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ロマンス X /
Romance X

Catherine Breillat

1999 F 84 Min. 劇映画

出演者

Caroline Ducey
(Marie - 小学校の教師)

Sagamore Stevenin
(Paul - 映画関係者)

Francois Berleand (Robert)

Rocco Siffredi
(Paolo - 行きずりの男)

見た時期:2000年3月

続き

ストーリーの説明あり

旧西ベルリン地区にはフランス文化の PR をするような場所があり、その建物の一部は映画館になっていて、主にフランス映画をやっています。そこでフランス映画が上映されるのは全く自然なことですが、普通の映画館にはフランス映画は滅多に来ません。そしてたまに来るとしても文化に力を入れている少し特殊な館だったり、さらに一般的な館に回って来ても短期間で他のハリウッド映画に変わってしまったりということが多いです。はっきり言うと圧倒的にハリウッド映画に押され、次に英国の映画に押され、次にドイツ映画に押されているわけです。フランスが映画にけっこう力を入れている国だということを考えると不思議です。

★ おもしろいフランス映画の例

その中で比較的健闘しているのが前述したアステリックス物。漫画が前世紀の中頃からずっとドイツでも売れ続けている上、適度な間を置いてアニメが制作されており、最近ではドイツも肩入れしてスター俳優を使った映画も作られ、映画館ではドイツ語の吹き替えで上映されているため、違和感なく受け入れられたのでしょう。この他に最近の作品としてはベソンのタクシーが生き残りました。

全体的にはなぜだめなのかと聞かれても答に詰まってしまいます。先日見た記録映画ぼくの好きな先生は佳作と言えますし、有名女優総出演の8人の女たちのような豪華なお遊びもあります。「これはハリウッド映画か」と一瞬思ったバイオレンス・アクション、ドーベルマンもありますし、「これはハリウッド映画だ」と全編で思い続けたジェヴォーダンの獣ヴィドックもあります。ところが出来が良いから生き残るだろうと思うとそうでもなく、直接ビデオ、DVD に行ってしまったり、2週間しか公開されなかったりと、フランス映画の運命はあまりかんばしくないようです。

時にはなるほどと納得せざるを得ない作品もあります。実はここでも取り上げたくないと思うような作品がフランスではセンセーションを起こしています。仕方ありません、取り上げましょう。

★ ダメなフランス映画の例

タイトルはロマンス X といい、国際的にはあまり名前の知られていない俳優が出ています。その中で唯一 EC 内では大スターと言えるのがロッコ。成人映画専門の俳優ですが、出演本数は軽く200を越えます。アメリカのロンジェレミーといい勝負なのですが、ロッコはずっと美男で、かっこいいです。私はロマンス X を見終わるまでその事を知らなかったので、普通の二枚目俳優だと思っていたら、いきなり画面でセックスを始めるのでおやおや、と驚いた次第。後で聞いてみたら非常に有名で評判のいいポルノ・スターだと分かったわけです。

ポルノ・スターだと台詞や演技は二の次で、見せるべきものは他にあるという先入観を持っていたのですが、ロッコはちゃんと演技をしています。ロマンス X の中では1番気を入れて演じていました。彼の役は行きずりのセックスを求めている主人公マリーの相手パオロ。自分の愛していた女性を最近失ったばかりで、彼も寝る相手を探して夜遅く飲み屋にいたのですが、彼の方は誠実で、マリーをちゃんと扱い、できればまた会いたいなどと思います。都会で夜セックスの相手を求めるさびしそうな表情がよく出ていたので、演技は期待できないだろうという先入観は返上しなければ行けません。

これがこの作品の1番良かった点で、あとは評価が下がるばかりです。筋はと言うと若いカップルがまず登場。かつて大ロマンスがあったのか無かったのか分かりませんが、現在は最悪の倦怠期。恋人のはずのポールは全然マリーに関心を示しません。絶望したマリーは夜な夜な男を漁りに町へ。お金も要求せず寝てくれるというので男はいくらでもみつかりますが、彼女は安定した関係を望んでいないので、親切な男性が現われても1回切りでさようなら。徐々にエスカレートして、アパートの外で暴行されたり、上司の校長とサドマゾ関係に入ったりと、普通の軌道から逸れて行きます。見たのは大分前なのですが、あんな事してエイズの心配はしないんだろうかとマジに考えてしまったことを思い出します。

マリーはある日ひょんな事からポールの子供を妊娠し、これで用は済んだ、もう恋人は要らないとばかりあっさりポールを片付けて(殺して)しまいます。臨月の彼女はサドマゾ校長に頼んで病院に付き添ってもらい出産。その出産シーンを大写しで出したこともあってフランスでは大センセーションだったそうです。

★ ドイツ人の反応

ドイツではどうか。長い間ドイツで公開される映画に慣れていたので、私からも失笑が出そうになりましたが、一般の評価も似たようなものでした。なぜこんな映画に大騒ぎするのか分からないというのがよく見かけた評です。どこで見たか覚えていませんが、出産シーンもそれほど珍しいとは思えませんでした。何かの記録映画一部だったのではないかと思います。本当にカメラの前でやるセックス・シーンは無論ポルノでも見ないとありませんし、わざわざお金払ってそんなもの見に行ったことがないので見慣れているとは言えませんが、裸の男女が出て来る普通の映画はドイツにはけっこう多いのです。プールや海岸に行ってもヌーディストの日とかヌーディストの地区などというのが普通の場所の横にあり、別にじろじろ見なくても裸になりたい人は裸でその辺を歩いているので、たいていの人は子供の時から見慣れています。生まれた時から自分に属している体の一部、自分だけでなく人類の半分が自分と同じ物を持っているのだという意識が強いので、ことさら隠したり、人の物を覗いたりしなければ行けないという気持ちが起こって来ないのではないかと察しています。

裸やセックスに関する考え方は EC がまとまったとはいえ、各国の間でまだかなりの差があり、そういう差は文化の一部ですから外からあれこれ言って変える必要もないのだと思います。 一般に大らかだと言われているのが北欧で、その後にオランダやドイツが続いているという感じです。ドイツは北欧からの影響も受けているでしょうが、その一方で随分前から屋外で日光浴をすること、スポーツなどが盛んです(ナチの時代に強調礼賛され過ぎたので、この傾向イコールひげの政治家という風なイメージもできてしまいましたが、1年のうち半分は日照時間が少ない国ですと政治と関係なく納得せざるを得ない面があります)。

というわけでメンタリティーの差がかなり映画制作の動機、評価に影響しています。フランスとドイツの差が歴然とする1つの例と言えるでしょう。

ストーリーの方には腹を立てたのを覚えています。主人公2人は超エゴイスト兼ナルシスト。自分の事しか考えていません。自分を邪魔するマリーはうるさいと考えるポールと、自分を構ってくれないポールは嫌だというマリー。ポールを片付けてしまったマリーですが、1人で自分の子供を世話するつもりはないらしく、ちゃっかりサドマゾ校長に助っ人を頼みます。「え、え、え、こういうのあり?」と思いますが、新聞の事件などを見ていると「ありますよ」という答が返って来そうです。2人の我侭さはカリカチュアと言ってもいいほど強調してあります。サドマゾ校長はというとこれがまた講釈ばかりがやたら長く、サドマゾぶりはいいかげん。演じている俳優も何だかやる気が無さそうで、見ていてだれてしまいます。気合の入った殺し屋 1 の垣原を見たらこの校長、たまげて消えてしまうでしょう。

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