情報の洪水による洗脳 記者クラブ問題の今日的問題

 記者クラブ問題と言えば、雑誌や外国メディアを閉め出し独占的に一次情報を得るという「閉鎖性」(メディア間の不平等性)や、何の法的根拠もないのに行政機関から税金でオフィスなどを提供されている「利益供与」が主な問題とされてきた。これらは議論の余地がない明白な不正で、権力と結託しその一部と化した大新聞・テレビが既得権にしがみついている実態がある。ここでは、記者クラブ関連の最近の動きを説明したあとで、今日的な最大の問題と思われる「体制側に有利な情報の洪水論」について述べたい。


記者クラブをめぐる動き

96年4月 竹内謙鎌倉市長が市役所の記者クラブ室を「広報メディアセンター」と改称。全メディアに解放し、誰でも使える机を1つ設置し、登録すると1日使える仕組みとした。朝日・読売など加盟六社は当初、登録を拒否して抵抗。

97年12月 新聞協会の記者クラブ問題小委員会が、それまで『親睦・啓発の組織』と曖昧に位置付けていた記者クラブの存在を『取材拠点』と改める統一見解を示す。

98年 5月 国税庁発表の高額所得番付リストを解禁日前に週刊誌記者に渡した日経記者が、事実上の解雇処分に(依願退社)。

99年9月 農水省の「農政記者クラブ」内にある記者会見場にて日の丸を掲揚して次官会見を実施しようとした農水側(中川昭一大臣)に対し、朝日新聞・共同通信などが抗議、ドアの前に立ちはだかり、日の丸を入れなかった。勘違いの利権を主張する大マスコミが非難轟々を浴びる。大新聞のお抱え識者らは沈黙。

99年?月 佐野眞一氏が「誰にでも電話をかけてくるブッチホンの小渕のことだから」と、インタビューを申し込む手紙を出したところ、直接本人から電話がかかり、インタビューが実現。現職総理に、記者クラブ以外の人間がインタビューするのは、初めて。2000年1月にも2回目を実現させた。

2000/1 元小結の板井圭介氏が外国人記者クラブで会見し、自身を含め八百長相撲が横行している事実について、改めて発表。横綱審議委員会に幹部が名を連ねる大マスコミは、この問題を追求できず、沈黙。

2000/1 田原総一朗氏が、「サンデープロジェクト」生放送中に、小渕首相に対してアポなし電話インタビュー(7分間)を確信犯的に敢行。首相のテレビ出演という利権を何の法的根拠もなく握る「官邸クラブ」に対し、かつて幾度も首相出演を潰された田原氏が問題提起。田原氏が番組中、「全責任は私がとります」と連呼したにもかかわらず、官邸クラブは田原氏に何も言えず、裏でテレ朝に抗議。

2001/5 田中長野県知事が、「脱・記者クラブ宣言」を発表。2001年6月末を目途に3つの記者室を撤去し、仮称としての「プレスセンター」を設ける。194.40平方メートルの空間にはスタッフを常駐させ、コピー、FAX等は実費で承る。テーブル付きの折り畳み椅子を数多く用意し、雑誌、ミニコミ、インターネット等の媒体、更にはフリーランスで表現活動に携わる全ての市民が利用可能とする。使用時間等を予約の上、長野県民が会見を行う場としても開放する。文春がトップで報じたが、新聞・テレビは、肝心の「血税1500万円が使われてきた」という重要な情報を隠し、アリバイ作り程度に目立たない扱いで報じた。

2001/7 日本から"kisha-kurabu" systemが世界で唯一輸出され定着していた韓国で、裁判所(仁川地方裁判所第3民事部)が「記者室に出入りするのを妨げたり、取材するのを妨げてはいけない」との仮処分を決定。地方では新聞社が自ら記者クラブ解体に踏み切る例も出て、「本家本元」の日本より改革が先行。日本のメディアはこの自国が歴史的に深く関与した制度の歴史的変革についての事実を隠匿、一切、報道せず。在日韓国人を通して裁判の件を知った竹内鎌倉市長も現地に応援に駆け付ける。

2002/10 EUが規制改革勧告における10月の報告書のなかで、記者クラブが、「情報の自由貿易における効果的な規制となっている」「単一ソースに依存し過ぎることで多くの人達にとって利用品質が下がっている」などと批判。

2002/12 言論の自由やジャーナリストの権利を守るための活動をしている市民団体「国境なき記者団」(Reporters Without Borders ,本部パリ)が10日、日本政府に対して記者クラブ制度の廃止を求める声明を発表。

2003/1 ジャパンタイムズが2003年1月4日の長文レポート"EU challenge drags exclusivity of press clubs into spotlight"でEUの動きをフォローし、記者クラブの閉鎖性を批判。EUは「"One of Japan's toughest barriers to free trade"に挑戦したことになるだろう」と表現。


既得権構造を支える情報の一方向的な洪水

 現在の日本の解決すべき課題を一言で言うならば、それは「供給者主権から受益者主権へ」に尽きる。供給者とは官僚を中心とする政・官・業(プラス、大マスコミ・アカデミズム)である。戦後の日本は端的に言って、この三者(+二)の癒着によって政策が決定されてきた。一方で、受益者(生活者消費者、有権者)は常に軽視されてきた。今、日本はこの課題を克服しようと苦しみ、もがいている。PL法、NPO法、情報公開法、公務員倫理法の制定、政府委員制廃止などで前進したかと思えば、『盗聴法』など国民の反対を押し切ってでも足踏みすることもある。だが、このベクトルは変わりようがなく、今、「供給者主権に」などと表立って主張できる人間はいないほどに、「受益者主権」は議論を終えた国民的合意なのである。

 それでは、なぜこの望ましい方向に突進していけないのか。基本的には、総論賛成・各論反対で各供給者が既得権を手放さないからだ。だが私は、目に見えない最大の敵こそ、「記者クラブ」と「戸別宅配制度を支える再版制度の特殊指定」という二大規制なのだと思う。この二つが、既得権保護のPR役として非常に巧妙に機能しているのである。記者クラブは、体制側が効率的に自らに有利な情報を流すためのマシーンだ。政・官・業の主たるところには必ず記者クラブがあり、記者を通して効率的にPRするシステムがまかり通っている。クラブは官庁ごとにあるのはもちろん、NTTやJRといった大企業にも張り巡らされ、様々な利便供与がなされている。ここで官僚によって既に加工されて発信された情報が記者を通すことで中立性を装い、宅配制度によって毎日二回、自宅に有無を言わせずに送りつけられる。また、ダイレクトに自宅のテレビに映し出されるのである。

 なぜ新聞社がこのシステムに組み込まれてしまうのかといえば、紙面を埋めるためには、このシステムはすこぶる都合が良いからである。戦後、一貫して増やしてきたページ数を支えたのは、まさに記者クラブで発表される官報チックなネタだった。更に一見関係ないようで非常に関連深いのが、米国にはない「夕刊」というシステムである。夕刊があるがために、記者は朝から夕刊締め切りの時間(午後二時ごろ)まで記者クラブに詰めて(つまり現場に取材に行かないし行けない)、ひたすら官僚のレクチャーや発表モノをすばやく処理しなければならない。疑問を感じていたら次々に重ねられる「版」に間に合わないので、官僚が作ったペーパーに基づいた報道にならざるを得ないのだ。これは現場の記者には解決困難な問題で、経営者マターである。しかし、広告収入を増やすために必要以上に紙面を増やしてきた新聞社は、もはや減収につながるページ減など考えられない。再販規制がなくなり競争が起これば紙面の質で勝負することになろうが、現在の『護送船団』状況では、週刊誌と違って販売部数に増減が少ないので、質はともかくページを増やすことで利益を出せる。記者クラブは、経営の論理と見事に合致するのである。

 この結果、必然的に官報化してきた。一例をあげれば、トキの赤ちゃんが誕生した際の過熱報道は、極めて一面的だった。どうして中国のトキを二羽連れてきて交尾させ、日本で卵がふ化したに過ぎない出来事がニュースなのか。このトキは全く日本古来の土着のトキとは無関係なのに、である。官僚がお膳立てし、記者クラブ員を引き連れて現場で写真を撮らせ、ペーパーを配ると、その通りに報道されるという取材過程が、見え見えである。税金でこうしたことをするのに、どれだけの意味があるのかを論じる社もなければ、無視する新聞もなかったのは記者クラブの一方向性をまざまざと見せつけた。読者がトキに関心を持っているかどうかなど全く無視(新聞社はマーケティングを全くしない)で、官僚が流して欲しい情報をそのまま流すことに疑問を持たないのである。

 我々はニュース報道や論評から発想の根拠を得ている。人々はニュース報道によって知らず知らずのうちに価値観を形成している。ニュースは明らかに政治的な影響力を持っているのである。残念ながら、これを証明するリサーチは難しい。しかし簡単に言えば、権力が内包している記者クラブが情報発信している点では、やはり権力が情報発信する北朝鮮と大差なく、またそれを間に受けて信じる読者の割合でも大差ないということだ。(この点、中国の人民日報は常に疑いの目で見られているだけ健全である)

 いかに記者クラブの解体・改革と再販規制の撤廃が今日的に重要なテーマであるか、よく考えてみて欲しいのである。 

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