風のように
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第4章
「チチ、おーい、チチ。おめえ、いってえ何怒ってんだ?」 大きな荷物を両手いっぱいに抱え、山道をのんびり登りながら悟空が後から声をかけた。悟空よりは少ないが、同じようにたくさんの荷物を両手にぶらさげたチチが、前を向いたまま、早足でずんずん歩きながら答える。 「何べんも言ってるだろ。別に怒ってなんていねえだ」 「そっかあ? 朝起きた時からなんかツンケンしてたみてえだけどな。買い物の間もずっと口きかねえしよ。怒ってねえんなら腹でもいてえんか?」 「……無駄口たたいてねえで、とっととけえるだよ。ナマ物が腐っちまうべ。これ全部悟空さの食糧なんだからな」 振り返ってジロッとにらんで言ったあと、チチは重い荷物をずり上げずり上げ、先を急いだ。 (何で怒ってるかだって? そったらこと……おらの口から言えるわけねえべ。悟空さのバカ! 鈍感!) チチはゆうべ悟空が自分をほったらかしにして、さっさと寝てしまったことをまだ根に持っていた。 それにしても、こんなに大量の買い出しを毎日続けないといけないなんて大変だべ―――チチは肩を落とし、溜息をついた。 夫になる男がまさかこんな常識はずれの大食漢だとは思ってもみなかったので、チチはごく一般的な嫁入り道具しか持ってこなかったのだ。 普通の買い物なら、少々かさばる荷物でもS・M・Lの収納カプセルセットが1ケースあれば充分事足りる。 ところが、この男ときたら常人の1週間分の食糧を1食でたいらげてしまうのだ。1日分の買い出しだけで、普通なら3週間分の量を運搬する勘定になってしまう。 (おっ父に頼んで収納カプセルセットをもう3ケースほど買ってもらうべか……) 所帯を持って一人前になったはずなのに、親に頼ってばかりいるのも何だか気が引けた。 そう言えば……チチはハッとして悟空を振り返った。 「悟空さ、おめえ、天下一武道会の賞金はどうしたんだ?」 「ん? なんの賞金だ」 「だからっ……天下一武道会だべ。おめえ、ピッコロに勝って優勝したんだろ。賞金がもらえるはずじゃねえのけ?」 チチに詰め寄られ、ようやく悟空も思いだした。 「ああ、優勝賞金か……そういや、もらってねえな」 「もっ―――もらってねえ!?」 チチは両手の荷物をどさりと落とした。中でぐしゃりとタマゴが割れる音がしたが、それには構わず悟空の襟首を両手でつかみ、鼻先を突き合わせてまくし立てた。 「も、もらってねえって……どういうことだ!? おめえ、あんな大金……なしてもらわなかっただ!?」 「そんなことすっかり忘れてたなあ。優勝出来たのが嬉しくてよ」 「わ……わすれ……」 チチは手を離すと、ふらふらとその場に膝をついた。奈落の底に突き落とされたような気分だった。 (お、おら、こんな経済観念のぶっとんだダンナと、これから暮らしていかなきゃなんねえんけ!?) それから2週間の月日が流れた。 朝食の最後の一皿を勢いよく食べ終えると、悟空は右手の甲でゴシゴシ口を拭いながら立ち上がった。 「ごちそうさまっ。んじゃ、オラ、修行して来る」 「……ちょっと待つだ。悟空さ」 「ん? なんだ?」 立ち上がったまま、無邪気な顔を向ける夫に、チチは「いいから座るだ」と椅子にかけるよう手で示した。 「おめえに話があんだ」 「話?」 「んだ。結婚してからもう半月にもなるべ。なのに、おめえときたら毎日毎日遊んでばっかで……。いってえいつになったら働くつもりだ!?」 「オラ、遊んでんじゃねえ。修行してんだ」 「同じことだべ!!」 チチは椅子を蹴って立ち上がった。 「おめえがピッコロ大魔王を倒して世界は平和になっただ。もう修行なんて必要ねえべ。そったら事より、ちゃんと働いてまっとうに生活する事の方が今のおらたちにとってはずっと大事なはずだぞ」 「ピッコロは死んだわけじゃねえ。あいつは腕を上げて必ずまた現れる。オラはそう信じてる。その時にオラの実力があいつよりはるか下だったら、ピッコロに悪いじゃねえか」 「なっ―――何をバカなこと―――」 「それによ……」 悟空は視線をチチから窓ごしに見える遠くの山へと移した。そこに素晴らしい宝が眠っているとでも言うように、彼の目はきらきら輝いている。 「闘う敵がいなくたって、そんなことは関係ねえ。オラはもっともっと強くなりてえんだ」 「そんなに強くなってどうすんだ」 悟空ははた、と我に返った。腕組みをして「うーん」と考え込んでいる。強くなったら何をする―――なんて突き詰めて考えてみたこともなかった。 「どうすっかはそん時考える。じゃな、昼になったら帰ってくる。うめえメシ頼むぞ、チチ」 「ま、待ってけろ。まだ話すことがあるだ。これからのこととか……かっ、家族計画とか……」 チチは真っ赤になりながら声を振り絞り、悟空の背中に向けて叫んだ。悟空は苦笑して振り返った。 「悪りぃ、チチ。オラ、計画とか予定とかって苦手なんだ。おめえに全部任すからよ。適当にやっといてくれ」 悟空が出て行った後のドアをぼんやり眺めながら、チチはつぶやいた。 「全部任すって……おらひとりでどうすりゃいいだ……バカ」 そうなのだ。結婚以来、悟空はチチに指一本触れていない。放ったらかしにされた翌晩は、チチが先に風呂に入り、ドキドキしながら悟空を待っていた。 寝室に入って来た悟空は、彼のベッドに横たわるチチを見て、 「あれ、そっち、オラのベッドなんだけどな。……ま、いっか」 と、つぶやくと、さっさと隣のベッドに入って寝てしまった。 その次の夜は、悟空がベッドに入るのに続けて、えいやっと思い切ってチチも同じベッドに入った。 チチにとっては恐ろしく勇気のいる行動だったというのに、悟空は、 「おめえのベッドはあっちだぞ。こっちの方がいいなら代わってやっけど」 と、ぬかしたのだ。 「ふ、夫婦は一緒に寝るもんだべ!」 やけくそになってチチが叫ぶと、「じゃあ、なんで2つベッドがあんだ?」と首を傾げつつ、悟空は、「ま、いっか」と寝てしまった。 いいかげん頭に来ていたチチは、意地になってそのまま悟空と同じベッドで眠った。朝になって目を覚ますと、悟空はいつの間にか隣のベッドに移って寝息を立てている。 朝食の席で彼は苦笑いしながら言った。 「おめえって寝相悪りぃなあ。夜中に何べんも腹にケリ入れられて寝られねえしよ、オラ、隣のベッドに移っちまった。これから毎日一緒に寝ねえといけねえんか? いや、参ったな〜」 「……もういいだ。今夜から別々に寝るだ」 「そっか。助かったあ」 「……おめえなんか大嫌いだ」 きょとんとする悟空を残し、チチは洗濯をしに外へ出ていったのだった。 |