こんな記事が載っていました。ヘルパーの佐藤明子さん(東京都51才)の意見です。私は30、40代の首相ら若々しい政治家が活躍する諸外国を羨ましく思っています。日本ではなぜ、政治リーダーは高齢というのが当たり前になってしまったのか。公務員や会社員は定年があるのに、本当に不思議です。老害と言われても仕方がない議員が多いと思われてなりません。シルバー人材センターを政治家の方はご存知でしょうか。退職後、経験を活かして社会に貢献する仕組みです。政治の世界も同じ考え方で後進に道を譲り、アドバイスなどで政治に役立てるのではないですか。
国会での居眠り、逆切れ、失言。見てる方がつらいです。裏金問題でも老害や悪弊を感じました。取り返しのつかない悪事をしてしまわないうちに勇退をおすすめします。若手政治家が数多く活躍することで、政治に沢山の人が興味を持ってくれたらと、希望を持つ私です。私、伊藤鉄郎も全く同感です。 2024/11/11(Mon) 09:56:09 [ No.10168 ] |
滝廉太郎(1879−1903)24才。作曲した曲、鳩ポっポ、雪やこんこん、もういくつ寝るとお正月、荒城の月。
明治34年、作曲研究の為留学を命じられた。ライプツィヒ王立音楽院へ赴任。風邪をこじらせ35年帰国。途中、船がロンドンのテムズにて英国留学中の土井晩翠が訪れて見舞われた。「荒城の月」の作詞家と作曲家が会ったのは、この時が最初で最後であった。 2024/11/11(Mon) 09:11:51 [ No.10167 ] |
午後近所の公園へ紅葉を見に行つてきた。見事な紅葉だつた。トイレヘ行くのに歩行器を使わずオイチニオイチ二と反動を付けて歩いて行ってきた。スタッフの大澤さんに教わったようにやって。今デイサービスセンターヘ通うてる中でわてが一番元気がよいと自負している。自信過剰は危険なれば、そうならんようにと戒めつつ。
2024/11/09(Sat) 20:03:02 [ No.10166 ] |
一つも間違いがなかった。神の恩恵か。有り難いことです。いずれにしろ彼方此方にミスの目立つ吾が書、売り物にはならはい。我が妻曰く。束に束ねて資源ごみとして出せば役立つかもとのこと。そうしようと思うこの頃である。そんな本でも良いという方申し出て下されば何冊でも郵送料こちら持ちでお送り致します。
2024/11/04(Mon) 16:53:25 [ No.10164 ] |
令和6年10月24日 伊藤鉄郎様
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。 さて、今般は、貴殿著書 We are the brother countries Japan and Nepal をご恵贈頂きまして、誠にありがとうございます。また、ネパールで長年にわたりEM普及活動にご協力賜り、感謝申し上げます。 頂いた書籍は、EM研究機構の海外EM事業担当者へ共有し、ネパールでのEMの普及活動に活用するよう手配しました。 今後ともEMの普及活動にご協力下さいますようお願いします。先ずは略儀ながら、書中をもちまして御礼申し上げます。 地球環境共生ネットワーク 理事長 比嘉照夫 (秘書室 下地貴司) 2024/11/03(Sun) 08:31:51 [ No.10163 ] |
いつもいつもお世話になっております。申し訳ありません。送料にもお金がかかつたことでしよう。ご恩に報いなければと思います。それと暮れになつたら蜜の入った美味しいりんごをお送り致します。それまでお待ちを。
2024/11/01(Fri) 20:37:19 [ No.10162 ] |
今日は午後、峰村先生の往診日。帯状疱疹の名残りか坐骨神経痛か知らんが左側の腰が朝起る時もの凄く痛い。毎朝死ぬほど痛い。こんな思いをするくらいなら早く死にたいと思うけど神様中々死なせてくれない。さあお昼だ。今日はおうどんだ。昨日はつみれ汁だった。人間は誰でも老いれば病を得て死んで行くのが定め。こやつは今しばらく活かして置こうと思うているんかや。それだけの価値があるならうれしいな。
2024/10/28(Mon) 12:31:33 [ No.10161 ] |
本日(10/28)ヤマト便にて再送致しました。
私の聞き間違いで失礼しました。 今後はこの掲示板でご連絡いただければ幸いです。 2024/10/27(Sun) 19:05:33 [ No.10160 ] |
EMとは沖縄の比嘉照夫農学博士が開発した薬品(Efective Microorganizmの略語)で農薬と違い飲んでも無害どころか健康増進に役立つというわけで小生は毎日少量飲んでいるのでここ30年風邪も引かない。農薬飲んだら死んでしまいますよ。ご覧のように私はピンピンしていますと言うて飲んで見せたら、皆さん僕にも飲ませろ私にも飲ませてと引きも切らない。皆さん写真を見てのとうり、代わる代わるラッパ飲みです。まあ貴君の単細胞形思考には弱ったものです。
2024/10/25(Fri) 13:27:05 [ No.10159 ] |
貴君の言われるように校正をしなかったのはわての最大の手落ちであった。然しこの書に乗せてある写真は全て小生が撮ったものである。これこそは嘘偽りのない真実である。これらの貴重な写真に対して長野県教科書供給所は優良図書としたのであろうとわては信じて止まない。一例が長野日大高校の校内に貼られた掲示物である。東大をはじめ多くの名門大学への進学率の高さ。とりわけ医学部の合格率の高さが目に着く。長野日大高校は今年夏の県大会で優勝して騒がれたが、他の県立高校と同様に野球では生徒を取らないのだ。やりたい生徒たちがやっていてあれだけの成績を上げたのだから大したものだ。そんな学校はほかにあるまい。全国大会で一回選で負けても恥ずかしい事ではない。1点とっただけでも褒めてやりたい。選手たちよ、胸をはれ!!
わが教え子の三井田君の長男琢磨君の渡米しての心臓移植手術をした時の募金活動した時もそうだった。長野市と松本市でも募金活動をしたなあ。吹奏楽部の生徒たちも本当に良く頑張ってくれた。松本ではホテルモルシヤンの社長(長野日大卒の斉藤君)も力になってくれた。そして目標額の6000万円が集まってしまった。琢磨君は無事に高校を卒業して、今元気で働いているとのこと。わが教え子の三井田君、あの時の君の決意が幸せを生んだのだ。 2024/10/25(Fri) 07:46:40 [ No.10158 ] |
パド吉殿
こういう案件は一つ返事で引き受けられるものではないし、第一、今の自分には時間がない。57歳といえば、まだ本職の分野で忙しいわけだから。そのうえ、やたらと日常の夾雑物も多く、人がPCやスマホの奴隷と化した昨今、譜面を読むのに大事な俺の乱視もとみに病んでいる。 時間がないといえば、2027年のベートーヴェン没後200年に全ピアノソナタを弾く企画があって、そういう準備は何にもまして周到に行われないといけない。永遠に壮健に恵まれてピアノが弾けるなんて保証はどこにもないのだから。 決してできないと言ってるわけじゃない。もし俺が70を過ぎて正常に生きていたら、その時はいろいろ音楽以外のこともできるかと思うので、どうかそれまで待ってほしい。 バッハやシューベルトのような稀代の大作曲でも、生前出版が叶わなかった作品が死後何十年もしてようやく日の目を見るなんてことはざらだから。文豪でも同様。価値のあるものなら、遅すぎるなんてことはない。ほんとうに「真価」があれば。 なんでもそうだと思うけど、物を印刷するって、それこそ準備周到にすべき。 例の英語の本だけど、あの文章って一目瞭然、校正ゼロだから。考えれば考えるほどに、もったいない。ふんだんに使われている写真もいいし、本文の趣旨はよく伝わる。それだけに、あれだけ大小さまざまなミスが頻発していることは遺憾。 俺も英語のほかに、スイスに四つある公用語のうちドイツ語とフランス語くらいは書けるけど、もしどこかに発表される文章であれば、必ずその言葉を母国語とする誰か (もちろん文才のある数人に限る) にチェックをいれてもらう。自分でよほど自信があっても、そんなのはひとり合点であって、細かい間違いや、ネイティブの人にとっては不自然な言い回しとか、文法上のあやまり、知識面の誤謬は多々あるもので、そこはね、やっぱり大切にすべき。そもそも、自分でチェックするなんて、そんなの校正のうちに入らないから。 俺の友人に岩波書店から本を出してる人とか、イギリスの中世文学の権威、ロシア人小説家から翻訳家まで、文筆で生きてる方々が結構いて、まあそれでいろいろ話を聞く機会がある。 プロが本を書く場合、編集者という存在が大きい。ただ自分が書いて、それがそのまま出版されるということはない。それはどんなに偉い小説家が書いても同じ。その本がどんな仕上がりになるかは、編集者の腕にかかっている。要は、書き手の独りよがりな文章や内容にならないようにということ。さらに、厳密な校閲の重要性がある。ぱらぱらっとめくって、プリントミスも含め一つでも間違いが目についたら、もうそれで本の価値が半減以下になるという「覚悟」で、本は作られるらしい。 たしかに、楽譜だってそうでしょう。どんな立派な老舗の出版社が出してる楽譜でも、ごくまれにミスプリントはある。だけど、多発はしていない。そんなね、間違い探しが売りの楽譜なんて誰も求めたくない。文字として刻まれる言葉が言霊であるように、作曲家が書き残した音符にも魂が宿る。 当然、自費出版に編集者も校閲もないのは分かります。それにしたって、少なくとも数回の校正が行われないと残念な結果になる。 はっきり言えることは、たとえそれが母国語の作業であっても、ましてや何かを原稿にするとかは俺の分野じゃない。専業のほかに手薄く何でもやるという生き方は肌にあわない。そもそも鍵盤ハーモニカを辞めたのもそういうことだから。日曜大工みたいに適当に何でもやれるなんて、そんな妄想は打ち砕かれた。年を取るって、自分のやれる一つのことをフォーカスしていくことに他ならない。俺はつくづくそう思います。 上にもふれたように、もし充分な時間さえあれば、それなりのことができる可能性はあるかもしれない。だけど、今はより大切な、今しかできないことがあるから、今回の件は丁重に辞退するしかないのです。 長々とあしからず。どうかこの偽りなき真意を汲んでください。 拝 2024/10/16(Wed) 18:53:06 [ No.10156 ]
変なことをお願いして申し訳なかった。貴君の言われることよく分かりました。この件は別にして来年春帰国するのを心待ちにしています。自分の事は自分でやる!!今やにして覚悟ができました。これだけの資料を載せてくれた貴君に感謝です。
2024/10/17(Thu) 19:30:05 [ No.10157 ] |
「我がネパール交友録」を一冊の本にしたいのだけど原稿を送って貰えれば有り難いです。須坂新聞の制作部で本の出版を募集しているのです。原稿に掛かった費用は来年貴殿が帰国した時お支払いします。これがわての人生最後の作品にしたいと思います。本のサイズはB6(128mmx182mm)です。
2024/10/16(Wed) 03:25:57 [ No.10155 ] |
色々ご配慮ありがとうございます。
英殿、出来ればドイツ語に訳して貰いたいのですが。それからマーゴシヤにポーランド語に訳して頂きたいのですが。各国の 人々がどのような受け取り方をするか知りたいのです。英国の友人がおりましたらその方の意見も。来年春帰国するのを心待ちにしています。 小松原さん早速に送ってくださりありがとうございました。 2024/10/14(Mon) 19:28:42 [ No.10154 ] |
パド吉さんには、すでに詳細は伝えたとおりです。
hhttps://paddler7.weebly.com - BIO 略歴 - THE GIFT OF MUSIC 音楽の贈り物 - THE UNKNOWN LANDS 旅の記 - NEPALESE HINDU CULTURE ネパールのヒンドゥー文化 - FORUM 掲示板 - BLOG ↑ 現在、6つの項目があります。ホームページを開いたら、クリックしてみてください。 なお、ブログには、"We are the brother countries.." の全訳文(by Padkitchi)を投稿してあります。時間の許す限り、大雑把な校正・校閲の真似事はしました。 掲示板は、ページを開いてから、そこにある「リンク」をクリックするとすぐ飛びます。 この掲示板には、投稿の修正機能がありませんが、パスワードを入れておけば、投稿の「削除」は簡単にできます。 hhttps://paddler7.weebly.com/forum-255223103426495.html こちらが「掲示板」への直接のアドレスです。 hhttps://paddler7.1my.jp 掲示板の下にある "Back to Paddler7’s Homepage" というボタンを押すと、ホームページの表紙に戻ります。 --- あだかずさまへ 先日は、このホームページと掲示板の今後の維持、管理等に関するお気づきを、心からありがとうございます。 今回、私が作ったものはごく簡易な「ホームページもどき」ですけど、幸い、あだかずさまには、FC2のホームページを(現状のままであれば)継続していただけるとのことですので、お言葉に甘えて、おいおい可能な範囲で、内容のいくつかを新しいホームページへ移行することになると思います。 またメール書きます。 拝 2024/10/12(Sat) 17:52:31 [ No.10151 ]
ちらっと、一部、拝見させて頂きました。スマートに仕立ててありますね。これからゆっくりと拝見させて頂きます。
尚、私がホームページを作り始めたのは25年ほど前で、パソコン用のものです。今となっては多くの方が閲覧するスマホでは見難くなってます。それで、何とかスマホでも見れるように文字を大きく見せる工夫をしました。 今はお使いのような、パソコンでもスマホでもどちらでも見易いツールが用意されていますね。いいですね! 2024/10/12(Sat) 19:55:10 [ No.10152 ]
まさしく、便利な時代になりました。さまざまなツールで簡単にwebサイトを作ることが可能になりましたから。
あだかずさんがホームページを作成されたころは、知識と技(わざ)がないと、何も始まらなかったわけですから、ほんと尊敬いたします。 私は不精者ですし、今回ちょうどいいアプリがありましたから、最初からスマホひとつで作業しました。ですから「ホームページもどき」なんですが、まあ何もないよりはいい、といったところですね(笑) 2024/10/12(Sat) 23:14:39 [ No.10153 ] |
1958年明治学院大学英文科卒業、日体大附属荏原高校に就職。
1960年4月 日本大学ジユン付属長野日大高校に就職。 1994年4月 同校定年退職し新たに長野県立長野南高校勤務。 1996年4月 長野県立須坂東高校勤務。 1997年4月 ネパールへRAFTINGTTOUR 2000年4月 28回ピースボート南半球への旅、エジプトで帰国。 2002年4月 40回ピースボート南半球への旅、3ケ月。 2010年4月 EM農業普及の為ネパールへ。 2014年4月 ネパールに会社設立。 2015年4月〜2018年、ネパールへ行っている。 2019年5月 階段から落ち脛骨損傷し、それ以来ネパールへは行ってない。 2024/10/09(Wed) 13:57:15 [ No.10149 ] |