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2月6日に大阪府知事選挙が行われ,自民・自由・公明・民主などが推薦する無所属の太田房江氏が当選しました。
これを受けて,自民党の幹事長は「野党側にも重く責任を感じていただけるのではないか」と言っていましたが,当選した太田氏って「天下りの相乗り候補」じゃなかったの?
今回の選挙は「非共産」対「共産」が主な争点だったように見えます。「中央の押しつけに反対する自民大阪府連」というのも,結束が堅くなかったですしねえ。投票率が低かったのも頷くほか無いのかも知れません。ちなみに,私は投票には行きましたけどね…,記載台まで行って迷いかけましたからねえ。
さて,本当にこれでよかったのでしょうか?まあ,これ以外に選択肢が無いというのも事実ではありましたが。
最近,警察権力関連での不祥事が目に余るようになってきました。神奈川・京都・奈良・新潟…,数え切れないですねえ。
しかし,今になってこれだけ出てきたと言うことが,「最近になって警察が腐ってきた」と言うことを示すわけではないことを忘れてはならないでしょう。
おそらく,このような類のことは昔もあったのでしょう。当時は表沙汰にならないことが,今では表に出てくるというだけのことだと思うのですが,こんなことを言うと怒られてしまうのでしょうね。「昔はよかった」的の人からすれば,「昔はそんなこと無かった」と言いたいのでしょうから。
さて,今回の新潟県警の不祥事で分かったことがあります。「図書券賭けても罪にはならぬ」 のですね。
つまり,こうすれば現金を賭けるのと同じくらいのリアリティを求めることができるのです。
- 金券ショップで図書券を買う(確か500円のが485円くらいじゃなかったかと)。
- その図書券をかけて勝負する(麻雀なりトランプなり勝負の種類はご自由に)。
- 勝った人はその図書券を金券ショップで換金する(1割減になると思いますが)。
こうすれば,現金を賭けなくても現金を賭けたのと同じ効果を得ることが可能です。ただ,「誰がどのくらい勝つか分からないのに,どうやって図書券の購入量を調整するのか」と言う問題はありますが。
「物賭けて麻雀なんかするな」と言うことかも知れませんが。
MP3という種類のメディアファイルがあることを知ってらっしゃる方は多いと思います。私の場合,最初にこれを知ったときに「MP3ポータブルプレイヤー」とセットで知ったものですから,「MP3は専用のポータブルプレイヤーがないと再生できない」と勝手に思いこんでしまい,あまり情報を集めずにいました。しかし,ある人物(大学の後輩)に「パソコンで再生できますよ」と言われて無知ぶりをさらけ出してしまったのを良い機会に,私もMP3編集ソフトを買おうと思って店に行くことになったのでした。
そもそも,どうしてMP3に手を出そうと思ったかと言いますと,自室で音楽を聴くときにパソコンのCDプレイヤー機能を使って聞いていたのですが,これだと,聴きたい曲が複数のCDに跨っていたときには一々CDを差し替えなければならなくなります。かといって,自室にMDのプレイヤーが無い状態では,MDで編集することもままなりません。そこで,MP3に頼ることにしたのです。
さて,店でMP3編集ソフトのパッケージを見比べていると,音質が違うとか,編集の速さだとか,いろいろ謳い文句が違います。謳い文句を見る限りではどれにしようか迷うのですが,最後買う決め手となったのは…何と(と言うかやっぱりというか)「値段」! ¥4000を切ったのがあったので,それを買ったのです。
まあ,TWO−MIXファンの私ですから,専らTWO−MIXの曲ばっかりMP3化してまして,CDを何枚も差し替えてMP3のファイルを作って,それを順番付けて聞くのです。
やってみるとこの作業は結構楽しいもので,時間があっという間にたってしまいます。「こんなことしていて良いのかなあ」と思うこともありますが,やり始めたらもう止まりません。2時間や3時間くらいは費やせます。MP3ファイルを作るのは1回なのですが,それを自分にわかりやすいようにする作業にはまってしまうのですから,手の付けようがないと言えばその通り…。
ま,ほどほどがいいということでしょうね,気を付けます。
3/15の「EXP」で見たところによると,青森にある秀吉のホテルが全焼したらしいとのこと。
この「秀吉」,大阪人なら覚えている人も多いかと思います。先月の大阪府知事選挙に立候補して落選した「羽柴誠三秀吉」のことであります。東京都知事選出馬経験もあるとのことで,「どこにでもでてくるやっちゃなあ」という感じですが,この人の私生活についても少し紹介されていました。
御飯を食べるときに,金箔を1枚御飯の上に乗せるというのですから,結構すごいものです。総資産200億円を1代で築き上げたというのですから,さすがはお寺の和尚に「太閤秀吉の生まれ変わり」と言われただけの人物です。
燃えてしまったホテルも7月くらいには再建するとのことで,まだまだ「秀吉」旋風が吹き荒れる?
昨年来,三国志研究会(自称ですから,研究会を名乗るのは勝手なのです)の活動が止まっています。何をするかのコンセプトも決まっていないままに見切り発車したのですが,はっきり言って何をするでもなく私は大学院生になってしまい,新入生を迎え入れるという事態になってしまいました。会そのものを動かすことができなかった点で私に責任があることは確かですが,「果たして私だけに責任があるのか?」と言う疑問もまたあります。
「責任転嫁」は良くないことだと思いますが,自分一人で責任を抱え込むべきなのか迷っているのも確かです。
ある行動に失敗した場合,人はどれくらい責任をとればいいのでしょうか?
2000年5月16日の朝刊に,このような記事があることと思います。
森喜朗首相は神道政治議員同盟懇談会で「(この会は)日本が天皇を中心とする神の国であることを国民の皆様に理解していただくべく活動してきた」と発言した。
NHKのニュースによると,更に鎮守の森についても言及しているとのことです。
さて,これが日本国の首相の言うことでしょうか?この首相は,現在の日本国憲法をどのように考えているのでしょうか?日本が「天皇を中心とする神の国」であるならば,国民主権を謳う現在の憲法は,何の意味を持つのでしょう?
こんな人間が現在の日本国を代表しているとは,何と悲しいことでしょう!
いったい今の政府は,何を考えて政治をしているのでしょう?もはや現在の改憲論の中で「日本国憲法」は無視しても良いものと考えているのでしょうか?
天皇を「神」と考える思想はちっとも新しくありません。そもそも「日本国憲法」はどのような背景の下に作られたのでしょう?首相たちはこの憲法が「アメリカ等の戦勝国に押しつけられたもの」と考えているのでしょうか?
このような議員が世の中に存在する原因は,世の中の「政治的無関心」が大きく影響していると思います。それと,組織に振り回されて自分の意志を持たずに投票する投票者にも責任の一端があるでしょう。それと,票のことしか考えない政治家。
2000年のF1第6戦はいつもより4カ月早いヨーロッパGP。ニュルブルクリンクでありました。
いつものごとく8チャンネルで中継を見ていたわけですが,ここでは「PPが勝てない」そうで,今年もPPマクラーレンのD.クルサードは勝てませんでした(決勝3位)。
さて,今回のGPではスタートで予選3位マクラーレンのM.ハッキネンが飛び出して首位に立ったのですが,予選2位から2番手を走っていたフェラーリのM.シューマッハに10周くらいでパスされてしまい優勝はできませんでした。
しかし,フェラーリがマクラーレンを抜くなんて信じられます?逆ならともかく…。少なくともフェラーリ対マクラーレンの構図ができあがってからは,なかなか見られない光景でしたね。こういう光景が見られると言うことは,今年のフェラーリは本物?でも,こう思わせといて「イタリアの阪神タイガース」みたいになるのは止めて欲しいですね。Forza!
昨日5月30日の新聞1面にて,「昭和の日法案廃案へ」という記事が載っていました。これを見て,私は大喜びしました。別に,思想的にどうこうというのではありません。とりあえず与党内でも意見がバラバラなこの法案が通ってしまったら,昭和天皇という人が変に神格化されてしまうのではないかという危惧があってしようがないからです。
「昭和の日」の解釈は大きく分けて次の2つまあ,この解釈の違いと言ったら…,1の解釈に一言言うとすれば,「激動の時代は昭和だけかい?」でありますし,2の解釈に意見するとすれば,「戦争の最高責任者,しかも戦争を止められなかった責任者が首をかけて国民を守るのはある意味当然のこと。敬意を払って祝日にするほどのことじゃないでしょう?それに,【占領下】って何?戦争に負けたらそういう扱いをされるのは当然と言えば当然。結局のところ,祝日にするほど意味のあることでしょうか?」と言った感じですかね。
- 昭和天皇の誕生日に激動の時代であった「昭和」に思いを寄せる日
- 占領下に置かれた日本国の中で自らの身の危険も顧みず国民のことをおもんぱかって改革を断行された昭和天皇に対して敬意を払う日
ともかくも…,「廃案になればこれほど良いことはありません」
最近,こういう争い(?)がテレビコマーシャル上で繰り広げられているのを御存知でしょうか?
ポッキリ党はあの「○○○○○○○」が出ている○○○○○のCM,中途ハンパ党は「中途ハンパでまだ安い」という○○○○○のCMです。
「一体どっちが本物なのだろう?」と言うことで,新聞のチラシで競争させてみました。さて,ここまで見れば,どのようなものか分かると思います。多少の値段の差がありますが,これくらいの差は,ポイント特典等,店側の戦略によって埋まってしまうものです。
商品名 ポッキリ党 中途ハンパ党 結果 パソコン(PC-VC667J3XD) ¥251000 ¥239800*1.05=251790 ポッキリ党が¥790安い パソコン(PC-LC-50H34DA1) ¥241000 ¥229800*1.05=241290 ポッキリ党が¥290安い プリンタ(PM820C) ¥41500 ¥39800*1.05=41790 ポッキリ党が¥290安い プリンタ(PM2200C) ¥36000 ¥33800*1.05=35490 中途ハンパ党が¥510安い プリンタ(MultiPassB20) ¥41000 ¥38800*1.05=40740 中途ハンパ党が¥260安い
すなわち,「好みによって決めよう」と言うことになるのではないかと。
でも,それはそれとして,皆さん,コマーシャルに惑わされてはなりませんよ。
6/25に投開票された衆議院議員総選挙で,茨城7区では中村喜四郎(無所属)が当選しました。
この人は,元通産相で,あっせん収賄罪により現在裁判で罪に問われていて,有罪が確定すれば(すでに一審では有罪)議員職を失うことになっているはずです。しかし,有権者はこの人を選んだのであります。中村喜四郎氏は元々自民党の議員でしたが,今回は無所属での立候補でした。選挙では無罪を訴え続けて当選を果たしたと言うことです。
ところが,選挙の翌日に公判があったのですが,「選挙で精神的にも肉体的にも疲労困憊しているので休ませて欲しい」と言うことで休んでしまったそうです。
裁判長も「全員そろっているのに…」と文句を言ったそうですが,キシロー,それほどまでに議員をやっていたいか?そして,「自分の法廷にはきちんと出席しましょう」
F1も華僑を迎え…もとい,佳境を迎え,開幕3連勝したM.シューマッハはポイントランキングトップから滑り落ちています。さすがはM.ハッキネン。伊達にチャンピォンにはなってません。
さて,最近,「M.シューマッハのドライビングは危険だ」と言う声が他のF1パイロットの間から出ているそうです。そりゃそうですわな。オーストリア・ドイツと2戦連続1コーナーリタイア,しかも他のマシンとの接触で。このときのシューマッハの動きを見ていると,どうも彼が被害者とは思えないような動きをしてるように感じます。オーストリアGPでは,彼に追突したR.ゾンタがペナルティーを食らっているのですが,これは「ゾンタがかわいそう」ですね。ちなみに,M.シューマッハとR.ゾンタの接触の横では,J.トゥルーリがR.バリチェロに追突しています。つまり,Ferrariの2台が変に1コーナー手前で遅かったために起きた事故とも取れるわけです。
ちなみに,M.シューマッハの「危険」騒動は今に始まったことではありません。'94年最終戦ではD.ヒルとの接触。'97年最終戦ではJ.ヴィルヌーヴとの接触。'98年のベルギーGPでは豪雨の中D.クルサードに追突,等々。
私はFerrariは好きですが,M.シューマッハは嫌いなので,言わせてもらいます。
「M.シューマッハはわがままだから危険なのだ」と。
ただ,1つ言えることとして,「実力が備わっているから,F1パイロットの世界にいられる」のですが。
F1は日本での戦いを終え,ドライバーズポイントランキングには決着が付きました。Ferrariパイロットが21年ぶりのチャンピォンです!私としては嬉しい限り。
イタリア・アメリカと連勝したM.シューマッハ。日本でランキング2位のM.ハッキネンに2ポイント以上の差を付ければチャンピォン決定というレース。PPを取りながらスタートで出遅れ,M.シューマッハが追いかける展開のレースとなった。
序盤から中盤は「やっぱマクラーレンは速いわ」と言う感じで,いや,「ハッキネンとシューマッハだけが速い,それでもやっぱりマクラーレンは速い」と言う感じでしょうか。M.ハッキネンがM.シューマッハを少しずつ引き離すような展開。しかし,フェラーリ陣営は頭がいい。コースで抜けなければピットで抜くという王道戦略(別の意味で言うと,見ててあまり白熱しない展開の戦略)で2回目のピットストップを終えたときにハッキネンをパス。雨のぱらつく中で緊張に緊張を強いられながらも53周のレース,最初にチェッカーを受けたのはフェラーリのカーナンバー3でありました。フェラーリ21年ぶりのドライバーズタイトル獲得の瞬間です。
でも,私は複雑です。だって,パイロットが,嫌いな「M.シューマッハ」なんですもん。今の世の中,この人くらいしかフェラーリでチャンプにはなれないのでしょうか。A.プロストも駄目,N.マンセルも駄目,J.アレジは駄目駄目な中で,M.シューマッハなんですからね。M.シューマッハの次にフェラーリでチャンプを取るのは一体誰になるんでしょう?
ま,ひとまずは今期のチャンピォン,ミハエル=シューマッハに敬意を表することとしましょう。そして,最終戦で4〜5ポイント取れば,2年連続のコンストラクターズタイトルも獲得できます。2000年はフェラーリの年でした。
でも,M.シューマッハとハッキネンのタイトル争いの邪魔をさせないためとは言え,「3戦出場停止」を盾に取って他のパイロットに脅しを掛けたFIAの行動はどうなのかなあ?TVで見てる限り,他のパイロットは縮み上がってしまってたじゃないですか!
スヌーピー(Snoopy)(I)からアメリカの文化を研究している先生がいるのを御存知でしょうか?廣淵升彦という方がそうで,スヌーピーの研究書を出版しておられます。
そもそも,スヌーピーというのは,先日亡くなったチャールズ・M・シュルツ氏が1950年に連載し始めた『ピーナッツ(PEANUTS)』という漫画に登場するビーグル犬の名であります。漫画と言うことで,子供向けの表面を持ちながらも,上級のセンスや知識が数多く含まれており,大人の読み物としても十分価値があるという前提の下に,廣淵氏は『ピーナッツ』の登場人物の価値観や心の持ちようについての本を出したりしておられるわけです。
さて,前置きはこれくらいで,本題は,「我あやまてるやもしれず」なる想念のかつて汝に浮かびしや?です。これは,『ピーナッツ』に出てくる言葉で,本ネタは知りませんが,スヌーピーが神学の本を執筆するに当たって,完璧なタイトル(THE PERFECT TITLE)として出したものです。英語では“Has It Ever Occured to You That You Might Be Wrong?”で,現代語訳は「もしかして自分がまちがってるかも知れないという思いが 君の胸に浮かんだことがあるかい?」となります。
「もしかしたら自分は間違っているのではないだろうか?」と思う事は重要でしょう。
自分がまちがっているかも知れないと思うことは,ある意味苦痛であり,自分に間違いがあるなんて事は認めたくないのが人間の本心にあるでしょう。
しかし,自分の価値基準、判断を絶対のものとし,自分のやっていることが正しいと思いこんでいる人ほど,世の中に害悪をばらまくものはないのです。『ピーナッツ』の中に,このような文言もあります。「人類のあらゆる歴史の中で『自分は正しいことをしていると思ってた』という者らがなした害ほど大きな害は いまだかつてなかったってことよ(IN ALL OF MANKIND'S HISTORY,THERE HAS NEVER BEEN MORE DAMAGE DONE THAN BY PEOPLE WHO"THOUGHT THEY WERE DOING THE RIGHT THING")」
この言葉の意味するところは,「自分が正しいと思ってやったことがみな正しい,とは限らない」と言うことです。自分が正しいと思っていることは他人にとっても正しいことだと思うのは,実は価値観の押しつけに過ぎず,自分が正しいと思っていることが本当に正しいのかと自問し,自分の考えを見直さなければならないと言うことにもなるでしょう。
まず,既存の価値観をうち破ろうと新しい価値観をうち立てる方,また,既存の価値観を「当たり前」としてとらえ,無反省に受け入れる方,両方にこの言葉を捧げたいと思います。
例を挙げるときりがなく,この一つの言葉が語るものは深く大きく,ここで全てを悟ろうとすることなんて無理なことでしょう。なにせ,これを書いている私自身も「『我あやまてるやもしれず』なる想念のかつて汝に浮かびしや?」と言うことを常に自覚しなければならない存在なのですから。でも,1つはっきりとしていることは,「自分が常に正しいと思っている(あるいは,自分のことしか頭にない)人が,この世の害悪の大部分を占めていて,それは何も一般人に限ったことではない。政治家、弁護士、警察官、官僚、自衛官、マスコミ等々…,誰もがそうであるが,自分のやっていることに責任と誇りを持つことは重要である。しかし,それと『自分がまちがっているかも知れない』と思うこととは,全く別物であり,矛盾しない。それどころか,むしろ責任と誇りを持つからこそ,自分が正しいかどうか常に自問する必要があるのではないか」と言うことです。
私自身は無神論者であり,「宗教なんてものは,人間が自分の弱い面を認めたくないが故に発生するものだ」と思っている面があります。しかし哲学的な見解を聞くと,宗教というのも捨てたものではないなと思うことがあります。でも,こんな良い言葉があるのに,どうして宗教戦争であんな残酷なことができるのだ?
※文中の『ピーナッツ』に関する引用は全て『スヌーピーたちの心と時代−誰もが自分の星を持っている』(廣淵升彦著/2000.10.20/講談社+α文庫)から(I)snoopy 1.形容詞(略式):詮索好きの,こそこそかぎ回る 2.名詞(S〜)スヌーピー《米国のC.M.Schulz作の漫画Peanutsに登場する犬》 …『ジーニアス英和辞典』より,ということで, あの「スヌーピー」は何と辞書に載っているのです!びっくり
「石器を自分で埋めて,それを発掘する」という手法で,遺跡からの石器発掘をねつ造していた民間の研究団体副理事長藤村氏の行為は日本の考古学界に衝撃を与えたようです。そして,これまでに彼が発掘してきた遺跡についても,その信ぴょう性が疑われることとなり,再調査を必要とすることとなってしまいました。
「やってはいけないことをやってしまった」と藤村氏は語ります。もちろん,こういったねつ造という行為は許されないことであります。しかし,学界はどうしてこれを見抜けなかったのでしょうか?どうしてマスコミがこれを暴いたのでしょうか?
このようなことが起こった原因を冷静に考えてみる必要があります。
1.まず,学界には権威に弱い体質がなかったでしょうか?叩き上げとは言え,学界の「偉いさん」のお墨付きをもらった藤村氏に対して,大っぴらに反論できる人がいなかったのかも知れません。「藤村はおかしい」という疑念は多くの研究者が抱いていたということなのに,発見の事実だけが先走り,十分な検証をすることなく,認識へと変化してしまったと言うことはないでしょうか?「地層に頼らざるを得ない」と言う現状はありますが,それを言い訳にしている面はないでしょうか?功を焦りませんでしたか?
2.とある自治体の首長が「ありゃあ,日本の恥だね!」とか言ってましたが,果たして自治体にそのような事を言う権利があるでしょうか?研究に必要な経費や時間を適切に確保できるように尽力しましたか?「必要なときに必要な経費がもらえない」というのは研究者の永遠の悩みのようです。「経費がもらえるならまだまし」と言う声もありますが。ともかく,結果に対して経費を出している面はありませんか?
民間だって責任は免れますまい。石器が出てきたからって,何もあれほどまでにフィーバーしなくても良かったのではないですか?もちろん,地域振興の切り札ですから,逃したくなかった面もあるでしょうが,みんなが騒ぐと引っ込みが付かなくなりますしね,「ねつ造してでも結果を出さなければ」と思うこともあるのでは?
これらの原因が全て正しいとすると,今回のようなねつ造問題は考古学者だけの問題ではないと言うことになります。研究を育てる土壌ができあがっていない社会の問題でもあります。事実だけを見ず,その中に隠れている真実を探し出す努力は,何時でも怠ってはならないのです。それにしても,考古学のような実証学問では,ねつ造というのがはっきりと分かりますが,歴史分野など,推測が重きを占める分野では,ねつ造なんていくらでも行われてますからねえ。しかもそれがはっきりと分からない!「私はこう思う」と言われてしまうと,いかに真実から離れていようと否定のしようがない。現代人の解釈にそれが合っていたときなどは最悪の事態を迎えることになります。
若者の活字離れが進んでいるとは言え,この日本列島1日平均で何十冊と本が出ています(数〜十冊くらいかと思ってましたが,神木万葉さんから「そんな少なくない」とご指摘を頂きました)。この御時世,評価の低い本から高い本まで色々な種類があります。
さて,本屋でそこいらの本を手にとってパラパラ…,「うーん,面白くなさそう」とか「あ,面白いかも」とか考えて,「かおうかなあ,どっしようかなあ?」と思案をめぐらす。そういうのを楽しんでいる私でありますが,最近ふと思うのが,「この大量の本のうち,後世にまで残るのはどれくらいあるのかなあ」と言うことです。ある歴史小説(もどき)を書いた作家は,「300年後に他の本が全て失われて,この本だけが残ったら,この本が歴史的事実となるかも?」なんて夢を見ていますが,本が後世に残るには,
1.作品あるいは作家が長年にわたって評価を得なければならない。
2.その上で,購買層が多世代にわたらなければならない。なぜなら,ある世代(ある時代に生まれた人々)だけに受ける本は,一時期しか売れないから。
3.作家の考えがはっきりと出ていなければならない。「他の作家でも書ける」のではなくて,「この作家だからこそ書けた」ものでなければならない。
と言った条件があると思います。
そういう作品は,「時の要請」に応えただけのものではないのでしょう。「時の要請」というのは,時の移り変わりによって変化します。ある時期の「時の要請」に応えただけの作品は,数、十年後には売れなくなってきます。所謂「時代遅れ」になるからです。後世に残る作品というのは,時代が移り変わっても変化することのない人間の真理の部分に訴えかけてくるものなのではないでしょうか。
ちなみに,『三国志演義』600年,シェークスピア400年,夏目漱石100年,芥川龍之介80年,PEANUTS50年,ドラえもん25年…,どれも,世代を越えた評価があって残っているものです。さて,今,この日本で新しく世に出る本で,100年後も残っていそうな本って誰が書く本かなあ?
大江健三郎?村上春樹?辻仁成?宮部みゆき?吉本ばなな? それとも…?
11月26日放送の「発掘! あるある大事典」(関西ではKTV),ご覧になりましたか?ピーナッツ(落花生)の効果について色々やってましたよね。ピーナッツは今まで色々言われていましたが,そう体に悪い物でもないようです。食べて体の調子を整えましょう。
そして,精神の調子を整えるには,PEANUTS(C.M.シュルツ作の漫画)がおすすめ。読めば心が落ち着くこと間違いなし。
ピーナッツ(PEANUTS)で良い生活を!さて,最近,「ザ・ワイド」(関西ではYTV)でデヴィ夫人と酒井政利氏との論争が話題になってますが,この2人もPEANUTS読むとかして精神的に落ち着いたらどうですか?
LUCY VAN PELTと考え方がよく似ているデヴィ夫人とSCHROEDERぶっている酒井氏と。あ,でもデヴィ夫人にはLUCYほどのかわいさはないか。