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2004 USA 132 Min. 劇映画
出演者
Clint Eastwood
(Frankie Dunn - ボクシングのトレーナー)
Morgan Freeman
(Eddie Scrap-Iron Dupris - かつてのチャンピョン、フランキーのジムの雑役係)
Hilary Swank
(Maggie Fitzgerald - ウエイトレス)
Margo Martindale
(Earline Fitzgerald - マギーの母親)
Riki Lindhome
(Mardell Fitzgerald - マギーの妹)
Marcus Chait
(J.D. Fitzgerald)
Jay Baruchel
(Danger Barch - フランキーのジムでトレーニングするボクサーの卵)
Mike Colter
(Willie Little - フランキーが教えているボクサー)
Lucia Rijker
(Billie - フランキーが教えているボクサー)
Benito Martinez
(ビリーのマネージャー)
Brian F. O'Byrne
(Horvak - 牧師)
Bruce MacVittie
(Mickey Mack - マネージャー)
Tom McCleister
(弁護士)
見た時期:2005年3月
日本が嫌いだという噂もあるイーストウッドが石原知事を訪れ、映画撮影の理解を求めるという正統派の根回し。こと仕事となるときちんとやる人です。
この日見る予定だったロボッツが子供用の時間帯にしか上映されず予定が狂ってしまい、見たのが大人向きのこちらの作品。ボクシングというのは私の好きな種目ではありません。私が好きなのはアイス・スケート。しかしボクシングの映画は何本か見ており、なかなかいいと思ったのはアリ、とガールファイト。ミリオンダラー・ベイビーもその列に並びます。ただボクシングでがんばるという話ではなく、ボクシングをやることがその人の人生にどういう意味があるのかという話なので、種目はボクシングでなくてもいいのかも知れません。
★ ストーリー
カツカツで何とか食いつないでいるボクシング・ジムのトレーナー兼持ち主がイーストウッド演じるフランキー。かつてかなり上まで行ったけれど目を傷つけて引退し、今はフランキーのジムを手伝っているのがフリーマン演じるスクラップ。2人とも家族と言える人はほとんどおらず、お互いが家族のようになっています。
ある日ボクサーとしては盛りを過ぎた年齢の、しかも男でなく女のマギーがジムに入って来ます。マッチョ男のフランキーは教えることを拒み続けますが、スクラップは彼女の熱意に感心し、時々ちょっとコツを教えてやります。マギーはホームレス寸前の貧乏暮らし。子供の頃からウエイトレスとして食いつないでいます。フランキーは彼女に才能など無いと決めつけてハナから相手にしませんが、マギーの方はフランキーにトレイナーとしての才能があると思い込んで強引に売り込んで来ます。
暫くはスクラップだけが相手をしていましたが、やがてフランキーもほだされ、教えると言い出します。やるからには本気という主義のフランキーはマジで教え始め、マギーは頭角を現わして来ます。4回戦試合では1ラウンドの始めにあっという間に相手を倒してしまい、対戦相手全体に嫌われ評判が悪くなります。それでも何とか乗り切り、次は6回戦試合をこなして行きます。徐々に腕を上げ、国際戦、果てはチャンピョンシップにまでこぎつけます。そこまで来るにはフェアプレーだけでなく汚い試合も勉強。教えてくれるのはフランキー。
両者の家庭の事情もあって2人は最初の仲違いはどこへやら、どんどん仲良くなって今では親子に近くなります。
★ 家庭問題
2人の家庭の事情ですが、フランキーの方には連絡しても一向に応えてくれない娘が1人。離婚したのか、結婚しなかったのか、それ以外の家族は登場しません。教会に毎日通っていますが、牧師とは見解の相違が大きく、来るなと言われます。それでも出掛けて行き、喧嘩を吹っかけるフランキー。神を信頼していない男にはあまり来てもらいたくない牧師。マギーは父親を早く亡くし、母親、妹、その子供などがいます。3人が住んでいるのはトレイラーで、自分も貧相なアパート暮らし。フランキーが相手の戦術の勉強にビデオをあげても、テレビが無いので見ることもできません。食事はレストランで客が残した肉を、犬にやるのだと言いながらこっそり持ち帰って食べています。マギーが賞金を稼ぐようになり、家を買って母親にあげようとしても、母親は生活保護が止められる、現金をくれるべきだったと喜びもしません。そんな現場に立ち会ったフランキーはマギーを以前より理解し始めます。父を早く亡くしたマギー、娘とうまく行っていないフランキーはぴったりのコンビになり、どんどん勝ち抜いて行ったのです。
★ 重症
いよいよチャンピョンとの対決。ドイツ人ということになっていますが、全然ドイツ人に見えない女性が出て来ます。しかしチャンピョンには見えます。出て来るなり全身で戦いを挑んでいるというのがありありと分かる存在感。汚い手にも慣れています。そこでフランキーもマギーに汚い手を使うようにアドバイス。審判の見ていない所ではお互いやりたい放題。そして最初は形勢不利に見えたマギーが持ち直して来ます。チャンピョンは1度反則をやり警告を受けた後、また反則をしたので減点。休憩の時に怒って、審判が後ろを向いている時に殴りかかります。不意をつかれて倒れた所に椅子があり、マギーは首の骨を骨折。スーパーマンとほとんど同じようなことになってしまいます。
病院に担ぎ込まれリハビリなど力を尽くしますが、麻痺した体は元に戻らないと判明します。高額の入院費はボクシング協会の保険があるので心配無いのですが、生き甲斐を無くしたマギーを慰めるのが大変。フランキーは新型の車椅子を用意し、大学の入学を勧めます。一方母親、妹などが弁護士を連れて来て、マギーに書類のサインを迫ります。マギーの財産を思いのままにしようと考えたのです。近くの他人フランキーの方が、身内よりずっと彼女のことを気遣っています。絶望し切ったマギーはフランキーに殺してくれと頼みます。フランキーにはそれができません。するとマギーは自分に残された最後の手段として自殺を試みます。失敗。それを見てフランキーは決心を固め、マギーの希望をかなえてやります。
当事者でない私はフランキーが大学進学を薦めた時、いいアイディアだと思いました。しかしそれは他の人間が考えること。マギーは何も持っていなかったところから自分の努力で欲しいものをすべて得、それを楽しむ時間も無く、奈落の底へ転落。これからどんなにがんばっても元に戻ることはできないと悟り、死ぬ決心をしたのです。これはキリスト教に縛られている西洋人に取ってはかなり難しい問題でしょう。フランキーが学校を薦めたのは彼女が頭脳を活動させて、自分の境遇を多少でも明るい方向に持っていけばという試みでもあり、スクラップを除けば唯一の友達、家族の代わりのマギーを失いたくないということでもあったのでしょう。どちらかと言えば自分の都合が優先していました。それが、マギーの自殺未遂の後には自分よりマギーの立場で考えるようになり、彼女の望みをかなえようということになります。スクラップもその辺は十分理解し、止めません。フランキーのやった事は頼まれたとは言え殺人。警察の手が回る可能性はあります。しかし大切な人を失った今、自分が捕まるかどうかはさほど大きな問題ではないのでしょう。姿をくらましますが、マギーが好きだったケーキを出す店に顔を出します。ハードでクールな男と、どうしようもなくロマンチックでセンチメンタルな男が1人の人間に同居しているという役はイーストウッドの十八番。この後彼がどうやって生きていくか、あるいは自殺をするのか、そこは分からないまま終わります。大切にしていた人間を尊重して・・・のくだりはマディソン郡の橋とも共通するテーマです。
偶然ですが、これがオスカーと決まって約1か月後にアメリカで安楽死の問題が起きています。州知事まで登場し、何度も裁判が行われた結果、裁判所が生命維持装置をはずしてもいいという決定を下しています。この女性はダイエットのし過ぎで体調を崩し、そのまま昏睡状態に陥ったのだそうですが、それからもう何年にもなり、脳が破壊されている可能性が指摘されていました。で、生前本人が言っていたように尊厳死を認めようというのが夫の見解。それに対して、まだ希望があるからと生命維持を続けようというのが両親の見解。ご主人には患者の世話を怠ったなどといくつかの訴状で追い討ちが掛けられているそうです。難しい問題だというのはミリオン・ダラー・ベイビーを見なくても分かりますが、たまに奇跡のように昏睡状態から覚める人もいるので、判断がしにくいです。
後記: この女性はその後維持装置をはずし、死亡。リンカーン・ライムのように生き甲斐となる道が見つかった人の場合、生きていて良かったという事になりますが、無理に生きるように言われて生き甲斐が見つからない人が100%人を頼らなければならない無念さも理解できます。すべての場合ケース・バイ・ケースで状況が違いますし、本人がその時絶望していても、後で何かいい事が起きるという場合もあります。北野武が、怪我で引退した男が入院後大分経って絵画に才能を示したというエピソードを入れていましたし、この間の輝ける青春でも、仕事中に負傷した警官が後でかなり回復し、車椅子で結婚にこぎつけるというエピソードがありました。そういうめでたい話が、怪我をした人の何パーセントに当たるのかは分かりません。マギーの今後を神の意思にゆだね切ってしまうのがいいことなのかというのはイーストウッドが観客に示している疑問点です。時には神が無力なこともあるという意見が見え隠れします。高齢で、病気で、苦しくても生きて職務を果たすぞという気概を見せているローマ法王といい対照になっていますが、病気や怪我の種類、状況によってできる事とできない事と、こうだと言える事と言えない事があります。この作品が難しいテーマに取り組んだということは確かで、作った甲斐はあったと思います。
後記: ローマ法王もアーメンと最後の言葉を残し死去。全体に暗い話で、見終わっても笑う気にはなりませんが、悪い後味は残しません。コメディーとのコンビでしたが、ミリオン・ダラー・ベイビーを後で見たのは運が良かったです。
さて、これがオスカーに値するかが問題。悪い作品で無いことは確かです。しかしもっといい作品もあると思います。最近の受賞作を見ていると、やや内容が軽くなり、「主演が汚れ役をやったり、つけ鼻をつけたり、体型を大きく変えたりするとオスカーが飛んで来る」と文句を言う俳優まで出ました。今年に限って言えばアビエーターとの対決でミリオンダラー・ベイビーに軍配が上がったのは納得できます。しかしそういうことならサイドウェイだって悪い出来ではありませんでした。地味だから、派手だからということで決まらず、地味な作品にも賞が行くというのはうれしいことです。そしてあまり奇をてらっていない作品の中から選ばれたという意味でも今年は良かったと言うべきなのかも知れません。
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