「N」

1P目 2P目 3P目 4P目 5P目

 

 沈みかけた太陽が、城壁を綺麗な橙色に染めている。
その上を歩く一人の青年もろとも。
「デュラン様、異常はありませんか?」
青年の側に兵士が駆け寄り、そんな事を言う。
「ナーディス、俺なんかにそんな言葉遣いするなって何度も言ってるだろ?」
青年が少し怒ったような照れたような表情を浮かべる。
「でも、だって…」
「あぁもう、何度も言わせんなよ!! 俺は一年前となんにも変わっちゃいねぇんだって!!!
 昔も今も、俺はお前と同じただの傭兵だっ!!! 分かったかっ!!!!」
青年…デュランが兵士を怒鳴りつける。
「…分かったよ。でも、絶対におれなんかとは違うよ。
 だって、デュランさんは聖剣の勇者と共に世界を救った英雄なんだから…」
「それとこれは話が違うぜ。たとえ世界を救った英雄になったって、俺は前と全然変わってねぇって事だ」
(それが思いっきり変わったんだって…)
兵士は心の中でそう呟いていた。
「…分かったな?」
しかし、ドスの利いた声で念を押すデュランに対し、兵士はうなずくことしか出来なかった。
「それにしても、平和だな」
デュランが夕焼けを眺めながら兵士に語り掛ける。
「デュランさんたちのおかげですよ」
兵士がそう言って笑った。しかし…
「…平和過ぎて、逆に怖ぇ」
デュランの顔は真面目だ。
「何か、とんでもないことが起きそうな気がしてならねぇんだ。良い事か、悪い事かはわからねぇけどな」
「…ホントですか? それ…」
「あくまで、気だ。あまり深刻になるなよ、ナーディス」
(そう言われたって、困るんだってば…)
しかし、兵士はその言葉をかろうじて飲みこんだ。

 その夜。
いつも通りフォルセナ城の警備をしていたデュランは、何気なく城の中庭へ降りてきていた。
門に目をやると、かすかに血痕がこびりついている。
一年前の、紅蓮の魔導師による襲撃の痕跡だ。
「……」
その時の様子を思い出しているのか、デュランの表情は堅く重い。
「…何考えてんだ俺。もう全ては終わった事なのによ…」
そう吐き捨て虚しそうに笑う。
「そう、もう全て……!?!?」
  ひゅるるるるるるるるるるるる……
空から、聞きなれたような懐かしいような、何かの落下音が聞こえてきた。
「この音は…まさかっ!?」
思わず天を見上げたデュランの目に、空の彼方からくるくる回りながら近づいてくる
一人の見慣れた女性の姿が映った。
「…アンジェラ…!? ……う、うわぁ!!!!!!!」
  どすん!!!!
なんという偶然か運の悪さか、デュランは落下してきたアンジェラの下敷きになってしまった。
「…ってぇ……なんてこったぁ」
「うっ…あ!? デュ、デュラン!?!?」
自分の下にデュランがいることに気付き、アンジェラは慌てて彼の上から降りた。
「ごめん!! ホントにごめんね!!!」
「…てて…オマエなぁ…何しに来たんだよ、こんな夜更けに」
痛そうに頭をさすりながら、デュランがあきれたように深夜の来訪者に訊ねる。
「私だって、好きでこんな時間に来たわけじゃないわよ。
 久しぶりにカメちゃんと大砲を使って来たものだから、思ったより時間がかかっただけ」
「はぁ? バカかオマエ、フラミーで来りゃ良かったのに」
「フラミーじゃ目立ちすぎてすぐ見つかっちゃうじゃない。誰にもナイショで城を抜け出した意味が無いわ」
アンジェラはアンタにバカなんて呼ばれる筋合いは無いわ、とでもいいたげな口調で答えた。
「…で、何の用だ? お忍びってことは、また暇つぶしに俺をからかいにきたのか?」
「ううん……デュラン」
急にアンジェラの表情が真剣になる。
「なんだよ、そんな顔して。オマエらしくもねぇ」
「…頼みがあるの…」

「…それ、マジホンの話かよ?」
自宅でアンジェラの話を聞いたデュランはそう返した。
「だから、それを確かめに来たのよ。日記に本当の事が書かれているなら、私のお父様と弟は
 この国にいるはずだもの。日記に書かれてた様子だと、Rさん…お父様はこの国の騎士だったらしいの。
 だったら、もしかしたらデュランに訊けば分かるかもしれないって思って…」
アンジェラが少し自信無さげに答える。
「全く…オマエ、ホントにバカだな」
「何がよ?」
デュランはやはり呆れ顔をした。
「はじめっから理の女王に訊けばわかったことじゃねえか。わざわざフォルセナまで来なくったって」
しかし、アンジェラはそんなことわかってたといった様子で
「お母様がホントのことを言ってくれるかどうか、怖かったの」と呟く。「それに…」
「それに?」
アンジェラはデュランの顔をしばらく見つめた後、突然意地悪そうに答えた。
「それに、久しぶりにアンタのバカ面が見たかったしね」
「て、てめぇ!!」
デュランの反応が愉快とばかりに、アンジェラは楽しそうに笑った。
「あ〜あ、夜中だってのに、おアツイねぇ」
そんなとき、デュランの背後から黄色い声が飛んできた。
「ウェンディ!」
声の主は、デュランの妹ウェンディであった。
「起こしちゃった? ごめんね、ウェンディちゃん」
アンジェラが少し申し訳なさそうに謝る。しかし…
「いいのいいの。だって、私の未来のお姉ちゃんなんでしょ?」
「な、何言いやがるんだウェンディ!!!!!!」
デュランの顔がトマトみたいに赤くなる。
「隠したってムダだよ。顔に書いてあるもん♪」
「てめぇ!!!!」
「…………」二人の様子にアンジェラは口も開けない。
「それにしても、一国の王女様を引っ掛けるなんて、お兄ちゃんもやるじゃん☆」
「アホ!! 誰がこんなバカ女好きで引っ掛けるもんかよ!!!!」
(兄妹って賑やかね…私も妹か弟が…………………)
「…アンジェラ?」
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「……え? …あ、あれ???」
いつのまにか、アンジェラの瞳から大粒の涙が溢れ出していたのだ。
「…そうか…そうだったよな。すまない…」
デュランが申し訳無いといった様子でアンジェラに謝る。
「ううん、いいの。私はそれを確かめに来たんだし」
(…随分素直になったな、コイツ…)
慌てて涙をぬぐい、けなげに笑うアンジェラを見て、デュランは心の中でそう呟いた。
(もっとも、それは俺も同じか)

「イニシャルがN。父親のイニシャルがR。んで、母親がいない…そんなヤツいたかな?」
アンジェラの頼みを訊き入れたデュランは、その頼りなさそうな脳みそをこねまわしていた。
「う〜〜〜〜ん…イニシャルNってヤツは何人か思い当たるけど、そいつらのオヤジまでは…」
「ひとり、いるよ」
そんなデュランを陰から支えてきた妹ウェンディが二方に話しかける。
「お兄ちゃんの後輩の、ナーディスって人。あの人のお父さん、ラドクリフっていわなかったっけ?」
「…そういえば、そうだった気もするような…」
「それホントなの、ウェンディちゃん?」
該当者が見つかったためか、アンジェラの表情は明るく輝いている。
「私もはっきりと覚えてるわけじゃないけど…お兄ちゃん、確かめてね」
「ああ、わかったよ。明日城で……?」
デュランの服の袖をアンジェラがぎゅっと握り締めていた。
少し口唇をすぼめたその様子は母親に甘える子供に見えなくもなかった。
「…………………………」
「…わかったよ。明日、ナーディスに一緒に会おう。もしかしたら、弟かもしれないんだろ?」
「…ありがとう…デュラン……」
消え入りそうな声で返事をすると、そのままアンジェラは瞳を閉じ、デュランに倒れ掛かってきた。
「!!!!!!! お、おいっ!!!!!!!」
「…すー…すー…」
「………………」
その様子を見ていたウェンディがくすっと笑った。
「…オマエももう寝ろ!!」

「おかあたま、これ、なぁに?」
こじんまりとした小さな部屋で、一人の少女が母親らしき女性に訊ねている。
まだ2歳くらいの、やっと物心がつき始める頃の、あどけない女の子。
「あなたの弟よ、アンジェラ」
母親がその腕の中の赤子を少女にのぞかせる。
生を受けたばかりのその子は、母の腕の中ですやすやと眠っていた。
「おとうと?」
「ええ、そうよ。弟」母親はほほえんだ。「ナ…………って…―――――――――――――――」

窓から差し込む朝の光に照らされ、アンジェラは現実に引き戻された。
「…ナ…???」
自分のいた世界からまだ完全に抜け切っていないのか、アンジェラは夢の中で母が言いかけた弟の名前を
呟いた。が、やっと目が覚めたことに気付いたらしく、自分のいる部屋をきょろきょろ見回した。
どうやら自分は知らない間に眠ってしまったらしい。
(でも、この部屋、誰の部屋なの…???)
 自分が寝かされていたベッドのほかに小さなテーブルが一つ置かれている、少し埃っぽい部屋。
壁には剣が何本か掛けられていて、部屋の隅には鎧や盾などが乱雑に押し込められていた。
(…デュランの部屋かしら?)
そう思うと、アンジェラは急に恥ずかしくなった。
 一年前、旅の途中フォルセナに立ち寄った時、この家に入ることをデュランは頑なに拒否した。
「俺は誓ったんだ。紅蓮の魔導師を倒すまで家には帰らないって」
強い決意を感じさせる言葉に圧され自分はそれを認めたが、本当は彼の部屋を見てみたかった。
この無骨で粗野で乱暴者のデュランが、どんな家庭で育ってきたのか知りたかったのだ。
 彼の性格が、どことなく自分と似て見えたからかもしれない。
 ただ単に、興味があっただけなのかもしれない。
おそらく、両方正しいのだろう。
「お姉ちゃん、起きた?」
ウェンディの声に、アンジェラは再び現実に引き戻された。
「おはよう、ウェンディちゃん…ごめんね、どうもいつのまにか寝ちゃったみたいで」
「ううん、いいのいいの。それより、こっちこそごめんね」
「?」
ウェンディは部屋を横目で見ながら言った。
「お客様…しかも一国の王女様をこんな汚い部屋にしかお泊め出来なくて。
 とりあえず、お兄ちゃん掃除したみたいだけど、この様子じゃあ…」
ウェンディの言葉を聞き、アンジェラはここがデュランの部屋であることを確信した。
「…嬉しい…」
「えっ?」
アンジェラの頬が、ほのかに赤く染まっていた。

「それ、ホントに昔の記憶なのか?」
朝食の席で、アンジェラの夢の話を聞いたデュランがパンを頬張りながら訊ねた。
「わからないわ。ただの夢なのかもしれない。でも…」
「…まぁ、どちらにしろわかるのが『ナ』だけじゃ意味ねぇか」
「そうよね。昨日言ってた通り、そのナーディスとかいう人に話を聞かないと…」
 そうアンジェラが言った時だった。
突然外が騒がしくなり、「魔物だー!!」という叫び声が聞こえてきた。
「魔物!?」
アンジェラが思わず手にしたスプーンを落としてしまう。
「なんだと!!」
パンを食いちぎり、デュランが外へと走り出す。
「待ってデュラン!!」
アンジェラも慌ててその後を追う。
「!!」
外は、アサシンバグが大量に飛び回っていた。しかも、地面にはところどころ穴のようなものが見える。
「モールベアもか…しかし、なんだってこんなときに」
「とにかく、退治しなきゃ!!」
アンジェラが大通りの方へ駆け出した。
「お、おい待てアンジェラ!オマエ、武器も持ってねえじゃねぇかよ!!!」
アンジェラの後を追おうとするデュランを、ステラが止めた。
「アンタも丸腰じゃない。ホラ、コレだけでも持ってきな!!」
ステラが差し出したのは、旅をしていた時に使っていた剣だった。
「ありがとうおばさん。じゃあ、ちょっくら行ってくるぜ!」
「くれぐれも死なないようにね!!」

 アサシンバグとモールベアの大群は、街を荒らしまわっていた。
フォルセナの騎士・兵士達が善戦していたのだが、何せ数が多すぎる。
騎士達は少しずつ押され気味になり、怪我を負う者も多く出始めた。
 そんな中、魔物の真っ只中に一人飛び込んでいった女性がいた。
アンジェラである。
「ちょっと、これ借りるわよ!!」
近くの民家から物干し竿を取ると、
もぐらたたきのように顔を出してくるモールベアを容赦無く叩きつぶしていく。
そのあまりにも常識はずれた光景に騎士達は一瞬あっけに取られたが、
すぐに体制を立て直し再び魔物を追い詰めていった。
 しかし。
  ばきぃっ!!
「あっ!!」
やはり荷が重かったらしく、物干し竿が折れてしまったのだ。
「もうっ、どうしてこんなときに!!」
折れた竿を投げ出し、代わりの武器を探すアンジェラ。
だが、近くに武器の代わりになりそうな物は見当たらない。
遠くへ探しにいこうにもアサシンバグが邪魔して動けない。
 そんなとき、突然アンジェラの立っている大地が揺れ、彼女の足下からモールベアが出現した。
「きゃあっ!!」
思わず地面にしりもちをついたアンジェラに、アサシンバグとモールベアが群がっていく。
(しまった…!)
 そう思った時だった。
アンジェラの目の前に、一人の青年が立ちはばかった。
(デュラン!?)
しかし、その後ろ姿はデュランではなかった。
  ざしゅっ…
アンジェラをかばった青年は、アサシンバグの攻撃をもろに食らってしまった。
「だ、大丈夫?」
「おれは大丈夫です、それより、早く逃げてください!!」
青年はそう言い、腰から剣を抜き放つ。その右腕の傷口は不気味に青く変色していた。
「でも、アンタ、その傷…!」
「これくらい平気です、さぁ早く!!」
 青年の気迫に圧され、アンジェラは彼の言う通りにその場を離れた。
そして、代わりの武器を探しながらも青年の闘いに見入っていた。
「ナーディス! お前、毒受けてるじゃないか!!」
フォルセナ騎士と思われる男性が青年を見て叫んでいた。
(ナーディス!?)
あの青年が、ナーディス…?
アンジェラは一瞬何もかもを忘れたかのように、青年…ナーディスを見つめた。
 そのとき。
「アンジェラ!!」
デュランの緊迫した声が聞こえた瞬間、後頭部に鈍い衝撃が響き、
アンジェラの意識は深い闇へと落ちていった。

「アンジェラ!!」
デュランの叫び声が辺りに響き渡る。
突然の背後からのモールベアの攻撃に、アンジェラは気を失ってしまったのだ。
慌ててアンジェラの側へ駆け寄ろうとするデュランの耳に、もう一つ、何かが倒れる音が聞こえてきた。
音のした方を振り向いたデュランの目に、右腕の大部分を青く変色させ、
もう立ちあがる力も残ってなさそうな青年の姿が映った。
「!! ナーディス!!!」
 アンジェラと同じように、ナーディスも多数の魔物に囲まれていた。
そう簡単に助け出せない。誰もがそう判断した。
 しかし…
「てめぇら邪魔だ!! どけぇーーーーーーーーーーっ!!!!」
デュランがファ・ザード大陸全土に届けとばかりの大声を上げながら剣を振りかざすと、
その剣からまばゆいばかりの閃光が発せられ、街中の魔物のほとんどが消し去られてしまったのだ。
「アンジェラ!!!」
デュランは剣をしまうと、すぐにアンジェラの側へ駆け寄り、彼女の具合を確かめる。
「怪我人の手当てと、倒しそびれた魔物の始末を!! 早く!!!」

1P目 2P目 3P目 4P目 5P目 ホームに戻るの? 小説のページに戻るの?