中原父老莫空談, 逢着王人訴不堪。 卻是歸鴻不能語, 一年一度到江南。 |
初めて淮河に入る
中原の父老空 しく談ずる莫 かれ,
王人に逢着 して堪 へざるを訴 ふるを。
卻 って是 れ歸鴻 語る能 はざるも,
一年に一度江南 に到 る。
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◎ 私感訳註:
※楊萬里:南宋の学者、詩人。字は廷秀。号して誠齋。吉水(現・江西省吉水県)の人。1127年(靖康二年/建炎元年)〜1206年(開禧二年)。生涯、抗金に勤めた。南宋の「中興四大詩人」の一。
※初入淮河:初めて(洪沢湖から南宋と金国(女真族≒満洲民族)との国境線である華中の)淮河に入ったときの詩作。楊万里が淳煕十六年(1189年)、金国に年賀の使者として使わされた途上の作。四首の其の四。淮河が金と南宋の国境(金・南宋の地図)。楊萬里『初入淮河』其一「船離洪澤岸頭沙,人到淮河意不佳。何必桑乾方是遠,中流以北即天涯。」はこちらで、其三「兩岸舟船各背馳,波痕交渉亦難爲。只餘鴎鷺無拘管,北去南來自在飛。」はこちら。
※中原父老莫空談:(曾ての宋(=北宋)の領土で、今は金の領土となっている漢民族の故地・)中原のご老人方よ、無駄に愚痴(ぐち)は言いなさるな。*盛唐・杜甫の『悲陳陶』に「孟冬十郡良家子,血作陳陶澤中水。野曠天C無戰聲,四萬義軍同日死。群胡歸來血洗箭,仍唱胡歌飮キ市。キ人回面向北啼,日夜更望官軍至。」とあり、南宋・范成大の『州橋』に「州橋南北是天街,父老年年等駕迴。忍涙失聲詢使者,幾時眞有六軍來。」とあり、南宋・陸游の『夜讀范至能攬轡録言中原父老見使者多揮涕感其事作絶句』に「公卿有黨排宗澤,帷幄無人用岳飛。遺老不應知此恨,亦逢漢節解沾衣。」、辛棄疾の「渡江天馬南來,幾人眞是經綸手。長安父老,新亭風景,可憐依舊。」や陸游の『書事』「關中父老望王師,想見壺漿滿路時。寂寞西溪衰草裏,斷碑猶有少陵詩。」、張孝祥の「六州歌頭」「聞道中原遺老,常南望,剃ワ霓旌」とある。 ・中原:黄河中流域の平原地帯で、漢民族の故地を謂う。現・河南省、山東省、山西省…一帯。作者の時代は金の領土となっていたので、「失われた祖国だったところの地」の意。 ・父老:村のおもだった年より。老人の敬称。 ・莫:…なかれ。禁止、打ち消しの表現。 ・空談:無駄話をする。雑談する。動詞として使う。
※逢着王人訴不堪:国王の使者に出逢って、(土地が宋から金になったことで)堪(た)えられないことを訴えても(如何ともしがたいことだ)。 ・逢着:〔ほうちゃく;feng2(zhuo2?zhao1?zhao2?zhe0?)○●〕出逢う。「着」は助字。=逢著。 ・王人:国王の使者を謂う。ここでは南宋の使者。 ・訴:訴える。…に言う。 ・不堪:がまんできない。堪えられない。
※却是帰鴻不能語:でも、(人とは)反対に、渡ってゆくカリは話すことができなくても。 ・却是:反対に。かえってこれ。 ・帰鴻:季節になって、渡ってゆくカリ。北宋・蘇軾の『惠崇春江曉景其二』に「兩兩歸鴻欲破群,依依還似北歸人。遙知朔漠多風雪,更待江南半月春。」とある。 ・不能-:…することができない。 ・語:語(かた)る。動詞。
※一年一度到江南:一年に一度は江南(の南宋の領土)へ帰ってくる(ではないか。空しい談論はやめて、行動に移すことが大切だ)。 ・江南:長江下流の南側の地方。南宋の領域でもある。
◎ 構成について
2011.12.19 12.20完 2013. 7.11補 2014. 8. 7 2016. 5.11 2020.10.18 |