風のように
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第7章
チチの心臓は激しく踊り狂っている。悟空はまっすぐにチチの前まで来て立ち止まった。いきなり強い力で両肩をつかまれて、チチはビクッと体をこわばらせた。 望んでいた展開になろうとしているというのに、怖くて震えが来る。彼女は必死で目をつむった。 と、悟空はチチの肩をつかんだまま、彼女を一歩左に動かした。 「はっ!!」 かけ声もろとも、目にも止まらぬ速さで悟空の右の拳が水面を打った。 やがて呆然と佇んでいるチチの目の前に、牛ほどもある丸い頭をしたトカゲのような生き物がプカリと浮かんできた。そいつを水の中から引き上げ、肩の上にヒョイと抱え上げると悟空は言った。 「危ねえところだったな。もうちょっとでこいつの腹ん中に入るところだったぞ」 「そ、それはいってえ何だべ?」 「パオズオオサンショウウオだ。この先に淵があって、そこの主なんだ。こんなとこまで 悟空は顔を上げて下流の方を眺めた。その淵の主とやらが昼飯のオカズにすべく、背後から 目の前にぶら下がったぬめぬめとしたグロテスクな物体に震え上がっているチチに、悟空はあっけらかんと言った。 「正拳突きで仕留めるより、気功波撃った方が早かったんだけどよ、そうすっとバラバラになっちまうだろ」 「おらが巻き添えにならねえようにって考えてくれたんだな」 胸の前に手を交差させて隠したまま、チチは感激して言った。 悟空はキョトンとして彼女を見た。 「いや、バラバラに飛び散ったり、焦げちまったりしたら食えなくなっからよ」 「食え……!?」 胸から手を降ろしかけ、あわててまた隠しながらチチは叫んだ。 「その前におらがこいつに食われちまったらどうするつもりだったんだべ!! おめえ、おらと食い気を天秤に掛けただな!?」 しまった!!――という顔で悟空は焦ってかぶりを振った。 「い、いや、いざって時はちゃんと気功波撃つつもりでいたんだ―――もったいねえけど」 「なんだって!?」 「だ、だってよ、こいつはパオズ山一の珍味って有名なんだぞ。いつか食ってみてえって、オラ、楽しみにしてたんだ。ほら、見てみろよチチ、このシッポ。脂が乗ってうまそうだろ」 「ゆ……る……せ……ねえだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!!!!!」 夕焼けが西の空を染め上げている。鳥たちはねぐらへ向けて慌ただしく飛び立って行った。 「チチ〜、おーい、チチィ〜。いいかげんうちん中入れてくれよ」 「ダメだっ。おめえは一晩そこで深―く反省するだ」 台所の窓からはおいしそうな匂いが漂ってくる。固く閉ざされたドアを前に、悟空は家の前に転がしたパオズオオサンショウウオの残骸を恨めしげに振り返った。肉はとうに彼の腹の中だ。 ぐぎゅるぎゅるぎゅるぐぅ〜〜〜〜きゅるきゅるきゅるぐぅ〜〜〜〜 彼の腹の虫オーケストラは、第4楽章を奏で始めた。 |