風のように
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第12章
「どうかしたんか、チチ?」 いつの間にか後ろに立っていた悟空がチチの横に回り込んできて訊いた。 「なっ、何でもねえだ。急にお月様が見たくなっただけだべ」 まさか心の声が聞こえるわけはないのに、チチはどぎまぎしてごまかした。そのまますたすたと家の方に向かって戻りかけ、並んで歩いている悟空がにこにこして彼女の腹を横から眺めているのに気づくと、あわてて言った。 「赤ん坊だったら出来てねえだからな!」 なあんだ、と悟空はちょっとがっかりしたような声を出した。 「やっぱり神龍に頼んでみねえとダメか」 「そうだな……」チチはあいまいにうなずいた。 その時、夜だというのに鳥たちが一斉に木々から飛び立ち、森の小動物が奇声を上げて騒ぎ始めた。直後に、ドォン!! と突き上げるような衝撃があり、次いで地面がゆさゆさと揺れだした。 「きゃっ!! な、何だべ!?」 チチがうろたえている間に揺れは収まり、森は静けさを取り戻した。 こわごわ顔を上げたチチは、いつの間にか悟空の胸にしがみついていることに気づいた。悟空の心臓はまるで蒸気機関車のように激しく動いている。 「地震だったみてえだな」 硬い声で言うと、彼はチチから体を離した。 「悟空さでも怖えもんがあるだな」 チチはからかうように笑った。きまり悪げに振り向いた悟空は、ちろっと横目でチチの方を見てつぶやいた。 「別にそういうワケでも――ねえ――けどよ」 「けど、怖えんだろ? 地震。ほんとに悟空さって山の動物たちとおんなじだべ」 「チチだって震えてオラにしがみついてたじゃねえか。だからオラ……」 「え?」 悟空にしては珍しく、あとはモゴモゴと口の中で何か言っている。 そうこうするうちに家に着いた。 「あーあ、ひでえだな」 玄関のドアを開けるなり、チチは溜息と共につぶやいた。さっきの地震のせいで、棚やテーブルの上の物が倒れたり床に落ちたりしている。 スカーフに乗せておいた四星球も見あたらない。が、これは悟空が床に這いつくばるようにしてそこらを探しているうちに、台所まで転がって行って冷蔵庫の足元で光っているのを無事見つけた。大事にまたスカーフに包み、それをそっとチェストの引き出しにしまいながらチチは囁いた。 「ちょっと狭えけど、今夜はここで寝ててけろ。また地震が起きたら大変だからな」 それから居間と台所を簡単に片づけた。食器棚の扉は開かなかったらしく、座りの悪いものは中で少々欠けたり割れたりしていたが、あとはテーブルの上にあった急須と湯飲みが床に落ちて割れただけと、被害が最小限だったのは幸いだった。 チチは寝室のドアに手をかけ、悟空を振り向きながら楽天的に言った。 「こん中はそんなに物が多くねえから居間ほどひどい有様じゃねえだろな」 ところが、中を一目見て彼女は思わず悲嘆の声をあげた。それにつられて悟空も一緒に寝室をのぞきこんだ。被害はひとつだけ。だがその一つが重大だった。ベッドサイドのテーブルの上に置かれた花瓶が、チチのベッドの中央に倒れ込んでいたのだ。 慌てて部屋に駆け込み、チチは花瓶を起こそうと手をかけた。しかし、今さら急いだところでもう手遅れだ。こぼれた水はすでに下までしみ通っているらしく、布団の濡れた部分をつかむと絞れそうなくらいにぐっしょり冷たくなっている。チチは顔をしかめた。 「明日はマットレスごと干さねえといけねえだ」 日射しがきついから1日で乾くだろうが、やっかいなことだ。ぶつぶつ文句を言いながらチチはバスタオルを出してきて、しみの部分にあてがおうとして手を止めた。こんなものを敷いたところで役に立ちそうにない。寝ている間に水がしみ出して来て、不快な感触で目を覚ますのがオチだろう。 チチはくるっと悟空の方を向いて言った。 「悟空さ、今夜はおらもそっちで寝さしてくれろ」 「ああ、いいけど。蹴んなよ」 「悟空さこそ、おらを潰さねえでけろよ」 憎まれ口で応えたあと、チチは風呂の用意をしに外へ出ていった。 幸いなことにその後はもう地震は起こらなかった。風呂から上がり、悟空と枕を並べて横たわりながら、チチは何となくはしゃいでいた。 「久しぶりだな、こうして一緒に寝るのって」 「ああ」 しばらくして、悟空はもぞもぞと体を動かすと、ベッドの端に身を寄せた。 「狭いけ?」 「いや」 「おらに蹴られねえか心配してんのけ?」チチはクスッと笑った。 「べ、別に」 「悟空さ?」チチは薄暗がりの中で枕から少し頭をもたげ、悟空の顔をのぞきこんだ。「おめえ、さっきから何もぞもぞやってんだ?」 悟空は耐えきれなくなったようにがばっと身を起こすと叫んだ。 「暑い!!」 「そうけ? おら別に……」 悟空は枕をひっつかむと寝室から出ていきながら言った。 「オラ、ソファで寝る」 「悟空さ!?」 その夜からだった。悟空の態度がどことなくよそよそしくなり、チチを避けるようになったのは。 |