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  1. バカがバカを呼びまたそれがバカを呼ぶ 13.02.2001
  2. 「新しい歴史教科書」が含む問題 09.07.2001 附記21.07.2001
  3. 羽柴誠三秀吉またまた登場! 13.07.2001
  4. 可能性の無いのがまた面白い 21.07.2001
  5. 泥水のかけ合い 24.07.2001
  6. 参議院選挙について 31.07.2001
  7. あの赤旗は遅すぎたのでは? 02.08.2001
  8. 靖国神社参拝に関わる論争 02.08.2001
  9. 日本の神話 02.08.2001

バカがバカを呼びまたそれがバカを呼ぶ

 昨年の4月に「森喜朗」というそれはそれはバカな首相が就任してはや10カ月が経ちました…,とマスコミを見ているとこう言いたくなってしまいます。が,皆さん,森喜朗が「何故」バカなのか説明できますか?
 「国民の支持率が低いから」とか「テレビでそう言っているから」とか言った人,あなたは踊らされてるのではありませんか?自分の目(あるいは自分が信用するに足りる目)できちんと森喜朗のバカさ加減を見ていますか?
 一連の「森喜朗バッシング」に対して,私の父親は反発していました。まあ,彼の発言は聞くに値するものではありませんが,「国民がマスコミに乗って騒いでいる」部分はあるのは確かで,これが意外と一人歩きしてるなあと。でも,それだから「森喜朗が有能である」と言うことにはならないわけで,バカはやっぱりバカなのだ!
 今回のハワイで起きた潜水艦と実習船の衝突事故で,森喜朗が首相官邸に帰らなかったことが問題となりましたが,帰らなかったことだけを問題にしているマスコミを見て物を言っている私の父親もバカである!マスコミには良識あるマスコミと良識のないマスコミとがあり,良識あるマスコミを選別できる目を持っている人間もいるのです(選別できない人間が多いのは確かですが…)。
 結局…,「書けば売れる」と思うバカなマスコミがいて,それを読んだバカな民衆が「森喜朗って何て奴だ!」と怒り,それを見たバカなマスコミがまた森喜朗バッシングをして,それを見たバカな民衆が…,こんな感じで広がった感もある今回の森喜朗バッシング。真実はどこにある?

 注:大阪人である私としては,「バカ」を「アホ」に換えて書きたかった感もあります。

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「新しい歴史教科書」が含む問題

 「新しい歴史教科書」,これについて意見を持っている人がどれほどいるでしょう?「検定を通ってしまった」と嘆く人,「歴史教科書の新しい流れが始まった」と喝采を送る人,「絶版を勧告する」などと言って本を出す人や,「何が問題か」と言って本を書く人たち。少なくとも何らかの意見を持っている人が多くいるように思われます
 「思われます」と言うのは,自分の意見を持っている人がどうも少ないように思われるからです。こう言うと反論もあるでしょうが,つまりは,被操縦の人による意見が数多くあると言うことです(賛成、反対に関わらず)。「被操縦」とは何か?権威ある人の意見を受け容れてそれに操縦されていると言うことです。権威ある人,種類も色々あります。マスコミ、大学教授、政治家、知識人、文学者、作家、親、教師、等々…。こうなると,人間誰しも被操縦な訳ですが,問題は,「操縦者の真意を理解して操縦されているか」と言うことなのです。
 新しい歴史教科書をつくる会(以下「つくる会」)をはじめとする「歴史教科書を変えようとする面々」が主張することは「誇りある歴史を受け継ぐ」事に止まるのでしょうか?「誇りある歴史(あくまでも彼らが言うところの)」は容易に「愛国心」につながります。で,「愛国心」は容易に「国民的連帯」につながります
 はい,そこで,国民的連帯というものが書物や教育などで作られたときに,何が起こるでしょうか?答えは「非エリートの操縦可能性が高まる」です。つまり,大衆が一部のエリートに支配されやすくなると言うことです。但し,知識の無い人が増えてその人が操られる,と言うことではありません,他人に操縦されやすい人,他人の意見を無反省に受け容れて恥じない人が増えると言うことです。
 現在の段階で,「操縦されやすい非エリート」が増えてきつつあります。信じられないほどの森内閣不支持率、空前絶後の小泉内閣支持率,これらは「操縦されやすい非エリート」が深く関わっています。
 ちなみに,「つくる会」のメンバーのプロフィールがないのではっきりとしたことは言えませんが,私は,「つくる会」をはじめとする面々が目指すものは「20世紀エリートの復権」であると見ています。20世紀型(戦前)のエリートは,全体主義社会の中で権力を振るっており,その背後には常に天皇の姿があったのです。だから,この面々が「天皇を良く書き、共産主義や社会主義に敵意ある記述をする」のは当然で,「新しい歴史教科書」にもその色が濃く出ています。
 アメリカのW.A.コーンハウザーと言う人のモデルを基にすると,全体主義社会とは「非エリートの操縦可能性が高く,エリートへの接近可能性(非エリートがエリートになる可能性のことと思います)が低い社会」です。現在の社会では,エリートへの接近可能性が高いので,即全体主義社会になることはないと思いますが,この可能性が失われ,かつ,非エリートが操縦されやすくなったとき,日本は全体主義社会へ歩むことになってしまうのです。
 「そんなバカな」と思うなかれ,先にも述べた通り,非エリートの操縦性は現在飛躍的に高まっています。マスコミによる操縦性は悪くなったかもしれませんが,政治家による操縦が現在幅を利かせています。
 さて,「新しい歴史教科書」には,「自分を持つことが大切」と言う感じの記述がありますが,彼らの思うところの「自分を持つ」とは何でしょうか?私には「自分の国に優越感を持つ」事であるとしか思えません。「自分を持つ」とは,他の意見に対して確固たる態度を取ることができると言うことですが,頑固でいることとは訳が違います。
 
 
 
 最後に,「新しい歴史教科書」およびその関連には数え切れないほどの汚点があるのですが,私が我慢できない問題を2つ。

  1. 中国への敵意がむき出しになっている
     「倭の奴国」について「“倭”も“奴”も,決して好意的な意味の文字ではない。中国皇帝の権威を示すために,中国の歴史家はつねに周りの国々を見くだす言い方をした。」と書いていますが,中国人が音訳したと言うことについて思いを巡らすことはなかったのでしょうか?私は,「“倭”も“奴”も中国人による音訳で,音訳の際に中国人が日本人を蔑視してこのような漢字を使った」と思っています。この意見はどこかの本にあったような気がしますが,その意見に賛成です。 それに!大和朝廷だって,自分に従わない集団に対して「熊襲」、「蝦夷」等の呼称を使い,後の世のポルトガル人やオランダ人を「南蛮人」と読んだじゃありませんか!日本だって周りを見下す言い方をしているのですよ。
     その他,阿片戦争時、欧米列強進出時の清についての記述,中日戦争時の中国政府の対応等全てにおいて中国への敵意を見て取ることができます。
     私には,この教科書が「周りの国々を見下す言い方をした」ものに思えます,アンフェアではないでしょうか。
  2. 他に文句付ける前に自分を見直せ!
     「つくる会」が主張していることに,「韓国、中国の教科書もひどい」と言うことがあります。「韓国、中国の教科書にある日本の記述には事実に基づかない点がある」等韓国、中国の教科書に文句を付けて,それで「新しい歴史教科書」の正当性をアピールしようとしているように見えます。
     確かに,韓国、中国の教科書の和訳版を書店で見ることができる今,それらを見てみると,記述が国粋主義的であるのは否定できないと思います。が,それは即自国の教科書を国粋主義的にする根拠や免罪符になることはありません。
     私は,国際精神がますます必要となるであろう今後の社会に,国粋主義を持ち込むのは場違いだと思います。もちろん,自分の国を大切にする気持ちは大切でしょうが,日本人の愛国心を政治的に作り出そうとしているという事実をどのように考えているのでしょうか?とにかく,この教科書には考えが足りません。他に文句付ける前に自己反省せいっちゅうねん!

附記
 とまれ,教科書を使う人は子供達であり,教科書を使うことで利益を得るべきは子供達であって,大人達ではないと言うことをもっと考えて欲しいものです。「つくる会」教科書に賛成の人も反対の人も,各教育委員会に働きかけている人達も,あんたらの都合の良いようにするのは反則じゃい!
 それに,私はここで,「つくる会」の教科書について,これを採択しろとも採択するなとも言いません。それを判断するのは,「良識を持っている」はずの教育委員会の面々だからです。教育委員会の面々がどう考えるかは自由ですが,「おまえら自分の頭で考えて結論出せ!周りに振り回されるな!」

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羽柴誠三秀吉またまた登場!

 羽柴誠三秀吉,この名前,みなさん覚えているでしょうか?大阪府知事選挙に出,衆議院選挙の時大阪1区に登場し,その正体はと言えば,青森のホテル会社社長というこの人。1代でかなりの財産を築き上げたこの人がまたまた登場しました。参議院選挙比例区に自由連合の候補として出馬しているのです。自由連合と言えば,47人もの候補者を名簿に載せて提出し,かつ,その中に数多くのタレントと呼ばれる元スポーツ選手や発明家と言った人々を入れていることで有名です。この中に羽柴誠三秀吉の名もあるのです。
 秀吉と言えば,織田信長によって抜擢され,その結果として最終的には天下人となったわけですが,徳田虎雄は現代の織田信長になれるのでしょうか?

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可能性の無いのがまた面白い

 先日のF1イギリスGPで,McLarenのM.ハッキネンが今期初勝利を挙げました。この日のハッキネンの走りは最高で,1週目でリタイアしたチームメイトのD.クルサードと比べると,この日ばかりは去年に戻ったような感じでした。ポイントランキングトップのFerrariM.シューマッハをもぐんぐん引き離すその早さは,誰も止められません。
 さて,こうして今期初優勝を果たしたハッキネンですが,ポイントは未だ19点しか獲得できておらず,M.シューマッハが2位に入って6点獲得,総合84点としたことにより,今期チャンピォンの可能性はなくなりました(19+10*6=79<84)。
 こうなると,終盤F1を面白くするのはこの人かも知れません。チャンピォンが掛かっていないパイロット達程思い切って走れる人はいないからです。来期のシートも決まっているし,自分の実力を出し切る環境は整っています。
 チャンピォンの可能性がないのがまた面白いのです。今後のハッキネンに注目!

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泥水のかけ合い

 いわゆる「歴史教科書問題」,未だにHP上で色々と意見を読むことができます。まあ,「泥仕合」と「水かけ論」が混在したようなのにしかなっていませんな!もはやこれは議論ではない!
 3594で言っているように,私は,「思想(歴史解釈も含みます)には時の要請が影響する」と思っています。と言うことは,扶桑社の歴史教科書も「時の要請」によって登場したものと言えるのです。であれば,扶桑社の歴史教科書,ただただ「戦争肯定」、「皇国主義」等で片付けられるものではなさそうです。
 私自身は,扶桑社の歴史教科書に対しては反対の立場です。「国粋主義とか皇国史観とか以前に,自己矛盾、デジタル的で到底読めるものではない」からです。まあ,これは筆者達自身の問題で,教科書の内容の問題ではありませんので,これを理由に採択云々は言いません。
 まず,賛成派は「日本の歴史を正確に伝えている」と言っています。
 これに対して,反対派は「侵略戦争を肯定し,歴史を歪曲している」と言ってますね。
 詳しくは,バカバカしいながらも,それぞれのHPを見れば分かりますが,結局のところ,どちらも「デジタル的」でしかないことが分かります。これでは相容れるはずがありません。で,その原因を相手側に求めるのもアンフェア。
 賛成派は「サヨクは自虐的で日本を壊そうとしている」と言います。(サヨクとカタカナで書くことにすでに敵意が現れているでしょう?)しかし,「あんたらの言うこれまでの教科書が自虐的なら,扶桑社の教科書は十分右寄りやろ(記述の内容とその裏にある思想とを混ぜて取り出せば,な)」
 反対派は「大東亜戦争肯定史観=国家主義史観=皇国史観」と言ってその危険性を指摘し,加えて,「入試に不利な教科書」と弾劾しています。しかし,この場に「入試」を持ち出すのは,根本的な面では筋が違うと思いませんか?特にN教組,入試のために歴史を教えるのなら,入試を受けない生徒はどうなるのだ?

 さて,私が言うところの「自己矛盾」と「デジタル的」の意味については説明しなければならないでしょう。
 扶桑社の歴史教科書の冒頭には,「歴史を学ぶとは,今の時代の基準から見て,過去の不正や不公平を裁いたり,告発したりすることと同じではない。」、「歴史に善悪を当てはめ,現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう」と記されています。と言うことは,過去の人の行動についてその是非善悪を判断するのは,この教科書にはなじまないと言うことにはなりませんか?なぜなら,如何にしようとも,現代の我々の判断は現代的視点でしかないわけで,判断を下すことは即ち裁判することになると思うからです。それをこの歴史教科書の随所で見受けられます。これを「自己矛盾」というのです。一番突っ込まれたくない第2次大戦の時に「裁判することではない」と逃げを打つためだけに,この言葉を言っているとしか思えなくなっているので,あまり感心できません。
 一方,歴史解釈には数種類あるのが当然で,どれが正しいかと言うことが良く議論されます。ここで気を付けなければならないのは,「ABC…のどれか1つが真実である」という考え方は容易に誤りを導く,ということです。この教科書から,小栗美作について調べたレポート例を見てみましょう。結論のところに「小栗美作については,ごうまんで,政治をほしいままにした悪人だという説がある。美作についての資料はあまり残っていないが,本当の美作は地元のためにとても尽くした,立派な人ではないかと思う」と言うのがあります。これが私の言う「デジタル的」です。Aと違うBと言う説が出てきて,それに説得力があったら,それでAは誤りとされる。つまり,「1か0か」しかない。私が「デジタル的」を批判するのは,「自分の信じるもの、自分に都合の良いものだけを絶対と考えて,それ以外のものを排除する」考え方に容易に結びつくし,現代的視点の罠に陥りやすいからです。自分が排除しようとするところをもう一度良く見直してみてください。
 「自由主義史観研究会」とて,理念はともかく,「デジタル的」であるのです。特に藤岡信勝(のおっさん)に至っては,2言目には「資料には…」と言い出す始末,まさにデジタル。

 さて,こうやって見てみると,扶桑社の歴史教科書は「時の要請」に基づいて現れたものではないかと思います(内容は別問題)。「日本人はもっと自国に自信を持とう」という考え方の現れが,「新しい歴史教科書」や「日本アゲイン。(公明党のCM)」等に象徴されているのでしょう(表現方法の善し悪しは別問題)。
 最終的に思ったのは,「(扶桑社の歴史教科書に)賛成派の意見と反対派の意見,足して2で割れないかなあ」と言うこと。どっちもどっちでしょう。いつまでも泥水かけ合うのは止めなさい!

 ちなみに,「特定の教科書を採択させないようにする運動は問題」と言っている団体がありますが,「特定の教科書を採択させようとする運動も問題」ちゃいますのん?他のルール違反に乗じてルール違反するのは,大阪で駐車違反に言い訳するおばちゃんと良い勝負でっせ!
 N教組が変なのは自明の理,でも「Tくる会」も十分変。

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参議院選挙について

 7/29に行われた参議院議員通常選挙は,予想通り小泉自民党の勝利に終わりました。自民党は改選議席を越える64(その後追加公認1名で65)議席を獲得したわけで,新聞には「自民大勝」の見出しが踊っていました。
 ただし,民主党、自由党も改選議席を超える議席数を獲得したわけで,野党が負けたとも言いにくい状況にあるようです。
 比例区を見ると,トップ10の中に8人の公明党候補がいます。公明党は,全国を8ブロックに分けてそこに重点候補(近畿では山本香苗候補)を置いて票を獲得しようと図ったようで,各都道府県別の獲得票数を見れば明らかです。
 ここで私見。山本かなえなんて名前,参議院選挙の直前になるまでこれっぽっちも聞かなかったので,私にとっては「誰この女の人?」って感じでした。それが比例区で獲得票2位,組織力の恐ろしさなのか私が知らなかっただけなのか…。
 保守党は扇千景党首1人だけが当選。党首の責任問題に発展しているようですが,そもそも保守党ってそんなに集票力あるのかい?保守党と言えば,2000年4月に自由党から分裂してできあがった政党で,今回改選される議員は,新進党時代に当選した議員達。口悪く言えば,保守党の議員は自由党(新進党)からもらってきたようなもので,勢力維持が難しいのは当たり前。扇千景が当選したのだって,扇千景党首のおかげでしょうが!それで党首交代なんて片腹痛い,ですね。
 そして,今回90人を超える候補を出しながら全て玉砕してしまった自由連合。ほとんどの人が当選しても徳田虎雄のロボットと化すのが目に見えていただけに,見抜かれてしまったような感じがします。大阪府では単独8位,比例区では47人で100万票に届かずとこれは完敗と言ってしまっていいでしょう。但し,この党はお金があるので,組織力を持てば結構うるさい存在になりそうです。
 さて,大阪選挙区に登場した候補の中に小泉の会代表 北岡隆浩と言う人がいました。「小泉改革には賛成,でも自民党には投票したくない人のために」作ったという小泉の会,いかなる戦いをするのかと思いきや,選挙ポスターもなく,HPによる活動が主だったらしく,私は選挙期間中1度もこの人を見かけませんでした。さて,その結果と言えば,自民谷川、公明白浜、民主山本、共産山下、自由渡辺に次ぐ第6位。11万票以上を獲得しました。まあまあ健闘したと言っていいでしょう。
 さて,無党派を掲げて当選しながら,98年には自民党へ電撃移籍,選出の愛知県には「やめさせる会」までできた末広まきこ。見事落選しました。今回は比例区からの出馬でしたが,自民党内27人中25位。得票も2万に届かずと完敗。原因は当人にあるので,自業自得の感があり,同情する気にはなりませんなあ。もう出てくるなよ!

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あの赤旗は遅すぎたのでは?

 7/29,日本国内では参議院議員選挙が行われましたが,ドイツではF1ドイツGPが行われました。
 前日の予選で,Williamsがフロントローを独占,J−P.モントーヤがPPを獲得とWilliams旋風の予感の中でスタートとなりました。
 さて,そのスタート,FerrariのM.シューマッハのマシンのスピードが伸びず,ずるずると後退していく中で,ProstのL.ブルティのマシンがよけきれずに追突!ブルティのマシンは宙に舞い上がりましたが無事着地し,シューマッハ、ブルティ双方共にケガはありませんでした。
 レースの方は,即セーフティカーが導入され,各マシンはスピードを落とし,件の第1コーナーに向かいますが,追突事件の現場にはブルティとシューマッハのマシンの破片が飛び散っていて,TVの画面で見る限りタイヤの踏み込む隙もない状態に見えます。セーフティカーの先導の中,先頭のモントーヤはスピードを落とし,慎重に通り抜けていきますが,もはやレースをできるようなスピードではありません
 他のマシンも通り抜けるのに苦労している様子で,案の定レースは赤旗,再スタートすることになりました。
 さて,ここで問題となるのは,なぜ主催者は即赤旗を出さなかったのかと言うことです。TVの画面を見る限りでは,マシンの破片(白色で見えやすかった)はコースを埋め尽くすようにばらまかれており,破片をよけて通るのが無理なのは一目瞭然。主催者はセーフティーカーを出したとは言え,レースを止めずにマシンの破片の上を通らせてしまったのです。
 マシンの破片の上を他のマシンが通ることについての危険性と言えば,破片を踏むことにより,タイヤがパンクすることでしょう。今回は,赤旗が出たのでパンクしたマシンがレーシングスピードに戻って走るという事はありませんでしたが,もし,パンクしたマシンがあって,そのマシンがレーシングスピードで走ったとしたら…。高速サーキットだけに大惨事も予想できました。
 94年のサンマリノGPでは,スタート直後の事故でセーフティカーが出ましたが,数多くのマシンが破片を踏んだものと推測され,A.セナのコースアウトの原因として考えられた1つに「破片を踏んだこと」が挙げられています。
 破片を踏んですぐにタイヤがバーストすれば,まともには走れませんから,危険性が減ることはあるでしょう。しかし,突然タイヤがパンクあるいはバーストしたときの危険性は計り知れないものがあります。86年オーストラリアGPでのN.マンセルや95年オーストラリアGPでのM.ハッキネン等,一歩間違えれば死亡事故につながっているような事故が起こっているのです。
 そう言う背景で,しかも高速のホッケンハイムならば,マシンにあの破片の上を通らせた主催者の判断には疑問を持たざるを得ません。スタートラインからほど近い1コーナーまでの間で起こった事故であんな対応しかとれないとすれば,遠い場所で起こった事故についてどの様な対応がとれるのか疑問に思わざるを得ません。
 ともかくも,あの判断が危険な事態を招かなかったことに胸をなで下ろさずには居られません。もうちょっと赤旗を出すタイミングは考えられて然るべきではないでしょうか?

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靖国神社参拝に関わる論争

 8/15まで2週間を切り,小泉首相が靖国神社に参拝することについての論争も佳境に入りました。
 小泉首相は靖国神社に参拝するべきでないとする意見の根拠は,A級戦犯が靖国神社に合祀されていることや政教分離の原則などにあるようです。対して,小泉首相の方は,「戦没者に哀悼の意を示すののどこが悪いのか」という感情論で対抗しようとしているようです。
 さて,そもそも戦没者の定義とは何なのでしょうか?一般兵士もA級戦犯も戦争に関わって死んだことに違いはありませんが,一方は戦場で死に,もう一方は裁判で死刑となり死んだものです。広辞苑によると,戦没とは「戦場で死ぬこと」とあります。となれば,裁判に掛かって死んだA級戦犯は戦没者ではないことになります。
 そうなると,「戦没者に哀悼の意を示す」小泉首相は,どういう意図で参拝しようとしているのでしょう?心の中でA級戦犯を外すのでしょうか?それともA級戦犯を戦没者とするのでしょうか?
 いずれにしても,この論争,賛成派と反対派で論点がずれているのではないでしょうか?小泉首相が行くのは一向に構わんですけどね,政教分離さえ守ってくれれば。
 さて,私はA級戦犯が戦没者として祀られるのは嫌いです。だって彼らは指揮官じゃん,戦争に負けた責任取るのは当たり前。あれだけの兵士を死なせて戦争に負けたんだから,東京裁判以前に責任大ありだって。もう戦争の犠牲者であったとしても戦没者じゃねえよな。そなへんははっきりさせて欲しいね。
 A級戦犯が悪者(としてとらえられる)なのは,他国に対して戦争起こしたのもあるけど,自国の人民を戦争に駆り出して多数死なせたことにもあるんだぜ。為政者的責任については歴史教科書問題でもあまり触れられてないけどね。
 小泉首相は「熟慮断行」から「熟慮判断」にトーンダウンしているようです。果たしてどうなるでしょうか? どっかの人の話聞かない都知事は「反対意見は黙殺すればいい」って言ってますけどね。そりゃあ独裁者のやり方だっての。まあ,あの人はそんな物言いする人だからね,まともなうちは言わせておけばよいのです。

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日本の神話

 日本にも他の国同様神話があります。まあ神話ですから,それが事実かどうかと言うのは議論するだけ無駄。歴史的事実でないことは明らかです。ただ,それが伝承として残っているのはよくある話。
 そもそも,日本の神話ってのは,民間伝承と言うよりも,為政者が自分の統治行為を正当化するために作ったものとも言われています。神様は大和の統治者で化け物は抵抗勢力。だから,神話はある意味で歴史書と同等の性格を持っているんですね。
 日本では神話というと「天皇制賛美」につながるという非難があります。まあ,天皇の統治行為を正当化するためのものだったら,天皇(その頃は大王)を称える内容になるのは当たり前。でも,ここは天皇云々抜きで日本の神話を見てみましょうよ。
 私が日本の神話を見て一番興味を引かれたのは太陽神が女性で月神が男性と言うことです。中国の陰陽五行説では,日は陽,男につながり,月は陰,女につながります。ヨーロッパのローマ神話やギリシャ神話では,太陽神はアポロ(アポロン)で兄,月神はアルテミスで妹。
 太陽神が女性という神話は,中国の影響を受けたものではないようで,どこの系統なのでしょうね? 日本の文化を知る上で重要な鍵なのでしょうか?
 現在,歴史教科書には神話がほとんど載っておらず,日本の神話は自分で読まないと内容を見ることはできません。天皇制賛美者や懐古主義者には神話をありがたがる人がいるようですが,思想性抜きに神話を読んでみるのも良いのではないでしょうか?全ての作品は思想がからむと面倒なことになるので。
 色々と妙ちくりんな登場人物が居ますが,類似したお話もあるようです。どんな本を読むのが良いのでしょうね?
 ちなみに,私が一番おすすめしない神話の解説者は出雲井晶。あまりにも説明が懐古主義的で,今の世に生きているのが嫌になっちゃう。ただ神話の内容を説明するだけの本があれば,それがおすすめですね。

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