シリーズ紹介
田舎の村の警官に始まり、やがては私立探偵となって活躍するビーフ巡査部長(*1)を主人公としたシリーズです。初登場の際に「四十八歳から五十歳くらいの大きな赤ら顔の男で、生姜色の口髭をたくわえ、いかにもビール好きな愛嬌のある表情をしていた」
(『三人の名探偵のための事件』33頁より)と描写されているように(失礼ながら)有能な雰囲気はあまり感じられず、ただパブとダーツをこよなく愛する平凡な警官のように思えます。そしてひとたび事件が起これば豹変する、というわけでもなく、基本的に地道な捜査を行っています。その発想には非凡さも感じられるものの、あまり名探偵らしくない探偵役です。
もう一人の重要な登場人物が、語り手・タウンゼンドです。シリーズ第一作『三人の名探偵のための事件』でビーフ巡査部長と出会った彼は、事件を記録して出版するという役目を担うことになりますが、彼は自分がワトスン役であることを強く意識しているため、ビーフの捜査に協力しながらも作家/読者の立場で事件を眺めることが多く、ビーフ本人に対しても意外にシビアな態度をとっているところがポイントです。
シリーズにおける彼の重要性については後述します。
最初に邦訳された四作を読んだ限りでは(*2)、まず比較的シンプルなアイデアによるサプライズ・エンディングがシリーズ最大の特徴といえるでしょう。そして、この結末に向けて伏線が張りめぐらされたプロットが非常によくできています。その反面、真相を解き明かすビーフ巡査部長の論理にはややずさんな部分もあり、さらに重要な手がかりの一部がビーフ本人によって解決まで伏せられているなど、本格ミステリとしては弱点もあると言わざるを得ませんが、“犯人当て”ではないと割り切って読んでしまえば十分に楽しむことができるはずです。
もう一つの特徴は、“逆転のカタルシス”です。例えば、第一作の『三人の名探偵のための事件』では、田舎の警官として軽く見られていたビーフが三人の高名な探偵を向こうに回して鮮やかに事件を解決していますし、第二作の『死体のない事件』ではスコットランド・ヤードのスチュート警部に馬鹿にされながらも、見事に彼を出し抜いて真相に到達します。このような、いわば“下克上”のような逆転の印象は鮮烈ですし、特に日本人に対しては“判官びいき”にも似た効果があるように思えます。
作品紹介
1995年から2000年にかけて、シリーズ第五長編『ロープとリングの事件』、第一長編『三人の名探偵のための事件』、第二長編『死体のない事件』、第三長編『結末のない事件』の順に邦訳された後、二十年ぶりに第六長編『ビーフ巡査部長のための事件』が邦訳されました。
残り三作の長編(『Case with Four Clowns』・『Neck and Neck』・『Cold Blood』)、及び短編十作が未訳です。さらなる紹介が待たれるところです。
ご注意:
本文や解説などに、以前の作品のヒントが含まれている場合がありますので、できる限り順番通りにお読みください。
三人の名探偵のための事件 Case for Three Detectives
[紹介]
サーストン医師の邸で開かれたウィークエンド・パーティの夜、突如サーストン夫人の悲鳴が響き渡った。彼女の部屋の扉には二重にスライド錠がかけられ、窓から犯人が脱出した形跡はなく、ただ彼女の死体だけが……。
不可解な密室殺人に、翌朝三人の名探偵――ロード・サイモン・プリムソル、ムッシュー・アメ・ピコン、そしてスミス師――が登場した。彼らはビーフ巡査部長の困惑をよそに、それぞれ独自の調査を開始したのだが……。
[感想]
非常にユニークな作品です。冒頭の密室殺人に始まって、ドロシイ・L・セイヤーズの〈ピーター・ウィムジイ卿〉、アガサ・クリスティの〈エルキュール・ポワロ〉、G.K.チェスタトンの〈ブラウン神父〉にちなんだ三人の名探偵の登場、そしてそれぞれ独自の捜査活動を経ての多重解決、さらにどんでん返しまで、様々な要素が贅沢に詰め込まれています。
それぞれの“パロディ名探偵”はかなりデフォルメされていてやや鼻につく部分もありますが、オリジナルの探偵が活躍する作品を読んでいればニヤリとさせられる箇所もあり、なかなかよくできていると思います。
多重解決については、証拠から論理的に導き出されたものというわけではなく、“このような解釈ができるのではないか?”という程度のものですが(このあたりはアントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』にも通じるものがあります)、いずれ劣らずそれなりの説得力を持った興味深いものです。
これをひっくり返すビーフ巡査部長の解決は非常に大胆なもので、唖然とさせられます。アイデア自体もさることながら、“じゃんけんの後出し”に近いぬけぬけとした手順には、呆れるのを通り越していっそ清々しくさえ感じられます。これを受け入れられるかどうかで評価の分かれるところだと思いますが、“犯人当て”にこだわりさえしなければこれほど愉快な展開はないのではないでしょうか。
終盤の容疑者に対する取り扱いに納得のいかない点がありますが、まず傑作といっていいでしょう。
なお、本書はBishopさんよりお譲りいただきました。あらためて感謝いたします。
2001.08.13読了 [レオ・ブルース]死体のない事件 Case without a Corpse
[紹介]
「自首しに来た。人を殺したんだ」――ビーフ巡査部長を訪ねてきた厄介者のロジャーズ青年は、そう告げると毒を飲んで自殺してしまった。事件はあっという間に解決……とはいかなかった。ロジャーズが誰を殺したのかが、さっぱりわからないのだ。スコットランド・ヤードから派遣されてきたスチュート警部とともに被害者を探すビーフだが、捜査の糸はことごとく途切れてしまう……。
[感想]
まず、冒頭の奇妙な状況が魅力的です。殺人を告白した犯人が、被害者を明らかにしないまま自殺してしまったことで、“被害者探し”というあまり例のない謎が生まれています。ビーフ巡査部長だけでなく、やり手のスチュート警部も加わって徹底的にロジャーズ青年の身辺が捜査され、かつての恋人や謎の外国人など被害者候補は浮かんでくるものの、捜査はそこから麻薬密輸疑惑など、関係のない方向へと流れていってしまいます。しかし、タウンゼンドも交えた捜査陣のやり取りが読者を飽きさせません。特に、ビーフとスチュートの対照的な捜査のやり方と、それを見て両者を天秤にかけるタウンゼンドの心境が、なかなか興味深く描かれています。
終盤、捜査が完全に行き詰まったところでやや唐突に新たな展開となりますが、ここではタウンゼンドの“活躍”が見どころです。そしてビーフが解き明かす真相は十分に意外なもので、非常によくできていると思います。全体的にみて、なかなかの作品といえるのではないでしょうか。
結末のない事件 Case with No Conclusion
[紹介]
警察を退職して私立探偵となったビーフ巡査部長のもとに、ようやく初仕事が舞い込んできた。医師のベンスンを殺した容疑で逮捕されたスチュアート・フェラーズを救ってほしいと、弟のピーターが依頼してきたのだ。数々の証拠をもとにして警察は容疑を固めていたが、捜査に乗り出したビーフは新たな手がかりを次々と発見し、スチュアートの無実を確信する。しかし、真犯人を指摘する決め手を欠いたまま、公判の期日が容赦なく迫ってきた……。
[感想]
シリーズ中、最もメタミステリの要素が強い作品です。第1章からして、私立探偵を開業しながらも一向に仕事の依頼が来ないビーフが、他の作家たちを引き合いに出してタウンゼンドに文句をつける場面で登場します。例えば以下のような台詞です。
「『死体のない事件』は新聞にほとんど何も載らなかった。ミス・クリスティーやフリーマン・ウィルズ・クロフツ氏の作品と違って。あの人たちの作品は必ず新聞に書評が載る。わしの事件の書評は《サンディー・タイムズ》にちょっぴり掲載されたきりで、《オブザーヴァー》には一言も載っていない」(7頁)
「例えば先日も、わしにまさにおあつらえ向きの良い事件があった。(中略)それで、誰がその事件を扱ったと思う? ナイジェル・ストレンジウェイズだよ、もちろん。ニコラス・ブレイクの名探偵だ。それから、ケンジントンでの誘拐未遂事件(『Xに対する逮捕状』)はどうだ? わしに手頃な事件のはずだったが、フィリップ・マクドナルド氏を作家に抱えていたから、その事件はアントニイ・ゲスリンが扱うことになった」(8頁)
一方のタウンゼンドも負けてはおらず、捜査が暗礁に乗り上げた終盤には完全にビーフを見限って、別の探偵に乗り換えることを真剣に考えていますが、ラスト直前には「名探偵の失敗、作家たちを脅かす」
という見出しが新聞に出る始末です。実はこの作品は、事件の解決に失敗して糾弾される名探偵を描いた稀有な作品なのです。
とはいえ、もちろんそれで終わるはずはなく、ラストには実に意外な真相が用意されています。歯切れの悪いビーフの言動にはタウンゼンドならずともイライラさせられるところですが、ラストの鮮やかさはそれを補って余りあるものです。また、例によって見事な伏線も見逃せません。
ロープとリングの事件 Case with Ropes and Rings
[紹介]
名門のパブリック・スクールで校内ボクシング選手権が開かれたその翌朝、優勝したアラン青年がジムで首吊り死体となって発見された。警察の捜査では自殺と判断されたが、これに疑問を持ったビーフ巡査部長は学校へ乗り込み、アランの父親であるイーデンブリッジ侯爵の依頼を受けて独自の調査を開始した。昼間は学校の門番、夜はパブめぐりと大忙しのビーフだが、調査は確たる進展を見せない。しかしその時、ロンドンのスラム街でよく似た状況の首吊り事件が……。
[感想]
正直なところ、さほどよくできているとはいえません。まず、最初の事件を警察は自殺として処理しているわけですが、実はこの判断にあたって警察が信じられないほど初歩的なミスを犯していたことが明らかにされます。物語の展開上、仕方のない部分もありますが、それにしてもちょっと納得がいきません。
メインとなるサプライズ・エンディングの方もアイデア自体は非常にユニークなのですが、いかんせん説得力が不十分なため、残念ながら作者の意図したほど有効に機能しているとはいえないように思います。面白くなかったわけではないのですが、第三作までと比べるとだいぶ落ちると言わざるを得ないでしょう。
ビーフ巡査部長のための事件 Case for Sergeant Beef
[紹介]
引退した時計職人チックルは、一冊の日誌を書き始めた。“私は殺人を実行する決心をした。……そして、ここが肝心要の点なのだが――私には動機がないのだ。”
……そして一年後、ケント州の“死者の森”の中で、頭部を撃たれた死体が発見された。地元警察が自殺として処理するつもりだと考えた被害者の妹は、警察を退職して私立探偵を始めたビーフに事件の再調査を依頼する。かくしてタウンゼンドとともに現地を訪れ、捜査に乗り出したビーフだったが……。
[感想]
シリーズとしては『結末のない事件』以来、実に二十年ぶりに邦訳された第六長編です……が、これまでの作品とは少々毛色の違った作品であるとともに、何とも評価の難しい一作となっています。
最も目を引くのはやはり、冒頭(「第二章」~「第六章」)に置かれたチックルの日誌――殺人計画を綴った手記で、倒叙ミステリ風になっているのが異色ですが、ビーフが登場しないこの部分も十分に面白いものになっています。特に、“殺人のための殺人”として完全犯罪を目指すチックルが、最初は“動機がない”一本で押し通すつもりだったところから、計画を練っていくうちにアイデアを膨らませて細かい策を弄し始める様子は、なかなか興味深いものがあります。
やがて事件が起こり、ビーフとタウンゼンドがくせのある関係者たちを相手に捜査を始めると、安定の味わい。その中にあって今回は、“ビーフ巡査部長の活躍”を知っている人物――すなわち(作中では)タウンゼンドの作品の読者が登場してくるところにニヤリとさせられます。また捜査を通じて、チックルの手記の中で描かれていた出来事が、他の人物の視点からはだいぶ違った雰囲気で語られていくあたりも愉快です。
……といった具合に、物語としては楽しめると思うのですが、いかんせん肝心のミステリ部分が微妙な印象になってしまうのが困ったところ。今ひとつ作者の狙いがよくわからない部分もあり、結末は結果として“うまくいっていない”というべきか、それとも“ひねくれるにもほどがある”というべきか――いずれにしても、比較的ストレートなミステリを求める向きには少々おすすめしづらい作品です。個人的には、逆に未訳の作品がどうなっているのか余計に気になってきたのですが……。
“仕掛け”としてのタウンゼンドの重要性
〈シリーズ紹介〉の“逆転のカタルシス”の項で、““下克上”のような逆転”
と書きましたが、第一作及び第二作でこれが成立しているのは、作中でビーフ巡査部長よりも明らかに格上と考えられる三人の名探偵やスチュート警部が登場しているからです。登場人物たちがビーフ巡査部長のことを彼らよりも格下として扱っていることで、終盤に至って“下克上”が起こるわけです。
しかし、そのスチュート警部でさえ、第三作ではビーフに対して親しみを表していますし、第五作に至ってはビーフを高く評価しています。このようにビーフの評価が高まるにつれて、本来であればこの要素は姿を消していくはずなのですが、それに待ったをかけているのが他ならぬタウンゼンドです。彼はワトスン役であるにもかかわらず、驚くほどビーフの腕前を信用していないため、作中でビーフは絶えず厳しい視線にさらされることになります。これを乗り越えて見事に謎を解き明かしたとき、そこにはやはり“下克上”に似たカタルシスが生まれることになるのです。
そのタウンゼンドは前述のように、自身がワトスン役であることを強く意識しており、これによってメタフィクション的な要素が導入されている(『結末のない事件』では特に顕著です)こともシリーズの特色といえます。特に、ビーフとタウンゼンドによる、読者という存在を意識したメタレベルの掛け合いは、ミステリのパロディめいた独特のおかしさをシリーズに加えています。しかし、タウンゼンドのメタフィクション指向の効果はこれだけではありません。
このシリーズではそれぞれにサプライズ・エンディングが用意されていますが、それを成立させているのはビーフの“秘密主義”です。彼が何を調べたか、その都度すべて明らかにしていけば意外性が損なわれてしまうため、作者はある時点でビーフに秘密主義をとらせ、重要な手がかりを伏せることになります。そして、ビーフがなぜ作中でそのような行動をとっているのかといえば、“三人の名探偵”という存在が要因となっている第一作『三人の名探偵のための事件』を除けば、基本的に探偵役として振る舞うためであるのは間違いないでしょう。
すなわち、読者という存在に対するタウンゼンドの過剰な意識がビーフにも伝染し、タウンゼンドがワトスン役という役割にとらわれているのと同じく、ビーフも探偵役を演じなければならないという意識に支配されているため、タウンゼンドとその背後にいる読者に対して手がかりを伏せることになるのです。つまり、タウンゼンドの存在こそがこのシリーズを本格ミステリ(パズラーではない)として成立させているといえるのではないでしょうか。