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ファイナル・カット /
The final cut /
Final Cut /
La memoria de los muerto /
The final Cut - Dein Tod ist erst der Anfang /
Violação de Privacidade

Omar Naim

2004 USA/Kanada/D 95 Min. 劇映画

出演者

Robin Williams
(Alan Hakman - カッター)

Casey Dubois
(Alan、9歳)

Johnna Wright
(アランの母親)

Bart Anderson
(アランの父親)

Liam Ranger
(Louis Hunt - アランの友達、9歳)

Peter Hall
(Louis、成人)

Mira Sorvino
(Delila - 古書店経営者、アランの友達)

James Caviezel
(Fletcher - 元カッター、現在反対運動家)

Stephanie Romanov
(Jennifer Bannister)

Michael St. John Smith
(Charles Bannister - 人生記憶チップ会社の重役)

Genevieve Buechner
(Isabel Bannister)

Joely Collins (Legz - 刺青屋)

見た時期:2009年1月

2004年ベルリン映画祭コンペ参加作品

ベルリン映画祭に出たのにドイツではあまり有名にならなかったのですが、DVDが出ており、遅れ馳せながら見ました。優秀な作品で、コンペに選ばれるだけの力があります。2004年と言えばヘルボーイが出た年で、大掛かりなブロックバスター作品と、こじんまりとした輝く佳作のたくさん出た年です。またソウの1作目もこの年に出ています。韓国からも話題作が出ており、映画の年としては豊作。

かなりの数見る私たちですが、良い作品を見過ごしていたと改めて気づいた次第。主演は2年前のインソムニアなどコメディーの横でシリアス・ドラマにも乗り出したロビン・ウィリアムズで、キリストを演じたジム・カヴィーゼルも出演しています。注目はロビン・ウィリアムズで、押さえの効いた堂々たる演技です。

監督はこれがデビューなのですが、信じられないぐらい完成度が高いです。ウィリアムズを上手に使いこなしていますし、脚本はしっかりしていますし、カメラ、美術、ロケなどもベテランの域に達しています。あまり人に知られなかったのが不思議です。興行成績は悪かったようです。

興行成績はまあ、私たちには関係の無い事。どさくさ紛れに付け加えると、私個人のお楽しみもあります。ベルリンがロケに使われていて、知っている場所が出て来ます。

★ ストーリー

ストレンジ・デイズという作品に出て来た、闇で取り引きされる機械がありましたが、ああいう感じの物が合法的に一般商品として売られている近未来が舞台です。自分の記憶を誕生の時から1つ残らず記憶するために小さな記憶装置を体内に生め込むことがファッション化していました。やらなければ行けないという性質の物ではなく、韓国の両親が娘のために整形手術の費用をプレゼントするのと似た現象です。

記憶装置にはその人の一生の全ての記憶が保存されます。死亡するとカッターという職業の人が雇われ、葬儀を執り行う遺族のためにその人の人生が2時間半ほどに編集されます。家族の意向に合わせてその人の良い面だけを並べ、暗い部分はカットしてしまいます。上流階級の人から引っ張りだこのカッター、アラン・ハックマンを演じるのがロビン・ウィリアムズ。彼は遺族の意向に細心の注意を払い、亡くなった人の良い面を上手に並べ、すばらしいビデオを作ります。

上流の人が好んで装置を注文するのに対し、一般市民にはモラルの面から反対者が多く、デモもよく起こります。極悪非道の人間も葬儀の日には善人として葬られるためです。アランは自分は生前の人の悪を洗い流す役割を担っていると考えるようにしています。三途の川を渡る前に負担になる積荷はおろさせてやろうということです。仏教徒ですと死んだら皆仏様だと言う人もいます。それと似た心境なのかも知れません。良いか悪いかは別として。

アランは50歳ぐらいに見える男で、独身。親しくしている若い女性がいます。仕事の性質上牧師、弁護士、医師と似た、人の秘密を抱え込む仕事であるため、いささか冷めた人生観を持つに至っています。どんなに良い人に見えても暗い部分があるということを嫌というほど知っているからです。

それだけではなく、自分も子供の時にルイスという少年の死に関わり、高い所から転落したのを置き去りにした過去があり、その出来事にまだ自分なりの決着がついていません。

事件はチャールズ・バニスターの死から始まります。バニスターはアランが勤める装置の会社の重役で、50歳半ばで急死。葬儀にアランが編集したビデオが披露されることになっていて、ちょうど今アランは仕事中。

バニスターの暗い面は娘の虐待。ここは夫人に知らせずに処理しなければなりません。娘はどこか暗い表情。バニスターが生前に行ったパーティーの1つにはアランが置き去りにした少年ルイスと思われる男が中年になって登場します。アランは当時ルイスが死んだものと思っており、ルイスの死に一定の責任があると感じていました。もし生きて中年になっているのなら彼は罪の意識から解放されます。当然ながら非常な関心を持って状況を調べ始めます。

以前はカッターで、その後反対運動に身を投じたフレッチャーは運動の一環として、バニスターのスキャンダルを探していました。バニスターの秘密を世間に暴露して一気に会社を潰してしまおうというのです。折り良くバニスターが死んだので、アランがバニスターの記憶を編集していると踏んで接近して来ます。話し合いの場所はベルリンの電車の駅。ベルリンだという風にはなっておらず、映画を見た人は未来のアメリカのどこかと考えるでしょう。しかしこれはうちの近所も通る電車の駅です。

アランは職業上の原則をこれまできちんと守って顧客の評判を取っていたので、当然ながらフレッチャーの要求は断わります。これまでの人生を正しい事、間違った事と仕分けせず、これが仕事だからと割り切って生きて来ました。

職業上の原則というのは3つあって、
・ カッターは扱う記憶のデーターを売買、譲渡しては行けない
・ カッター自身は装置をつけては行けない
・ カッターは編集をする時にその人以外のデーターを混ぜては行けない
ことになっています。

そのアランに変化が出始めたのはバニスターの家族の記憶からルイスの死に関しての資料が取れそうだと分かってから。これまでずっと心のどこかで怯えながら生きていたアランは、ここで勇気を出して当時の事件に立ち向かい始めます。バニスターの夫人からは聞けませんでしたが、娘からパーティーに来ていたのは娘の先生だということを知ります。名前も確認。パーティーの頃までは間違いなく生きていて、その後事故死したということです。

アランは心の重荷から解放されます。しかしルイスの存在も含めたバニスターの記憶の保存されている記憶装置はアランとガールフレンドのいざこざの最中に破壊されてしまいます。

このあたりからアランの生活は規則からずれて崩れて行きます。まずバニスターの記憶が破損してしまったので、規則を破ってどこかから調達しなければならなくなりました。思いついたのは死んだはずのルイス。ルイスはバニスター一家に出入りしていたので、ルイス自身の記憶はアランに役立ちますし、ルイスの目で見たバニスターはバニスター家の葬儀用ビデオに使えます。

というわけで同僚と2人で規則違反をして会社から記憶データーを盗もうとします。ところが事は思ったように進まず、ルイスの苗字とアランの苗字が両方ともHで始まるためアランは自分の方の資料を見てしまいます。アランはカッターなので装置は身に着けていないはずなのですが、実は両親が事故死する前にアランに装置をつけさせていました。アランにその事を言う前に死亡したため、アランは知りませんでした。それを知ったアランは即座に刺青師の元へ。特殊な刺青をすると装置が記憶をしなくなります。バニスター夫人には機械の故障で記憶が揃わなかったと言い訳します。

アランはルイスの墓参りに行き、フレッチャーと出くわします。フレッチャーはその前にバニスターのデーターを盗もうと会社に押し入っていましたが、その時バニスターのデーターが破損していることを知ります。墓場でフレッチャーはアランの刺青に気づき、アランが見たバニスターのデーターをアランから取れば、バニスターの秘密が手に入ると思いつきます。そのためにはアランは死ななければなりません・・・。

★ 繊細な気遣い

上にも少し書いたように監督はロビン・ウィリアムズに心行くまでシリアスな役を演じさせています。本人は肩の力は抜いていながら堂々たる演技です。インソムニアストーカーの時はまだジャンルを広げるチャンスを得たばかりで、張り切り過ぎ、気合が入り過ぎていた感があります。恐らく長い間コメディーとシリアスの両方を目指していたのに、ハリウッドがコメディアンにはシリアスドラマのオファーをしないため、ウィリアムズにはかなりのストレスになっていたのではと思います。ジム・キャリーも似たような境遇だったのではないかと思います。キャリーはその上アメリカ人でなかったのでウィリアムズよりもう1つ不利だったかも知れません。

しかし素人の映画ファンにはどうしてもコメディアンの方が俳優として1つ上手に見えてしまい、私はウィリアムズとキャリーが早く希望の役を貰えればいいのにと思っていました。インソムニアなどがウィリアムズのシリアス路線の出発だったわけですが、成熟した演技という意味ではファイナル・カットは凄いと思います。

さらにカメラ、ライトなどに隅々まで神経が行き届いていて、こんなきれいな作品はめったに無いという印象です。セットとロケの両方を使っていますが、全体のトーンはSFでありながら、ステンレス、プラスティック、ガラスではなく、木、絨毯、布で、ここが監督の個性の頂点です。コンピューターや液晶のモニターなどが何度も出て来ますが、木製の家具になっています。家屋も未来でありながらベルリンの古いアパートの前などのシーンが多く出て来て、冷たい感じをできるだけ出さないようにしてあります。

人類が個人の記憶にまで手をつけるようになってしまった未来というテーマは背筋が寒くなります。そういう世界で見かけは暖かさのある部屋に住む市民という、これまでの監督が出したことのないコントラストが見られます。人の記憶をいじるという「いいかげんにしてくれ」というテーマと、こんな環境で生活してみたいと思わせる冷たさの見えない贅沢な町。監督は静かなトーンの中で私たちが考えるべき問題を提起します。

トラウマを抱え、これまでずっと何かを主張したり抵抗することをせずに生きて生きたアラン、職業上成功してたっぷり儲けているアラン、それでいて派手な注目を好まず、人の陰でひっそり生きていたアラン。1人の人間の色々な面をとても静かな、誤解の余地の無い演技で示しています。監督の神経の細かさにウィリアムズもしっかり応えています。オスカーにノミネートされてもいいぐらいの出来に見えました。オスカーというのは俳優が会心の演技を示した年をはずす傾向があり、ウィリアムズもこの作品では認められていません。

★ ちょっとした矛盾

バニスターはある意味で極悪人。自分の娘にひどい事をし、他方モラル的に疑問の生じる物を販売して大金をせしめていました。しかしそんな悪事を働くのならなぜ自分の体に装置を埋め込んだのでしょう。全く誰にも口外しないとしても自分と娘は何が起きたか分かっています。その上記憶装置をつけていれば、カッターの目にもとまります。下手をしたら近親者にばれたかも知れません。装置をつけたのならひどい事はしない方がいいですし、自分が悪漢だと思ったらそんな装置はつけない方が話が簡単になったのにとつい思ってしまいました。でも、この矛盾が無ければ映画はできなかった・・・。

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