風のように
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第9章
悟空と養父孫悟飯は山で自給自足の生活をしていた。時折、足りない物を山を下りて町まで買いに行くのは悟飯の仕事だった。 そんな時、悟飯は一人で待っている悟空のために駄菓子や小さなおもちゃとも呼べないようなおもちゃを買ってきてくれるのだった。 悟空は知らなかったが、貧しい暮らしの中で余分なものを買うゆとりはない。それでも悟飯は自分の煙草を買うのを我慢してでも悟空へのおみやげを欠かさなかった。 ある夏の日のこと、悟飯は奮発して悟空に花火を買ってやった。町の子が親に買ってもらった花火を抱えて嬉しそうに歩いているのを見て心を動かされたのだ。 悟空の喜ぶ顔を思い浮かべながら帰路を急いだ悟飯は、山の中で獰猛な大猪に出くわした。せっかく買い込んだ食糧を投げ捨て、命からがら家に逃げ戻った彼は、懐を探って愕然とした。これだけはと大事にしまっておいた花火がない。必死で逃げた時に落としてしまったらしい。 何も知らずに無邪気に養父の帰りを喜ぶ悟空の顔を見つめて、悟飯は、 「すまんのお、悟空や。今回はおみやげはなしじゃ」と謝った。 幼い悟空は納得出来ずに駄々をこねた。泣き叫ぶ悟空の声にしょんぼりと椅子から立ち上がった悟飯は、その拍子に足元に落ちた小さな袋に気が付いた。 拾い上げて見ると透明な袋の中に8本ほどの線香花火が入っている。これだけが服に引っかかってでもいたのだろう。悟飯は笑みを浮かべて悟空を振り返った。 「悟空や、夜になったら花火をやろうな」 その夜、生まれて初めて見る美しい火の花に悟空は大はしゃぎだった。うまく火の球が作れずに落としてしまう彼のために、悟飯は上手に大きな球を作って楽しませてくれた。 最後の一本が消え、気がつくとさっきまで大きな梢に隠れていた満月がちょうど見上げたところに出ていた。 うかつだった!―――悟飯は今夜は満月だということをすっかり忘れていたのだ。満月を見ると悟空が恐ろしい怪物になってしまうということを知って以来、彼に満月を見せないよう、細心の注意を払ってきたというのに……。 「悟空!!」 悟飯は慌てて振り返った―――が、時すでに遅かった。 「それで……どうなったんだ?」 ためらいがちに尋ねるチチに悟空は足元に目を落としてつぶやいた。 「わからねえ。目が覚めたら朝になってた。オラはなぜか素っ裸で倒れてて、家は潰れて、そこら中、嵐と落雷と竜巻が通ったあとみてえになってた。 じいちゃんの言ってた満月の夜に出る怪物にやられたんだ。じいちゃんは……」 チチは手で口を押さえた。悟空の胸に取りすがり、彼女は必死に叫んだ。 「言わなくていいだ! 辛えこと思い出させてすまなかっただ。ごめんな、悟空さ。おら何も知らなくて……。花火やろうなんて言わなきゃよかっただ」 悟空はチチの瞳をのぞきこみ、にこっと笑った。 「何言ってんだ、チチ。おめえが気にすることねえって。オラすっかり忘れてたんだ。あの夜、じいちゃんと一緒に花火やったこと。……なんで忘れてたんだろうなあ」 悟飯のことをほろ苦く思い出す一方で、悟空は思いがけなくこんなに間近にいるチチを不思議なものを見るように見下ろしていた。 つやつやと光を帯びた黒目がちの大きな瞳。月光に浮かび上がる白い肌。ほっそりとしなやかな体。まるで野生動物のように神秘的なチチ……。 「チチの肩ってこんなに細かったんか。オラの半分しかねえんだな」 悟空はぽつりとつぶやいた。 「そりゃ、おらは女だもん……」 「女……」 脳裏に水浴びするチチの姿が浮かび、悟空は反射的に服の上から彼女の体を見た。 自分とはまったく違う生き物。自分の知らない生き物がそこにいる。 女――――そう、チチは女だ。 なぜか息苦しさを覚え、彼は視線をそらした。こんな気持ちは初めてだった。 「悟空さ? どうしただ」 チチがけげんな顔でのぞきこむ。柔らかそうな小さな唇が悟空の目の前にあった。悟空はそれから目を離すことができなかった。自分の体の中になにか得体の知れない獰猛な生き物が目覚め、だんだんと脈づきながら大きくなっていくのがわかる。 (どうしちまったんだ、オラ) 大きく吐息をつくと彼は顔を上げた。 とたんに目の中に鈍い光が飛び込んできた。ここから100メートルほど先の、大きな木のてっぺん近くにかすかに光るものがある。自然界のものではない、どこかで見た覚えのある光――――― 悟空は「あっ」と叫ぶと駆け出した。 (思い出した! あの光は……) 背後でチチが悟空の名を呼んでいる。それには構わず木の下まで一息で走り着くと、そのままするすると登りはじめた。 梢の中程でそれは彼が来るのを静かに待ち構えていた。 「悟空さ……いきなり走り出したりなんかしてどうしたんだべ?」 戻ってきた悟空にチチは不思議そうに尋ねた。それに対して悟空は目を輝かせて叫んだ。 「じいちゃんが帰って来た!」 「悟空さ!?」 |