虞姫 | ||
清・呉永和 |
大王眞英雄, 姫亦奇女子。 惜哉太史公, 不紀美人死。 |
大王は 真の英雄,
姫も亦 奇女子。
惜しい哉 太史公,
美人の死を 紀さず。
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◎ 私感訳註:
※呉永和:清代の詩人。字は文璧。
※虞姫:虞美人のこと。西楚覇王・項羽の愛姫。 *虞姫(虞美人)は、項羽の最後の夜を共にした者。覇王・項羽が四面に楚の歌酒を聴き、郷土も敵・漢軍に陥ちたと思った項羽は、夜、起きて、酒を飲んで、(駿馬・騅(すゐ)と同様に)常に随っていた虞姫に「力は 山を拔き 氣は 世を蓋(おほ)ふ,時 利あらず 騅(すゐ) 逝かず。騅(すゐ)の 逝(ゆ)かざるを 奈何(いか)にすべき,虞(ぐ)や虞(ぐ)や 若(なんぢ)を 奈何(いかん)せん。 」…などと歌い、虞美人も和して「漢兵 已に 地を略し,四方 楚の歌聲。大王 意氣 盡き,賤妾 何ぞ生を 聊んぜん。」と歌った。それを聴いていた項羽ははらはらと涙を落とし、周りのお付きの者も泣き出した。『史記』はその後虞美人をどのように処分したのかは書いていない。そのことをこの詩にした。『史記・項羽本紀』の四面に楚歌を聞いた後(敵・劉邦の漢軍の中から、項羽の郷国である楚の兵士歌声を聞き、郷国は敵の手に落ちたと思い)「項王則夜起,飮帳中。有美人名虞,常幸從;駿馬名騅,常騎之。於是項王乃悲歌慨,自爲詩曰:「力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。騅不逝兮可奈何,虞兮虞兮奈若何!」歌數美人和之,。項王泣數行下,左右皆泣,莫能仰視。」(詳しくは『史記(中華書局版・金陵局本)・項羽本紀』に「項王(項羽)軍壁垓下,兵少食盡,漢(劉邦)軍及諸侯兵圍之數重。夜聞漢軍四面皆楚※1歌,項王乃大驚曰:「漢皆已得楚乎?是何楚人之多也!」項王則夜起,飮帳中。有美人名虞,常幸從;駿馬名騅,常騎之。於是項王乃悲歌忼慨,自爲詩曰:「力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。騅不逝兮可何,虞兮虞兮奈若何!」歌數美人和之,。項王泣數行下,左右皆泣,莫能仰視。」 とある。(※1:蛇足:楚は、項籍(字は羽)の本国。ここから「四面楚歌」の言葉が生まれた。)なお、虞美人がこの詩に答えた「漢兵已略地,四方楚歌聲。大王意氣盡,賤妾何聊生。」がある。))。北宋・曾鞏の『虞美人草』では「鴻門玉斗紛如雪,十萬降兵夜流血。咸陽宮殿三月紅,覇業已隨煙燼滅。剛強必死仁義王,陰陵失道非天亡。英雄本學萬人敵,何用屑屑悲紅粧。三軍散盡旌旗倒,玉帳佳人坐中老。香魂夜逐劍光飛,血化爲原上草。芳心寂莫寄寒枝,舊曲聞來似斂眉。哀怨徘徊愁不語,恰如初聽楚歌時。滔滔逝水流今古,漢楚興亡兩丘土。當年遺事久成空,慷慨樽前爲誰舞。」と詳しく詠う。
※大王真英雄:大王(項羽)は本当に英雄で。 ・大王:ここでは、西楚覇王・項羽を指す。ドラマ『芈月傳(ミーユエ 王朝を照らす月)』では〔da4wang2〕と言っている(2019.5.23記)。なお、京劇『覇王別姫』では、項羽は「大王」〔dai4wang2 ?dai3wang4?〕と呼ばれている。 ・真:本当に。まことに。
※姫亦奇女子:虞姫(虞美人)もまた、抜き出て優れた女性だ。 ・姫:〔き;ji1○〕虞姫を謂う=虞美人のこと。 ・亦:…もまた。 ・奇:ぬきでる。めずらしい。
※惜哉太史公:残念なことに、太史公(司馬遷)は。 ・惜哉:残念なことだなあ。惜しいことだなあ。 ・太史公:司馬遷の自称。『史記』の著者。司馬遷は著書『史記』で「項羽本紀」の項目を立てて、項羽の活動に注目した。項羽と漢王・劉邦との間の後世、楚漢戦争と呼ぶようになった戦闘には詳しいが、「虞兮虞兮奈若何」と歌った後のことは記されていない。
※不紀美人死:虞美人の死ぬさまについて、(『史記』に)記録しなかった(ことだ)。 ・紀:しるす。書く。 ・美人:虞美人。前出・虞姫に同じ。「美人」は女官の名称。
◎ 構成について
2010.7. 4 7. 5 2014.2.24完 2019.5.23補 |
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