戦前の口語文で「てふ」という語が使われることがあった。 「といふ」の約で、「チョー」と発音する。 しかし、現在では全く使われないので、現代かなづかいにするとき困る。 岩波文庫で最近出た内村鑑三の著作で、 しかたなく「チョウ」としたのがあったような。
いまふと思いついたのだが、「……ちうことだ」あるいは 「……ちゅうことだ」の「ちう」「ちゅう」がこれと似ているのではないか。 くだけた言い方であるという点では異なるだろうが。
2005-05-03 (2) 20:22:46 +0900
「い組」は火消しの組の名、という設定。 その組がくるのを待つ、というのである。
2005-05-03 (2) 20:18:51 +0900
非・公務員化すれば憲法擁護義務はなくなるわな。
国立大学の法人化をこの視点から批判あるいは評価していた意見ってあったかな。
2005-05-03 (2) 19:36:52 +0900
さっきニュースを聞いていたら、 衆参両院の憲法調査会最終報告を元に“改憲の機は熟した” と主張している団体もあるようだ。 しかし、政党ごとに改憲の方向は異なっていて、 実現までの道のりはまだまだの感じである。
そこでふと思ったのだが、 もしも、日本社会党が野党第一党だった時代に、 自民党と社会党がそれぞれ改憲案を出していたとしたら、 そのときの状況と、 いまの状況とはあまり変わらないのではないだろうか。 社会党は護憲を旗印にしていたから改憲案を出したとは思われないが、 真に社会主義をめざすならそのような方向で憲法改正を目指すべきだったわけで。
改憲ムードを高めれば国民は支持政党の改憲案を指示するようになるだろう、 と考えている人たちもいるのかな。
2005-05-03 (2) 19:33:35 +0900
例えば紅茶をいれながら 「すのものは紅茶をいれながらこう語り始めた」 などとト書きまでしゃべってしまうことがあるが、 そういうキャラクタの名前として「戸垣勇蔵」というのを考えた。 「とがきゆうぞう」である。
2005-05-03 (2) 02:11:06 +0900
例えば日本語をベースにし、 普通に言ったあと必ず逆に言う、と決めれば必ず回文になる。 例えば、日本語の「これはペンです」は 「これはペンですすでンペはれこ」となる。 こういう人工言語だ、と言い張るのである。
ところで、 この言語では、 日本語の「かれは『これはペンです』といった」は 「かれは『これはペンですすでンペはれこ』といったたっいと 『これはペンですすでンペはれこ』はれか」となるのだろうか?
2005-05-02 (1) 23:22:08 +0900
八犬士が初めて集まったときとか。
2005-05-02 (1) 23:20:28 +0900
本文ナシ
2005-05-02 (1) 23:18:36 +0900
1日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Sunday の 7 面、 「目の冒険」は赤瀬川原平氏の「錯覚と想像力」の6回目。 路面などに樹木の影が落ちているところを写真に撮り、 何分後かにもう一枚撮る。 太陽が動いた分だけ影がずれているので、 この二枚を並べて立体視すると樹木が浮き上がって見える、というのだ。 なーるほど。
そこでふと思ったのだが、 もしも片目だけ、 見えたものが脳に達するまでに時間がかかるようになってしまったら、 世界が変に立体視されてしまうのではあるまいか? そんなことないか。
2005-05-02 (1) 23:11:45 +0900
本文ナシ
2005-05-02 (1) 19:14:13 +0900
きのうの日曜日。兼六園を散歩したあと、 カトリック教会の入り口でミサの時間をメモし、 香林坊大和へ。 地下の酒売り場でビールを見たらギネスが新しくなっている。 店員に聞いたら、中に玉がはいった新製品のこれに切り換わるんだそうだ。 なんだかラムネみたいでおもしろそうなので、一本買って雨の中央公園で飲んだが、 薄くて水のようでまずい。 前のほうがずっとよかった。 まん中の大きな木の下で飲み終えてふと足元を見たら、 すぐうしろに赤いゴム風船が落ちていた。 ここに立ったときはなかったはずなのに。 超常現象か。 ごみ箱が撤去されて以来、私は空き缶は必ず持ちかえる。 その缶をいま見たらアルコール分は約 4.2% とある。 前のは約 6% だから、かなり薄いわけだ。 ところで、 中央公園は新緑がきれいだし、 雨だからほこりも立たなくていい状態なのに、 お掃除の人と通り抜ける人しかいなかった。 もったいない。
注) この新製品は冷蔵庫で3時間以上冷やしてから開け、 グラスに注いで飲むよう書かれている。 それは守っていないわけだが、でも薄すぎ。
2005-05-02 (1) 00:20:38 +0900
きちんとそそいで飲めば非常においしい。いまでは,愛飲するビールの一つである。
2018-04-05 (4) 23:11:56 +0900
NHK教育で、きのう21時から。 準・メルクル指揮のベートーベン「荘厳ミサ曲」が放送された。 (私は「荘厳ミサ『曲』」とは書かないが、 番組でこう言っていたのでこう書く。)
合唱は国立音楽大学。最後の拍手のところで、 いままで舞台に出ていなかった人が登場して指揮者とともに拍手を受けていた。 誰だろうと思ったら、字幕で氏名と「合唱指導」という肩書きが紹介された。
一時間しか時間がないので、 Credo 以下の三つの楽章のみの放送だった。 ちょっと残念。
《「合唱指揮」とはどんなことをする人? 「合唱団の統率者」みたいな人?》 参照。
2005-05-02 (1) 00:00:00 +0900
リボは「リボ払い」の略。 毎月のお支払いが一定額になりますよ、と勧められたりするが、 ずっと借金をし続けるわけで、あまりお得ではないと思う。
勧められるままリボ払いで鯉のぼりを買ったが、 あとになって「こいつでずいぶん利息を払わされた」と遺恨に思っている、 という様子。
2005-05-01 (0) 23:49:41 +0900
あれは木になるんでしたっけ? 違っていたら 「キウイという気?」に改めます。
2005-05-01 (0) 23:48:37 +0900
救出された○○さん犠牲」は不適切では
タイトル行に引用したのは、
きょうづけ大阪本社版社会面のJR脱線事故の記事の見出しである。
第一面の見出しは「救出された女性が死亡
」。
「死亡」はイメージが強すぎるので「犠牲」に置き換えることがよく行われるが、
「救出された」のあとに続くと、
本来の「いけにえ」の意味が思い浮かんでしまうようだ。
せっかく助かったのに誰かがこの人をいけにえにして
(例えば)他の人の命を救った、といったふうに思えてしまう。
2005-05-01 (0) 23:46:36 +0900
きょうづけ朝日新聞大阪本社版。 憲法を改正するなら世襲制をやめて公選制もありえるわけで、 「世襲も維持」と書くべきではなかったか。
2005-05-01 (0) 23:39:39 +0900
きょうづけ総合面の、JR脱線事故の記事。 JR福知山線の宝塚―尼崎間で、 2003 年 12 月のダイヤ改定で途中停車駅が一つ増えたにも関わらず発時刻・ 着時刻が同じ列車がある、というのだが、 一般向けの時刻表は分未満は確か切り捨てで表示している。 もしもダイヤ上の最小の時間単位が 15 秒なら、 発時刻が ?? 分 45 秒から ?? 分 00 秒に早まり、 着時刻が ?? 分 00 秒から ?? 分 45 秒に遅くなっていれば、 全部で 1 分 30 秒だけ時間が余計にかかるようになっているのだ。 記者はそのことに気づいているのかいな。 きっとそうではなく、本当に同じ発時刻・着時刻なんだろうけど、 だったら読者に疑問が残らないような形で書いてほしい。 運転手にインタビューもしているようだが、なんだか惜しい感じ。
2005-05-01 (0) 23:32:11 +0900
11日づけ大阪本社版第一面の記事には、
《事故を起こした快速電車は、
始発の宝塚駅を午前9時3分45秒に出発し、
尼崎駅に同9時20分10秒に到着する予定で、
同線の同じ区間を走る快速電車の中では運行ダイヤ上、
最も短い16分25秒の所要時間に設定されていた
》
とある。
5 秒が単位になっているのだろうか。
2005-05-13 (5) 02:58:57 +0900
きょうの be on Sunday の 4 面、クイズの答え。
私が
《「どちらかを囲んでください」と言われ、超・ぐにゃぐにゃの曲線で囲んだら》
に書いたののもっと本数の少ないのが描いてあって
《ジョルダンの曲線と呼ばれるこのような図では
》とあるが、
知らない人が素朴に読めば、
このような形だけが「ジョルダンの曲線」だと思うだろう。
(別の説明のしかたをすれば、 蚊取り線香を真上からみて輪郭だけを描いたような曲線である。 今回の絵は三重ぐらいに巻かれている。 問題が出されたのは一週間前の同面だが、 そこには八重か九重に巻かれた蚊取り線香がゆがんだような図形が描かれ、 その中にいくつかの点がとられていて、 (本質的には) それらが外部か内部かを問う問題だった。)
ところで、私は「ジョルダン曲線」という語があるのを忘れていた。 「ジョルダンの曲線定理」から記者が作ってしまった語ではと思ったが、 数学辞典を見たら、そうではなかった。 現在では「ジョルダン曲線」よりも「単純閉曲線」と呼ばれることが多いようだ。
2005-05-01 (0) 23:22:11 +0900
重箱の隅をつつくのが好きな人のために、である。
消しゴムは角(かど)が消しやすいので、 角がたくさんある消しゴムは実際に売られている。 小さな立方体が寄せ集まったような形である。 隅がたくさんある重箱は、 いろいろなところに小さな立方体のくぼみをつくっておけばよいのではあるまいか。
2005-05-01 (0) 03:04:40 +0900
規則があるわけではあるまいが、 だいたいその季節の句が寄せられるようで、 入選して載るのもその季節の句である。 (作ってから投稿し、選ばれてから載るわけだから、 少し前の季節のもあるようだが。)
しかし、南半球に住んで投稿する場合、日本が春なら向こうは秋。 半年ずれた句ができるのではあるまいか。 南半球からであればそれでもいいのか?
2005-05-01 (0) 03:00:54 +0900
Google で検索すると前者が 40500 件、後者は 60100 件。
原語は Baum だから「バウム」がそもそもの形で、 「バウ」が「バー」に変化したことになる。 「ボウ」が「ボー」ならよくあるが、これは珍しいか?
2005-05-01 (0) 02:53:34 +0900
こんな身近な語にもあったか。
2005-05-01 (0) 02:48:41 +0900
いまは、春分から四十日ほど経っている。 秋分の四十日ほど前は八月半ばであるから、 日中の長さはだいたい同じになる。
それなのに暑くはない。快適なわけだ。
2005-05-01 (0) 02:40:53 +0900
1月17日づけ大阪本社版社会面「消防車で店へ / 酒飲んで事故」に
《運転を誤って消防車のタイヤを側溝に落とし
》とあるのは、
おそらく、
運転していた消防車が側溝にはまって、の意味だろうが、
積んでいたタイヤを側溝に落として、の意味にもなりえる。
2005-05-01 (0) 02:36:52 +0900
1月17日づけ大阪本社版社会面の、阪神大震災10年の記事の一つに、 「紗香」と書いて「さやか」と読む名前が出ているが、 「紗」に「さや」、「香」に「か」とふりがなが振ってある。 人名においては漢字はどう読ませても自由だが、 「紗」は普通に読めば「さ」であり、 これ一字で「さや」と読ませるのはあまり普通ではないから、 全体に均等に「さやか」と振るのが適当ではあるまいか。 あるいは、本人や家族から「『紗』で『さや』と読む」という指定があったのか。
記者が「紗」の字をよく知らず、 “「香」が「か」だから残りは「紗」に振ってしまえ” と考えた、なーんてことはないだろうな。
2005-05-01 (0) 02:29:45 +0900
4月30日づけ大阪本社版「憲法総点検」の面。 「5年の歩み」の「中」。
《学者らからは
「良好な環境を享受するという意味で憲法の幸福追求権や生存権から読み取ることができる」
などの見解が出されてきた。
しかし、日本の裁判所は「中味がはっきりしない」などの理由で、
環境権を認めてこなかった
》。
《環境権を憲法に書き込もうという結論では、
自民、公明、民主の3党は一致している
》。
憲法第七十九条で、 最高裁の裁判官は内閣が任命すること、 国民審査を受けることが決まっている。 内閣は環境権を認めるような裁判官を任命してこなかったのだろうし、 国民はそのような裁判官に対し罷免すべきだという意思表示をしてこなかったわけだ。 その点が見落とされているのでは。
付) 長たる裁判官だけは第六条により天皇が任命するが、 「内閣の指名に基いて」となっているので、決定権は内閣にある。
2005-05-01 (0) 02:20:01 +0900
4月30日づけ大阪本社版オピニオン面「声」の投書の一つ。
「ペ・ヨンジュン氏
」とあるが、
次には「ぺさん」と「ぺ」がひらがなになってしまっている。
付)投書そのものについて論じているのではないので、 投書者名は書かないことにした。
2005-05-01 (0) 02:04:18 +0900
はるか向こうで刈っているのは、と言いかけたところ。
2005-05-01 (0) 01:57:15 +0900
藤波は姓。
2005-05-01 (0) 01:55:35 +0900
火遁の術は何とかマスターした、の意味。
2005-05-01 (0) 01:54:21 +0900
本文ナシ
2005-05-01 (0) 01:52:47 +0900
日本語の縦書きは?
2005-04-30 (6) 10:40:44 +0900
もしかして、「仏花」という言い方は新しいのか?
2005-04-30 (6) 10:39:56 +0900
2005-04-30 (6) 03:04:15 +0900
29日づけ大阪本社版生活面「あのね」。
「大きなつくしんぼ!」。よく見ると、松の新芽だった。
このコーナーには、 感嘆符で終わる子どもの言葉で終わる文章がときどき載る。 そのときは、 《朝日新聞「あのね --- 子どものつぶやき」の閉じカギカッコあとの句点》 に書いたように読点はつけないのだが、そのあとにまだ文章が続くときは、 この例のようにつけるのか。
2005-04-30 (6) 02:51:42 +0900
29日づけ朝日新聞大阪本社版の、「地球温暖化対策推進本部」の全面広告。
小泉首相が《政府は、この夏から全府省の大臣、幹部も、私も
「ノーネクタイ、ノー上着」にします
》と書いているが、
体調によっては、夏でも肌寒い日には上着を着たいこともあるだろう。
また、エアコンをつけた場合、長そでのワイシャツを着ていても、
風が当たって寒く感じ、上に何かはおりたいことがある。
目的は省エネルギーなのだから、
「冷房は何度まで」と決めればいいのであって、
そこで何を着るかは本人の自由だと思う。
(念のために書いておくと、 エアコンを「28 度」に合わせたら部屋の温度が 28 度になるとは限らない。 室温は温度計を使って計るべきである。)
「ノーネクタイ、ノー上着でも構わない」 という指示を首相が出すことには意味がある。 それと、それを規則にすることとは、話が別である。
付) 「半ズボンでも構わない」としてくれればそれもいいと思うが、 私は長ズボンをはくと思う。
2005-04-30 (6) 02:41:04 +0900
1月16日づけ朝日新聞大阪本社版に、
前日実施分のセンター試験の問題が載っている。
そのうち、「地理B」と「物理IB」の冒頭には
「図は原寸ではありません。縮小しています
」
との断り書きがある。
問題文も縮小されて掲載されていることは明らかであり、
ほかの科目に図が載っていないわけではないが、なぜかこの二科目のみ、
この断り書きがある。
例えば、「地理B」の地図 --- これも広い意味では「図」といってよいだろう --- を見て、実物大だと思う受験者はいないだろう。
もう一つ、地図について言えば、上下がつぶれているように見える。 問題文の文字もつぶれているような気がする。 「地理B」の一つの図は本来は円形だったのではないかと思われるが、 計ってみると縦が 5% ほど短い。 もしも縦横で縮小率が異なるなら、そのことを新聞は断るべきではあるまいか。 例えば、45 度をなす直線が正解、というような問題もありえると思う。 直角二等辺三角形を選ばせる問題とか。
2005-04-30 (6) 02:12:33 +0900
1月16日づけ朝日新聞大阪本社版第一面「折々のうた」は
檜紀代氏の俳句「使ひ慣れふくるる辞典冬ぬくし
」。
なぜふくれるのか、
筆者の大岡信氏は疑問を投げかけているものの答えは示していない。
最初に読んだときは「ぬらしたのかな」と考えた。 私は超小型の口語訳聖書をかばんのわきに入れ、 通勤途中や公園で読んでいるが、 雨や雪でぬれたところは紙がややふくれている。 ただ、辞書をそんなふうに持ち歩くとは思えない。 さっき思いついたのは、貼られた付箋でふくらんでいる、 という解釈である。
2005-04-30 (6) 02:00:15 +0900
…ないよな。
2005-04-30 (6) 01:40:31 +0900
同性愛者はマイノリティーとして認められてきつつあると思うが、 三人以上で結婚したいというのはどうだろう?
もしも認めると、会社組織みたいなものをそれに偽装して税金逃れ、 とかが出てきそうだけど。
2005-04-30 (6) 01:16:30 +0900
鉄道事故の記事で「置き石」という語を見て。
2005-04-29 (5) 20:56:06 +0900
東京から直江津・富山・金沢方面に向かうには、 東京から上越新幹線に乗って、 越後湯沢でほくほく線経由の「はくたか」に乗り換える。 六日町までは上越線を走るのだが、ここが少々距離がある。 もしも、六日町―犀潟のほくほく線を標準軌で建設し、 上越新幹線から分岐してほくほく線にはいる線路を作っていれば、 東京から直江津まで、新幹線車両が走れたと思う。 越後湯沢―六日町を新幹線の線路で走る分だけ、速くなるのではないか。 (犀潟―直江津間に標準軌の線路を作らなければ犀潟で在来線特急に乗り継ぎ、 となる。)
ほくほく線は狭軌にもかかわらず時速 160 キロメートルを出すところがある。 もしも標準軌だったらもっと出たと思う。 その点からももっと速くなったかも。
2005-04-29 (5) 20:47:23 +0900
「標準軌の線路を作らければ」となっていたのを 「標準軌の線路を作らなければ」に訂正した。
2005-08-23 (2) 01:48:03 +0900
最高速度が時速 160 キロメートルであることを確かめようとして見にいった。 確かに出している。 *適度に* 細かい話まで載っていて、おもしろい。 運賃は地方三セクとしては安いほうで、 それなのに高く感じるのは一駅で地下鉄銀座線の「浅草―表参道」 ほどの距離があるからだそうだ。 しかし、安めに押さえられているのは越後湯沢と富山・金沢を結ぶ特急列車 「はくたか」が通っているからで、 北陸新幹線が開通すると運賃値上げは必須だろうな。 単なる田舎の路線だと思っていたが、 無人化のためいろいろなしかけがあることもわかった。
2005-04-29 (5) 20:36:30 +0900
プロ野球のジャッジにビデオを利用することは可能だが、そうはしない。 審判が肉眼で見てその場で判断したものが最終結果となる。 私も、それでいいと思う。
しかし、審判の訓練・研修にはビデオを使うことが考えられる。 例えば、 遊撃手がゴロをとって一塁手に送ったとき、 それを一塁手がつかむのと打者走者が一塁を駆け抜けるののどちらが早かったか、 の判断は審判の基本的な仕事の一つだと思う。 きわどいタイミングの遊ゴロのシーンを人為的に作り出し、 審判にジャッジさせたあとそのシーンをビデオで見せて判断が妥当だったか考えさせる、 というのはよい訓練になるのではないか。
テレビで観戦しているファンはリプレイを何度も見て、 ジャッジを批判するんだし。
投球がストライクゾーンを通ったかどうかの判定の訓練には、 本塁ベース上に赤外線かなにかをはりめぐらせて、 ボールが通ったどうかが表示されるような装置も有効では。
2005-04-29 (5) 20:18:28 +0900
11,8
「もしその女が小羊に手の届かないときは、山ばと二羽か、
家ばとのいな二羽かを取って、一つを燔祭(はんさい)、一つを罪祭とし、
祭司はその女のために、あがないをしなければならない
」(口語訳)
とあるが、論理的には、
「〜のときは」はそうでない場合については何も言っていない。
だから、その場合も、つまり、いまの場合は小羊に手の届く場合も、
はとを捧げてよいことになってしまう。
だから、厳密には、
「手が届かないときは、またそのときに限り」
とすべきであろう。
いや、待てよ、本当に文字どおり解釈するなら、その前の 11,6 の
「燔祭のために一歳の小羊、罪祭のために家ばとのひな、あるいは山ばとを
」
が免除されるとは書いてない。
つまり、
小羊に手の届かない場合のほうが捧げるべきものが多くなってしまう! もちろん、
ここでは「手が届かないならそれは捧げなくてよいから」が省略されているのである。
付) ここは、ルカ 2,24 の参照箇所であるので名高い。 イエスの両親は小羊に手が届かなかったように思われる。 そう読める。
2005-04-29 (5) 01:31:52 +0900
28日づけ大阪本社版社会面「ニッポン人・脈・記」は「女が働く」の3回目。
文末に「文中、年齢のない人は故人
」と断り書きがあるが、
冒頭に「憲法ができて、ベアテはアメリカに帰った
」とある。
これは前日掲載の第2回目に出てきたベアテ・シロタ・ゴードンさんのことだろう。
81 歳でご健在。
「文中、敬称も年齢もない人は故人」あるいは 「文中、太字で年齢のない人は故人」が正しい。
2005-04-29 (5) 01:17:38 +0900
27日づけ大阪本社版スポーツ面の、
プロ野球読売ジャイアンツの清原選手の通算500号本塁打がまたお預けとなったという記事。
《打球が外野席に届くことはなかった
》とあるが、
ランニング本塁打の場合はフェンスを越えないし、
ポールを巻くようなホームランでファウルゾーンにある席
--- ここを内野席と呼んでいた球場もあったと思うが
--- に落ちた場合も外野席には届かないであろう。
場外ホームランの場合も外野席に届いたとは言えないと思う。
まあ、ほとんどの本塁打が“外野席に届く”から、 これでいいんだけど。
あ、バックスクリーンもあったか。
2005-04-29 (5) 01:08:59 +0900
いま出たけど、バックスクリーンに打ち込んだので、 試合は先へ進んでいるがホームランボールはバックスクリーンにころがったまま、 とラジオが言っている。
2005-04-29 (5) 20:59:49 +0900
屋根つき球場で、天井に当たるとホームランという規則のところもあるのでは、 とメールで教えてくださったかたがありました。 記念のボールは相手チームの野手がキャッチして手渡した、 なーんてこともありえますな。
2005-04-30 (6) 03:02:22 +0900
《最近、「象徴」という言葉の意味が変わってきていないか?》
とずっと考えていたが、
27日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面のプロ野球「阪神―中日」の試合の記事に
《先制の好機を逸した4,5回の攻撃が典型的だった
》とあるのを見た。
おお、これだ。
近ごろ見聞きする「象徴する」は「典型である」の意味である場合がかなりある。
ただし、 「今年度の不調を象徴するシーン」 は 「今年度の不調の典型であるシーン」 ぐらいになろうから、そのまま単純に置換はできない。
《朝日新聞>「代表する」でもない「象徴する」の用法》 にあげた例はそうではない。
2005-04-29 (5) 01:01:39 +0900
27日づけ大阪本社版「日韓中3カ国世論調査」の質問の一つ。
靖国神社は、どんな存在だと思いますか。(択一)
- 戦死者を追悼する所
- 軍国主義の象徴
- 宗教施設の一つ
- 特に印象はない
私は「戦死者を崇拝するところ」だと思うのだが、 そういう選択肢はないわけだ。
2005-04-29 (5) 00:48:51 +0900
この事故が報道されたあとでは、 「この運転手は避けたほうがいいかも」 と考えて降りる人が大勢出るような気がする。
そう言えば、昔、地元の某私鉄の列車の一番前に乗って前を見ていたとき、 オーバーランを目撃した。 運転手は「あう」というようなうめき声をあげて首の後ろをなで、 それからバックしたので、 なんだか危ない感じの人だなあと思ったのを思い出した。 そう思ったけどそのまま乗っていて、それで無事だったわけだが。
2005-04-29 (5) 00:38:19 +0900
2005-04-28 (4) 02:26:09 +0900
26日づけ朝日新聞大阪本社版ほがらか面、
陳舜臣氏の「六甲随筆」は「我が輩は皇帝ネコである」。
旧約聖書に出てくる「エジプトの王ネコ」(歴代志下 35,20)のことだが、
《ローマ字で書かれるときはNechoIIである
》とある。
ラテン字母で書かれた特定の翻訳でそうなっていたということか、
それとも原語がこのようにラテン字母で写されるということか。
ヘブル語聖書では koph で書かれているようだ。
原文は縦書きで
N e c h o IIのようになっている。
2005-04-28 (4) 02:14:39 +0900
片方がメカニカルだと 「いまは授業中だ」ということを確信を持って主張できないことがある、 と悟った。
2005-04-28 (4) 01:55:09 +0900
massangeana 氏の「いろいろ」にまたまたラテン語の話題。 それを見て、ふと気づいた。 たぶん、この春でちょうど三十年になる。
2005-04-28 (4) 01:15:49 +0900
…、これは「喫煙席はありません」の意味ではなく 「禁煙席(あります)」の意味である。
2005-04-28 (4) 01:11:31 +0900
……とさっきふと思ったが、「小便組」のほうがあとからできた語のようだ。
2005-04-28 (4) 00:19:54 +0900
このあいだの日曜日のこと。 香林坊大和8階で、県交通安全協会が反射材を売っていた。
反射して目立つことを見せる実験もしていたが、 手前の透明プラスティック板は光るものの、反射材は全く光らない。 そう言ったら、少しかがんで見てくださいと言われた。 なるほど、そうすれば光って見える。 でも、自動車の運転手がかがんでくれるかいな。 いままで、 反射材をつけていれば必ず自動車の運転手に光って見えると思っていたが、 そうではないとわかった。
あと、 お通夜の際にもつけてゆける真っ黒なのはありますかと尋ねたが、 ないそうだ。
24日の朝日新聞石川面にこの販売に関する記事が出ている。 おっと、写真のバックにとんかつ屋の看板が写ってら。
2005-04-27 (3) 00:43:37 +0900
もしかしたら、 ライトから反射材までの距離が短かったせいかもしれない。 実は光がきた方向に光をはね返しており、 実際の自動車と歩行者ぐらい離れていればライトと目の高さのずれは問題ない、 ということもありえる。
2005-04-28 (4) 00:23:43 +0900
本文ナシ
2005-04-26 (2) 18:29:29 +0900
「乞食」は「こつじき」と読むと僧侶の托鉢の意味になるが、 「こじき」と読めばものやお金を恵んでもらって生活する人のことである。
吾妻ひでお「失踪日記」には著者自身が「こじき」「コジキ」 と呼ばれるシーンが何箇所かある。 しかし、 作中の著者は食べ物はごみ箱を、 金は自動販売機のおつりの出る口をあさることで得ており、 物乞いは一度もしていない。 単なるホームレス、浮浪者である。
2005-04-26 (2) 18:24:32 +0900
本文ナシ
2005-04-26 (2) 18:14:19 +0900
追いはぎが「有り金全部置いてゆけ」 と言ったのにその人は針金を置いていった、とか。
2005-04-26 (2) 18:13:29 +0900
一つ前の項は、 久しぶりに、Vz エディタ + 自家製 FEP で下書きした。 昔のパソ通はこの組合わせでやっていたから、 単に昔に戻るだけだが、なんだか調子が変である。 かな漢字変換に毒されているのか?! (完全に) プライベートな日記はまだ 98 上でそうやって問題なく書けている。 (ちなみに、5インチフロッピーにも保存している!)
ということは、何を書くかで感覚が違うということか?
2005-04-26 (2) 17:07:05 +0900
前にも書いたと思うけど、 私がメインに使っている腕時計は月差 15 秒のクォーツ式ダイバーズウォッチで、 回転ベゼルを利用して何秒ずれているかを表示させている。 こうすると、針を合わせるのは二三カ月に一度で済むのだ。 しかし、 ベゼルで補正しながら時刻を読みとるのは間違いの元だから、 と一週間に一度ぐらい合わせようとしたところ、 アナログ時計は針合わせも“アナログ”だったのを思い出した。
リュウズを二段目まで引き出せば秒針は止まる。 こうやって秒針を 00 秒で止め、 それからリュウズを回して時針・分針を合わせるわけだが、 そのとき、分針を分の目盛りにきちんと合わせるのはかなりむずかしいし、 目が疲れる。また、時間もかかる。 例えば、3秒進めるにも1分近くかかるのだ。 そうやってきちんと合わせても、 リュウズを押し込む際にリュウズが回るとずれてしまう。 このずれが気になって何度か合わせ直しをしたこともあった。
しかし、最近のアナログ式電波腕時計の時刻合わせは完全に自動である。 機械が、分針を分の目盛りにきちんと合わせてくれるらしい。 だったら、電波時計でないアナログ時計にも、 そのように時刻合わせができる機能をつけることは簡単ではないか。 たとえば、 リュウズを引き出すと秒針が特定の位置にとんで止まり、 リュウズを回すと分針が分の目盛りのところだけに合いつつ動く、 といった機能である。 さらに、デジタル時計のように、 あるボタンを押すと時刻修正モードになり、 別のボタンを押すと分未満が“四捨五入”される機能があると、 30 秒未満のずれなら NHK の時報の鳴り始めを聞いてからでも修正できて便利である。
そういうダイバーズウォッチがあったらいいだろうなあ。 電波時計は便利だが、完全に信頼してしまうことには抵抗のある私であった。
付) セイコーから年差 20 秒のダイバーズウォッチが二万円台で出ている。 それに買い換えるのが実際的かもしれない。
2005-04-26 (2) 16:59:26 +0900
「鉄道時計 電波時計」で Google を検索すると、 鉄道時計で電波時計になっているものを作ってほしい、 という提案について話し合っている掲示板が上のほうにある。 確かに、そうできれば便利だが、 別に得た情報では電波時計は耐磁にすることがむずかしい。 また、鉄道時計は、運転席の磁場がかなり強いため、 強化耐磁になっている、とも聞いた。 この二つを合わせると、鉄道時計の電波時計化はむずかしいかもしれない。
2005-04-26 (2) 16:43:16 +0900
2005-04-26 (2) 00:41:39 +0900
昼すぎ、歩いて町中へ。 兼六園へ。 県民観賞の日なので証明書類を入り口で見せれば入場無料である。 小立野口からはいったら、 花見のころと比べるとはるかに静か。少ししか人がいない。 でも、“表”のほうには観光客がかなりいた。 普通のサクラは完全に終わっているが、 幹から直接咲いているようなのとか、 変わり咲きのとかはまだまだ見られる。
香林坊大和8階の中国料理店「犀江」で五目あんかけ焼きそばと生ビール。 なんだか飲み足りないので、 地下でギネスビールを買って中央公園で飲んだ。
帰りも兼六園を抜けた。 16時30分ごろだったが、ほとんど人がいない状態。 明るいのにもったいない。 ちなみに、いまは18時まで開いている。
テレビのアニメ「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」を見たら頭痛がしてきた。
2005-04-26 (2) 00:16:24 +0900
左手でひらがなを書く練習をしていて、そう気づいた。
98 の 16×16 ドットのフォントだと、 まん中の丸くなるところがつぶれているようである。
2005-04-25 (1) 21:55:41 +0900
Google の検索では「・」の有無は無視されるようだ。 「ー」がついているのとついていないのとでは、前者のほうが多い。
関係ないが、「タンクレディ」はのばさないのが正しいのだろう。
2005-04-25 (1) 21:40:42 +0900
2005-04-24 (0) 02:17:50 +0900
23日づけ大阪本社版オピニオン面の一つ、 「私の視点 / ウイークエンド」は「日中を考える」がテーマである。 そこの一コマ漫画。 「教科書の取りかえっこ」の題で、 日本と中国の男子小学生が教科書を取りかえっこしているところが描かれている。
この絵のような小学校低学年の子どもたちが教科書を交換して、 どうなるというのだろうか。 ことばが通じなくても、音楽や図工の教科書ならわかりあえるかもしれない。 しかし、いま問題になっているのは主として歴史である。 ことばがわかって、文字が読めなければ、意味がないではないか。
日本の男の子は坊主刈りではないが刈り上げで、現代の子には見えない。 また、背景には、戦争で破壊されたと思われるビルディングなどが描かれている。 終戦直後という設定なのだろうか。 そうだとして、の話だが、 当時の日本の教科書はいわゆる「墨塗り教科書」のはず。 すると、こうやって墨を塗りましたよということを中国側に示した、 という意味なのだろうか。 また、 交換している教科書には日本と中華人民共和国の国旗が描かれている。 中華人民共和国の成立は 1949 年なので、アナクロニズムのように思える。 (この旗はそれ以前から使われていたのかもしれないが。)
また、終戦直後だとすると、日本の子の服装などは立派すぎるようである。 中国の子がそのころどんな格好をしていたのかは、不勉強で私にはわからない。
漫画の筆者名を見たら、またまた「はちのじ・やすひこ」氏であった。
アジアの国々の間で共通の歴史教科書を作ろうという動きなどにヒントを得て描いたものか。
2005-04-24 (0) 02:16:05 +0900
メカニカル式が「日差」でプラスマイナス数十秒。 クオーツになると「月差」プラスマイナス30秒以下だから、 その間の「週差」には使いみちがないような気もするが。
でも、いまや忘れられている方式の時計があって、 それは「週差」がぴったりだった、なんてことも。
8日巻きの懐中時計の精度はどう表現したんだろ?
2005-04-24 (0) 00:08:30 +0900
2005-04-23 (6) 03:01:29 +0900
電子辞書について、 簡単にひけるので単語を覚えなくなるのではないか、 などの批判があるが、偏見に近いように思う。 「勉強においては楽をしてはいけない」 という思い込みがあるようである。 しかし、これは紙の辞書の時代にもあった。 端から覚えて食べてしまう、というやり方である。 辞書はいつでもひけるよう持っているべきもので、 食べるのは、わざとそうできなくすることで自分を鍛えようとしているのであろう。
似た機能を、電子辞書に持たせることは可能である。 履歴を記憶させておいて、 一度ひいた語は決まった期間は表示しない、とか。 こうすることは教育効果を下げるだけだ、と私は思うけど、 履歴が残っていつひいた語かがわかるのは便利かもしれない。
2005-04-23 (6) 02:53:30 +0900
「…」が動詞、または動作に関連する名詞の場合、 「〜は…してはいけない」の意味になる。 例えば「卵にゆですぎは禁物」は「卵はゆですぎてはいけない」。
それに対し、「油火災に水は禁物」のように名詞の場合は、 「〜に…を加えては / 合わせてはいけない」のような意味ではあるまいか。
手元の辞書を見たが、くわしく説明してはいない。
これを利用して二重の意味を持つ文章が作れないか、と考えているところ。
2005-04-23 (6) 02:39:24 +0900
ちょっと苦しいが、次のような例はどうか。
地球に異変が起き、宇宙船で逃げないと危険、といった状態を想像してほしい。 一人あたり、(地上における)目方でいくらかまでの荷物しか持ち出せない。 その「持ち出し荷物」だが、 人間と一緒にロケットに載せて運ぶのと、 「物質転送機」で宇宙船へ転送するのと、両方があり、 前者のほうが高くつくとしよう。 物質転送機には、個人で持てるような小型のと、 備え付けの大型のがあり、後者のほうが高性能である。 宇宙船への転送はそれで行なう。 前者は安価だがときどき転送ミスがあったりする。 また、これを「持ち出し荷物」に入れてロケットで打ち上げると、 衝撃でスイッチがはいり、悲惨なことがおこる場合がある。
このとき、「持ち出し荷物に物質転送機は禁物」には二つの意味があるのではないか。 一つは、「『持ち出し荷物』を物質転送機で転送するのはやめたほうがいい」。 もう一つは、「『持ち出し荷物』に物質転送機を入れるのはやめたほうがいい」。
2005-04-24 (0) 00:23:11 +0900
22日づけ朝日新聞大阪本社版生活面「家族で話そ!」はスポーツ教室の話題。 将来はトップアスリート、プロ選手にと、 小学校にあがる前からスポーツ教室に通わせたりする例もあるそうだ。
では、「将来は学者に」と、学問をさせるのはどうだろうか。 「塾通いですか」と聞き返されそうだが、 いわゆる学習塾ではない。 目先の試験に受かるためのものではなく、 将来大きく伸びるための勉強をさせるところである。
いま、そういうのはあるのかな。 よい私立中学・高等学校がそれに一番近いか。
2005-04-23 (6) 02:33:50 +0900
22日づけ朝日新聞大阪本社版生活面の下に広告が出ていた。 「第」の字は
\| ――+―― /| / / | |のような、日本でよく見られる略字が正式のようだ。 URI が載っている。 あとで http://www.daiichipan.co.jp/ を見てみよう。
2005-04-23 (6) 02:29:11 +0900
ホームページを見たら、普通に「第一」となっていた。 略字はロゴで、新聞広告にはロゴしか載せてなかった、ということか。
2005-04-24 (0) 00:12:14 +0900
22日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面「ハーフタイム」は、 ヤンキースの松井秀喜が試合中、日本人観客のもっていた 「松井秀樹」と書かれた大きな紙が気になっていた、という話。
仮に名前が複数書かれていたとすると、誤字も複数。 「誤字ら」→「ゴジラ」というシャレではないかと私は考えたが……。
2005-04-23 (6) 02:23:55 +0900
どうもよくわからん。
2005-04-23 (6) 02:12:27 +0900
電波時計は耐磁にできないので、それを補うものだ、と書いているページがあった。 電波を受ける都合で耐磁にできないのだろうか。 でも、受信部と機械を別々にすればいいんだよな。 バンドの側に受信部がついているとか。
2005-04-24 (0) 00:28:33 +0900
左手で字を書く練習を続けているが、 漢字については、初めて書く文字でもかなりうまく書けるようになった。 漢字のパーツは限られており、それらにはかなり慣れてきた、ということだろう。
意外と苦戦しているのがひらがなである。 ちょっと急いで書くと 「す」や「い」の最後の画が右に曲がることが多い。 もっと練習しなくては。
日本人の大人は慣れているからひらがなは簡単だと思っているが、 実は日本の文字の中でひらがなが最も覚えにくい文字かもしれない。
そうだ、ついでに、歴史的かなづかいを覚えよう。
2005-04-23 (6) 02:09:39 +0900
「いな・たかし」は男性名、という設定。
2005-04-22 (5) 20:15:51 +0900
セ・リーグのチームとパ・リーグのチームとの間の試合が今シーズンから始まるが、 それを「交流戦」というらしい。 だったら同一リーグ内で戦うのは「直流戦」、と思っている人もいるのでは。
2005-04-22 (5) 19:45:47 +0900
2005-04-22 (5) 02:50:44 +0900
こうすれば、同じメーカーの二つの類似した商品のどちらが“高い” のかが消費者にわかる。 また、その価格を参考に消費者が小売価格を判断できる。 だめかな。
2005-04-22 (5) 02:35:22 +0900
1月15日づけ大阪本社版国際面
「イスラム教育導入 / ロシア・チェチェン / 過激思想、排除へ」に
《伝統的なチェチェンのイスラムは、
祖先崇拝など地域のしきたりを取り込んだ穏健な教えだったとされる
》
とあるが、祖先崇拝はイスラムではないだろう。
そういった純粋でない信仰を「穏健な教え」とするのはおかしくないか。
冒頭に「モスクワ=駒木明義
」とあり。
2005-04-22 (5) 02:32:07 +0900
1月15日づけ大阪本社版 be の b6 面「てくの生活入門」は音声認識ソフト。
《音声による入力は、
キーボードと比べ半分から3分の1ほどの時間ですみますから
》とあるが、
キーボードからの入力のスピードは人によって違うから、
これではわからない。
毎分何文字ぐらいのスピードまで認識できるのかを、なぜ書かないのか。
それと、この記事は
2005-04-22 (5) 02:11:06 +0900
西銀座の英語表記》だって?
16日づけ大阪本社版 be の b7 面「キミの名は」は洋菓子舗ウエスト。
《終戦後まもない47年に店開きしたレストラン「グリルウエストギンザ」が前身。
当時、東京・銀座の数寄屋橋一帯は西銀座と呼ばれていた。
西銀座の英語表記だ
》。
英語表記じゃなく、
「西」の部分だけを英語に訳したうえでカタカナ書きした、
というべきではなかろうか。
カタカナ書きだから、「日本語表記」と呼ぶべきかもしれない。
2005-04-22 (5) 02:03:42 +0900
このような例はほかに? 「やわ」がそうか。
2005-04-22 (5) 01:58:45 +0900
いぶし銀のような仕あげで「いぶし風」 と説明されているものを見て思わず口にした、という設定。
2005-04-22 (5) 01:51:46 +0900
デパートの地下で食料品の計り売りをしているのを見て気づいた。 《店に「売り×××」と貼ってあったので「×××」を頼んだがないと言われた》 と似ている。
2005-04-22 (5) 01:46:49 +0900
野水さんは安曇野に、と。
2005-04-22 (5) 01:45:03 +0900
A級戦犯もまつられている靖国神社への首相の“公式”参拝を擁護するため、 「日本では死ねばみんな仏さまになるのだから」と説明する人がいるが、 殺人罪などで死刑になった人の墓参りもしてみせれば説得力が増す、 と考えている人はいないだろうか。
付) 靖国神社は墓ではないなど、 これにはいくつかの飛躍がある。
2005-04-22 (5) 01:41:57 +0900
「先祖」の定義は
人類が「先祖」という概念をもったのはそれほど昔ではないのでは、 とふと思った。
2005-04-22 (5) 01:36:20 +0900
《ZF 集合論の定義に基づいた形で自然数を印字するプログラム》 を書いていたときに、 自然数 n を定義通りに書くとそこには 2n 個の 0 が現れることを知った。 そのときふと、 “ということは、n→∞ として自然数全体 N の集合にすると、 そこには非可算無限個の 0 が現れる!? 可算集合 N って定義に忠実に書くと非可算なの?”と一瞬思ってから、 それは間違いだと気がついた。
#A で集合 A の濃度を表わすとき、 「n が自然数なら #2n < #N だから n→∞ として #2N <= #N とならないんですか」 という質問はときどき出るらしい。
2005-04-21 (4) 19:28:24 +0900
たとえば、平年の二月にはどの日もない。 その場合どうするかは決まっているのだろうか?
2005-04-21 (4) 02:49:36 +0900
《電波時計>時刻が修正されるとき、6秒ほど表示が読めなくなるようだ》 に書いた現象は、カタログなどで断らなくていいのだろうか? タイトル行のような断り書きのついた時計は許されないと思う。 これは数秒だからいいのか?
アナログ式電波腕時計で、 電波を受信すると秒針がある位置まで動いて知らせるという機能を持ったものを、 カタログか何かを見たような気がするが、記憶の誤りかもしれない。
アナログ式腕時計の中には、 日付・曜日表示が変わるのに数時間かかるものがある。 それだって困るわけだが、 基本機能であるところの時分秒でないからまあ許されるか。
2005-04-21 (4) 01:08:09 +0900
2005-04-20 (3) 01:43:13 +0900
1月13日づけ朝日新聞大阪本社版生活面の、天野祐吉氏「CM天気図」に
《成人式の晴れ着を着て、
くわえたばこで歩いている娘さんたちもいた。
すれ違った小さな子の顔にそのたばこの火が当たりそうになったが、
そんなことには気づきもせず、キャッキャッと笑いながら行ってしまった
》
とあるのだが、
くわえたたばこが小さな子の顔に当たりそうになるということは、
かなり背の低い娘さんなんだな、と最初思ってしまった。
ここでは「くわえたばこ」が歩行中の喫煙の意味で使われているのであろう。
「くわえたばこ」は小さな国語辞典には載っていない。
広辞苑第五版では
「巻煙草に手を添えず、口にくわえたままで吸うこと
」。
2005-04-20 (3) 01:36:43 +0900
ドームしみません」なんてダジャレはよせ
1月13日づけ大阪本社版社会面の記事の見出し。 昨秋の台風で被害を受けたのでその修繕工事を、という記事である。
「どーもすみません」とかけてあるのだろうが。
2005-04-20 (3) 01:29:43 +0900
1月13日づけ大阪本社版文化面の、
音楽学者岡田暁生氏によるアルカディ・ヴォロドスのピアノリサイタルの評の冒頭に
《若干32歳のヴォロドスだが
》とある。
「弱冠」のつもりであろう。
十六進か。
2005-04-20 (3) 01:24:31 +0900
2005-04-19 (2) 00:57:38 +0900
18日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「紀宮さまきょう36歳」。
たとえば《皇后さまのお心は、娘である私にもはかりがたく
》など。
2005-04-19 (2) 00:42:24 +0900
18日づけ大阪本社版「大学」面の、小学校教諭の投書。 たぶん「小数のかけ算」「小数のわり算」であろう。 現役の教師が間違えるはずないだろうし、 間違えたと思われたら迷惑だろうから、そのうち訂正が載るとみた。
2005-04-19 (2) 00:36:31 +0900
25日づけ同面に「訂正」が載った。
2005-04-28 (4) 01:57:52 +0900
18日づけ朝日新聞大阪本社版の、アスパラクラブの面の下の高島屋の通販広告。
オストリッチ革のボストンバッグが出ているが、写真は前面からのみで、
《背面、マチは斑が少なくなります
》と断り書きがついている。
「こちらラーメンになります」の「なります」だな、と思ったが、ちょっと違う。
「です」を使うと「少ないです」になってしまうのだ。
「形容詞+『です』」はやや破格に思われる場合もある。
それを避けた?
2005-04-19 (2) 00:29:52 +0900
18日づけ大阪本社版国際面「ブッシュ氏、昆虫に名を残す / 新種の学名に採用」。
《学名のこの部分は「i」で終わる決まりで、
ブッシィ、チェイニーィ、ラムズフェルディになる
》。
それぞれ
《ブッシュ米大統領、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官
》
にちなむそうだ。
「ラムズフェルディ」の「ディ」は /di/ だろう。
それに対し、「ブッシィ」「チェイニーィ」
は日本語としてどんな音を表わすつもりかよくわからない。
原綴に「i」が付加してあったからつけた、という程度の考えかも。
2005-04-19 (2) 00:23:06 +0900
17日づけ be on Sunday の第一面「あっと!@デ〜タ」。
《大学全体をみると、
この40年間増え続けているというのに、
女子大の数は90年代半ばをピークに減っている。
女子学生の割合は大学生全体の16%から39%に伸びている。
つまり共学を選択する女子学生が多くなっているということだ
》
とあるが、どうして「つまり」なのだ?
女子大は数は減っているものの女子大の学生総数は増えていて、
「共学を選択する女子学生」は増えていない、
という可能性があるではないか。
そうではないと思うけど。
2005-04-19 (2) 00:13:41 +0900
後半は意味不明。「希薄門地」も可。
2005-04-17 (0) 21:30:08 +0900
16日づけ大阪本社版生活面「疑問解決モンジロー」は 「宵越しの茶 なぜダメ?」。しかし、「宵越しの茶」の定義がない。 急須に入れて何杯かいれたあとの葉をそのままにしておき、 翌日以降にまたいれるのが「宵越しの茶」だろう。ところが、 この記事には、液体としてのお茶を指しているようにとれる箇所もある。
また、全く知らなければ、いれる前の葉のことかと思うかもしれない。
封を切ったらその日のうちに飲みきらねばならない、というカン違いである。
《水分を含んだ茶葉を温度の高いところに一晩置いておくと
》を、
“そもそも日本茶は茶葉に水分を含んでいるので”と解釈すれば、
そういうことも起こりえる。
おまけとして、おいしい日本茶の入れ方を教えてもらったので教える、とあるが、
《水道水を使う場合はカルキぬきのため沸騰させてからさまして
》
は、普通の人には、水道水でなかったら沸騰させなくてもいいように読めるだろう。
そうではなかったと思う。
必ず一度は沸騰させるはずである。
水道水の場合は、よく沸騰させる、すなわち、
沸騰している状態で二三分おくと、
カルキがぬけておいしいお茶になるのである。
これを書いた記者はあまりお茶をいれたことがないと見た。
付) いれたあとのお茶の葉は生ゴミに近いものになるわけだから、腐敗もするわな、 ちょっと考えてみれば。
2005-04-17 (0) 02:53:51 +0900