人間、志を立てるのに遅すぎるということはない。
断じて行えば、鬼神もこれを避く。
今出来ないことは、10年たってもできない。思いついたことはすぐにやろう。
今日出きることを明日にしてはいけない。遅延は時の盗人だから。
人生は石材である。それをもって神の姿を彫刻しようと、悪魔の姿を掘り出そうと、各自のこころのままである。
愛の無い力は暴力です。力の無い愛は無力です。
戦争でも恋愛でも、勝つものが常に正しい。
自分が努力している状態だと思っているうちは、本当に努力している時じゃないんだ。他から見ればすげー努力していても、俺にとっては自然体。そういうふうになれるようにしよう。じぶんで「頑張っている」なんて思わないようにしよう。
よく人に「やさしい」といわれるけれど、それはおれにとってやさしさなんかじゃない。当然のことなんだ。絶対に自分で「おれはやさしい」なんて思わないようにしよう。当然なのだ、当然。普通のことを普通にやったまでだ。
中途半端な善が一番の悪や。
頼むから黙って、ただ、愛させてくれ。
人の幸せをやっかみながらも半分くらいは本気で分かち合える自分を「成長したな」と思う。
女性を口説く時、よく思うことがある「これを言ったらおしまいになるかもな」でも、「これで終わるくらいなら、所詮そこまでなのだな」と思い口に出す。そいういうのを乗りきれるならその先も上手くやっていけそうな気がするんです。
好きだから、手を出すんじゃないか。
明日はなんとかなる、と思うのは馬鹿者だ。今日でさえ遅すぎる。昨日のうちにすませてしまっているのが賢い者だ。
自分のやりたいことは、自分の経験した範囲内でしか想像できない。だから、いっぱい経験してやりたいことを見つけるんだ。
一つもバカなことをしないで生きている人間は、彼が自分で考えているほど賢明ではない。
生きていることにしばらく慣れてしまうと、死ぬのに嫌気がさしてくる。
自分が弱いと気付いた時。あの時から自分は強くなれた気がする。
求めて得られる愛はすばらしい、でも求めることなく与えられる愛はもっといい。
周囲を引きずり回せ。引きずるのと引きずられるのとでは、長年の間で大きな差が出てくる。
安心〜それが人間のもっとも身近にいる敵である。
人間の幸福は、決して神や仏が握っているものではない。自分自身の中に、それを左右する鍵がある。
だれもかれもに好かれて、なかよくやっていきたいのは理想だが、どうやら無理らしい。だから、嫌われても別に構わないという気持ちで、人と接していくようにしている。万人受けするほどすばらしい人間ではないのだから。
汚れるのが厭ならば、生きていくことをやめなくてはならない。生きているのに汚れていないつもりならば、それは鈍感である。
立派に死ぬことはむずかしい事ではない。立派に生きるのがむずかしのだ。
勝たなくてもいい、負けなければいいのだ。
受身でいるなら、受身を極めるべきだ。受身から教わる事だって、山ほどあるのだから。
優れたところがありながら疎んじられる人がおり、欠点だらけでも好かれる人がいる。
悪いことのできない人より、悪いことができて、悪いことをしない人のほうが、ひとがついてくる。