■ 変 奇 館 訪 問 記 ■
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4.
書誌を編むための作業を国会図書館ですることは膨大なエネルギーと
日数を要することがわかった。
これは余談だが、「礼儀作法入門」「私流頑固主義」の初出を調べるために、
雑誌「GORO」を閲覧した(さすがにこうした雑誌は他の図書館にはない)。
この雑誌は若い読者をターゲットにしており、アイドルの水着写真、
ヌード写真(時代からかヘア・ヌードではない)がふんだんに載っていて、
この閲覧は特別閲覧室で監視を受けながら(切り取り防止のためだろう)
閲覧した。
雑誌なら大宅壮一文庫に豊富に揃っていることは知っていたので、
3日目は同文庫へ行った。
結果を先に書くと、ここも成果として得るものはなかった。
雑誌の架蔵点数は膨大である。
平凡パンチだとかF六セブンといった週刊誌も揃っている。
だが私設図書館ということで利用する費用がそれなりに必要となるのだ。
私立である以上、それはやむを得ないことであるし、普通なら読み捨てに
なってしまうような週刊誌を中心に保存、そして項目ごと、人名ごとに
目録を作成する、といった大変な仕事をしているのだから、応援の意味でも
利用したかったのだが、費用の面で断念せざるを得なかった。
窓口にいた男性の職員の方が、私の利用目的を聞き、しかも私費での利用なら
おすすめできない、とアドバイスしてくれた。
一回の閲覧が10冊までで、閲覧料が500円、しかも一日に閲覧できる冊数は
50冊と制限がある。
その他、コピーを一枚とると170円である。
断っておくが、決して高額であることを批判しているのではない。
どこからの援助もなく、運営している以上、このぐらいは当然だと思う。
ただ私には・・・(涙)。
やむなく次に行ったのは、駒場の日本近代文学館である。
ここは余り期待していなかったが、大正解であった。
館内は閑散としており、雑誌の所蔵も心配していた「純文学」
系統ばかりでなく国会図書館ですら欠号だらけの「小説現代」のバックナンバーも
揃っていた。
人が余りいないということは待ち時間も少なく、一度に閲覧できる
冊数の制限もなく作業は漸く軌道にのった。
ここは入館する際に入館証を作ってもらうために、住所、名前を
記入することになっている。閉館時間がきても借りだした雑誌の
チェックが済んでいないことを知ると、職員の方が事務室へ案内してくれ
作業を継続させてくれた。遠くから来ているのだからこのまま続けなさい、
という配慮である。お役所仕事とは違う心づかいに感激した。
日本近代文学館のお陰で計画の消化は進んだものの、やはり報知新聞、
夕刊フジ、サンケイスポーツといった新聞の閲覧は
国会図書館に頼らざるを得なかった。
この東京での出張で多くの成果は得られたものの、それでもまだ沢山の
初出不明の作品が残っていた。
特に長篇小説「結婚します」がどこに連載されたものなのか
分からず参っていた。単行本、文庫本どちらにも初出は記載されていない。
婦人雑誌のいくつかもあたってみたが徒労に終わった。
書評紙3紙(そのころは日本読書新聞もあった)での書評のなかに
初出が記載されていないかと探してみたが、これもダメで途方にくれてしまった。
長篇小説の初出が不明のままというのは書誌としてやはり
体をなさないのではないかと思わざるを得なかった。
現代文学者の完璧な書誌を作ることは不可能である、と平野謙、
吉行淳之介、島尾敏雄らの書誌を編んだ青山毅氏が書いていたが、
氏が言っているレベルとは大きく異なることの自覚はあった。
氏が言っているのはもちろん、発表舞台となる雑誌、新聞の多種多様さ、
数の多さからそれらの全てを目配りチェックすることが
絶望的に難しいということだが、
私はそんな見得をきれるほどの精緻なものではない。
やはり無理だな、と思った。諦めよう。
とても素人の手に負えるものではないというのが実感だった。
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