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1988 USA 93 Min. 劇映画
出演者
Roddy Piper
(George Nada - 現在ホームレスの労働者)
Keith David
(Frank Armitage - スラムに住む労働者)
Meg Foster
(Holly Thompson - テレビ局に勤める女性、人質)
George Flower (ホームレス)
Peter Jason (Gilbert)
Raymond St. Jacques (宣教師)
見た時期:2011年2月
短いタイトルは各国とも They live という意味です。やや違うのはフランスのタイトルで、《ロサンジェルスの侵入》。もっと違うのはオランダで、《ジョン・ナーダー、地獄の沙汰が始まる》です。ただ、主人公の名前は不確かでジョンとなっている所もあれば、ジョージとなっている所もあります。ここでは一応ジョージに統一しておきます。
★ 主演の2人
主演のロディー・パイパーはキャリアを見るとザ・ロックの先輩で、本職はプロレスラー。70年代後半からちょくちょくテレビ、映画に出ており、本人役のような出演もありますが、普通のアクション映画で主演や主演に近い作品もあります。ザ・ロックとは世代が違い、ザ・ロックがまだ高校でアメリカン・フットボールをやっていた頃、ロディー・パイパーは既にいくつもの映画に出ていました。パイパーもザ・ロックと同じく元からプロレスをやっていたのではなく、元はボクシング。未成年、中学生で既に母国カナダでは名の知れた選手になっていました。高校の頃にレスリングに変更。
80年代はレスリングで活躍し、来日などもしながら、映画のキャリアも本格化。私は日本のプロレスを見る機会はこちらに来てから完全に無くなってしまったのですが、国内におられる方はキルトを着ている男と言うと心当たりがあるかも知れません。結構有名だったそうです。レスラーとしては年齢もあり、90年代が限界。2000年代に入ってからは時たまシンボル的な試合に出たようですが、若い人のような試合とは違うようです。井上さんと同じぐらいの世代の人です。
ザ・ロックが引き合いに出されるのは、パイパーもきちんと台詞を言える俳優だからです。プロレスで有名だから呼ばれたのでしょうが、ちゃんと台詞が言え、役をきちんと理解し、その役に上手くはまっています。ゼイリブは完全な主役で、きちんと1人でストーリーを引っ張っています。後半準主演の男と延々殴り合いのシーンがあり、「何でこんなに長いんだろう」と不思議に思ったのですが、ここで彼の本職がレスリングだという所を見せたかったのでしょう。尤も私はボクサーかと思いました。格闘する2人は普通のアクション映画のような手抜きではなく、かなりのスピードで拳を振り回します。殴る時の速さを見て、「普通の俳優と違う」と感じ、インターネットで調べたら、「本職が俳優でない」と書かれていたので納得。
対戦相手のキース・デヴィッドもボクシングは強そうで、彼もスポーツ畑の出身かと思ったら大外れ。何とジュリアード音楽院を卒業しています。ジュリアードは名門中の名門で、恐らくは演劇部門を出たのでしょう。
・ ヴァル・キルマー(セイント)、
・ ウィリアム・ハート(バンテージ・ポイントの米大統領)、
・ ヴィング・レイムス(コジャック(TV)、
・ クリストファー・リーヴ(スーパーマン)、
・ ケビン・クライン(ダグラス・フェアバンクス)、
・ ケビン・スペイシー(セブンのジョン・ドウ、ユージュアル・サスペクツのヴァーバル・キント)、
・ ジェイミー・フォックス(レイ・チャールズ)、
・ ステファニー・ジンバリスト(エフレム・ジンバリストの孫)、
・ ローラ・リニー(ケビン・スペイシーと2人でケイト・ウィンスレットを嵌める女性)、
・ ロビン・ウィリアムズ(ポパイ、ピーター・パン、アンドロイド NDR114、シオドア・ルーズベルト、卒業したか不明)
と同じ学校に通っています。
最初格闘を見ていて、デヴィッドがスポーツマンで、パイパーが俳優かと思ったのですが、そのぐらいパイパーの俳優ぶりはB級アクション映画と考えると板についていましたし、デヴィッドのボクサー的な格闘技も板についていました。尋常でない長さのシーンですが、パイパーのプロレス・ファンが満足するようにできています。
ちなみにここでちょっとややこしい話。デヴィッドが演じる役名はフランク・アーミテージ。これはジョン・カーペンターが使う別名。脚本はフランク・アーミテージとレイ・ネルソンという事になっています。ネルソンの短編が元ネタ。
紅一点のメグ・フォスターは、ローレン・バコール、シャーロット・ランプリングを思わせる視線で点を稼いでいます。芸能歴は長く、舞台が仕事始め。初期には日本でも有名になったいくつかのテレビ・シリーズに出演しています。私が日本を離れてからももっぱらテレビ中心。まだ現役です。私との出会いはオーウェン・ウィルソン主演のマイナス・マン。
★ 先見の明
1988年の作品なのですが、あの時にすでにこんな作品を作っていたカーペンターは凄いと言うべきなのか、1988年に彼が提示した問題点を大した話題にしなかった私たちが愚かだったのかというような作品です。私はこの頃夢中になって仕事をしており、映画館に行く暇もお金もゼロ。家にはテレビが無いので昨日までこの作品は全く知りませんでした。ちなみにアメリカでは観客数は多かったそうです。この作品のメッセージに従えば、テレビを持っていなかったのは正解となりますが・・・。
1988年と言えばドイツはまだ壁が開いておらず、西側だけの経済で成り立っていました。今思うとかなりのんびりしており、経済的な余裕がありました。国庫が空っぽだったかどうかに国民はまだ関心も払っておらず、私ものんびり仕事と学業に励んでいました。
ゼイリブはまさに2011年の今を見透かしたようなストーリーで、作られたのが1988年だとしても、今見るのがぴったりです。
カリフォルニアにしては寒そうに見えますが、カリフォルニアに1人の男、ジョージが現われます。失業中なので取り敢えずは職安のような所に出向きます。「現在あなたに適した仕事は無い」と言われ退散。ぶらぶら歩いていて工事現場に行き合わせ、そこの監督に直訴。あまり親切ではありませんが、とにかく工事現場で働けることになります。日当はすぐ貰えず、支払いは来週。なので今日眠る場所もありません。彼の窮状を知った他の労働者、フランクが自分の住んでいるホームレスの住処を紹介。炊き出しも貰え、とにかく今晩から眠る場所とたくさんの友達ができます。ホームレスとは言っても放浪する油田労働者で、勤労意欲はあります。
スラムの様子はランド・オブ・ザ・デッドに引き継がれています。ゼイリブでは単に貧富の差が大きくなって、元中産階級の人がホームレスになったというだけではなく、なぜそうなったかが詳しく描かれます。
取り敢えず寝泊りできる場所を確保したジョージは仕事が終わってから、ホームレスのスラムに戻り、そこで他のホームレスと夕食を取り、その辺の家族と談笑したり、友達になったフランクと話したり、1人で座ってビールを飲んだりする生活を始めます。誰かがどこかで拾って来たテレビも何とか映り、数人の人が一緒にテレビを見たりもします。
と、間もなくテレビの映りが悪くなり、普通の番組とちょっと違う場面が映ります。どうも海賊放送風で、通常の番組の間に割り込んで来た様子。年配の男が何やらわけの分からない事をしゃべっています。表情を見ると真剣。しかし見ている人には何の事やらさっぱり分からない上、放送局が放送中断を知らせる画面を入れ、やがてまた普通の番組に戻ります。
テレビに深い関心も無く、映らないなら映らないでいいやというスタンスのジョージはその辺を見回したり歩き回ったり。そのうちに近所に教会があり、賛美歌が聞こえて来るのに気づきます。そしてスラムの男が1人、海賊放送の後そちらの方向に歩いて行くのを見ました。なのでジョージも近づいて、中に入って見ますが、信者の姿は無く、賛美歌はテープレコーダーの音だけ。その上隣の部屋では男たちが何やら討論中。壁には隠し戸棚があり中にダンボール箱がたくさん入っていました。直後、1人の男と出くわしますが、どうやら盲目らしく、ちょっと話をして退散。その後望遠鏡を借りてこの教会を遠くから観察。
すると間もなく教会にいた男たちがダンボール箱を運び出したり、車で逃げる様子。その直後に機動隊風の警官がスラムを襲って来ます。警官は教会にいた男たちやスラムの人間を正式に逮捕する様子は無く、違法な殴り方をします。
ホームレスのスラムが警官隊にめちゃくちゃに破壊され、後に残った物を他の人と一緒にかき集めているジョージですが、ふと海賊放送風に入ったテレビの画面で男が言っていた事を思い出します。確か「私たちが催眠状態に置かれている事をある人たちが発見。私たちは何かしらの信号を受けています。その結果人は貧困に転落します。人権は忘れられる。私たちが気づかないうちに乗せられている。物欲に惑わされ、乗せられ、消費させられ、自覚を持たないように眠らされている。そして私たちは監視されている・・・」ってな事を言っていたなあ・・・。そう言えばスラムが警官隊に襲撃された時、ちょっと離れた所で2人の男がリンチされていたなあ・・・。
・・・などと少しずつ関連に気づき始めます。そして教会の建物に戻り、隠されていたダンボール箱の中に大量のサングラスがあるのを発見。その箱を1つ失敬。
ただのサングラスだったので1つだけ自分用に貰い、残りはごみ箱に入れておきます。そして町を散歩し始めて愕然。眼鏡をかけると全然違う物が見えて来るのです。町中の景色がモノクロームで、《服従しろ》、《消費しろ》、《権威に盾をつくな》、《眠っておれ》、《結婚して子供を作れ》、《気づくな》などと言う命令口調の標語が見えます。お札には《君たちの神じゃ》と書いてあります。彼以外の人にはそういう風に見えていない様子。その上髑髏の仮面のような顔の人間がそこいら中に見えます。眼鏡を取ると普通に見えます。何じゃ、これは。
どうやら髑髏面は人間ではなくエイリアンだとジョージは見当をつけます。彼らは人間を消費の奴隷にすべく、潜在意識にたくさんのメッセージを送り込んでいたというわけです。そのため中産階級だった人たちがどんどんホームレスになって行く・・・。ちょっと話に飛躍がありますが、93分で全部は説明できないとばかりに、余計な理屈付けはばっさり。
ジョージがエイリアンに無謀な戦いを挑んだため、追われる身になり、銀行で若い女性を人質に取って脱出。それが放送局勤務のホリー。強引に彼女の自宅まで押しかけ、そこで一息。彼女にサングラスを示して状況を説明しようとしますが、話が荒唐無稽過ぎて信じてもらえず、彼女に襲われて家の上の階から転落。彼女はすぐ警察に通報。
命からがら逃げ出し、またホームレスのスラムに戻り、そこでフランクと再会。ごみ捨て場で別なサングラスを見つけたジョージはフランクに事情を説明し、協力を求めようとしますが、そんな与太話に構っていられるかというスタンスのフランクと格闘になります。これが長い。長過ぎる。
それでも何とか無理やりフランクに眼鏡をかけさせ、話を納得させるのに成功します。2人は取り敢えずホテルに行き、殴り合いでよれよれになった体を洗い、今後の事を話し合います。とは言っても大きな勢力に対し無力感を感じている時、折り良くレジスタンスをやっている人間とぶつかり(2人のサングラスに気づいた)、集会に出席。
ジョージとフランクが「周囲は敵ばかり」と気づくあたりはインベーダーのエピソードのプロローグやエピローグと雰囲気が似ています。
集会で「サングラスは止めて最近はコンタクト・レンズにしているのだ」と言われ、2人もコンタクト・レンズを使用。集会では集まった人たちが善後策を練っているところ。そこでジョージはホリーとばったり(いつの間にレジスタンスになったんか、自宅でジョージが事情を話した時は確か全然ジョージを信じとらんかったやないか、君)。
この集会でジョージとフランクははっきり相手はエイリアンだと知り、敵はエイリアンだけではなく協力する人間もいるとも言われます。人類は既に完全にエイリアンにしてやられ、奴隷状態だとも。協力するとこの人たちも豊かな生活ができるから、それにつられて人類を裏切るのだそうです。エイリアンは地球の文化、環境、資源をぼったくり、取る物を取ったらまた別の星に移って行く・・・、食い散らした後隣の畑や田んぼに移って行くイナゴの大群のようなもの・・・。
そんな事を聞いていると、彼らの隠れ集会場を警官隊が襲撃。銃弾に仲間が次々倒れる中かろうじて逃げのびたフランク、ジョージ、そして2人が助けようとしたホリー。
人類の脳はエイリアンが発する電波で誘導されており、その電波を出しているのがホリーの務めるローカル放送局のアンテナ。先輩のレジスタンスが持っていたエイリアンの時計を使いエイリアンの隠れ家に潜入することに成功。どうもここはどこかの古い病院の地下通路で撮影したような雰囲気。カーペンター監督、今回もあまり大きな予算はもらえなかったのでしょうが、却っていい雰囲気です。
長い長い地下の廊下を進むと、豪華なパーティー会場へ。そこではエイリアンと協力する人間が親善協力パーティーをやっている最中。やばいよ、そんな所に平服で現われたら、と思ったのですが、先方は2人を協力者と勝手に勘違いして、襲って来ません。そのため中枢に入ることにまんまと成功。
そこはホリーが働いている放送局でもあり、他の星までエイリアンをビームする装置もあります。これを壊せば人類は元に戻れる!張り切って戦いを挑む2人ですがホリーはフランクを殺してしまいます。次はジョージ。ジョージはホリーを撃ち殺し、アンテナを破壊。しかし近くを飛んでいたエイリアンのヘリコプターにやられてしまいます。なので続編は無し(笑)。リメイクは間もなく作られます。
主人公2人は人類が助かったのを見ることなく死んでしまいましたが、アンテナ破壊のおかげで人類にはエイリアンの本当の姿が見えるようになります。めでたし、めでたし。
★ 色々な立場
一見非常に単純で、安物の SF なのですが、20年以上経った今見ても新鮮に思えるのは、色々な視点で見ることができるからです。上にも書いたように格闘技が趣味の方のためには大サービスの格闘ロング・シーンがあります。殴る前に一瞬手を止めるへんてこりんな拳法と違い、その辺のアクション映画より質の高い殴り合いのシーンが見られます。しかも元々は仲良しの2人の戦いなので後味も悪くありません。
政治的な視線で見ると、フランクは社会主義的に不公平を責めるタイプ、ジョージは現状を受け入れるタイプで、観客もフランクの立場で貧民街を見ることもでき、ジョージのように持っている物でそれなりに満足する立場で見ることもできます。そうやって映画が始まり、話が進むに連れ、少しだけ話がややこしくなります。何でも取り敢えずは受け入れるジョージの方が、目の前で行われている不正に気づいてしまうからです。探究心旺盛のジョージに観客がついて行く形になります。すると愉快なのはせっかくジョージが社会の不公平を説明する貴重な情報を提供しようとしているのに、フランクの方がかたくなに拒み、そこでかなり時間を食います。
そしてさらに深みを出しているのは善組、悪組に加えて、悪に協力する売国奴、いえ国の規模ではありません、売地球奴が登場するから。全体の作りは50年代、60年代のトワイライトゾーン、アウター・リミッツを長編に作り変えたような感じで、安っぽいと言えば安っぽいのですが、私は逆にその作風だったために懐かしさを感じ、終わりまで飽きること無く見ていました。
地球人に対しサブリミナル効果を駆使して、貧困の世界に転落させ、自分たちは金持ちの上流階級に納まるということで、社会の階級闘争の話と受け取ることもできますし、その上流階級に納まる人たちが他の星から来たエイリアンという事で、静かに幸せに暮らしていたどこかの国民を他国が入り込んで来て食い物にするという風な取り方もできます。こちらの解釈はエイリアンがぼったくりをやって、取るだけ取ってしまうと別な星に行ってしまうという点では当たっています。もっと怖いのはその辺にいる人類と同じ姿で現われるので、人間はエイリアンに既にほぼ完全に占領されているのに気づいていないというところ。国が侵食されるというテーマは最近ますます重要になって来ており、それが古さを感じさせない理由でしょう。そういう視線で人類の中に物欲に駆られエイリアンに協力する者がいるというシーンが最後の方に出て来るので、一見安っぽい B 級作品がなぜか輝いてしまうのです。
参考作品: カンパニーマン、ランド・オブ・ザ・デッド
ブルース・ブラザーズ、メン・イン・ブラック
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