ナポリ&シチリア旅行記 観光編
カンパニア州旗 ≪ポンペイ≫ 

※ 1ユーロ=約97円(2012年7月当時) ※


△▼△ ポンペイ遺跡 △▼△
 旅行2日目、実質的な観光初日であるが、しょっぱなからハードスケジュール(笑)。朝8:30に専用車でホテルを出発し、ポンペイ遺跡~アマルフィ海岸を10時間半かけて巡るのだ。
 ナポリから高速に乗って約30分でポンペイ遺跡(http://www.pompeiisites.org/)に到着。 ドライバーのみでガイドは付いていないので、2時間で自力観光しなければならない。

 マリーナ門という入口でチケット 11ユーロを購入したが、地図などはもらえなかった。 女王様たちの前にチケットを買ったおっちゃんが「地図はないか?」と聞いた(ような気がする)のに対して窓口のねーちゃんが「どこそこに行ってもらって」的なことを答えていた(ような気がする)のでどこか他のところに行けばあったのかも。 …実はこの後「地図が欲しい~!」と切実に思うことになるのだが、とにかく時間が限られているので、ガイドブックの地図を頼りに出発した。

フォロとヴェスヴィオ山 ジュピターの神殿 アッポンダンツァ通り

 わかっていたことではあるが、ポンペイ遺跡は非常に広い。マリーナ門から最初のみどころであるフォロ(上左写真、バックはヴェスヴィオ山)に到達するまでに5分くらいかかった。
 上中写真はポンペイで一番重要だったらしいジュピターの神殿。上右写真はポンペイの主要道路だったアッポンダンツァ通り。通りの両側にもずらっと建物の遺跡が残っているが、通りの先はどうなっているのか、遠すぎてよく見えない…。

「猛犬に注意」 牧神の家  左上写真は「悲劇詩人の家」と呼ばれる建物の玄関の床モザイク。日射しが強すぎて日が当たっている部分が見えにくいですが、赤い首輪をした犬の絵&「猛犬に注意(Cave Canem)」の文字が。 鉄格子で囲まれていて、これ以上中には入れません。

 右写真は「牧神の家」と呼ばれるポンペイ最大の貴族の豪邸。ただし置かれている牧神の像はコピーで、ホンモノとは翌日国立考古学博物館で再会することに。

 このあたりまで見たところで既に30分くらい経過していたので、ちょっと離れたエリアにある秘儀荘を先に見てくることにした。 遺跡内にはあまり案内表示がなく、あっても文字が小さくてイタリア語オンリー。でもガイドブックの地図を見る限り、とにかく北西に進めばエルコラーノ門を通って秘儀荘に着くハズ!
 というわけで、次第に暑くなってくる中(見学を終えてクルマに戻ったときに見たら外気温34℃だった)、女王様たちはずんずんと進んでいった。途中の道ばたには左下写真のようなキレイなレリーフの残る石もごろごろ転がっていたりする。
 15分ほど歩くと、秘儀荘より手前にあるダィオメデス荘と思われる建物が見えてきた。「一応見ておくか」という気分で中に入ってみるとなかなか広い。壁画の残っている部屋もある。
レリーフ  そして建物の出口らしきところまで来たとき、ふと横の方の部屋を覗いてみると、なんかガイドブックで見覚えのある赤い壁画が…そう、ココが秘儀荘でした(爆)。
 どうやら女王様たちは西側に寄りすぎて、遺跡の外側の道を通って(?)直接秘儀荘まで到達してしまい、横手の入口から建物に入ったようなのである。これも地図がない&案内表示が少ないせいだ(考えてみれば道を外れていたから余計案内がなかったのか?)。 いや~、あやうく肝心の壁画を見逃すところだったわ~。f(^^;

 そんなわけで知らぬ間にたどり着いた秘儀荘の「ディオニュソスの秘儀」への入信の様子を描いたフレスコ画が下写真です。 右の壁の下には大きな犬が寝そべっていて、「番犬?」と思ったら単に涼しい日陰で昼寝しているだけでした。

秘儀荘の壁(左) 秘儀荘の壁(中) 秘儀荘の壁(右)

スタビアーネ浴場  秘儀荘から今度こそエルコラーノ門を通って再び遺跡内へ戻り、遺跡の東側エリアを目指す。が、この頃からだんだん自分たちの現在地が把握できなくなってきた。 何度か行き来してもヴェッティの家金色天使の家という屋敷跡や、ステファノの洗濯屋という建物が見つからない。う~む、こんなときに地図さえあれば…。
 ただ、帰国後にネットで得た情報によると、この頃「有名な建物がある通りが通行止めになっていた」という話もあり(真偽不明)、それで発見できなかった可能性も。 それに、10時を過ぎると団体客がわんさか押し寄せてきて、なかなかじっくり目的地を探していられなかったということもあるし。
 右写真はそんな中でもちゃんと見つかったスタビアーネ浴場

 残り時間も迫る中、アッポンダンツァ通りを突き進んでいくと、落書きが残る壁(下左写真)や酒壺が描かれた壁(下中写真)、そして今でも使えそうなカウンター居酒屋(下右写真)などもあった。 仕事帰りにこの店で一杯やってたおっちゃんたち(今なら新橋駅周辺で飲んでるタイプ)もヴェスヴィオ山の大噴火(79年)で犠牲に…と思うと諸行無常である。

壁の落書き 居酒屋の壁 居酒屋のカウンター

 2時間はあっという間に経過し、この辺でタイムアップ。さらに東にある円形闘技場などは残念ながら全然見るヒマがなかった。
 とにかく真夏のポンペイ遺跡は広すぎ・暑すぎ・石畳が歩きにくすぎ・案内なさすぎの四重苦で、初心者がガイド無しで2時間で効率的に全部見て回るのは不可能に近い、ということを身をもって実感した女王様たちでした。

[トップ]  [観光編]   [食事編]  [買い物編]  [乗り物編]  [あれこれ編] 

海外旅行記一覧へ
旅好き3女王様の小帝国トップへ