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2009 UK 93/298 Min. 劇映画
出演者
Paddy Considine (Peter Hunter - スコットランドから派遣された刑事)
Lesley Sharp (Joan Hunter - ピーターの妻)
Maxine Peake (Helen Marshall - 刑事、ピーターの不倫相手)
Warren Clarke (Bill Molloy - 地元警察幹部)
David Morrissey (Maurice Jobson - 刑事局長)
Shaun Dooley (Dick Alderman - 捜査官)
Chris Walker (Jim Prentice - 捜査官)
Tony Pitts (John Nolan - 刑事)
Jim Carter (Harold Angus - 刑事)
Tony Mooney (Tommy Douglas - カラチ・クラブ事件で負傷し、引退した刑事)
Sean Harris (Bob Craven - カラチ・クラブ事件で負傷した刑事、トミーの当時の相棒)
Daniel Mays (Michael Myshkin - 幼女連続殺人犯、知的障害者)
Gerard Kearns (Leonard Cole - マイケルの友人)
Andrew Garfield (Eddie Dunford - 地方新聞の記者)
Anthony Flanagan (Barry Gannon - エディーの先輩記者)
Peter Mullan (Martin Laws - 地元の神父)
Robert Sheehan (BJ - カラチ・クラブのバーテンダー、男娼)
Kelly Freemantle (Clare Strachan - カラチ・クラブのウェイトレス、模倣犯の犠牲者)
Sean Bean (John Dawson - 地元の不動産、建設方面の有力者)
見た時期:2010年4月
★ こんなに早く見る羽目に
ファンタに出ていた3部作の第1作がきっかけで見ることになりました。第1作は間延びがしていて、扱っているテーマがおもしろいわりにテレビ・ドラマとしてはまどろっこしい印象を受けました。
2作目、3作目をこんなに早く見る予定ではなかったのですが、行きつけのDVD屋さんに入っていた上、3つまとめて借りると割安になるため、借りました。
ドイツで発売されたものなので、ドイツ語版になっており、英語の字幕はありませんでした(自分で英語字幕を設定すれば出たと思いますが、映画館で見た第1作目とは違います。あちらは元から字幕がついていました。)
★ 2作目の方が良かった
2作目は3つの中で1番よくできていると思います。大嫌いな俳優パディー・コンシダインが主演だったのですが、コンシダインの他の作品に比べ、1番感じが良かったです。コンシダインに限らず英国人の俳優の実力には頻繁に驚かされます。例えば汚職警官で、物凄く嫌な奴を演じているショーン・ハリスがいい例です。これが同じ人物かと言うほど全く違うイメージで演じられる人で、物憂げな美青年に見えるかと思うと、Red Riding: In the Year of Our Lord 1980 のように一生出会いたくない嫌な奴も演じます。
★ 原作者
原作者のデビッド・ピースは1つのテーマを掘り下げるのが好きで、ヨークシャーの4部作の他に東京3部作を書いており、現住所は東京。偶然か意図してか、連続殺人事件を扱っています。出身はヨークシャーで、4部作は故郷を描いたことになります。
テレビ・ドラマ化されなかった1977年がどういう話なのかは分かりません。
★ 1980年は引き締まっていた
上にもちょっと書きましたが、テレビの1974年、1980年、1983年の中では1番見易くできていました。よく見ると監督の名前が違っています。後で分かったのですが、3作に3人の監督を起用しています。この物語の場合、あだになったと言えます。小説を見ると1974年からテレビ・ドラマに無い1977年も含めて4つ、テレビは1977年を飛ばして3つ、10年に及ぶ物語です。登場人物の多くは2度、3度出演しますし、何度もフラッシュ・バックのシーンがあります。話は表にでもまとめるとすっきりしますが、このドラマでは《誰が実は何に関わっていたか》という謎が後で解ける仕掛けになっているので、回想シーンは避けられません。また、《後になって誰が実は・・・》という展開は決して悪くありません。しかしそのためにはある程度統一の取れたまとめ方が必要で、思い出の寄せ集めでは困ります。
作品全体を通して特に弱い点は、回想シーンと現時点の出来事にはっきりした区別が無いため、見ていると混乱することがあることです。70年代半ばから80年代前半への10年ではファッションが変わっていますが、当時のファッションに大きく左右されない服装の人が出て来ると、区別をつけるのが難しい時があります。
★ あくまでもフィクションです
小説を基にしたテレビ・ドラマなのでフィクションと見ていいのですが、ヨークシャーにはヨークシャー・リッパーと呼ばれる連続殺人事件が本当に起きています。犯人は逮捕され、それなりの処罰を受けていますが、Red Riding: In the Year of Our Lord 1980 でも連続殺人事件が描かれています。ヨークシャー・リッパーの実録をノンフィクションとして出すにしても、Red Riding: In the Year of Our Lord 1980 として形を変えたフィクションとして出すにしても、ヨークシャーがとんでもない地方として描かれていることには変わりありません。
こういうテーマを扱い出版、テレビ・ドラマ化するとなると作家の視点が非常に微妙になります。書く側にその土地、その国に対する愛情があるのか無いのかが決定的に重要です。Red Riding: In the Year of Our Lord 1974 では主人公も、その前に孤軍奮闘していた先輩記者も殺されてしまいます。正義の敗北です。その時点ではまだあと2作あるので、最終的な結論は分かりませんが、Red Riding: In the Year of Our Lord 1974 のみですと、お先真っ暗の状態で話が終わります。しがない地方記者がこれじゃ行けないとがんばったが、力及ばず昇天。悪が勝つ、どうしようもない、とんでもない町。ゲーリー・オールドマン演じるジム・ゴードンの方がよほど報われています。観光客として訪ねることすらためらってしまい、暗い、冷たいものを感じてしまいます。
私などは国内で自分が住んだ場所、訪ねた場所はどこも大好きで、とても故郷をこんな風に描くことはできません。横溝が舞台にした地方を訪ねたこともありましたが、景色はとてもきれいで、仮にあのような殺人事件が起きたにしても、描かれた土地については住んでみたいと思うほど素敵な田舎になっていました。どうやったら自分の住んでいる所にあんな嫌悪感を抱けるんだろうと Red Riding: In the Year of Our Lord 3部作を見ながら考えてしまいましたが、この3部作のような事件がもし本当に自分の故郷で起きたら、「そりゃ仕方ないわ」という結論になるのかも知れません。その土地を離れ、距離を置いて見ても、何年が過ぎてもサマーウォーズのような描き方はできないのでしょう。
★ 2つ目の連続殺人事件
作品の中では1974年に一連の少女殺人事件があります。2作目の1980年頃には成人やティーンの女性の連続殺人事件が起きています。こちらの事件には事実の背景があります。
30歳ぐらいのサトクリフという男が、1980年に逮捕されるまでの約5年間に主として売春婦を暴行殺害していました。被害者は分かっているだけで約20人、うち死者13人。もしかしたら模倣犯の犯行も混ざっているのかも知れません。予告を出して警察と競争したり、派手な行動を取っていましたが、普段のサトクリフはむしろ内気な青年でした。現在は逮捕され、まず終身刑で刑務所に入り、その後は精神病院に入っているとのことです。
この事件が小説とテレビ・ドラマの事件に上手に織り込んであります。ヘンリー・シリーズのように事件をそのまま描くのではなく、実際に起きた事件と、物語中の事件を交差させて全体をフィクションにするのは上手い方法です。そういう点を見ても推理物としてのアイディアは悪くありません。しかしこの3部作は推理物としてプロットが練られたのではなく、ヨークシャーという土地と、1974年から1983年という10年を描写することの方が重要だったようです。10人を超える人たちの行動、末路を描くのが目的で、大勢がつるんでいるため、探偵役の1人が活躍しても力不足で、観客が虚しさを味わうようにできています。ある意味現実的ではあります。
★ 心が荒れた町
気候の厳しい町に住み、毎日が曇り空か雨というのは仕方ないことです。ザ・コミットメンツでも天気は悪かったです。先日見たシャッター・アイランドや The Ghost Writer でも天気は悪かったです。いくらかその地方の人のメンタリティーに影響が出ることもあるでしょう。しかしそれで必ずしも性格が暗くなるとは限りません。ザ・コミットメンツのメンバーは青春を謳歌していました。気候の厳しい土地に住んでいても陽気で心の暖かい人がいます。
しかし Red Riding: In the Year of Our Lord シリーズ に描かれている町の住人は自由に物も言えず、怯えた目をした人たちか、権力をほしいままにむちゃくちゃを強いる人たちか、犯罪に関わって本当ならお天道様に顔向けができないのに、神経が麻痺している人たちです。
ヨークシャーの事件でありながら、スコットランドから派遣されて来た刑事ハンターが捜査に当たります。これがこれまで大嫌いだったパディー・コンシダイン。これまでの役とがらっと違い、普通の刑事を演じています。ハンターは実は1974年の事件の捜査にも当たっていましたが、その最中に夫人が流産し、急遽家に戻らなければならず、事件から手を引いています。その時関わっていた10人ほどの男たちが今度の事件にも関わっています。大部分は警察関係者。
★ ドラマの中の事件
後にヨークシャー・リッパーと呼ばれるようになった売春婦連続暴行殺人事件の捜査が頓挫し、世論がうるさくなって来ました。10人を超える犠牲者が出ており、このまま放っておくわけに行かないのに、全く進展がありません。そこでスコットランド人のハンターを頭に数人の刑事が新たに配置されます。ハンターは一度先入観を排除し、これまで見つかっている証拠などを全て洗い直そうと考えます。
女性1人を含む数人のティームに書類を分配し、それぞれが全部読み直し、不審な点があったら調べ直すよう命じます。女性刑事は過去にハンターの不倫相手でした。彼女はこの捜査に抜擢されたことを喜んでいて、1974年の書類を担当させられます。別の男性刑事がその年を受け持とうとしますが、ハンターは彼女にやるように命じます。
ハンター自身も書類を全部見直し、ティームとあれこれ話しているうちに、犠牲者のうち1人だけパターンに合わないのではないかと考え始めます。1974年に起きた銃乱射事件の重要証人がヨークシャー・リッパー事件の犠牲者の中に紛れ込まされて、殺された本当の動機が隠されているのではないかという方向になって来ます。
1974年の銃乱射事件も追い始めたハンターは利権の絡んだ汚職と、幼女殺害事件が繋がっているのを発見。当時の現場の唯一の生き残りのウェイターともコンタクトを取ります。当時新聞記者として事件を追っていたエディーにも行き当たり、新聞社を訪ねますが、エディーは交通事故で死亡していると言われます。壁にぶち当たりました。
銃乱射事件で重症を負った刑事2人のうち、まだ現役のボブは精神的に不安定で、時々たがが外れてしまいます。ハンターはボブについても事件当時はウェイターと共に生き延び、ヨークシャー・リッパー事件中に命を落としたウェイトレスの殺害について何か知っているだろうと考え始めていました。ハンターが核心に近づいた時、2人の刑事に呼び出され、地下室に連れて行かれます。そこで見たのは額のど真ん中を撃ち抜かれたボブ。そして次に見たのは銃を自分に向けている同僚・・・。
ここでハンターの人生は終了し、第3部に続きます。
★ 孤独なのか
男女関係は第1作では事件に関わる重要な要素でした。第2作ではちょっとブラック・メイルが出たりしますが、それほど大きな要素ではありません。3作目にも主人公に関わる男女関係が出て来ます。
普通ですとロマンティックなエピソードは事件の緊張をほぐす役目を負っています。それでなければハニー・トラップのような展開で、事件の一部です。しかしこの3部作に出て来る男女関係は骨の隋まで孤独な人間がすぐ肉体関係に走ってしまうパターンで描かれています。
第1作ではエディーと、彼がインタビューのために訪ねた失踪少女の母親が、あっという間に寝てしまいます。第2作では表にはっきり出ませんが、台詞では2人の刑事が以前愛人関係にあったと語られます。女性刑事の俳優が深い孤独を表情で表わしています。
第3作でもあっという間に1組の男女が寝てしまいます。そういう時代だったのかも知れませんが、良く知り合ったわけでもなく適した相手なのかも考えず、目の前にいる男、女とすぐ寝てしまいます。陽気だったフリー・セックスの時代の表現ではなく、荒廃したヨークシャーの田舎町で、他に誰もおらず、何もする事が無い中のぞっとするような孤独として描かれています。
ひどく腐った町の有力者と警察、おびえたような孤独な表情の住民、滅多に晴れない天気、失業者ばかりと想像させる町。ベテラン俳優を揃えて良く雰囲気を出しています。そしてまたがんばった人が死体になってしまいます。《3作目に続く》
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