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paddler7j掲示板(pad吉掲示板)




◆ 今日のおくやみ欄の小諸市のところに 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
荒町の光岳寺住職、黒田説成君(86)15日に亡くかかなったとの記事が載っていた。彼は早生まれだから学年は小生と一緒だった。わての同期生も段々亡くなって行くんやなあ。信毎の佐久支社長だった山本光蔵君が一番最初だった。それから次々と。感無量である。中でも教え子の死亡には涙がこぼれる。そう鈴木隆君の葬儀には大阪から来られた二人の息子さんの姿があった。

2024/12/17(Tue) 19:44:06 [ No.10180 ]

◆ 昨日はデイリーヤマザキへコピーしに行ってきた。 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
前回行ってきた資料の印刷に。農業をしておられる前日大高校の峯村先生、県内の方々で造園土木のお仕事をされている伊東寛明氏もお誘いして、中野の金子さんの引率の下、来年も是非とも比嘉照夫先生のお話を聞きに行きたいと思うので。

2024/12/16(Mon) 10:27:44 [ No.10179 ]

◆ 平成18年、沖縄研修旅行。今から6年である。 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
参加者は今は亡き阿部克郎、憲子夫妻。松代の伊東富男氏、小生伊藤鉄郎、金子忠春氏、他女性数名。宿はホテルコスタビスタ沖縄でした。農業、植林従事者は有用微生物群の開発者農学博士の比嘉照夫先生の講演を是非とも聴べきである。

2024/12/13(Fri) 13:59:29 [ No.10178 ]

◆ 川向正人著「まちつくりの奇跡」を読んで 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
先ずはまえがきから。小布施は、善光寺平にある小さな町。太平洋側・日本海側のどちらからでも、いくつもの峠を越えねばならない。現在でも、どこか外界から隔絶した別天地の趣があって、桜・桃・りんご・菜の花などが一斉に咲く時期は桃源郷そのものだ。
この小布施を、幕末に葛飾北斎が江戸から三度も四度も訪れ、肉質画や祭り屋台の天井画など、当地でしか出会えない作品を多く残した。北斎を厚遇したのは、この地方でも有数の豪農豪商だつた高井鴻山自身が若くして京都・江戸に遊学して書画文芸・陽明学などを学び、幕末・維新期の重要な思想家・文人とも交流して郷土の変革に貢献した。今流に言えば、世界的なビジヨンをそなえた「町作り」の先駆者だった。
二人を記念する北斎館と高井鴻山記念館を核として、町の中心部に昔から変わっていないかのように自然で落ち着いた雰囲気の修景地区が広がる。
現在では毎年、町の人口の100倍にあたる120万人もの観光客が訪れて、そこを散策する。
散策して「癒された」「また別の季節に来たい」と言い残して彼らは帰って行く。何度も訪れる人々、いわゆるリピーターの多いのが、小布施の最大の特徴である。一般民家の庭を観光客に解放する「オープンガーデン」でも庭が訪問者にとって内と感じられるものになっている。以下省略。長野市に在住している小生も度々行ってこの本に書かれている通りだと思った。

2024/12/04(Wed) 10:40:58 [ No.10177 ]

◆ 再びC・W・ニコル君の武士道と「日本発見への旅」 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
血のにじむような修行の日々。そして日本人女性との結婚。美しい自然の残る小さな町での新婚生活。道場の内外での様々な体験を通して、武士道と真の日本発見の過程を語るニコル氏の滞日青春記。

2024/11/30(Sat) 19:23:29 [ No.10176 ]

◆ 夏目漱石著「草枕」を読んで 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
かの有名な、山道を登りながら、こう考えた。智にはたらけば角が立つ。情にさをさせば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると安い所へ引っ越したくなる。何処へ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて、画が出来る。
さすが漱石、並みの我々が考えても及ばざることを考える。

2024/11/30(Sat) 19:00:11 [ No.10175 ]

◆ c.wニコル 松田氏訳「私の日本武者修行」を読んで 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
これほど面白い本はなかつた。R26年11月25日〜28日の4日間で読み終えた。最後のページより。日本にいる時はもう後いくらもなかった。大晦日が来た。私は日本の礼服を着て零時直前に寺へ歩いて行った。日本中何処へ行っても同じだが、ここの寺でも大きな鐘をついて、新年を迎え入れる。そこには数人の人がいたが、混み合ってはいなかったから、パーティーのような気分が漂い、みんな賑やかにはしゃいだ。寺僧の妻が参詣人一同に、この季節の伝統的な飲み物である、熱く、滋養に豊む酒粕の甘い汁を振舞った。若い男たちは先を争って、大鐘をつく栄誉にあずかろとした。彼らは太い綱を握り、大きな撞木を揺さぶり始めた。始めは数インチずつ、やがて十分弾みがつくとしゆもくは、船に頭突きを食わせる鯨のように、大鐘の横っ腹に突き当たった。深く、長く、低く、高く、嬉しげに、また悲しげに、色々に変わる鐘の音があらゆる空間を満たし硬い物を振動させた。それは108回突かれることになっていた。
「あなたもどうです?」と寺僧が私に勧めた。他の人達にも勧められて私は鐘撞堂に上がり、綱を握り、大きな撞木を揺さぶり始めた。始めは数インチずつ、やがて十分弾みがつくと撞木は船に頭突きを食わせる鯨のように大鐘の横腹に突き当たった。深く、長く、高く、低く嬉しげに、また悲しげに、いろいろに変わる鐘の音があらゆる空間を満たし、固いものを振動させた。それは108回突かれることになっていた。
ほかの人達にも進められて私は鐘撞堂に上がり、綱を握った。その綱を通じて私は、小さな屋根から吊るされている頭上の鐘の微かな揺れを感じることができた。木立を吹く風。寺の反り返った軒の上の星の光。後ろの建物の窓から洩れる燈火。寺の開け放された戸口に揺れるものの影、目の前でいまだに低く余韻を曳いて、黒く厳かな大鐘。私は次第に撞木を大きく揺り動かした。撞木はいよいよ力を増してかえってきたかと思うと、ついにゴーンと凄まじい音をたてて鐘にぶつかり、我々みんなを新年に送りこんだ。

2024/11/28(Thu) 21:12:13 [ No.10174 ]

◆ 15才未満の子どもの人口が15%割れ 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
昨年より31万人少ない1888万人に減り、総人口占める割合も初めて15パーセント%を下回ったことが総務庁の調べで明らかになった。戦後の子どもの人口は第一次ベビーブム後の1940年代後半の55年、32万人まで増えた。その後減少し第二次ベビーブームが到来したものの、82年からは18年連続で減り続けている。総人口に占める子どもの割合も50年には35.4%だつたが、61年29.2%と2割を割った。
諸外国と比べても、日本の総人口に占める子どもの割合はイタリアに匹敵。フランス(19.2%),米国(21.8%),韓国(22.0%)よりも低い。都道府県別で子どもの人口の割合を見ると最も高いのは沖縄県の20.5%で、最低は東京都の12.6%だつた。 11年5月5日朝日新聞より引用。

2024/11/26(Tue) 20:55:02 [ No.10173 ]

◆ 自伝 若き日の狂詩曲 山田耕筰を呼んで 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
実に面白い本であった。巻末の作曲家團伊玖磨氏の解説に代えてを読んで。山田耕筰先生のオペラ「黒船」は、S15年に完成し公演された大作である。花と鼻のイントネーションについて。花が咲いていると鼻をかむのイントネーションの違い。歌曲、声楽曲の第一の骨組みである。
彼はドイツより帰国後日本初のシンフォニーを帝国劇場で開催。その楽団員で組織した東京フィルハーモニー管弦楽団で定期演奏会を続け日本の交響楽団活動の基礎を作られた。三木露風作詞の「あかとんぼ」、北原白秋作詞の「カラタチの花」「この道」と言った平易で美しい、日本語の抑揚に忠実な歌はみな先生のそのような姿勢の中から生まれた作品である。
今、日本の音楽のレベルは、急速に上がり、世界各国のコンクール、演奏会で日本人の活躍はめざましく、世界の音楽の一つの底力として大活躍する時代となった。日本の音楽界のレベルを高めるうえに偉大な足跡を残したのである。1954年68才の時、映画「ここに泉あり」に出演。1965年12月29日心筋梗塞のため79歳で死去。秋川市の西多摩霊園に眠る。戒名は響流院尺耕筰。

2024/11/22(Fri) 11:36:04 [ No.10172 ]

◆ 今日はクロネコヤマト宅急便へ行ってきた。 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
いつも掲示板便りでお世話になっている東京三鷹市牟礼の小松原さんに、下手な字でお礼の手紙を書いて近所のクロネコヤマト宅急便へ行ってきた。我が家のババ様と一緒に。そのあとデイリーヤマザキへ行って昼飯のおむすび爆弾他を買って新しく作られた歩道を通って帰宅した。お天気も良く山の紅葉を眺めながらの楽しい散歩になった。夕食後ババ様とオセロゲームをした。一勝一敗でした。まだ時間が早いが寝るとしよう。明日はデイサービスセンターヘ行く日だ。今読んでいる本は山田耕筰の「自伝 若き日の狂詩曲」中々面白い本だ。明日中には読み終えるだろう。相撲はなかなか面白い。琴桜と鳳翔龍が一敗で並んでいる。是非琴桜に賜杯を取らせたいものだ。大の里はまたの機会を狙え!

2024/11/20(Wed) 20:30:48 [ No.10170 ]
◇ Re: ヤマト宅急便受け取りました。 投稿者:keiko  引用する 
お気遣い恐れ入ります。

2024/11/21(Thu) 12:13:11 [ No.10171 ]

◆ 松代大本営地下壕を見る会に参加して 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
大本営とは旧日本軍において、戦時に大元帥である天皇の下に設置された最高統帥機関のことです。松代大本営地下壕は、太平洋大戦末期の1944年11月から約9ヶ月間に松代の象山、

2024/11/11(Mon) 12:41:54 [ No.10169 ]

◆ 朝日新聞から引用 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
こんな記事が載っていました。ヘルパーの佐藤明子さん(東京都51才)の意見です。私は30、40代の首相ら若々しい政治家が活躍する諸外国を羨ましく思っています。日本ではなぜ、政治リーダーは高齢というのが当たり前になってしまったのか。公務員や会社員は定年があるのに、本当に不思議です。老害と言われても仕方がない議員が多いと思われてなりません。シルバー人材センターを政治家の方はご存知でしょうか。退職後、経験を活かして社会に貢献する仕組みです。政治の世界も同じ考え方で後進に道を譲り、アドバイスなどで政治に役立てるのではないですか。
国会での居眠り、逆切れ、失言。見てる方がつらいです。裏金問題でも老害や悪弊を感じました。取り返しのつかない悪事をしてしまわないうちに勇退をおすすめします。若手政治家が数多く活躍することで、政治に沢山の人が興味を持ってくれたらと、希望を持つ私です。私、伊藤鉄郎も全く同感です。

2024/11/11(Mon) 09:56:09 [ No.10168 ]

◆ ワイフのノートより 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
滝廉太郎(1879−1903)24才。作曲した曲、鳩ポっポ、雪やこんこん、もういくつ寝るとお正月、荒城の月。
明治34年、作曲研究の為留学を命じられた。ライプツィヒ王立音楽院へ赴任。風邪をこじらせ35年帰国。途中、船がロンドンのテムズにて英国留学中の土井晩翠が訪れて見舞われた。「荒城の月」の作詞家と作曲家が会ったのは、この時が最初で最後であった。

2024/11/11(Mon) 09:11:51 [ No.10167 ]

◆ 今日はデイサービスセンターへ行ってきた。 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
午後近所の公園へ紅葉を見に行つてきた。見事な紅葉だつた。トイレヘ行くのに歩行器を使わずオイチニオイチ二と反動を付けて歩いて行ってきた。スタッフの大澤さんに教わったようにやって。今デイサービスセンターヘ通うてる中でわてが一番元気がよいと自負している。自信過剰は危険なれば、そうならんようにと戒めつつ。

2024/11/09(Sat) 20:03:02 [ No.10166 ]

◆ 沖縄の比嘉照夫農学博士宛の処だけは有り難い事に 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
一つも間違いがなかった。神の恩恵か。有り難いことです。いずれにしろ彼方此方にミスの目立つ吾が書、売り物にはならはい。我が妻曰く。束に束ねて資源ごみとして出せば役立つかもとのこと。そうしようと思うこの頃である。そんな本でも良いという方申し出て下されば何冊でも郵送料こちら持ちでお送り致します。

2024/11/04(Mon) 16:53:25 [ No.10164 ]

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