るうでんすの日記
わたしの非日常的日常



わたしの生活のご紹介、です。
ご要望にお応えして、本日分より、さかのぼってお伝えします。



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1月31日(木曜日)

冷たい風が戻ってきて、わたしは静養日です =^_^=
休診日のこととて、おにーさんは午後も医師会に出ていましたし、おかあさんもお出かけしていました。

おかあさんは大好きな鉄道博物館(っていっても2回目)に行き、『ハチクマライス』を食して来たそーな。(29日の日記参照) 
国鉄か鉄道省のまかないメシらしく、“東北線の”というものが日本食堂にあったそうです。
おどんぶりのごはんに千切りキャベツ、カレーの上には小さなハンバーグと両わきに温泉卵が載っているものだったんですって。ふーん。またおかあさん患者さんとの話題にするでしょうし、よろこんでも作るのでしょうにゃ〜 
(^+^)

“いいな〜機関車は! 男の仕事よね〜 
(^・^)
開業からずいぶんと経つのに、まだ長蛇の列なのだそうです。
駐車場には、品川ナンバーは当たり前、湘南から前橋、長岡ナンバーと他府県からの来訪者は、じっくりと見て帰るのでせう 
(^^ゞ

外出した際ののこと、やはり車屋さんの寄り、セーム皮(ただし化学製品)をしこたま仕入れていました 
(^+^)
“あ゛! こっちは小回りが利く! 
(^・^)
というように、早速、キッチン用、雑巾という風に分類しては試用を楽しんでいました。
洗剤も要らないからエコな気分を味わっているのかも(失笑)
ただ、耐用性についてはギモンを残すのみ。

おかあさんの帰宅のすこし後、おにーさんは夜の会に出向いておりました。

叔母さまにTel連絡をすれば、ご回復はさらなるようでした。
彼女の女学校当時は汽車で通学したそうですし、戦中戦後の混乱期には貨車も交通機関だったそうなのですから 
(○_○)
蒸気機関車を輸入して10年ほどで国産を作り、その10年後には軍艦を造り、戦争に向かったのですからたいした國であります 
(ロ_ロ)ゞ
“終戦の時はちょうど夏休みだったでしょ?
学期が替わったら先生の云うことが全く違っていたもの、学校って信用しちゃだめよ 
(^・^)
という学生時代とか 
f(^ー^;

おにーさんは立食パーティーだったとかで、聞こし召してご帰館でも飲み足らず、さらには食い足らず(失笑)
オモシロクナイことも吐き出したく(失笑)
わたしはおかあさんのおふとんの枕元にあるわがベッドに移動してただ聞き耳を立てていました 
=^_^=   


1月30日(水曜日)

すこぉし寒さのやわらいだ日でありました =^_^=

おにーさんのお昼の給餌をすませれば叔母さま宅の大宮へと急ぎました。何しろ、おかげんが悪いそーなのですから(汗)

途中、北浦和のパン屋さんに寄るのもいつものことですが、近くのこととて昨日の事件について店員さんに聞けば、“待ってました”とばかり、
“スゴかったんですよー!
TVでやっていたとおり、交通を封鎖して爆弾処理の警察が入っていたのがここからも見えました!”
爆弾を凍結処理してみればFAX用紙だったとか 
f(^ー^;

叔母さま宅に着くと、“だいじょうぶ? 無理して起きなくてもいいよ”というようにわたしたちは入っていったものであります。月曜日からそんな連絡ばかりだったのですから。
“お昼を食べたところよ 
(^・^)
って、元気ぢゃん(失笑)
赤ずきんちゃんよろしく、お病気のおばあちゃんへのお届けを用意したおかあさんは、ほっとするやら苦笑するやらでありました。
“真に受けちゃってさ --#”、たったその場で食せるように土鍋仕立てに大根おろしたっぷりのお雑炊も運んでいたのですから 
(^^ゞ

叔母さま宅へ行く際には車は時間貸しの駐車場に預けます。
いつも利用しているところが満杯だったので少し離れたところに駐車スペースを確保してようです。
“あったわ! 『泪橋』!”
(去年9月6日の日記参照 わたしもどこに書いたのか忘れていましたがGoogleに助けてもらいました(失笑))
江戸時代、叔母さま宅あたりの中山道に札の辻があり、cocoonあたりに刑場があったといいます。その刑場への見送りをしたというのが『涙橋』とやら。
中山道に面した百四銀行の脇の道にその史跡があったそうにゃ。銀行の名も明治の初期を感じますが再見時(昭和の42年)に発掘されたそーです。

わたしは概ね、そんなようすをあたたかい室内で見学しているのでありますが、おかあさんが叔母さまの言いつけ(“銀行に行って来て”とかなんとか)でお外に出たときであります。
叔母さまはわたしを抱っこして遊び始めました(嘆)
さすればお玄関には医師会の連絡の方がやって来、叔母さまはあろーことかわたしを抱っこしたままお相手を始めたのでありました 
`_´
戻ったおかあさんには、
“今ね、るうちゃんに怒られてるとこなの 
(・_・、)
ヘコんで報告していましたっけ 
=^_^=

やっとのお茶の時間、持ち込んだプリンはそんなに不味くはありませんでした、スーパーのものでしたけど 
(^+^)


帰宅すればちょうどわが社の閉院の時間で、
“先に上がってて!”
なんておかあさんは云ってましたけど、くす。
わたしの失踪事件が始まりました。

くす、わたしは“建坪率”と呼ばれるような狭いお庭をちょっと見学し、さらにはお隣の駐車場にも出向いていたのであります。
この記載は正確を欠くかもしれませんぜ 
(^+^)
とにかく、わたしはお隣の駐車場にて捕獲され(嘆)、“建坪率”にいた証拠のようにエノコログサも付けていたのですから。
そのエノコログサの証拠の根拠は、おかあさんも建物を一周しては十分に付着させていた、と 
(^+^)
充実したにゃ〜 
(#^.^#)

おにーさんはレセプト点検で残業、おかあさんも叔母さま宅から持ち帰ったタッパーを洗うのみならず、“寝込んでいた“という寝具のシーツやらカバーやらをお洗濯しては残業となりました。
ゆうごはんが遅れたのには少しく不満でありますが、薩摩地鶏というのもすこぶるの美味でありました(menu参照)


1月29日(火曜日)

薄日のまま気温は一向に上がらず寒い日でありました。
早くからキッチンにあるおかあさんには暖房も要らないようでしたけど 
(^^ゞ

その息抜きのようにおさんぽに出れば、ふくらすずめのような人々ばかりです。てへ、おかあさんもだけれど 
(^+^)
横に広がったり後ろに気配りしなくてイヤですね〜 
(^_^;
『江戸しぐさ』というのは優美なようですが、地方から集まった民が混雑の中で仕込んだ知恵はDNAは伝えないようです。わたしたちは毎日身のキケンを感じて歩行し、運転もしているようですけれどにゃ(汗)

HOPビルの赤ちゃんがきたのお店で、ステッキを引くとわんわんもいっしょに歩く木製のおもちゃを発見!
叔母さまの小児科医院に持っていくことにしました 
(^・^)
(猫を肩に乗せ、おもちゃを持っていると如何ように見えるのであろーか?)と、たまさか、おかあさんはおのれの姿を振り返るのでありますけれど(失笑)

洋々堂に入るとやはりおもちゃは気になったようですが、カヨコさんは“ビッグニュース”を用意していました。
“さっき、そっちの(中山道の北方面を指す)、北浦和二丁目郵便局に強盗が入ったらしいのよ!
『金を出せ!』って覆面強盗が言うには白昼堂々すぎるわよね 
(^_^;
これが後刻、当院の診察室では、患者さんよりの情報で『爆弾仕掛けた』とおにーさんには伝わっていたようですけれど 
(^+^)

“あっちの方(駅からつづく北宿通りを指す)の郵便局の強盗もあったわよね〜。
TVで『自転車で逃避する犯人を走って取り逃がした』とか大まじめに報道していたし・・
あっちの方(駅の西方向を指す)の郵便局でも、ンなことがあったけど。渋い局長さんだっていうので近隣は気の毒がっていなかった、かな〜 
(^+^)
小さな街のギャングは他にもありました。
殺人犯の金物店主のお店は、今は建物も変わっています 合掌。  

“カヨコさんは夕刊をお読みになる?”というように大きく話題の変わるのもおんなの会話の特徴でせうか(失笑)
(昨日の日記参照)
カヨコさんはセーム皮の話題に大いに乗り気でした。
“もしかしたら、それって顔にも効くのかしら? 
(^x^)
“てへ、ネットで調べればかような製品もありましたぜ、奥さん 
(^+^)
って、おかあさんは押し売りか(失笑)

もしも、そんなに効力のあるものならばとっくに製品化され愛用者もいましょう。
耐久性あたりにモンダイがあるのかもしれませんが、
“どっかの車屋さんで調達して来るからね 
(^_-)db(-_^) ユビキリゲンマン!
とおかあさんはカヨコさんと固い約束を交わしていました。

と、そのとき、わたしとおかあさんからはショーウィンドーにある人物のこちらを覗く停止画像を発見したのであります。
“きゃっ! カヨコさん! 背後霊!”
“何?何?”
しばし気づかないカヨコさんでありましたが、そこにあったのはイチカワ氏(失笑)
(1月8日に登場)
浦和っぽい人物でありますが(失笑)縁起でもないことでありました 
=^_^=

おかあさんはキッチン作業にかかりきりでしたが、一昨日から昨日も今日も叔母さまは芳しくないようなのです。
ノロウィルスかもしれないですが、指示したお薬をきっかりと飲んでくれないのも医者の悪いクセ(失笑)
おにーさんは“歯が痛いの(・_・、)”で叔母さまは“おなかが悪いの(・_・、)”




そのグチの合間に、おかあさんのおひざでも読書しました。
今、興味深く阿川弘之御大の『大人の見識』を拝読しています 
=^_^=

トーダイ出の語りより、戦後の復旧の現場の声を覚えておきたいです。

“あの頃、ベーコンをこれっくらい厚く切って、ジャーって炒めたところに卵2つ3つ流し込んで、どんぶりメシの上に載せたのがハチクマライス!”
という患者さんもいらっしゃいます。御年85歳でバイク乗り 
(^・^)
そのレシピ“ハチクマライス”が鉄道博物館の『日本食堂』のメニューにあることにおかあさんは興味津々のようですけれど。
語源“はっぁんんくまさんライス”とか。

汗を流した人のお話こそ耳に残したいところです。
わたしは軍歌の世界が気分上々にしても、です 
(~_~; 


1月28日(月曜日)

薄日の寒い日であります。
月曜日のこととて、キッチンごもりのおかあさんはお昼から豚の角煮を作ったり何やかやと家の中が湯気なのです 
(^・^)

おさんぽに出れば、外気の冷たさよ!!
わたしは“マフラーかと思った! 
(○_○)”とばかり云われるのですけれど =^_^= 

洋々堂に行くとカヨコさんに“昨日、見かけたわ 
(^・^)”など云われました。
カタクラからの帰りだったようです。
その経緯を話すと(昨日の日記参照)
“球根を買いにわざわざ行くか!! 
(・_・)......ン?
ですが(失笑)、アオキ花屋さんにあるらしかったのでとりあえず行ってみました。
・・水栽培にしても秋に植えるものだったのですにゃ 
f(^ー^;

再び洋々堂に戻って、月末発売の女性誌の山脈を見ていれば、待合い室のご愛用品、犬猫特集のCREAに思い当たりました。当院では人気のものなのであります。
毎年2月あたりにその特集があるので、
“発売日は?”
“7日よ 
(^・^)
というようなことを語っていれば、“CREAでしたら”とそのあたりにいた婦人から声がかかりました。
どうやら、その猫写真にご関係のある方らしく、
“ホームページ見ています”
とも。
読者の方だったとは!! 
.。ooO(゜ペ/)/ひゃ
ご愛読はありがたく、かつ自動書記は大いにテレるところであります 
ヽ(^O^)ゝ

“ちょっとぉ! ヘンなこと書いてるんぢゃないでしょーねー? 
(-_^:)
カヨコさんから咎められましたが(失笑)、ヘンなことしか自動書記は書いていません 
ι(*^^)々
イヤなことキライな人のことも触れていません 
(^-^)

帰途、カメラのさくら屋で呼び止められました。
既に領収証が用意してあり、社長が会長なるご町内会の初午のご祝儀でありました。
お札に“お礼”の液体洗剤1kgのおまけ付き(汗)
肩に3kgのわたしの荷重は負担ではないけれど、それ以上は積載過多のようでしたにゃ 
=^_^=

帰宅すればまたキッチンごもりのおかあさんなのであります(嘆)

やっとのように夕刊を共に読めば、お気に入りの『至福の一品』という欄(注;朝日新聞)に“ドイツ主婦の必需品”のようにセーム皮が紹介してありました。
わたしの生まれてこの方、洗車にもセーム皮が用いられた記憶とてないのでありますが、いつの頃かお薬屋さんのおまけに付いてきたものがあり、ここで放置するおかあさんではなく 
(^^ゞ
本皮ではなく、ケムセームではありますが、
“こりゃーいいや! 
(^・^)
を連発しておりました。
テーブルを拭けば、おかあさん的には“腑に落ちない”汚れが付着し、食器棚のガラスを拭いても、興が乗ったか窓ガラスも拭けば、やはり汚れが付着するのです。いかにわが社が汚れにまみれているか!!
は、ともかく(失笑)
くす、しばらくはおかあさんのブームとなるでせう 
(^+^)
“1枚ですますワケにはいかない 
(・・)(。。)”なんて云ってます。


1月27日(日曜日)

寒い寒い日でしたが、おかあさんは寒風の中、『雨乞いの儀式』とも呼ばれる洗車をしていました。
水垢落としの効果も、のみならずワックス効果までもあるとしいう洗剤を求めていたから実験といったとsころでしょうか? 
(^+^)

これが意外や! 効果があり、“見て見て!!”ってわたしが乗車しようとすれば、たしかに車は真っ白く光っていましたし、わたしもシャンプーしたてで真っ白、おかあさんのコートもパンツもフリースのシャツも“真っ”は付かないまでも(失笑)白です 
(^・^)
冬の青空には飛行機雲が白い筋をふたつばかり飛ばせています。ごきげんなドライブです 
=^_^=

で、まず到着するのがファームランドみぬま 
f(^ー^;
ハラダ氏へのおみやげは魚肉ソーセージで(18日の日記参照)、こだわりのブランドマルハの5本組 
(^+^)
“剥きながらソースをちょびっとずつかけていくとウマイ 
(^・^)
・・やっぱり云った 
(^^ゞ
ソースは中濃でブルドック。
“ウスターソースは焼きそばには欠かせない! “
ハラダ夫人もハラダ氏に馴らされていらっしゃるようです 
f(^ー^;

ハラダ氏からは“売り物にならない”といういぶしがっこの私家版を分けていただきました 
m(__)m
おにーさんのたのしみにしていたものです 
(^。^)

ファームランドみぬまから角上魚類に回るのはいつものコースで、ホームセンターへは、昨日の瀬戸物屋さんとお約束した水栽培にする球根を求めようとしていたのでしょうか?
混み合うshimchuは避け、わが社に向かってはさらに近いホームセンターに寄ったところ、ありません 
(・_・)......ン?
cocoonのおとなりのカタクラホームセンターに行き、わたしのなじみのうすいところゆえ、わたしは車内待機していました。
ここでも球根はなく、“球根の季節は終わった”と返り討ちにあったようなのです。

代わりにソフトクリームをカップに入れてもらっておかあさんは戻りました。
うふ、わたしの大好物であります 
(#^.^#)
でありますが、コーンではなくカップ入りのソフトクリームというものはわたしには食しづらく、信号待ちごとにスプーンで補充されつつ車中にていただいたものでありました 
f(^ー^;
次はなさそうなものです。というのは、その後のわたしのおう●ちでおかあさんの判断したところです。上等なアイスはわたしのおなかを健常に保つものでありますからして 
^+^

帰宅してからは、おかあさんは角上魚類で求めたヤリイカをお刺身にしたりマリネにしたりしていました。
名前が似ているし、“ヤリちゃんの分”というのも取り分けていましたがヤリちゃんは来なかったにゃ 
(^・^)

そのかわりたんまりと読書の楽しめた日曜日でありました。おにーさんが戻ってくるまでは 
(^^ゞ 
彼がいるとおかあさんを取られてしまわないように用心しないとなりません。
 
ソファの位置を彼と妥協していれば、“なかよくしてるよな 
(^・^)”なんておかあさんに向かって云ってました --# 


1月26日(土曜日)

寒気は休むことを知らないようです。
開け放った窓からの冷気が心をキンとさせるすがすがしさもよろしいものです 
(^・^)
室内の邪気は窓を開放することから始まるようなのです。


土曜日の午後には、たまさか、駅の西口におさんぽに出向きました。
古い商店街がたのしいところなのです。

商店街に入る前、おかあさんの行きつけの美容院の前を通れば、担当のイケメン店長さんが受付カウンターにあったのでちょっとごあいさつ 
=^_^=
“そこの商店街まで焼き芋を買いに来ましたの 
(^・^)
と。
(18日の日記参照)

さて、古い商店街には八百屋さん、お魚屋さん、お肉屋さん、お豆腐屋さんといろいろなお店が並んでいます。

つらつらとながめるうちに、八百屋さんの飼い猫さんらしきがいちごの並ぶ台に飛び乗り、看板猫か招き猫よろしく鎮座したので見物しようとすれば、その手前のお店に50cmばかりの開花した白梅の盆栽が飾られていました。“こども笑うないつか来た道 年寄り笑うないずれ行く道”と左右に分けて墨書されていました。
蝋梅やら紅梅が咲いているのは見かけますが、白梅は珍しく思いました。
瀬戸物屋さんの店先のことです。
感心していると、ご主人が、“この梅はね”と話し始めました。

お元日に一輪だけ咲くように育てているそうです。二輪ではいけない 
(^^ゞ
彼が育ててから20余年、その前の持ち主は30年ほどかわいがっていた、とも、“次に預ける人がほしい”とも。
“つまり”と、おかあさんは受けました。
“この梅は、この子(わたしを指す)と同じく、預かりものの命、ということでしょうか”
と云ったところから、お話は東海道五十三次の大振りの湯飲みのあった店先から店内にうつり、お話は長くなりました。

こんなお店では“瀬戸物の基礎知識”のようなことも教えてくれます。
デパートだったそんなことを教えてくれなくなって久しいでしょう、ましてやスーパーや\100shopの店員さんに瀬戸物のことは聞く人とてない(嘆)

古くて新しいおともだちに出会ったようで、ちょっとうれしくなりました 
(^・^)

駅寄りの八百屋さんで目的の焼き芋を幾本か買い、1本ずつ新聞紙に包んでもらいました。
1本目は洋々堂のカヨコさん、次はさくら屋のイガラシさん、マツモト金物屋の奥さんにも1本は、西口に向かう途中で遇ってご注文を受けていましたから 
(^+^)
クリーミーな焼き芋です。

ヤリちゃんの分も用意していましたが、おんや、来ませんでしたにゃ 
f(^ー^;

1週間のお仕事を終えたおにーさんには、甘酒で慰労していました。
頂き物の麹の甘酒ですが、わが社はおにーさんも叔母さまも酒粕のものを好むようです。麹も好きなのはおかあさんだけかも (^+^)
“清水寺にいてるみたいな味でしょ? お゛ー!さぶ!”とかニセ京ナマリで暖まっていました。


1月25日(金曜日)

晴れていたのでシャンプータイム決行!! でありました。

わたしの体の矛盾ともいえますが、冬期、乾燥しては静電気で長毛は毛玉ができ、かつ、汚れも付きやすくなるのでして(嘆)
寒中のこととて、しっかりとドライヤーもかけました。
わたしのシャンプータイムには、軍歌の斉唱が欠かせません 
(#^.^#)
ブラッシングもして、ネックレス(首輪ともいう)を付け替えて完了!!

きれいになっておさんぽに出ると、不思議な光景に続けざまに出会いました。
自販機の前で腹這いになった人があり、また別の自販機のおつりの口を次々に確かめている人が単数ではなかったのです。
最初の人はホームレスさんのようでしたけれど、別の人はそうとも見えませんでした。
ふーむ。何かを超越した人々と見えました。


洋々堂ではまず外置きのビッグコミックを取り、アーサーくんの他、『暮らしの手帖』の発売日でもありました。
それらをカウンターに置けば、カヨコさんは、
“あら! まだるうちゃん湿気ってるぢゃない!”
など云っては、わたしをカウンターの下にあるヒーターの前に小さな折りたたみスツールを置いてわたしを載せてくれました。
そこも悪くはなかったです 
=^_^=
わたしが微動もしないものだから、おかあさんはそのまま立ち読みしたりカヨコさんとお話していたりしていましたけど 
(^+^)

“わたしもcocoonの紀伊国屋なんかにも行くわよ”というようにおかあさんは話し始めました。出店予定の三洋堂のこと、です。
昨日だって洋々堂には売り切れだった阿川弘之の『大人の見識』なんて求めていましたから 
(^+^)
その三洋堂のこと。
“紀伊国屋や三省堂、旭屋なんかとは違うけど、ジュンク堂だって後攻めよね? に、似ているかもしれないけれど勢いよくごとくばんばん出店していて、株価も上昇中。
・・でもさ、ばんばんしているとばんばん撤退もするのよね〜 
(^^ゞ
というように 
(^+^)

新大宮バイパスにライブドアの中古車屋さんが瞬間! あったこともありました 
f(^ー^;


洋々堂が気圧されると気の毒ですけれど(失笑)、ワカモノがばんばん働く場面を見たくもあります。
就活に髪を黒く染め直す職場ばかりでないほうがよいです。

“それ”とわかる人たちがHOPの外回りに看板屋さんに指示を与えているのも見えました。


夕方、おにーさんの戻る前に、たんまりと『暮らしの手帖』を読みました。
大村しげの“京暮らし”なんていかにもおかあさんの好きそうな特集も、50年前の“2008年予想”の特集もなんと好ましかったことでしょう!

おにーさんが戻ると、“めし!”ですけれど 
(^^ゞ
今夕、おかあさんが去年の寒餅で揚げ餅を作っていたことを彼は見逃しませんでした。
ごはんの途中からおかずにしちゃうもんね 
;^_^)
おかあさんの制作意図;
昨日、ニトリで買ったフライパン大のネツト、ざるとしても使えるとかいうものを油はね防止として使ってみたかったのですにゃ。
揚げ物のニガテなおかあさんです 
(^^ゞ
油の返り討ちに遭わなかったか、“こりゃーいいわい 
(^・^)”なんて云って、わたしも揚げ餅の試食に与るのは役得というものです =^_^=
“細かくなったところはニセフライの衣に使おうと思うの”
なぞおかあさんが云えば、おにーさんは、
“餅から始めるより、フツーのフライの方が早そうだな”
かも(失笑)


1月24日(木曜日・休診日)

風の冷たい日でありました。

雪に加え風が穢れを払ったものか、おかあさんは郊外で夕焼けの赤富士を見たといいます。
わたしは全くの静養日で、おかあさんだけがおともだちとお出かけをしていました 
(-.-#)
って、お買い物に日を費やしていたのでせう。
cocoonの紀伊国屋とか、郊外のホームセンターやニトリといったところですと 
(^+^)


おにーさんは歯医者さんに行っていて、戻ったおかあさんに“痛いの 
(・_・、)”など訴えていました。
さすれば、ゆうごはんの準備するおかあさんは歯に当たらないようにやわらかいものをと、用意のシチューはやわらいですし、サラダもスライサーを使っての薄切りのものをこしらえていました。先週の休診日には同じように歯医者さん行ってはごはんが食べられなかったのですから。
(先週の日記参照)
心配に及ばず、のようなようすでありました 
(^^ゞ
ご飯も食していたし、あまつさえ、シチューのお皿はフランスパンで拭っていましたから。

ところが、です。
ゆうごはんの後、おかあさんが洗い物をしているとき、歯医者さんから電話が入りました。
経過がご心配だったのでしょうか、おにーさんは自分で処方した抗生剤からステロイド剤まで歯科医師に告げて、
“ご心配いただきまして”
とか畏まって結んでいました。
なんとていねいな歯医者さんと感心しつつも、自分への処方となるとなんと念の入ったことかとも感心してしまいました 
f(^ー^;
おにーさんはこの歯医者さんに“動物並みの快復力!!”と感心されているとか(失笑)

電話を切れば、わたしたちに向かって、
“みろみろ! オレの症状はかように心配されていたのであるぞ! ててて”
おにーさんより歯医者さんに感心してしまいました。
トマト歯科という 
(^+^)  


1月23日(水曜日)

朝、いつもの通学の声もしずかでやけに明るかったのです。
“おはようございます、ごはんですよ 
(^・^)
のおかあさんの声に窓を見れば白いはなびらがはらはらと舞っています。雪!!
旧でいえば12月の14日とは粋なこと!! “吉良どのー!”の日 
(^+^)

朝食を摂りながら、おかあさんとメルヘンを思っていました。
 キヨコさん(叔母さまの名)は、朝の窓を開ければ
 “まあ! 雪!”
 小さな叫びを上げ、古いおうちのひさしを見ては、子供の頃の冬の日を思い出しました。そこには氷柱がかかっていたものです。にぎやかだ ったおうちには、それもたのしいことでした。
 窓を少し開け、てのひらに雪を取れば、すぐに溶けました。
 キヨコさんはさっきまで見ていた夢のことを瞬間思い出しましたが、それは雪のように溶け、それでも夢がしあわせであった温度だけは残っ  ていたようです。
 それを逃がさないようにでしょうか、キヨコさんは厚いセーターの襟を両手でかき合わせては、窓から離れ、お台所へ行きます。
 亡くなったお姉様のよく使い込んだフライパンにバターを落とせば、少しけむりがあがり、そこに卵を割り入れました。
 “まあ! よい匂い!”
 そんな朝食を摂りながら、今日の忙しい日のことを思うのでした。
など 
(^・^)


積雪もなく、水曜日のこととて叔母さま宅へ伺えば、当然ながらにして、叔母さまはメルヘンのキヨコさんではありません 
f(^ー^;
朝から美容院で髪をセットし、外出気配であります。
でも、おかあさんは掃除機をかけたりと、いつものように動いていました。

わたしたちがいるときに限ってやって来る患者さんは小学校の先生で、
“こどもたちが『“雪合戦してもいいですかー!!』というものだから、授業は中断したけど、泥合戦してましたね〜 
(^・^)
など、待合い室ではおかあさんと笑い合う声も聞こえてきました。

叔母さまは電話をかけてみたり、時計を何度も見上げ、やがて黒い服を出してきました。
むむ? 
(=^u^=)

まずは叔母さまがわたしに気づき、おかあさんを呼びに行きました。
くす、わたしは床に置いた服やらやはり黒い靴下の中心で検分していたのでした 
(^_-)-☆
叔母さまが着替えたのと喪服でありましたし、おかあさんも黒いパンツに履き替えました。ただし、喪服ではなく日曜日に買ったばかりのUIQLOもののデビューとなったのですけれど 
(^^ゞ

叔母さまの耶蘇おともだちもやって来、わたしも含めて4人で乗り込めば、最初に駐まったのが教会。
お通夜のお席でありました。
でも、叔母さまはおミサはパスしたのか、ふたりはすぐに戻って来ました。

そして次に駐まったのが医師会病院で、今年初の句会だったのです。
黒い服のまま、叔母さまもおかあさんも“おめでとうございます”とやってきたようですけれど(失笑)

叔母さまを送り届ければ、しばし後、おかあさんは戻ってきました。
おかあさんとやっとふたりきりになれたことがうれしく、わたしは運転席のヘッドレストにて帰路のドライブを楽しみました。

雪は雨に変わり、降車すれば外気は凍てつくようでありました。
こんな日には患者さんは少なく、おにーさんはとっくに上がって来ているのでした。
わたしは“ごはんまだー!”、おにーさんは“お茶まだー?”で、おかあさんは“ちょっと待ってねー!!”の得意のセリフの連発でした。

わたしのゆうごはんは名古屋コーチンで、叔母さまのところへ行った日にはデパ地下のごはんなのでわるくはないです 
=^_^=
叔母さまのところへ行くことをわたしが許容する作戦かもしれませんけれど。


1月22日(火曜日)

とてもとても寒い頃であります。

おかあさんはお昼からキッチンごもりでいれば、お昼を済ませれば、おにーさんが“ぱそこんの練習する”と言いだしました。
“よーーっしゃ! 待ってたホイ!”なおかあさんなのでありましたが、里芋の皮むきの途中にして、ごぼうもささがきにされるのを待っていたときでありまして(失笑)
わたしにいつも云うように“ちょっと待っててね 
(^・^)”とおにーさんを待たせて・・

“はい、からだで覚えてもらいます 
(^。^)
と、始めたものでありました。
くす、おにーさんは多分、自力で好みの画像(“ここがガンだよ”と、おかあさんに示していました 
(^+^))をプリントアウトできるようになった・・と思います ;;^_^)
ここでおにーさんは力尽きる(失笑)

彼はお昼寝に寝室に入り、わたしたちはおさんぽにでました 
=^_^=

HOPビルはなんだか落ち着かないようすです。
赤ちゃんがきたのお店でちょうどサイダさんが荷ほどきしたばかりの古風な切手のストックブック(表紙はカラー写真のベンツになる初のガソリンエンジンカー、もちろんクラッシックスタイル!) を求めずにはいられず(失笑)
このときの話題も地下に進出する書店のことでした。マルエツが去り、貸しビデオさんが去ってよりながらく空き家だったところです。
また、ビルの中心人物(?)の佃煮屋さんも、“いい本屋さんが入るんですよ〜 
(^・^)”とほくほくのようすです。
ビルができる前からの先住既得権のあるこのお店は、幾多のお店が出店してはまた別のお店の入ることに期待しないこととてないでしょう。ビルに人が呼べればお客さんは来ることでしょうから。

さて、ライバル店となる洋々堂では・・何もないようにカヨコさんが忙しくお店番をしています。
“名古屋の本屋さんなんですって。”くらいの反応で 
(^^ゞ
わたしたちも相も変わらず、お取り置きいただいた服部幸應のお料理ムックとKittyちゃんムックを求めました。

その新しい書店『三洋堂』は名古屋から始まり、ばんばん出店展開をしているお店のようです。
文具もレンタルDVDも扱っているようなので、わたしたちはしばらくは便利になりましょう。
お手並み拝見 
(^・^)

・・どのお店も新店開店で、顧客傾向の変動などシミュレーションしない 
f(^ー^;


夕方、モトヒロがやって来ました。
コワイ人が来ると院内緊張(失笑)

おかあさんとは“あけましておめでとうございます”のあいさつを交わし、
“あのソフト、ムズカシイでしょ 
(^・^)
などモトヒロから云うのですが、なんとか使えるので、さて、いよいよおにーさんPCが院内デビューかと思えば・・
“・・もう少し練習しようかな・・”

まだ院長室のデスクを占領し、おにーさんが練習するのかと思えば・・
“頭使った・・”
で、本日終了(嘆)


望月が雲の傘をかぶってのぼり、中山道の夜間工事の音ばかりが響くのでした。


1月21日(月曜日・大寒)

雪はなかったまでも大寒です。寒いです {{ (>_<) }}

お昼にはキッチンから熱気が流れてくるので室内は寒くはないのです。ただ、キッチンにおかあさんを取られた気分 
--#
でも、おさんぽに出ればおかあさん独り占め 
(∩.∩)

同じようにお昼休みの時間を街にて過ごしている職員に遇いました。
“ちょっといいたいことがある”ことを立ち話で聞きました。
“ふむふむ、わかった・・今日は院長には云わないでおくけれど、いつかは云います”
とか、おかあさんは云っていましたにゃ 
(^x^)

\100shopでは、また納戸整理のワイヤーの棚を買い足していました 
(^^ゞ
“足を知る”以前に足らないを覚える 
f(^ー^;

アオキ花屋さんでは、スタッフミーティングにおいて開催のお誕生日会の贈り物の花束を注文し、フリージアやスイートピーのブーケも求めました。
花屋さんにはねこやなぎや梅、桜の枝も次々と出て行きました。
近くでも紅梅や蝋梅の木は花をつけています。

洋々堂にては、お店番をしていたカヨコさんに用意の一葉のはがきを取り出してはご覧にいれたものであります。
“何、これ?
え゛え゛ーーーっ!!”
遅くなりましたが、お年賀状の一枚で、モノクロフォトカードにはおそらくは白のTシャツの青年が腕を組みつつ紫煙をくゆらせています。
カヨコさんをして“中田英そっくり!!”と云わしめる好青年はホソカワ御大の若き日の姿なのでした。
おかあさんは“キムタクに似てる!!”と。
この感激! はよいお年賀状といえましょう 
f(^ー^;

HOPビルの地下に新しい本屋さんができると、お客さんから聞きました。看板にはとうに気づいてはいたのですけれど 
(^^ゞ
古くからのお客さんの通いづらいところができるのでしょうにゃ 
(^x^)

帰宅すれば、おかあさんはまたキッチンなのであります(嘆)
そして納戸に整理(嘆)

おにーさんが上がってきて、さてゆうごはん、という段になりました。
彼は突然として、休眠久しい彼のPCをば取りだし、
“明日モトヒロが来るって云ってきたから、PCのおさらいをしようぜ! 
(^・^)
と言いだしました。
このPCでは、DVDに保存した内視鏡の画像をプリントアウトするのが目的だったのでありますが・・(去年の11月末から待機しているPC(失笑))
おかあさんからして忘れてる(失笑)
“あれ?あれれ?”
など云いつつ、わたしならずとも、おにーさんも、
“メシにしよーぜ 
(^^ゞ
となりました。

やがて・・
“オレ、寝るけど、明日できるようにしておいた方がいいと思うよ”
など、おにーさんが云えば、しかたなさそうに院長室に入ったおかあさんでありました。
くす、ひとりでやればできるじゃん 
(^+^)

“できましたよーーだ!”
と、寝室にあったおにーさんに報告に行けば、
“オレにわかるように、説明書を作っておけ”
へへん! おかあさんは“うんにゃ、からだに覚えてもらう!”って云ってござっしゃった 
σ(^^)  


1月20日(日曜日)

一日延びた雪の予報に、わくわく、ではとてもありません (^_^;

それでも昼間はあたたかいほどで、わたしたちは日曜恒例のファームランドみぬまに出向きました。

ハラダ氏はお風邪のごようすで、“おだいじに! 
(^・^)”。

駐車スペースに長逗留していた方があり、黒いラブラドールをお連れになっていたこともあり、わたしたちはお話かけすれば、車のキーを紛失したようなのです。
おかあさんとあるわたしには、それは希有なことではありません。鍵というものはしばしば“神隠し”に遇い、わが社の場合は、電子レンジから出てきたこともありましたし、灯油を収納したベランダのケースから出てきたこともありました 
f(^ー^;
こちらも“おだいじに 
(^・^)”であります。

お客さんを心配して出てきたハラダ氏であります。
わたしたちには、
“どーせ、これから角上に行ったりユニクロに行ったりするんだろ”
なぞ宣っていましたが・・てへ、そのとおりになりました 
(^+^)

どのお店も、お正月を過ぎれば風通しのよいことです 
(^+^)
浦和競馬場あたりをドライブしてからパルコを遙拝して戻りました。

UNIQLOでは、バーゲンのウールのパンツを求めていて、おかあさんは自力で裾揚げをし、アイロン掛けまでしていました。彼女にとっては希有(失笑)

“雪はそろそろかしら?”という夕刻、わたしたちが漢文の本を読んでいると、ヤリちゃんがやって来ました。土鍋を持って 
(^+^)
母上が転倒してお苦しそうだったのを先に聞いていたので、おかあさんが大根とさつま揚げだけの簡易なおでんを土鍋ごとヤリちゃんに持たせていたのでありました。
“重いけどきみたちに不足していそうなモノでしょ?”
とか云って。
ここでまたおかあさんとヤリちゃんは“ごちそうさま”の交換などをしていたのですけれど 
--#


(昨日のつづき)
おかあさんは、紙に真ん中に“口”と書き、上から時計回りに、“五”、“隹”、“疋”、“矢”と書き加えました。
“あ゛、なんか見たことある”
でしょ 
(^+^)


“野島伸司って、ここを通って高校に通ってたらしいよ”とおかあさんがいえば、ヤリちゃんは“石井桃子って”と言いだしました。
“『ノンちゃん雲に乗る』だったら・・”と本を取り出したおかあさんは、
“やっぱり!”
埼玉県ではあっても、菖蒲町にあった子供時代のことを書いた童話でした。
ネットで調べれば、“浦和出身→日本女子大卒”とあります。高校の世代ではなく女学校の記載はありません。
ということで、同窓会名簿を取り出せば・・載ってた!!大正12年卒!!
表に出したくない過去なのかもしれません(失笑)
ヤリちゃんもおかあさんもかの101歳を迎えようという御大には幼児期お世話になったといいますし、わたしも読み聞かせさせられて育ったものですけれど =^_^=
童話よりも軍歌や古い曲に興味を示したことが、おかあさんには不足のようでしたけれど 
=^_^= 

同窓会名簿を出したついでに校歌を歌えば・・歌えるのですにゃ〜
同じ学校の叔母さまの時代は別の校歌。
明治の校歌から昭和15年に別のものが採用されています。
昭和史の中で、紀元二千六百年はマークすべき年のようです。

この学校に較べ、おにーさんの高校なぞ明るいものです。
時代の蹉跌とてなく、未だに“ますらおが〜”なんて歌っているらしいですから 
f(^ー^;

叔母さまが言っていました。
“学校なんて信じちゃダメよ”って。

わたしはおかあさんの読み聞かせにはあくびものなのですが、宮沢賢治のものなんかは好きだにゃ。
わたしは学校には行っていませんが、きっとよい先生はいるのだと『銀河鉄道の夜』など聞くと思うのです。
明日の朝は白銀の世界なのかにゃ・・ 


1月19日(土曜日)

雪予報は明日に持ち越されたようです。
だって、すばらしい冬晴れでしたもの 
(^・^)

入試の季節でもあるらしく、わが社前を中高一貫校受験が列をなしていました。
昨年の初年度には、この入試のモンダイを巡り市の議会に一悶着もあったとも 
(^^ゞ
この高校の出身者は周囲にも多いものですが
(^+^) 脚本の野島伸司もいたのですって! 
緊張のワカモノに幸あれ!

一方、おかあさんはといえば、突如にして、おにーさんのいう『納戸』、おかあさんは『物置』と呼んでいる部屋の掃除を始めたものでありました。
くす、いくらでもゴミの出る部屋でありますけれど 
(;^_^;)

わたしのおさんぽだって\100shopにて、分類用のケース探しから始まりました。
“紙袋はファイルケース1個分あれば足りる”とかの思想で、わたしと出かける前にもいくつかの箱は使われていましたけれど。

“それ、何?”なんてさくら屋やら洋々堂でも聞かれました。
“ゴミの中に住んでいるから 
(^^ゞ
正直におかあさんは答えていましたけど(失笑)
ことほど左様で、おかあさんの続く作業ではどれだけの不要物の出たことでせう(失笑)


やがては“取り出しやすい”とまでは行かなくても、何がどこにあるかの棚の物置となっていました。
食料の備蓄から、とにかく何やかやと収められた部屋です。
これだけため込んだのは、きっとおかあさんは関東の震災経験やら戦時中の物資不足やら石油ショックをイメトレにしても経験したからに違いありません(失笑)


夕方、例によってヤリちゃんが来訪しました。
“見て見て!”
おかあさんは納戸だか物置だかの整理状況を披露したものであります!
ヤリちゃんもご自宅の何やらかやを故人分も含めて整理最中 
(^_^;
とりあえず生存者分のことにして、おかあさんは、
“取り出せる棚になってるでしょ? 
(^・^)
とおかあさんは得意げでした。

そも、荷を貯めすぎるのは愚人にて(最近おかあさんは漢文の子供版を読んでいる(失笑))
(ヤリちゃんも興味深げに同じ本を開いていた(失笑))


しかるに、賢人をほこるわたしは夕ごはんのディッシュにあった牛肉を好むところとしなかったのであります。
代用食として出てきた真空パック食品はなかなかの味と代用にしては卓越していました。
これも、納戸に常備のあるわたしの缶詰類食料庫の備蓄 
(^+^)
“足らないと困っちゃうもの (・_・、)”
なんて、先ほどと矛盾することをおかあさんは云ってはため息をついておりました。

“足るを知る”
漢文をふりかえり、おかあさんのため息に付き合いました 
=^_^=

わたしたちのすきな言葉は、


吾唯足知 

口を真ん中にデザイン文字になってるものです 
(^+^)  


1月18日(金曜日)

予報の言葉での、“最底辺”という寒さはそのとおりだったでしょうか? わたしは終日家にあったので外気ひ察するばかりです --#
午後になるとおかあさんは美容院に行っていたので、おさんぽに出ることもありませんでしたから 
(・_・、)

すっかりおなじみとなったイケメン店長さんとおバカな話を弾ませていたんでしょーよ。
髪を切ると風邪を引く、という傾向もあるようですけれどにゃ 
(^+^)

そのようすは、おにーさんに、“キレイになったでしょ 
(^・^)”の前書きに始まり(おにーさん(苦笑))、
“担当の人っておにいちゃんみたいなのよぉ 
f(^ー^;”
というようにゆうごはんの席での会話が聞こえました。

曰く、
“ラーメンはフツーのがいいっス。日高屋の\390
豚骨? もたれちゃってダメダメ”
美容院ではおかあさんの席には『家庭画報』のようなものは並ばす(失笑)、3冊並べられれば内1冊はオヤジ雑誌、といふ(失笑)
その特集がラーメンだったりするのです。

“クリスマスにカミサンの買ってきたケーキがあまりにマズイにで、どこで買ったか聞いたらパルコだって(嘆)
ヤマザキとか不二家とか、フツーのがウマイのに(嘆)”
ここまで聞けばおかあさんはたたみかける 
(^+^)
“いいっスねー。ナポリタンスパゲティー。イタリアンぢゃないヤツね 
(^・^)
これが付け合わせのハンバーグ、最高っスねー”
さすれば、おかあさんの切り札!
“魚肉ソーセージ? 今食って来ました 
(^・^)
、魚肉ソーセージは生食よし、キャベツと炒めるもよし(真っ赤なソーセージでも可)、千切りキャベツとマヨネーズで和えたものをバターロールに挟むもまたまたよろしい、さうな。
と、いう話は、きっとおかあさんは眉間を寄せて話していたことでしょう。
だって、それらはおにーさんの嗜好と全く一致するのですから(失笑) ファームランドみぬまの元“北海の龍”も同じ嗜好ですけれど 
(^+^)
おにーさんならともかく(失笑)、美容師さんはおそらくは“女は放ってはおくまい”のわたしが検分してもイケメンなのですけれど 
(^^ゞ

それを聞くや、おにーさんは、
“で、魚肉ソーセージって今、冷蔵庫にあるのかしら?”
嗚呼、なかったことがあろーか? 
(;^_^;)
昨夜の分を取り戻すべくかの食欲であったことでした。
“魚肉ソーセージはマルハか日水、マヨネーズはキューピー”と美容師さんも同じ嗜好だったとか 
(;^_^;)

叔母さまはといえば、Telにて、
“昨日はとってもよかったわー 
(^・^)
とご満悦でありました。
二木屋という店で、かあさんは“是非に!”と勧めていましたが、その至近で一昨昨年のお盆におかあさんは単独走行中に事故ったのよね〜(汗)
“方角が悪い”とか、とか 
(^+^)  


1月17日(木曜日・休診日)

日本にある誰にとっても印象に残る日であったのではないでしょうか?

今年の今日も寒い日でありました。

休診日ではありますが、午後には月1の清掃業者さんの入る日でありました。
わたしたちは、彼らのお三時の用意をしてから、いっしょにお出かけしていました 
=^_^=

叔母さまのお相手をしようにも、彼女は例によっての耶蘇夫人たちと浦和のちょっとしたお店で昼食会とやらで、そちらへの参加を勧めておりましたので 
(^+^)

わたしたちはまずホームセンターのshimachuに行き、野暮用 
^_^;
ベランダのほうきの新調とか、なんだかやのご用であります。
日曜日に行ったばかりなのににゃ。

次にはお宮方面にて、さいたま市の防災センター自治医大病院の間を入った、さいたま市合併記念公園なる新しい公園に行ってみました。
まだ木々も幼いことですし、お外は寒すぎ 
{{ (>_<) }}
車内からも木の揺れるのを見れば風も強そうなので遙拝。
わたしはおかあさんとふたりだけのドライブがうれしいので、ホームセンターを出てからはずっとヘッドレストにてドライブをたのしんでいたものであります 
=^_^=

ところが・・
車はcocoonの駐車場に入れば、おかあさんは駐車券を取りに一旦外に出るためにわたしのたのしいドライブはおしまい 
-_-#
左ハンドルの悲しさといったらこれくらいです、って初めて書くけど 
(^+^)
いずれ、ペット禁止のお店のこととて、バーゲンに釣られたおかあさんを待つことになるのですけれど 
-_-#

待つことしばしの後、大宮公園方面の見物もしました。
折しも、競輪が開催されて、バスやら勝ち組にはタクシーと渋滞に紛れ込むことになりましたし、オケラ街道には人のあり、駐車場も満杯でありました。
公園の猫と共生するホームレスさんを遠景に見るばかりでありました。
ここのホームレスさんって、読書家で日なたで読んでらしたのは旅行記だったのが印象的であったことです。

帰宅すれば、やや延びた日はまだ明るく、とっくに院内の清掃は終わり、おにーさんが所在なげにしていました。
彼にはそれから歯医者さんに行き、医師会にも行くというご用が待っていたのでした。

わたしたちはといえば、おかあさんがcocoonの紀伊國屋書店で求めた、子供向けの漢文の文庫をたっぷりといっしょに読みました。
天声人語の書き手の著した薄手の文庫は4巻ほどあり、“少年老いやすく”のような語の後には、『天声人語』のごときコラムがつづきます。
朝日に向かう少年よりも、暮れてなお道遠しの方々に似合うかもしれません 
(^+^)

わたしもゆうごはんを済ませ、おかあさんが先行してゆうごはんに取りかかると、意外や! おにーさんは早く戻ってきました。
くす、医師会からではなく、ずーっと歯医者さんに軟禁されていたそうです(失笑)
3時間!!
次の工程までノルマは達成されたそうですが、歯医者さんて遅くまで働くのですにゃー!!
おにーさんは歯の不具合か、ごはんはお茶漬けで、
“も、オレ、寝るわ”
と早々にベッドに向かいました。
歯というものは、消化器の先頭ということをしばしば感じることです 
(^^ゞ

おかあさんに手足にできた毛玉のカットをされつつ(嘆)しばしTVドラマを観ました。
おかあさん独り占めでちょっとうれしい時間でした 
=^_^=  


1月16日(水曜日)

水曜日は大宮の叔母さまのお宅に行く日で、おかあさんは行商のオバサンのように大荷物です。わたしも荷物か(失笑)

空はとことんに青く、しかし寒さは休むことをしません。

叔母さま宅は昨年来よりのガスの暖房であたたかですが、わたしの好んだお縁にはお隣のビルに遮られて陽差しはありません。
それでも、ちょっと確かめれば、シクラメンの鉢たちが並べられていました。
このシクラメンたちは、叔母さまに鍛えられて(失笑)、暖房の室内ではヘタってしまうらしく、お縁でリハビリ中だったようです 
(^^ゞ
これだけたしかめれは、わたしは室内のホットカーペットに移動しました 
=^_^=
叔母さまのようすを伺うわたしに彼女は苦笑していたのですけれど 
(^+^)

食料やら日常品の物品に加え、わたしたちの持ち込んだものは、まずは、プーさんの電池仕掛けのお人形 
(^・^)
(一昨日の日記参照)
わたしも赤子の頃にはこういったおもちゃで遊んだものですが、叔母さまのところの赤子をあやす道具にはなりましょう。それ以上の子には・・
“どうやって壊すかしらね〜 
(^^ゞ
わたしもたのしみです 
o(^o^)o

もうひとつはおかあさんの大のお気に入りのシャープペンで、叔母さまが興味を示すかと思えば・・
使えない!! のです 
(・_・)......ン?
従来どおり、鉛筆を鉛筆削りで削るのも“美しかろう”と、そのままにすることにしました。
“では、ナイフで削ることはできますか?”
と、問えば、
“あったりまえぢゃない!!”
(10日の日記参照)
“では、どのように?”
叔母さまの“あったりまえぢゃない”の手つきは左手で鉛筆を支えるしぐさに加え、右手の親指を仮想鉛筆の外向きに押し出します。
一方、おかあさんの右手は手前に引くしぐさなのです。
叔母さまは“欧米か?!”ではなく、“ニホンの人ぢゃないわね”と云っていましたけれど、これがおかあさんの学校で習った方法なのだそうです。

“では、マッチは?”
おかあさんが重ねるに、叔母さまはマッチ箱を擦り面を長い方向に外側に弾きます。おかあさんはといえば、擦り面を手前に、短い方向に垂直に下ろすのです。
くす、中学1年の時の理科の実験で、アルコールランプに点火するとき、初めてマッチを擦ったといいます。そのときの理科の先生の指導はかようであった、と。
“卵を割ったりお米を研ぐくらいはできたでしょ?”
よい質問ですにゃ〜。こちらの答えは、小学校5年の林間学校の朝食で初めて割ったそうです。お米は“研ぐ”のではなく“洗う”と教わっているので 
f(^ー^;
“小学校に上がったときにはボタンもかけられなくて体操服も着替えられなかったよ 
(^・^)
小児科医の判定、“ばかっ!!”(失笑)


やがておかあさんは、凶器掃除機を持ち出しては室内を暴れまくるのでありました。
轟音が止めば、
“るうちゃん、こっちに来なちゃい”
など、わたしを呼ぶのです。
“『せんちゃん(叔母さまの呼称)来なちゃい』って声が聞こえなかったようだけど・・るうちゃんばっかりえこひいき!!”
診察場に追いやられていた叔母さま不満そうにこちらに来ました 
f(^ー^;
“もうひとつ宿題があるのよ”など云いながら。

それは、句会の選句で、無記名の句に投票するのですけれど、今回は叔母さまは自作のみを投句したのでどれが叔母さま作かわかりません。
おかあさんはペン先をこつこつ鳴らすばかりで一巡目はどれにも印を付けられず(失笑)
ナマイキにも、“強いて付ければ”とかには、先生の句と叔母さまの句が二重丸(失笑)

叔母さま宅を出るときには、上弦の月がきらきらと天上に上がっていました。


1月15日(火曜日)

とてもとても寒い日であります。
って、わたしはそんなに寒くはないのですけれど、自動書記の実感でして 
(^^ゞ
温暖化はどこへ行ったものか? 

お昼過ぎにはキッチンからの熱気が暖房だったりしちゃうのですけれど 
(^+^)
ロールキャベツの匂いもして来ました。
おにーさんのリクエストでは、“コンソメで煮て、ホワイトソースを掛け醤油を垂らす 
(^。^)”。
いちいち複雑化するヤツです 
-_-#

キッチンの手を休めては、わたしのおさんぽに行かないと、ね 
(^_-)-☆
ささやかな外出がわたしの生活のリズムですから。

\100均を覗いたり、駅前のおかしのまちおかを覗いたりのささやかな時間であります。
そんななか、“まぁ! ねこちゃんのおさんぽなの? すてぇきっ! 
(^*^)” なぞ婦人たちが喧しいものであります。
“すてぇきっ!”でも“ステキ”でもないですけれど 
f(^ー^;
くす、わたしたちの場合、♪塵に汚れたひげ面に 何でなつくか 顔寄せて (『愛馬進軍歌』)が近いかも 
(^+^)
にしても、です、“ステキ”がある方こそすてきです。


洋々堂に入れば、ご老人が国語の辞書を検分中でありました。
広辞苑には目もくれず、ひたすら新潮や岩波をカヨコさんに出させていました。
“こっちはお忘れかい?”と、森の石松のようにおかあさんは横詰みの広辞苑にサインを送っていましたけど(失笑)
新年というのは、辞書も買い換えの季節なのかも 
(^+^)

わたしたちは、オヤジ雑誌でラーメン特集やら駅弁特集を立ち読みしていました。
銀座のお店も載っていて、カヨコさんが“ここ、行ってみたいのよ!”って云っても、路地裏のお店って、銀座ではムズカシイと思うのです 
(^^ゞ

レジに並んだお客さんに真似て(失笑)『通販生活』も求めました。

おかあさんがしばらくキッチンにこもった後、ページを繰れば、“これ、ほちいね〜 
(・-・)”というように、魅力の品が並ぶのです。
この読者は、きっと\100均には行かないのでしょう 
(^+^)
定番商品のデロンギのオイルヒーターなんていうのは、ずいぶん前に買ったのに、今でも活躍してますにゃ。
叔母さまのところにも同じものがあります。今は活動を休止しているようですけれど。って、昔からママさんの実家である叔母さま宅のものもいっしょに買ってたのね 
(^+^)
“食う寝るところに住むところ・・ぱいぽぱいぽ”と、人間は生きるために道具を欲する煩悩の民ですかにゃ(失笑)


1月14日(月曜日・成人の日)

氷点下の朝でエアコンを点じてすヰーとな朝を過ごしていれば、TVからは成人式のニュースであります。
“親孝行して社会貢献できる大人になりたいです”のインタビューには、おかあさんは敬礼をしておりました 
(ロ_ロ)ゞ

そも、成人式が何故に1月15日なのであるか、というよーなことは、以前のこの日記に述べたことがありますが、と、ある事情で一旦この日記の閉鎖の憂きにあったので(嘆)今は掲載しておりません。
再び短く謂うへば、元服は元旦にしたいところでありますが、旧暦の一日は朔、つまり新月です。満月の15日が元服の儀となったようです。
成人式は、戦後の埼玉県蕨市の青年団からに始まった、とも。

旗日ではありますが、おかあさんはキッチンごもりもあり、わたしたちにはフツーの月曜日でありました。
ご町内範囲のおさんぽに出れば、あんら!!
わたしたちのような人々がお式から戻ってまちなかにおりました! 
(^・^)
わたしたちって、“えりまきかと思った”とよく云われるのですが(失笑)、加えれば夏場でも、であります 
(^_^;
そーかー、成人式のようだったのですにゃ 
=^_^=

数年前、“アリーナに行って来ました!”と成人式に出席だったカメラのさくら屋のシンゴくんは、今では成人式の撮影からお受験写真まで撮っています。

cosucojiのお店を覗けば、店主が“お買い上げいただいたそーで 
m(__)m
など、ごあいさつ下さいました。
(11日の日記参照)
“そりゃー!! 評判の悪いもので、テーブルの上に置いても誰も使おうとしない 
(・-・)”と申せば、大いにウケてはいましたけれど (^_^;

赤ちゃんがきたのお店では、電池で動くプーさんの赤ちゃん人形がありましたので躊躇なく叔母さまの小児科医院に用いることにしました 
(^+^)
\199だったから、見事に釣られました 
(^^ゞ


洋々堂ではカヨコさんがお店番をしていて、なんだかホッ。旗日でも働いている同胞であることよ! 
(^。^)
広辞苑の新盤は積まれていますが、とてもよく売れているそうなのです。勤勉な国民性が好ましいことですが、おかあさんは遅れてるけど、飛びつかない 
(^+^)

レジにご老人が来、新聞の切り抜きを取り出せば、それは朝日新聞の週末誌『be』掲載の記事をまとめたもので、“社名・商品名“のものだったので、わたしたちも乗って求めました。

帰宅してからもおかあさんはまたキッチンなのでありましたが、夕刻にはこの本を読む間もありました。こーゆーの、おかあさんは好きです 
(^+^)
老舗は、何代も勤勉に働いていく姿が伝えられています。


ソファでいっしょに読書していると、ヤリちゃんがやって来ました。
まず驚くのはテーブルの上のおウ●チ灰皿ですが(失笑)

ヤリちゃんが来ないとなんとなくさびしいおかあさんでありますし、ヤリちゃんもホッとしたようにわが社を訪れるようすなのです。
そやかやと変化のある室内をヤリちゃんは見回しておりましたが、おかあさんのイチオシお勧めメニューは新聞のサントリーの広告で、“新成人に送る”というような伊集院静のエッセイでありました。
かつては、山口瞳御大の筆にあったものが、サラリーマン経験のなさそうな筆者に渡るのも世情でしょうか?
ワカモノに未来を託せる自信の筆を持てるとはおかあさんには感動だったようです。
『ねこに未来はない』長田弘・・・


1月13日(日曜日)

凩の“ぴゅーーー♪”の音で目覚めたのはおかあさんで、わたしは夜間巡回を終えていたのですけれど =^_^=
とてもとても寒い日でしたが、連休でのんびりとしていました。

日曜日のこととて、新年初のファームランドみぬまに赴けば、わたしの好物の新鮮卵にもありつけましたし、お野菜もなんとか調達できました。
“こんな大根もあったのよ 
(^・^)
ハラダ夫人がケータイの写真で、二股に分かれ、真ん中にも小さく枝分かれしたものを見せてくれたそーな。わたしは店内に入れませんから、おかあさんから聞いたことです。
はいはい、よいものを見せていただいて 
f(^ー^;
下仁田葱を“シモネタねぎ”と仰るハラダ氏の影響大の夫人です(失笑)

ここでも後継者問題には頭をかかえるのはいずこも同じで(嘆)
“オヤジがオレの年には戻ってたもんな”
など、ご子息ありの元レーシングドライバーは語るのでした 
(・_・、)

相続税というものは、我が国は各国に較べて過酷である、とも聞きますけれど。
その税は公平に還元されるのなら誰も文句はいいまっしぇん 
-_-#

角上魚類まではわたしは車内待機で、ホームセンターのshimchuにとりたてた用事もなく立ち寄ったおりにはわたしも店内見学をしました。
“新春バーゲン”のように、チビワンコ、チビニャンコを扱うようになったより、ペット同伴の増えているお店です。
元より、“命は預かりもの”のおかあさんであるからして、値段のつくことにわたしともども甚だギモンなのではありますが・・
おかあさんなど、“かわいいね〜!!”なんていつも云うのです。
振り返ってわたしには、“るうちゃまの方がずっと器量はよいし、賢いことはたしかデス 
(^+^)
と加えるのが常ですけれど。

それを実証すべく、ペット売り場にて、一目でダウン症とわかる女児がわたしに近づきました。
触れたいようすでしたので、わたしもおかあさんも許しました、おかあさんはちょっと腰が引けていたかもしれないけれど(失笑)
わたしはしばらくのあいだ、その子の手が触れるままにしておりました。
“ばいばーい! またね (^・^)”
まで、彼女の愛の手をわたしは感じていたのです。
おかあさんはすごくほめてくれたけど、わたしの感じていたものをおかあさんには感じてないのかもしれません。



ホームセンターでは、『箱で育てる野菜』という、アスパラガスの栽培セットを求めました。
“いっくらでもアスパラが出てくるらしいよ 
(^・^)”とおかあさんは皮算用をしているようです。
大昔もあったよにゃ〜 水栽培でミニトマトを育てるセットはわたしが赤ちゃんのときに 
(^+^)
出てくるハズのミニトマトは干からびたし、この夏にだってミニトマトの苗を植えていました。
4つなったきり(失笑)
秋にドライトマトがつるの先にありましたけれど 
(;^_^;)


お野菜やらお魚やら、求めた食材は下ごしらえをして冷蔵庫に収められました。
イカはお刺身に下ろされたもの、ヤリちゃんが来なかったのが残念なところでした。おかあさんだけが新鮮なところを食しては、ワタといっしょのヅケとお刺身はウニ合えに化けていました 
(^+^)
まだお正月っぽいメニューはつづくみたい 
(^+^)  


1月12日(土曜日)

冷たい冬の雨の降る日でした。

おさんぽの代わりのようにわたしたちは叔母さま宅へ行っていたのであります。
というのは・・

遡ること去年の11月のこと。
コピー代わりに叔母さまのところで使っていたわたしたち貸し出しのプリンタ複合機が故障し、修理に預けていたのですが・・
いくら何でも修理に時間がかかると、問い合わせれば、“とっくにできている”との返事で、“留守電に連絡を入れた、とメモがあった”のが、11月中だったそーですが、電気屋も電気屋なら、おかあさんもおかあさんですが、留守電にはその記録はないのですけれど、ね。ヤマダ電気だ(嘆)



そのプリンタを取りに行き、叔母さま宅に届けたのでありました。
この連休のこととて、そのあいだにすればよいのに、叔母さまが、“土曜日にして!”など云うものですから(嘆)

今を誇るヤマダ電気の、ダイクマを乗っ取ってのお店に取りに行ったのですが、屋上の駐車場までエレベーターはないお店です。おかあさんはへとへとと運んでいましたにゃ (^+^)
このお店では重いものは任せないほうがよいこと特記。(汗)



修理から戻ったプリンタ届ければ何やら注意書きが多く、“これから注意して使え!”というように、故障の箇所、注意書きの紙もていねいに添えられていました。叔母さまはあくまでも“私のせいぢゃないわ゛!”と主張していましたけれど、ま、それでいいよ 
f(^ー^;

ものすごく調子のよいプリンタとして復帰してきたものが、叔母さまのところではコピー機としてしか機能しないのが残念です。
叔母さまはいただいたお年賀状のお気に入りのものをカラーコピーにしてテストすればご満悦のようでした。
“三上彩子“という方のご主人は医師なのか、叔母さまのお賀状にありました 
(^+^)
お医者さんを夫に持つをステータスとする価値観・・って、何?
・・・という価値観はわたしたちにふさわしくありません。


叔母さまのところへは、お鏡開きのおぜんざいのおすそわけも持っていきましたし、叔母さまのところに飾ったちっさなお鏡は開くべく持ち帰りました。


くす新年のお餅作業はおかあさんには次々と続くのです。
今年の新種は、乾ききった寒餅ではなく、さほど乾燥していないお餅をやはり揚げ餅にしていました。
カレー揚げ餅は新種にしておにーさんには好評でした。

お餅はおかあさんの本能をゆさぶるらしいのです。

ふぁーーあ。連休ですにゃ 
(-_ゞゴシゴシ 


1月11日(金曜日・鏡開き)

『鏡開き』といへばわが社ではちょっとしたイベントです。
水餅にしていたものをおかあさんが力ずくで切り分け(失笑)
お餅と同じ若柳さんで調達したつぶあんに缶詰のゆで小豆で水増しし 
(^+^)
お昼休みにスタッフへ配るのが開院当初からの習いであります。塩昆布も添えて、ね 
(^+^)

当初にはおかあさんの不慣れなこともあり、
“お餅、固かったです 
(・_・、)
という苦情もありましたし(失笑)
こしあんで作っていたものが、
“おぜんざいにしてくださいっ!”
という強い要望でつぶあんとして定着したのでありました。
この“こだわり”というのもイロイロありまして 
(^^ゞ
“ケンタッキーといえば”につづくのが、ある方は“胸でしょう!!”また逆に“脚!”とも強く主張なさる方もあります。わたしはどっちも大好物だけどにゃ 
=^_^=

後刻、午後の診療の始まりとともに大鍋は空となって帰って来ました。
そして、お鍋にこびりついたお餅とおかあさんは格闘することになったのですけれど 
(^_^;

スタッフルームでおぜんざいのおやつをしているころ、わたしたちはおさんぽに出向いていました。
たまさか、今年初にcosucojiのお店なぞ覗けば、おウ●チ型の灰皿などあるのです。これをおかあさんが捨ててはおけましょうか? 
<^!^>

そしてカメラのさくら屋なぞで見せびらかせておりました。
“これは肉食の、なんですって。
魚食のもあったけれど、こっちの方がリアルだったし 
(^・^)
おにいちゃんの灰皿にするの”
で、おかあさんがキッチンで洗うのですにゃ 
(・-・)
おにーさんは消化器の医者にして、患者さんとおウ●チについて語ることも多いのです。
“お便通は?”と回数を訊いているのに、
“モンキーバナナ3本ほど”
と、妙にリアルなお答えもあるといふ 
f(^ー^;
さくら屋では新鮮な笑いのようでしたが、わが社ではごくフツーのことなのです。
皆で笑っているのに、社長はわたしをテーブルに載せては頭を押さえつけたりしていたぶっていました 
-_-#
おかあさんは笑いながら、“抵抗しないといけないよ”なんて云うばかり(嘆)
てへ、所詮、かの社長のすることなんてたかが知れてるから 
=^_^=

洋々堂では、カヨコさんはお休みとやらで、おにいさんがお店番をしておりました。
広辞苑の新刊が積まれておりました。

わたしたちがビッグコミックを求めれば、“教えようか?”って、とっくに読んでいてストーリーを話そうとするのです(嘆)
それって、ウチのおにーさんといっしょで、あるとき、おかあさんの読んでいた推理小説を彼が先に読み終わっていて、“犯人はね 
(^+^)”と、ホントーの犯人を告げたのといっしょ(嘆)(嘆)(嘆)シャレにならない f(^ー^;


おにーさんは多忙につき、お昼休みにもおぜんざいを食する間とてありませんでした。
おぜんざいより、ゆうごはんには水餅に興味を示してごはんといっしょに焼き餅として食していました。
水餅は焼いてもお餅の復元のできることは実証されましたが、おぜんざいは明日に回りました 
f(^ー^;
お正月というのは、炭水化物と塩分過多の食事に偏るようです 
;^_^)
食の足りていなかったころのDNAを残す身でありましょう。いくらでも貯蔵をしそうです。
猫の身のわたしはといえば、DNAより嗜好で生きているもので、ま、わが社の味覚の尺度と貢献しています。
“るうちゃまが食べたからきっとおいしいのよ 
(^・^)”と、ご相伴する人間たちは云いますにゃ =^_^=

わたしのおウ●チは、細いかりんとう3本!
うまくすれば1本につながります 
(^_^)v 


1月10日(木曜日・休診日)

早いもので明日は『鏡開き』であります。
例年のように、お鏡餅をスタッフにおぜんざいまたはお汁粉にしてお昼に配る用意をば、おかあさんはしていました。休診日、ですけど、ね 
(^+^)
この一升ばかりのお鏡は、昨日の営業が終わった後から、一部は水餅にされ、一部は寒餅とするべく干されていたのですが、表面積の少ない半休形にして水分を含むにも乾燥にも時間のかかることは予測に難くありません(汗)
と、ここでお餅は時間待ちをすることとし・・

一方、叔母さまの句会の『読み初め』、『書き初め』の宿題に取りかかりました(汗)
読み初めや環境破壊の避け難き
元旦の新聞は各紙“地球温暖化”について語らないところはありませんでしたので、オジサマ向けのものなんか拵えて 
f(^ー^;
一応、ワープロ打ちして後で叔母さまにFax送信する用意をして。

・・その後、しばらくはわたしはお留守番で、おかあさんはおともだちと外出しておりました 
-_-#


大宮方面に行っていたようで、遅ればせのお氷川さまの破魔矢および節分の豆を頂いてきましたし、東急ハンズやら何やかやとのお買い物もしていたようです。
文具好きのおかあさんは、万年筆のインクともども、新しいシャープペンも気に入ったものを見つけたようです。
鉛筆は“削ったほうがカッチョイイ”とはおかあさんは申すのですが、ひとつ神話のありまして。
おかあさんは鉛筆削りがなくては、ナイフでは削れません。
それを嘆いた教授が、“このごろの学生はバカになって棒を振り回して学内に警察が入るかと思えば、ついには鉛筆も削れない学生まで入るようになったか!!”と嘆いたとか(失笑)
文具も進化しますが、マウスパッドもなかなか具合のよいものを求めたようです。と、毎度おかあさんは色々更新する度に感心を繰り返していますにゃ 
(^^ゞ
たのしい道具はたのしいのです 
(^・^)


おかあさんがたのしい時間を過ごして帰宅すれば、わたしは“みゃー!”と鳴き、おにーさんは夕ごはん前にウイスキーをお湯で割っておりました。
ベランダに干されていたお餅が室内に取り込まれれば、意外や! おにーさんが固いお餅を崩し始めたものでした。
何やら、しこしこしこしこと、根気強い作業状況でありました。
おかあさんは、わたしに解説します。
“あの人ね”
ふむ、おにーさんか 
(・・)(。。)
“子供の頃、火鉢でお餅を焼いてくれて、ずーーーっといつまでもひっくり返しつづけたものを味付けして海苔にまいたりきなこをまぶしたりして食べさせてくれたものなのよ 
(^・^)
とか。
おにーさんはいつまでもお餅を裂き続けていましたが、
“このへん、焼こうぜ! 
(^・^)
とか云って、おかあさんは云われるままにオーブントースターで焼いては炭水化物を過剰摂取に協力していました、のみならずおかあさんも、“おいちいね 
(*^_^*)”と。
干したお餅は焼き餅になりましたが、水に浸したお餅はお餅を煮るとは、関東のメニューにはないものですにゃ 
(^^ゞ
おにーさんの“伝説”を彷彿とさせるに、取り皿に彼の好みの調味料、といってもお醤油やそんなものです。
“味の素が少なくなってるぞ!”
おにーさんの声にへいへい”というように、おかあさんが足していました。
“味の素を常備している家庭って今では少ないのではないかしら?“
って、おかあさんは疑問符を眉間にこしらえていました。

叔母さまのTelはお話中がつづきましたが、俳句の習作はFAX送信していました。
電話で話せばよいものを叔母さまは“Faxいただきました”とFaxで返していらっしゃいました(失笑)
“よい句だったよ、って(叔母さま作)を伝えたかったのにね(苦笑)”など、おかあさんはわたしを撫でつつ云うのでした 
=^_^=  


1月9日(水曜日)

新年初の叔母さま訪問の水曜日でありますが・・その前に昨日のタチウオは切り分けられ、ラップに包まれてはスタッフに配布されておりました。切ってみれば各人の一切れずつとなりました (^^ゞ

叔母さま宅のお隣のビルは覆いを取れば外見はすっかり完成しておりました。
もうかつての陽差しは戻ってこないものと諦観し、あたたかい日ではありましたが、わたしは暖房の効いた室内にとって返しホットカーペットに陣をとりました。
さーて、おかあさんは食料を搬入してはおそうじなど始めるものかと見てをれば・・・
“それより、コレなんだけどぉ・・”
叔母さまは郵便の小包の封筒を取り出しては至って歯切れの悪い説明をしますが、要するに、叔母さまの属する女医さんの会のアンケート調査を地区担当の叔母さまが請け負うことになった、ということでしょうか?
貼付の書類をコピーし、名簿宛てに返信用の封筒に切手を貼付の上送付、宛先は本部となっておりました。
名簿の宛先には既に叔母さまは手書きで記入していました。
つまり、おかあさんにこの作業をさせたい、ってことですにゃ 
f(^ー^;
叔母さまの如何にもニガテそうなことは、おかあさんにはさして苦でもないでしょう(失笑)
送付は料金別納郵便とすることにし、おかあさんはコンビニに@2枚×50部ばかりを取りに行き、同所にて返信用の切手も得て戻ってまいりました。
おかあさんは封入分を折る作業を始め、叔母さまは“切手を貼る”という作業にかかり始めました。
わたしはおかあさんと叔母さまのちょうど間にいました。
おかあさんがわたしの方を振り返ると・・叔母さまは返信用ではなく、送付先の封筒に切手を貼っていました 
(・_・、)

と、いうことで、料金別納ではなく、送付用にも返信用にも切手貼りをすることとなり(失笑)
おかあさんは再びコンビニに切手を求めに行ったものです。
幸いにも、どちらも送料は\80切手で間に合うことも確認できた、と 
;^_^)

“真っ直(つ)ぐに折って、真っ直(つ)ぐに切手を貼る”というのは、おかあさんの好む単純作業ではありますが、時間は要します。最後の封を閉じる作業は叔母さまが担当していました。そのあいだにお掃除など済み、わたしの食料の調達に高島屋に行く際に投函もできたようです。
そのついでのように、ヒビの入ってしまったおにーさんのごはんのお茶碗も、欠けの入ったご酒用の陶器のカップも瀬戸物屋さんで調達していましたにゃ 
(^+^)


おかあさんが出ているすきに叔母さまはアイスクリームを出してお茶の用意をしてくれていました。
わたしがアイスを堪能していれば、
“もうひとつ、あるの 
(^・^)
今度は俳句で、次回句会のお題は『書き初め』に『読み初め』ですと ;^_^)
叔母さまの試作品に、『日本一』と書いたなどありました。日本がカラ元気だった日々はそれなりに美しいのです。
“これ、いちばんいいね 
(^・^)
などおかあさんは評価していましたけれど 
(^+^)
おかあさんの子供の時代だと、
書き初めの父をなぞりて『日の出』たり
でしょうか。
叔母さま世代は特に後世にひとりごとでも残すことが必要だと思うのです。
戦争で青春を犠牲にしたかと云えば、それで沈んだばかりではなかったのですから。


帰宅すれば閉院の時間で、車を降りれば、道に迷ったのか、タウン誌を開いてはわたしたちに道を訊く、うるわしげな若い女性がありました。
説明さえも要らないほど、至近のスーパー銭湯に行くんだそーでした 
3(-_^;) エッ?
感心しつつ、おかあさんは俳句の宿題も考えていたのでした 
(^+^)

おかあさんの作為で叔母さま宅から帰ってのゆうごはんは上等なメニューなのです。
名古屋コーチンって、わたし、好きだにゃ〜 
=^_^=
(menuページ参照)


1月8日(火曜日)

あたたかな日で、天気予報は“冬の中休み”と告げていました。
お窓を開ければ、通学の声も聞こえます。開けなくても聞こえていたけれど 
f(^ー^;
新学期の始まりでしょうけれど、昨今は二学期制のところもあると聞くが 
(^^ゞ

わたしたちには新学期はとうに始まっていて、院長室では今日もレセプト作業でありました。廊下ひとつ隔てた部屋に人のあるというのも落ち着かないものでありますが 
^_^; 
彼女たちにお茶を出したり、食料を加工したりと、おかあさんはキッチンごもりであります(嘆)
その合間、おさんぽに出れば、まだ“おめでとうございます”のごあいさつは続いています。

カメラのさくら屋を覗けば、サンデー毎日なおぢさまたちがをり、わたしに“その猫、高いでしょ?”なんて、おかあさんが返答に困ることを云われておりました。おかあさんは“愛の換算”ではなく(失笑)、常套としている“人件費、がね 
(^+^)”なぞ答えるのであります =^_^=
そんなことをしていれば、
“出た!!”
は、わたしの心に代わってのおかあさんの叫びであります!!
わたしたちの天敵、イチカワ氏の登場でありました。お正月はハワイでお過ごしとか、という方、です。
“本屋のジャマするなよー!”他、わたしに向かっては、“剥製にしちやうぞ!”なぞ申しておりました。
“このご町内には、ンな不埒なことをおっしゃる方はもうひとかたあります。”
おかあさんがやはりわたしに代わって解説しました。
耳鼻科のIセンセイ 
(^+^)
一同、なんとなくナットク(失笑)

その“本屋”の洋々堂にては、日常が戻ったように定期購読の服部幸應センセイのお料理ムックとKittiyちゃんが届いていました。服部幸應センセイのお料理ムックはなかなか役に立つことを教えてくれるのです。お餅の始末の仕方なぞ、おかあさんにはナットクものでした。やはり寒餅がお勧めのようでしたにゃ 
(^+^)
地球の鉱石をコレクションするムックも新発売されていましたが、“買うまいぞ”とおかあさんは決意(失笑)
でも、石の好きな人って多いもので、わたしたちだって鉱石の標本を持っていますものにゃ 
(^+^)

帰宅すれば、院長室のコーヒータイムであります 
(-.-#)
次にはいつものキッチンごもりで(嘆)
おせちやらお餅にすっかり倦いたらしく、わたしに“お味見どーぞ 
m(__)m”と、コンビーフなど一口いただきました。好き =^_^=

キッチンにはもうひとつの難儀がありました(失笑)
患者さんのお正月のご釣果とて、処理されたものの太刀魚の冷凍された大漁節♪ が届けられました。
スタッフに分けようにもそれらは一体となており(汗)
かろうじては、切り分ける必要のないものが院長室の人々のおみやげとなりました。
ありがたくいただく前の作業は過酷でありましょうけれど、すてきなご趣味です。
釣りの後には、スケッチ入りの釣り日報も届くのですから! 
(^x^)
サンデー毎日の日々には、在勤中の蓄積がモノを云うのかもかも。
って、おかあさんの定年はいつだい? 
(^_^;  


1月7日(月曜日・七草)

七草がゆはわが社ではゆうごはんのメニューでありました。
おにーさんはおかゆと見るや、がっかりなようすで(失笑)
毎年ながら、おにーさんに七草を問えば、
“せり、なずな・・・中略!! これぞ七草っ!! 
(^・^)
と答えてくれるのですけれど、“せりなずなごぎょうはこべらほとけのざ、すずなすずしろ“が1年経つと忘れるのも年中行事 
f(^ー^;

七日ともなれば、アオキ花屋さんが門松を片付けに来るのも毎年のことです。

かたや、お正月とはいえ、月初であります。
院長室では朝から業者さんが入ってのレセプト点検作業が始まりました。
お年賀状で、病欠していた担当者がご退職なさったことを知りましたが、ピンチヒッターだった方が担当になられたようです。
親しくしていたのでお辞めになったことは残念ですが、関西弁の方もすでになじんでいるようです 
(^・^)
“明けましておめでとうございます。今年もよろしく”と、お昼にはお茶を出していましたにゃ 
(^+^)
お茶は新年の金粉入り、くだものはいちごでお茶菓子もお正月の“若草”なんていう名前なのです。

午後のお茶の前がわたしのおさんぽタイムで、街はまだ半ばお正月なのです。
それでもお鮨屋さんには節分の“丸かぶり寿司”の注文のポスターが貼られています。
豆をまいたらチョコレートを配り、おひなさまを出してすぐにお花見し、鯉のぼりを上げるのですにゃ 
(^_^;
日本人は年中行事多彩であります。

でも『初荷』の旗を立てたトラックを見なくなりました。
お正月も関係のない職種も増えたのかもしれません。レセプト業者さんのご主人も“サービス業なので”と、お正月もご出勤だったそうですから。

洋々堂では、“家計簿ありますか?”、“手帳ありますか?”のお客さんがしばしばありましたが、2月号は昨年末に発売になっていることもあろうというのに 
(^^ゞ
分厚いレディースコミックをお求めの方は顔見知りで、4人目をご懐妊中なのだそうです。子育ての息抜きにコミック 
;^_^)
わたしたちは、年末に届いていなかった服部幸應のお料理ムックを2週分求めておりました。

細かな雨が降り出し、帰宅すればおかあさんはまずは院長室へのお三時の用意であります(嘆)
つづけては、いつものキッチンごもり(嘆)
叔母さまもおせちには飽きたことでしょうから、あたたかいものでも拵えていたようです。キッチンからは色々な匂いの湯気が流れて来ていました。

院長室の作業が終われば、わたしにもドアが解禁となりました 
=^_^=
女性同士のこととて、おしゃべりに花が咲いたりもしていました。
“ウチのおせちは”だの“お雑煮は”という話題が上がっていました。
お雑煮って、“ウチのはフツーの”とどなたも仰るものですが、どの家も全く異なるものを嘱する不思議 
f(^ー^;
関西出身は丸餅に、こと、京都して白味噌仕立てだそうです。
角餅は焼くもので、丸餅は茹でるものでしょうか?くす、お餅を茹でた後のお鍋をおかあさんは好みませんにゃ 
(^_^;

おかあさんはといえば、ママさん味を踏襲しているようです。
しかし、青菜の部分がパパさんとママさんとは好みが異なったようです。
パパさんは三つ葉でママさんはほうれん草。ママさんの実家、今の叔母さま宅では、伯母さまやお祖母さまの拵えたものは三つ葉も小松菜もあったようですけれど。つまりは、おかあさんがほうれん草の甘みが好きなのかもしれません。わたしもおかあさんのお雑煮になじんでいます 
=^_^=  
おかあさんは♪灯火ちかく 衣縫う母 ぢゃないけどね。
唱歌の『冬の夜』はなつかしさを呼ぶ歌です。 


1月6日(日曜日・小寒)

『寒の入り』ではありましたが、昼間などあたたかなものでありました (^・^)

ファームランドみぬまはお正月休みでありましたが、わたしたちは近く、氷川女体神社に初詣しておりました。
色っぽい名前ですが、ここはちょっとした心霊スポットの穴場で、遙拝ではなく(失笑)、初詣のできたことでありました。
大宮の氷川さまに劣らぬ伝統の神社には、神主さんも巫女さんなのかもしれません。祝詞の声も女人のものであります。

この神社では、願掛けの“巫女人形”というものがあり、願の叶った人形が新年にはお返しされ、こけしのようなそれが並ぶとなかなか神事の風情です。
“美しくなれますよーに”
など、女人ならではの願をかけては、願い叶ってはお返しするのでしょう。
わたしたちも一体求めましたが、“願”といえば、おかあさんにはわたしの健康かしら 
=^_^=

見沼氷川公園も控えてあります。かつて、ホームレスさんがあった四阿には人とてなく、そこで殺人のあったことはわずか数年前なのに忘れ去られているようです・・
凧揚げもまばらとなった公園・・
春になれば、また、バーベキュー族が戻って来るのでしょうか?

角上魚類は、きっと年末には激しい様子だったことでしょう。
おかあさんの言うには、“きっと、築地の市場みたいだろう”って、敢えて避けていたのですけれど(汗)
年が改まれば、やや静かだったでしょうか? 叔母さまのところへ行くべく、おみやげにお刺身も求めました。

わたしは人の波がなんだかうれしくて、車内待機の後は運転席のヘッドレストでドライブを楽しんでいました 
=^_^=

大宮なる叔母さまへのお年賀は遅ればせでありましたが、その前、大宮のお氷川さまにも寄ろうとすれば・・
まだまだ車の列も連なっておりました 
(^^ゞ

大宮の駅から参道へ至るまでの道に“一宮通り”という、古い大宮っ子のおにーさんなぞは“岩槻新道”と呼ぶ道があり、わたしたちはその通りを中山道へと進みました。
まあ!! 人!人!人! と参詣の人々が列をなしていました。
竹下通りにそっくりかも 
(^+^)
わたしに気づいた人は、指さしては何やら云ってましたけど 
=^_^=
商店街の企画とやらで、美容院を誘致したとかで、美容院ストリートにもなっていて。
そのわりに古いお店も健在なのです。
信号待ちしていると、おかあさんの言うに“昔っからあったよ”という下駄屋さんに“てんぐ”という札がありました。
ふーん。天狗さんて、歯が一本の下駄を履くそーな。バランス感覚の鍛錬になりそうですにゃ 
f(^ー^;


叔母さまは日曜日のこととて、教会のおミサに参列を予測してをれば、そのとおり! で、予想に違わずおともだちがおミサの後のお茶を待合い室で愉しんでいた最中でありました 
(^^ゞ

叔母さまはこの暮れに、わたしにはナゾの場所、おかあさんにとっても禁漁区のようなお二階から、保存の写真をば下ろして来たとか・・おかあさんの成人式の写真なぞ、おともだちの歴々に披露されることになったのでした(失笑)
すぐそばの写真館で撮影されたもので、しばらくはその写真が飾られていたそーな。
笑えるのは、いつまでも飾られたのは、着付けもそばの美容院だったので、帯の写った後ろ姿ばかりだったとも(失笑)
これは、大宮あたりの同級生にもしばらく笑い話だったんだとさ 
f(^ー^;

叔母さま宅からは、おせちの空のお重を持ち帰りました。
よいお正月であります。


お屠蘇気分の時代劇“天と地と”をおにーさんとすーっかり観ました。
時代劇っていいね 
(^・^)
“るうちゃん、そんなに目を据えてどーする?”
おかあさんの云う傍らでは、おにーさんが“いざ! 出陣!”の面構えになっていたのですから、わたしだってドラマに魂こめました。
わたしって、きっと前世(があるとして・・)きっと、軍人になる前にはサムライだった“のではないか?”とおかあさんは云う 
(^・^)  
“寒中こその出陣!!“くす、寝言もかよう 
=^_^=  


1月5日(土曜日)

先週はおせち作りだったし、その前の週はクリスマス・・
新年は年末からのスピードが速いのです(汗)

お年賀状はまだ届き続けています。
返信のことが多いのですが、たまさかにはおかあさんの間違いもあったりして 
(^_^;
遅ればせの再送となります。

新年は“ちゅうくらいなり おらが春”でわたしたちにはちようどよい、のです 
(^+^)

ご町内あたりをおさんぽしていれば、昨日にも気がかりだったことに、古書店のノデ書店に数学書が並んでいたことで、あります。
書き込みとてないその書物について、ご主人にどなたの持ち込みが尋ねれば、大宮からのもので“ここらの人のものではないよ”ということでした。おかあさんもそれらを教科書に使ったことがあったのでしたけれども 
(^+^)
と、古書店の棚を見れば、まだまだ数学書もありましたし、さりげに『潮騒』の古色も蒼然としたものもありました。
“あ゛、それ?
初版。初刷りの本ね 
(^・^)
ご主人は解説しましたが、ミシマの名著は古書店の書棚にてかぐや姫の光る竹のようでありました。
\5000ばかりの値でよいのか?


“『三島由紀夫』となったのがウチに間借りしていて。
出てった後、残った原稿用紙はたき火で燃やしたけど・・”
という、おにーさんの元ご上司もあり、たいそう驚いたのが開業当初のことであったことであった一件もあったことでありました 
f(^ー^;


一方・・洋々堂にて、新年初のコミック誌をたのしみにしていたわたしたち 
(^・^)
『アーサーくん』の配本もあったので求めました。今回は下腕の筋肉で、いよいよもって人体標本はリアルになります 
(^・^)


帰宅すれば、ちょうど従姉のヤスコちゃんがご訪問くだすったところでした。
3日におかあさんがお年始に伺ったものの、何かとご家族のお世話があるので、“お線香は代わりに上げとくから”なんて、おかあさんはやわらかく断じていたところですが・・
“ご家族のお世話”について、語りたいところがあったのかもしれません。
介護のようすをヤスコちゃんが明るく語ってくださり、わたしたちは少しくはホッとします。“介護”とは“認知症”を含むこともしばしばですから。

介護の現場について、しばしば心ない人の口に出会うこともあるのですが、人の品位というのは、こういったときに露見するのかもしれません 
(-.-#)
(おかあさんは口さがないスズメたちの言葉を耳に入れては少なからず腹をたててはいるようですぜ 
(^+^))
ヤスコちゃんの時間はうすく、わずかな時間を新年の金粉入りお茶と、松江“不昧公”のお菓子で愉しみました。


お正月が終わりに近づけばキッチンはおせちの変形実験室 
(^・^)
栗きんとんは茶巾でホイップクリームでお菓子に変身しました。

新たかには伊達巻きも、卵とはんぺんで作られていました。巻き簀に巻かれたまま冷蔵庫で過ごしていますけれどいかがな出来なのか 
(?_?)

診療が終わっての週末のお茶にはドリップコーヒーが淹れられていました。
ここに参加するんだにゃー、ヤリちゃんも 
f(^ー^;
新年も旧年と変わらない世界にわたしも妥協しています 
=^_^=


1月4日(金・ご用始)

当院もご用始めでありました。
暮れの混雑ほどではない年初であります 
(^^ゞ

お年賀状もまだまだ届き、おかあさんは整理しては何枚かまた増刷するのです。
わが社に来るお賀状は、“推定・おにーさんのおともだち”、“患者さんであろう?”という分類もあるのでありまして 
(^_^;
印刷したお賀状に宛名はPC印刷、ひとことの自筆もない味気ないお便りを年初に出すおかあさんであります(嘆)
お付き合いの意志の表明、ってところでお許しを 
m(__)m
ご退職なさったスタッフからのお便りなど、お賀状はたのしいものでありますけれど 
(^・^)

わたしには“初おさんぽ”でありました 
=^_^=
“初”をつけると何かと新鮮です。
ご町内の徒歩でのおさんぽはたのちいであります 
(^・^)

洋々堂にてカヨコさんが店頭にあったのはうれしく、
“あけまして・・”
を言いかけたところで、
“『二十四の瞳』って誰だっけ?”
“壺井栄・・”
おかあさんは答えましたものの、カヨコさんは彼なる書物をお求めのお客さんのお相手中にて、新年早々からお忙しいのです 
f(^ー^;
文庫本は著者五十音にて並んでいるので、そんなクイズから始まったのでありました。
わたしたち的には、いかなる方が『二十四の瞳』を読みたいのか興味がありました。
年配の方、かつ、著者名をお忘れだったのにあたたかな読書の時間を感じたことでありました 
(^・^)

年初のこととて配本は少ないなか、danchuなんてラーメン特集でありました。
頃合いのニホン人ですとおせちに飽き、ラーメンも恋しい頃でしょう 
f(^ー^;
わが社なぞ、お煮しめにマヨネーズをかける人がいますから(失笑) (おかあさんも、です 
(^+^))
カヨコさんとは、“お正月、何してた?”なんて、引きも切らないお客さんをお相手するカヨコさんとおしゃべりするのがおかあさんには楽しかったようです。
カヨコさんが何度となく行き、熟知した浦和PARCOにおかあさんは初めて行ったのですから(失笑)

そろそろお屠蘇モードは終わりでしょうに、深夜になって、また“しばらく”の長電話をしていたおかあさんでありました(嘆)


1月3日(木曜日・ママさんのお命日・冬休み最終日)

お正月の三が日が晴天でありました (^・^)

親戚筋にお年始に出向く前に・・
おかあさんのたのしみは三越の福袋でありまして 
(^+^)
わたしも伴われて近くの浦和三越まで車で出向いたものでありました。
(去年の同日の日記参照)
これをどれだけ愉しみにしていたでしょうか!!
しかし、同じようなモノを求めたのですが帰って開ければ、叔母さまのご期待に沿うようなものがありません(汗)
よって、再び三越に寄っては、“婦人カシミア”なる袋を求めてから親戚回りをしていました。

年々歳々人同じからずや・・であります 
(-.-#)
未亡人はお元気になられ、一方は病む方もあり・・・
いずれ、おかあさんとお話が弾むならそれでよし・・


早い日暮れでおかあさんの戻る直前にはおにーさんも戻っていました。
“あけましておめでとうございます!!”
と、お互いに言い合い、おにーさんは直! 院長室にてレセプト点検に入っていました。新年とはいえ、月初にこの作業があるのは医業の宿命でしょうか 
(^_^;

新年のこと。
まずはおかあさんはおにーさんに新年の金粉入り!! お茶を出し、お屠蘇も出しし、
“おにいちゃんにどーしても着てもらわなくてはならない!”
と、三越福袋から“紳士ジャケット”というものを取り出しました。
“こんなものが入っているから(叔母さまの)期待に添えなかったみたい 
(^^ゞ
など云いつつ(失笑)
イタリアンなジャケットはおにーさんの佩用するところとなったようでありますが、シャツはどーする(失笑)

ヤリちゃんがやって来たのは、この三越の福袋を見物に来たにちがいありません 
(^+^)
おにーさんのジャケットは笑い話となり、叔母さまのためのカシミヤは“さすが! 三越!”とヤリちゃんも云うのでした 
(^・^)


ゆうごはんはおにーさんには新春のお重詰めのおせちにお雑煮、わたしにはローストビーフでした。
くす、おせちは年末に用意できるけど、わたしのものは本日調達におかあさんは苦心したかも 
(^・^)
いずれ年末に拵えたものでしょうが、マルエツで調達したものをおいちくいただきました 
=^_^=

お正月は旧交をあたためる時季でもありましょうか。
おかあさんは深夜まで長電話をしておりました 
(-_ゞゴシゴシ  


1月2日(水曜日・お正月)

お正月の2日は越生までの墓参と決まっています。3日がママさんのお命日なので1日早くなるのは3日が冬休みの最終日なので余裕を残すため、でしょうか。
同行者は毎年のようにヤリちゃんであります。

気温はごく低くも晴天で、荒川を越えれば、
“ひゃっ! 霊峰富士だっ!”
と車内で声が上がるように真白きの富士が正面にやがて右に見えるのでした。
車内には折しも軍歌がかかり、わたしを鼓舞していめかの如きでしたが、ドライブの終了まで盤は換られても軍歌のままだったのは、きっと彼女たちは正しい日本語のお勉強をしたかったからにちがいありません 
=^_^=

そして渋滞もなく、あっさりと越生着。
法恩寺さんは越生七福神巡りの1番の札所にして、そこそこなる参拝者もありました。

おかあさんたちがお寺さんにごあさつをする間も墓参の間も、また駅前の住吉屋さんでおみやげを調達する間もわたしは車内待機でしたし、越生酒造を訪れる間も同様でした。ここでは『白馬』なる、季節限定のにごり酒を求めていました。

さて、おかあさんたちは遅い昼食を取りたいようでしたが、お正月のこととて今まで開いていた店も閉まってい・・
次なる例年の目的地の高麗神社への道へと入ったものです。

例年だとこの道は渋滞のまま時が過ぎ、ある年には退屈しのぎにラヂヲをかければ朗読の時間で、
“ダザイの『斜陽』だ”
など一部を聞いてはおかあさんが言い当てれば、やりちゃんから“スゴイ!”など言われていたこともあったものです。でも、それは一度読めば誰でも覚えていそうな場面だったからでしょう 
(^+^)
その渋滞もなく、やや待つものの、わたしの車内待機しての参拝もほどなく済みました。
ただし“遙拝”だった理由はほどなく分かりました。

わたしたちは元の道の越生と日高をつなぐ道ではなく、川越を目指すために西に寄って、秩父方面から川越を結ぶ道に出ようとしたところ、こちら方面から高麗神社に向かう長い列と対向することになりました。この人たちはいったい、いつになったら高麗神社まで着いたものか・・
と、帰り道のわたしたち、とりわけおかあさんはにんまりとしていましたけど 
(^+^)

わたしたちが毎年のように高麗神社を訪れるのは、“出世の神様”とのことで一旦熊手を求めてしまったので毎年交換に行かなければならないのでありまして 
f(^ー^;
ヤリちゃんに言わせれば、去年一昨年の混雑は“リストラ逃れ”で、今年人が少ないかに見えたのは、おかあさんに言わせれば“韓流ブームの終焉か”になったのですけれど、そうとも思えない車の列でありました。

さてここで、人間たちは昼食難民となりました(失笑)
巾着田に近いこととて、毎年のように秋のお彼岸近辺には彼岸花を観賞に行くところであります。
おかあさんの記憶では、“担々麺があったハズよ”なのですが、お正月とて休業 
(^_^;
それでも“念“というのはオソロシイもので(失笑)
おかあさんとヤリちゃんは鍋焼きうどんにありついていました。

帰り道も不思議と順調なのでした。
順調ついでにサイボクハムに寄れば、温泉は営業していたけれど食料部門はやはり・・お正月休みでありました。


新大宮バイパスに入るあたりから、『眠れる獅子』であったわたしはむく! と起き、運転席ヘッドレストにて車外見物を始めたものです。
いつも工事中だったところはいつの間にか幹線になっているのは、人の暮らしには“便利”をもたらしているのでしょう。
♪線路はつづくよ どこまでも
は牧歌的となるように、この道もいつかなつかしいものになるのでしょうか?・・・

またも駐車場待ちはcocoonで、ふたりは福袋なぞ買っていました(嘆)

帰宅すれば、ヤリちゃんのStone Houseのパワーストーン(石のちからというものをおかあさんもヤリちゃんも信じている(失笑))と、おかあさんの置地廣場の和物食器との交換会 
(^^ゞ
わたしには麗しいボールがお水飲みの器として供されました 
(^・^)
“いちばん高そうだね”など、ふたりして『白馬』を試飲しつつ云っていましたけど 
(^。^)
のどかでしあわせなお正月であります 
=^_^=  


1月1日(火曜日・元旦)

真っ青な空のお元日でありました。
お窓からの外気は乾いて冷たいものでありましたが、それさえ清らかな新年です 
(^・^)

朝刊といっしょにお年賀状がポストにありました。
ヨシナガサユリさんからのお賀状にどの家もおどろいたのではないでしょうか 
(^^ゞ

朝食のおまけにまお雑煮とおせちが祝い箸でいただきました。わたしは鶏出汁のお雑煮と伊達巻きが好きです 
=^_^=

朝食が済めばおかあさんは調神社まで初詣に出向いていました。
ところが、ここ数年のように“遙拝”。裏から回っても長蛇の列だったのですって 
(^_^;
未年から毎年求めている一刀彫りの干支のネズミさんを追加しては、中山道にある古書店(高校の頃、よく覗いたところだそーにゃ 
(^+^))で暦を求めるのも恒例化しています。ヤリちゃんの分も求めることも。

調神社は遙拝でも、お元日から開店のPARCOには初見参していましたにゃ。
福袋に弱いおかあさんであります(失笑)
丸善紀伊国屋書店と好みのお店は並び、かつ無印良品もあったそーにゃ。
The Body ShopKiddy Landの福袋は持ち帰っていましたにゃ 
(^^ゞ
かつて銀座やら原宿にあったあこがれのお店がざざーーーーっと並んだ巨大モールなのだそうです。
便利だけど夢がないのは、夢を見られなくなった年令のせいかもしれません 
(;^_^;)
デパ地下も“目が眩むほどであった”ということです。で、何やら求めていましたけれど 
(^+^)
PARCOの人出はさほどでもなく、早々に帰宅していました、2時間ばかり歩き続けて(失笑)

帰宅してからお年賀状の整理をし、追加を宛名印刷すればおかあさんに来た分は新たに作っていましたにゃ 
(^+^)

人混みへの外出は避け、それからは読書していました。
ごはんの支度も少なく、おかあさんにもわたしにもよいお正月でありました。
ページを繰るうちにおかあさんは睡魔に襲われていたようですけれど 
(^+^)

夕刻、マチコさんが来訪してはお屠蘇で、“今年もよろしく 
m(__)m”。マチコさんによい年になるとよいのですけれど・・

次にはヤリちゃんもやってまいりました。ここでもご一献。


叔母さまは新年のミサに参列し、戻ればイトコのヒロシくん一家の訪問があったそうです。
“チカコおばちゃんのおせち”を皆して召し上がったそーな 
f(^ー^;
どなたにも新しい年がよい年になりますよーに!!

おかあさんは新しい日記帳に万年筆でささやかな新年の日を記していました。


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