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Spanien 2013 101 Min. 劇映画
出演者
José Coronado
(Enrique - 首切り人と呼ばれる人事担当者)
Quim Gutiérrez
(Marc Delgado - エンリケの会社の社員)
Marta Etura
(Julia - マークの内縁の妻、妊娠中)
Leticia Dolera
(Andrea - フリアの同僚で友人)
Isak Férriz
(Javier - 元刑事)
Mikel Iglesias (Dani)
Ivan Massagué (Lucas)
Pere Ventura
(Rovira - 死んだマーク勤めるの会社の社員)
Pere Brasó (Carlos)
Lluís Villanueva (Lluís)
Lolo Herrero (マークの勤める会社の警備員)
Xavi Lite (マークの勤める会社の警備員)
Jose Mellinas
Lluís Soler
Jordi Gràcia (Josep)
Pep Sais (専門家)
Chantal Aimée (専門家)
Josep Pla, Xavier Muixí
(いじめっ子)
Jordi Basté (ラジオのDJ)
Abdelatif Hwidar
(マークのアパートに住み着いた外国人の男、父親)
Farah Hamed
(マークのアパートに住み着いた外国人の女、母親)
Lily Morett
(マークのアパートに住み着いた外国人の女の子、娘)
Albert Prat
(Toni - 地下鉄構内の男)
Momo Ballesteros
(Ángela - 地下鉄構内の女)
Cristina Perales (Marta)
Robert Donaldson
(Greg Lafferty - カナダで自殺した少年)
Francesc Pagés
(政府報道官)
見た時期:2013年8月
★ この監督では俳優も困るだろう
どういうわけかビールスの好きな兄弟監督。致死率100%という中で主人公4人だけ感染を免れたフェーズ 6 も枠になる設定が無理筋なので、残りの部分に観客が乗りにくい話になってしまいました。
似たような無理な設定で不発に思えた作品がパーフェクト・センス。まあ、ビールスに感染してゾンビになるのもどうかと思いますが、ラスト・デイズもほんまかいなという話です。
脚本を書いているのが監督兄弟自身なので、責任は全部この2人。
こんな脚本を渡されると困るのは俳優とスタッフ。そういう制約の中で主演の2人はできる限り力を尽くしていると言えます。1人は今旬のホセ・コロナード。もう1人は彼の対戦相手とも言える役のキム・グティエレス
★ 無理筋の物語枠 - どうやって救ったか
世界的にビールスが蔓延するというところまではサースやエボラなどが流行した事もあるのでまあ話に乗ってもいいでしょう。
しかし感染の結果引きこもり症状が起き、自殺をするというのはどうも納得が行きません。数百人が劇場に引きこもるに至っては最初から笑いが洩れます。
そしてその伝染病はついにバルセロナにも上陸。このところ帰宅しておらずムサイ姿になっていた会社員を人事課が解雇。無理やり会社の外に追い出された男がその場で心臓発作を起こして死にます。広所恐怖症というどう見ても伝染病とは無関係の症状を無理に伝染病にしてしまいました。
こんな設定の話をマジで演じなければ行けない俳優が気の毒。
過去にザ・コアというどうしようもない ストーリーがありました。そこに出演することになったオスカー女優と中堅ベテラン俳優の一団。監督も一緒に力を合わせて見事に135分の長編にまとめ、退屈しない心あたたまる愉快な物語に仕上げました。
ラスト・デイズはコメディー仕立てではありませんが、選ばれた俳優、スタッフは知恵を絞って最大級の努力をしています。
まずは俳優が大真面目で可能な限りの演技力を絞り出しています。1人は去年、今年と引っ張りだこのホセ・コロナード。今年のファンタ3本に出演して大活躍。他の2本は脚本が凝っていましたが、この人、こんなひどい脚本でも何とか救う能力がありました。もう1人の主演はキム・グティエレス。この作品では結婚からは逃げつつも恋人を愛する若い夫。ちょっと前のファンタではヒドゥン・フェイスの鼻持ちならない指揮者を演じていました。これほど違う役で両方とも上手く演じています。
次にロケーションが成功しています。古い建物、新しい建物、近代的な地下鉄の線路などいい場所を選んでいます。そして撮影班が努力してきれいな画面に仕上げています。
なので私は筋の設定の笑いをこらえて景色を見ていました。
★ あって無いようなあらすじ
地球はこの変なビールスの蔓延で混乱。通常の企業活動、生産活動は不可能になり、人々はたまたまいた場所にカンヅメ。マークは会社にカンヅメになってしまいます。内縁の妻フリアは自宅にいるか、勤めているショッピング・センターにいるはずです。
動くにはお天道様の見えない地下を通るしかなく、フリアを気遣って帰宅したいマークは地下鉄をたどって自宅に戻る決心をします。別に紫外線を避けているわけではなく、建物の外に出ると感染者は皆心臓発作を起こします。映画の中の《現在》、感染していない人はゼロ。
あとは食料の取り合いや、自警団など混乱した中を我が家に向かうだけ。家に着いたら部屋は見知らぬ外国人家族に占領されていて、フリアはどうやら勤め先のショッピング・センターにいる様子。なのでまた地下の旅に。行った先にも見つからずまた別な場所へ。ようやく再会して、はい、おしまい。
★ 仕方ないので
これだけで劇映画90分とか100分持たせるのは無理なので、いくつかエピソードを挟みます。話の大部分で主人公と行動を共にするのがエンリケ。マークを首にする予定だった人事アドバイザー。会社がリストラをするのに雇った男。なので2人は険悪な仲。それでもどうしてもフリアの元に帰りたいマークはエンリケを脅したり宥めたり賺したり。一種のバディー映画として引っ張ります。一緒に苦労しているうちに自分の事を話したりして、お決まりの友情が生まれます。
★ かんぐり
会社を出発するにあたって GPS やナイフなどを揃え、地下で火を炊く手段も必要というので、小物を集めます。エンリケとも取引。
ルートが全て地下でなければならないというルールがあり、どうやら夜間でも広い地上は歩けない規則になっています。その上時々人に襲われたり、物を盗まれたりするので、「これはコンピューター・ゲームか」とかんぐってしまいました。
★ 自分の町を知らない?
私は1度ベルリンで大規模交通ストがあった時、徒歩で仕事場まで行った事があります。学生がストで大学に来られないとしても時間給で働く非常勤講師は職場にいなければ休みとされ、支払いは無し。なのでリュックサックに水と食料を詰めて出かけました。
ざっと人間の歩く時速と、目的地までの距離を測り、万一を考えて何割か時間を多く取ったのですが、楽勝でした。一応地図は持っていましたが、私の場合ほぼ南下し、途中でちょっと右折すればいいので、どの道で曲がるかだけチェックすれば足りました。
エンリケとマークはバルセロナの町で、大の大人なら徒歩で楽勝の場所を進むのに GPS が無ければだめだというので GPS を巡って脅し合いの交渉、果ては死闘までします。地下鉄の構内を線路伝いに歩くのですが、地下鉄と言うのは踏切があるわけでもなく、毎日通勤している路線なら大体の見当はつくだろうと思うので、なぜ GPS を巡ってあんなに大騒ぎしたのかが分かりませんでした。
確かにスペイン第2の都市ですが、人口は160万人ほど。ベルリンは統一後落ち着き、郊外に移った人がいるので現在は市内で 350万人ぐらいです。バルセロナは面積もベルリンの9分の1ぐらい。
地下鉄はベルリンといい勝負の11路線。とは言うものの路線図を見ると特に複雑でもなく、通い慣れた自分の町なら GPS はあっても無くてもあまり変わらないと思いました。
★ それでもバルセロナがうらやましい
上に書いたようにベルリンと比べるとかなり小さな町ですが、そのカタロニアから近年いくつも注目の劇映画が出ていて、ファンタにどんどん送って来ます。こちらは指をくわえて見ているだけ。
今ちょうど日本でスペインの映画祭や、ホラー系の映画祭が行われて、井上さんも見に行くようですが、その多くがスペイン産と言われながら、実はカタロニア産。その上南米にも進出しているようで、まだ暫くスペインは注目です。
カタロニアは山あり、海ありで、地中海に面し、隣はフランス。映画撮影に適した場所が多く、他の作品でも景色のいいシーンが多いです。
★ 深読みのかんぐり
ストーリーがこんなで、演じる人も苦労しただろうに、なぜこんな作品を作ったのだろうと訝ること数週間。最後のシーンが映画のメッセージだったのかと考えているところです。
マークとフリアは無事再会。2人は長い間同棲し、内縁関係にあったのですが、マークは結婚の話が出るといつも逃げていました。フリアは年齢を考えそろそろ子供が欲しいと思っていて、伝染病がスペインに上陸する直前妊娠していました。
マークはエンリケと一緒に自宅に戻ってその事実を発見。あれこれあって、マークはフリアの元にたどり着き、子供も無事生まれ、その子がティーンエージャーに育ちます。
どういうわけか息子を含む何人かのティーンが、外出しても発作に襲われなくなります。そしてある日、子供たちが集まって旅立ちます。両親は建物のぎりぎりの所まで出て来て子供に別れを告げ、その後も2人はその建物の中で人生を送るという結末。
世代の断絶をはっきり示しています。外出すると心臓発作でショック死と言うのは外の世界への恐怖を表わしていて、子供が大丈夫というのは、次の世代は前の全ての世代に別れを告げるということなのでしょうか。
日本にも影響の波が押し寄せましたが、欧州では70年前後に1度大きな世代の亀裂が走りました。どうやらフランスに端を発しているようなのですが、その世代が現在まで政治経済を動かしています。もう少しさかのぼるとビートルズ辺りからその芽が出ていたのかも知れません。
当時は目新しかったその世代も現在では60歳代前後。もしかしたらそこへの批判と、決別を表わしているのかも知れません。欧州は時として容赦の無い手段で世代をばっさり切ってしまう事があります。日本ですと日本一国で決断できる変化は徐々に起こり、あちらこちら修正しながらゆっくり進むのですが、欧州は驚くほどばさっとやります。
例えば日本では国語審議会が時々新しい規則を発表しますが、それまで使っていたものがいきなりだめにはならず、作家などは自分の好みで古臭くも書け、新しくも書けます。ドイツではある時国でばさっと正書法を変えてしまい、学校では新しい正書法しか教えなくなってしまいました。私は大学で少しその改革の賛否の討論に関わっていたのですが、言語を職業にする左翼として知られていた教授ですら「改革をやるなら歴史的発展を良く調べた上できちんとした改革をやるべきだ」という結論に達したにも関わらず、大急ぎでばさっとやってしまいました。で、2000年に入る前に親子関係がばっさり行ってしまいました。親に読み書きを習う事ができなくなってしまったのです。
今度はその世代が下の世代から切られる時代に入ったのかも知れません。ちょっと深読みが過ぎるのかも知れませんが、やんわりと新しい時代の到来を示したのかなという気はしました。
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