「N」

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「おかあたま、どうしてないてるの?」
一人の少女が母親らしき女性に話しかけている。
しかし、母親は娘の方を見ようともせず、顔を手で覆い隠し、ただただ泣いていた。
「あたちのおとうとは、どこにいるの? さきにおしろにかえっちゃったの?」
しかし、母親はやはり娘の問いに答えようとはしなかった。
「ねぇ、おしえておかあたま……………―――――――――――――――――――――――」

 うっすらとまぶたの中に光が差し込んでくる。深かった闇が、少しずつ消えていく。
しかしアンジェラはそのことにすぐには気付かず、無邪気な問いを繰り返す少女に見入っていた。
昔の自分に。
「……!!」
やっと自分が夢から覚めたことに気付き、慌てて上半身を起こす。
「うっ…ここは…?」
「城の医務室だ」
すぐ側には、デュランが座っていた。
「デュラン…………えっと…???」
「魔物だったら退治したよ」
「そう……よかった」
アンジェラはほっとしたような表情をうかべた。が…
「ナーディスは…ナーディスはどうなったの!!」
その問いかけにデュランは答えなかった。
「どうしたの? …まさか……」
アンジェラの顔がみるみる青ざめていく。
「あのぉ…おれがどうかしたんですか?」
「へ???」
自分の寝かされていたベッドの左側からすっとぼけた声が飛び、アンジェラは思わずマヌケな声を出した。
 見ると、自分のすぐ左のベッドにナーディスが寝かされていた。
「怪我なら大丈夫です。解毒もしてもらいましたし…だから、心配しないで下さい」
そう言い、ナーディスは微笑んだ。
しかし、アンジェラの表情はもとには戻らず、むしろさらに泣き崩れていった。
「大丈夫って、あんなムチャされたら誰でも心配するわよ! 
 せっかく会えたと思ったのに、自分のせいで死なせてしまったなんて絶対イヤだわ!!
 もう、私のためなんかにあんなこと絶対にしないで!!! お願いだからっ!!!!」
 一気にたてしまくると、アンジェラはそのまま泣き出してしまう。
「???」
アンジェラの言葉が上手く飲みこめなかったらしく、ナーディスは不思議そうな顔をした。
「デュランさん…あの…せっかく会えたって、何のことなんですか?」
「しょうがねぇな全く…でも、ここで喋っていい話なのかどうか」

 アンジェラが泣き止むのを待って、三人はデュランの家へと移動した。
そして、アンジェラはそこでナーディスに全てを話した。自分がアルテナ王女であること。
どうしてフォルセナに来たのか。そして、先ほどの行動の理由。
「デュランに聞いたところ、条件に当てはまるのがあなたひとりだったのよ。だから、
 もしかしたらって思ってサ…ねぇ、あなたはこのことについて、どう思う?」
 ナーディスは少しのあいだ考えるような表情をした後、はっきりとこう答えた。
「おれは、あなたの弟君ではありません」
「…そう……」
アンジェラの返事は力無かった。
「アンジェラ……」
デュランが心配そうにアンジェラの顔を覗く。
「…ううん、大丈夫よ。もともと期待なんかしてなかったし、それに…」
アンジェラは笑ったが、やはりその笑顔は頼りなかった。
「…夢を、見たの」
「夢?」
「ええ…」
 アンジェラの脳裏に、気を失っているときに見ていた過去の光景が広がった。
顔を覆い隠し、すすり泣いている若き母親。不思議そうにそれを見つめている幼き自分。
こころなしか、自分の立っている大地は不安定にゆらゆらゆれている。
そして、まわりの景色はひたすら続く群青色。
「…船に乗ってる夢。お母様と二人だった。でも、お母様は泣いてるの。どうしてか分からないけど…」
「……記憶にあるか?」
「無い…でも、かすかにこんなこと覚えてる」
アンジェラは瞳を閉じた。
「いつのことだったか、お母様に抱きかかえられたまま海に飛び込んだの。
 水がとても冷たくて、波が荒くて、とても苦しかった…すぐに水から上がったんだけどね」
「夢と何か関係あるんですか?」
「わからないわ…でも…」
三人はすっかり考え込んでしまっていた。
 そんなとき。
「アンジェラ!」
不意にドアが開き、一人の女性が部屋に入ってきた。
「お、お母様!?!?」
 入ってきたのは、アンジェラの母・理の女王だったのだ。
「…お母様、ご…ごめんなさい!! 私…」
しかし、理の女王はアンジェラに駆け寄ると、いきなり彼女をぎゅっと抱きしめた。
「ごめんねアンジェラ!! 私のせいで、またあなたを悲しませてしまって!!!」
「えっ、え…???」
思いもしない女王の行動に、アンジェラもデュランもあっけにとられていた。
ナーディスはといえば、自分の目の前にいる女性がアルテナを治める理の女王だと飲みこめずにいた。
「どういうことですか理の女王?」
やっとデュランが言葉を外に出せた。
「私のせいだわ…私があなたに本当のことを言わなかったから、
 あなたにまたつらい思いをさせてしまった。許して、アンジェラ…」
「ちょ、ちょっと、どういうことなのお母様! どうしてお母様が謝るんですか!?」
しかし、理の女王は娘を強く抱きしめたまま離そうとしない。
「……まさか、あなたはアルテナの…?」
ナーディスがようやく事情を飲み込んだらしい。
「…ええ、私はアルテナを治める理の女王・ヴァルダ。アンジェラの母です」
やっとアンジェラを解放した女王がナーディスに答えた。
「それで、お母様、いったいどうなされたのですか? 私を捜しに来たのですか?」
「ええ。それと、リチャード…英雄王にも用件があったの。あなたと…ナサニエルのことで」
「ナサニエル?」
「…あなたの弟よ」

 フォルセナの街に大量の魔物が押し寄せた次の日、またも意外な訪問者がフォルセナを訪れた。
魔法王国アルテナの理の女王ヴァルダと、その娘アンジェラであった。
 一年前、まだ世界からマナの力が失われる前、フォルセナはアルテナに侵攻され、多大な被害を被った。
もっともそれは理の女王自身の意志ではなく、彼女を操っていた紅蓮の魔導師の仕業だったのだが
真相を知る者は数少なく、フォルセナの国民の中にはアルテナを深く恨んでいるものも少なくない。
 そのアルテナの女王が、何の前触れも無く突然フォルセナを訪れた。
しかも、護衛もつけずに、娘一人を伴っただけで。
女王が恨みを持つ民に襲われずに済んだのは、傍らのアンジェラ王女のおかげだろう。
 そして、彼女らは城で英雄王リチャードと対面した。

「久しぶりだな、アンジェラ、そして…ヴァルダ」
英雄王がゆっくりと腰を上げ、理の女王たちに歩み寄っていく。
「本当に久しぶりね。最後に会ってから、もう何年になるかしら」
「それで、用件とはなんだ? 戦争の謝罪と和平の申し入れならもう受け取ったはずだが」
「ええ…もしかしたら、もうあなたは気付いているのかもしれないけれど」
英雄王と女王の会話に、アンジェラは何か不思議なものを感じ取っていた。
何故か暖かく、優しく、少し淋しげなものを。
「アンジェラ」
女王に呼ばれ、アンジェラははっと前を向いた。
「お母様、何か…」
女王はアンジェラの背に手を当て、一歩前に歩ませた。
「アンジェラは…私とあなたとの間に出来た子なの」
「なんですって!!!」

 理の女王の思いもよらない言葉に、アンジェラは思わず母を振り返って見た。
女王の顔は堅い決意と勇気、そして罪の意識のようなものに満ちていた。
「…そうだったのか…まさかとは思っていたが……」
「ちょ、ちょっとお母様、どういうことなの!? 私のお父様って…!?」
「そう…あなたの父は、リチャード…英雄王。
 あなたはアルテナ王女であると共に、フォルセナ王女でもあったのよ」
女王の声はどことなく悲しげだ。
「でも、ならどうしてそれを知らせなかったのだ? 何故今になって…」
英雄王も、理の女王の行動に疑問を抱いているらしかった。
「…実は、もう一人子供がいたの。あなたとの二人目の子…アンジェラの弟が」
アンジェラは母の言葉にはっとなった。自分が城を抜け出しフォルセナへ来た理由…弟のこと。
「なんだって、息子もいたというのか!?」
さすがにこの事は予測できなかったらしく、英雄王も驚きの声を上げた。
「ええ、ナサニエルという名前だったわ……」
理の女王は悲しげに笑った。
「ナサニエルを生んで、私はあなたに子供の事を伝えようと決心したの。それで、
 アンジェラとナサニエルを連れてこっそり城を抜け出し、フォルセナへと向かった……でも」
「でも?」
女王は瞳を閉じ、いままで向き合う事を恐れていた過去の記憶を掘り起こし始めた。
「…エルランドからマイアへと向かう途中、船が氷山にぶつかって…」
 
 何の異常も無い筈の船に、突然衝撃が走った。
「しまった!! 氷山に衝突しちまった!!!」
壁に亀裂が走り、大量の海水が船内に押し寄せる。少しずつ船が傾き、下へ下へと沈んでいく。
「アンジェラ! ナサニエル!!」
ヴァルダは息子を背負い、娘を抱きかかえながら海へと飛び込み、なんとか救命ボートへと乗りこんだ。
 しかし……
ボートに乗った時、背に負っていたはずのナサニエルの姿は無かった。

「…私のせいなの…あの時私がもっと気をつけていれば、ナサニエルを死なせずに済んだのに…」
女王は瞳を開くと同じに、そこから涙を溢れ出させた。
「お母様……」
アンジェラも、いつのまにか瞳を潤ませていた。
「……それから、私はアンジェラを見るたびにナサニエルのことを…あの事故を思い出してしまって
 何も…母親らしき事が出来なくなってしまった…事故のことを忘れたくて、女王になってから
 ひたすら国政に没頭した…でも、それがアンジェラを悲しませる事になってしまった。
 そして…ブライアンに…竜帝に付けこまれる原因ともなってしまった………
 私は、もう少しでナサニエルだけでなく…アンジェラまで殺してしまうところだった………」
緊張の糸が切れたように、理の女王は床にしゃがみこみ、顔を両手で覆ってすすり泣き始めてしまった。
 その姿は、アンジェラの夢に出てきた母の姿と全く同じだった。
「……ヴァルダ……」
英雄王が女王の側にしゃがみこんだ。
「…リチャード…私は…あなたの子を守れなかった……私には…母親である資格なんて無い……」
「そんなことないわお母様!!」
アンジェラが母親に抱きついた。
「アンジェラ…!?」
「お母様は私を守ってくれた…さっきも、勝手に城を抜け出した私を捜しに来てくれた…
 私はお母様が信じられなくて、本当の事を訊けなかったのに…ホントにごめんなさい!!!
 私こそお母様の娘失格だわ!! こんなに私の事想ってくれてたお母様に気付かなかったなんて!!!」
一気に胸の内をはきだすと、アンジェラも泣き始めてしまった。
「…アンジェラ…ヴァルダ……」
英雄王は、かつて自分の恋人だった女性と、その間に出来た娘の様子を無言で見つめていた。
その表情は、いままで真実に何一つ気付けなかった自分を責めているようだった。

「私があなたにこの事を知らせる決心をしたきっかけは、アンジェラなの」
目をすっかり赤くした女王が英雄王にここにきた理由を話し出した。
「私が?」
「日記を見て、アンジェラはフォルセナに行ったんだろうってことくらいすぐわかったわ。
 しかも、自分の父親と弟を捜しに行ったってことも…それで、もう逃げるのはやめようって」
「そうか…」
英雄王は自分の娘を見つめた。
「でも、私はとんでもない勘違いをしてたんだけどね…ナーディスさんには悪い事しちゃったなぁ。
 それにしても、このことをデュランが知ったらどんな顔をするか楽しみね」
「そうか、どうやら娘と同時に息子も出来ていたようだな」
英雄王が半分冗談だといった調子で呟いた。
「!! な、なによ!!!」
父を振り向いたアンジェラの顔は、真っ赤に熟したトマト色だった。
「あらあら…私にも二人目の息子が出来ていたのね」
「お母様まで!!!!!」
英雄王と理の女王は楽しそうに笑った。
一人赤面しながらも、アンジェラは「家族」というものを自分たちの中に感じ取っていた。
「もぅ!! お父様もお母様もからかわないでぇ〜!!!」

「しかし驚いたなぁ…お前が英雄王様の娘だったなんて」
全てを聞いたデュランがアンジェラを眺め見ながら言った。
アンジェラの容姿は完全に理の女王似で、父である英雄王の面影はあまり見られない。
「私だって驚いたわよ。確かに英雄王さんもイニシャルRだったんだけど、フォルセナに王子様なんか
 いるわけないし、それに英雄王さんを疑ったりしたらアンタに怒られそうだったしね」
「ああ、怒ってたな絶対に」
「あらあら、そんな口きいていいのぉお兄ちゃん?」
横からウェンディが兄をツンツンつついた。
「だって、お姉ちゃんこの国の王女様だったんでしょ? 無礼者って怒られちゃうかもよ?」
「んなっ!! コイツに無礼もクソもあるかよ!!!」
「ひっどぉいデュランったら!! パパに言いつけちゃおうかしら?」
「おいおい、冗談だって!!」
そんなデュランを見ながら、アンジェラはどことなくホっとしていた。
真相を知ったら彼の態度が変わってしまわないかと少し不安だったのかもしれない。
「しかし…弟の方は結局ダメだったのか」
「……」
デュランの言葉にアンジェラの表情が沈んだ。
「元気出してよお姉ちゃん! お姉ちゃんには私っていうれっきとした妹がいるじゃん!!」
そんなアンジェラを気遣ってか、ウェンディが明るい声を出した。
「…そうよねウェンディちゃん。私にはあなたっていう妹が……って、ちょっとそれって!!!」
ウェンディの言葉の意味に気付き、アンジェラは顔をトマト色に染めた。
「お、おい!! オマエこそ無礼だぞ王女様に!!!」
デュランの顔はアンジェラよりもさらに熟していた。
「素直じゃないなぁ。もっと国王様達みたいに素直になりなよ。ねぇおばさん?」
「フフッ、どうやら年貢の納め時みたいだねデュラン!」
「おばさんまで何言うんだよ〜〜〜!!!」

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