辺りは闇に包まれている。
何も見えない。何も聞こえない。
…いや、たった一つだけ聞こえるものがある。誰かの、呼吸。
それは自分のすぐ側から聞こえてきていた。
誰のものかはすぐにわかった。
「デュラン!」
アンジェラは傍らに倒れているデュランの体を手探りで探し当て、強く揺さぶった。
「…ん、んん……」
すぐにデュランは目を覚ました。が、辺りは完全な闇だから、どういう状態なのかはわからない。
「アンジェラ? ここは…?」
「わからない。私もさっき気がついたばかりなの…大丈夫?」
「ああ、多分。怪我とかはしてなさそうだ」
そう言うとデュランは立ち上がり、暗闇に目を凝らした。
目が慣れると、うっすらと扉のようなものや、装飾品らしきものが確認できた。
「滝の洞窟じゃなさそうだな…まさか、ビーストキングダムか?」
「どうしよう…こんなことになっちゃうなんて。私たち、一体どうなるの…」
珍しく弱気な発言をするアンジェラに、デュランは
「大丈夫だ。なんとか逃げ出す方法を考えよう」
と安心させるように言い、扉の方へ足音をを忍ばせながらゆっくり歩き出した。
「ここにホークアイがいりゃあなぁ…」
そう呟きながら、デュランは扉をゆっくりと押し始めた。
すると、
「ありゃ?」
なんと、扉は何の抵抗もなくあっさりと開いてしまった。
「カギをかけ忘れたのか、それとも何かのワナか…」
「あまり不安にさせるようなこと言わないで。いきましょう」
扉を出た先も真っ暗で、壁には窓もローソクもない。人の気配も感じられない。
いや、もしかしたらわざとそうしてあるのかもしれない。
二人は獣人に見つからない事を祈りながら、闇の中を進んでいった。
そして、またも目の前に大きな扉が立ちふさがった。
「明かりだわ……」
扉の隙間から、かすかに明かりが漏れている。
それだけではなく、人の話し声も聞こえてきていた。
「……どうする、アンジェラ。開けるか?」
「…もう闇を進むのはイヤ。でも、もし中にいるのが獣人だったら…………」
かすかな明かりの中、アンジェラの顔は暗く沈んでいた。
「…大丈夫だよ、アンジェラ」
デュランがアンジェラの肩にそっと腕を回し、優しく背を叩いた。
「オマエだけは、なんとか逃げ出させてみせる」
その言葉に、アンジェラは小さく叫んだ。
「そんな…デュランは、それじゃデュランはどうなるの!?」
「……大丈夫。そうカンタンに死にやしねぇよ」
そうデュランは笑ったが、強がっているのは明らかだった。
「そんなのダメ!!!」
そう叫ぶなり、アンジェラはデュランに抱きついた。
「アンジェラ!?」
「アンタを置いて逃げるなんて私には出来ない!! 一緒にアルテナに…フォルセナに帰るのよ!!!
だって、お母様を悲しませたくない…お父様に娘らしい事何一つしてない…デュランに」
「俺……に?」
アンジェラが顔を上げ、デュランと視線を合わせた。
「……スキだって言ってない」
とんでもないところで、とんでもないところから飛び出したアンジェラの告白に、デュランは
しばらくかなしばりになった後、その顔を真っ赤に熟れたトマトにした。
「え、え、え…………お、オマエ……」
「だから……アンタに死なれたら困るのよ。わかった?」
そう口調を強くしたアンジェラの顔も、デュランに勝るとも劣らない見事なトマトだった。
「……わかったよ、アンジェラ…絶対生きて帰ろうな。
俺も…オマエに、言わなきゃならないことがあったの……思い出したから……」
やっと口を動かせたデュランの言葉は、緊張のせいかところどころかすれていた。
「イマここで言えないの?」
「……言えない」
「なんで???」
アンジェラの問いに、デュランはさらに顔を熟させたあと答えた。
「………………用意、してないんだ」
「何を???」
「……………………………………………………………………………………………………指輪」
「そんなの、必要な……って、えええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!」
自分達の置かれている状況をすっかり忘れてしまったかのように、アンジェラは大声を上げた。
「!! バカアンジェラ!!! 声デカすぎだ!!!!」
そのデュランの声も、扉の向こうの獣人たちを気付かせるには充分だった。
「ニンゲンが逃げ出したぞ!!」 「この扉の裏側だ!!」
にわかに扉の向こうが騒がしくなる。
「ど、どどどどどどうするの、デュラン!!」
「……こうなったら!!!」
そう叫ぶや否や、デュランはアンジェラの腕を掴むと、ひょいっと彼女の体を抱き上げた。
「デュラン!?」
「強行突破だ、しっかり構えとけ!!!」
そして、アンジェラを抱きかかえたまま、デュランは扉へ突進した。
「うおおおおおおおおおりゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
ばあぁん!!!!
デュランの体当たりを受け、扉は勢いよく部屋の中へ跳ね返った。
そして、デュランはそのまま部屋を縦断しようとものすごい速さで走り出す。
が。
べちょっ
「!?」 「!?」
不快な音と、ねっとりした感触と、甘い匂いと味が同時に二人を襲った。
そしてそのすぐ後、ものすごい拍手と笑い声が部屋を満たしていた。
「ぶはっ!! な、なんだこりゃあ!?」
「ちょ…ちょっと!!!」
ナゾの物体から顔をはずした二人の目に、笑いながら拍手をしている大勢の人々、
顔の形にのめりこんでいるウェディングケーキ、祭壇に立つ光の司祭の姿が映った。
「ど、どどどどどどどどういうことだこりゃあ!!!!!!」
「デュ、デュラン!!! アンタ、その格好!!!!」
「えっ…あああ!! アンジェラ、オマエも!!!!!」
なんと、いつのまにかデュランは見事なタキシード、アンジェラは純白のウェディングドレスを
身に纏っていたのだ。
「えー、それでは、これからフォルセナの誇る黄金の騎士デュランと、アルテナ王女であり、
世界を救った聖剣の勇者でもあるアンジェラのプレ結婚式を行います!!
新郎・新婦は祭壇の前までどうぞ!!!」
二人にとって聞きなれた声が響くと同時に、客席からわぁーっと歓声が上がる。
「ホ、ホークアイ!!」
「一体どういうこと!!」
祭壇の側に立つホークアイを見つけると、デュランとアンジェラはまっしぐらに彼の元へと走り寄る。
「どうだったかい、二人きりで敵地に閉じ込められた時の気持ちは?」
ホークアイがにやにや意地悪そうに笑いながら二人に尋ねる。
「コレ、全部アンタの仕業だったの!? どういうつもりなの、説明しなさい!!!」
アンジェラはクリームだらけの顔を真っ赤に染めていた。怒りからなのか、テレからなのかはわからない。
「待って。私が説明するわ」
アンジェラのうしろから一組の男女が歩いてきた。
「国王陛下!? ヴァルダ女王!?!?」
「これは、私とヴァルダがひそかに相談して決めた事だったのだよ」
英雄王が少し申し訳なさそうに話す。
「どういうことなんですかお母様、お父様。いったいこれは…!」
「あなたたちがいつまでたっても素直にならないから、ちょっとしたイタズラのつもりで
あなたたちのプレ結婚式を計画したの。こうすれば少しはあなたたちも素直になるだろうって思ってね。
それで、そこの彼にこの事を話して実行してもらったんだけど……」
理の女王はホークアイをちらりと見た。
「ま、いいじゃん。こうして無事結婚式会場まで辿りつけたんだし、それに楽しかっただろ?」
ホークアイは相変わらず楽しそうに笑っている。
「相手の気持ちを確かめられたんだしさ☆」
「……!!」
扉の前での会話を思いだし、デュランとアンジェラはそろって顔をトマトにした。
「さ、新郎新婦様方、司祭様がお待ちですよ。祭壇の前までどうぞ」
さわやかな笑顔で、ホークアイが二人の背を軽く押す。
「……どうするの、デュラン…」
アンジェラが小声でデュランに話しかける。
「…イヤか?」
「え?」
「……俺が相手じゃ、イヤか?」
「――――――――!!!!」
祭壇につく前に、すでにアンジェラはデュランに抱きついていた。
「…コホン。えー、汝……」
司祭がお決まりの言葉を言い始めようとするが、それをホークアイが制した。
「アイツラにそんなのいらねぇよ。さっさと進めちまいな」
「……では、誓いの口付けを……はりゃ」
司祭の言葉が終わる前に、デュランとアンジェラは誓いを交わしていた。
アルテナ・フォルセナ両国挙げての二つの結婚式は三日三晩続き、ようやく終わりを告げた。
聖都ウェンデルの街は祭りの後始末に追われる人々で溢れ返っているが、それもすぐに終わり、
ウェンデルの街も人々も、今まで通りの静かな日常に戻っていくだろう。
「シャルロット、ホントにごめんね!!!!!」
「んもぅ、ホントにしぬかとおもったでち!! あんたしゃんならあんたしゃんだと
はじめっからちゃんとしらせてくだちゃい!!! もうガキんちょじゃないんでちからね!!!!」
そんな中、光の神殿の前にぷんすか怒りをあらわにしている少女と、少女に何度も頭を下げている
一人の少年、それにそんな二人を見守る一人の神官がいた。
「うぅ…で、でも、ホークアイが『誰にも知られない方が上手くいく』って言うから……」
「あんなロンゲおとこと、このびしょうじょの、どっちがだいじなんでちかケヴィンしゃん!!!」
「うううぅ…………」
シャルロットに完全にやり込められているこの少年が、
前日ウェンデル中を騒がせた獣人だとは誰も思わないだろう。
「まぁ、いいじゃないかシャルロット。結局みんな無事だったわけだし……」
ヒースも実はホークアイから『計画』をあらかじめ知らされていたのだが、ケヴィンと同じように
口止めされていたため、何もシャルロットには教えられなかったのだ。
それに、シャルロットに『計画』を話したら、
きっと彼女はデュランやアンジェラにこのことを話してしまうであろうことも容易に想像できた。
「ぷうぅ!!!」
シャルロットはやっとケヴィンを責める事をやめた。
「本当に楽しかったですね、デュランさん、アンジェラ様」
城塞都市ジャドで、ナーディスがデュランたちに話しかけてきた。
「まあな。それに、ビーストキングダムから親書が届いたんだろ?」
デュランとアンジェラの『プレ結婚式』の最中、ホークアイが一人の少年を伴って
英雄王たちのところを訪れたのだ。
その少年はビーストキングダムの獣人王の一人息子で、父王から親書を預かってきたのだという。
それには、人間界への侵攻の謝罪、英雄王と理の女王への祝辞、そしてこれからは共に
マナの失われた世界を支えていきたい と書かれていた。
「これで全ての禍根が無くなった事になる…のかなぁ?」
「そうカンタンには無くならないでしょうね。でも、少なくとももう争いは起こらないはずよ」
「……ホントにそうだといいんだけどな……」
何故かやつれた様子のホークアイが口をはさんできた。
「!? どうしたのホーク、そんな顔して」
「……!!!!! やばい、隠れろ!!!」
小さく叫ぶと、ホークアイは素早く建物の影に隠れた。
どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどど……
「いないわ!! さっきまで確かにこの辺にいたのに!!!
ねぇあなた方、ホークアイがどこにおられるかごそんじありませんか?」
象のような足音とともに現れたリースの問いに、デュランたちはとっさにあさっての方向を指差した。
「あっちね!!!!! 急がないと、あの女に先を越されてしまうわ!!!!!!!!!!」
どどどどどどどどどどとまたも象のような足音を響かせ、リースはあさっての方へ走り去っていった。
「…………」
しばらくの間、誰も何も口に出せなかった。
「……次は彼に年貢を納めてもらわねばならぬようだな」
やっと英雄王の口を開いて出た言葉に、その場にいた者全員が笑った。
「そうですね。もうこのコたちには納めてもらったものね」
理の女王が目の前の娘と将来の息子の肩を軽く叩いた。
「お母様ったら…まだ正式に結婚したわけではないのですよ?」
「なら、その指輪は何なのだアンジェラ?」
「えっ? …エヘヘヘヘヘヘヘヘ」
いつのまにか、デュランとアンジェラの左手には、小さく輝く指輪がはめられていた。
沢山の人々を沢山の想いと共に乗せ、船はゆっくりと彼らを故郷へと運んでゆく。
繰り返す波の音は、遥か昔に失われた筈の想いまで呼び覚ますという。
「……ナサニエル……」
船の甲板から少し身を乗り出し、潮風に髪を靡かせているアンジェラがかすかにそう呟いた。
今回の一連の出来事の中、ただ一つ出来なかった事。 …弟に会う。
式の時はあまり意識していなかったが、こうして船に揺られていると、
永遠に会う事の出来なかった弟の事をどうしても意識してしまう。
彼は、天国から自分の晴れ姿を見てくれていたであろうか。
それとも生まれ変わり、新たな人生を過ごしているのであろうか。
……無意識のうちに、アンジェラは再び呟いていた。
「………ナサニエル…………」
(…なに?)
「!!!!!!!!!!!!!!!!」
不意に返事が聞こえたような気がして、アンジェラは反射的に後ろを向いていた。
「ちょ、ちょっと、今…!!!!」
「?」
甲板にいた人々が、不思議そうな顔をしてアンジェラに注目する。
「どうしたんですかアンジェラ様?」
「ねぇナーディス、今声が聞こえなかった?」
「声???」
「なに っていう声!!!」
しかし、ナーディスはやっぱり不思議そうな顔をするだけだった。
「姫様、きっと気のせいですよ。波の音がそう聞こえたんでしょう」
ヴィクターが半ばあきれたようにアンジェラに答える。
「……………そう、よね…」
そんな事はありえない、とアンジェラはなんとか自分を説得した。
(あなたが生きているなんて、ありえないものね、ナサニエル…………)
アンジェラの瞳からかすかに零れ落ちた雫は、潮風に乗って、弟のもとへ運ばれていった…。
FIN.