■ 変 奇 館 訪 問 記 ■

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 2.
 

本当に変奇館訪問を果たしたのは、1997年7月4日である。
山口瞳氏が亡くなって間もなく、私は書誌を編む作業をスタートした。
これは全く個人的に氏の未知の作品を読みたいとの欲求からであった。
それを調べようとしたとき、氏にはそうした資料がないことに気がついて
義憤を感じたのである。
なぜ山口瞳氏ほどの作家なのに詳細な年譜もないのか。
氏が今まで刊行した著書を調べることもできないというのは不当な
取り扱いではないかと思った。
誰もやってくれないのなら自分でやろう、と短絡的に考えたのだが、
これは群盲、象を撫すのたとえどうりであることはすぐ分かった。

当時、大阪へ単身赴任していたこともあり、時間的な余裕があったので、
無為に過ごしている週末の有効活用といった気持ちが強かった。
書誌のなんたるかもよく分からぬまま図書館へ通いつめ、
オール読物、小説新潮、小説現代、そしてそれぞれの別冊、
文藝春秋といったメジャーな雑誌のバックナンバーを借りだして、
一冊ずつ目次のなかに山口瞳の3文字を捜しだすことからスタートした。
だがこうしたメジャーな雑誌であっても、昭和35年からバックナンバーが
揃っている図書館は少なかった。
まして、処女作である「江分利満氏の優雅な生活」を」連載した
「婦人画報」はあっても欠号だらけ、といった状態であった。

それと不思議なのは小説現代である。
中間小説誌の御三家と呼ばれる雑誌なのにも関わらず、
大阪・札幌、府立・道立の図書館に満足にないのである。
雑誌の収蔵については大阪よりも札幌の図書館--札幌市立中央図書館及び
北海道立図書館--の方が揃っていた。
いままで図書館には余りいい印象を持っていなかったが、
雑誌の閲覧で多大の恩恵を受けた。
もちろん、地方図書館であるから収蔵雑誌の種類が限られていることは
あるが、図書館の存在なくして書誌の完成はなかったであろう。

雑誌の種類の少なさ、欠号の多さはあっても、この時期はまだ余裕があった。
最後にまとめて国会図書館で調べると全てが解決すると思っていたのだ。
なんといっても国会図書館はわが国唯一の納本図書館であり、
日本で出版された書籍、雑誌は全て納本されているのだから、
ここにないものはないと思っていた。
大阪で、札幌で口惜しい思いを重ねるたびに、国会図書館への思いは強まる
一方であった。
休みがまとめてとれるゴールデンウィークを利用していよいよ国会図書館へ
行く計画をたてた。
見たい雑誌、週刊誌、新聞をリストアップした。
国会図書館の効率の悪さを聞いてはいたが、5日間通いつめたらなんとか
なるだろうと考えた。
   

                          

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