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2009 USA/Neuseeland 112 Min. 劇映画
出演者
Sharlto Copley
(Wikus Van De Merwe - 多国籍政府の人間)
Vanessa Haywood
(Tania Smit van de Merwe - ウィークスの妻)
Marian Hooman
(Sandra Van De Merwe - ウィークスの母親)
Johan van Schoor
(Nicolas Van De Merwe - ウィークスの父親)
Louis Minnaar
(Piet Smit - 多国籍政府の主任担当者、ウィークスの義父)
Jason Cope
(Grey Bradnam - 多国籍政府の支局長,
Christopher Johnson - エイリアン、二役)
William Allen Young
(Dirk Michaels - 多国籍政府の最高責任者)
Jed Brophy
(James Hope - 警官)
David James
(Koobus Venter - 大佐)
Eugene Khumbanyiwa
(Obesandjo - 武器商人)
Mandla Gaduka
(Fundiswa Mhlanga - ウィークスの助手)
Kenneth Nkosi
(Thomas - 多国籍政府の警備員)
Nathalie Boltt
(Sarah Livingstone - 大学の社会学者)
Sylvaine Strike
(Katrina McKenzie - 医師)
Stella Steenkamp
(Phyllis Sinderson - ウィークスの同僚)
Tim Gordon
(Clive Henderson - 大学の昆虫学者)
Jonathan Taylor
(多国籍政府の医師)
見た時期:2009年8月
★ サッカー世界選手権の開かれる前に
南アフリカと映画の結びつきはまだまだ希薄です。ちょっと考えて頭に浮かぶのは、ジャレット・レトとシャーリーズ・セロンの名前。最近ではネルソン・マンデーラの伝記。いよいよ出番かと思ったらその通り出番だったモーガン・フリーマン。
南アフリカ製の映画は世界に大々的に出回っているわけではありませんし、南アフリカを扱った作品も少ないです。しかし映画という点では南アフリカは僻地ではありません。インドやアメリカのような映画大国ではありませんが、その気になれば映画中国にはなる可能性があります。チャイナの中国ではなく、大国と小国の間の中国です。
なぜそんな事を言うかと言うと、インフラは簡単に整うからです。わざわざハリウッドやロンドンまで出て来て映画を作るつもりなら僻地です。しかし地球儀をひっくり返して見ると、すぐ近くにニュージーランドとオーストラリアがあります。ニュージーランドはご存知ピーター・ジャクソンの国。オーストラリアはニコール・キッドマン(たまたま生まれたのはハワイですが豪州人)の国で、ケイト・ウィンスレット(英国生まれですがピーター・ジャクソンの作品で有名になった)、ヒース・レジャー、ヒュー・ジャックマン、フーゴ・ウィーヴィング(たまたま生まれはナイジェリアですが、オーストラリアで活躍)、ガイ・ピアス(英国人ですが、オーストラリアの作品で名を上げた)、メル・ギブソンなどがオセアニアに関わりながら活躍しています。オスカーのジェフリー・ラッシュもこちらの人。そしてマトリックスはオーストラリアで撮影されていますし、指輪物語はジャクソンの故郷で撮っています。
つまり南アフリカが映画を作る気になればちょっとお隣さんのスタジオを借りればよく、俳優が必要ならオセアニアに演技力が期待できる俳優がごろごろいるということです。もしまだ映画を作る準備が整っていないのなら俳優学校に人を送ってもいいでしょう。わざわざ遠い国に行かなくても取り敢えずは何とかなるわけです。ただ英国の影響が強くなるかも知れません。
兆しが見えたのが第9地区です。投資をしたのはアメリカとニュージーランドですが、作品の舞台は南アフリカ。この国はアフリカーンという私でも何とか意味の分かりそうな言語の他に英語も通用する国です。ですので、作品ができたらすぐオセアニアに売ることが可能です。今後に期待しています。国を舞台や素材に使わせるだけではなく、独自の作品がいくつもできる日が来ればいいなと思います。
アパルトヘイト終了後何もかもが新しい政権に取っては初めてのことで、多くの問題も抱え、早い発展はありません。しかし中国のように共産主義体制のまま経済だけ無理やり資本主義に猛進するとひっくり返る危険も大きいです。苦しみながらでも自分のペースで発展するのがいいのではと私には思えます。まずは1人、2人世界的に有名な俳優を出し、オスカーなどを記念品として国に持って帰り、ちょっとずつ景気をつけ、次に例えばサッカーなどの催しをやり、といった感じで少しずつ世界に入って行くのがいいと考えています。大変だとは思いますが、無理をしないのが賢明です。行ったことはありませんが、自然には恵まれていると聞いています。豊かな国になる可能性を秘めているようです。
★ ドイツでは最初
第9地区のドイツ初公開はファンタで、2009年もベルリンは映画祭のトップを切っていました。なので私たちがドイツでは1番早く見たことになります。一般公開は9月に入ってからで、カットされたシーンがあったのかは分かりません。ファンタではカットしません。
★ 作品全体の雰囲気
まあ、元から主観的な視点で書いているわけですが、第9地区を見てふと思い出したのが未来世紀ブラジルでした。SFだというだけで、それ以外の話は全然違うのですが、未来世紀ブラジルの主人公のサムと第9地区の主人公ウィークスから似たような印象を受けました。多分冒頭は能天気で、最後は深刻な状況になって行ったからでしょう。
★ 賛否両論
第9地区は賛否両論はっきり分かれる作品です。賛が多数派で、否は今のところ私1人ぐらいです。とは言っても枠になるストーリーの設定には独創性があり、その辺は文句ありません。私がアレルギーを起こしてしまったのは描写の方です。監督にはそれなりの考えがあって、ああいう描写にしたのでしょうが、このところ体調が良くない私には笑ってやり過ごす元気がありませんでした。
今年(2009年)は「こんな意見を持っていいんだろうか」といくらか気にしながらのファンタでした。珍しく私と主催者の意見が分かれ、私は今年は弱い作品が多いと感じ、主催者は「今年は強力な作品ばかりだ」という意見を吐くことが多かったです。主催する側としてはまさか「弱い作品を集めて来た」とは言えないでしょうが、それでも強力な作品が無い年というのはあるでしょうし(主催者が映画を撮っているわけでないので私なら責任は問いません)、そういう時に無理をして「今年は強力な作品ばかりだ」と言わなくてもいいのではないかとも思いました。
友人、知人の間では一般的に「最初の数日は弱い」という意見が多く、3日目、4日目あたりから「盛り返してきたかな」という声がちらほら聞こえました。盛り返すということはそれまでは弱かったという意味になります。
ま、いずれにせよ私は主催者が悪いとは思っていません。アジアを見ても、アメリカを見ても今年は佳作と呼べる作品が少なかったですが、それはファンタの外の世界も同じ。ちょっと前まではただ券の懸賞があるとせっせと応募していましたが、昨今あまり食指が動かず、そのため電話するために指を動かすのも面倒だと思うことがあります。巷がこうなのですから、ファンタが同じ傾向を示しても当然と思います。
ぱっとしない作品が多かったですが、今日ご紹介するのはぱっとする大駄作です。
「ぱっとする」のは舞台が珍しく南アフリカで、荒れ果てたスラムが物凄い規模で広がり、その空中撮影がちょっとした迫力だからです。のっけから激しい戦闘シーン。登場するのはガンダムのような宇宙人と特殊部隊の兵士。激しいやり取りがあります。その迫力は尋常ではありません。
大駄作と言うのは、それほどの手間隙かけて、後ろにピーター・ジャクソンという大物の協力を得、とんでもなくお粗末な筋の作品を作ったからです。
★ 独創的な設定
☆ 場所
メジャーの作品には珍しい国、南アフリカ。ニュージーランドからですと近いのですが、私たちはつい、ハリウッド、インド、中国、欧州などを中心に考えてしまうので、珍しい土地を舞台にしたという気がします。
その南アフリカはヨハネスブルクのスラム。このスラムは30年ほど前に作られた居住地で、居住地を与えられた時点で既に粗末な家しか無かったようです。その上放置されたので、完全にスラム化しています。
☆ 時
現代からさほど遠くない未来の設定で、物語が始まる時からさかのぼることおよそ30年、1980年代初頭のある日南アフリカ上空に100万近いエイリアンが乗ったUFOが飛来したということになっています。
☆ やって来たのは
・・・確かにエイリアンです。地球まで飛んで来られるような平たい宇宙船を持っており、科学的には地球より進んでいます。凶暴なわけではなく、どちらかと言えばMIB を思い出させる生物です。30年のうちに南アフリカ人とはコミュニケーションができるようになっています。
他のエイリアン映画とがらっと違うのは、その100万を越えるエイリアンが病気で、生きるのがやっとという状態で到着したという点です。宇宙船も故障しています。地球人よりはインテリで、弱っていて、凶暴性の無いエイリアンが南アフリカのスラムに集められ、居住しているというのが最初のシーンです。そこは第9地区と呼ばれています。
スラム化した場所ではよからぬ外国の商人(ナイジェリア人ということになっています)とよからぬ取引をするエイリアンが現われたり、乱暴狼藉を働くエイリアンが現われたりします。問題だと思った南アフリカ人は居住区移転計画を推進します。几帳面にも移住に際して書類にエイリアンの直筆の署名が必要で、多国籍政府のメンバーのウィーカスが署名を集めて回っています。
★ あらすじ
冒頭に南アフリカとエイリアンの立場が説明され、署名を集めて回っている男、ウィーカスがどういう男かも描かれます。表面だけ取り繕った親切そうな態度、実はエイリアンを侮蔑する言葉を平気で吐く男、その上立場を利用して、実はエイリアンが持っていると思われる進んだ兵器の作り方を盗んでやろうとたくらんでいることなどが分かって来ます。
エイリアンが刃向うと特殊部隊が出て来てバンバン撃ちます。彼らを始め人類は宇宙人というものはいずれ攻撃して来るものだと考え、準備万端整えています。しかしこれまでの30年間地球に住む宇宙人は攻撃をしておらず、南アフリカの上空にある宇宙船もそこに浮かんだままです。トラブルは上に書いた規模の狼藉や闇市程度です。南アフリカのみならず世界中が「今後どうなる」と注目したまま30年が過ぎていました。
宇宙人は少なくとも宇宙船を地球まで飛ばして来るぐらいの科学力があり、地球より勝っています。彼らが持っている秘密兵器も、地球を凌ぐ科学の進歩が見られるだろうというので、そのレシピを掠め取ってやろうと考えているのがウィーカスたちの団体。しかし武器は宇宙人の DNA に関係のある機能を持っていて、単に作り方を盗んだだけでは役に立たないことまでは判明していました。
ところが仕事の途中ウィーカスはなにやら得体の知れないスプレーを浴びてしまい、何かに感染してしまいます。 暫くすると彼の体の一部がエイリアンと化していました。そうなると彼自身も一般の街中に現われては行けない、宇宙人が閉じ込められているゲットー、第9地区に居続けないと行けません。彼の立場は一瞬の内にこれまでと逆になってしまいます。
それからは立場の変化、彼自身の変化、彼の考え方の変化が続き、物語が進んで行きます。後半は彼の体の変化が進み、彼自身宇宙人の科学の助けを借りないと元に戻れない体になってしまいます。これまで同じ側にいた人たちに追われる身にもなってしまいます。彼を救えるのは宇宙人。しかし時間がかかるのです。
幸いなことに酷い仕打ちを受けてもまだ善意に満ち、体が変化し始めたウィークスを助けようとしてくれるエイリアンがいます。クリストファー・ジョンソン(エイリアンなのにこういう名前がついている)といい、長い間壊れている宇宙船を何とか修理しようとつとめていました。
★ 考えろと要求しているのか
作品は難民を受け入れている国などに対して問題提起をしています。ただ、大きな穴が空いています。地球上の難民は、同じ人類が作り出した人たち。いきなり自国に外国軍が攻め入ったりしてそこでまともな生活が出来なくなった人たちが外国に流れ出したり、大きな経済格差が生じて豊かな国に人が流れるような原因は人類自身が作ったので地球人自身に責任があります。宇宙人に予期せぬ来訪を受けた南アフリカ人、あるいは多国籍国家の兵士たちは宇宙人の来訪に責任があるわけではありません。根本のところが大きく違っているので、「この映画を見て考えてちょうだいね」と言われても「元が違っているんじゃないの」と思わざるを得ません。
もう1つ話題にもならない問題も提起しています。自分たちを殺すような相手を前にしているのか、平和的、友好的に共存して行ける相手なのか、病気が治ったら他所に行くか、故郷に戻りたいと思っている宇宙人なのかよく確かめていない点です。50年代から30年近くアジアで起きていた紛争を見ると、平和な国民性を持った国が巻き込まれており、なぜこういう国が戦場になったのか理解に苦しむことがあります。こちらの点は第9地区を紹介する報道を見ても問題にされていません。しかし優位に立っている方が被害者意識を持ち、弱い立場の者が敵にされてしまう図式を意図してかせずにか示しています。
★ 珍しく退席したくなった
私はどんな作品でも最後まで見ることを原則としています。アホな作品でも、えげつなくても、何かしらの思想が含まれていてそれが一方的な主張でも、とりあえずは最後まで見て、ちょっと時間を置いてから感想らしきものを捻り出します。
ところが第9地区を見ていて、前半でもう外に出たくなってしまいました。座っていた場所がかなり中央だったのでそれができず、時々目をつぶっていました。
別にこの作品には下品なシーンがあるわけでもなく、残虐なシーンが出て来るわけでもありません。かなり映画を見慣れている私は多少極端なシーンがあっても、嫌味たっぷりのシーンが出て来ても取りあえずは静かに見ています。
なのに居たたまれなくなり、目をつぶった原因は暴力です。
その暴力もファンタ常連の私は結構慣れています。今年のファンタにも暴力作品は来ていましたし、アレックスに至っては退席者が続出という作品でしたが、私は映画が伝えようとしている内容に不可欠なシーンだと結論付けています。
第9地区では攻撃するのは武装した S.W.A.T. と兵士を組み合わせたような特殊部隊。彼らは強くてあまりやられません。血が飛び散り内臓が出て来るなどというどぎついシーンはありません。そして暴力を受ける側はガンダムと MIB のエイリアンを組み合わせたようで、観客の受ける印象は「ロボットが壊れた」程度。アニメか特撮映画で怪獣がやられるのと似たような感覚です。ですから暴力映画と名づけることはできません。
ところが私は画面にはっきり見える暴力映画をはるかに越えたショックを受けてしまったのです。そのため上映中もその後の休憩中も家に帰って休養した方がいいのではないかと思ったぐらいです。たまたま次にフランスの漫画を見て笑うことができたので、その後回復しましたが、第9地区を見ている間、その後は自分の体が麻痺したような、病気になったような気分でした。
★ 何が私をここまでグロッキーにしたのか
特殊部隊がエイリアンを攻撃する時の強い意思が伝わって来たためではないかと想像しています。それを力強く描けた監督は優秀なのかも知れません。入っては行けない場所に恐ろしいボルテージの気合が入っていて、「人類は何が何でもエイリアンと戦争をし、叩き潰す」という真剣さが伝わってしまったのだと思います。 MIB もよく考えると似たようなテーマを扱っていましたが、ユーモアを交え、主演の2人がその辺をよく分かって演じていました。なので、観客もリラックスして見ていられたのだと思います。
ところが第9地区では狂犬を目の前にしたような、どんな理屈を言っても、何を証明しても無駄、一直線の狂気、一直線の暴力が伝わって来たのです。こういう感想を持ったのは仲間内で私1人だったようで、たいていの友人、知人は規模の大きい特殊撮影に感心していました。
★ 監督は何を
もしかして監督が暴力の虚しさを訴えようとしていたのだとすれば、私には正しく伝わったのだと思います。監督は成功したのだから喜ぶべきでしょうか。
あまりたくさんの映画を見たので感覚が麻痺していると思っていた私は、この直接斬り込んで来る表現に強く反応。それは感覚が麻痺していない証拠なので、私は喜ぶべきでしょうか。
「未知の相手は襲って来るものだ」と思い込んでいる人類に冷水を浴びせるつもりで作ったのだったら、ガンダム風エイリアンとの戦闘シーンに熱狂している観客の反応はちょっと的を外れてしまうのではないでしょうか。
宇宙から突然訪問者が来て、たまたまそこに以前から住んでいた南アフリカの人たちと、地球上で押し寄せて来る(地球人自身が作った)難民の話では原因、結果が全く違うのに、それを比べてしまう人が出始めています。
★ 夢かなったのに
かなりお金をかけてあるようですし、監督と後ろでサポートしたジャクソンはかなり時間をかけて話し合って作ったようです。特撮も一流です。そして冒頭にチラッとご紹介しましたが、南アフリカのゲットーのシーンも大迫力です。お金、人材はかなりのレベルです。
しかし、まてよ。ピーター・ジャクソンと言えばエイリアンが大好きで、週末数人の友達と一緒に手作りのセットでカメラを回していた人。あのジャクソンが夢かなってこんな大掛かりな作品に協力している。なのに筋がよじれている。一体どうなっているんだろう。
こんな風に考えたのは仲間内では私だけだったようでした。
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