萬人買醉攪芳叢, 感慨誰能與我同。 恨殺殘紅飛向北, 延元陵上落花風。
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芳野に遊ぶ
萬人 醉を買ひて 芳叢を 攪(みだ)し,
感慨 誰(たれ)か能(よ)く 我と同じき。
恨殺す 殘紅の 飛びて 北に向ふを,
延元陵上 落花の風。
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◎ 私感註釈
※頼杏坪:寶暦六年(1756年)〜天保五年(1834年)。江戸中期の儒者。漢詩人。三次町奉行を務める。名は惟柔。字は千祺、号して春草。杏坪は、後期の号になる。 安芸の竹原の人。亨翁の四男(通称:萬四郎)として生まれた。頼山陽の伯父に該る。
三次・頼杏坪役宅 『日本外史』後醍醐天皇遺詔 『太平記』巻二十一 先帝崩御 平成十六年春の後醍醐天皇塔尾陵 同・如意輪寺山門(H16.4.2) 同・穏やかな如意輪寺境内 詩碑 頼杏坪『遊芳野』。常用漢字で、
現代仮名遣いによる書き下し。時代の
変化を感じた。
後方の山は、如意輪寺、塔尾陵。
※遊芳野:吉野を遊覧する。これと同様の詩題で藤井竹の作品「古陵松柏吼天」があるが、彼のは穏やかで美しい詩であるのに対し、こちらは、後醍醐天皇の恨みが全面に出ている詩であり、梁川星巖の『芳野懷古』(今來古往蹟茫茫,石馬無聲抔土荒。春入櫻花滿山白,南朝天子御魂香。)や、河野鐵兜の『芳野懷古』「山禽叫斷夜寥寥,無限春風恨未銷。露臥延元陵下月,滿身花影夢南朝。」 などがある。
・芳野:吉野。吉野山。奈良県南部の山岳地帯にある。 後醍醐天皇から後亀山天皇までの大覚寺統の朝廷である吉野朝の古跡。桜の名所でもあるが、後醍醐帝の御陵や如意輪寺など、心を痛ましめる歴史上の遺跡でもある。
※萬人買醉攪芳叢:多くの人が花見酒に酔って、花の咲き匂うところをかき乱しているが。 ・萬人:多くの人。すべての人。 ・買醉:李白の『結客少年場行』「由來萬夫勇,挾此生雄風。託交從劇孟,買醉入新豐。」、『梁園吟』に「舞影歌聲散穀r,空餘水東流海。沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。」とある。 ・攪:〔かう;jiao3〕みだす。かきみだす。 ・芳叢:花の咲きにおう草むら。
※感慨誰能與我同:わたし同様に南朝の哀しい歴史に心を傷めているのは、いったいどれほどいるのだろうか。あまり、いまい。 ・感慨:はかり知れないほど深く感じて嘆くこと。身にしみて感じる。南朝の歴史に心を傷めていることをいう。 ・誰能:だれがよく……か。だれも……だ。 ・與我:わたしと。 ・同:おなじである。
※恨殺殘紅飛向北:恨めしいことに、散り残ってまばらになった花びらだけが、北に向かって飛んでいき。(花見客は、誰も北に対する特別の感懐を持っていないのが、遺憾である)。 ・恨殺:恨みの程度が甚だしいこと。「-殺」は用言の後に附き、その程度が甚だしいことをいう。「忙殺」「愁殺」などがそうである。「恨殺」の用例は少ない。 ・殘紅:散り残ってまばらになった花びら。 ・飛向:…に向かって飛ぶ。 ・北:醍醐天皇は「北」に怨みを抱いて崩御した。「たとえ死んでも、魂は、ずっと北の方の宮門を見続けている。」そのため、御陵も北向きに造られた。吉野の南朝に対して、京の都にある北朝をも暗示しており、後醍醐天皇の怨みを抱いた遺詔は次の通り:『日本外史』では「朕憾不滅國賊,平天下。雖埋骨於此,魂魄常望北闕。後人其體朕志,竭力討賊。不者非吾子孫、非吾臣屬。」。そして「按劍而崩」というものであった。『太平記』に拠ると(写真のページと次のページに該る)、「…思之(これをおもふ)故ニ玉骨ハ縱(たとひ)南山ノ苔ニ埋ルトモ。魂魄ハ常ニ北闕ノ天ヲ望ント思フ。…。」「遺勅有(あり)シカハ。御終焉ノ御形ヲ改メス。棺槨ヲ厚(あつく)シ。御坐ヲ正(ただしふ)シテ。吉野山ノ艮(うしとら)ナル林ノ奥ニ圓丘ヲ築テ。北向ニ奉葬(ほふむりたてまつる)。」
※延元陵上落花風:延元年間に造られた後醍醐天皇の塔尾陵には、心ある無常の花を散らす風が吹いている。 ・延元:南朝の元号。延元元年は、1336年。後醍醐天皇崩御は、延元四年(1339年)。 ・陵:後醍醐天皇の御陵、塔尾陵のこと(写真)。 ・落花風:花を散らす風。ここでは、心ない風、の意はない。後醍醐天皇と作者の無念の思いを風のみが理解してくれている、になる。唐の劉希夷の『白頭吟』(『代悲白頭翁』)「洛陽城東桃李花,飛來飛去落誰家。洛陽女兒惜顏色,行逢落花長歎息。今年花落顏色改,明年花開復誰在。 已見松柏摧爲薪,更聞桑田變成海。 古人無復洛城東,今人還對落花風。」とある。
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◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「叢同風」で、平水韻上平一東。次の平仄はこの作品のもの。
●○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
●●○○○●●,
○○○●●○○。(韻)
平成16.4.4完 |
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