしりて 巡り 巡りて     (ビバルディ) 

     ─────────── * ───────────  

にゃこリンスペース      

「にゃこりん、ご飯も食べたしこれからにゃに(何)するねん?」               

 「?」「にゃんとかいいやー」「ニャンともいわん」「ねこに  
にゃにせーいうねん」。見ると自宅前の車の上で、ゴロにゃん。
 車の上だからだろう安心し切って「野性」迄眠らせ、ぐっすり寝           
ている。「猫は悔やむ事もないわなぁ」           
「食べて」「寝て」それ以外何も「持ってない」んやから。  
 人間は仰山持ち過ぎて、そやから悔やむ事も又、一杯。   
悔やんで、気付いて、改め、邪悪を捨てて、身軽になって行く…

……正道を歩かせる為、それを人間に与えた。滅ばぬよう───

にゃこリンのインパクトニュース  

 
  ソルトレーク冬季五輪   

  ”開会式 日の丸 頬っぺの 日本女子”       
 日の丸弁当ならぬ、小さい日の丸をほっぺたにくっつけて 
何とユーモアのある日本女子でしょう!          

 ”FIREは 五輪の聖火 希望焔(えん)       
      グランド・ゼロ 「NO」 ソルトレーク”  
 昨年の9.11米同時多発テロのあった、そのアメリカでの
冬季五輪開催は真に屈することないアメリカ国民のFIREの
結集の賜物であったと、敬意と共に心よりお喜び申し上げます。                           
 ”人類の 命 つないで 聖火つく”         

 宇宙から俯瞰する様なテレビの映像、観客の持つハンドライト
が暗闇に揺れるさまは、「宇宙の無数の星々」。     
 青氷に彩られたメイン舞台の「地球」の美しさ!     
宇宙飛行士、若田光一さんの気持ちが解せました。     
  ” と  青い地球の 五輪の輪”        

(2)若し、今解散総選挙したら自民党はかってない惨敗になるでしょうね。
自民党の「抵抗勢力」なる族議員の方々、その事を肝に銘じて小泉首相の改革
断行の邪魔をしないで下さい。この自民党の体質にはウンザリです。    
 滞まれば澱む、永きに亘る「自民党政権の限界」が、昨年の小泉首相誕生の
要因であり「党内改革」と言うスローガンが国民的期待となって、あの森内閣
当時沈没しかけた自民党を結果的に救ったのです。            

 思えば田中外務大臣更迭は、昨夜のTV「テレビタックル」の舛添議員の言
の様に小泉首相が今迄の更迭機会を我慢して今回にそれを為したのは、田中外
務大臣の政治家としての余力を確保させる為。(田中真紀子の度々あった失態
の時なら、それで政治家生命は終わる)                 
 義を重んじる、小泉首相ならではですね。 今のこの情況は小泉首相がこの
更迭を決める時、予想出来た事と思います。(田中真紀子コール)     
 しかし、小泉首相の一番の失敗は田中真紀子を外務大臣に据えた事。 
  
「政治家としての余力」と言いましたが、政治家とは何んぞや?      
と思える外務大臣田中真紀子でした。自民党の「族」議員と官僚の「毒」を 
分散、駆除させる事のそれも政治家の大きな「仕事」でしょう。      
 政治の知識に関係なく、誰でも出来る? ま、そんなもんでしょう。   

 政権が澱まぬよう、政権交代が容易となる選挙制度、是非とも参議院も単純
選挙区制に改制されたい。   
2002.2.12           




にゃこリンの「夢現」シリーズ

   《200年1月PR号》                             
★インターネット発信                                          
(2000年11/4号から掲載しています) 毎月2回発行           

【 http://www5a.biglobe.ne.jp/〜yoshikoh            

 Email:yoshikohneyjp@mtd.biglobe.ne.jp                       

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お問合わせ先 創作編集配布                                

〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3ー                        

 日高よし子 рO72−832−6640                           

 【無断転載禁止】                                                                                          
   
申込み受付け中                            

 詩歌集夢現第3集★「夢幻                        

 全第5部迄¥1500 日高よし子著                         

 上下2段全180頁>                                                                                                                    
  
■書店には置いていません。                                              

                                                      

詩歌集夢現第三集                                                                                       
《夢幻》
 第五部 「我詞独曲 P148〜 より                              
  
『マイメード・ソング』について』                         
 第1回(2回に分けて連載) 2002.2.2(土)
                ◇                                                
  “五線紙に 列然と 立つ 音譜群  一指風韻  木立ざわめき ”                             
                                                    
 五線紙の上に作曲者の意志の侭、
寡黙な木の様に規則正しく並んでいる音譜群。                              
エレクトーンの鍵盤の上に、私の指先が触れると、
それは風の意志のように、                            
 木立がざわめき奮ち、波となり、有界の音色となる。                                  
                       ◇                                    
 “エレクトーン 押さえるでなく 心 乗せ                         
        弾く音楽おとなりと 解感5年”   
                    
         (平成十一年当時)

                ◇                                     
 甥子の為に買ったエレクトーン、早いもので私がやり始めて足掛け七年にな   
る。最近は余り弾く時間が無くなったが、当初は一日二時間位、附属の「子供 
の為のバイブル書」と言う初歩の本を見乍ら、一音一音、右手左手を連動させ 
ながら根気よく続けた。何度もそれを繰り返している内に、その「運動」を指 
が覚えてしまっていた。別個の音譜を左右の手がスムーズに弾いて行く……… 
。「私にも出来るのだ」と、エレクトーンのデモ曲に挑んで行った。     
「トロイカ」「夢路より」「庭の千草」「歓びの歌」「G線上のアリア」、  
それに「花のワルツ」、最初部分の八分音譜の連続の難しかった事。     
「シンフォニー第四十番」のメロディには魅せられてモーツアルトが好きだっ 
た。以後は「NHK名曲アルバム」と言うクラシックの譜面集を買った。   

 最初に練習したのが「白鳥の湖」、今見返しても結構難しいのを、よくあの 
頃に挑戦したものだと、自分乍ら感心する。                
 メンデルスゾーンの「バイオリンコンチェルト」頁数11枚の楽譜だったが 
踏破した時、自信らしいものが芽生えた。                 
 私の練習方法は、例えば四小節程を何度も繰り返す。それをクリアー出来た 
ら次へ進む。勿論、暗譜してしまっている。そして、何よりも合理的に弾く事 
。その繰り返しで一曲が弾ける様になる。                 
 曲は先ず最初のメロディ部分を弾いて、気に入ったものを選曲した。    
シューベルトの「セレナーデ」は、その中で特に印象的な曲だった。     
 今でも弾き続けている曲のひとつだ。                  
                                    
  “聴かせたき 人 なくも 弾く 「セレナーデ」シューベルト ”      
                                    
 練習曲だったブラームスの「ハンガリー舞曲第四番」は、「交響曲第四番」 
を引き合わしてくれた曲だ。クラッシック等知らなかった私は、エレクトーン 
をやり始めてからNHKの「N響アワー」を見たり、FM放送を聴く様になっ 
たが、其のN響のブラームス「交響曲第四番」を、「ハンガリー舞曲第四番」 
と間違えてカセットテープに録音した。聴き乍ら、そして遂に最後迄、「あの 
メロディ」に遭遇しなかった、違う曲だったのだと気付いたのは暫らくしてか 
らだった………。が、サバリッシュ氏指揮のブラームスの「交響曲第四番」も 
重厚的名曲で、何度も何度も繰り返し聴いた。               
 クラッシックは何んて素晴らしいんだろう!、クラッシック放送を聴く比重 
が日増しに増していく………。                      
 この事こそ、本「夢現シリーズ」の礎石になっているだろう。       
                ◇                   
“「先生」は 名手の音楽 聴き身いる 感動 開墾 エレクトーン我”  
                                    
 ウインフィル、ルビンシュタイン、ジャクリーヌデュプレ、前橋汀子、   
ヘルタテッパー等、特に感銘的だったアーチスト。             
 現在、自分の弾く音色に、うっとりする事が出来る様に成ったのは、偏えに 
このアーチストたちの音楽が養分になっている。              
 何故なら弾いている時、無意識的に目指しているのは感動感の、「その域」 
なのだから………。                           
 何よりも、それが「先生」である。                   
               ◇                   
                 しずけ
“嵐あり シンフォニーの 静粛さは 大自然のうた  人間の詩うた”   

 【光仏の 足音 微か 眼前に 眩しき 大きさ 「七番」 聴きて】   
 カールベイム指揮のウインフィルのベートーベン「交響曲第七番」第二楽章 
。音なき音から、まるで、未だ地平線に隠れている日の如く、だんだん此方に 
近付く光仏、遂に、私の眼前に! なんと言う大きさ、眩しさ!       
 そして、沈む日の如く遠去かって行った………。             

 【夢幻界(無限界) 宇宙遊泳 星の宝石いし               
    覚めたくは無い 夢死界(無視界)の 域(息)】   
      
 四年程前、アバド指揮のウインフィルのブルックナー「交響曲一番」を聴い 
た時の詠首だが、曲中のある部分に本当に宇宙の中の只中、色彩りどり、煌び 
やかな星々に遭遇した様な印象を受けた。                 

 【雨が降る……… 宇宙空間の 地球に 大地わ 皮膚 最初の 一粒】  
 アルツール・ルビンシュタインのサンサーンス「ピアノコンチェルト第二番 
」を聴いた時の詠首。メインメロディのピアノのソロの部分に、初めての地球 
の雨の様な、「ゾクッ」とする感触を経験した。              

  【重力と 浮力の 狭間 「無伴奏」】                
 前橋汀子のバッハ「無伴奏バイオリンソナタ」を聴いた時の作句だが、感動 
感の時の舞い上がる、雲の中の様な心地………本当に雲の中に「在た」事がな 
いのに、浮き上がって、真綿に包まれた様な無重力感。           
「母」の腕の中の赤子の様な、幸福感。                  
  それらは、「遠い」日の、記憶の所産かしら?             

 【キリストの 受難「極」の 遺産なり 「此処においで」 感動の喜び】 
 アルトのヘルタテッパーが唱うバッハの「マタイ受難曲」の中の「神よ憐れ 
み給え」、約二年前最初に聴いた時期が頂度若葉溢れる五月の頃だった。   
 本編第一部最後に掲げた詩編「此処においで」は、キリストが処刑される情 
景のそんな想意も持たぬ侭、萌え出づる生命の感動感を記したものである。 
 
                 ◇                  
  
宙脳の 交差点で 対話する             
        エレクトーンの右手  左手”              
 言葉より、もっと原始的な音楽と言う文化、それは、地球上の共通語。いや 
、宇宙上と言えるかも知れない。現在、電波望遠鏡「すばる」が捉える宇宙。 
普通の望遠鏡では捉えられない画像を電波で以てキャッチして、画像処理して 
いるらしいが、あの画像を観た時、ブルックナーの音楽を聴いた時の宇宙の印 
象と合致した。                             
 私がクラッシック音楽を聴いて受けるイメージ、それがその侭作曲者の意図 
と重なるかどうか不明だが、此等は、その「音波」のイメージを、「言語処理 
」したと言えるだろう。                         
 人間の丸い頭に出来上がった右脳左脳と言う「宇宙」、右手左手、指がエレ 
クトーンを弾いているのか、脳が「弾いて」いるのか、           
 練習した結果を記憶している「脳」と、その表現の媒体となった指先との、 
微妙な兼合い。(時の光の照度に依って変化する物質の陰影の如く)     
 低い音から高い音へ、山への階段の様な音階。階音と言う様式を編み出した 
人間の「脳」、数理的原則とそれは対を為すだろう。            
 ただひとつの相違、「感動感」と言う喜びの体感。それは、宇宙と地球の交 
差路の接点に立つ、感涙という水持つ、地球上の人間である事の実感。    
 音楽の不可思議さ……… 原「祖」の魂の発露の為の手段に誘われる様に、 
私の奏でるエレクトーンの音色は、瞬時煌く。 
              
         ■        ■                 
 ★言葉あそび                             
♪    (エレクトーンの「」故障)               ♪ 
“階段音 ドレミファ ソ「ラ」 抜けて シ  に 至って ド に戻る” 
     (修復)                           
“「ラ ラ還る ドレミファ ソ「ラ」 から              
♪     来世から エレクトーン  第二音階 ”  
       ♪ 
         ■        ■                 
                ◇                   
“うみしらず
 オタマジャクシは 私の子 五線紙の川 はなしかいたり”  




♪「いまだから」このページのBGMで流しています。


“感動感 それは 人類が 勝ち取った
     
最高の 栄光である
雑記帳
(お詫び−今回のNGOの団体名をジャパンプラットホームと間違えて掲載していました。訂正致しました)。
1/31(木)
『田中外務大臣更迭に関して』

  ──────政治家の「個人的感情」────

 1/30小泉首相が「田中外務大臣を更迭」のニュースの嵐は、メディア、国民の中を駆け抜けた。
 外務省に依る、アフガニスタン復興支援会議へのNGOのピースウイズジャパンの出席拒否から端を発したこの問題は、結局田中外務大臣が「萱の外」であった事に因がある。外務省がその拒否決定を下す前に、田中外相の耳に当たり前にそれが届いていればその次点で「拒否」という事態は防げた筈。
 しかるに、この「萱の外」なる情況を招いたのは田中真紀子当人である。
このニュース以後、「田中真紀子外相の9ヵ月」という特集か放映されるに付け、「命懸けで外務省改革をやります」という当初の発言の映像に、ほんまかいなと以後の、その言葉程もない政治家としての「プロ意識の欠如」が余りにも目に付き過ぎた。確かに機密費に関連しての事務次官更迭栽断(但し、柳井駐米大使については当初その4人の中に入っていたが、田中外務大臣が訪米した際、その厚遇に感激しその「個人感情」から一転、柳井大使の更迭だけを撤回主張した)は、田中外務大臣でなければ断行しなかったと、それ故、現在の田中外務大臣更迭に国民が異を唱えているのだ言えるが、他の外交処理に関しては余りにもお粗末過ぎる。
 就任当初のアメリカのアーミテージ国務副長官来日の折の会談キャンセルをはじめとして、指輪紛失からイラン要人との会談に遅刻。
 「主婦ですから」と外国要人を招いての外務省主催の晩餐会も早々に帰宅してしまう等、国家の外務大臣ですよ、それなら主婦だけしていて下さいと言いたくなる。外務大臣の仕事とはそういう外国要人との親睦を何より第一に据えてこそ軌道に乗って行けるものだろう。
又、以前の国会答弁での不勉強さの露呈………ets。

 決定的に言えるのは、就任時からの田中外務大臣の発言を聞いていて、小泉首相の方針とは乖離があり過ぎた。
 小泉首相は、もっと早くに田中外務大臣更迭を処断すべきだった。(その機会は度々あった)
 今回の小泉首相の処断の「この件に関しての田中外務大臣の更迭」は、国民の眼から見て不適切であったと映る。「この件」に関しては田中外務大臣の処理(ピースウイズジャパンの参加要請)は適切であったのだから、田中外務大臣にこの件の上申決定を仰がなかった野上事務次官にこそ非がある。    

ただ、小泉首相としては、国会開会中の田中外務大臣の「その発言」がどれだけの波紋を及ぼすかの「想像力の欠如」に対して断を下したのであろう。  田中外務大臣が「おとな」なら、国会が終わってから「暴露」するという方法を採っただろうが、でもそれを期待するのは所詮無理だった。
この「田中真紀子」だったから外務省改革という破壊行為を為せたのだろうから。

 先の柳井大使の更迭を撤回主張した田中外務大臣にも言えるが、ほぼ間違いない鈴木宗男議員の今回のNGOへの関与も政治家の「個人的感情」が作用した結果である。国会議員だけにとどまらず、全ての議員、官僚はその事を今一度、国民の公僕である事を肝に銘じて施政して頂きたい。

 結論として、田中外務大臣更迭は早かれ、遅かれ断行しなければならなかっただろうから「賛成」。
ただ、外務省の体質改善、改革がこれでストップする懸念はある。
 自民党の「族議員横行」、これから以降のこういう事の是正の意味でも、何故NGOのピースウイズジャパンが参加拒否されたのか、当人及び外務省は説明すべきではないか?著名なボランテイァグループだったから今回はメディアが取り上げ「参加」という結果になったが、これが微小なグループだったら決定は覆されなかったと思える。
 そして、その発端となったのは、ピースウイズジャパンの諸々の発言が鈴木宗男議員の関与に繋がったという見方があるが、それがどんな発言だったのか、朝日新聞を読んでいない者には解らない。この際それを取り上げるメディアがあってもいいのではないかと思う。
 しかし、その最初の拒否決定書には、理由は示されていないのでしょうか? 「個人的感情に依り」とか。
 この侭で終わりにしたら、結果的に自民党総スカンに国民は陥りますよ。 だからと言って、これと言った党がありませんね………
  帯に短し、襷(たすき)に長し、ばかりで。

 日本は「貧しい国」になりました。

 現在の国会平成14年度の予算委員会、又、道路公団改革に関して、

小泉首相は第3者による権限機関決定を首相直属にして、族議員が介入

出来ない様にしようとしています。抵抗勢力の猛反発中最中の、これはその出来事です。
 
国民はそれをよく見据える様、小泉首相は国民の支持がなかったら、

「負けて」しまいますよ。

【問い合わせ先572-0029大阪府寝屋川市寿町3−7】
【創作編集配布】【日高よし子 072-832-6640】
   
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  にゃこリンの夢現シリーズメールマガジン
2000年11月11日号から2002年1/3号が今回の掲載分てす
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にゃこリンとカズリン&ユウリンの雑記帳

(思い付くまま政治の事
、自然音楽芸術観、そして
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にゃこリンの夢現シリーズ
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ニュース


《bQ9》【6/6号】
六月,五月から六月、俳句短歌、ニュース、食物連鎖
、雨が降る


《bQ8》【5/20号
参観日、約束された人生、俳句短歌、そして五月は

《bQ7》【5/6号】
地球の種子、或る地球、胎動感、蟻と象、まれびと



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bQ5》【4/4号】辛夷花、当り前の愛国心、ニュース、たぬきときつね

bQ4》【3/8号】シャボン玉・郷愁・暗景・ニュース(現代のキレる副産物)

bQ3》【2/21号】自己責任・木の葉の記憶・宿命の形・目カッチン・他  

《bQ2》【2/6号】節分・父「柏手」・ビー玉の瞳・ニュース・今だから@


bQ1》【1/23号】20世紀から21世紀・野島断層・他人事・恥を知る。俳句等


《私の歌》一瞬の・ずっと大阪・紫陽花・ときめき夏

ページ3(2)
にゃこリン夢現シリーズ

《20》【1/7号】21世紀に寄せて・地球は青かった・UFO・とことんアメリカ
《19》【12/17号】天の川途上・赤子・12月・高さを買う?・ニュース
【♪私の歌♪創詞曲集】ずっと大阪・一瞬の・紫陽花・ときめき夏
《18》【11/27号】学問の意義・幸福感・ぼた餅・ニュース内閣不信任案
《17》【11/11号】日本の空間・光の天使・ほどほどの・愛ある躾・ニュース
bP6》(11/6号)誕生日、母の胸、雲の中の音色、母の愛、ニュース


にゃこリン夢現シリーズは
ペーパーメールマガジンとして
戸別配布したのを掲載しています。


にゃこリン「夢現」シリーズ』
ペーパーメールマガジン
 憲 章   

(2000年7月発刊)にゃこリン「夢現」シリーズ
ペーパーメールマガジンとは?

 元々インターネットのホームページに掲載していたのを、ペーパーマガジンとして
去年の7月より発行しています。内容は、非売品だった第1集「夢現」第2集「夢弦」
、そして今回の第3集「夢幻」に掲載の俳句、詩、短歌、散文エッセー、音楽詞
(HPに歌を公開)、「にゃこリンペース」です。日本の文化的遺産(俳句短歌)と、
西洋の文化的遺産(クラッシック音楽)の感動感
という物質的指向と相反するものの

位置観から、その生態性に必然なバランス感覚、この自然界の、地球の生業に立ち

還えらずにはおれません。そして、その「聲」を聴く事が出来たものは、それを伝え

なければなりませんそれが、此の時代に生まれて来た者の「使命」だと思っています。 
 これが 「夢現」シリーズの根本的骨格です

♪「見知らぬあなたへ」  にゃこリン「夢現」シリーズ
ペーパーメールマガジンテーマソング

♪詞曲日高よし子             
見知らぬ街の 見知らぬあなたへ 見知らぬ町の 見知らぬ私が                                           あなたに届ける 私の言葉のメールが
渇いた季節の 渇いた心に ほんの 一杯のジュースにでも なることが出来たら
 渇いた地面の 渇いた心に 打水の様な言葉を  撒く事が出来たら………
見知らぬ町の 見知らぬ私が   見知らぬ街の 見知らぬあなたへ 今日も届けます♪


       
 
  

   


にゃこリンの壁掛




オリジナル俳句短歌(67句首) 
壁掛け

(直径18cmの紙皿に書画しています)

問い合わせは下記まで
壁掛の問合せ

<フリーマーケットでの写真です>

          

1.柿の木の 五百年       2.虫成仏 
 私の五百年後は          南無阿弥陀仏は 不食道

  


1.春の宵 やさしい雨の 嘘が嫌い
2.真っ逆さ 墜ち切る 夏の 雨が好き
3.雨たびに 季節の野分 かんじ入

観覧車
1.観覧車 一日 一年一生を
  地球に乗りて メリーゴーランド
2.観覧車 昇って まさに 最上段
  いま 降りて行く 飛行機 ともに
3.生まれ乗る 回転木馬 駆け出して
  ジェットコースター 終に 観覧車

1.雲ひとつ 風の悪戯 離れ雲
  三度仰げば 空のそら
2.てんてんと 雲が 手毬を
  つき(月) みちに
3.雲行きも 変わる流れも 私動して

  ■               ■

にゃこリンとかずリン&ゆうリンの雑記帳


<にゃこリンとかずリン&ゆうリンの写真です>

にゃこリンカズリン&ユウリン
雑記帳

 にゃこリンと、私の亡き妹の子供2人のページです。
以前、問答集で私たちのやりとりを掲載してから2年近く経ちました。

このページでPRしている詩歌集『夢幻』第3部「甥子」には、その時のをその侭を掲載しています。
ここをクリック夢幻申込み

 さて新たな今回のは小学6年生の甥子は兎も角も、高1の方は余り記載を期待出来ないかも知れません。  



2001年(5月14日メモ)and6月18から月31日


 雑記帳 2002.1.5                                              
  
  
【無断転載禁止】

出づる国 日本に富士山 壬午”




  
 ”巳からぬけ はや午となり 2002年”   

 新年明けましてお目出度うございます。       

 昨年末からの大掃除
 “大掃除 きよめてまつわ お正月”        
 
“お手伝い「多めにするよう」 宿題に 感謝 素直に 甥子は 窓拭き” 

正月用の買物、大晦日のもう暫らくは煮炊きしたくないと思う程のお節の煮炊 
き、 
“お節煮て 紅白「聴いて」 大晦日” そして、          

 
”何事も 終りがありて あらたまり”                 
 ほっと一息、無事皆健康でお正月を迎える事が出来ました。        

 1、2日は例年の如くだらだらと「寝正月」、3日に墓参、その帰りに初詣 
 “変わらずに 今年も 甥子と 初墓参(まいり)”           
 “重なりし 墓石の 落葉 ひろいから”                
  “墓参終え 三年坂 こえ 清水へ”                  
 “「家光」の 高さを 眺望 清水寺”                 
 “清水の 舞台の「裏方」 組格子” 
                 

 一大決心をする時の「清水の舞台から飛び降りる」という言葉で有名な、( 
新聞で見たのですが、若い子達はその事を「キヨブタ」と略して使うそうです 
)その清水寺の舞台に立った時は、ほぼ同じ高さと思える右手側の山に入日が 

隠れる処でした。 創建したその高さの徳川家光の気分を味わいました。   
 こういう古き物があるから、歴史上の人物も「生きて」くるんですね。   

 この舞台の素晴らしい所は、目のあたりに出来る舞台の下の基礎部分の組格子の

壮観さでしょうね。世界遺産に指定された、かけがえのない「遺産」です 
。                                   
 舞台を降りた後は、いつも人の行列のある、その中のひとりとなり、音羽の山清水を頂きました

。三筋の滝の糸には各々御利益があるようですが、総じて 
「健康」祈願と言う事でしょう。                     

  
“頂きて 音わ(羽)清水 身を巡る”                
 新年と言う身体に、浄なる御清水を滴りみました。            


『にゃこリンの夢現シリーズ』
 
bS1《2002年1月3日号》 
 
昨年の新世紀の幕開けも、                     
“新世紀 変わらず暮れる 旧世紀
  悪い事件ばかりと 甥子16才” 
 
昨年末に我が甥子が漢息混じりに洩らした「悪いことばかり、何も変わらん
」と言う言葉には少なからずショックを受けました。          
 世の中の動勢、個人ではどうする事が出来なくても、それは大人の責任で
ある事に変わりなく、人間が完全で在り得ることがない様に、善と悪は存在
する。地球上に美しい自然がある様に、死の大地があり、破壊もある。  
 それでも、こうして「生命」が引き継がれている事に、「希望」を持ちた
いし、持って貰いたいと思う。                    
 今年こそ、せめて我が家庭の生活情況が好転出来る様、「一道馬駆」の 
精神で貫徹したい。 
                        
 おみくじの「吉」という、くじ「運」を信じて!。
   
”はなのみや うまい実になる くえるに”          

「夢幻」P47より     
 『気品』(平成11年1月12日)
 “気品とは 一岩の雨 人間に      
 葉 捨て切った 木ひ(日)ん なりて” 

 冴え切った、冬の張り詰めた空気の中、スラ
リ慄然と、霊気を漂わせて立ち並ぶ、裸木。 
その桜木の背上の太陽が眩しい、木が眩しい。
 木の輪郭が陽の光に滲んで、太陽も、裸木も
輝いて見える。真さに、「後光が射す」を、見
ました。その時に「気品」と言う、言葉の語源
の源流に行き着いたと、感極まりました。  
何処かで見た、と思ったのは、昨年(平成十年
六月二六日)の前橋汀子さんのコンサートの最
後、舞台の最前列の処で、一層明るさを増した
ライトに照らされた彼女の姿でした。    
 それと、同じ昨年の十月、テレビ放映された
「美智子皇后様の子供の頃の読書の思い出」を
観た時の、美智子様の印象。        
 土壌が在って、「場所」があって、それは、
一代、二代では醸せない、もっと遡った、代々
の積み重ねの「徳」なるものが、こういう方達
を、私達に授からしめて呉れたのだと、改めて
き づ き ました。           

にゃこリンのインパクトニュース
■悪い事件の止〆めの様な昨年末の
不審船による我が国への密航未遂 
事件、数百発の被弾に拘らず、我が
国隊員3名が負傷で済み不幸中の何
とかですが、これを契機に他の我が
国内の刑事事件(密航者に依るもの
が激増)の警察の検挙件数の激減を
踏まえ政府は、沿岸地帯の保安、 
防衛強化を促進されたい。    
■朝銀が破綻しましたが以前この銀
行に政府は公的資金を注入したが、
何故国交のない「国の銀行」に捨て
金を使ったんでしょうね。    

にゃこリンスペース 
猫の「にゃこリン」の歌を創りました。 
ホームページBGM 
で流しています。
ページ2です。
 
『にゃこリンの歌』
 ページ2のBGM        詞曲 日高よし子  
B何処から 来てん にゃこリン    
 何処へ 行くねん にゃこリン    
  猫の目の 日溜まりを はしご   
  気持ち良さそうに 地べたで    
  寝そべって 猫はええなゅ     
  何も持たんで ええから      
 夢も 希望も お金も 明日     
 1年後 10年後より (ニャーオ) 
  餌を 頂戴 それだけや  ♪ 
  

 日高よし子 рO72−832−6640
【Email:yoshikohneyjp@mtd.biglobe.ne.jp

                                               
『にゃこリン「夢現」シリーズペーパ ーマガジン』                                         
40 《2001年12月4日号》                                

『妃殿下御出産』                    
 
“御出産 雅子妃殿下 今日 「師走」”                

 平成13年12月1日、皇太子妃殿下雅子様が目出度く内親王(女子)をご 出産されました。

日本国国民として心よりお慶び申し上げます。       
 皇紀にして2661年間世界に類例のない皇室を戴いて来た事は、かの聖徳太子が「和を以って貴しとなす」

と定めた様に、国民の根本的なその精神性が「滅び」なかったからであり、それは自然界の摂理に従応だった

山の容(かたち)、頂上から順に360度裾野に広がっている、結局、頂上に「誰が」あるかで

その国のかたちが定まる】風土が育んだ日本人の「気質」故であるとい 
う事を、改めてこの慶事を共に出来る自身の中の「歴史的永さ」と重ね合わせて、想う。                               
 そして、景気低迷に依る閉塞感が蔓延の現在の我が国の状況下に於て、それは、暗雲を払い除け産まれた

一条の光が未来を照らし始めたかの様です。    
 思えば平成5年の御成婚から8年、この期間は日本経済も低迷の只中、政府は何の手立てもなく、

現在その失政を払拭すべく小泉内閣が構造改革を断行しつつあります。                             
  正道である、指標灯が点火されました……               

 
“日本の 未来航路に 光明や     
皇太子妃 目出度き
 御出産”      
                                    
   
「夢幻」P47〜より                       
『日本人』言葉                    
“渡来語の 言葉の「音」は骨組みを   
大和の「訓」子 情感  言葉”
  
 私は俳句、短歌を趣するものとしてこの風土が育んで来た、日本と言う国をこよなく愛す。                             
 渡来語の、漢字の「音」読みの骨体に、「訓」読みによる情感と言う肉付けをしていった。

そして、その変形の「ひらがな」「カタカナ」文字の創字。  
 気品<きひんと言う言葉にしろ、嬰児を「みどりごと読んだ様に、人間の要素の部分を

木に感じた古代の日本人の文明に汚されていない、研ぎ澄まされた感性と理性が綾なした、創語。                     
 多彩な、数えれば切りが無い、日本語の素晴らしさ。           
それは、日本の四季を持つ、気候と風土に生きた、日本人だからこその熟感と考察で出来

上がった言葉だと言える。 その積み重ねが歴史であり、文化である 
。咲く場所、土壌に依って花の種類、色が違う様に、「日本と言う国に咲いた」私達。

地球規模のグローバル化が進む中で「この花」を枯らす事の無い様にしなければ…………。            

祖先が、幾多の争いや戦争を経て来た中で、「現在」に生きている私達は「奇跡」の様なものだ。                
 或いは、「選ばれた人」かも知れない。                 
 その私達は、「日本人」なのだ。                     

『ずっと大阪』                      

大阪で 生まれ 我と甥子 養分の   
大阪弁は メディアに喰われ”
    

 昔は集落、地域なるものが「国」の様だった頃の言葉………方言。(略)  
甥子達は、ほとんど大阪弁を使わない。一緒に生活している人間から受ける言葉の影響より

メディアが大と言う、現在の顕著な傾向だろう。        
 この先何十年後、大阪弁も廃れると思うと何かうら哀しく、   私達の「存在が無かった」様で、

それはその侭、先祖の嘆きに想える…           

にゃこリンスペース                  
猫の「にゃこリン」の歌を創りました。                  
ホームページBGM で流しています。         
  
ページ2です。                       
『にゃこリンの歌』詞曲 日高よし子         
A何処から来てん にゃこリン  何処へ行くねん にゃこリン       
ええ鈴付けて 貰ろてるやん  そやけど その首輪 きつそうやな     
さぁ弛めたろ もっと近くに おいで                      

あ痛! 爪で掻かれた       
人間の膝に 抱かれた事ないんか(ニャーォ)                     

そんなこと 忘れてしもた  
(B番は略)  ♪                           

 古代には「カラス」や「猫」を祀った神社があったようで、猫の眼は太陽の光を

集めると言う、言い伝えがあるそうです。               
そういえば猫っていつも「日溜まり」にいますね。寒くなって来た昨今、にゃこりんの太陽を

存分に貯め込んだ、その身体の暖かみを分けて貰おうと思うのですが、浮浪の時の人間に

対するトラウマが未だ抜けなくて、私達の側に来てくれません。私の母が猫嫌いで、そんな

影響もあるかもしれませんが………。 
 それにしても、「現代人」は自分を神にしてしまいました。        

にゃこリンインパクトニュース                
@高速料金が高いから一般道を使う、これでは何の為の高速道路だったのか。 
中国製品の安価に対抗出来るのは公共料金を含めた物流コストを下げる事。  
不況解消どころか、中国へ拠点を移す企業が増え益々国内の空洞化が懸念される。

道路公団を解体した後は、高速料金の見直し、これを主軸の決策を期待する。

国民も出来るだけ国産の物を購入するようにしましょう。景気浮揚の為。 
➁閣僚の株取引に異義あり。国家大難の折、閣僚の方々は個人の利益云々より、

その時間を景気対策に費やして頂きたい。 政治家が株で損をする事はないが 
。                                   

詩歌集夢現第三集「夢 幻」につい               
 本、詩歌集夢現第三集「夢幻」は自伝ではない。自伝を書く程偉業を成し遂げ

た分ではない。又、自分史でもない。それを書く程、興味深い人生を送った分でもない。                          
 “ はいくぎり 心象風景  ワンカット ”                    

敢えて名付けるなら心象的記録書。                                         
日々の営みの中、自然界の、音楽の(クラッシック)、その心銘されたワンカット、

ワンカットの積み重なったものが、本書である。                                  
 現在在る私達は、その昔宇宙の中の塵の一粒一粒の、地球生成の為に選ばれた

星々なのです。       
 二十世紀の始まりがライト兄弟が考案した飛行機なら、二十一世紀の始まりは、

人工知能凌駕のロボット化台頭ミレニアム。                                  
「優れているもの」、仲々常人が成し得ないものだからであり、それが簡単に皆の手に

得る様になれば、それは、「ただのもの」。                               
 「優れているもの」が素晴らしいのではなく、それを得る為に経る過程、そして、それ故

得られる達成感と言う「感動感」が素晴らしく、「優れているもの」なのです。           

 一粒一粒の寄せ集めの人間、それこそ、その過程。                       
現在迄積み重ねた人間の叡智を傾ければ地球の延命も可能かと。                  
 ■■しかし、ロボットが食べるものは「電気」だけですね■■                  
 ■■オールラウンドな言葉「愛」■■                             
その為に、それ故に、ただ一途に「地球」も成り立った。                     
 ■■その「愛」と言う感動感の喜びから受けた、心象的メッセージを綴った 本書が、

二十一世紀の人間の針路の、万分の1の磁石にでも成る事が出来ればと願いつつ編纂しました。    

 
感動感!それは人類が勝ち取った

    最高の栄光である 

  
申込み受付け中                    
  
詩歌集夢現第3集★「夢幻                  
全第5部迄¥1500 日高よし子著                  
 
上下2段全180頁>                 

http://www5a.biglobe.ne.jp/〜yoshikoh  
【Email:yoshikohneyjp@mtd.biglobe.ne.jp
                
【Email:nyakorin@hotmail.com】                     


39《2001年11月15日号》
     
♪「ずっと大阪」の歌詞の中の(はっちゃん、せっちゃん、かずちゃん

<子供の頃、大阪市福島区その頃の町名は中江町でともに遊んだ(よっちゃん)です。

憶えてる?野田阪神の駅前も(町名も)すっかり変わってしまいました。      

「坂道」ももうありません。どうされてますか?            
 よかったら、一報下さい。
      
                             
                                    
『55才』                          
 11月も半ばとなり、町並みの街路樹も銀杏色レンガ色赤色と、生命の 

段階色を刻んでいます。空を見上げれば、
“停止した 時間の如く雲の原”  
時間が止まった様に、或いはもの想いに耽る心の様に、空に貼り付いた侭の雲の群。 

川の流れは停止する事がない、涸れる迄。             
 私の身体の中でも、血液が走っている、停止する迄。           
 「停止」する事がなかったお蔭で、我家の 蠍座産まれの3人(私の母、私 
、甥子)は、今年も自分の生まれた季節に巡り合う事が出来ました。     
”誕生日(10月31日) 54才と言えぬ 今日からわ 55才”   
  
”バースディ アフガンで 産まれる子 あり             
    「プルカ」の中で 生きる女性(ひと) あり ” 
        
【[注]アフガンのタリバン政権が、女性全てに強いている目の部分を除いて 
頭から足の爪先迄を覆う布を〈プルカ〉という】              

  
「夢幻」P61より                         

『素晴らしい日の為に』                        
昔は 何処にでもあった「日めくり」カレンダー              

 人は産まれた時 どっさりと その各自の「寿命分」の          
「日めくり」カレンダーを 抱えて 生まれる               

 昨日で私は 20088枚の 落葉となった 「日」を 捨てた。     

だが捨てた積もりでも 穴凹ぼこに囚われた 何枚かの ページ        
 
そして捨てたくない 押し花の様な幾枚かの ページ            

その日が終わらぬ内に クシャクシャに破り捨てた 頁           
 
次の日になっても 何日いつ迄も  めくらずに 置きたかった 頁      

めくったのに気付かず 叉めくって 進んでしまった頁           
 
ネジ巻きを 忘れられた 柱時計の様に 同じ日の侭の ページ       
 
 捨て度い日も 捨て度くない日も 叉それ以外の日もすべて        
 それが 土に還る落葉のように 自身の 瑞々しい緑葉の為の        
木の根の 養分となって より新たなページの カレンダーの芯に      
循環して行きます。                           
 
そしていつかその 白い真綿の様な カレンダーの 肌触わり
に      
「年経る事は素晴らしい!」と実感出来るのです。             

 “「日」めくりて 落ち 葉(養)分に 桃の花 ” 
          

『同窓会』                          

 11/12の日曜日、吉野小学校のクラスの同窓会がありました。     
   ”四季に咲く 「梅の花」あり 同窓会”              
 「梅の花」というお店で、総勢11名の出席でした。           

”伸び至り 伸び止まりの 身長は 「小学」時の 予想を 超えて”    
 「縮んだんちゃう?」帰りのエレベーターの中で発した人の言葉に、言われ 
た男性は苦笑い。そう言えば一番低かった私は、現在153pですが、ほんの 
ちょっぴり私の方が超した人がいます。                  
 「予想」はいつも「超え」られるものの様です。
             
  ──────────────────────────────    
  
『今西学級・同窓会に寄せて』      
             (平成11年11月28日)          
”木造の 校舎に 机も 木造りの        
寒い冬には 
石炭ストーブ”    
 余程辺遠な処でもない限り、今ではもう失くなってしまった物。      
あれから40年余りも経てば、あの頃住んでいた町は一変し、町名は変わり、 
高速が走り、私達の吉野小学校は改造され、生きて来た私達の痕跡は消え…… 
…それでも、こうして「黒板をバックにした」その頃の様に、先生を中心にして集っている。

書いては消して行く、黒板の文字の様な日々の営みの中、ずっーと消えなかったもの──────      

 「それ」があったから。         
 「何かを創造する人間」が居る様に、その命を材料に「つくられる人間」。 
記憶に留まっていない頃から、聴いたもの、見たもの、触れたもの、その環境に依って

受けたもの全てから、出来上がった「私」。            
 その一途上だった、小学校時代。                    
 現在、学級崩壊、一クラスの人数削減等の記事が新聞等を賑わしていますが、

私達の頃は50人以上の生徒数だったと思うけれど、クラスがひとつによく纏まっていた。

未だあの頃には、先生にも、国にも、親にも「求心力」があったからだと思います。                          
 この「求心力」の下、生命ある限り「今西学級同窓会」の永続なることを願っております。                             

  以上は、平成11年、私が幹事の時に記したものです。         
   ─────────────────────────────    
 40年以上も経って顔を合わせても、「見ているの」はその小学生の頃の面影とイメージ、

歳重ねる毎にその頃の自分を思い出し、忘れないようにしたいと想う昨今です。                  

みんなが原石の「純粋」だった頃です。          

 『雨ニモマムズ  風ニモマケズ  雪ニモ  夏ノアツサニモ 負ケヌ  丈夫な 身体ヲモチ 

 欲ハナク 決シテ イカラズ  イツモシズカニ ワラッテイル……… 』               
                                    
 暗誦が宿題だったこの宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、詩の持つリズム性が、

後年の詩への興味のきっかけになりました。                

 今年の幹事の森田君、川崎さんご苦労さまでした。            
来年は私と竹下君が幹事です。趣向を凝らせればと思っています。      
 1年後、又お会いしましょう。                    
 
                                    
にゃこリンスペース                  
 
猫の「にゃこリン」の歌を創りました。                 
次のページ2のBGMで流しています。    
  
『にゃこリンの歌』  詞曲 日高よし子      
@何処から来てん にゃこリン  何処へ行くねん にゃこリン       
自分勝手な 人間に リストラされて  ホームレスになったんか      
 さぁ御飯食べ 猫の額みたいに 狭い 我家やけど あんたの寝床くらい  
 作ってやれるで (ニャーォ) 初めて啼いたな ええ声や        
      (AB番は略)              
  
      

 
『大食漢』(夢幻P70より)                
  蟻は その粒分の 蜜を                       
 
や 犬も その胃袋分の ものを  牛も その 身体分を 草食   
 ライオンも 然り その身体分の 虎を食す。              
   
人間は 動植物は 勿論 その胃袋以上の 「全ゆるもの」を   
  食します。                             

   
 鉄を 石を  樹……etc を。       
にゃこリンインパクトニュース                
@11/1に近所で財布を落としました。拾った人、拾得物を届けなかったら 
罪になるんですよ。             
              
A現内閣が各地方で実施している「タウンミーティング」の大阪開催に参加し 
て発言する積りだったが、甥子の小学校の参観音楽会と重なり断念、        

【「八木節」で 豆しぼりを  締めにけり 音楽会 甥子 6年生】
    
 この「八木節」良かったですよ!鍵盤ハーモニカ、リコーダー、アコーディオン、

太鼓等、各自皆よく合わせる事が出来て、リズムの乗りもバッチリ。  
 太鼓の強打で盛り上がらせての最後も、最高でした。           
日々の練習の賜物ですね。先生のご教導を御慰労致します。         
 お疲れ様で御座いました。                       

その前回分開催のをインターネットで見たが「自国の文化を識る事が〈日本人〉である自分の

発見に繋がる」と言う主旨の発言があった。         
今の国会中継でも芸術、文化活動への支援者に対しての税務控除の提言が成されていたが、

外国を識ると言う事が、日本を識ると言う事である様に、和洋問わず文化的な物に価値観を

置ける国民性を喚起、促進させるべく教育現場、又メディアの尽力に期待したい。                      

B何かに付けても注目の田中真紀子外務大臣、今朝のテレビ朝日のモーニングで、

[産経新聞11/15夕刊には「田中外相が1日に来日したイラン外相から、イラン招請を

されたが国会日程を理由に断った」と掲載されていた、という記事紹介の後、出演者の一人が

「国会日程中では行けませんよね、G8も駄目だったんだから」と答えていたが、産経を

読んだ人ならその言葉には意義を唱えたくなると思う。  田中外相が即断で断った理由は

「国会日程」だった、が 
国対担当者の言では「訪問日程が検討されていない」と書いてある。という事はイラン外相は

国会開催中の日を特定した分ではないのは明らか。あの発言者は産経をちゃんと読んだんですか?

何か意図的なものを感じます。      
 メディアは公正、中立を何よりも心懸けて下さい。            

 田中真紀子外務大臣については、当初の期待を完全に裏切られました。   
これは、私が新聞、ニュース、国会中継と見てきての結論です。       
 新聞、週刊誌の見出し等の記事は半信半疑とし、国会中継でその件の質問があった時こそ、

その真偽を口述出来る唯一の機会であるのに、「その件に関しては、お答え致しません」では、

見ている者はガッカリですよ。       
 機密費に関連した官僚を辞任させた「功績」はお認めします、「破壊力」は突出されています。

しかし、御自分が何をしても「注目の的」であるという事、公と私の「使用人」は同列ではないという事を

肝に銘じ、研鑽されます事を願っています。                             
 今の状態の侭では「外務省無用説」が涌出しても不思議ではありません。  
C小泉内閣の構造改革の目玉というべき特殊法人の解体のひとつ、道路公団の完全民営化が

期待されますが、新聞記事に今迄高速道路を造る時それと平行して一般道も建設されていた、とありました。

こんな無駄な事、それなら最初から高速道路だけにして通行料を無料にすれば良かったと思いませんか?    
それで案として以降は一般道は新たに設けないようにするそうです。     
  阪神高速でも当初30年したら「無料」になると言っておき乍ら、無料どころか近年400円だったのが

700円に値上がりした、          
”高速料 トラック以外「700円」に 大きさ 重さ 半分の「軽」も”  
言った事を違えるなんて、「国」が嘘を吐いたと言うことですよ。      
 国民を指導、牽引していかなければ「国」がそんなんじゃ、「言葉」に重みがなくなるのも当然。

これが一個人の言なら詐欺師ですよ。         
 それにしても現内閣の改革に対する意気込みは素晴らしいです。      
この内閣で改革出来なかったら、もう出来ないと思います。         
反抵抗勢力に屈する事無く完遂させて下さい。               

http://www5a.biglobe.ne.jp/〜yoshiko                       
【Email:yoshikohneyjp@mtd.biglobe.ne.jp
                                      
【Email:nyakorin@hotmail.com】                     
〒572−0029大阪府寝屋川市寿町                  
日高よし子  рO72−832−6640               
 
【無断転載禁止】                                
(引用される場合は必ず著作者、表題を明記して下さい。                



夢幻PR版 《2001年11月号》  
                                    
詩歌集夢現 第3集★「夢幻 一部抜粋  
                                    

 
第1部「約束された人生」より         

        

    とは?    永遠とは? 存在とは              
この夢幻の本の  
扉を開けて下さい

 

 海面を キラキラ踊る、太陽光の「」の乱舞の 美しさ!       
   あの「星」は、私自身の 
細胞の煌めき         

 赤子の様に 無防備に 全て 委ねて                  
太陽に 海に 大地に 樹に 自身が 全て覆い尽くされたと        
感じた時の 自身の
「無」の中にこそ                
  その 「存在感」が極立つ!                     

美しさの記憶は死ぬことがない。      
 現に今もこうして 歴然と 
存在する………             
 
「美しさ」は死ぬことがない。       
私だけには とどまっては いないから………  
             
           

第3部「甥子」より                  

       
『早かれ 遅かれ』          
   早かれ 遅かれ   朝になるか 昼になるか            
  清掃は せねばならぬように  遅かれ 早かれ            
   人 生きもの 皆 生きるように  皆 死ぬように 失せる    
   
    遅かれ 早かれ するべき事は せねばならないし          

   早かれ 遅かれ  悟らねばならない                
 
    「明日」に 悔やみたくないなら  「今日」 死ぬしかない      

   「今日」を 止めたいなら  同じように              
    
それが 出来ぬのなら   「遅かれ 早かれ」           


第4部「俳句短歌」                  

■美感生 そこが はじめの 彼岸生                   
■悲しみが ある日 突然 襲うよに                   
 喜びにも 又 見舞うる 心                      
■みちとなる 善は 行くもの                      
       美は かえるもの   
                  


第5部「我詞独曲」マイメードソング・楽譜収編     

@もう一年後 A天国 Bずっと大阪 Cときめき夏 D一輪の美      
E女の子 Fありがとうと G六月雨 H子供の頃  I秋         

                   


 
      無断転載禁止               

本紙は詩歌集夢現第3集「夢幻」及び  
私の歌  PR誌です。              

日高よし子  072−832−6640         
〒572−0029 大阪府寝屋川市寿町                 
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EMAIL:nyakorin@hotmail.com          
   
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『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン』                        
 

38 《2001年10月28日号》    

『感性の基盤』 (夢幻P30より)               
 寒い寒い日の、の暖かさ。                         
 あの広島県呉駅で食べた、熱い、ラーメンの美味しさ!
平成八年に亡くなった弟が若い頃、呉の海上自衛隊に入所し、その入所式に母の代わりに私が出席した、

その帰り一時間に一本しか来ない電車を待っていた間の底冷えのする寒さ、そしてその駅で食べたラーメンの

暖かい、何という美味しさ!味よりも、  その暖かさが熱さが、有り難く美味しかった。

暖房の部屋では、決して味わえ 
ないもの。ああいう感覚こそ、「古代の人」のものだろう。                
 それが、感性の「基盤」になっているだろうと、想う。          
肉体から、精神の旅。DNA解析で、これからこの「道筋」も解明されて行く 
だろうが、辛さ、哀しみを「知った」から、喜びを「覚えた」………     
そう考える。何も無い場所で、一番何が欲しいかと、そういう極限に、自分を 
置いた事を考えれば、哀しみも、喜びも理解出来るだろう………       
 山の高さは、谷の深さ………                      
“山間(やまあい)を 天から 見れば 谷が山             
感性の出発(たびだち)………動物共通の「肉欲」「食欲」の喜びと、人間だ 
けの「感動感」と言う「喜び」。これこそが、人類の勝ち獲った最高の「栄光   
。此れを放棄する事が「幸福」か、どうか?               
「知性」と表裏一体を為す、「感動感」が何故、在りえたのか?       
……『地球が、「子供達」に託した事』………                 
 人間の暦の、ミレニアムの、地球丸に乗り合わせた者達として、二千年と言   
うこの年に、深考すべき事と想う。                    

 
感動感 それは 人類が 勝ち取った   
             
最高の栄光である      

 
にゃこリンスペース                 
“コツコツと 真面目に一週間が 靴洗う”                
「ニャーオ」大きく伸びをし乍ら猫小屋から(段ボールで作ってやったのです 
)にゃこリンが出て来た。「ニャーオ」又啼く。餌が欲しい時だけの「猫撫で 
声」。昨夜の御飯が丸残りなので「それ食べなあかん」、又啼いてもその侭に して、

甥子達の靴を洗い出すと、とうとう諦めたかしてその餌を食べています。

私がにゃこリンと呼び掛けてもニャンとも言わん。おまけにその後、私が洗っている靴の上を

わざわざ飛び越えてお出掛けして行きました。再度にゃこリンと言っても知らん顔。その後ろ姿に、

猫は靴も洋服も要らんねんなぁと改めて思った次第です。                           
 bR6にも書いたこの猫は “捨て猫か 迷い猫か世の中は        
               公平ならず 「餌を頂戴」”        
 鈴が付いているので人間に抱き上げられた事もあるだろうに、すっかり忘れてしまったかして、

今だに人間に慣つきません。漂泊中、人間から受けたのは加虐行為だけだったのでしょう。

私が頭を撫でてやろうとして2度程猫の爪で引っ掻かれました。                             
 昔飼ったことのある猫は皆子猫の時からだったので、この猫には戸惑ってしまいます。

なんとか早く「昔の事」を忘れさせる事が出来ればと思います。    
 親から虐待されて死んでしまう子がいる、人間も猫も、世の中は決して
公平ではありませんね。   
                         

    ■               ■               
              
           

 
「祈り」それを「愛」という         
とは? 何かに「愛されている」と感じる時。           
「無償の愛」、それは「愛」というより、もっと親しい「祈り」……     
それには愛しているという実感はない(与えている者には)………      
それでも、それを「愛」と定義して来たのは、いづれ廻り回って      
還元されるものだから………                     

にゃこリンのインパクト・ニュース                   
 アメリカ同時多発テロからタリバンへの空爆が連日続いていますが、それと 
歩調を会わす様にアメリカでは炭疽菌被害の拡大が懸念されています。      
いつ日本にと安閑としていられないこの時期に、一部地域に中選挙区制選挙制  

 度復活案が浮上している様です。このどさくさに紛れて。            
 何故現在の小選挙区選挙制度から、その地域だけを中選挙区にしなければな 

らないのか、元々小選挙区制度に変えたのは何故だったのか?そして、何故又 

元に戻そうとしているのか?それを、きっちり国民に説明すべきです。    
民主国家でしょ。お金の掛からない選挙、「個人」投票ではなく「党」に投票 
して「一選挙区一人」の当選者を選ぶ。それが小選挙区制度の主旨です。  

 そして、その時に「政党助成法」が施行され、当選者の数に応じた助成金が国 
から政党に交付されているのです。変えたほうが良いと思うのは参議院も単純 
小選挙区制にする事。 
                         
 党の都合(党利党略優先)しか考えない政党が国政を担っているのです。 

本紙は詩歌集第3集「夢幻」及び       
「私の歌」等のPR誌です■           

申込み受付け中 詩歌集夢現第3集★「 夢幻    
<上下2段全180頁>  

日高よし子著 〈全第5部迄〉¥1500 
夢幻申込み  
             
@約束された人生A母・父瓦解
B甥子・亡妹の事
C夢幻歌俳句短歌(800句首)

D我詞独曲10曲   
     
♪   ♪  ♪   ♪                   

オリジナルソング                 

♪ずっと大阪  ♪ときめき  ♪天                  
   
(上3曲は 「夢幻」 楽譜収編)                
♭今だから   ♪紫陽花    一瞬の                
    
歌い手さん スポンサー 募集                  
    
 ♪   ♪  ♪   ♪                   
お問合わせ先■ 〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3−7       
創作編集配布■  日高よし子  рO72−832−6640       
【Email:yoshikohneyjp@mtd.biglobe.ne.jp
                
【Email:nyakorin@hotmail.com】★                    



『にゃこリン「夢現」シリーズペーパ ーマガジン』                                     
bR7 《2001年10月11日号》                            
 
『美徳心』(夢幻P52より)               
この夏(平成11年)の事、信号待ちの カーラジオから、

邦楽が流れていた。吟詠者の、抑揚と張りのミックスされた声と

琴の伴奏に、日本の山川草木わび、さびの中にいる様な、

静淋な「遡った時間」に浸っていた。          

ふと目を遣ると、道路上にジュースの空缶が捨てられている。         

排して、整頓した筈のものから、産まれたもの……

「捨てられた」美徳心。 

“ 秋のうみ すみずみすみて 鈴虫音
”                
“ 秋のリーン 夏の終わりや 冬の前 ”                
 夏と冬の間の、ささやかな「一刻」に、秋の澄んだ音色を響かせる、鈴虫… 
……それは、夏の「ひ」の後始末、燃え粕の清掃をしているよう………    
 此の秋の「土」から産まれた鈴虫。ヒートアイランドと言われて久しい昨今    

此の火は、益々オゾンホールを喰い散らかして行くのだろうか?        
「日本人」の皮膚を包む「日本」と言う国の粛めやかな此の空気に、
忘れていたものを、想い出した様に、ふと立ち止まる。               

それが、夏のエピローグと、冬のプロローグである事を否応なく「配達」されて、
人は皆、「文ふみ」を書きたくなる    。                      
その中庸さを感知出来る、それが、日本人だった。…
……                                      
『小さい秋』                                
♪小さい秋 小さい秋 小さい秋見つけた…… 

♪(サトウハチロウ詩)                               
                     
「ちいさい秋」を見付けた詩人がいました。
そういう風に、昔「秋」を見付けた人がいたのです。
地球の「東西南北」の様な「春夏秋冬」。                        

地球の極の、北と南の中間に、東西を置いた様に、春を夏に含めても、
秋を冬に含めても良いものを、その間に、儚い淡さの「春」「秋」という、
季名を付けた。夏の、南から「西」の様な、「秋」。                  
ちいさい秋は、さしずめ、方位の、南南西辺りでしょうか?              

私達も、色んな「ちいさい」ものを、見付けたいですね。                                                                                    花の姿────根の心              
 
野原では 気取らず 体裁ぶらず さり気なく       
そんなコスモスの花が 秋の詩を 唱っています………           
「心根」という 言葉があります                     
花が美しいのは その根 こころ根が
美しいからでしょう         
 それを見ているのです、ね                       
 そして それを 見ている時の 人間の表情は どうでしょう?      
見えないと 思っている部分も               
実際 一番 見えている部分  そのものなのです、ね。          
 
花の姿………根の心                          


にゃこリンのインパクト・ニュース                    
 
『米同時多発テロ事件』(HP10/9雑記帳より抜粋)        
 米同時多発テロ事件への制裁、根絶の為米英軍はアフガニスタンのタリバンのテロ基地を空爆した。

それを受け待っていたかの様に10/9付朝刊にビンラーデンの声明文が掲載された。

数年前からパイロット養成等、飛行機によるツインタワー爆激を画策実行した当人の「自白」と

とれるそれは、アメリカの 報復という戦争実施行為こそが、ビンラーディンの「勝利宣言」の様な

タイミングである。タリバンと一体と化すビンラーディンのアルカイーダの掲げる

イスラム原理主義とはイスラム教でもない、イスラムの名を借りたご都合主義で ある。 

その声明文の中にキリスト教の侵攻に対するイスラム云々………とあったが民族多様な地球上で、

各国の文化(宗教を含む)、習慣を認め合うという前提がなかったら「平和」等訪れようもない。

何世紀も前の恩讐を現代に転嫁させてはならない。ただ、富と貧と言う余りに対照的な地理的

要因が大因の、文明国と非文明国の対比に着眼して考える時に、地球温暖化に依る地球危機の

現状を招いた責任は文明国にある事は間違いないだろう。この事件は覇権主義の戦争と思うが、

それを発起した飛行機に依る自爆テロでツインタワー崩壊の完遂を成させたもの、文明度の頂点を

行くあのアメリカに対して。  アメリカの油断と言ってしまえば簡単だが、それを「成功させたもの」……… 
21世紀の最初の年に。 (地球の爛熟期は過ぎてしまっている)      
 地球を一つの体として考えるなら、明日の食物もままならず質素に生きている国々と、

飽食といわれるそうでない国々と、この「体」を疲弊してしまった 
のはどちらのせいだろう? 「地球」はどうすべきか?今回の「成功」は、  
その「選択」だったのではと、思ったりする。               
 祈り、断食、古代から「変わらず」に生きている人々があのアラブ圏、そし 
て、アフリカに住んでいるのだと改めて想う。               
 テレビの映像を通じて思う事は、富の分配、たまたまその国、その地理上に住んでいる事で

極端な富者と貧者がいる。今文明国の住人が為すべき事は、その缶ジュースを買うお金をそう

いう人達に使うとか、根本的には政府対策としての技術支援(アメリカも提唱しているが)等の

根本的援助で富の不平等の解消の促進で、戦争テロ行為への逃避を防ぐ事が可能かと考える。       
 最後に付言するなら、声明文にあるイスラエルに駐留するアメリカ軍の撤退で本当に全てが

解決するのか(以降の報復テロも)、本当に。        
これは、ビンラーディンの「予想外の的」であると想う。
(アメリカが、そんな事をする筈がないと言う………) 
                      
                   
『最後の運動会』

“秋晴れの 夏の日差しの 運動会”

“運動会 「お手々つないで」一年生  六年生に なるや 甥子は”
  

 ついこの間一年生だった下の甥子も早や六年生、小学校最後となった運動会の種目

「お手々つないで」で一年生をおんぶして走っている甥子を見ていて、改たな感慨が重なりました………  

 『刻として 「時間」(とき) は蘇る』。
                                     

感動感 それは人類が 勝ち取った          

最高の 栄光である              

     ■               ■              
 ■
本紙は詩歌集第3集「夢幻」及び「  
   
私の歌」等のPR誌です           
   ■                ■               
申込み受付け中 詩歌集夢現第3集★「夢幻     
<上下2段全180頁>    日高よし子著               
 
〈全第5部迄〉 ¥1500                      


お問合わせ先■ 〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3−7         
創作編集配布■  日高よし子  рO72−832−6640          
                     
<無断転載禁止>



10/9(火)

 米同時テロのその後、「勝利宣言?」
 米同時テロ事件への制裁、根絶の為米英軍はアフガニスタンのタリバンのテロ基地を空爆した。
 それを受け待っていたかの様に今日の朝刊(10/9)にビンラーデンの声明文が掲載された

。数年前からパイロット養成等、飛行機によるツインタワー爆激を画策実行した当人のそれは、

アメリカの報復という戦争実施行為こそがビンラーディンの「勝利宣言」の様にとれる。
 タリバンと一体と化すビンラーディンのアルカイーダの掲げるイスラム原理主義とはイスラム教

でもない、イスラム圏のご都合主義である。
 その声明文の中にキリスト教の侵攻に対するイスラム云々………とあったが民族多様な地球上で、

各国の文化(宗教を含む)、習慣を認め合うという前提がなかったら「平和」等訪れようもない。
 何世紀前の恩讐を現代に転嫁させてはならない。
ただ、富と貧と言う余りに対照的な地理的要因が大因の、文明国と非文明国の対比に着眼して考える時に、

地球温暖化に依る地球危機の現状を招いた責任は文明国にある事は間違いないだろう。

この事件は覇権主義の戦争と思うが、それを発起した飛行機に依る自爆テロでツインタワー崩壊の

完遂を成させたもの、文明度の頂点を行くあのアメリカに対して。アメリカの油断と言ってしまえば簡単だが、

それを「成功させたもの」───21世紀の最初の年に。
 (地球の爛熟期は過ぎてしまっている)、地球を一つの体として考えるなら、明日の食物もままならず、

質素に生きている国々と、飽食といわれるそうでない国々と、この「体」を疲弊してしまったのはどちらのせいだろう?
 「地球」はどうすべきか?の今回の「成功」は、その「選択」だったのではと、思ったりする。
 祈り、断食、古代から「変わらず」に生きている人々があのアラブ圏、アフリカに住んでいるのだと改めて想う。
 が、男性の弱さを棚上げにしての女性蔑遇や、バーミヤンの石仏破壊、今回の同時テロ等、

「イスラム教」でもない事を成す、原理主義なるものは断じて壊滅させなければならないが、

限りないこの先の戦争行為の続行に、テロ側の報復行為が懸念され、旧ソ連軍が難攻の末撤退し

ソ連の崩壊がその後あった様に、以降のアメリカの凋落───傍観してほくそ笑んでいる国が

あるかも知れない。どちらにしても、戦いがこの世からなくなる事はないと思った方がよい。

人間に善、悪の心があるように………。
 テレビの映像を通じて思う事は、富の分配、たまたまその国、その地理上に住んでいる事で

極端な富者と貧者がいる。
 今文明国の住人が為すべき事は、その缶ジュースを買うお金をそういう人達に使うとか、

根本的には政府対策としての技術支援(アメリカも提唱しているが)等の根本的援助で富の

不平等の解消の促進で、戦争テロ行為への逃避を防ぐ事が可能かと考える。
 最後に付言するなら、声明文にあるイスラエルに駐留するアメリカ軍の撤退で本当に全てが

解決するのか(以降の報復テロも)、本当に。
 これは、ビンラーディンの「予想外の的」であると想う。
(アメリカがそんな事をする筈がないと言う………)
       2001/10/9   日高よし子

 にゃこリンスペースに書いている猫の写真です。ちゃんと鈴は付けて貰って

いるので飼い猫だったと思うのに、迷い子になったか捨てられたか、この界隈の新顔の猫です。

(そう言えば30年程前住んでいた我が家で飼っていた猫はやはり虎猫で、家人の自転車の後を

従いて行き、それっきりになってしまいました)

『にゃこリン「夢現」シリーズペーパ ーマガジン』                               
 
                                     
36 《2001年9月25日号》                            
『彼岸花』                                                  
”秋分の 彼岸の このひの 彼岸花” 
                                   
秋分の日の彼岸の中日も甥子達を連れて墓参に行きました。                      
きつい車の渋滞に墓参寺に着いたのは午後5時頃、人気(け)の

途絶えた墓迄の階段を上がりつつ、ひと月前の蝉時雨が嘘の様な

静寂に、すーっと身体の力 が抜ける様に日々の疲れが引いて

行くのが感じられました。                                  
 そして、階段を上がり切った本堂前には、    
”墓参寺に 朱立つ生命の 彼岸花 が、

めらめら生命の火を燃やしていました。それはまるで、我が墓石のある

本堂の裏側迄の道に灯を点して呉れている様な……… それにしても、

場所のせいかその彼岸花のは花屋で見るのと同じとは思えない程、鮮明な生命を象っている。     

そして、その焔は生あるものの朱さというより、死者の生への執着の命火に見えなくもない。 
 墓石には誰でも真っ先に
「水」を掛けます………                             
その
「火」を鎮める為だったのでしょうか?           

                    
墓参寺近くの三年坂で甥子2人パチリ。

「生への執着」と言えば、アメリカ貿易センター同時テロ爆破事件の新聞記事で、

森の中に墜落した飛行機の乗客がその前、既に2機が爆破した事を知り、                          
携帯電話で愛妻に同じ運命渦中自分の為すべき事の判断を仰ぎ、「戦って!」                          
の言葉の後………数人の乗客と共に闘い、その結果犯人の当初の目的物のホワイトハウス

爆撃を阻止出来た。終命の汀に国の主要部壊滅を救ったのは、愛の帰着、愛の証明の為であり

(それは魂の帰着先)その奥さんの現実的愛国心だった。  

そして、落命した幾人かの人の最後の言葉はいづれも
「愛しているよ」であった。                                                             
「不慮の死」で落命した人は皆「生への執着」をくすぶらせているかも知れない。                         
                                           
最後の言葉を交わせた人は、愛の中で果てた安堵感が現実的死路の道を

歩ませているものと思います。           

人間の生と死の理想形「愛されて産まれて、愛されて死ぬ」。       

どちらにしても亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。

 
『天国への階 段』 
(平成11年9月23日)
 
 
詩歌集第3集「夢幻」P98より            
 
"光キャッチ 天国への階段 京都駅"                  
 秋分の日、墓参後真直ぐ帰らず2年前改築されてから、一度行ってみたかっ 
た京都駅へ、甥子2人と共に行く。駅の構内に入った。幾何学模様の柱、支柱    「  」
に目を見張る。そこは、丁度摺り鉢の底の様で、そこから左右に階段が各上方 
に向かって伸びていた。その先には、屋根が無く吹き抜けになっていて階層の 
境界の定め様がない。雨の上がった、西方の其の階段を見上げると、空が眩し 
い。あの先には「何があるのだろう?」と、思わせる心憎い演出。その演出家 
の思惑通り、階段のエスカレーターに一歩足を踏み落とす。         
そして、「其の先」へ着く。と又階段がある。又、エスカレーターを上がって 
行く。又、ある。踊り場と云える部分が広いから、其の先は見えないので、も 
う終わりかと思っても、未だ「ある」のだ。まるで、天国へ運ばれているよう 
な錯覚を覚える。何故なら其のエスカレータは、ただ天に、空に向かって伸び   
ているのだから。その踊り場途中、左右には、ギャラリーや、 レストランの 
「扉」がある、天国に行く前に、ちょっと寄り道をと云う気になるかも……… 
数本の植樹が見えてきた。やっと、最上階に、着いた。             
 西陽の、溢れんばかりの光に、受け留められた………             
そんな、幸福感が、充ちた……。 (未次元の擬似体験のような)      
五重の塔が、南西下方に、小さく見えていた。               
 空(天)をも、建物に取り込んだ、斬新な未来形の「ステーション京都」。 
時代遅れの私なので2周年過ぎて行ったけれど、一見に値する。       
“天(そら)に着く 階段がある ステーション”             


 
感動感 それは 人類が勝ち取った   
    
最高の 栄光である              


にゃこリンスペース                  
 先に風鈴の音がある。リンリンと首輪の鈴を鳴らし乍ら虎猫が現われる。
秋とはいえ残暑があるから涼感を感じる。 元祖は鈴虫の「鈴」の音。   
 秋も終わりになれば散る木の葉の触れ合う音。又、秋雨の秋霖の音。    
冬になればサンタクロースを乗せたトナカイさんの鈴の音。「♪リンリンリン 
鈴が鳴る♪」、捨て猫か迷い猫か急にこの近辺に出没した。一度竹輪(ちくわ   
)をやってから私を憶えて私を見掛けると此方にやって来る。名前を付けてやりました。

そう私と同じ にゃこリンです。まぁにゃこリン2(ツウ)ですね   
。「何してるんやろ?」『猫は掃除せんでええからええなぁ』「??何してるんやろ?

はよ竹輪頂戴、竹輪があったら何も要らん、それだけで幸福やねん」   
。前へ押し、後へ引く様に掃除機を掛けて行く。    
          
 ”畳の目 沿いて 順風 反りて 逆風                
10年後を見据えた「竹輪」の為、沿いて順風の畳の目の始点を模索しながら 
………「ニャーオ」待ちくたびれた様だ、竹輪をやる。又、夕方おいで
。   
     ■               ■            
詩歌集夢現第三集「夢幻」
<上下2段全180頁>   
 日高よし子著  夢幻申込み        

〈全第5部迄〉 ¥1500                      

お問合わせ先■ 〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3−7         
創作編集配布■  日高よし子  рO72−832−6640      

 ご感想  



9/17(月)
 
時として思いも寄らぬ事が本当に起こるもので、9/11のテロリスト のアメリカツインタワー突撃、崩壊事件、その夜のニュース番組中の生場面が信じられず、映画の一コマを観ている様なそれ程衝撃的でした。
 あのライオンのアメリカを蟻が倒した、そんな事が在りえるとは。
それも現在のデジタル文明に対する至ってアナログ的な(イスラム 原理主義という偏狂的宗教と凶器のナ イフ)犯行でした。「文明の衝突」という言葉がやはりピッタリ当てはまると思いますが、その生活文明の差が「想像力の差」となったの でしょうか?
 しかし、報道で観る献血に並ぶアメリカの人達の姿に「アメリカの強さ
を見た様に思います。
 亡くなられた方々の御冥福をお祈り致しますと共に、アメリカ国民の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 
日本の国防を担っているアメリカの本土が襲われた、という事は日本が万一の時でも「それどころではなくなる」と言う事です。              
政治家 の方々そういう「想像力
を働かせて下さいよ。 

 話は変わって、平穏で居られる昨日の日曜日は京橋迄出て駅又駅近辺で、このにゃこリン 夢現シリーズの夢幻PR紙(詩歌集夢幻)を撒いて来ました。京阪からJRへ行く広い通路 の所に路上ミュージシャンや詩人、絵描きさんがいてその中の詩人さんに面白い着想のがあったのでポストカードを3枚買って帰りました。     
そのひとつ
『「幸」っていうのは、ひっくりかえっても「幸になる んだ』というのがありました。字を逆さにして見ると本 当にそうですよね。ご本人には無断ですがPRにもなると思うのでそれを紹介します。RENさんガンバレ!
      

 
今回のにゃこリン夢現シリーズ夢幻PR紙を下に掲載します。 




夢幻PR版 《2001年9月号》
   ★インターネット発信    
■創作編集配布  お問合わせ先
【http://www5a.biglobe.ne.jp/〜yoshikoh】 

:yoshikohneyjp@mtd.biglobe.ne.jp          

Email:nyakorin@hotmail.com】│
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〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3−7            

日高よし子 рO72−832−6640   
        



           それは         
 
人類が勝ち取った 最高の           
☆栄光である                      


詩歌集夢現 第3集★「夢幻 一部抜粋   

 
愛知りてこそ 愛を語れり}       
                                    
 
第1部「約束された人生」より         

      
『此処においで』              

   
”キリストの 受難曲(極)の 遺産なり              
         「此処においで」 感動の 喜び           
  
 いつか
 此処においで                       
 私は 小高い丘の上に いる  此処から 三六十度 見回せば      
 五月の若葉が 雲のように 私を 囲んでいる              
  出来たての 葉緑素に  真っ新らの 生命が 息遣く         
 
そうだ 私は 其処の その川に懸かっている 橋を渡って        
  此処に 着いた  姿なき先導者に 従って…………          
 そうだ 私はもう少し前 其処にいた                  
  「あなた方」と 同じように…………                 
  
 いつか 此処においで  何も 持たずに              
  丘の 大きな胸の中で 目を閉じていると               
  広がる 安心感に 赤子のように なれるから             
   きっと なれるから…………                    
   きっと
 此処においで…………。                  

(バッハ マタイ受難曲・神よ憐れみ給え[唱]ヘルタテッパーに)     


第2部「父・瓦解」                    

  
『ほどほどの』                      

“ ほどほどの ほどよき人生 平々凡”                  
ほどほどと、言う事程 難しい事は無い。                 
 何故なら どの辺りが程々かと言う事が測れないから。          強いて考えるに
「腹八分目」の 満足感で退ける人にある         
 「ほど良き人生」                           
 天才を 羨む事は無い。
腹八分目では済まされぬ 
業火を背負った──彗星 
 詩人を 羨む事は無い                         
心の鏡を 手放す事が出来無い 生きもの                 
 自身の心の中で開く花は 何であるか?                 
人に依っては 「食べる物」「装飾品」「ブランド物」等々 あるだろうけれどそれ等に「蝶」を見る事の出来ないのが「詩人」であろう。        
 直感的な 感性の弦に 触れてゆくもの                 
そんな蝶にこそ 花弁は 蜜となる                    
 さりとて 羨む事は無い 各自の「物」が違う様に            
 それしか その様にしか 生きられないのだ。              
明日も 開くとは限らぬ 花                       

「生」と言う 「問」を掲げて、                     
「死」と言う「答」に 至る迄。                     
 どれが、最良の「正解」だったか?
                     

千差万別───自分にだけ ある「答」           
   自分にしか ない「答
」。   



第3部「甥子」より           

『早かれ 遅かれ』     
 
 早かれ 遅かれ   朝になるか 昼になるか           

清掃は せねばならぬように  遅かれ 早かれ            
 
 生きもの 皆 生きるように  皆 死ぬように 失せる      
   早かれ 遅かれ するべき事は せねばならないし          
   遅かれ早かれ  悟らねばならない                 
「明日」に 悔やみたくないなら  「今日」 死ぬしかない      
  「今日」を 止めたいなら  同じように               
   それが 出来ぬのなら   
「遅かれ 早かれ」      

第4部「俳句短歌」
 
■芸術は 感動を 母に                           

表現を 父にして 産まれ   
                        
陽が沈む 二度と昇らぬ 今日の 日は                 

「ハンガリー舞曲番」 真夏から                     

「夢のあとに」 秋の青空      


第5部「我詞独曲」
マイメードソング・楽譜収編


@もう一年後 A天国
 Bずっと大阪 Cときめき夏 
D一輪の美 E女の子 Fありがとうと G六月雨 
H子供の頃  I秋 
   

 本紙は詩歌集第3集★夢  
 
及び私の歌等のPR誌です  

申込み受付け中                 

 詩歌集夢現 日高よし子著         

第3集★「夢幻」                  

全第5部迄¥1500          
  上下2段全180頁              
2001.8.29(水)
須磨海水浴
〔2001.8.28〕
 
昨日の8/28午後1:20分家を出発して神戸の須磨海水浴場へ甥子2人と共に

行って来ました。阪神高速若宮インター降りた左側がその目的地。
2:40前到着して、直ぐに行く前に作ったお弁当を食べて腹ごしらえ、快晴とは言えない

天候の下、見渡せば夏休みの最中とは言え平日のせいか閑散としていて海の売店も

閉まっている処がある。携帯のカセットレコーダーのリュートの音(エレクトーン私の曲で

演奏も同じく)を掛けていたら鳩が1匹2匹と集まって来て、私が食べている物を遣り始めると

知らぬ間に10数匹がレジャーシートを取り囲み、餌を上げるのに忙しい事。
 私が食べ終えるととにも鳩も居なくなりましたが、その内の一匹が私の前で何やらポーズを

取る如くじっとしていたので、パチリそのワンショットです。 その後甥子達は写真を撮ったりした

時間を除いては2人共、海に入った侭出てこず、6時を過ぎて海中にいるのはほぼ甥子達だけ、

貸切の様。         
 
”晩夏の日 明石大橋 須磨の海 甥子2人の 貸切なりぬ ”

 私が座っている砂浜から海までの距離は、目測3〜4メートル程、     
  寄せる波、返る波を目で追う………

 ────
浪がかぶさって来る 浪に呑み込まれてゆく
     浪に浸される                             
 けれども 少しも 冷たくはないし、溺れもしない
────

    目を開ければ 砂浜を間に 海が 隔たってある

 私の呼吸と連動する様な海の呼吸の波の寄せ引き、確かに「他物」ではない
私の身体の部分の様な気がする。
 海にいる、その安堵感その侭に、砂浜に横臥わる。
ほぼ180度の視界は一面、空。 空の近さ。
 こんな風に空を見上げた事など先ず無い。
地面に寝転ぶなど。(街で寝転べば、車に轢かれるヨー)

 或る空間から、違う空間へ行くと言う事は、その空間を客観的に捉え見出だす事が出来る───

見遣る明石海峡大橋を間に本州側と淡路島───
 3年前の夏と言っても初夏辺り、やはり甥子達と3人であの橋を渡っていた………

彷彿される当時の想い思い出が鮮やかに甦る。(「夢幻」及び「夢弦」の追記編に詳しく記した)─────

 ”海水浴 浪にこかされ 涙海 9年前の 甥子は3才”


 9年前甥子は7才と約3才、此の同じ海で2人で遊んでいて、下の甥子が大きな浪に転げてしまい

「わあーん」と泣いたが最後、2度と海へ入るとは言わなかった。
上の甥子は一人で暫らくその侭遊んでいたが、ほど良い頃に海から上がり、その後は隣にある水族館

、遊園地へ行った。
 そういえば下の甥子と遊園地の遊具に乗っていて友人からのプレゼントだったサンローランの

サンバイザーを風で飛ばしてしまい、降りてから探したが見付からず仕舞い、惜しい事をしたと、今又思う。

 あの泣いていた甥子が、現在目の前をクロールですいすい泳いで行く、
身体の細胞の何処にもそんな記憶の痕跡等止々めていない。
 気が付けば私の身長も遂に超された。
2人の甥子は身体ではもう上も横も(身長体重)私を追い越した。
 亡妹の代わりに育てて来て、これで良かったのか?と自問してみる。
未だ未だこれから伸びて行く甥子に、身体の肥大だけでなく、内面性の研磨へ誘導出来る様、

自身の研磨を心掛けたい。

 『 やさしくされると、やさしくしたくなる。
  自分の為だけにした事は、自分が死ねば、それで終わる。
   他のものの為にした事は、その中に残り、増えてゆく。』


 窮屈な生活空間と眺望的な「原始」の空間………現在、車で走れば家迄2時間程の距離………

しかし、この現代と原始時代の時間的距離は?
 1万年、100万年、1億年と言われてもピンと来ない。
原点のその空間を見る、聴く自分自身のその眼、その耳は「原始」のものだと認識出来る。
 海と空、それだけあればいい。

  
”何もない ひとつ 海 空 原始人(びと) 紺碧の海 紺青の空”

 彼方水平線の目印の如く、幾隻もの船が視界の左側から右側へ消えて行く。
視線を運ぶ私の存在等、勿論知る筈もなく………
   
”海と空 区切って 船は 水平線 ”

 やがて遠く、明石海峡大橋の支柱の点滅燈がその照度を増すと共に、後方夕焼けの色も

その赤さを増して来たのを潮時に、帰り支度となりました。

  ”海水浴 僅かとなりし 夏休み  明石海峡 落日間近 ”


    


2001.8.23(木)

五重塔完成
 
台風のお蔭(?)で空梅雨だった各地方の水瓶も水位を取り戻しましたが、その代償の如く被害を被られた方々には心よりお見舞い申し上げます。
 台風の影響で暑さが暫し軟らいだのも束の間、残暑が息を吹き返しました。 息を吹き返したと言えば、大体就寝時間が2〜3時はざら、4時頃になる時もあり夏休みになって、朝の起床時間(休み前は7時)に余裕があるので私も普段の慢性的な睡眠不足が解消された感があります。
 その夏休みも残すところ10日を切りましたが、我が小6の甥子は宿題の仕上げに、友達とも遊ばず家に缶詰状態で昨々夜は夜中の3時半迄、昨夜は1時頃迄、そして、今日にやっとほぼ終える事が出来ました。
 毎年は宿題の段取りを私が一々言ってさせていましたが、もう6年生でもあるし要領は分かっているであろうと、「はよしときや」位でうるさく言わなかったら、まぁ全然していなくて「全部出来る迄寝るな!」。
 それでも工作は私も手伝ってやり写真の様な五重の塔が完成しました。
私が子供の頃は親はいつも仕事で家に居なかったな、とそんな事を思い出し乍ら手を動かしていました。
 今年は春の暮れる頃に甥子達の父方(北海道在住)の祖母が亡くなり、初盆で北海道に行く筈だったのに、甥子の父親から何の連絡もなく、結局どこも行かず仕舞い、残りの日のいちにち位何処かへ連れていってやらねばと思っている処です。

8/16(木) 8月15日 墓参り
 昨日の8/15のお盆中日は甥子2人と共にお墓参りの為京都へ行きました。

墓参寺へ着くと、此の時期の恒例の如く蝉の合唱がお出迎え。

(京都興正寺にて) 
階段へ行く迄の参道の右手側の植樹に写真の様な木があります。
一度お寺の方に聞こうと思ってうっかりしているのですが、あの木の曲がり具合は何かのアクシゼントがあったのは瞭然ですが、「あの形」の時にアクシゼントがあったのか、「あの形」以前の時にアクシゼントに見舞われ、尚幹が伸びていったのか?凄く興味の湧くところです。

 
“真夏陽や 樹々が日傘の 墓参段”
 墓への一段一段の階段を上る樹々の茂みの中、土から出て剥き出しになった根があり触れてみると硬く石の様で、そういえば木の幹を触ってみればやはり石の様です。石と木、生物の分類学上は兎も角も、余り区別しなければならない事ではない様に思えてきます。
 それにしても樹々の「日傘」の有り難い事。
 階段を登り切った本堂の奥が我が日高家の墓で、恒例の如く墓を洗い、供花お供えをし各自手を合わせ墓参又近況報告を行い、その後住職の読経で墓参を終えました。

 墓参後は三年坂を上がり清水通りに出て八つ橋を買い、その後嵐山の方へ車を走らせ

“一度(ひとたび)の 流れがすべて かつら川”の桂川に降り、勿論私も甥子と共に、足をその浅瀬に浸らせひんやりとした涼感を肌で堪能しました。時刻的に言ってまさに「夏は川原の夕涼み」でした。

 山と川の間の渡月橋(新しくなっていました)を見遣りながら、今日が終戦記念日である事を想い   
“ 嵐山 56年前の 終戦や  ”
 戦禍を免れた京都であってもきっと、その熱さ、爆音は近かった事と思遡し、  
水あつし 終戦記念日 桂川
“水あそび 終戦記念日 桂川”

 
“水おちで 戦う水や 今日生きる”
 川の段差に急流の如く墜ちる水おちの「水」を見ていると、当に「戦時」を、戦後生まれの私なれど想像、彷彿した。

 お盆の終戦記念日の今日(8/15)、桂川は終戦時の流れが一時に戻った様に思えました。

 
「負けた」、きっと「悔しかった」だろう
日本人。それを忘れるな、  
 そう言われた様な気がする。
 どちらにしても、敗戦という終戦記念日は終わりました。


 帰路は少しこのペーマガを撒いて、八つ橋をぼりぼり食べつつ車中の人となりました。
 日にちが良かったのか、往復とも毎度の車の渋滞に見舞われる事なく、無事家に着く事が出来ました。


2001.8.14(火)

  
小泉首相靖国神社参拝について 
(平成13年8月13日)

 小泉首相が8月13日靖国神社に参拝されました。
この件に関わる事に関して戦後生まれ(昭和21年)の世代のひとりとして喚言したい。靖国神社参拝のこだわりは、日本人の気質の問題、それは死んだ者に対して仏壇に生前好きだった物をお供えするという事と密接な関係がある。 死後靖国神社に祀られる事を栄誉として「お国の為」に死んで行った、
その死者、遺族の心情に与するという事。
 先ず歴史認識に於て、例えば「南京事件」、戦時中中国で日本人が中国人を殺戮したとその数が毎年「増え」る。少し前の産経新聞に、南京での中国人が中国人に対して略奪の限りを尽くした後に日本人がその後始末を為し、西欧の安全委員会から感謝されたという記事が載っていた。 

 
一方南京事件は捏造であり、戦後アメリカが無差別殺戮の原爆投下の非難の矛先を南京事件にすり替えた。又、この度の小泉首相靖国神社参拝で問題とされているのはA級、B級戦犯が合祀されているからだが、A級B級戦犯とされた根拠は、戦後の国際法規という法律のない情況下の勝者に依る一方的裁判で責任所在の等級付けをされ(インドのパール判事の不当な裁判であるという聲も無視して)処罰、処刑された、あの「東京裁判」に依って。
 
この東京裁判、日本は「負けた」から「裁かれた」のだとしか考え様がない。そして、こう両極端な「事実」は、当事者以外に関する事は、「真実」ではない事を痛感させる。歴史を認識する時に心得ておくべき事だろう。
 
「人間」という者の「形態」を考えた時、先ず「時代」背景がある。以前にも書いた日露戦争延長の情況の人間であれば、その先の姿は容易に想像がつく。それは、誰がその時施政していてもそうしたであろうと言う仮定が成り立つ。さすれば、日本人が「日本人」を裁けますか?     何事も、人間が愚かな処は自分がその当事者となって考えない事から発する。現在、戦争経験者以外語るどんな言葉も「傍観者」の域を出ない。
戦って、負ければ悔しい!その想いを戦時者でなくとも日本人に立ち還った時、実感できる。又、敗戦下での一億総玉粋という、日本人の心情も。

 
我が国の不思議な処は日本人の中に日本人という「外人」が在る事。
 
2〜3年前の朱容基首相の公言をよく深考すればよい。
「10年もしたら日本という国などなくなっている………」。


 私から言わせれば八月十五日という敗戦の日を終戦記念日として特別な意味合いに置く事が解せないが、それは祝祭日を決める如く、文化的行事に組み入れ戦没者慰霊祭として現在に至っていると言う事だろう。
 しかし、祝祭日をレジャー用に日曜日と連続する様に簡単に振り替えてしまう最近の日本の傾向の様に、昨日13日の参拝変更はそんな軽薄なものではない。就任当初から「八月十五日参拝」と明言する事に依って、小泉首相は世論を喚起して当日に参拝されたかったであろう。8月13日に変更された「熟慮」の末の決断には、日本のこれからの構造改革を控えた経済対策等も念頭に置かれた事と、本当に「苦渋の決断」であったと心中お察し致します。

 「最悪の事態を避けるなら8月15日以外」、中国の申し出だったとか。
これを受け入れた事は「国益」を第一とし、中国等へ「配慮」を施した賜だ。 以後、この「配慮」を前面に押し出した、毅然とした外交を切望する。

 日本はODAという「切り札」を持っているのだから。

 日本の中の「日本人という外人」の政治家諸家、国民の私達戦後生まれの人間は他国からの内政干渉にはもううんざりしています

 過去の事を何度聞かされても、私達の預かり知らぬ事、そんな事は「真実」ではない。事実は、私達は「敗戦後」に生まれたと言う事。
 そして希求するのは
「世界平和」。 
こうはっきり断言出来る政治家の出現を強く希みます

私達も被害者です。 いい加減
「日本の国を見直して下さい」

8/13(月
)
 小泉首相が靖国神社に参拝されました。15日の戦没者慰霊祭の日ではなく今日だったと言う事が「熟慮」の末の結論だったと言う事でしょう。それだけ外圧だけでなく「内圧」も凄かったのだと、心中お察し致します。参拝した事で一層の外交努力をと新聞に書いてあったが、どちらが?と問いたい。日本人の文化的気質を理解しようともせずに、勝手に内政干渉する国に対して「外交努力」のしようがないでしょう。
 中国に対しては「ODA」というカードを日本は持っているのだから、毅然とした外交を行ってください。此処は中国ではあるまいし。日本の国の日本人を、日本人がお参りした、ただそれだけの事です。

 今回の靖国の件、又教科書の件と余りの干渉に中国、韓国に対して悪感情が噴芽した。
 話は全然変わりますが、このパソコン今日の午後にこのホームページをプレビュにしてもBGMが鳴らなくなったのに(JET AUDIOプレーヤーの音楽も)、夜「鳴った」、
何が原因でしょうね、しかし、「ずっと大阪」の歌はライン入力(録音)出来たのに、(今回送信します)8/8号の「私の歌」に歌詞掲載の「あの月と」は何度やっても録音出来ない、解決したら又流します。


8/12(日)

 今日の第2日曜は子供会の廃品回収がある日なので、小6の甥子と少しお手伝いをし、その後自分の車を洗って快い汗を流しました。昼食を作る前の一刻キャンディを頬張りながら昨日の写真の「石」の事が気になり、再度色々思い巡らせています。
思えば身の回りには「円」「丸」の何と多い事。
 その丸く見る瞳も「丸く」。見ているのも、見られているのも、留まる事なく抜けて
「空」(くう)、
そんな事を考えつつ、未だ「メめ」(とどめ)の答には至っていません。

『不思議な石』



(無断で撮りました。御迷惑だったら削除致します)

8/11(土)

 
「ペーマガ」今日は寝屋川から枚方にかけての東香里界隈を配布しました。
上の写真は、その一角のお家の玄関先に余りに変わった石が置いてあったので、デジカメのシャッターを切りました。夜パソコンで見返して、「うーん」と唸って色々イメージを膨らませています。第一印象は、その前に花があるので「花瓶の穴」。今思い付くのは「人間の顔」、大きな口をあけて「いらっしゃい」と唱っている。或いは、花対「動物」(食べる口がある)。「入口、出口」。「大宇宙の星」「太陽系の太陽」。又考えます。
 最近は玄関先を見れば、その家の「住人のお顔」が見える様な気がしますが、この石のお家の方はちょっと想像が付かず、興味津々です。
 皆さんは何に見えますか? 
我が高一の甥子は「洞穴」(ほらあな)、そして彼の世の入口に見えるそうです。

/9(木)
8/18,19開催の寝屋川まつりに因んでこのペーマガの臨時号を出したとこですが、
8/8号掲載します。8月8日は(パチパチ)のソロバンの日でした。私の歌の
「あの月と」は、少女の頃私が算盤学校から家へ帰る時、見上げるといつも月が私を見ていて
歩いても、走っても離れず、そうこうしながら、空の地面に月を手毬にしながら家に帰った
、そんな思い出の一端を歌にしたものです。
 その頃を思い出せば、毎日よく真面目に通ったものだと自分ながら感心します。
2級を取っただけで止めてしまいましたが、「暗算が出来る」事、これは算盤のお蔭だと、
「やめたい」時もあったのに、やめさせなかった母親に感謝です。 

8/7(火)
 暑いばかりと言ってはおれず午後からペーマガを配りに行きました。
今日は寝屋川市八幡町界隈、車から降りて先ず水路と言えそうな川沿いに2輪白い木槿の花が涼やかに咲き、その斜め前にはブナの木でしょうか、どっしりと年輪を刻み、見遣る川面には今迄見た事もない白っぽいトンボが水面を滑っていました。 
 配布する各家の玄関前には家の方の丹念さその儘に、端正な夏花達にも出会う事が出来ました。
ここに掲載の写真無断で撮りました。御迷惑なら削除します。
 又、敷石や塀には大きな岩石のまるで骨董市の様な数種の形、色をした石々、その中の或る一軒の、お家の玄関へ上がる石段の石組みは、ひとつひとつの石が人間の顔の様に表情豊かで、思わず持っていたデジカメのシャッターを切りました。こういう石達を見ていると、地球が、他の星と変わらない地球の頃から「存在」していたであろうその「重さ」に時間の経過の概念の無意味さを思い知らされます。それは、帰り際に同じ水路の様な川で見た睦ましいカルガモ達の姿で決定的となりました。
 
 

 話は変わって、今夜のNHKニュースで、小泉首相の靖国神社参拝に関して、野党のみならず与党(自民党の山崎幹事長、公明党)の人迄が否定的発言をしていました。
本当に反対コールの包囲網ですが、大体日中、及び日韓と国交回復当時も日本の首相は「参拝」していたんですから、日本国内の国事、他国に干渉される筋合いのものではない。ましてや中国に「ゲンメイ」されて参拝しなかったら日本は当に「属国」であると世界に公示するようなもの。小泉首相、就任当時の公言通り絶対参拝して下さい。
 最近NHKのニュースを見ていて思う事だがこの件に関して、肯定意見の取り上げを聞いたことが無い。(民放の方が余程公平)
 少し前の「視点、論点」でも被虐的歴史を真実の如く断定的に論じていた「識者」がいたが、国営放送に鑑み公平、中立な放送を心掛けて頂きたい。

8/5(日)
 口からついて出るのは「暑い!」ばかりで、花活けの花も買ったその日はしゃきっとしていますが、2,3日もしたら暑さにお手上げと、柳の様に葉も、だらーっとなってしまいます。
 そんな暑さの最中、人間も体内の水分の蒸発と比例する如く、気持ちも弛緩して集中力散漫、いつも「上の空」という感じでしょうか。今日の昼食中、先に食べ終えた私がトイレを終え部屋に戻った時、未だ食べ終えていない下の甥子は崩していた足をさっと戻し正座し直しました。
「伯母ちゃんの前やからちゃんと食べるんか?」と一喝。「いただきます」「ごちそうさま」という行儀の事を思遡した場合、それは原始時代の人類の行為が基になっていると思います。「自然界」の一員だった頃、家屋という物を持たず、いつ他の動物に食べられるかという状況に身を置いて生きていたから、その「生命」の貴さも「身を以って」理解出来た、その形が『「生命」を頂きます』『「生命」をごちそうさま』という行為に自然になったのでしょう。でもこれは決して「過去の遺事」でもないし、現に私達は他の生き物の犠牲の上に成り立って「生きている」のです。せめて姿勢て位、「生命の感謝」を示したいものです。
 常々甥子達には言い聞かせているのに、やはり暑さのせいでしょうか、しかし、こうなったら何でも暑さのせいにされそうですが。


8/4(土)
 
今年も8月18,19日と此処大阪寝屋川市では「寝屋川まつりが開催されます。
今日はこの欄に私が今迄3回行った時の印象を綴ったものを掲載します。
(
何れも詩歌集第三集夢幻に掲載しています)

  
 
 (『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン』                                 



35 《2001年9月8日号》      

  
『2学期』                        

 
 ” 2学期に 「行ってきまーす」の はれる声 ”          
 長かった夏休みも終わりやっと新学期、生活ペースも又元に戻りました。  
上の写真は甥子が夏休みの工作の宿題で提出した、五重の塔です。      
本当の処ほとんど私が作ってやったのに、2日間の全校生徒の展示会を私には 
告げず持って帰って来たのでそりゃー大激怒。               
 「いつ?」と聞いていたのにですよ。あー所為がない           

 昼間などは未だ夏の残骸を引き摺っているように感じますが、日の暮れも
めっきり早まり、加えて何処からか鈴虫の鳴き聲が私の心の細部に届き、
共鳴音となって響く感じがします。それにしても、あの鈴虫の澄んだ音色を
耳にすると、純粋に「適わへんなぁ」とやはり是認します。                                     
人間に進化してしまった「不幸」の悪例の如き、最近の凄絶な親に依る子供     

への虐待事件の増加。比して、自然界の生きもの達の変わらぬ在りよう。                            

耳の壷                                
 ルリーン チリーン 秋の 澄み切った 空気の 秋霖の 音         
あの音は 毎朝 毎晩 鈴虫が 槌音を響かせながら 練り 作り上げた   
ガラスの 壷の中に 落ちる 朝露 夜露の 音です………         
 その壷 私 鈴虫から 貰ったのです。
(夢幻P95
より)         

『動物園』                            
 街の隅から隅迄、処狭しと若葉が咲き連らなった頃、動物園にも新しい生命   
が産まれておりました。腫れ物に触る如くそれは甲斐がいしく子供を慈しみ育   
てるチンパンジー、子供は神様からの授かりもの=子供は神様と思える様な接   
し方です。「ママあのチンパンジーの親子、なんであんなに見つめ合ってチュ   
ーしてるの?」3才位の男の子が柵越しに見乍ら親に聞いています。       
「え?さぁチンパンジーだからでしょ、それより次の処へ行きましょ!」     
「いや、まだ此処がいい」「もう時間がないんだから!」、手を引っ張られる    
様にして子供は行ってしまいました。                   
 曇り空から、急に雨が落ちてきました。親子共ブランドで「身を飾って」  
片やチンパンジーはずっと………ご覧の通りです。             
 快晴のある日、「あらあの親子、私達も負けそう」柵越しに見える人間の
親子を見乍らチンパンジーは、興味を持ってその「親子」を見ていました。   
親に肩車されて、抱き締められて、子供の笑顔の絶えない事!「あのチンパン 
ジーの親子も僕達みたいに仲良しだね」「本当だ、人間も負けそうだな」   
「親に汲っ着いて離れないよ、きっと大好きなんだね」「そうだな」………  
真っ白い上着と其の白い歯が、今時には珍しく印象的でした。        
 直ぐに怒って子供を叩く親、ゴミををそこらに捨てる親、此処は人間という 
色んな動物が来る「動物園」でもあります。
                

     ■               ■              
   
 「夢幻」 第3部 甥子(P94〜より)       
 
『ヒトカゲ』                       
“甥子が 呼べば 「ヒトカゲ」 返事する 未来形 人とも ロボット”  
 「ヒトカゲ」とは、TVアニメ「ポケモン」のキャラクター名であるが、そ 
のオモチャの中に、スイッチを入れて置くと、人間の声に反応して「ヒトカゲ 
」と返事する物である。私の甥子が「ヒトカゲ」と呼ぶ姿に、未来形の人間の 
ロボットとの関わりを超想させる。                    
 第三の波と言われて久しい、情報の洪水の中で、それに溺れて限りなくロボ 
ット化して行く人間。実際に産業界で実用化されているロボットにしろ、現実 
社会に登場する迄は研究段階があるのであり、現在どれだけ進展しているか、 
知り得ない。                              
 人間の心の領域………これからの人間の知求は、無限の宇宙の神秘と、   
「人間の宇宙の神秘」である「心」の探求しかないだろう………その心の素と 
なる遺伝子の設計図「ヒトゲノム」も解読されたとか………         
 以前の新聞で、蜘蛛の糸の数種の文様の網目を見たが、そういう肉眼では見 
れない超ミクロの拡大望遠鏡に依る写真……… 若し、人間の脳をその様な顕 
微鏡か、物質的な物の波長で観測する事が出来る研究をしているとすれば、人 
は「他人の心」の領域に迄侵入し得るだろう。「思う事」それは、脳の中で言 
葉として作用しているであろうから、その言葉の一語一語の脳の作用を観察し 
て行けば、考えている事も、言語で喋る事も、心で思う事も、日本人なら日本 
語で同じ「音」の作用をするだろうから解明出来る?            
そして、逆も又、真なり?                        
 それから、目と耳の「バーチャルリアリティ」(仮想空間現実)の分野。  
通信衛星が飛び交う現在、未来に於いて、その境目を判断する多角度からの物 
の見方と言うのも必要になってくるかも知れない。             
 振り返れば、昔本当にSFだった世界(但し宇宙人は未見だが)が現に現実 
に成っているではないか。(宇宙旅行も夢ではない等)           
 クローン人の可能性然り。百年と言わず、もっと近い未来、心の中迄が喋っ 
ている様に解ったとして、人間の未来に何があるだろう?(一部の者だけが持 
つとしたら「武器」にも成り得るだろう)                 
 若し、何百年後にそういう世界に成ったとして「心を持たない、人間ロボッ 
ト」が、私達の生きた此の世界に在った「感動感」の類いを、書物等を通じて 
知った時に「滑稽」に思うか、「郷愁」を感じるか? 
             
                   (「夢弦」より・少し加筆)    
“ピカッ ピカチュウ いい加減 ドラエモン               
   夢チュウ 熱チュウ 人間の あい だ” 
               
                    (「夢幻」我流雑言より
)       

感動感 それは  人類が勝ち取った    
         
最高の 栄光である         

    
俳句短歌                        
◆秋毎に 還らん旅人 鈴虫(すず)の音                   
◆コツコツと 歩幅も同じ その音は                   
  未来から来る 「時」の足音                     
 ───────*───────                    
  
『言葉遊び』                      
■ サ行連用形(?)                          
「めざしなら                              
   めざせ!めざそう!目指さねば!」                 
■ 『
八百屋さんにて』                 
トマトうれてる?<よううれてるで>                   
うれすぎ?<うれすぎて困ってんねん>                  
ほな一盛こうとくわ、うわーほんまに 熟れ過ぎや!(おそまつ)      

    ■               ■               
 
インターネットホームページのトップページ 
私の歌「ずっと大阪」を、ページ2には「あの月と」 をBGMで流しています  詞曲日高よし子               

  
「ずっと大阪」                      
1.ずっと大阪が ふるさと                         
   道路で 石蹴り 紙芝居                        
   山のように跳ね 川のように走り                    
   坂道は 滑り台                          
みんな みんな みんな 憶えていますか                 

2.ずっと大阪が ふるさと                       
   自転車 乗って 梅新へ                      
 銀杏採りに行った べったん ビー玉                  
 ちゃんばらごっこした  みんな                    
 みんな みんな 元気でいますか                    
    ■               ■               

にゃこリンのインパクト・ニュース               

 @小泉首相の公約実行の試金石の如く30兆円内の国債発行に関して野党
のみならず与党内からも反論続出、その攻防を見るに付け、最近の傾向として
「与党」の足並みの乱れが(先の靖国にしても)目立ちます。          
 どれも小泉首相の当初からの約束事でしたよ。                
───【景気対策デノミ等如何?】                      

  
申込み受付け中夢幻申込み                    
 詩歌集夢現
第3集★「夢幻                   
上下2段全180頁>                  
 〈全第5部迄〉
¥1500日高よし子著                 
ご感想
お問合わせ先■ 〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3−7         
創作編集配布■  日高よし子  рO72−832−6640          
【Email:yoshikohneyjp@mtd.biglobe.ne.jp
                       
【Email:nyakorin@hotmail.com】               





 
にゃこリン夢現シリーズ
 
 《2001年8月特集号》                     

◎祝寝屋川市制50周年◎ 今年は8月18、19日開催です                                    
 
特集寝屋川まつり全3編         

詩歌集夢現 第3集 ★「夢幻 P57〜(P59 )より          

『花 灯』はなび          
       
(平成10年8月30日)                                         
 ”鈴虫は ガラスの羽根の 拍子木を 叩いて招く 寝屋川まつり"               
    
「ルルルリーン・ルルルリーン」                    
 二学期も間近の、(平成十年)八月三十日「寝屋川まつり」の会場入口辺り 
では、鈴虫達がガラスの拍子木を叩いて私達を招き入れていた。
中に入って早小学3年生(当時)の甥子(私の亡妹の次男)は出店のイカ焼きを食べたり、

ポケモン掬いや、くじ引き等に興じた。
 側で、盆踊りの音楽が、輪を描いていた。
 夕陽が、淡く雲間をかすめて、急に暮れた。          

 あの、明る過ぎる空間は、何処だろう?                 
打ち上げ花火を待つ迄の歌謡ショーの処から反対側に、私の視線は吸い寄せら 
れていた。鈴虫の音色でくるまれた様に、その灯群れの夜店は、川面に浮かぶ 
三階層の船が揺れている様に見えた。人の流れは、下の一次元から二階層の
二次元へ、まるでエスカレーターの川の侭に流れている様で、叉同じく三階層の 
三次元の人も、その階を、流れている様であった。             
 此の辺りから見ていると、「人」は、皆「影」の様に同じ故、三次元から
二次元へ、一次元から二次元へと、循環良く「一つの法則」の様に、巡っている 
。現在の、私自身が果たして何次元に在るものやら、
「過去」「現在」「未来」
全てに在る様な、魂の浮遊を感じていた。               
 その光の看板には
「ベビーカステラ」「綿菓子」「くじ引き」等々の文字が 
見える…… 
ベビーカステラ────あの明光が、近づいて来る。………   
 「ゴトン、ゴトン、ゴトン」時刻を刻む様な枕木の音を軋らせ、それはまるで
「銀河鉄道の夜」を超えて休む事なく走っている列車から順番に抛り出され 
て「現在の時代」に降り立った。                     
 「ルルルリーン」                           
 深秋の十月、鈴虫が唱って呉れていたと、思います。私が産まれた朝……… 
 安らかに、眠った侭だったのに、若い産婆さんだったから、私は逆さにお尻 
を叩かれ、水に浸けられ、可哀相に「生まれた」そうです。         
でも、目覚めたのは産婆さんのせいだけではありません。          
「ルルルリーン」その聲に、惹かれたからです、そう思っています。     
綿菓子───子供の頃の夜店、そう現在みたいに、夜がこんなに明るく無かった頃の闇の中に

、光の連なりが、大きく輪を描いていた。そう言えば、小さいけれど、 何処よりも美味しい、

あんドーナッツ(その頃は、フライ饅頭と言っていた)の店があった。舟の船頭さんみたいに、

リズムに乗って衣にアンコを丸めて行く職人さんの、
そのリズミカルな姿によく見入ったっけ………口の中に入れると、美味しさが躍った。テレビは、

未だ無かったけど、以後テレビででも見た事は無い。それに匂い付きだもん。あの夜店……

何次元かの華やかなりし頃の夜店………あの明るい灯もだんだん薄れてゆき、

あれ以来、あんな美味しいあんドーナッツとも、それっきり………。   

もう四十年も前の、

現在の甥子と変わらない、十才頃の事。               

あのおじさん、どうしてるんだろう?あのリズム、今でも思い出せる。                      
 三段目、左端の階段の処が、仄かに見える。人の流れは、其処から初まり、 
其処へ下りて行く様だ。
頂度、明るい舞台から闇へ下りる、現前の歌謡ショーの此の人達の様に。………   

そして、待望の打ち上げ花火を観る為、その夜店寄りの池の方に場所を移動 
した。その場所からは、人々の輪郭もはっきり見え、「現在の夜店」になっていた。    

 「ドドーン!」                 
 夏の終わりの合図の様な、号音と共に星の無い真っ黒な空を画用紙にして、 
打ち上げ花火が色彩を滲ませて行く。しかし、大きな音の割りには、小振りな 
花火群であった。………やがて、花火の星灯りもすっかり消え、何もなかった 
かの様に、すっかり………黒い緞帳が、降りた───               
 池に目を落とすと、水面にはあの
「夜店の灯」が、揺れていた。      
     
「ルルルリーン」                       
 今度は、出口だけになってしまった同じ辺りで、変わらぬ鈴虫達が「祭り」 
の終りを、「夏」の終りの幕引きを、地底に高らかに響かせていた。     
 それは、身体全部が透き徹って行く様な、最上級の
「レクイエム」であった 
「花火、綺麗かった………」                      
 帰路の途、鈴虫の音色と合奏する様な聲で、甥子が言った。        
 さっきの
「夜店の灯」が、鮮やかに蘇る。……              
 ────
四十年後とともに─────                  
…… 
ベビーカステラ の頃から  いつか綿菓子 の          
    雲の夢を 食べ終え  「当たり」か 「外れ」しかない      
    くじ引き の様な  それが、『人生』…… (了)☆ 
      
“我投稿 「ルルルルリーン」は  哀しい音色              
       「花灯」は消えて  「つながり」 ならず ”       
  
 (以上は、平成10年フェリシモ文学賞「つながり」投稿文です)   

     ─────────  *  ─────────

   
『「寝屋川まつり」一年後』                           

 (平成11年8月21日)    
 平成11年8月21日(土)午後四時過ぎに、家を出た。         
昨年は、宿題を皆目終えてなくて連れて行かなかった、中学二年生の甥子も
加わり、下の小学四年生の甥子、私とで「寝屋川まつり」へ、徒歩にて向かった 
。その道々の道路沿いの歩道には、夏の勢いと共に
夏草が、コンクリートの「 
壁」を裂いて、処々に噴生していた「元々は、私達の土だったのに………」 
慎ましやかな、そんな草々の聲なき聲が、見える。             
 整頓された様に、全然雑草の生えていない歩道もある。……        
…人間は、この「美しさ」に馴れてしまっていると、思った…………     
寂漠とした「美しさ」………                      
 “「江戸の人」 おもいむく 「寝屋川まつり」”             
 
歩き、歩いて、ふと江戸時代の「人」を思い還しつつ五時前、やっと会場の 
打上緑地に着いた。昨年より早い時間帯だった為、入口辺り、今年は鈴虫でな 
く、蝉の木々の葉を揺する聲が、迎えて呉れた。              
 会場に入って、早速甥子二人はヨーヨー釣りや、スーパーボール掬い
、当てもん(くじ引き)をしたり、クレープやイカ焼き、おでん(関東煮は死語に成 
りたり)を、私も一緒に食べたりした。                  
 シルク(絹)を着た様な
、黄金色の夕焼けが、奥行のある輝きを「別次元」 
から放っていた。                         
 暮れた空の下、盆踊りの輪は途切れる事無く、今年も輪を描き、広い会場の中、 
三つのステージに、一方では人形劇、もう一方では、ロックバンド、此方では 
、今年は「歌謡ショー」ではなく、中国から来た上海の少女達の、舞踏、歌唱 
演奏(筝等)があった。                                     

「夜店の灯」は、変わりなく連なっていたが、「三階層の船」は、去年の
「寝屋川まつり」が終わった後「銀河鉄道」を追い駈け、「その夜」の中に
戻ってしまっていた。………立っている場所、日のズレ(去年は8月30日)
風の角度、そんな微妙な「ずれ」が写真のピンボケの様に、その夜は噛み
合わぬ侭、フィレーの花火になった。                        
  
”五線譜の レーザー光線 花火「音」”                         

 BEET・MUSICに乗って、レーザー光線銃が池を、木を、夜店を、撃って行く。
時には、緑色の光線の
五線譜の上を、花火が弾丸の様な音符を、落とす。
花火は、去年と同じように、いやそれより小振りで、その夜を閉じた。                     
 
“寄附をして 「愛は地球を救うなり」 鈴虫貰い  「寝屋川まつり」”  
 会場を入った時、直ぐにTV「愛は地を救う」の募金場所が数ヶ所に在り、 
募金をしたら小さな箱に入った鈴虫の雄雌一匹ずつを貰った。        
 家に帰って飼育器に入れ、茄子やじゃこを与えると、雄が羽根を拡げて、
美しい音色を奏で始めた。                         
  
“冥界の 共鳴音なり むしの稟”                  
 今も目の前で、昨年の「寝屋川まつり」の時の様に、ガラスの拍子木を
叩いている。  
「ルルルルリーン」………                    
 鈴虫だけが祭りの収穫だった。去年見た、三次元「花灯」の「澄明」な灯群 
れは、鈴虫の透明な音色の「
原光」だった様に、思えてきます……      

 
“遥かなり 「自然界」へ 還る道                                      郷愁の すむ 鈴虫すずの音色おといろ          (了)                           
  ─────────  *  ─────────             
   
 3度目「寝屋川まつり」
           (平成12年8月20日)       
    
 毎年、「寝屋川まつり」が催される打上治水緑地を、先日車で通過 
    した。あの各舞台、盆踊り、華々しい夜店の花灯、そして、夥しい人 
    の群れ………その水と緑の側を通り過ぎ乍ら、去年、一昨年の
    
「喧騒の絵巻物」が、拡げられては、畳まれ、拡げられては、畳まれした。 
     本来の「自然」の姿に─── 
結局、「人間」は此の舞台の上で、 
   その時代の中の、己の役回りを演じ切り、その聴衆だった「自然」が、 
    最後を看取る
───そんな想いが「通過」して行きました。………     

                           
                                    
 そして、現在、その「人の群れ」の中に在る……… 
三度目の「寝屋川まつり」も、甥子二人と共に行った。                  

 長い長い夜店の連なりの中、ベビーカステラを頬張り乍ら甥子と歩いた。
「金魚すくい」一回三百円。
たまにするもんやなぁ。             
 私が子供の頃、夜店は1,6,3,8(いちろくさんぱち)の日にあって、 
そのたんび金魚すくいしとった。一ヵ月に十六日として、今やったら、子供の 
小遣いだけではでけへんやろ。                      
 
「夜店」も希少価値になったから、値打ちも上がったんやなァ。      
私には懐かしい、甥子には目新しい「鰻釣り」もあり、お好み焼きを買って、 
手品、漫才を見ながら舌鼓を打ちました。                 

  
“暮れ染めき 寝屋川まつり 藍色の空”               
 
2年前の、最高の夢幻夜、又その1年後、そして、今年と ……      

 
 “悲しみの海 底まで 沈めば そこはなし”             
 悲しみの深さも、感激の高さも、
最低、最高だったと、気付いた時には、  
もう、そこにはその
居場所はありません。                 
 今回は、歌謡ショーも、花火も見ずに帰路の途につきました…       

……“鈴虫も 寝屋川まつり おとなしや 収穫は ただ 藍色の空 ”
                            (了)   

 「夢幻について}
 本夢幻は自伝ではない。
自伝を書く程、偉業を成し遂げたわけではない。
 又、自分史でもない。
それを書くほど興味深い人生を送ったわけでもない。

"はいくぎり 心象風景 ワンカット"

偉大なる 芸術家の 想い出は
夢現の 夢弦 「夢幻」に 無限 


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詩歌集夢現第3集★「夢幻」★    
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    上下2段全180頁>               

感動感  それは 人類が 
勝ち取った最高の 栄光である☆  

お問合わせ先■ 〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3−7       
創作編集配布■  日高よし子  рO72−832−6640        
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  【無断転載禁止】  
           


8/2(木)
 7/23号に書いている様に37回忌に父の好物だった西瓜をお供えし、その後1週間常温で置いておき、5日前から冷蔵庫に入れ一昨日今年初めての西瓜を食しました。大きな西瓜だったので切るとき西瓜に振り回されそうになりました。(オーバ゜かな)その分皮側の白い部分を多くて、よく見てみると瓜の様でもありその皮を剥いて塩でもみ、昼食時のサラダに使い、残りを夕食に甘く煮て食べ切りました。ゴミは薄い皮だけ。(ゴミの節減を実行しています。)
 そして、その西瓜の甘かった事! 昨日も、今日もその甘さを堪能しました。
甥子達に「日本に生まれて幸せやなぁ、暑いだけで西瓜も無い国があるんやもんな、日本には四季があって色彩豊かな花に恵まれて、色彩豊かな食べ物も食する事が出来るんやから」とついつい当り前に思い勝ちな事ゆえ一言付しました。
 こういう想像力が充足感の密度の濃淡を促すのだと思います。

夏の滋養食の西瓜、皆さんはもういくつ召し上がりましたか?



8/1(水)
 しかし、暑い日が続きますね。夏は嫌いではない私でも今年の夏はこたえます。
「もっと酸素を!」と冗談交じりに甥子達に言っていますが、本当に酸欠状態に陥ったような昨日、今日です。
 それでも日々の家事等、買物もせねばならず、今日も午後4時前に買物ついでにこのペーマガを撒きました。今日は寝屋川市葛原辺り僅かですが撒いていて、その家の一角の所に市会議員の看板が掛かっていました。その名前が小学校時代の同級生と同じ、小学校3年生の時私の隣の席だった男子の名前でした。どんな事をされたり言われたりしたかは憶えていないのですが、その子から今で言う「いじめ」に遭っていました。大体嫌な事はあっさり忘れる様に出来ているので、すっかり忘れていたその名前に出会い、その時の事をというより、嫌だった気持ちが甦りました。
 若し今出会うことがあれば聞いてみたいです、「何であんなんやったん?」と。その頃は学校に行くのが毎日辛かった、いわれもなく(理由もなく)受けたその頃の「おもい」を、決して許す事は出来ないし消える事も無い。現に約46年経った今でもこんなに「生きている」。
 今の若い人達も、色々あるでしょうが「未来」の参考にして下さい。
 
7/31(火)

(2001年7月29日参議院選挙自民党は大勝しましたが、昔、故佐藤栄作首相が報道関係の取材はテレビだけ、と新聞、雑誌等の報道の身勝手さに怒りを露わにしていた事があったが、そのテレビが放映していた、応援演説(確か群馬だったか)の映像では名前もはっきり把握していない候補者の「応援」を田中外相は「時間がない、時間がない」とあたふたと終えていました。その候補者は「落選」でした。
 田中真紀子氏への外相就任前後の印象は明確な言説の小気味良さだったと思います。
思えばその程度にしか知らなかったのです。
 外務大臣になられてからの言動を見ていて、はっきり言って落胆しました。
国益よりも「外益」優先の姿勢。現在の日本の財務状況を前面に押し出し、核を持っている中国に対するODA削減、撤廃等の英断をこそ期待していました。
 教科書問題にしても先に「新しい教科書」を否定するのではなく、
読んでから発言されるべきだったと思います。
一国の外務大臣のご発言、「勇み足」のなきよう自顧されますよう。

それに、最近の小泉首相の靖国神社参拝に関しての寄って集っての反対コールの包囲網。何とかなりませんか!、此処は確か日本の国でしたよね。
日本の為に命を捧げた人が、靖国神社に奉られる事を死後の栄誉としたこれは日本の文化的行事と言える類いのものとしか、戦後生まれの私達には考えようがない。
「文明の衝突」という本の中で、日本という固有文明を持つ国として取り上げられた様に、日本人には
日本人の精神性が存する。それ故の小泉首相の参拝行使言明であろう。
 なんでそれを軍国主義のなんとかだとか、汲っ着けて糾弾するんですかね!
日本は核を持っていますか?他国干渉甚々しい、核を持っているどこかの国の方がよっぽど、軍国主義なんと違いますか。
侵略、植民地政策それはその時代の当り前の、日本だけの施策ではなかった筈。
原爆まで落とされて日本は敗戦した。これは何よりの「平和教育」になっています。
 そして国家という言葉を排した事に象徴される自虐史、「戦後教育」、その浸透が他国におもねるという現在の日本人の状態に顕著に現れています。
 人間は完全で在り得ない。私達の知らない
過去の事を幾ら聞いても「真実」ではない
過去の事より「
未来志向」で平和な戦争のない世界を目指そう!
 そう言い合える国こそ
本当の友好国だと思う。
 
翻って、排他的水域内での資源調査は絶対禁止、科学調査はその国に事前に通知する、というのが取り決められているに関わらず、事前通知なしの科学調査をしていた中国。。それも一度や二度ならずの事。しかし、資源調査と科学調査の区別は外部の者でもはっきり分かるのでしょうか?
 一方、北方領土海域で韓国がロシアと漁業協定を結んで操業するとか、
現在日本が返還交渉しているのをまさか知らない訳がないでしょうに、日本を飛び越えて、それはないでしょうと言いたくなります。本当に北方領土は返って来るのでしょうか。

 どちらにしても、外交手腕の見せ処ではあります。

7/26(木)
 昨日といっても日付が変わっていたので今日、このホームページ、パソコンを替えて作成してから、やっと「まとも」にインターネット上で表示されました。1ページの中に各号を集約させ、全部で3ページ中に21からbR2迄掲載しています。雑記帳、壁掛fは今回新設です。
取り敢えず2ページ分を送信し、これからこの分の更新とぺーじ3を送信します。
 夏休みに入り、当初の夏休みの過し方へのこちらの思惑も外れ、甥子2人は連日だらだらと過しています。向日葵の花も両肩を落とした様にげんなりしている今夏の暑さ、叱る私もエネルギーを暑さに吸い取られ、言葉にも力ないかして全然効き目なし。
 何故か今になって、「夏休み」がある事の意味が解った様な気がしています。
 
 車の窓を開けて走っているとあちら此方から蝉の声が飛び込んで来ますが、風のあった今日の昼間、信号待ちをしていると、右手側から風と木の葉と蝉のハーモニーの様な涼やかな音色が聴こえて来て、太陽直下、一刻の涼感を得る事が出来ました。
 耳を澄ますと、吹く風の心地よさに夢見心地にうっとりと洩れた、それは吐息と思える様な蝉の声と、木の葉のそよぎとの絶妙な音の配合の賜物でした。
 新聞で見たが、アメリカ人には虫の声は「雑音」でしかないとか。
 改めて 細やかな感受性、物ではないものに心銘出来る人間を育んだ
日本の風土に産まれ、生きていることの、その当り前の状況に感謝したくなりました。

7/23(月)
 今日は亡き父の37回忌でした。厳暑の最中て゜もあり親戚には声も掛けず、本当に身内だけで、御住職の読経を要として法要を相済ませました。
<今度の(32)にゃこリン夢現シリーズのペーマガはその事を中心に掲載します。>
 PR中の詩歌集第三集「夢幻」は、その父の事が基軸となっています。気付かない、見えない日々の、時間の重なりの年月を、全て得る事が出来たと思える瞬間があります。
 予想もしなかった180度の自身の転換点、それは享年51歳だった父の歳を私が超した2年余り前のことでした。『瓦解』、時間の重み、時間の得難さ、生きていればこそ、
得られたものでした。
7/21(土)
その形式が現在は需要がないからでしょうか
昨日今日と下の甥子は盆踊りの太鼓に出演、昨日は兎も角今日は上の甥子の誕生日で約束していた誕生日プレゼントの「携帯電話」を買いに一緒に出掛けました。月々の維持費を小遣いで賄わせるので、プリメイド式(60日3000円)のを探しました、がこんなに携帯が溢れている世の中でも、目当ての物は1軒目に置いてなくて、4軒目の所でやっと買う事が出来ました。下の写真は今、デジカメで撮った物です。嬉しそうでしょう。
小遣いを今月から500円アップして2000円にしましたが、それでも月1500円は携帯の維持費で消える事になるわけで、それでも「欲しい」と言う絶対的価値観には、断絶に近い世代のギャップを感じました。こうして同じ平面に生きていても、それがあって当り前の時代に生きている16年と、それがなくて当り前の時代を生きて来た私達世代
とには、その年齢差の分だけの価値の変転、多面性が背後にあります、絶対的に。
 そんな分でケーキやお寿司を買って帰り、ひと息ついて、盆踊り会場に行った時には、丁度2回目の太鼓も終わったところでした。
携帯を手にしたカズリンは色々設定をしたり(着メロ等)昨日の夜から今日と、片時も離さず没頭しています。そして予想通り弟のユウリンにも占用され、それでも「今までにない時間」を過しています。小さい{窓」ばかり見てんと、たまには大きな空を見上げや、と言いつつ見上げてみて、大きいことはないわなぁと、内心で言った言葉を撤回していました。身近な処にあった{美しいもの」に触れる機会を失くし、結局心の寄り処を「ケータイ」に置いているというのが、現代人の(特に若年層)現在進行形の状況でしょうか?

ケータイを手に嬉しい!カズリンその横はユウリンす
7/20(金)
 この機種に変えてからホームページ送信が何故かすんなり行きません。リンクして保存して、送信してもリンク先が表示されないか、或いは違うページが表示される、又「にゃこリン夢現シリーズ」のロゴも消えていたりと、連日此れにかかりっきりの状態です。昨日は、1ページ(トップページ)に6件分のページを掲載させ送信しましたが、以前の儘のページが表示されました。
一考してみます。
今日から夏休みです。今日と言っても今午前1時43分未だ「昨日」の様な気分ですが、甥子達2人の夏休みの過ごさせ方、時間割を作って有意義な日々を過ごすよう叱咤激励したく思っています。そういえば今夜と明日に掛けて我が町会の盆踊りがあります。小6の甥子も太鼓に出演します。連夜の練習の成果がより発揮できるよう、応援したく思っています。2001/07/20 01:57
7/15(日)
 昨日ホームページビルダーのFTP起動させたら、サーバー欄には私のこのホームページがありました。しかし、インターネットに接続して確認すると、以前の4/19号目次の儘、ソフト会社は土日休みで、宙ぶらりんの状態です。
7/11(水)
 ホームページに文章を打ち込むばかりで、7月になってしまいました。そのHPは1回目(7/3)送信したら<宛先フォルダに入り切りません>(合計容量8MB程)、とアップロード出来ず、止む無くBGM5曲を1曲だけに減らしました。
 2度目は(7/9)ファイル数を2回に分けて送信し、1回目を送信してWebで確認したら以前のページ(4/19号)のままでした。もう少し小分けにして、再度送信しようと思っています
6/30(土)
 今日で6月も終わりです。そけだけの「生命」をもう消費してしまいました。
梅雨明け真近、真夏の直近我家は未だクーラーをしていません。若しかしたら、今夜位から、いや未だしないかも知れません。
 最近、同居している甥子の就寝する時間が遅くて、朝起きても暫くは朝食のテーブルの前でゴロン、昨夜も小学6年生の方が就寝したのは午前1時過ぎ、マンガの本を見ていました。
そりゃもう私はひと怒り、激怒です。もう少しでバシン!する処でした。 
以前は10時には寝るようにさせていたのに、
私自身このパソコンに買い替えてから就寝が午前3時頃、目が行き届かなくなり私が一々うるさく言わなくなったらこんな状態。でも昨夜はパソコンの前に座らず居間に居たのに(書き物をしていました)、未だ未だ「構って欲しい」?年頃でしょうか?
ついこの間も私がペーマガを撒きに行って家に居ない時、高1の兄から「お金を借りて」ゲームのソフトを買ってしまっていました。欲しい物がある時は「お金を貯めて」と実行させ、その手に入れたときの喜びの度合いもプラスアルファとして「手に入れさせた」積もりだったのに、日頃から言って聞かせてる事が全て無意味に思えて無力感に苛まれました。
 結局、どちらにしてもやはり未だ未だ「構わなくては」ならないと言う事でしょう。
6/25(月)
 昨日、今日のこの暑さというより、この湿度、まさに『日本の夏」の実感ですが、地球上にはこれと正反対のほとんどが乾期だけの国もある分けで、それを思えば四季ある中の一時、上手に付き合いたいと思います。
 私が「この夏』と付き合うのは今年で55年目、梅雨と湿気と太陽が稲を育てる様に、これが日本人性を育んで来ました。
 未だもう少し、クーラーの点けたいのを『我慢』する事にします。
6/23(土)
 20日付けのホームページビルダーの音楽貼り付けの件、インターネットでIBM宛その件を入力していたら突然画面が変わってしまい、送信出来なかったが21日の夜もう一度貼り込んで見たら音楽機能回復していた。同じ様な事が今日の午後もあった。
 動画機能で「レイアウト」の隣に「エフェクト」と言うのがあるのだがそれが消えていて、一旦電源を切ってやり直したら、ちゃんと「あった」。どういう具合でこうなるんでしょうね。
 話は変わって、先程NHKテレビの出雲の巨大神殿の謎を観ました。去年発掘された直径1.5mの芯柱3本から、保存されている大社の設計図を基にその建物の高さ48m(奈良の大仏殿を超えた高さ)を割り出し、建造の可能性に挑戦していました。M7.5にも耐えられる耐震構造、クレーンもない時代の工法、「温故知新」ではないが、古さの中に新しさがあると、その番組プロジェクト参加者が述べていた言葉が印象的だった。
 このページの3人の写真は、去年浦島伝説の地、日本海浅茂海岸で撮ったものですが、その帰路に立ち寄った「あじわいの郷」の資料館で見た古墳時代の青銅鏡、直径10cmのその中に施された文様の精緻さには本当に感動しました。
 そして、最近はペーマガを各家に配布していても、日本瓦や木製の玄関戸のそれも古びた物に特に惹き付けられます。どんどん量産出来る新しい物より、失われて行く古い物にこそ値打ちがある様に想えるのです。(これが逆転現象の頃は新しいアルミサッシの玄関戸に魅力を感じたのも確かなのですが)
 寄せては返す波の様に、進んでは戻る、それが身体の70%が水分という「海」を持つ、人間と言う形の「基本構造」なのでしょうね。
6/20(水)

 ほぼこのパソコンを使ってのホームページ送信の準備は完了したのですが、一番流したい音楽が゛、最初試験的に貼り込んだ時には(プレビューで確認)出来ていたのに、いざ本番にすべく試してみたらアイコン自体が表示されない始末、原因解明迄(ホームページヴィルダーV6を再インストールしたが効果なし)若干の時間を要すると思います。
6/19(火)
 朝から湿気気味だと思っていたら、此処大阪は昼過ぎから雨になりました。しかし、にゃこリンぺーマガbR0に書いている『河童』さんはめっきり少なくなりました。やがて梅雨も明け紫陽花の花がすっかり失せれば、夏本番です。今日のこの湿度の高さは当に先取った感です。今25時を過ぎ、雨音が強さを増しています。そういえばニュースで、関西の何処かに強雨注意報が発令されていました。
 及ぼされる被害の甚小な事を祈るばかりです。
パソコンを買い替えてもう直ぐ2ヶ月

メモ帳より  2001年  hidaka yoshiko 2001年4月24日にこのパソコンを買いました。買った日に早速起動させ、翌日には microsoftのout lockでインターネットへ通信設定OK迄では良かったが(ホームページ 閲覧も出来た)Emailが受信出来ないと言う状態に直面しました。 今日メーカーの富士通に電話したので何とか善処されるでしょう。 5月13日午前3時送信したいメールがエラーの表示でその理由が「メールアドレスが拒否 されました」とか「パスワードが拒否されました」で、その前にはホームページ閲覧が出来ているのにこれってどう言う事でしょう?(この原因は、サーバーのアドレスが変更されていました)  以前(現在も)使っていたのはワープロでインターネットも出来ると言う類いの物だったから、本物の?パソコンを買って何も分らぬ侭悪戦苦闘していると、人間がコンピュー ターを使っているのか、使われているのかと、思巡してしまいます。先日のテレビで、地球の年譜が変わらず00年と思わせる乾いた大地だけのアフリカと原住民の映像を観たが、 何とシンプルな住まいと生き方だろう、文明国の積み上げたものはただ複雑さ、複雑さが益々迷路を作って行く。其の原住民は現代の科学望遠鏡でしか見えない確か、シリウス星を、 その昔に書き記した物がある事を紹介していた。現代以降の人間はいつか、きっといつかあの原点の姿に還って行くと確信する。0:48 2001/05/14 6/18(月)

 
パソコンを買い替えてもう直ぐ2ヶ月になろうとしています。以前のは、ワープロにインターネット搭載と言う物だったのでホームページの容量がフロッピーデスク1.44MBしか掲載出来ませんでした。2000MEに買い替えて容量の心配は無くなりましたが、内容が豊富な分操作は難解(以前のに比べて、きっと慣れないからでしょうが)、行き当たりばったりにクリックしてヘルプ機能を駆使し、ノートを取りながら音楽録音、再生、を踏破、新たなホームページ作成に取り組んでいます。
 パソコンから音が出ないと思ってメーカーに聞いてみたら
本体からの線が外れていたと言う、そんな自分側のミスもありますが、色々アクシゼントがあります。
作成してから2度も確認したホームページのリンク先が、今日もう一度やってみたら指定先と違うページになっている(8件分も)というのは何故でしょうね。 再度やり直しです。


マイページ
  
一吉と雄樹のホームページ

カズリン

6/19(火)
 高校1年生のかずリンは、只今ケータイが欲しくて欲しくて新聞の広告を一杯集めては、楽しい思案中です。しかし、
 私も持っていない、けれど、別に不便でもなんでもない。
だが、若し持ってしまったら「それが」なかったら不便に感じるやろなと思う。
これは何にでも言える事だけれど、便利さに「慣れる」のが恐い。
だから 「触らぬ神に祟りなし」。甥子にはそう言い聞かせているが、
今時の子、何れは買う事になるでしょう。
 機器と月額使用料の安いのをご存知の方は教えてやって下さい。
何せ維持費は自分の小遣いで賄わせますので。 (にゃこリン記)

7/13(金) 
淀川でブラックバスがよくつれる場所を教えて下さい。      
その場所で釣れるルアーも教えて下さい。
よろしくお願いします。 

7/15(日)
 昨日に続いて今日も太間公園へ釣に行っています。早く一匹でも釣れる様になったら良いのにね。(nya)

7/27(金)
 遂にケータイを手にしたカズリンは、このページにもBGMで流しているnyaのオリジナル曲「ずっと大阪」を着信音に設定した(nyaがしましたが)のを聴いたり、他は何をしているのかずっと離さず、今日も「
ケータイに振り回されんと!」叱った程です。
 あんなに欲しかった物を手に入れて、「嬉しい!」とは言っていますが、私には本当に欲しいものは、物ではない「違うもの」であると分かっています。直ぐに本人も気が付くでしょう。

7/31(火)
 夏休みの課題として「本を1時間読む事」と二人の甥子に言って以後、昨日辺りからやっと実行に移し出しました。今も読み終え、私の横で運動不足といって腹筋運動をしています。
カズリンは家では「虫博士」と言う異名を摂っています。昨日も有名な「玉子が先か、鶏が先か?」と下のユウリンが言い出し、「虫博士」は単細胞の玉子が先や、と言い張り、私はニワトリと言う形に進化した状態で産んだのがその「玉子」なんやからニワトリが先と、暫し議論伯仲。しかし、無精卵の卵と、有精卵(受精卵)の玉子を一緒にしては「答」にならへんわなぁ。
nya
 
ユウリン

6/19 
僕は、小学六年生の竹内雄樹です。趣味は、テレビゲームです。好きな食べ物はめん類(そーめん)です。
 今日は、プール開きがあってとても楽しかったです。そのうえ、自由の時間が15分もあって最高でした。

6/21(木)
 今日、学校の調理実習でこふきいもを作りました。おいしかった。
僕は良い出来だと思いました。

6/23(土)
今日、勾玉の色を塗りかえた。けっこうきれいな水色になった。
それから、久しぶりに友達の家に行きました。ほとんどはマンガを読んでいました。

 (学校から帰ったら早速その勾玉を首からぶら下げ、すっかりお気に入りのゆうリンです。
丸みもうまく仕上げ上手に作ってあります。nya)

7/13(金)
今日は、一学期最後のプールでした。50mを泳ぎました。よかったです。
 今日も、50m泳ぎました。もっとがんばりたいです。

7/15(日)
 今日、友達の家に遊びに行ったけど友達が居なかった。それに、昨日友達の家に帽子を置いてきてしまった。それは、いつ取りに行けばいいのか分からないので困った。


8/13(月)
 お盆に入りました。今年は北海道在住の甥子2人の父方の祖母が亡くなり初盆になるので北海道に行く筈だったのに、その北海道に居る父親から連絡がなく、楽しみにしていた2人だけにガッカリという処でしょうか。夏休みに入ってから1日1時間の本読みを課題にさせ2人共励行して読んでいます。上の高1はシートン動物記シリーズ、ファーブル昆虫記の再読、下の小6は「地底旅行」「杜子春」「蜘蛛の糸」等です。
 ゲームはしていますがパソコンの前には座らないので私が(nya)が打ち込みました。明日か明後日京都へ墓参りに行く予定です。





既掲載分
『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン


ここをクリック。


「夢幻について}
 本夢幻は自伝ではない。
自伝を書く程、偉業を成し遂げたわけではない。
 又、自分史でもない。
それを書くほど興味深い人生を送ったわけでもない。

"はいくぎり 心象風景 ワンカット"

「偉大なる 芸術家の 想い出」は
夢現の 夢弦 「夢幻」に 無限 

             
     
申込み受付中 夢幻申込みクリック
  
詩歌集夢現第3集★「夢幻」★    

〈全第5部迄〉¥1500日高よし子
    上下2段全180頁>               

感動感  それは 人類が 
勝ち取った最高の 栄光である☆ 
 

にゃこリン夢現シリーズは
ペーパーメールマガジンとして
戸別配布したのを掲載しています。


(『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン』    
34 《2001年8月20日号》    

 『墓 参』                      
迎え火を 忘れて 昨日 送り火も 
17日に 送迎 あいすみ”  
  
 
 どうした事か今年は入り盆の時の迎え火を忘れ、はたまた16日の送り火も同じくで、

17日に纏めて(意味が無い?)自分の気持ちとして済ませました 
。それでも墓参だけは忘れず15日、いつもの様に甥子2人と共に京都へ車を

走らせました。

ホームページにその時の事載せていますが一部此処に掲載します。                                  
 墓参寺へ着くと、此の時期の恒例の如く蝉の合唱のお出迎え。       


   
真夏陽や 樹々が日傘の 墓参道                
 
墓への一段一段の階段を上がる樹々の茂みの中、土から出てきて
剥き出しになった根があり触れてみると硬く石の様で、そういえば木の幹を
触ってみれば、やはり石の様です。石と木、生物学上は兎も角も余り区別しなければならない事ではない様に思えてきます。                       
 それにしても、樹々の日傘の有り難いこと。階段を登り切った本堂の奥が
我が日高家の墓で、恒例の如く墓を洗い、供花お供えをし各自手を合わせ
近況報告を行い、その後住職の読経で墓参を終えました。               

 


その後、嵐山の方へ車を走らせ、
                      
 ”ひとたびの 流れが 全て かつら川”
 の桂川に降り、勿論私も甥子と共に足をその浅瀬に浸らせ
、ひんやりとした涼感を肌で堪能しました。      
時刻的に言って、まさに
「夏は川原の夕涼み」でした。             
 
山と川の間の新しくなった渡月橋を見遣り乍ら、今日が終戦記念日である事を想い、戦火を免れた京都であってもきっと、その熱さ、爆音は近かった事と思遡され、    
 
     ”水あつし 終戦記念日 桂川”
                     
   
  ”水あそび 終戦記念日 桂川”                  
     
”水おちで 戦う水や 今日生きる”              
 川の段差で急流の如く墜ちる水おちの「水」を見ていると、
戦後生まれの私なれど当に「戦時」を想像、彷彿し、お盆の
終戦記念日の今日は桂川に終戦時の流れが一時に戻った様に
思えました。                  
 「負けた」、きっと「悔しかった」だろう日本人。            
それを忘れるな、そう言われた様な気がする。               
どちらにしても、敗戦という終戦記念日は終わりました。          
 帰路はペーマガを少し撒き、八つ橋をぼりぼり食べ乍ら
車中の人となりました。                                  
    ■               ■               
『夕焼け』                       

 ”亡き妹も きっと輪の中 盆踊り”                  
 8/20は私の妹(甥子達の母)が亡くなって丸8年の日でした。    

盆踊りが何より好きだった妹は生前その下の妹と(昭和58年没)少々

遠くても連れ立って盆踊り巡りをし踊っていました。               

前日(19日)の寝屋川まつりの盆踊りを見ていて、妹が生存ならこの輪の中に

間違いなく在たであろうと、そう想うとどこかで踊っている様に想えて来ました。

「好きなもの」「好きだったもの」、それこそ生前から死後まで一貫する唯一の「存在」と言えるものでしょう。
 その上空、人生の光景の様に、人生の断章の様に暮れてゆく空に、
後の人工的花火も負なわない、暫し留まる夏の如き
真っ赤な夕焼けの色。     

  
”夕焼けや 燃え尽きてこそ 生命なり”               
    ■               ■               
俳句短歌                          
◆亡妹と 参りし墓に 今は眠る 花入れの水 溢るる 悲しみ  

 ◆6人の 弟妹(きょうだい)も 4人逝き 墓は狭きか 此方は 広し    

◇空梅雨を まとめて 今日に 大夕立                  

◇地を台座 猫も像なる 夏不動                     
    ■               ■               

 
『京 都』第2部 母「夢幻」(P52〜より)   
 五条坂を上がる。突き当たりが、清水寺の参拝道。
この三年坂の下のお寺が菩提寺。五輪塔、長方形、お地蔵さま。
三基がびっしりと立っている。母が、墓屋に推められる侭、購入、
建立した。京都と言うことに、別段意味合いがある分ではない。
ただ、私が若い頃よく京都へ行っていたので、其処ならば、
後々参ってくれるであろうと、母も、京都へ降り立ったとか。         
 この強固にして、黙して、語らず、変わらぬ墓石も日本の
遺物であろう。 
 
楓の樹々と葉に囲まれ、緑蔭に真夏の陽射しも
吸収される感がある。    
動かし難い「死」と言うものを見詰めて来た日本人の永さを、
私も見詰める。 
 墓参りの後は、珠に清水寺参道の店で八ツ橋を買って帰る。      

又、珠に「七味屋」さんの山椒も。 どの店も古さが、誇りの老舗。     

誇れる物が遺っている、京都の町。                   
新幹線がスピードアップする様な時代の速さの中で、その「古さが佇む」域に踏み込むと、

時計の秒針と、空気の長針がやっと噛み合う。         
 帰路、東寺の五重の塔の側の信号を右折するので、大概、
信号に掛かる。  
そして、つくづくと
五重の塔を見遣る。その「巨大さ」に圧倒される。  

 海の大きさの様な、「時」の広さというか、佇まいの永さに。     


証明の様な千年前の手触感を、見る。                          
  
何世代もの風景を見て来た、五重の塔。                
  何世代もの人が見た、五重の塔
。                   
 
全て手作業だった、一本一本の材料の木に込めた、
職人さん一人一人の思い入れの密度の分が、現在も尚
「時間の鎮し」となってビクともしない。    
 新幹線も、もっと早く成るだろう。益々、時代は加速される。
この先千年後は予測も付かないけれど五重の塔は存する。
そう信じたい。         
 私達は、死後、何も遺せないが、遺せるものがある。         

 日本と言う国の、「五重の塔」を築いた「職人さんを仰ぎ見る」。      
“新幹線 後にも先にも 五重の塔 
  早まる速度 「時」の重しに”   

   ■               ■                
 
『文 明』      夢幻P60〜より            
 文明は 後に 戻れない                        
人間が爆弾を造った日から 自身もそれに 見舞われる 
可能性を孕む     
文明は想像力の産物   「第3の波」に対処する             
想像力を働かせる事が これからの 
各自の 自衛手段に なるだろう     
「知らなければ良かった」………                       
いつか きっと そう想う日が 来るであろう。                

ディスカバリー 万葉仮名から ひらがなへ
「時代のページ」 人類の宿題
 
    ■               ■               
 ☆感動感 それは 人類が勝ち取った    
    最高の 栄光である
              
    ■               ■               
インターネットホームページこのトップページに              

私の歌「ずっと大阪」を、                    

ページ2には 「あの月と」                

BGMで流しています 詞曲日高よし子                 
    ■               ■               
”                                          

にゃこリンのインパクト・ニュース   
@結局、小泉首相は8月13日に靖国神社参拝されました。
「8月15日」と有言せずに、8月15日「不言実行」すれば良かったのではと思います。

それに関してか、現在自民党の山崎幹事長が東南アジア歴訪中ですが
経済支援する国に対してわざわざ謝罪して回ってるんですか?
以降の「外交カード」にして下さいと、卑屈さを晒してる様なもの。
中国韓国を増やさないで!    
    ■               ■               
にゃこリンスペース                    
 我が子を虐待死させる事件が頻度を増しています。
私のホームページ、
ページ3
 にゃこリンスペース去年分
11/11号 「愛ある躾」及び11/4号「母の愛」には、
そんな人間の行為が恥ずかしい、動物たちの哀歓を
掲載しています。併せて御覧下さい。                       

■本紙は詩歌集第3集「夢幻」
及び「私の歌」等のPR誌です■                 ■               ■                
申込み受付け中               
詩歌集夢現第3集★「夢幻」★     
<上下2段全180頁>           
〈全第5部迄〉¥1500日高よし子著                 
お問合わせ先■ 〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3−7    

 創作編集配布■  日高よし子  рO72−832−6640         


(にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン)                          
bR3《2001年8月8日号》 
『八 月』                     
8月だと思ったら早や立秋も過ぎました。暑さはその勢いを持続中ですが、
暮れて行く日脚は確かに短くなっている事に気付きます。                  

 八月………日本にとっては特別な月。            
 それは被爆者、戦没者慰霊祭と毎年執り行われる行事に象徴される
、終戦記念の月。私は戦後生まれですが、子供の頃母から「食べる物がのうて配給所に並んで、

やっと食べれたのが芋雑炊みたいに水っぽいやつやった………」    「日本は負けると思た、

焼夷弾が一杯降って来るんやから、空襲警報が
鳴ったら皆防空壕へ逃げて、恐かった、そやけど終いには、そんな事ばっかりやっ 

たから、もう負けてもええから、はよ戦争終って欲しいと思た」
戦後近辺に生まれた人はきっとこういう話を、何度も親から聞かされた事と思いま
す。  

十分過ぎる程の「平和教育」になりました。                    
負けてもええ………その先の想像力。その差が、父と母の「絶対的相違」
                 
詩歌集夢現第三集「夢幻」              

第2部父・瓦解 (P63より)          

『不 動』            
 「その時で」生まれる事が無かったかも知れない、私、そして、弟、妹達。 
 その時に、あなたの「覚悟」が「不動」だったら………          
徴用先(軍需工場)から、帰阪する母と一緒に帰らず、空襲警報が鳴っても、 
防空壕に逃げ出さず、爆弾の雨降る日本の前途に、多分敗
戦と言う絶望しか  
見えなかったであろう、その時に………              
    
 その、あなたの側に、本当に爆弾が落ちて………
それは、精神の及ばぬ、  
体の反射神経が、条件反射の様にあなたをその場から、逃げ出させたのでしょう
。 
 「その時に」不動だったら……………         
そして、敗戦の翌年に、私が生まれて以後、弟妹、私を含めて全部で六人中 
、四人も没し、あなたが亡くなって、今年七月で丸三十三年(平成十年時)。 
その時の、偶然の「生」の、意味を知り度いものです。     
     
                         

(以上 「夢幻」より)   
 
『偶然の生の意味』               
 
そして「偶然の生に意味」があった事の経緯は、「夢幻」第三集「父・瓦解」を
読んで頂ければと思う。「瓦解」を記して以降、より客観的に自分自身の内の
「父の部分」「母の部分」を観る事が出来る様になった。   
 いま父と母の「絶対的相違」を見据え、その時の父の心情を想う時、私は、 
父のその「潔さ」を由とする。それこそ「日本人」であると誇らしく思う。  
 そして、それを、そう想える自分自身こそが、「父」なのだと、認める。  
 右記の『仕事上の「物質的頂点」』への足掛かりは、亡父が併業していた
不動産業という同種の職業を、私が選択した結果でした。
それを想う時、私は私と、意気がって生きていても、所詮、父の掌の上で生きていたのだと、

憎しみまでも愛、という親子の宿縁の展開、ひいては広義に亘る「縁」というものの要素性、

「現世の鏡」の「来世」か、「来世の鏡」の「現世」か、
その綱引き の果ての
「金字塔」。         
 是れの功労者は、勿論、「私」だけではないと言う事です。 
       
   ■               ■                
 第2部
瓦解 「夢幻」(P64〜より)               『桃色の夢』(平成11年1月26日・記)                 “お雛様 夢の芽 手折り 桃の花”                  
 
人は、いつ迄も、其処から抜けられないのだろうか?             
少し前、TVで再映された、故黒沢明監督の「夢」という映画。         
あの映画の中で、「お雛様」が動き出して舞うシーンがあった。         
綺麗かった………ああいう、夢を、見たかったと、想う。            
 若し父が現在生存なら、私が少女の頃そして、それ
降も、ましてや大きな   
家だったのに、なぜ、お雛様が無かったのか?聞いて見たい。…
………      
 
家を建築中の時、楽しみで自転車でよく工事現場に見に行った。「子供部屋   
があって、私の部屋があって……………」と、勝手に心の中で、設計していた   
。が、出来上って、がっかりした。大きな家だった。が、「父の家」だった。   
将来の「商品」として、建築したかどうか(父は、不動産業も営んでいた。)   
知らないが、二階建の全部で九部屋中床の間のある部屋が三つ、子供部屋の無 
い、全く夢と裏返しの家だった。父母と、私が一番上で中学二年生、下に五人 
いて、一番下が二才。この家族構成の住む、此れがその「家」だった。    

 種子があっても、土壌が無ければ、芽も出ようがない。 
         
これを機に、私は、此の種の種子を、決定的に葬り去った。         
 ただ、現在は、「小さな器」しか持っていない人は、いつ迄も、「大きな器 
」を持ちたいとと思う様に、「その器の家」に住んだ事は、その「思い」を持 
たずに済んだ、とは思える。(それは、ただ広いだけで、広い故に、どんなに 
空っ風が、吹き抜けていただけかと言う事も) 又、「第一部」にも記した、 
私自身の仕事上の「物質的頂点」の虚しさ。でも、それを「持った」からこそ 
、それが「解った」。そして、現在がある。………正反対の「たゆやかな刻」 
……… でも、時折、ふーっと、溜め息の奥の奥から、それは結局、
大、小の器関係無く「その頃の永遠の渇望」が、めを出し、見たかった、持ちたかった 

、「
桃色の夢の花」を、開(さ)かせるのです。              
   ■               ■                
 
 8月8日は(パチパチ)そろばんの日でした。             
 それに因んで、少女の頃を思い出して創った心象歌を下記に。
       
   ■               ■                
私の歌「あの月と」  詞曲 日高よし子   
 1 あれも やはり 十才頃 冬の夜                 
算盤学校の 帰り道 歩けば 歩く                
 走れば 走る 止まれば 止まる                 
 黄色い月と 変わらぬ 距離の                   
   あの道を 一緒に 手を繋いでた 
まるで それは 私の影                    
 
2 あれから 40年余り 冬のよ                   
   ただその数 重ねただけで                     
    歩いてみても 走ってみても                   
    座った儘の 白い月 
 変わらぬ 少女の あの頃へ
  時を解いて 駆けて行く                      
   黄色い服来て 私の月へ                      

 (詩歌集夢現第2集「夢弦」より) 
俳句短歌          
◆蝉捕る子 運の悪さは 誰のせい?
◆暑い!暑い! 人生の夏は かく過ぎぬ 
◆海のいき 吐く息 吸う息 波永し
◇はなわいきる 鏡の人は 枯れてゆく
◇風亘る 彼 の果てから 此の果てへ
            

感動感 それは 人類が勝ち取った最高の 栄光である    

にゃこリンのインパクト・ニュース
@小泉首相の靖国神社参拝問題が連日のメディアの標的ですが、お彼岸、お盆 
、死者の慰霊の為お墓参りをするという、日本人の文化的習慣。       
 その国民性に於ける、戦死者への、国民を代表しての内閣総理大臣の参拝。 
それは、その時代を通過しなければならなかった故の、戦死者及び「刑死者」 
へのせめてもの鎮魂と、その犠牲という代償の上に成り立っている「現在」の 
生活への感謝の翻姿です。これは国柄の違う国からいちいち干渉される筋合い 
のものではない。中国の外相が田中外相へ「参拝しない様ゲンメイした」とか 
、それに同調した田中外務大臣。この国の特異な処は、国民が「国民」でない 
事。日中国交回復以前から首相参拝はあったのに、公式参拝時の抗議で取り止 
めて以降、中国の「外交カード」となった。ゲンメイされて、今回又、取り止   
めたら日本は世界の笑い者、属国と看做す事でしょう。           
 日本のODAこそ、今「外交カード」にすべきです。           
国内のゴタゴタで外務省の機能不全の間に北方領土海域では韓国、北朝鮮、    
ウクライナのサンマ漁がロシアとの間で決められました。領土返還など幻。
外交の構造改革を            

にゃこリンスペース                  
 
好きな色のクレパスを取って、好きなもの描いてと2才の子3人に言いまし 
た。すると、ひとりの子は黒だけを、もうひとりの子は
だけを、そして 
もうひとりは白、
黄色他と自由に手に取り、丸を描き、
それだけは 皆同じでした。色は「家」で与えられるのを、選ぶ様です。            ■               ■               
本紙は詩歌集第3集「夢幻」及び      

「私の歌」等の PR誌です  
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詩歌集夢現第3集「夢幻」            

<上下2段全180頁>           
全第5部迄〉¥1500日高よし子著
  
               
 お問合わせ先 〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3−7         
 創作編集配布  日高よし子  рO72−832−6640



(『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン』
32 《2001年7月23日号》                                 
 「時間」の値打ち                   

平成13年7月23日は、第3集「夢幻」第2部父「瓦解」に掲載している       

我が父の37回忌でした。当日仏壇の掃除をしていて、改めて古き良き物への    

思い入れを強くした。新しい物はお金を出せば買う事が出来る、「古さ」は、     

年数を費やしないと手にする事が出来ない。                        

生前の父が40年前に建てた当時の海老江(福島区)の家には、この仏壇が    

燦然と金色に輝いていた。父の人生の最頂期の象徴の様に……(父ひとりだけの)。 

現在金箔は薄れ、黒檀の色は剥げ落ち、処々ボンドで汲っ着けて………    

昔日の面影はどこにもありません。が、めったに開ける事のない扉の中の
引き出し二つ。其処だけは昔の侭の煌びやかさをとどめて、それを見るに付けこの 

仏壇の素晴らしさを再発見します。金箔の縁飾り、蒔絵風金描絵。
父はこんなに芸術的な物を購入していたのか、物を見る眼が培われて、

やっと父の値打ちも理解する事が出来ました。
そして、その為の[開けずの扉]であったと思えてなりません。                                
 40年という歳月の間には、これを買った父を先頭に、弟、妹、妹、弟が亡 
くなりました。現在母、妹、私と3人以外に唯一、我が家族の事を知っている 
「証人」の様なこの仏壇。父は、「夢幻」にも書いている様に、大阪では最盛夏と言われる

天神祭りの宵々宮に息を引き取り、翌日大阪の中心部のお寺で盛大に葬儀が執り行われ

ました。しかし涙を流したものがいたかと(私の母も含めて)おもいを返しています。
 臨終の未だ前、「本人」の前で葬儀の段取りの(仕事関連の人)言葉を耳にしました。

そして、臨終時の私への「ビー玉の眼」。泣く事が出来なかった、そんな風にしか見送れ

なかった私を、自分の人生の結論として逝かなければならなかった父。
その事を法要の当日おもいだし、初めて、父の為に
「泣く」事が出来ました……。
 私と言う人間も、すっかり
「古く」なったけれど、それは年数を積んでこそ、やっと手に

する事が出来たものです………。      
 時間の経過を、失っていくと、誰が定義付けたのでしょうか?       
 年々得るものを発見する度、それはただの寿命の減少、表面的な概念である 
と定義付けたくなります………。                     
 時間の重み、得難さ、過去の全ての時間を掌中にした、と感じられる「時」が
きっと誰にも訪れます………。                     
     
 ■               ■   
          
『甥子の誕生日』                    
 その2日前は、高校1年生の甥子の16才の誕生日でした。そして、遂に買 
ってやったのです。
ケータイ
を!                 
 本人の小遣いで賄えるJフォンのプリカー式のです。片時も離しません   
     
 ■               ■  
           
 「夢幻」  第2部父瓦解より(P77〜)    
         ……… (略) ………                
 父は耳の良い人だった。武士が音なき音を察知する如く、動物的聴覚に秀け 
た人だった。                              
 クラッシック音楽を聴いていて、私が受ける感動感の極みを、母も感じる分 
ではない。と云う事は、父の肉体を、耳を受容せざるを得ない。
 人生は、問題集を解く様なもの。意識的な問いと、無意識的な問いがあるけれど、

解いても解いても問いが生じる。
それが、生の意義かも知れないが………四〜五年前、クラッシック音楽の感動感を識った時、

人間である事の意義に想い至った…… 
…三年前、前橋汀子さんのバイオリンの音色に出会った時、この究極感の故
、それ迄の音楽は
前奏曲」に思えた。
 二年前、ミサ曲が私の前に、雲の絨毯を拡げて呉れた。(何れも平成12年当時

その「感動感」の節目、節目が「解答」だった。                       

そして「現在」の解答は、それ等此れ等は、一番否定したかった、していた 
「父」のその遺伝子を引き継いだからこそと、全てを解き放して想えるのです。 
 これこそが、私の「命題」だった。                               

 地球の型の球形………どんなに高い所から見ようが、百八十度しか人間の
視界には入らない。立っている場所を変えなくては………
両極を知る事はない。   

昭和四十年に死亡した父の病名は、肝硬変であった。幸いに、私はその面の   
血は繋いていないが、晩年の父は休みの日等、一升の酒を軽く空けてしまって   
いた。「飲んだら、命の保障はしませんで」医者にそう云われたと、父と母の話を、
小耳に挾んだ事もある。「酒で死んだら、本望や」とも………。
何が、父をそうさせていたのか?……… 戦後の金科条の如き復興と繁栄、それを錦の

御旗に突っ走った父の、それが「晩年」。                  
 そして、「繁栄の隆盛」の侭、対極側を知らない侭、散ってしまったが故に   
、「ビー玉の眼」を遺さねばならなかった父。 規模は比べものにならないけど、
或る時期私も物的頂点に在て、虚しさも識った。そして、バブルの泡と共に失職して

、現在に至っている。                       
 「時は、金なり」と、云うけれど、「金は、時なり」と、私の場合、物質的な物に価値を

見出だせなかった事に依って「永らえた生命」の内に、いつか立っていた
「対極の位置」。それは結極この「命題」の為、と………
永い、長い、五十三年(平成11年10月31日で)でした。            
 彼(あ)の世の極楽とされるもの、それは「
感動感」と云う、美感の極致。 
よく例えられる「其処は、
花々が咲き匂い…」と云う具合に………      
孔子の有名な言葉に『五十にして天命をしる』と云うのがあるが、「生」ある 
時に、私が其れを得る事が出来たのは、四年前の、五十代の一年前、
その生を、「彼岸」に置いた時以降、「脱私」した時からであった。         
    
美感生 そこが初めの 彼岸生”                   
 
結極、それをこそ、云いたかった………              

全ゆるものへの「感動感」も、亡父との「瓦解」も、そこが、出発点だった… 
。 

   【
天上絵 うつす地上絵 我が魂】                   
     ■               ■              

 俳句短歌                           
◆重圧感 「大暑」の如く 亡き父は                   
◆遥かなり 「自然界」へ 還る道 郷愁の すむ 鈴虫(
すず)の音色おといろ  
◇最盛夏 37回忌 亡き父に 時間が 絞った 「涙」供えん       
◇待ちわびた? 携帯電話を プレゼント                 
  甥子16(
) ハッピーバースディ                   
    ■               ■  
       
 
本紙は詩歌集第3集「夢幻」及び      

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 ■               ■    
私の歌
 作詞曲 日高よし子              

木魂」 前橋汀子に寄せて

スラブ舞曲〈ドボルザーク〉                  
2.いつか見たやら あの空の色  暮れ切る間際の 藍色の空       
  何を見たやら あの空の果て  流れる雲が 呑み込まれて行く     
   生まれる前の 青い碧い その 空の青さが 恋しくて        
   昔へ 連なる 水の記憶 あの音色が 今 此の部屋に        
  塵に 土に 混みれようと 仰ぐ空の 青さに 溶けて行く 
      
        
■               ■               
☆感動感 それは 人類が勝ち取った       
    最高の 栄光である
                       ■               ■              

にゃこリンスペース                  

 
炎天下 誇る 白さを さく 木槿                  

 
「朱に混じわれば あかくなる」という諺があるが、夏のイメージを、火の 
様な赤とするなら、赤く咲くのは他易い事。                
燃えたぎる炎天下に、太陽に焼かれる事なく、白さを死守し、慎ましやかに咲 
く 木槿の花───何よりも、その精神性に 惹かれます          
───それこそ「日本人の魂」。                     
   
 ■               ■               
にゃこリンのインパクト・ニュース      

@29日は参議院選挙の投票日ですが、この日曜日のTVサンデープロジェク 
トで与野党共に小泉首相の靖国参拝に異を唱えていたが結局問題にされている   

のはA級、B級戦犯が合祀されているからの様である。             
 思うにこの人達が裁かれなければならないとしたら「戦争に負けた」事。    
それ故、勝者による裁判で戦犯にされ、処刑された。若し勝っていれば、どん   
な事でも容されていた筈だ。以前にも書いたけれど、その時代に在れば、どん   
な対応が出来たか?と各自が自身に問うてみれば良い。             
 ただ、戦争時の死者は皆「戦死」であると思う。首相は、靖国神社だけでは   
なく、名もない戦争犠牲者達の千鳥が淵墓苑にもお参りされたらと思う…
……   
。   ■               ■
                 
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詩歌集夢現
第3集★「夢幻               

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にゃこリン夢現シリーズ
bR1》【7/8号】
魂のバースディ、シャコンヌ、魂のハーモニー、ニュース、ハートの鏡、木魂の歌詞

《bR0》【6/21号】
河童、記憶という風景、存在、俳句短歌、クローン凍、六月の雨
ニュース


《bQ9》【6/6号】
六月,五月から六月、俳句短歌、ニュース、食物連鎖
、雨が降る


《bQ8》【5/20号
参観日、約束された人生、俳句短歌、そして五月は

《bQ7》【5/6号】
地球の種子、或る地球、胎動感、蟻と象、まれびと

にゃこリンの壁掛

俳句短歌の書画の壁掛 

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にゃこリン夢現シリーズ

《bQ6》【4/19号】

さくら、桜 花道、四月に、俳句短歌、
かみさま、ニュース


bQ5》【4/4号】辛夷花、当り前の愛国心、ニュース、たぬきときつね

bQ4》【3/8号】シャボン玉・郷愁・暗景・ニュース(現代のキレる副産物)

bQ3》【2/21号】自己責任・木の葉の記憶・宿命の形・目カッチン・他  

《bQ2》【2/6号】節分・父「柏手」・ビー玉の瞳・ニュース・今だから@


bQ1》【1/23号】20世紀から21世紀・野島断層・他人事・恥を知る。俳句等


《私の歌》一瞬の・ずっと大阪・紫陽花・ときめき夏

ページ3(2)
にゃこリン夢現シリーズ

《20》【1/7号】21世紀に寄せて・地球は青かった・UFO・とことんアメリカ
《19》【12/17号】天の川途上・赤子・12月・高さを買う?・ニュース
【♪私の歌♪創詞曲集】ずっと大阪・一瞬の・紫陽花・ときめき夏
《18》【11/27号】学問の意義・幸福感・ぼた餅・ニュース内閣不信任案
《17》【11/11号】日本の空間・光の天使・ほどほどの・愛ある躾・ニュース

<bP6>(11/4号)誕生日、雲の中の音色、母の愛、ニュース


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走る。

  “墓参坂  ゆく 人 かえる   彼岸”                                            “墓参段 一段  一段と  蝉の聲”                                                “亡妹と 参りし墓に 今は眠る 花入れの水 溢るる 悲しみ”                                       “六人の 弟妹(きょうだい)も 四人墓は狭きか  此方は広し”                                   “父が逝き 弟妹(きょうだい)四人も 先立ちて 年経る毎に  ちかしき顔よ”  
  “彼岸なる 彼方より来る 春のいき 木々の末裔 墓石に柔き手”                                   “墓の塵  禊(みそ)ぐ 私が  禊がれて”                                         

─────





































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン)                             
bR3《2001年8月8日号》 
『八 月』                     
8月だと思ったら早や立秋も過ぎました。暑さはその勢いを持続中ですが、
暮れて行く日脚は確かに短くなっている事に気付きます。                   八月………日本にとっては特別な月。
            
 それは被爆者、戦没者慰霊祭と毎年執り行われる行事に象徴される
、終戦記念の月。私は戦後生まれですが、子供の頃母から「食べる物がのうて配給所に並んで、やっと食べれたのが芋雑炊みたいに水っぽいやつやった………」    「日本は負けると思た、焼夷弾が一杯降って来るんやから、空襲警報が
鳴ったら皆防空壕へ逃げて、恐かった、そやけど終いには、そんな事ばっかりやっ たから、もう負けてもええから、はよ戦争終って欲しいと思た」
戦後近辺に生まれた人はきっとこういう話を、何度も親から聞かされた事と思いま
す。  十分過ぎる程の「平和教育」になりました。                    
負けてもええ………その先の想像力。その差が、父と母の「絶対的相違」
                 
詩歌集夢現第三集「夢幻」              第2部父・瓦解 (P63より)          『不 動』                   
 「その時で」生まれる事が無かったかも知れない、私、そして、弟、妹達。 
 その時に、あなたの「覚悟」が「不動」だったら………          
徴用先(軍需工場)から、帰阪する母と一緒に帰らず、空襲警報が鳴っても、 
防空壕に逃げ出さず、爆弾の雨降る日本の前途に、多分敗
戦と言う絶望しか  
見えなかったであろう、その時に………              
    
 その、あなたの側に、本当に爆弾が落ちて………
それは、精神の及ばぬ、  
体の反射神経が、条件反射の様にあなたをその場から、逃げ出させたのでしょう
。 
 「その時に」不動だったら……………         
そして、敗戦の翌年に、私が生まれて以後、弟妹、私を含めて全部で六人中 
、四人も没し、あなたが亡くなって、今年七月で丸三十三年(平成十年時)。 
その時の、偶然の「生」の、意味を知り度いものです。     
     
                         (以上 「夢幻」より)   
 
『偶然の生の意味』               
 
そして「偶然の生に意味」があった事の経緯は、「夢幻」第三集「父・瓦解」を
読んで頂ければと思う。「瓦解」を記して以降、より客観的に自分自身の内の
「父の部分」「母の部分」を観る事が出来る様になった。   
 いま父と母の「絶対的相違」を見据え、その時の父の心情を想う時、私は、 
父のその「潔さ」を由とする。それこそ「日本人」であると誇らしく思う。  
 そして、それを、そう想える自分自身こそが、「父」なのだと、認める。  
 右記の『仕事上の「物質的頂点」』への足掛かりは、亡父が併業していた
不動産業という同種の職業を、私が選択した結果でした。
それを想う時、私は私と、意気がって生きていても、所詮、父の掌の上で生きていたのだと、憎しみまでも愛、という親子の宿縁の展開、ひいては広義に亘る「縁」というものの要素性、「現世の鏡」の「来世」か、「来世の鏡」の「現世」か、
その綱引き の果ての
「金字塔」。         
 是れの功労者は、勿論、「私」だけではないと言う事です。        
   ■               ■                
 第2部
瓦解 「夢幻」(P64〜より)               『桃色の夢』(平成11年1月26日・記)                 “お雛様 夢の芽 手折り 桃の花”                  
 
人は、いつ迄も、其処から抜けられないのだろうか?             
少し前、TVで再映された、故黒沢明監督の「夢」という映画。         
あの映画の中で、「お雛様」が動き出して舞うシーンがあった。         
綺麗かった………ああいう、夢を、見たかったと、想う。            
 若し父が現在生存なら、私が少女の頃そして、それ
降も、ましてや大きな   
家だったのに、なぜ、お雛様が無かったのか?聞いて見たい。…
………      
 
家を建築中の時、楽しみで自転車でよく工事現場に見に行った。「子供部屋   
があって、私の部屋があって……………」と、勝手に心の中で、設計していた   
。が、出来上って、がっかりした。大きな家だった。が、「父の家」だった。   
将来の「商品」として、建築したかどうか(父は、不動産業も営んでいた。)   
知らないが、二階建の全部で九部屋中床の間のある部屋が三つ、子供部屋の無 
い、全く夢と裏返しの家だった。父母と、私が一番上で中学二年生、下に五人 
いて、一番下が二才。この家族構成の住む、此れがその「家」だった。    

 種子があっても、土壌が無ければ、芽も出ようがない。    
      
これを機に、私は、此の種の種子を、決定的に葬り去った。         
 
ただ、現在は、「小さな器」しか持っていない人は、いつ迄も、「大きな器 
」を持ちたいとと思う様に、「その器の家」に住んだ事は、その「思い」を持 
たずに済んだ、とは思える。(それは、ただ広いだけで、広い故に、どんなに 
空っ風が、吹き抜けていただけかと言う事も) 又、「第一部」にも記した、 
私自身の仕事上の「物質的頂点」の虚しさ。でも、それを「持った」からこそ 
、それが「解った」。そして、現在がある。………正反対の「たゆやかな刻」 
……… でも、時折、ふーっと、溜め息の奥の奥から、それは結局、
大、小の器関係無く「その頃の永遠の渇望」が、めを出し、見たかった、持ちたかった 

、「
桃色の夢の花」を、開(さ)かせるのです。              
   ■               ■                
 
 8月8日は(パチパチ)そろばんの日でした。             
 それに因んで、少女の頃を思い出して創った心象歌を下記に。 
      
   ■               ■                
 
 私の歌 「あの月と」    詞曲 日高よし子   
   1あれも やはり 十才頃 冬の夜                 
     算盤学校の 帰り道 歩けば 歩く                
     走れば 走る 止まれば 止まる                 
     黄色い月と 変わらぬ 距離の                   
     あの道を 一緒に 手を繋いでた                   
       まるで それは 私の影
                    
  2あれから 40年余り 冬のよ                   
   ただその数 重ねただけで                     
    歩いてみても 走ってみても        
           
    座った儘の 白い月                       
   変わらぬ 少女の あの頃へ
                    
   時を解いて 駆けて行く                      
    黄色い服来て 私の月へ  
                   
                  (詩歌集夢現第2集「夢弦」より)  
    ■               ■               
    
俳句短歌                        
◆立秋に 蝉の なき聲 一段と                     
◆蝉捕る子 運の悪さは 誰のせい?                   
◆暑い!暑い! 人生の夏は かく過ぎぬ                 
◆海のいき 吐く息 吸う息 波永し                   
◇はなわいきる 鏡の人は 枯れてゆく                  
◇風亘る 彼あ の果てから 此の果てへ  
                
    ■               ■               
感動感 それは 人類が勝ち取った     
    
最高の 栄光である              
    ■               ■               
にゃこリンのインパクト・ニュース          @小泉首相の靖国神社参拝問題が連日のメディアの標的ですが、お彼岸、お盆 
、死者の慰霊の為お墓参りをするという、日本人の文化的習慣。       
 その国民性に於ける、戦死者への、国民を代表しての内閣総理大臣の参拝。 
それは、その時代を通過しなければならなかった故の、戦死者及び「刑死者」 
へのせめてもの鎮魂と、その犠牲という代償の上に成り立っている「現在」の 
生活への感謝の翻姿です。これは国柄の違う国からいちいち干渉される筋合い 
のものではない。中国の外相が田中外相へ「参拝しない様ゲンメイした」とか 
、それに同調した田中外務大臣。この国の特異な処は、国民が「国民」でない 
事。日中国交回復以前から首相参拝はあったのに、公式参拝時の抗議で取り止 
めて以降、中国の「外交カード」となった。ゲンメイされて、今回又、取り止   
めたら日本は世界の笑い者、属国と看做す事でしょう。           
 日本のODAこそ、今「外交カード」にすべきです。           
国内のゴタゴタで外務省の機能不全の間に北方領土海域では韓国、北朝鮮、    
ウクライナのサンマ漁がロシアとの間で決められました。領土返還など幻。  
 外交の構造改革を                          
    ■               ■               
にゃこリンスペース                  
 好きな色のクレパスを取って、好きなもの描いてと2才の子3人に言いまし 
た。すると、ひとりの子は黒だけを、もうひとりの子は
だけを、そして 
もうひとりは白、
黄色他と自由に手に取り、丸を描き、
それだけは 皆同じでした。色は「家」で与えられるのを、選ぶ様です。            ■               ■               
本紙は詩歌集第3集「夢幻」及び      「私の歌」等の PR誌です  
   ■               ■                 

 
 申込み受付け中ここをクリック           詩歌集夢現第3集「夢幻」            <上下2段全180頁>           
全第5部迄〉¥1500日高よし子著
  
               
 お問合わせ先 〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3−7         
 創作編集配布  日高よし子  рO72−832−6640






(『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン)
32 《2001年7月23日号》                                 
 「時間」の値打ち                    平成13年7月23日は、第3集「夢幻」第2部父「瓦解」に掲載している       我が父の37回忌でした。当日仏壇の掃除をしていて、改めて古き良き物への    思い入れを強くした。新しい物はお金を出せば買う事が出来る、「古さ」は、     年数を費やしないと手にする事が出来ない。                        生前の父が40年前に建てた当時の海老江(福島区)の家には、この仏壇が    燦然と金色に輝いていた。父の人生の最頂期の象徴の様に……(父ひとりだけの)。 現在金箔は薄れ、黒檀の色は剥げ落ち、処々ボンドで汲っ着けて………     昔日の面影はどこにもありません。が、めったに開ける事のない扉の中の
引き出し二つ。其処だけは昔の侭の煌びやかさをとどめて、それを見るに付けこの 仏壇の素晴らしさを再発見します。金箔の縁飾り、蒔絵風金描絵。
父はこんなに芸術的な物を購入していたのか、物を見る眼が培われて、やっと父の値打ちも理解する事が出来ました。
そして、その為の[開けずの扉」であったと思えてなりません。                                
 40年という歳月の間には、これを買った父を先頭に、弟、妹、妹、弟が亡 
くなりました。現在母、妹、私と3人以外に唯一、我が家族の事を知っている 
「証人」の様なこの仏壇。父は、「夢幻」にも書いている様に、大阪では最盛夏と言われる天神祭りの宵々宮に息を引き取り、翌日大阪の中心部のお寺で盛大に葬儀が執り行われました。しかし涙を流したものがいたかと(私の母も含めて)おもいを返しています。
 臨終の未だ前、「本人」の前で葬儀の段取りの(仕事関連の人)言葉を耳にしました。そして、臨終時の私への「ビー玉の眼」。泣く事が出来なかった、そんな風にしか見送れなかった私を、自分の人生の結論として逝かなければならなかった父。
その事を法要の当日おもいだし、初めて、父の為に
「泣く」事が出来ました……。
 私と言う人間も、すっかり
「古く」なったけれど、それは年数を積んでこそ、やっと手にする事が出来たものです………。      
 時間の経過を、失っていくと、誰が定義付けたのでしょうか?       
 年々得るものを発見する度、それはただの寿命の減少、表面的な概念である 
と定義付けたくなります………。                     
 時間の重み、得難さ、過去の全ての時間を掌中にした、と感じられる「時」が
きっと誰にも訪れます………。                     
     
 ■               ■   
          
『甥子の誕生日』                    
 その2日前は、高校1年生の甥子の16才の誕生日でした。そして、遂に買 
ってやったのです。
ケータイ
を!                 
 本人の小遣いで賄えるJフォンのプリカー式のです。片時も離しません   
     
 ■               ■  
           
 「夢幻」  第2部父瓦解より(P77〜)    
         ……… (略) ………                
 父は耳の良い人だった。武士が音なき音を察知する如く、動物的聴覚に秀け 
た人だった。                              
 クラッシック音楽を聴いていて、私が受ける感動感の極みを、母も感じる分 
ではない。と云う事は、父の肉体を、耳を受容せざるを得ない。
 人生は、問題集を解く様なもの。意識的な問いと、無意識的な問いがあるけれど、解いても解いても問いが生じる。
それが、生の意義かも知れないが………四〜五年前、クラッシック音楽の感動感を識った時、人間である事の意義に想い至った…… 
…三年前、前橋汀子さんのバイオリンの音色に出会った時、この究極感の故
、それ迄の音楽は
前奏曲」に思えた。
 二年前、ミサ曲が私の前に、雲の絨毯を拡げて呉れた。(何れも平成12年当時
その「感動感」の節目、節目が「解答」だった。                       そして「現在」の解答は、それ等此れ等は、一番否定したかった、していた 
「父」のその遺伝子を引き継いだからこそと、全てを解き放して想えるのです。 
 これこそが、私の「命題」だった。                                地球の型の球形………どんなに高い所から見ようが、百八十度しか人間の
視界には入らない。立っている場所を変えなくては………
両極を知る事はない。   昭和四十年に死亡した父の病名は、肝硬変であった。幸いに、私はその面の   
血は繋いていないが、晩年の父は休みの日等、一升の酒を軽く空けてしまって   
いた。「飲んだら、命の保障はしませんで」医者にそう云われたと、父と母の話を、
小耳に挾んだ事もある。「酒で死んだら、本望や」とも………。
何が、父をそうさせていたのか?……… 戦後の金科条の如き復興と繁栄、それを錦の御旗に突っ走った父の、それが
「晩年」。                  
 そして、「繁栄の隆盛」の侭、対極側を知らない侭、散ってしまったが故に   
、「ビー玉の眼」を遺さねばならなかった父。 規模は比べものにならないけど、
或る時期私も物的頂点に在て、虚しさも識った。そして、バブルの泡と共に失職して、現在に至っている。                       
 「時は、金なり」と、云うけれど、「金は、時なり」と、私の場合、物質的な物に価値を見出だせなかった事に依って「永らえた生命」の内に、いつか立っていた
「対極の位置」。それは結極この「命題」の為、と………
永い、長い、五十三年(平成11年10月31日で)でした。            
 彼(あ)の世の極楽とされるもの、それは「
感動感」と云う、美感の極致。 
よく例えられる「其処は、
花々が咲き匂い…」と云う具合に………      
孔子の有名な言葉に『五十にして天命をしる』と云うのがあるが、「生」ある 
時に、私が其れを得る事が出来たのは、四年前の、五十代の一年前、
その生を、「彼岸」に置いた時以降、「脱私」した時からであった。         
    
美感生 そこが初めの 彼岸生”                   
 
結極、それをこそ、云いたかった………              全ゆるものへの「感動感」も、亡父との「瓦解」も、そこが、出発点だった… 
。 

   【
天上絵 うつす地上絵 我が魂】                   
     ■               ■              

 俳句短歌                           
◆重圧感 「大暑」の如く 亡き父は                   
◆遥かなり 「自然界」へ 還る道 郷愁の すむ 鈴虫(
すず)の音色おといろ  
◇最盛夏 37回忌 亡き父に 時間が 絞った 「涙」供えん       
◇待ちわびた? 携帯電話を プレゼント                 
  甥子16(
) ハッピーバースディ                   
    ■               ■  
       
 
本紙は詩歌集第3集「夢幻」及び      「私の歌」等の PR誌です           ■               ■    
私の歌
 作詞曲 日高よし子               木魂」 前橋汀子に寄せてスラブ舞曲〈ドボルザーク〉                   
2.いつか見たやら あの空の色  暮れ切る間際の 藍色の空       
  何を見たやら あの空の果て  流れる雲が 呑み込まれて行く     
   生まれる前の 青い碧い その 空の青さが 恋しくて        
   昔へ 連なる 水の記憶 あの音色が 今 此の部屋に        
  塵に 土に 混みれようと 仰ぐ空の 青さに 溶けて行く 
      
        
■               ■               
☆感動感 それは 人類が勝ち取った       
    最高の 栄光である
                       ■               ■              にゃこリンスペース                  

 
炎天下 誇る 白さを さく 木槿                  

 
「朱に混じわれば あかくなる」という諺があるが、夏のイメージを、火の 
様な赤とするなら、赤く咲くのは他易い事。                
燃えたぎる炎天下に、太陽に焼かれる事なく、白さを死守し、慎ましやかに咲 
く 木槿の花───何よりも、その精神性に 惹かれます          
───それこそ「日本人の魂」。                     
   
 ■               ■               
にゃこリンのインパクト・ニュース      @29日は参議院選挙の投票日ですが、この日曜日のTVサンデープロジェク 
トで与野党共に小泉首相の靖国参拝に異を唱えていたが結局問題にされている   のはA級、B級戦犯が合祀されているからの様である。             
 思うにこの人達が裁かれなければならないとしたら「戦争に負けた」事。    
それ故、勝者による裁判で戦犯にされ、処刑された。若し勝っていれば、どん   
な事でも容されていた筈だ。以前にも書いたけれど、その時代に在れば、どん   
な対応が出来たか?と各自が自身に問うてみれば良い。             
 ただ、戦争時の死者は皆「戦死」であると思う。首相は、靖国神社だけでは   
なく、名もない戦争犠牲者達の千鳥が淵墓苑にもお参りされたらと思う…
……   
。   ■               ■
                 
申込み受付け中                    
詩歌集夢現
第3集★「夢幻               上下2段全180頁>                  
全第5部迄〉¥1500日高よし子著       

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にゃこリン夢現シリーズ

《bR1》【7/8号】
魂のバースディ、シャコンヌ、魂のハーモニー、ニュース、ハートの鏡、木魂の歌詞

《bR0》【6/21号】
河童、記憶という風景、存在、俳句短歌、クローン凍、六月の雨
ニュース


《bQ9》【6/6号】
六月,五月から六月、俳句短歌、ニュース、食物連鎖
、雨が降る


《bQ8》【5/20号
参観日、約束された人生、俳句短歌、そして五月は

《bQ7》【5/6号】
地球の種子、或る地球、胎動感、蟻と象、まれびと

にゃこリンの壁掛
心の部屋に彩りを
俳句短歌の書画の壁掛 

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にゃこリン夢現シリーズ
《bQ6》【4/19号】さくら、四月に。桜 花道、「かみ」、あなたは愛、ニュース
《bQ5》【4/4号】辛夷花、当り前の愛国心、ニュース、たぬきときつね
<24>3/8号シャボン玉・郷愁・暗景・ニュース(現代のキレる副産物)
bQ3》【2/21号】自己責任・木の葉の記憶・宿命の形・目カッチン・他  
《bQ2》【2/6号】節分・父「柏手」・ビー玉の瞳・ニュース・今だから@
bQ1》【1/23号】20世紀から21世紀・野島断層・他人事・恥を知る。俳句



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にゃこリン夢現シリーズ

《bQ6》【4/19号】

さくら、桜 花道、四月に、俳句短歌、
かみさま、ニュース


bQ5》【4/4号】辛夷花、当り前の愛国心、ニュース、たぬきときつね

bQ4》【3/8号】シャボン玉・郷愁・暗景・ニュース(現代のキレる副産物)

bQ3》【2/21号】自己責任・木の葉の記憶・宿命の形・目カッチン・他  

《bQ2》【2/6号】節分・父「柏手」・ビー玉の瞳・ニュース・今だから@


bQ1》【1/23号】20世紀から21世紀・野島断層・他人事・恥を知る。俳句等


《私の歌》一瞬の・ずっと大阪・紫陽花・ときめき夏

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にゃこリン夢現シリーズ

《20》【1/7号】21世紀に寄せて・地球は青かった・UFO・とことんアメリカ
《19》【12/17号】天の川途上・赤子・12月・高さを買う?・ニュース
【♪私の歌♪創詞曲集】ずっと大阪・一瞬の・紫陽花・ときめき夏
《18》【11/27号】学問の意義・幸福感・ぼた餅・ニュース内閣不信任案
《17》【11/11号】日本の空間・光の天使・ほどほどの・愛ある躾・ニュース


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にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン)                            
bR3《2001年8月8日号》 
『八 月』                     
8月だと思ったら早や立秋も過ぎました。暑さはその勢いを持続中ですが、
暮れて行く日脚は確かに短くなっている事に気付きます。                   八月………日本にとっては特別な月。
            
 それは被爆者、戦没者慰霊祭と毎年執り行われる行事に象徴される
、終戦記念の月。私は戦後生まれですが、子供の頃母から「食べる物がのうて配給所に並んで、やっと食べれたのが芋雑炊みたいに水っぽいやつやった………」    「日本は負けると思た、焼夷弾が一杯降って来るんやから、空襲警報が
鳴ったら皆防空壕へ逃げて、恐かった、そやけど終いには、そんな事ばっかりやっ たから、もう負けてもええから、はよ戦争終って欲しいと思た」
戦後近辺に生まれた人はきっとこういう話を、何度も親から聞かされた事と思いま
す。  十分過ぎる程の「平和教育」になりました。                    
負けてもええ………その先の想像力。その差が、父と母の「絶対的相違」
                 
詩歌集夢現第三集「夢幻」              第2部父・瓦解 (P63より)          『不 動』                   
 「その時で」生まれる事が無かったかも知れない、私、そして、弟、妹達。 
 その時に、あなたの「覚悟」が「不動」だったら………          
徴用先(軍需工場)から、帰阪する母と一緒に帰らず、空襲警報が鳴っても、 
防空壕に逃げ出さず、爆弾の雨降る日本の前途に、多分敗
戦と言う絶望しか  
見えなかったであろう、その時に………              
    
 その、あなたの側に、本当に爆弾が落ちて………
それは、精神の及ばぬ、  
体の反射神経が、条件反射の様にあなたをその場から、逃げ出させたのでしょう
。 
 「その時に」不動だったら……………         
そして、敗戦の翌年に、私が生まれて以後、弟妹、私を含めて全部で六人中 
、四人も没し、あなたが亡くなって、今年七月で丸三十三年(平成十年時)。 
その時の、偶然の「生」の、意味を知り度いものです。     
     
                         (以上 「夢幻」より)   
 
『偶然の生の意味』               
 
そして「偶然の生に意味」があった事の経緯は、「夢幻」第三集「父・瓦解」を
読んで頂ければと思う。「瓦解」を記して以降、より客観的に自分自身の内の
「父の部分」「母の部分」を観る事が出来る様になった。   
 いま父と母の「絶対的相違」を見据え、その時の父の心情を想う時、私は、 
父のその「潔さ」を由とする。それこそ「日本人」であると誇らしく思う。  
 そして、それを、そう想える自分自身こそが、「父」なのだと、認める。  
 右記の『仕事上の「物質的頂点」』への足掛かりは、亡父が併業していた
不動産業という同種の職業を、私が選択した結果でした。
それを想う時、私は私と、意気がって生きていても、所詮、父の掌の上で生きていたのだと、憎しみまでも愛、という親子の宿縁の展開、ひいては広義に亘る「縁」というものの要素性、「現世の鏡」の「来世」か、「来世の鏡」の「現世」か、
その綱引き の果ての
「金字塔」。         
 是れの功労者は、勿論、「私」だけではないと言う事です。        
   ■               ■                
 第2部
瓦解 「夢幻」(P64〜より)               『桃色の夢』(平成11年1月26日・記)                 “お雛様 夢の芽 手折り 桃の花”                  
 
人は、いつ迄も、其処から抜けられないのだろうか?             
少し前、TVで再映された、故黒沢明監督の「夢」という映画。         
あの映画の中で、「お雛様」が動き出して舞うシーンがあった。         
綺麗かった………ああいう、夢を、見たかったと、想う。            
 若し父が現在生存なら、私が少女の頃そして、それ
降も、ましてや大きな   
家だったのに、なぜ、お雛様が無かったのか?聞いて見たい。…
………      
 
家を建築中の時、楽しみで自転車でよく工事現場に見に行った。「子供部屋   
があって、私の部屋があって……………」と、勝手に心の中で、設計していた   
。が、出来上って、がっかりした。大きな家だった。が、「父の家」だった。   
将来の「商品」として、建築したかどうか(父は、不動産業も営んでいた。)   
知らないが、二階建の全部で九部屋中床の間のある部屋が三つ、子供部屋の無 
い、全く夢と裏返しの家だった。父母と、私が一番上で中学二年生、下に五人 
いて、一番下が二才。この家族構成の住む、此れがその「家」だった。    

 種子があっても、土壌が無ければ、芽も出ようがない。    
      
これを機に、私は、此の種の種子を、決定的に葬り去った。         
 
ただ、現在は、「小さな器」しか持っていない人は、いつ迄も、「大きな器 
」を持ちたいとと思う様に、「その器の家」に住んだ事は、その「思い」を持 
たずに済んだ、とは思える。(それは、ただ広いだけで、広い故に、どんなに 
空っ風が、吹き抜けていただけかと言う事も) 又、「第一部」にも記した、 
私自身の仕事上の「物質的頂点」の虚しさ。でも、それを「持った」からこそ 
、それが「解った」。そして、現在がある。………正反対の「たゆやかな刻」 
……… でも、時折、ふーっと、溜め息の奥の奥から、それは結局、
大、小の器関係無く「その頃の永遠の渇望」が、めを出し、見たかった、持ちたかった 

、「
桃色の夢の花」を、開(さ)かせるのです。              
   ■               ■                
 
 8月8日は(パチパチ)そろばんの日でした。             
 それに因んで、少女の頃を思い出して創った心象歌を下記に。 
      
   ■               ■                
 
 私の歌 「あの月と」    詞曲 日高よし子   
   1あれも やはり 十才頃 冬の夜                 
     算盤学校の 帰り道 歩けば 歩く                
     走れば 走る 止まれば 止まる                 
     黄色い月と 変わらぬ 距離の                   
     あの道を 一緒に 手を繋いでた                   
       まるで それは 私の影
                    
  2あれから 40年余り 冬のよ                   
   ただその数 重ねただけで                     
    歩いてみても 走ってみても        
           
    座った儘の 白い月                       
   変わらぬ 少女の あの頃へ
                    
   時を解いて 駆けて行く                      
    黄色い服来て 私の月へ  
                   
                  (詩歌集夢現第2集「夢弦」より)  
    ■               ■               
    
俳句短歌                        
◆立秋に 蝉の なき聲 一段と                     
◆蝉捕る子 運の悪さは 誰のせい?                   
◆暑い!暑い! 人生の夏は かく過ぎぬ                 
◆海のいき 吐く息 吸う息 波永し                   
◇はなわいきる 鏡の人は 枯れてゆく                  
◇風亘る 彼あ の果てから 此の果てへ  
                
    ■               ■               
感動感 それは 人類が勝ち取った     
    
最高の 栄光である              
    ■               ■               
にゃこリンのインパクト・ニュース          @小泉首相の靖国神社参拝問題が連日のメディアの標的ですが、お彼岸、お盆 
、死者の慰霊の為お墓参りをするという、日本人の文化的習慣。       
 その国民性に於ける、戦死者への、国民を代表しての内閣総理大臣の参拝。 
それは、その時代を通過しなければならなかった故の、戦死者及び「刑死者」 
へのせめてもの鎮魂と、その犠牲という代償の上に成り立っている「現在」の 
生活への感謝の翻姿です。これは国柄の違う国からいちいち干渉される筋合い 
のものではない。中国の外相が田中外相へ「参拝しない様ゲンメイした」とか 
、それに同調した田中外務大臣。この国の特異な処は、国民が「国民」でない 
事。日中国交回復以前から首相参拝はあったのに、公式参拝時の抗議で取り止 
めて以降、中国の「外交カード」となった。ゲンメイされて、今回又、取り止   
めたら日本は世界の笑い者、属国と看做す事でしょう。           
 日本のODAこそ、今「外交カード」にすべきです。           
国内のゴタゴタで外務省の機能不全の間に北方領土海域では韓国、北朝鮮、    
ウクライナのサンマ漁がロシアとの間で決められました。領土返還など幻。  
 外交の構造改革を                          
    ■               ■               
にゃこリンスペース                  
 好きな色のクレパスを取って、好きなもの描いてと2才の子3人に言いまし 
た。すると、ひとりの子は黒だけを、もうひとりの子は
だけを、そして 
もうひとりは白、
黄色他と自由に手に取り、丸を描き、
それだけは 皆同じでした。色は「家」で与えられるのを、選ぶ様です。            ■               ■               
本紙は詩歌集第3集「夢幻」及び      「私の歌」等の PR誌です  
   ■               ■                 

 
 申込み受付け中ここをクリック           詩歌集夢現第3集「夢幻」            <上下2段全180頁>           
全第5部迄〉¥1500日高よし子著
  
               
 お問合わせ先 〒572−0029大阪府寝屋川市寿町3−7         
 創作編集配布  日高よし子  рO72−832−6640






(『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン)
32 《2001年7月23日号》                                 
 「時間」の値打ち                    平成13年7月23日は、第3集「夢幻」第2部父「瓦解」に掲載している       我が父の37回忌でした。当日仏壇の掃除をしていて、改めて古き良き物への    思い入れを強くした。新しい物はお金を出せば買う事が出来る、「古さ」は、     年数を費やしないと手にする事が出来ない。                        生前の父が40年前に建てた当時の海老江(福島区)の家には、この仏壇が    燦然と金色に輝いていた。父の人生の最頂期の象徴の様に……(父ひとりだけの)。 現在金箔は薄れ、黒檀の色は剥げ落ち、処々ボンドで汲っ着けて………     昔日の面影はどこにもありません。が、めったに開ける事のない扉の中の
引き出し二つ。其処だけは昔の侭の煌びやかさをとどめて、それを見るに付けこの 仏壇の素晴らしさを再発見します。金箔の縁飾り、蒔絵風金描絵。
父はこんなに芸術的な物を購入していたのか、物を見る眼が培われて、やっと父の値打ちも理解する事が出来ました。
そして、その為の[開けずの扉」であったと思えてなりません。                                
 40年という歳月の間には、これを買った父を先頭に、弟、妹、妹、弟が亡 
くなりました。現在母、妹、私と3人以外に唯一、我が家族の事を知っている 
「証人」の様なこの仏壇。父は、「夢幻」にも書いている様に、大阪では最盛夏と言われる天神祭りの宵々宮に息を引き取り、翌日大阪の中心部のお寺で盛大に葬儀が執り行われました。しかし涙を流したものがいたかと(私の母も含めて)おもいを返しています。
 臨終の未だ前、「本人」の前で葬儀の段取りの(仕事関連の人)言葉を耳にしました。そして、臨終時の私への「ビー玉の眼」。泣く事が出来なかった、そんな風にしか見送れなかった私を、自分の人生の結論として逝かなければならなかった父。
その事を法要の当日おもいだし、初めて、父の為に
「泣く」事が出来ました……。
 私と言う人間も、すっかり
「古く」なったけれど、それは年数を積んでこそ、やっと手にする事が出来たものです………。      
 時間の経過を、失っていくと、誰が定義付けたのでしょうか?       
 年々得るものを発見する度、それはただの寿命の減少、表面的な概念である 
と定義付けたくなります………。                     
 時間の重み、得難さ、過去の全ての時間を掌中にした、と感じられる「時」が
きっと誰にも訪れます………。                     
     
 ■               ■   
          
『甥子の誕生日』                    
 その2日前は、高校1年生の甥子の16才の誕生日でした。そして、遂に買 
ってやったのです。
ケータイ
を!                 
 本人の小遣いで賄えるJフォンのプリカー式のです。片時も離しません   
     
 ■               ■  
           
 「夢幻」  第2部父瓦解より(P77〜)    
         ……… (略) ………                
 父は耳の良い人だった。武士が音なき音を察知する如く、動物的聴覚に秀け 
た人だった。                              
 クラッシック音楽を聴いていて、私が受ける感動感の極みを、母も感じる分 
ではない。と云う事は、父の肉体を、耳を受容せざるを得ない。
 人生は、問題集を解く様なもの。意識的な問いと、無意識的な問いがあるけれど、解いても解いても問いが生じる。
それが、生の意義かも知れないが………四〜五年前、クラッシック音楽の感動感を識った時、人間である事の意義に想い至った…… 
…三年前、前橋汀子さんのバイオリンの音色に出会った時、この究極感の故
、それ迄の音楽は
前奏曲」に思えた。
 二年前、ミサ曲が私の前に、雲の絨毯を拡げて呉れた。(何れも平成12年当時
その「感動感」の節目、節目が「解答」だった。                       そして「現在」の解答は、それ等此れ等は、一番否定したかった、していた 
「父」のその遺伝子を引き継いだからこそと、全てを解き放して想えるのです。 
 これこそが、私の「命題」だった。                                地球の型


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♪ 日本の花

♪「誰のために」                            
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♪朗読
(バックの音楽は前橋汀子のCD「亜麻色の髪の乙女」より『アベ・マリア』です。)
 
亜麻色の髪の乙女ドビッシー より
十三面の桃源響


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2003年1月19日 8:52:03