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愛の落日 /
The quiet American /
Der stille Amerikaner

Phillip Noyce

2002 USA/D/Australien 101 Min. 劇映画

出演者

Michael Caine
(Thomas Fowler - ロンドン・タイムズ特派員)

Brendan Fraser
(Alden Pyle - 眼科医)

Do Thi Hai Yen
(Phuong - ファウラーに囲われている愛人)

Pham Thi Mai Hoa
(フオンの姉)

Rade Serbedzija
(Inspector Vigot - サイゴンの警部)

Tzi Ma
(Hinh - ファウラーの助手)

Quang Hai
(Thé - 将軍)

Ferdinand Hoang
(Muoi - 怪しげな貿易商)

Mathias Mlekuz (フランス人の将軍)

Robert Stanton
(Joe Tunney)

Holmes Osborne
(Bill Granger)

見た時期:2003年6月

要注意: 肝心な点がすぐばれます!

スリラーなので見る予定の人は即座に退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

この作品を公開するのは大変だっただろうと思います。意図したのではないでしょうが、出来過ぎているぐらい偶然が重なりました。それで制作が終わっても1年ほど公開できなかったのだそうです。スクリーニングが行われたのが9月10日だとかで、翌日が例の世界がガラっと変わってしまった大事件です。そして映画の最後に背筋が凍るような事件が起き、嫌でも歴史は繰り返すと思わずにいられないようなシーンになります。ですからお蔵入りしても不思議はないのですが、ドイツでは公開にこぎつけました。他の国はどうなったのでしょう。

意図したのではない、偶然だと言うのは、原作があのグレアム・グリーンで、書かれたのが50年代だからです。グリーンには何十年も経ってからあんな事件が起きるなどと予想ができるはずはありませんし、ニューヨークの事件がなければ映画は問題なく公開されたでしょう。主演はオスカーに6回ノミネートされ2つ貰っているマイケル・ケイン。3割3分打者。対するは私もファンのブレンダン・フレーザー。渋い2人の競演。マイケル・ケインは2人の人間が対決する映画は得意な方。ちょうど30年前には自分が若い方の役で、ローレンス・オリビエと対決しています。今度は若い男に迫られる役。適役です。フレーザーをキャスティングした人の目も高いです。

フレーザーはジャングル・ジョージでファンになったのですが、この人はああいうバカみたいに単純な映画と、陰影のある映画の両方ができる人です。この2人が出ると聞いただけで、内容は知らなくても行ってみようかと思わせてくれます。

グレアム・グリーンは報道一家にでも育ったんでしょうか、弟のヒュー・グリーンが BBC にいますし、本人も元ジャーナリストだったため報道関係に詳しく、それを小説に生かしています。BBC の人はやる事がプロフェッショナルで、筋金入りのジャーナリストがほとんど。筋金が入っていると諜報活動に似たような出来事に巻き込まれることもあるようです。ま、情報を集めるという点では両者にあまり差はありません。弟はドイツが専門分野で、BBC のドイツ語放送、戦時中、戦後の BBC はヒュ−・グリーン無しには語れません。その後出世して BBC 全体の責任者になっています。 私も80年代に BBC にはお世話になりましたが、表の話ばかり。懸賞に当たってレコードをプレゼントしてもらったり、音楽番組に参加させてもらったりしました。報道関係は聴取者としてしかお付き合いがありませんでした。しかし当時ベルリンを担当していたある特派員の報道はかなり質が高く、グリーンのような人がその辺にもいるのかと感心しました。事務所はうちから自転車で15分ぐらい行った所にありました。

愛の落日の主人公、英国人トーマスも特派員でサイゴンに駐在しています。時代は50年代の初期。ですからアメリカとのベトナム戦争には至っていません。仏領インドシナと言われた時代です。トーマスはちょっと怠け者のジャーナリストで、雇い主のロンドン・タイムズにろくな記事を送っておらず、帰国命令が出ます。何をしているかというと、ベトナム人の愛人を囲って、阿片を吸いながら悠悠自適の生活。英国には離婚に応じない夫人がいます。この夫人というのがカソリックで、何となく作者が自分の話を織り込んでいるような気配も感じられます。

そこへアメリカ人の眼科医アルデンがやって来ます。これがフレーザー。出で立ちはテレビ・シリーズスーパーマンのクラーク・ケントのようで、当時はクール、現代では野暮ったい眼鏡をかけ、やや太め。ロイ・ジェームズと大橋巨泉を合わせたようなイメージです。東南アジアのトラコーマを調査しているんだとか。日本にもきっとこういう場所があったのでしょうが、サイゴンにも西洋人が出入りするクラブやホテルがあり、そこには長期滞在中の欧米人が毎日集まって、ある種の社交界を作っています。西洋人はこういう風にカフェに座るのが好きなようで、他の映画を見ると北アフリカ、中米などでもこういうシーンが出て来ます。

当時はまだ人種に関しては現代のようにリベラルではなく、西洋人は自分が上だと確信しており、現地のアジア人もそれを容認している状態。その上現地の人が西洋人の愛人になっているとなると、それだけでも上下関係がくっきりと浮かび上がって来ます。この映画はそこをきめ細かく描写していて、その点がそこいらの映画と違います。主演男性2人に恋われるプリマドンナのベトナム女性はただ可愛い顔をしている現地の女性という役ではなく、家庭の事情からトーマスに身を任せることになった人。しかし蝶々夫人的なステレオ・タイプの大悲劇にせず、彼女や姉の打算もちらりと見せるなどデリケートな演技をします。このあたりはこの作品の強みです。この女優さんはなんと発音したら良いのかわからないのですが、Do Thi Hai Yen という名前です。あるサイトに「美人ということになっているがちっともきれいじゃない」とありましたが、私の目にはこの女優さんがしとやかで美人に映りました。ちなみに私には同じフオンという名前のベトナムから移住して来た友達がいて、引っ越してしまうまでよくおしゃべりをしていました。彼女も気立てが良く、目を見張るような美人です。しかし同じ国から来たご主人はそういう風には考えていなかったようで、美醜というのは主観が左右するのだなあと改めて思いました。

西洋人の愛人になっている東洋人女性という立場を上手に表現している映画は珍しいです。世界情勢の具合から元々上の立場に立ってしまっている西洋人にはベトナム人女性の複雑な気持ちは分かりにくいでしょうから、原作者や映画監督が同じ西洋側なのによく・・・と感心しました。そして同じ東洋人の側でも男性と女性ではまた見方が違うでしょう。男性には自国の女性をよそから来た男に取られるという感覚が浮かんで来ることもあるようです。これは自然な感情ですが、女性の見方とはまた少し違うようです。女性の側に立つと、西洋人の愛人になることで同胞の女性からある種の軽蔑の視線を受けると感じる人もいるようです。この人たちの生活が割に豊かだということでハイ・ソサエティー的な感情も混ざります。日本に当たり前のように外国人が来るようになってからは、そういう引け目のようなものは消えたようですが、50年代、60年代ぐらいまでは、なかなか複雑だったようです。こういう事情は近隣の国でも、どの時代までという差はあっても多かれ少なかれ似ているようです。グリーンの原作をまだ読んでいないので、脚本家、監督の功績なのか、作者の功績なのかは分かりませんが、このあたり女性の視点を取り入れています。

初老の西洋人の立場をマイケル・ケインが名演技で表現しています。本国に夫人がいるものの、夫婦仲は円満でなく、現地に愛人を囲っています。それは友好的な関係ではありますが、彼には本当の愛情でないことも良く分かっています。そして自分がそう若くないということも自覚しています。植民地主義的に上下関係を剥き出しにせず、親子に似た思いやりと、愛人としての関係のバランスをフレーザーが現われるまで上手に保っていました。ケインは迫真の演技をしているのですが、そこはベテラン俳優、前半はさらっと流し、後半のクライマックスまでエネルギーを貯えておきます。

ブランドン・フレーザーはアメリカ人の典型といった陽気で単純な路線。知り合いの囲っている愛人に横恋慕(昔はこういう言葉を使ったそうです)。変にアメリカ的なフェア・プレー精神があり、横取りする相手のケインに「取るぞ」と断わりに来ます。そして本人も呼んで三者会談。これってベトナム人女性は戸惑うだろうなと思います。感謝や忠誠心だけから言っても「ハイ、それでは」と言って男を乗り換えることはできない。フレーザーは、しかしケインと違い、フオンをアメリカに連れて行って正式の花嫁にするつもりでいます。ここが英国人と違うところ。当時の英国ですと、ケインが夫人と離婚して彼女と結婚しても、ロンドンの社会はそう簡単に受け入れてくれないでしょう。その点、アメリカは広々していて、1つの町、社会でうまく行かなくても、よそへ行けば何とかなるという希望を持たせる国です。

ジャングル・ジョージハムナプトラ的な単純さもフレーザーの持ち味ですが、こういう人が複雑な役をやると、余計効果が大きいです。そうです。彼には秘密があるのです。その秘密の行動とフオンに関するおおっぴらなフェア・プレイがアメリカ人の両面を表わしていてシンボル的です。そういう風に両面を持った国だということです。

トーマスは息子のように感じのいいアルデンにフオンを取られる覚悟は一応してみたものの、あっさり持って行かれるのは悔しい、それに別居中の夫人とロンドンで暮らすのは性に合わないというわけで、これまで怠けていたのに急に決心して、ちょっと危なそうな北ベトナムへ出向きます。フランス軍について行って現地の人が虐殺の犠牲になった現場に入ります。するとどういうわけか眼科医のアルデンとばったり。

フランス軍は徐々にベトナムから手を引き始める頃で、アメリカはまだ60年代ほど進出していませんが、徐々に顔を出し始めます。ベトナム国内には共産主義系の軍人も現われます。前の記事が本社からちょっと認められ、更に取材を重ねるトーマスはカンボジアとの国境近くまで軍人にインタビューに行きます。するとどういうわけか眼科医のアルデンがこんにちは。しかもトーマスには危険に見える場所をアルデンは自由に歩き回っています。

フランス軍について虐殺の現場に行った時「フランス軍は農民を殺していない、共産軍もそういう事はしない」と聞かされていたトーマスはたくさんの死体を見て考え始めます。英国人の新聞記者は仕事は怠けていても目はばっちり開けていますから、アルデンにも何かあるなという感じます。そうなるとジャーナリストは頭のめぐりが早い。その上トーマスは現地で出来のいいアシスタントを使っています。演じているのは香港系の中国人。独自の調査をしているうちにアルデンがアメリカ政府の命を受けて行動しているらしいことが分かって来ます。まだ CIA と呼ばれる前の諜報機関。なるほど、グリーンらしい・・・。

この先は書きませんが、結末は冒頭のシーンです。なぜああなっちゃったのかが謎 です。地味な作りですが、佳作。俳優はいい所を目立たないように出しています。渋い。

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