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日記のフリindex

00.1000.12

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g.#20000101


2000年11月

その他

恩田陸『puzzle』(祥伝社文庫)
市川伸一『勉強法が変わる本』(岩波ジュニア新書)
『鎗火』@渋谷東急(香港映画祭)
『映画史』1A/1B
『映画史』2A/2B
『映画史』4A/4B
見沢知廉『母と息子の囚人狂時代』(新潮文庫)
大岡昇平『事件』(新潮社
『映画史』3A/3B
吉本ばなな『体は全部知っている』(文藝春秋)
池上彰『ニュースの大疑問』(講談社)
シーリア・フレムリン『死ぬためのエチケット』(創元推理文庫)
香川知晶『パラドックスの面白さがわかる本』(河出書房新社・Kawade夢新書)
氷川透『密室は眠れないパズル』(原書房)
江國香織『桃子』(旬報社)
中島みゆき『夜会』@渋谷シアター・コクーン


30(木)
これで私も「お会いしたことのある方々」に移動でしょうかー。4人でお蕎麦を食べたあと、3人で中島みゆきの『夜会』に。声の力ってすごい、胃のあたりが熱くなるような感じ。


29(水)
天藤真『親友記』(創元推理文庫)と、佐々木正人『知性はどこにあるか−ダーウィンとアフォーダンス』(講談社現代新書)を買った。

江國香織『桃子』(旬報社)は、『つめたいよるに』に収められていたもの。飯野和好氏の絵がとても合っていて、初めて読む話のようだった。「恋をしております。」

父は、友達のラブレターの代筆をしたことがあるそうだ。それは、気持ちをつかむためのラブレターだったと思う。持続させるための手紙を書いたことはあっても、つかむためのそれを書いたことはないなあ。ちなみに、当の二人は結婚した。もちろん、代筆したことがある、という事実は明かされている。

二人姉妹であっても、下の子は末っ子なんだって。だから心配だって、私より。「あんたのことなんて心配してないわ」って本気で言われちゃう。父は何も言わない。子供が生まれる前には男の子が欲しかったらしいけど、生まれてからは母が「本当は男の子が欲しかったんでしょ」と聞いても絶対答えない。だから私はちょっと女らしくない。母の目に映る自分は少し想像できても、父の目から見た自分はつかめない。一人旅を許可してくれたのは、母ではなく父のが先だった。「死ぬときは死ぬんだから」と言って。

買ってきたばかりの、佐々木正人『知性はどこにあるか−ダーウィンとアフォーダンス』(講談社現代新書)を読み始めている。「この本を読まれる方へ」を読んで、少し懐かしい気持ちになる。”身体とまわりの世界には境がない””「自己」はどこにも定まっていなくて、世界の中に刻々とあらわれるもの””ぼくらのしていることには正しいこともまちがいもない””ぼくらが生きつづける理由はぼくらの中にではなくて、外にある”(p.4)

昔できたのに今できないことがいくつかある。そういうのも「失った」って言うのかな。


28(火)
会社に着くころの話題は、SMAPになっていた。なんでだっけ。思い出してみる。

昨日セーターを着ていたら会社で暑かったので、今日は一気にシャツ一枚だけにしたら風がこんなに強くて冷たくって失敗しました。手袋があればまた随分違ったんですけどね、でも、マフラーがあるだけいいです。髪が短いので。

という髪の話題から、髪に何かつけているの、男の子用のジェルワックス使ってます、いつごろからその髪型なの、2年前くらいからです前はここらへんまでありました、切ってくださいと言うときに勇気いったでしょう、いやなんていうか切る人の意思で……。

美容師というキーワードが出たところで、『ビューティフル・ライフ』をみてたよ、という発言をされる。私、全然見てなかったです。キムタク結婚するね、キムタクはどう思う?

それでSMAPだ。そこからキムタクについての意見と、その中で真面目に付き合うんだったら誰誰がいいとか。

江國香織『桃子』(旬報社)坪内祐三『文庫本を狙え!』(晶文社)山本進一『手づくりスライムの実験』(さ・え・ら書房)

スライムの本は、部内の人が見せてくれたのを欲しくなって。スライムの作り方はもちろん、スライムについてのわかりやすい説明とスライムを使った実験の数々。背表紙は、黒いスライムに磁石を近づけると角を出してくっつくところと、ネオジム磁石を飲み込もうとするところ! 家の1Fの掲示板のところに「スライムを作ろう。何月何日日曜日、場所どこそこ」なんていうはりがみが。おー、つながってるー。

氷川透『密室は眠れないパズル』(原書房)を読み終わった。最初のほうで「フーダニットが本格の必要条件」と言いながら、犯人はこの人ですという匂いがぷんぷんしている(感じられてしまう)のが面白い。氷川が最初に推理を展開する前に語った、「人間は、物語にとりつかれた動物です」という論を踏まえて、「ここからは物語です」と断りの入る”推理”。自分が直接体験できなかった出来事を、自明のことと物語との混在で説明するのは、自然だと思う。犯人の供述のときの”アンフェア”という言葉と、「こともなげに」言った言葉が、印象的。


27(月)
習い事から帰り際、金沢の生菓子をすすめられ、いただく。先週もそうだったけど、犬のドドの元気がない。わんわん吠えてくれない。かまってくれない。


26(日)
次に来た時にあったら買おうと思っていた手袋は、もうなかった。ふかふかのシーツを買いました。同じふかふかでも、いろんな種類の布があって良くわからず、安くなっていたものを。

CONTAX Tに入っているフィルムを早く撮り切って現像したいので、散歩がてら無駄にシャッタ−を切る。でも、26枚切ってもまだ終わらない。まさか36枚撮りを入れてたとか? 怖くなってやめた。実は、最初の頃何を撮ったのか忘れるくらい時間が経ってて、何枚撮りを入れたのかすら覚えてない。


25(土)
出勤して、ささっと切り上げて、用事を済ませたあとに『グリーン・デスティニー』をみるつもりだったのです。ところが、調べてみると22日で終わってる。11月に公開でしたよねー、もう終わりなんですかっ。

青山で目当てのローファー屋さんにたどり着いたはいいけど、ショウウィンドウを見ただけで帰る。こんなに高級な店だったんだ! ななまんごせんえんだとか、無理です、勘弁してください……。(頭の中にイメージはあるんだけど、一言で言うならば)きたない色のローファーが欲しいんですが、今の靴売場ってブーツ全盛期でやっぱり無理。じっくり探すことにします。青山と私の相性はあまりよくないみたい。身分不相応ってことかー。

フレッド・カサック『殺人交叉点』/S・A・ステーマン『殺人者は21番地に住む』/ミッシェル・ルブラン『殺人四重奏』(すべて創元推理文庫)『さぬきうどん全店制覇後略本』(2)(ホットカプセル)、父の誕生日プレゼント用にCD、自分にもホロヴィッツのCDを1枚買う。

それほど歩き回ったつもりはないのに、帰宅は夜の9時半。

夕方になる前のまだ明るいときに早々にあかりをつけている場所って良く目立つ。暗くなればどこも当たり前のように電気をつけるから、一つの店のあかりに注目したりしない。真っ暗な中での一つのあかりと、明るい中での一つのあかり。真っ暗な中で見るほうが目立つし、ありがたいように思う。でも実際はどっちも目立つし、光はいつでもあたたかい。


24(金)
新しくコーヒー屋さんを発見。珈琲工房ホリグチ。「まろやか」というブレンドを買って帰る。ただ、外出先でのことなので、滅多に寄る機会がない。

香川知晶『パラドックスの面白さがわかる本』(河出書房新社・Kawade夢新書)を読み終わり、氷川透『密室は眠れないパズル』(原書房)を読み始めた。


23(木)
シーリア・フレムリン『死ぬためのエチケット』(創元推理文庫)を読み終わった。なにより死は強かった。人間はあっさり裏切られてる。しかし、全般的にとても物足りない。予想がついて面白さが欠けてしまってる。予想がつくのに面白い小説だって存在するのに。

昨日の夜は、今日の休みがいつもの休みより嬉しく思ってたのに、朝起きたらなんにも嬉しくなくなっていた。予定もないのにどうして嬉しく思ってたのか、ただ夜更かしができるっていうだけでだったのかな。

ハーゲンダッツのキャラメル味を買ったのに食べられなかったのは、ティラミスを作ったからです。作ったあとでレシピみたら4〜5人分でした。いやはや。


22(水)
江國香織・飯野和好『桃子』(旬報社)が出たようです。香川知晶『パラドックスの面白さがわかる本』(河出書房新社・Kawade夢新書)だけ買いました。

シーリア・フレムリン『死ぬためのエチケット』(創元推理文庫)を読みはじめたけど、う〜ん…。


21(火)
7、8分というのは、中途半端な時間なのかな。駅から会社まで、いつも少しだけ時間が足りないと思う。あと2、3分あるとちょうどいい。新しい話題を思いついたときが最後の信号の前だったりすると、あきらめるか、早口で話し始めるか、ダイジェスト版でおおくりするか、ってことになる。普段の会話は、「たあいがなく、かつ、この時間内に収まること」を意識しながら会話してるのかも。なんちゃってそんな気は遣ってないや。

話のとっかかりに天気の話題は便利。本当に天気の話がしたいわけではない。ただ、あなたと話がしたいと思ってる。それが伝わらなくて天気の話題だけで終わってしまう会話なら、そのときはそのとき。

いつもお昼を食べる人たちの中で、すごーくおとなしい人がいる。きょう、二人きりになったとき、そういえばこの人が自分から話しかけるのを見たことがないな……なんて思いながら何を話そうかなと考えてたら、話しかけてくれた。ちょっと感動した。

子供って、呼吸が一生懸命というイメージ。だから、静かな部屋で過ごしているとき自分の呼吸の音が聞こえると子供みたいだと思う。

本を買った。
江國香織『デューク』(講談社)……表紙と裏表紙の絵ですでにやられてしまうー。何度読んでも目がうるむ。今回は、絵をみているところで、せつなくなった。「これ、好きだなぁ」。
シーリア・フレムリン『死ぬためのエチケット』(創元推理文庫)……『泣き声は聞こえない』『夜明け前の時』も、どっちも面白く読んだから。
大塚英志『物語の体操』(朝日新聞社)……第一章の最初のほうを読んだら、そういうものかな、と思ったので。
『はじめてきるほん』(学習研究社)……予告どおり。19日を見よ。


20(月)
電車に乗り遅れる夢を見た。雨が降っていて電車は遅れている。乗り継ぎには間に合わないだろうなと半ばあきらめながらホームにおりると、あれ、もしやいつも乗っている電車かもしれない。急いで乗る。駅に着いて少し小走りしていたら、Nさんに会った。富士山の話をしながら一緒に歩いた。

ニュース見てしまうなー。本会議で水が飛んだみたいです。森って、ディズニーランドにいるカントリーベアに似てるよね。

昔、中国のある高官が歌姫に恋をした。「わたしの部屋の窓の下で、床几にすわって百夜お待ちくだされば、あなたのものになりましょう」、女はそう言った。九十九日目の夜、くだんの高官は立ち上り、床几をこわきに立ち去ってしまった。(ロラン・バルト 三好郁郎訳『恋愛のディスクール・断章』みすず書房,p.63)

19(日)
さすがに金曜の夜中に3時すぎまで起きていたつけがまわり、昨日は夜の9時が限界。朝の7時にパッと目が覚めた。10時間。いつもの睡眠時間の倍眠った。これくらいの時間に起きると一日が長く使えて後で嬉しい気分になるんだけど、布団の暖かさもまだ恋しいし。さて。11/19/00 07:20:19

1時間くらいしてから、ちゃんと起きた。フレンチトーストを作って食べたり、池上彰『ニュースの大疑問』(講談社)の続きを読む。それでも午前中は余る。

午後はもちろん散歩。

本屋で、『サインとマーク』(フレーベル館)『はじめてきるほん』(学習研究社)なんていうのを見つけた。『サインとマーク』は、街の中で見かけるようなサインを集めたもの。『はじめてきるほん』は、左に”課題”があって、右を切りとって使うようになってる。「こわいおばけがいるから、みぎのかみをきってかくしてしまいましょう」とか「テーブルにめだまやきをのせましょう」とか。買ってしまうかも。『はじめてぬるほん』もありました。

コーヒー豆屋で、新発売の○○ブレンド(○○には住んでいる地域が入る)を買ってみた。それから、買ってみたかったケーキ屋でケーキを、ボジョレーヌーヴォーの試飲に惹かれて小瓶を1本買う。買ったことないものを3つも持って帰るのは楽しいです。

帰ってきてから早速新しい豆でコーヒーをいれて飲む。少し物足りなく、やっぱり元の豆に戻ろうと思った。ケーキはおいしい。本の続きを読み終えた。


17(金)
吉本ばなな『体は全部知っている』(文藝春秋)を読み終わった。先に読んだ友達は、本を返してくれたとき「どうだった?」とたずねると、「良かった〜」と言って泣きまねをしてた。魚の話が好きだって(「小さな魚」のことだ)。

なーんかつまんないなあというのと、すっごくいいなあというのが、入れ替わり立ちかわり訪れたような読後感。

ぐっときたのは「みどりのゆび」。一番好きなのは「ミイラ」、どす暗い感じが好き。吉本ばななのこういうのをもっと読みたい。

「いいかげん」のあっけなさ、そっけなさに惹かれる。祈りの言葉がたまらない。「本心」の中で出てきた夢の話はせつないし、「花と嵐と」の最後の場面も印象的。「大人の男」と描写した直後に「この子」なんて言い方しちゃうところがすごい。

19時の待ち合わせまで、久しぶりに紀伊國屋新宿本店へ。見沢知廉そっくりな人を見かけたんだけど、気のせいだろうなあ。読みたいと思う本がいくつか出てきた。こんな感じ。

赤池学『ローテクの最先端は実はハイテクよりずっとスゴイんです』(ウェッジ)
藤井耕一郎『スカをつかむな! 情報家電』(草思社)
糸井重里『豆炭とパソコン』(世界文化社)
上野千鶴子『上野千鶴子が文学を社会学する』(朝日新聞社)
大塚英志『物語の体操』(朝日新聞社)
西岡文彦『名画でみる聖書の世界 新約編』(講談社)
香川知晶『パラドックスの面白さがわかる本』(河出書房新社)
清水ちなみ『じいちゃんの伝説』(筑摩書房)

買ったのは、吉本ばなな『ひな菊の人生』(ロッキング・オン)坪内祐三編『明治の文学21巻 夏目漱石』(筑摩書房)

4人でご飯を食べる。うまく言えなかったこと。恋愛していても、その人だけを考える生活は、できればしたくないです。「きょうはこれこれをしたいから、別々に過ごそう」とか、そういうのがいい。

あ、そうだ、Nさんについて。Nさんは会社で同じ部の人だと書いたつもりでいましたが、なんだかそこまでちゃんと書いてないような気がしてきた。あと、自分の父親くらいの歳ね。残念でした。本当の意味でラブラブな人なら、ここに書いたりしないよーん。


16(木)
夜の7時過ぎに母から電話がかかってきて何事かと思ったら、TV『クイズ・ミリオネア』を見ろという。すごくはまっている番組らしく、この間話したときにもうるさく言われんだけど、まさか「今日の夜7時よ」を言うために電話があるとは思わなかった。でも見なかった。

今朝はNさんと会えずじまい。いつも、Nさんが始発から乗っている電車に途中私が乗る。ところが電車が遅れていて、私が乗った電車はNさんが乗ったものより前の電車だったわけ。Nさんの電車がいつ到着するかわからなかったので、来た電車に乗りました。遅れて会社に着いたNさんに、「あれっ」という顔をされたので、「きょう電車遅れてましたよね」と言うと、「あ、そうだったんだ。わからなかった」とにこにこされた。

帰り際、Nさんがやってきて、「明日はいないから(待たなくていいよ)」加えて、「月曜日は遅れないように」だって。多分、「月曜日は電車が遅れないといいね」という意味だと思う。一緒に帰った友達に、「さっき、Nさんと話していたでしょう〜〜」と、めざとく見つけられた。説明をしたら、えええ〜、もうラブラブだね〜と、笑いながら言われた。私もそう思う。


15(水)
江國香織『デューク』(講談社)が発売されていた。『つめたいよるに』(理論社/新潮文庫)に収められている短篇を抜き出したんですね。山本容子の挿絵が文字と同じ色。シンプルでシック、小さいつくり。クリスマス向けかー。

吉本ばなな『体は全部知っている』(文藝春秋)を読んでいる。自分で”カラダ”と書くときには、体と書くのがいやで身体と書いている。


14(火)
大岡昇平『事件』(新潮社)を読み終わる。一つの事件の始まりから裁判、そしてその後まで。読み始めてすぐに、丁寧で重厚な印象を受けた。裁判の様子が丹念で着実に描かれていく。物語は、判決の時点で終わらず、その後が書かれている。「真実」という言葉が重い。「事件」に関わったものは全て変質してしまうことを改めて知らされた最終章が、ドキュメンタリーぽかった内容に、物語性と現実味を同時に与えたような気がする。

ゴダール『映画史』3A/3Bをみた。やはり、1A〜2Bまでとここからトーンが分かれるのかもしれない。静かさが漂っている。3Aの後半、イタリア語の歌がとても良い。映像とその歌だけ…。うん、たしかにすばらしい。


13(月)
なにかいつもと違うことしたかなあと思い出してみる。

急に外出することになった。モスバーガーで木いちごのムースを食べた。姪の運動会ビデオを見た。それでも3つありました。

会社のエスカレーターの中で、食堂のおばちゃんに「ゴダールは全部みたの?」と聞かれた。実は先週の上映会は社内で行われたもの。そのときに、おばちゃんに「なにをやるの?」とか「昨日はどうだった」と聞かれてはいた。「みればよかったのにー」と言うと、「時間がね〜。でも、昔はよくゴダールの映画みたのよ」だって。かっこい〜。


12(日)
長尾智子『スイートヒットパレード』(学研)であまりにおいしそうだったバナナブレッドを作った。

散歩しているとき、”おくやまにもみぢふみわけなくしかのこゑきくときぞあきはかなしき”、なんて思いだした。でももう秋ではないね。ニット帽をかぶっていても、くびの寒さはカバーできない。マフラーをしてくれば良かった。

少しだけのんびり歩いていると物理の先生を思い出す。ダイエットなんていってるなら、たらたら歩いてないで早く歩くくらいしなさい。


11(土)
久しぶりにスケートに行く。あいにくマンツーマンだったけど、のんびりやりましょうということで、それほど悪い生徒にならずに済んだ。

2日に読み終わった市川伸一『勉強法が変わる法』(岩波ジュニア新書)は、「心理学からのアドバイス」という副題がついていたので、ちょっとゆきづまってた気分を打破するのにいいかな、と思って読んだもの。なかなか骨のある内容で、勉強法が全然わからないという人より、ある程度勉強ができるけど伸び悩んでいる人向けかなあという気もした。

中で、「文章を理解する」というところでの「文章理解には知識と推論が必要」という部分が印象に残っている。次のように始まる。

国語や外国語の長文読解力については、特効薬はない、といってしまうと身もフタもないようだけれど、生まれてからどのような言語生活を送ってきたかが長く蓄積された結果として、今の学力があるからである。(p.89)

「しかし、もう手遅れだなどということはけっしてない。」とフォローしたあとで、論は続く。

説明文と文学では多少異なるにしても、文章を理解するということは、「筋のとおった解釈をつくりあげる」という一種の問題解決である。書かれた文章は、あくまでも材料であって、解釈は読み手の知識と推論能力に大きく依存して作られている。(p.89。下線は原文のまま)

そして、例として次の文章を出す。

タクヤは窓口に2400円を出した。シズカは1200円を渡そうとしたが、彼は受け取らなかった。中でまず席をとると、シズカはジュースを2つ買ってきて1つを彼に渡した。彼は、喜んでそれを受け取った。(p.90)

この文章について、次のような質問に答えられるだろうか、とたずねる。「窓口とは、何の窓口か/シズカはなぜ、1200円をタクヤに渡そうとしたのか/なぜ、彼は1200円を受け取らなかったのか/なぜ、まず席をとったのか」、などなど。

著者は、「デートの経験が豊富な人は、すぐに気がついたに違いない。仮に、小学校の低学年に出したら、わかる子は少ないだろう」と述べ、試しに小5と小6の自分の娘に見せたという。はじめはわからないと言っていた彼女たちも、5秒、10秒くらいでわかったらしい。

中3の長女にも出してみたいが、父親としては、ややためらいがある。--なぜ、小6と小5の娘にはすぐ試してみたのに、中3の娘にはためらうのか? これこそが、文章理解である。(p.91)

10(金)
今日の今日まで、鍋なんてどこが楽しいのと思ってた。

実家でもみんな好きじゃなかったので食べる機会がなかったし、ポン酢嫌いだし、取り分けなきゃいけないのかなとか、入れる順番は、なんて考えるのが面倒だし良くわかんないし、同じ味が続くのがいや。そうなのだ、どうして鍋が嫌いなのかわからないけど、鍋の悪口はたくさん言えた。

でも、鍋って楽しいと初めて思ったよー。煮えてるっていう言葉にだまされたり〜、煮えてないってもう一度戻したり〜、奥のほうに押し込んだり〜、肉を食べていいからそのかわり貝をいだたくとか、なんだかおかしくってげらげら笑いながら食べてた。うどんすきだったんだけど、鍋に材料が既に入っていて火にかけるだけだったのも安心した……。

本日の流れは、紀の善鳥茶屋別亭、どちらも神楽坂のお店。


9(木)
昨日も『映画史』を上映していたんだけど、パスしてさっさと帰った。晩御飯を、あとは仕上げというところまで作り、しばらくこたつに入ってぼーっとしてたらとてつもなく眠くなり、耐えられなくなって寝た。次に目が覚めたら夜中の1時半。何も食べずに寝ました。

映画の上映までの中途半端な時間で、友達と紀の善に行く。友達はあんみつ、私はクリームあんみつ。クリームあんみつは、あんみつよりも器が一回り大きい。もしかして、アイスの分だけじゃなく、全体量も少し多いのかもしれない。ものすごくおなかいっぱいになる。

『映画史』の最終日。4A「宇宙のコントロール」、4B「徴(しるし)は至る所に」を上映。会場へ行くと、上映者に「昨日の良かったですよ〜。イタリア映画礼賛」と言われ、少し悔しい。昨日の3A「絶対の貨幣」、3B「新たな波」をみていないのでなんとも言えないけれど、4Aと4Bにはタイプライターの音はなく、比較的落ち着いた印象。とくに4Bは、『映画史』の中でやっとゴダールの考えそのものに触れられたような気がした。たかが30分ほどの4Bなのに、いろいろ言われたような気がして整理がついていないし、たぶん、つける必要はない。

昨日、見沢知廉『母と息子の囚人狂時代』(新潮文庫)を読み終わる。この人の読んだもののなかで、一番穏やか。


7(火)
降ってると思って傘を持って外に出たら雨はもうやんでいて、長い傘を恥ずかしく思っていたのに、恵比寿に着いたらちゃんと小雨が降っている。あ、雨。Nさん、傘持ってます? 持ってない。あいあい傘をして歩き出す。そういえば、きょう、蠍座(Nさんの星座)の運勢、愛情運が良かったですよ、これじゃないですか、と、にやにやしながらたずねると、朝から使ってしまったらもうきょうはいいことないな。

差しかけて歩いてたとき、そこ滑らないように気をつけてねと言われる。紳士だ。

上映会までの中途半端な待ち時間で、友達と代官山を散歩して、山頭火というラーメン屋さんで塩ラーメンを食べた。塩ラーメンてこんなにおいしかったんだ!

『映画史』、第二夜。2A「映画だけが」と2B「命がけの美」。昨日より人が減ってる……。結局、上映者も含めて5人。上映者が「無修正版なんですよ。『愛のコリーダ』が無修正。どこに入ってるか忘れたけど」と教えてくれる。「”映画史”というよりゴダールの個人史だよね」とも。後ろのほうで打ち合わせをしていた人が、映画の終わり間近でクラッカー+スモークチーズのおすそわけに来てくれた。それを取っているときに、その無修正部分が出たらしい! みそこねたー。

裸にブルーのサンバイザーでタイプライターを叩くゴダール。ヘン。


6(月)
上映会で、ゴダールの『映画史』をみた。約4時間のものを、4日間で上映する。15分前に場所に行ったら、「やや、みにいらしてくださったんですか。どぞどぞ」という感じで、どうしようかと思いましたが、待ち合わせしてた友達も来て、あと少しは人も入ったので、ちょっと安心。しかし、思ったより全然人が少ない。

今夜は、1A「すべての歴史」と1B「ただ一つの歴史」。「1時間半なんだよね〜。疲れるぞ〜」と上映者が言うので、「1時間半なのに、ですか?」とたずねると、「情報量が多いから。みればわかりますよ」と言われた。途中で帰る人もいたし、終わった時には「ふうううぅ」と言う人もいました。

こちらを試されてるような膨大な情報の渦。『黄色い部屋の謎』『黒衣婦人の香り』まで出てくるなんて! あのおじさんは、やっぱりゴダール? タイプライターの音にのって、それは合図のような、区切りのような、そして映像は続いてく。

話はぶっとびますが、最近メールをやりとりしてる方から”日記の感じからマイペースな「狼」”ではないかとズバッと当てられてしまいました。どうして人は私のことをマイペースだと言うのだろう? 自分でも「マイペースだなあ」と思うんですが、どういうのをマイペースというのか実はわかってないんだよー。


5(日)
昨日、隣駅でそばを食べたんだけど、あんまりおいしくなかったのでくやしい。それで、おいしいそばを食べるために新座の鞍馬に行ってきた。乗るべきバスを間違えてしまい、ずいぶん歩くはめになる。16時で閉店なので売り切れてたらどうしようとあせったけど大丈夫だった。大盛りをお願いする。香りからして全然違って、おいしい。

行きと違うルートで帰ろうとして、えんえんと歩いた挙句、バスが来るまでずいぶん待った。バスの中では終点まで首が痛くなるほど眠る。

『ケイゾク』の特別篇をみた。ちょっと煩雑な感じがした。

IONAのCMで詩のような文句が出てきて、いい感じだなと思ってずっと眺めていたら、江國香織によるものだった。”19度以下の室温が好きなのは…”とかいうやつ。

紅茶を飲んでもおいしく感じられない。欲しくないとさえ思う。結局コーヒーばかり飲んでいる。


4(土)
お昼頃から少し遠出かつ長めの散歩に出かけた。歩いていれば暖かいし、じっとしていると寒くなってくる。マフラーをかけたり外したりしてして温度調節をした。

夜中にみる『ケイゾク』は刺激的。第7話〜第11話(最終話)まで一気にみる。まだ胸がどきどきしている。


3(金)
10:00開場の『鎗火』をみるために、1時間前に到着。しかし、5Fにある渋谷東急の階段から下にすでに列はできていた。見沢知廉『母と息子の囚人狂時代』(新潮文庫)を読みながら待つ。開場して席に座ってみると、ほぼ満席。

アンソニー・ウォン(黄秋生)+ン・ジャンユー(呉鎮宇)という組み合わせに惹かれてみようと思った映画。日本での上映が決まっておらず悔しいです。絶対に上映して欲しい。みおわってすぐに、もう一度みたいと思った。DVDが出たら買っちゃう。

・5人のボディガード(兼ヒットマン)のうち、若者2人はあまり個性がないけど、他の3人がいい。”氷の男”と呼ばれているグァイ(アンソニー・ウォン)、ちょっと短気なロイ(ン・ジャンユー)、いつもポリポリ豆(?)を食べてるフェイ。

・息を詰めてみる内容に、ときに笑いが入る。そのタイミングも全体の中の分量も絶妙だと思う。お茶をいれるボス(コーヒー?紅茶?……ココア?)とか、花火になる煙草とか、銃すり替わり? とか。緊迫した場面から穏やかな場面に移ったときに会場内の空気がふっと緩むのが面白かった。

・グァイは、ロイに殴られた翌日、ロイの妨害者を消しに行ったのには驚いた。前日、ロイに殴られても全然口答えしてない上に(ロイが悪いのに!)、一人でやってのけちゃった。ロイの店がトラブってるのを知ってたとはいえ。

・ボスの暗殺未遂犯人を待つ間、犯人に煙草を勧めたり緊張の中の一体感みたいな中で、ナンからの電話で「始末して帰って来い」に、全員に一言「帰るぞ」と告げたら、犯人をバン。はいおしまい。この冷徹さ!

・グァイは、最初からシンを殺すつもりはなかったような気がしてる。グァイが本当にシンを殺すつもりならば、フェイの携帯を借りてフェイに銃の依頼をするだろうかというのが疑問。一人でこっそり手はずを整えるはず。だって、フェイの携帯を借りてそのまま何もせずに返したら、もろわかりなわけで、グァイともあろう人間が通信先の消去をしないはずもないし、フェイがそれを確かめるってことだってわかってたはず。全ては、全員を巻き込んでしまうためにやったのだと解釈しちゃった。ようは、「敵をあざむくにはまず味方から」。

・フェイが慌てて戻ってきて、撃つなと言った後の場面。ロイの銃先が全然グウィに向いてないんだよね、それで、「あれっ」と思い始めた。あとは見てのとおりの展開で、一緒にほくそえんでしまった。

>最後に彼女を撃ったのは誰の命令なんだろう・・・。 (11/2)
ナン(だんなの弟)の指図で殺されたんじゃないかなあと思ったのですが、どうなんでしょうね。なんで人(フェイ)が見てる前で殺すかなとは思ったけど…。

かっこよかったー。こういう、キラキラしくない派手さが好き。ジョニー・トー監督の作品で日本で公開されたのってなんだっけ。

二度目感想三度目感想

移動して、麻布茶房で抹茶あんみつを食べ、高島屋のケーニヒスクローネでケーキを買う(プリンの販売は火・木・土だけだったのです)。東急ハンズでコーヒーサーバー(割ってしまったので)と象印のサハラマグ(今の水筒はプッシュ栓で、なんだか不衛生な気がしてきた)、閉店になってしまう鞄屋さんで布バッグを買う。


2(木)
「朝、時計がわりにTVつけてる?」「はい、4チャンネル(日テレ)みてます」「ぼくも同じ。巨人が好きだから」「ええーっ、そうなんですか〜。じゃ、優勝して嬉しいですね」「そうでもないかな」「そうなんですか?」「長嶋があまり好きじゃないから。野球はみる?」「あまり見ないです。母のが見てます。ヤクルトファンで」

といったところから、話はまた朝のTVの話に戻る。

「占い見てる?」「あの7時になる前のですか? Nさん何座ですか?」「蠍座」「私は魚座です」「ぼくの家内と一緒だ。でね、きょう、蠍座が一番運勢良かったの」「へーえ、そうなんですか〜、良かったですね」「それがね、異性から愛を受けるんだって」「うわははは、なにかお菓子でも配られるんじゃないですか?」

書いてて気付いたけど、Nさんて、自分のことを「ぼく」って言うんだなあ。話が朝のTVに戻ったことを思うと、「運勢が良い」というのがよっぽど嬉しくて言いたかったんじゃないかと推察。

市川伸一『勉強法が変わる本』(岩波ジュニア新書)を読み終わる。それなりに理由が。

そして、買いました。
見沢知廉『母と息子の囚人狂時代』(新潮文庫)……『獄の息子は発狂寸前』改題。『囚人狂時代』『天皇ごっこ』も面白かったので。
「鳩よ!」(マガジンハウス)……江國香織特集。

昨日、こたつ始まる。歌の入ったCDを2枚 かけて心が震えたり漫画を読みまくりつつ途中居眠りという時間を、こたつと共に過ごしました。夜がたっぷりと長かった。


1(水)
昨日の日記。ババナだって。面白いから残しておこう。

Nさんとの毎朝の”通勤デート”は続いている。一番端の車両を降りて、少し小走りして、階段の先を抜けると会える。

今朝は、せっかく傘を乾かしたのにすぐに必要になる天気から始まって、「この間の映画は何をみたの?」と、おとといの話題が再び出た。それで、あらすじを話しはじめたのはいいんだけど、話していると「ちっとも泣ける話に聞こえないんじゃないか」と思えてくる。物語の筋で泣いたのではなく、絡み合ったエピソードだとか、小道具だとか、セリフだとか、そういう要素で泣いたってことかな。もともと説明が下手なのに加えて、そういう細かい要素がうまく説明できないから、全然伝わらない気がしてしまう。しかし、優しいNさんは、「みてみようかな」と言ってくれた。そのときは本当にそう思ってくれたような気がするから、実際にみてくれなくてもいいのだ。

恩田陸『puzzle』(祥伝社文庫)を、帰りの電車の中で読み終わる。どこか不思議な終わり方。自分も同じように思うかも、ということを人がしているのを見ると、理解できるのに宙ぶらりんな気持ちになる。そういう不思議さ、かなあ。


31(火)
ハヤシライスに添えられたラッキョウを一つ食べてみた。「食べられなくはないけど、好んで食べない」ものがいくつかある。ラッキョウもその一つ。「うぇ、やっぱりおいしくない」と食べながら、きっと今、まずそうな顔してるんだろうなあなんて思った。でも、おいしいものは、あまりおいしそうな顔して食べてないかも。もくもくと、いやらしく、むっつりすけべっぽく。何かを食べてるときの自分の顔ってどんなだろう。

「ご自由にどうぞ」と、むいてあってそのまま食べられる柿はもらわず。これも好んで食べない果物。

買った本。
『海外ミステリ・ベスト100』(ハヤカワ文庫)
恩田陸『puzzle』(祥伝社文庫)
近藤史恵『この島でいちばん高いところ』(祥伝社文庫)
小林ケンタロウ『バーンと、うれしいおやつ』(文化出版局)

近藤史恵『この島でいちばん高いところ』(祥伝社文庫)は、帰りの電車だけで読み終わりました。それほど強い刺激じゃないと思うのに、ちょっと呼吸が苦しくなったくらいどきどきした。プロローグのところで、ジャプリゾみたい、って思った箇所があった(結局、全編通してそこだけだったし、自分でもなんでそう思ったのか良くわからない)。読み終えてすぐは、エピローグが蛇足のように感じたんだけど、そこでの殺人に対しての言及によって、私にも物語の中の殺人がかっこ付の”殺人”というふうにだんだん思えてきた。エピローグがあるために、殺人事件とか孤島に残された少女たち、そういう設定・物語”だけ”を描きたかったんじゃなくて、そういうのは他に描きたかったことのための道具? 手段? なのかな、という気がしてきた。

小林ケンタロウ『バーンと、うれしいおやつ』(文化出版局)ったら、フレンチトースト、とろとろのカスタード、キャラメルミルクゼリー、ババナのお菓子! きゃー。もちろんほかにもいろいろ。

ひざ掛け(\980.-)巻いてるくらいじゃ、寒くなってきたよ。こたつ。


30(月)
電車を降りるときに前に立ちふさがって邪魔な人に対して、「すみません」ではなく、「じゃま!」と言う夢を見たい。言った瞬間目が覚めて、及ぶ危害は何もなし。

昨日行った紀の善のあんみつと抹茶ババロアを食べた。あんみつの寒天はぶりぶりで、ぎゅうひは素敵においしいし、餡が上品。抹茶ババロアは、うん、本当だ大人の苦さだ! 抹茶を飲むのと同じくらいの濃さと苦さが再現されてる。添えられた生クリームと餡で食べる。でも、生クリームは甘くない。あんみつも、抹茶ババロアも、ちゃんと甘いのは餡だけなんだね。

自分の手の伸ばせる範囲になんでもはべらせて、つまりは、いつでもなんでも手にとれる用意はあるのに、用意したことで満足して、あるいは疲れて、本当はなにも用意できてないのに半分気付きながら、こたつの中に入ってぼーっとしてる、みかんも食べずに。今ってそういう感じ。なにかを自分の中に取り入れることもできず、せず、なにかを言いたいわけでもなく、あらわしたいわけでもなく。


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