ミステリ&SF感想vol.81

2004.03.30
『アプルビイの事件簿』 『忍法封印いま破る』 『エロチカ eRotica』 『銀河忍法帖』 『肉食屋敷』



アプルビイの事件簿 The Casebook of Appleby  マイケル・イネス
 1978年発表 (大久保康雄訳 創元推理文庫182-01・入手困難ネタバレ感想

[紹介と感想]
 『Appleby Talking』(1954)・『Appleby Talks Again』(1956)・『The Appleby File』(1975)という3冊の短編集から選りすぐった作品を収録した、日本オリジナルの短編集です。
 主役であるサー・ジョン・アプルビイは、『ハムレット復讐せよ』『ある詩人への挽歌』でも探偵役をつとめていますが、警部から警視を経てロンドン警視庁の副総監へと順調な出世を遂げたようです。
 なお、よく似た題名の『アップルビィ警部の事件簿』(勉誠社)とは収録作品がまったく違っているようなので、ご注意下さい(私は思いきり勘違いしていました)

「死者の靴」 Dead Man's Shoes
 急行列車の中、出張帰りのデリイのもとに駆け込んできた娘。彼女を怯えさせたのは、左右違う靴を履いた怪しい男だった。はたしてその翌日、左右違う靴を履いた男の変死体が発見され、デリイはそのまま捜査に協力することになったのだが……。
 印象的な発端と、二転三転するプロットが魅力的な佳作です。アプルビイの人の悪さ(?)も印象に残りますが……。

「ハンカチーフの悲劇」 Tragedy of a Handkerchief
 暇つぶしに入った芝居小屋で、『オセロー』を観ていたアプルビイ。ところが、その最中に舞台上でデズデモーナ役の女性が殺害されてしまったのだ。容疑者である役者たちの間では、『オセロー』そのままの人間模様が繰り広げられていたらしい……。
 シェイクスピア『オセロー』になぞらえた状況という趣向が面白いと思います。アプルビイの推理も納得できるものですが、最後の決め手が個人的にはやや興ざめ。

「家霊{いえだま}の所業」 A Matter of Goblins
 妻のジュディスとともに、ウォーター・プールと呼ばれる廃墟を見物に訪れたアプルビイだったが、そこで出会った牧師は、前夜、家霊が集って舞踏会を開くのを目撃したという。はたして、廃墟の内部の様子を探ったアプルビイが発見したのは……。
 廃墟で開かれた家霊の舞踏会という状況も魅力がありますが、アプルビイの前に姿を現した、腹に一物ありそうに思える人物たちのドラマ、そしてある意味衝撃的な結末が秀逸です。

「本物のモートン」 Was He Morton?
 アプルビイが書斎で取り出してみせた、モートンという男の顔写真。そのモートンは、戦争で大火傷を負ってすっかり変貌してしまったというのだが、偽者ではないかという疑惑が持ち上がり……。
 わずか数ページのショートショートですが、オチ(解決)が非常に鮮やかです。

「テープの謎」 The Ribbon
 著名な科学者であるカンティループ卿が失踪してしまった。夫人の訴えを受けて捜査に取りかかったアプルビイだが、卿は以前から怪しげな行動を見せていたらしい。ようやく手がかりをつかんだアプルビイの行動は……?
 題名にもなっている“テープの謎”は時代を感じさせるものですが、それがかえって何ともいえない趣をかもし出しています。

「ヘリテージ卿の肖像画」 The Heritage Portrait
 職人組合の集会でお披露目されるはずだったヘリテージ卿の肖像画が、別の絵にすり替えられていた。それを描いた画家は動揺して会場を飛び出していったが、やがて自宅で死体となって発見されたのだ……。
 この作品は、発端があまり魅力的でない上に、展開が少々強引に感じられます。

「ロンバード卿の蔵書」 The Lombard Books
 アプルビイが書斎で取り出したのは、何の変哲もなさそうな一冊の本だった。だが、ロンバード卿の蔵書だったというその本には、ある邪悪な仕掛けが施されているというのだ。それは一体……?
 「本物のモートン」と同様のショートショート。こちらはオチが見えてしまいますが、それでも何ともいえない印象が残ります。

「罠」 The Mouse-Trap
 アプルビイのもとに身の危険を訴える電話をかけてきた著名な化学者・マクレー博士。だが、アプルビイが邸を訪れた時には、すでに博士は殺害されていたのだ。状況から、博士の甥の一人が疑われたのだが……。
 現場に残された脅迫状という手がかりに隠された真相が非常に巧妙です。

「終わりの終わり」 The End of the End
 雪の中で立ち往生したアプルビイとジュディスは、近くにあったゴア城に一夜の宿を求めた。数人が滞在するその城で、深夜、弓で矢を射る音が鳴り響き、客の一人が姿を消していることが明らかになったのだ……。
 雪に閉ざされた古城、深夜に鳴り響く弓の音、そして残された足跡と、道具立ては雰囲気十分です。トリックが今では陳腐なものになってしまっているのが残念。

2004.03.16読了  [マイケル・イネス]



忍法封印いま破る  山田風太郎
 1969年発表 (角川文庫 緑356-15・入手困難

[紹介]
 幼い頃より服部半蔵に預けられ、その抜群の資質で一目置かれる存在となった若き忍者・おげ丸。彼は、徳川家の総代官として権勢をほしいままにした大久保長安の末子であった。その長安がある日、おげ丸を慕う服部家の美女三人を、妾として召し出す。死を目前に控え、自身の壮大なる構想を受け継ぐ子を残そうとする長安は、その胤を孕んだ三人の女たちを守ることをおげ丸に命じるのだった。やがて長安の死とともに大久保家は取りつぶされ、おげ丸は三人の女たちを連れたあてのない逃避行を、そして旧知の甲賀忍者五人との戦いを余儀なくされる。服部家への義理によって、自らの忍法を封印したまま……。

[感想]

 『銀河忍法帖』に続いて大久保長安が重要な役割を果たしている作品です。本書の中でも『銀河忍法帖』の事件に少しだけ触れられているので、そちらを先に読んだ方がいいかもしれません。

 本書ではまず、数ある風太郎忍法帖の中でもおそらくトップクラスに位置するのではないかと思われるほど強力な主人公・おげ丸が、自らその忍法を封印(攻撃には使わない)したまま戦うという、特異な状況が目を引きます。忍法封印という制約の下で、おげ丸の体術や女たちの機転を武器に繰り広げられる、強力な甲賀忍者たちとの“ハンディキャップ戦”は、やや似たところのある『柳生忍法帖』には一歩譲るものの、それ自体が十分な魅力を持っています。しかしながら、本書の眼目はあくまでも、題名や各章の章題などにも暗示されている物語の展開に込められた、果てしない哀しみなのです。

 発端となるのはもちろん、おげ丸の父にして稀代の怪物・大久保長安という存在です。その意図があまりにも壮大であるために、おげ丸も女たちもすっかり圧倒されてしまっているのがかえって救いといえるのかもしれませんが、それでもやはりおげ丸の負わされる運命は苛酷です。しかし、その長安の壮大な遺志もまた時の権力の前に蹉跌の危機を迎え、おげ丸はいよいよ窮地に陥っていくことになります。結局のところ本書で描かれているのは、強力な忍法とは裏腹の、強大な存在を前にしたおげ丸の無力さゆえの哀しみであり、しかもその中で自分なりの筋を通すために忍法を封印するという選択によって、物語の行方が定められているというべきでしょう。

 終盤、遂に“封印”が破られる時、おげ丸の身内からほとばしる激しい感情そのままの勢いで、物語は壮絶なカタストロフを迎えます。最後に残るのは、多くが語られないがゆえに一際印象深い結末。何ともいえない余韻の漂う物語です。

2004.03.19読了  [山田風太郎]



エロチカ eRotica  e-NOVELS編
 2004年発表 (講談社)

[紹介と感想]
 e-NOVELSと「小説現代」の合同企画による、官能小説アンソロジーです(e-NOVELSの特集ページはこちら)。官能小説プロパーではない作家たちのチャレンジが、それぞれに発揮される持ち味によってバラエティに富んだ、非常にユニークな作品集として結実しています。

「淫魔季」 津原泰水
 “私”はすっかり〈インキュバス〉に支配されてしまった。夫と別れて暮らす私のもとを気まぐれに訪れる、やせっぽちで醜い少年の姿をした〈インキュバス〉に。私は少しずつ変わっていく……。
 奇妙な非現実感が全編に漂う作品です。〈インキュバス〉に引きずられるかのように、少しずつ壊れていく主人公の姿が印象的。微妙にすっきりしないところの残るラストも、この作品にふさわしいと思います。

「愛の嵐{ポルノ・ポリティカ}」 山田正紀
 マリアを抱いている最中、銃撃を受けた“おれ”は、死を目前にして回想にふける。おれは囚われてしまっていたのだ。25年前、ハルピンの収容所での苛烈な、そしてめくるめく性体験に……。
 絶望の淵に立たされた男女の刹那的な行為。ある意味、山田正紀の得意とするところといえるかもしれません。背景となる過去の出来事も、主人公を呪縛するに足る十分な迫力を持っています。

「大首」 京極夏彦
 愚かだ――寝台の上の白い布を目の前にして、大鷹篤志は苦悩していた。エロスなど観念にすぎない。情愛こそが重要なのだ。そのはずだった。だが、官能に囚われてしまった自分は――
 長編『陰摩羅鬼の瑕』の番外編のようです。いかにも京極夏彦らしい、独特の雰囲気とともに展開される“官能論”。

「愛ランド」 桐野夏生
 女三人の海外旅行は、いつものように気楽なものになるはずだった。だが、手違いから起こったある出来事をきっかけに、なぜか性体験の告白合戦が始まってしまう。その行き着く果ては……?
 会話の中で、いわば語り手というフィルターを通した間接的な描写であるにもかかわらず、語られる内容がものすごいために強烈な印象を残します。また、本来秘すべき体験を公然と語り合うという状況も、背徳的な雰囲気を助長しています。

「思慕」 貫井徳郎
 あの時とは違って、里海さんは“ぼく”を拒絶するかのように、ぼくの愛撫にも反応しようとしない。里海さんに一目惚れして同じ店でアルバイトするようになり、遂に一度は結ばれたというのに……。
 結末は見えてしまいましたが、そこに至る筋道の見せ方がよくできていると思います。

「柘榴」 皆川博子
 同じ女学校に通う生徒に少しずつ惹かれていく“わたし”。心の中で“柘榴”と名づけた彼女に、近づきすぎることのないよう、わたしは密かに見つめていた。やがて戦況が悪化していく中……。
 句読点の多用による独特のリズムを持った文章で紡ぎ出された、何とも上品な世界。あくまでも精神的な、秘められたエロス。見事です。

「あの穴」 北野勇作
 肉弾官能兵器のなれの果て、ムラサキバナナナメクジに取りつかれていた“おれ”を助けた男は、性蜜計算機関の仕事を紹介してくれた。停止した機関をなだめるため、“あの穴”へともぐり込むのだ……。
 「柘榴」とは対照的に、ひたすら即物的というか。客観的にはエロティックどころか気色悪いとしか思えない状況なのですが、淡々とした語り口のどこかとぼけた雰囲気の漂う主人公の主観を通すことで、官能的な物語に変換されている……ような気がします。

「危険な遊び」 我孫子武丸
 半ば倦怠期にさしかかった恋人たちが、刺激を求めて始めた“レイプごっこ”。それは少しずつエスカレートしていったが、その裏で男は、密かに独自の思惑を抱えていた……。
 最もミステリ色の強い作品です。“レイプごっこ”という状況を生かしてひねりの加えられたプロットが面白いところです。

2004.03.25読了  [e-NOVELS 編]



銀河忍法帖 天の川を斬る  山田風太郎
 1968年発表 (角川文庫 緑356-11・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 金山開発のために佐渡へ渡る大久保石見守長安に対して、服部半蔵は五人の伊賀忍者を護衛につけることを申し出た。しかし長安は、自ら開発した武器を持たせた五人の愛妾で十分だという。その言葉通り、伊賀忍者は愛妾たちの操る武器の前に敗れ去ったのだが、結局長安は、総勢十人の護衛を従えて佐渡へと向かうことになった。その道中、長安は一人の美女に目を止める。朱鷺という名のその美女を、強精剤の材料にしようというのだ。そこへ飛び出して朱鷺を救ったのが、江戸の暴れん坊・六文銭の鉄。追撃を振り切って逃げおおせた二人だったが、なぜかそのまま佐渡へ渡り、再び長安一党の前に姿を現す……。

[感想]

 後の『忍法封印いま破る』と同様、大久保長安を重要な役どころに据えた作品です。

 まず、戦車対伊賀忍者という異色の戦いに始まり、さらに五人の女たちが操る携帯武器と伊賀忍法との対決へとつながる冒頭で描かれた、サイエンスと職人芸との対比が非常に面白いと思います。系統立った知識の産物であり誰しも(か弱い女性でも)利用可能な武器と、個人の修行の成果であり伝承することが困難な忍法とを対立させ、太平洋戦争のエピソードまで引き合いに出す作者の視点が秀逸です。また、忍法と近代兵器の対決といえば思い浮かぶのが『軍艦忍法帖』ですが、およそ250年という両作品の作中年代の隔たりを考えてみると、長安の並々ならぬ先進性がよりはっきりと浮かび上がってきます。当時の日本にあってただ一人広大な視野を持ち、時代に大きく先んじていた長安という存在は圧倒的で、まぎれもなく本書の主役の一人となっています。

 もう一方の主役はもちろん、朱鷺と六文銭の鉄という謎の男女です。偶然関わることになったはずの長安に対して、何やら含むところのある様子の謎めいた美女・朱鷺と、豪放かつ大胆な無頼漢であるにもかかわらず、惚れた弱みからか朱鷺に翻弄される憎めないところも見せる六文銭の鉄。偶然出会ったはずの二人がコンビを組み、それぞれに揺れ動く思いを抱えながらも、伊賀忍者たちや愛妾たちを撃退しつつ長安に迫っていく展開は、無類の面白さを備えています。

 そしてもう一つ、見逃してはならない本書の魅力が、長安輩下の山師である味方但馬をはじめとした、いずれも個性豊かな脇役たちです。彼らが様々な形で主役たちに絡んでくることで、物語に一層の厚みが加わっています。その中でも特に印象的なのが五人の伊賀忍者たちで、前述の職人芸としての側面を強調するためもあってか、それぞれに独自の忍法を修得するに至った経緯がしっかりと描き込まれているのですが、それだけに、戦いの中でほとんどいいところなく敗れ去っていく彼らの姿が、職人芸である忍法の限界を、ひいては忍者という存在の哀れさを際立たせているように思います。

 数々の戦いを経て、すべての真相が明らかになり、題名の由来となった叫びが発せられる結末は、残念ながら傑作『忍びの卍』には一歩譲るものの、それでも十分に衝撃的といえるでしょう。B級という作者自身の評価が不思議に思えてしまう作品です。

2004.03.26読了  [山田風太郎]



肉食屋敷  小林泰三
 1998年発表 (角川書店)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 怪獣小説・SF西部劇・サイコスリラー・ミステリと、バラエティに富んだ作品が収録された第三作品集です。

「肉食屋敷」
 村役場に勤める“わたし”は、山上に放置されたトラックを何とかしてくれという村民の訴えを受けて、その持ち主と相談するために研究所へと赴いた。資産家である持ち主は、人里離れた研究所で何やら独自の研究を行っているらしい。だが、わたしを迎えたのは、不気味に歪んだ異様な雰囲気の建物だった……。
 マッドサイエンティストが生み出してしまった“怪獣”。その姿や生態が、作者お得意のグロテスクな描写でこの上なく不気味に描き出されています。しかし、個人的に最も強く印象に残るのは、マッドサイエンティストのとった気が遠くなるような手法だったりするのですが。

「ジャンク」
 人間を狩って金を稼ぐハンターたち。新鮮な人間の臓器や器官は、様々な装置の材料として使われているのだ。“わたし”は、そのハンターと戦うハンターキラーだった。調子がおかしくなった人造馬を、たどり着いた村のジャンク屋でハンターの死体を使って修理してもらい、再び旅に出たわたしだったが……。
 “アンデッド”をテーマに書かれた作品ですが、西部劇の雰囲気が漂う舞台が奇妙にうまくはまっています。テーマがテーマだけに、これまたグロテスクな描写が満ちあふれていますが、それでも、ある意味で美しい作品に仕上がっています。

「妻への三通の告白」
 癌の宣告を受け、死を間近に控えた“わたし”の心残りは、後に残される、寝たきりになったのことだった。だが、若い頃に喧嘩別れした親友に再会し、幸いにも後事を託すことができた。そして今、わたしは妻への手紙を書いている。しかしその最中、かつて自分が書いたと思われる妻宛ての二通の手紙を発見して……。
 「あとがき」によれば、“口説く”というテーマを与えられて書いた作品とのこと。掲載誌ではおそらく異彩を放っていたのではないかと思われるのですが、本書の中にあってはやや埋もれ気味という印象。きれいにまとまっているのですが、この作者の場合にはそれがほめ言葉にならないような気がします。

「獣の記憶」
 “僕”が気づかないうちに、『敵対者』が活動していたらしい。僕と『敵対者』とのコミュニケーション手段は、一冊のノートだけ。そこに書かれた『敵対者』の活動の記録は、何よりも僕を怖れさせる。知らない間に僕の体を使って、悪意に満ちた行動を繰り返す『敵対者』。そう、そいつは僕の頭の中にいるのだ……。
 多重人格を扱った心理ミステリの怪作。『敵対者』の存在に苦しめられ、どこまでも転落していく主人公の前に、掟破りの“バカトリック”が炸裂しています。結末にも開いた口がふさがりません。必読です。

2004.03.29再読了  [小林泰三]


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