七年不到寒山寺, 客枕依然半夜鐘。 風月未須輕感慨, 巴山此去尚千重。 |
2007年撮影 |
楓橋 に宿る
七年 到らず寒山寺 ,
客枕 依然たり半夜 の鐘。
風月 未だ須 ゐず輕〻 しく感慨するを,
巴山 此 より去ること尚 ほ千重 。
◎ 私感訳註:
※陸游:南宋の詩人。宣和七年(1125年)〜嘉定二年(1209年)。山陰 (現・浙江省紹興県)の人。字は務観。号して放翁。夔州通判、厳州権知事、軍器少監、礼部郎中兼実録院検討、宝謨閣待制などを歴任した。尤袤、楊万里、范成大とともに南宋四大家と称された。祖国を憂うる愛国詩人といわれるとともに、日常の生活をもこまやかに歌い上げた。
※宿楓橋:楓橋の地に宿(やど)る。 ・宿:やどる。 ・楓橋:寒山寺の所在地の名。またそこにある橋の名(=上掲写真)。中唐・張繼の『楓橋夜泊』「月落烏啼霜滿天,江楓漁火對愁眠。姑蘇城外寒山寺,夜半鐘聲到客船。」に基づく。
大きな地図で見る
※七年不到寒山寺:七年間、寒山寺に来なかった(が)。 ・寒山寺:江蘇省蘇州市の西郊で現在は市内西部、曾ての楓橋鎮にある寺。梁代に創建された禅宗寺院。
※客枕依然半夜鐘:旅先で、枕をして横になれば、相変わらずに、(張繼の『楓橋夜泊』詩のように、)夜半の鐘の音(が聞こえる)。 ・客枕:旅先で、枕をして横になる。旅枕。 ・依然:相変わらず。 ・半夜:夜半。前出・張繼の『楓橋夜泊』「姑蘇城外寒山寺,夜半鐘聲到客船。」に基づく。
※風月未須輕感慨:山水の風流については、軽々しく思いやることをまだする必要がない。 ・風月:山水の風光。風流。 ・未須:まだする必要がない。まだするに及ばない。
※巴山此去尚千重:(目的地の)四川の山々は、ここからなおまだ、幾重にも重なった(ところにあるのだから)。 ・巴山:〔はざん;Ba1shan1○○〕大巴山のこと。現・四川省と陝西省省境にある大巴山(白帝城の北・80キロメートルのところ)。また、現・四川省通江県にある山の名。また、巴(は)(四川東部から東北部)の地方の山。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)52−53ページ「唐 山南東道 山南西道」には壁州に諾水があり、現・通江県がある。ただし、巴山は無い。『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社)29−30ページ「北宋 成都府路 梓州路 利州路 夔州(きしう)路」にも巴州の中に通江があるが、巴山は無い。前出・文同の『守居園池雜題・望雲樓』「巴山樓之東,秦嶺樓之北。樓上卷簾時,滿樓雲一色。」がある。後出・『竹枝詞』のように「巴の地方の山」(四川東部から東北を覆う山々)と見るのが自然ではなかろうか。 中唐・劉禹錫の『竹枝詞』の「楚水巴山江雨多,巴人能唱本ク歌。今朝北客思歸去,回入那披漉。」は、「巴の地方の山」の意。晩唐・李商隱の『夜雨寄北』に「君問歸期未有期,巴山夜雨漲秋池。何當共剪西窗燭,卻話巴山夜雨時。」とあり、北宋・文同の『守居園池雜題・望雲樓』に「巴山樓之東,秦嶺樓之北。樓上卷簾時,滿樓雲一色。とある。 ・此去:ここを去ること。 ・尚:なお。まだ。 ・千重:幾重にも幾重にも重なった、の意。
◎ 構成について
2018.11.10 11.11 11.12 11.13 |